2021年01月31日

コロナ禍の落穂拾い

1.渡り鳥シリーズ

先日「NHK-BSシネマ」で、小林旭主演の「日活アクション」『ギターを持った渡り鳥』(1959年)を録画して、何年かぶりに観ました。今回、観直すと、冒頭のシーンから映像の美しさに圧倒されました。昭和新山から下って来る牧草を積んだ馬車、馬車を降りて函館に向かって歩き始める旭(勿論、背中にはギター)、そして、函館山から展望した市内の全景、それが「百万ドルの夜景」に変わるタイトル…。溜め息が出ました。

話の筋は説明する程のものではありません。第1作の『南国土佐を後にして』(1959年)から第10作『渡り鳥故郷へ帰る』(1962年)に至るまで(実は『ギターを持った渡り鳥』はシリーズ2作目なのです)、「渡り鳥」シリーズは、同じパターンを実直に踏襲して行きます。キャスティングで一目瞭然です。旭扮する滝伸次がヒーロー、相手役のヒロインは浅丘ルリ子、地元のボスが金子信雄(大抵はキャバレーの経営者)、キャバレーのマダムが渡辺美佐子か楠侑子、そのフロアショーで踊るダンサーが白木マリ、ヒーローのライバルとして、拳銃や賭博で対決するのが宍戸錠。

極端な話、舞台と成る土地が変わるだけです。@高知、東京、A函館、B宮崎、C佐渡、D裏磐梯、E摩周湖、F香港、バンコク、G雲仙、長崎、佐世保、H函館、I高松というような具合です。『ギター』のラストシーン、青函連絡船の波止場で、ルリ子が旭に「どこに行くの?」と尋ねると「佐渡にでも行ってみようかと思って」「あいつ(昔の恋人)の墓参りをしてやらないと…」と答えるのですが、この後の第3作『口笛が流れる港町』(1960年)は宮崎が舞台で、佐渡に行くのは第4作『渡り鳥いつまた帰る』(1960年)です。

青函連絡船を切ない眼差しで見送るルリ子を、中原早苗が「あの人は必ず帰って来るわ」と慰めるのですが、それに対して、彼女はキッパリと「いいえ、あの人は帰って来ないわ。私にはあの人の心が分かるもの」と断言するのです。本来、泣かせる台詞のはずですが、どこに行こうと、毎回、相手役は浅丘ルリ子だと知っている私としては、思わず吹き出してしまったのでした(最終作にして姉妹編の『故郷へ帰る』のみ笹森礼子)。

2.太陽がいっぱい

「コロナ禍」で外出が憚られるように成って以来、昔、観損ねた映画、もう一度観てみたい映画を録画して、空いた時間に観ています。「日活」で言えば、『太陽の季節』(1956年)、『狂った果実』(1956年)、『あいつと私』(1961年)が出色でした。『太陽の季節』と『狂った果実』は鎌倉や逗子、葉山あたりが舞台、『あいつと私』の舞台は田園調布と慶應日吉キャンパス、軽井沢です。改めて観ると、3作とも共通して、非常に裕福な家庭の若者たちの話で、私などは引け目を感じてしまいます。数十年後の私が観て、そう思うのですから、当時これを観た貧しい若者たちが憧れと妬みの入り混じった気持ちを抱いたであろうことは、想像に難くありません。それでも『あいつと私』のモダニズムには、うっとりと見惚れてしまいます(裕次郎は「オースチン・ヒーレー100」に乗って通学している!!)。

そのような相反する感情で思い出されるのが、昨年12月に亡くなった作詞家、なかにし礼のエピソードです。なかにしは元タカラジェンヌでシャンソン歌手の深緑夏代(歌劇団では、越路吹雪とコンビで知られた)に依頼されて、シャンソンの訳詞をしていました。「なかにし礼」というペンネームも、フランシス・レイ(Francis Lai)から採ったと言われています。なかにしの家は満州からの引き揚げ者で、彼は小樽や青森の暗い海を見詰めて、少年時代を送ったのです。ですから、真夏の湘南の海で戯れる若者たち(所謂「太陽族」の係累)に対しては、ただ怨嗟しか感じていなかったそうです。そんな彼の心にズシンッと響いたのが、1960年のフランス映画『太陽がいっぱい』(Plain Soleil)だったのでした。

3.今日でお別れね

地中海でヨットに乗って、女の子と遊び呆けて暮らしている、金持ちの放蕩息子フィリップ(モーリス・ロネ)を殺して、彼に成り済まそうとする貧乏で孤独な青年トム(アラン・ドロン)の悲劇ですが、ナポリ湾に浮かぶイスキア島の南端サンタンジェロの風景(トニー・リーヴス著『世界の映画ロケ地大事典』による)を、なかにしは湘南の海に、自身の心情をトム・リプリーに重ねていたと言います。そんな感情が後に(1967年)、菅原洋一の「今日でお別れ」(作曲:宇井あきら、編曲:早川博二)に結実したのです。

♪「今日でお別れね/もう逢えない」という歌い出し、覚えて居られる方も多いと思いますが、ニーノ・ロータ作曲の『太陽がいっぱい』のテーマそっくりです(!)。作曲の宇井は元シャンソン歌手、なかにしの先輩ですし、編曲の早川はトランペット奏者です(「太陽がいっぱい」の主旋律がトランペットだったことを忘れてはいけません)。しかも「今日でお別れ」の伴奏はマンドリンなのです(「太陽がいっぱい」も)。

しかしながら「太陽族」的な湘南文化に対して怨嗟を抱いていた、なかにし礼を、シャンソンの訳詞などという地味な世界から引っ張り出して、歌謡曲の作詞家として大成功に導いたのが、他でもありません、元祖「太陽族」石原裕次郎なのです。新婚旅行中のなかにしが下田のホテル滞在中に、偶然ホテルのバーで隣席に成ったのが、『太平洋ひとりぼっち』撮影中の裕次郎だったそうです。「シャンソンの訳詞なんてやってないで、日本の歌謡曲の歌詞を書きなさいよ」と勧められて、石原プロに行ったのがキッカケだったと言います。

考えてみたら、裕次郎を発掘してスターダムに押し上げた立役者は、松竹歌劇団出身(「男装の麗人」の異名を欲しい儘にした)水の江瀧子です。水の江は1950年代、日本映画界初の女性プロデューサーとして、日活の黄金時代を作ったのでした。深緑夏代の愛称が「ターコ」、水の江の愛称が「ターキー」だったのも似ています。歌劇団、恐るべし(!)。

牧師 朝日研一朗

【2021年2月の月報より】

posted by 行人坂教会 at 06:00 | ┣会報巻頭言など