2020年08月10日

エルサレムの石【ルカ19:37〜44】

聖句「イエスはその都のために泣いて、言われた。『もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら…。』」(19:41,42)

1.《難民と詩人》 パレスチナの女性詩人、ファドワ・トゥカンは「わが主よ/エルサレムが苦しみに喘いでいるのに/世界の沈黙はいや長く/太陽の眼が抉られたというのに/世界は石のように、それを見ようとしない」と歌いました。1948年、イスラエルの侵略によってパレスチナ難民が発生しました。しかし世界中が見て見ぬ振りをしたのです。

2.《スローガン》 シオニストは戦争を仕掛けて、住民を虐殺し追放して、土地を奪い取り「イスラエル建国」を宣言しました。「世界が石のように」沈黙して、パレスチナの悲劇を見ようとしない理由の1つに旧約聖書の存在があります。欧米人はパレスチナ地方に無関心な上、聖書の生半可な知識が災いして「エルサレムはユダヤの都」と反応してしまうのです。シオニストが「土地なき民に、民なき土地を」のキャンペーンを始めた時、パレスチナには誰も住んでいないと、欧米の教会は真に受けてしまったのです。しかし、そこには、2千年前からパレスチナ人が暮らしていたのです。

3.《平和への道》 イエスさまの「エルサレム入城」を迎えた弟子たちは「ホサナ」と叫んだと言われていますが、「ルカによる福音書」には「ホサナ」の代わりに「天には平和、/いと高きところには栄光」と、クリスマスの天使を思わせる賛美が歌われます。けれども、クリスマスは「地に平和」だったはずです。「エルサレム」の名も「平和」を意味する名前ですが、そこで主が十字架に磔にされて殺されるのです。「平和への道」は沈黙することでも、投石することでもありません。イエスさまの「涙」を胸に刻みつつ、人の暮らしを守るための「石」を積み上げることです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 21:54 | 毎週の講壇から