2020年12月21日

人生は光に導かれる旅【マタイ2:1〜12】

聖句「彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。」(2:9)

1.《追放と脱出》 聖書に登場する人たちの多くが「旅」をしています。しかし、現代の私たちが考える旅(観光旅行、研修旅行、出張)ではありません。大きな危険と困難を伴う移動でした。「エグザイル/追放、亡命、流浪」と「エクサダス/脱出、移住、退去」の2つの語に集約されるでしょう。2つの語は「バビロン捕囚」と「出エジプト」をも意味します。「旅」と呼ぶには余りにも過酷です。歴史の動乱や運命の流転によって、暮らしも人生も大きく変えられてしまうのです。

2.《旅はドラマ》 私たちにも「人生の旅」があります。今や生まれ育った家で、そのまま生涯を終える人は殆どいません。学業や就職、結婚によって親元を離れます。旅立ちは親子の別れです。夫婦にも死別離別があります。聖書の旅ほどではありませんが、私たちの人生の旅にも多くの困難があります。クリスマスの物語も困難な旅で幕を開けます。ヨセフとマリアの旅の後には、東方から来た博士たちの旅が描かれています。「東方」はユーフラテス川の東側の広大な地域を意味します。曖昧です。同じように博士たちにとっても、目的地は明らかではありませんでした。だからこそ、彼らはエルサレムに行ってしまったのです。

3.《新しい道へ》 明日は木星と土星の397年ぶりの大接近(会合)が観られます。これが「ベツレヘムの星」の正体と言われています。木星は偉大な王や宗教家を、土星は苦難を表わすと言います。博士たちは未来を占うのには長けていましたが、ユダヤの国という以外に、場所の特定は出来ませんでした。それどころか「ユダヤ人の王」故に都に生まれるとの思い込みから、一番行ってはならないヘロデ王の王宮を訪ねてしまうのです。しかし華やかに見えても、それは虚飾、立派そうに見えても、それは虚勢です。そんなものは、私たちを本当に生かしめるものではありません。改めて星に導かれた博士たちは、ベツレヘムでイエスさまに出会い、ひれ伏して、贈り物を奉げました。この3つの行為(出会い、礼拝、献身)によって、彼らの人生は再スタートされたのです。光に導かれる「別の道、新しい道」を通って進んで行ったのです。新しい歩みを恐れる必要はありません。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 21:50 | 毎週の講壇から