2020年09月21日

お前も死ぬぞ【ルカ16:19〜31】

聖句「子よ、思い出してみるがよい。お前は生きている間に良いものをもらっていたが、ラザロは反対に悪いものをもらっていた。」(16:25)

1.《寺の掲示板》 2018年から「仏教伝道協会」主催の「お寺の掲示板大賞」が始まり、テレビで紹介されたり写真本が出版されたりして盛り上がっています。街角にトタン板で貼られている「聖書配布協力会」の脅迫的・排他的な裁きの言葉と比較すれば一目瞭然ですが、お寺の掲示板には、通行人が思わず足を止めて見つめるようなヒネリがあります。ヒネリとはユーモア、その語源「フーモル、ユーモル」から言うと「血の通った言葉、潤いのある言葉」です。

2.《格差の拡大》 「金持ちとラザロ」は落語の「長屋の花見」のような小噺です。有り余る財産を持って贅沢三昧に暮らしている金持ちと、その門前で物乞いをしながら、金持ちの家の「食卓から落ちる物(残飯、生ゴミ)で腹を満たしたいものだ」と思う程に貧しいラザロとが比較されています。ラザロは皮膚病を患い、野犬の餌になる寸前です。同じ時代に生まれ、同じ街で暮らし、恐らくは、同じ神を信じていたはずですが、2人の境遇は天国と地獄のように懸け離れていました。しかも、古代ユダヤ教信仰では「因果応報」の論理が罷り通っていたのでで、ラザロの貧困も「自己責任」として片付けられたはずです。

3.《神への祈り》 極貧の中で死んだラザロは天国へ連れて行かれ、信仰の父祖たる「アブラハムの懐の中、胸の中」、即ち祝宴の上席に招かれました。他方、金持ちはゲヘナ(地獄)と思しき場所で責め苛まれます。金持ちは悪人で、ラザロは善人だったとか、金持ちは不信仰で、ラザロは信心深かった等とは一言も書いてありません。それは、人間の側、特に宗教団体の運営者が信者をコントロールするために加える条件なのです。神さまは無条件です。ただ、憐れみたい者を憐れみ、恵みたい者を恵まれるのです。私たちが出来るのは、苦難の中で、神の救いと助けを求めて、必死に呼び求めることだけです。それこそが祈りです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 21:57 | 毎週の講壇から