2021年11月27日

冬に咲く花

1.暖冬と寒梅

去る11月22日、久し振りに「東京同信伝道会」の講演会があり、霊南坂教会に行きました。生憎の雨もあってか、参加者は非常に少なかったのですが、同窓の方たちと旧交を温める一時でした。小原克博教授(同志社大学神学部)による講演「新型コロナウイルスによって見えてきた課題」も、多くの示唆を受ける内容でした。

その講演の中で「真理似寒梅敢侵風雪開」という新島襄の漢詩が紹介されていました。「真理は寒梅の似(ごと)し、敢えて風雪を侵して開く」と読みます。新島が教え子の深井英五に与えた漢詩です。深井英五は、明治期にジャーナリストとして名を馳せて後、銀行家に転身、高橋是清内閣の時に日銀総裁を務めた人物です。

簡単に言えば、時代の趨勢に抵抗できるような精神が肝要、抵抗の原理と成らないような精神には真理性は無いという意味です。巨大な会場が閑散として、寒々しかったせいかも知れませんが、結局、その漢詩が最も心に残りました。

と言いながらも、気温は低くは無くて、フリースを1枚羽織っているだけなのに、傘を持って移動していると、汗が流れます。今年も暖冬だと感じます。最近はズッと暖冬です。何しろ、私は冬の生まれで、季節の中で一番、冬が好きなのです。だから、身の程知らずにも冬物のコートやマントは何着も持っているのですが、ここ数年、全く出番が無いのです。袖を通す機会は、1年の内、数える程しかありません。

そんな訳で、折角の新島の「寒梅」の詩も近年、何となくではありますが、今一つ迫力を感じられません(勿論、私たち自身の側が…ですよ)。それは、もしかして、もしかすると、やはり、地球温暖化のせいでは無いでしょうか。身を突き刺すような寒さが感じられないのです。それは即ち、私たち自身が時代の趨勢に対して、大きな抵抗を出来ないままに押し流されている現実と、どこかで繋がっているような気がして成りません。

2.ふゆそうび

「冬に咲く花」と言うと、逆境に健気に抗う「ひたむきさ」がイメージされるのか、演歌や歌謡曲に採り上げられることの多いアイテムです。西田佐知子の「エリカの花散るとき」(1963年)、都はるみの「アンコ椿は恋の花」(1964年)、布施明の「シクラメンのかほり」(1975年)、大川栄作の「さざんかの宿」(1982年)、薬師丸ひろ子の「冬のバラ」(1984年)、さだまさしの「クリスマス・ローズ」(2003年)、都はるみの「エリカの花の咲く頃に」(2013年)、SEKAI NO OWARIの「サザンカ」(2018年)…。

花の種類が特定されてはいませんが、中島美嘉の「雪の華」(2003年)、宮本浩次の「冬の花」(2019年)も外せない名曲です。

それで思い出しましたが、日本語には「冬に咲く薔薇」を指して「冬薔薇(ふゆそうび)、寒薔薇(かんそうび)」と呼ぶ美しい言の葉があります。初めて耳にした時、教養の無い私などは「冬装備」と勘違いする始末でした。軍隊の「雪迷彩/スノーカモフラージュ」を連想していたのです。例えば「冬戦争/talvisota」(1939〜40年、ソ連がフィンランドを侵略、芬軍がこれを撃退)における、芬軍の伝説的スナイパー、シモ・ヘイへ(Simo Häyhä)は、赤軍兵士から、その雪迷彩の故に「白い死神」と呼ばれていました。

戦争の関連で言うと、ドラマ部分の内容はともかく、戦艦大和の46センチ砲が火を吹く特撮が素晴らしかった(特技監督は中野昭慶!)映画『連合艦隊』(1981年)のエンドクレジットに、谷村新司の「群青」という歌が流れるのですが、その歌詞に♪「せめて海に散れ/想いが届かば/せめて海に咲け/心の冬薔薇(ふゆそうび)」とありました(これは、後で歌詞を読んで知ったことです)。当時、館内には、太平洋戦争の生き残りと思しき老人たちが(この世の見納めとばかり)大勢観に来て居り、この歌が流れる頃には、館内のそこかしこから異様な啜り泣き、嗚咽が聞こえて来たのでした。

3.薔薇と野茨

行人坂教会の庭にも薔薇があり、冬にも咲くのです。1つは、私が赴任する前から居られる「皇太后」か「庭の主」のような雰囲気の薔薇です。これが大輪の紅い花を咲かせます。もう1つは、妻が植えた薔薇です。黄色い花を咲かせています。これが一瞬、雛菊かと目を疑う程の慎ましやかさなのですが、間違いなく薔薇の花なのです。そう言えば、成瀬巳喜男監督に『妻よ薔薇のやうに』(1935年)という映画がありました。

古い言い伝えに寄れば、薔薇の枝に棘が生えたのは、アダムとエバが原罪を犯してからの事だそうです。野茨を編んで作られたとされる荊冠(茨の冠)が、キリストの額を傷付け、血を流させます。それも人間の原罪を意味しているのです。

ローマカトリック教会では、聖母マリアのことを「棘の無い薔薇」と呼びます。カトリックの信仰では、聖母だけが無垢のまま「エデンの園」に戻ることを許された唯一の人間とされているのです。それ故、彼女は「神秘の薔薇」と呼ばれます。また、信徒が「アヴェ・マリア」の連祷を唱える際に使用する数珠「ロザリオ/rosário」は「薔薇の冠」という意味です。聖心女子学院でお馴染みの「聖心/Sacré Cœur/サクレ・クール」には「聖母マリアの汚れなき御心」という含みがありますが、その紋章もまた、茨を巻かれて傷口から血を流す心臓(ハート)です。ここにも「薔薇、野薔薇、野茨」のモチーフがあります。

「讃美歌第二編」には「マリヤはあゆみぬ」(Maria durch ein’ Dornwald ging)という中世ドイツのカロルが掲載されていました。♪1節「マリヤはあゆみぬ/キリエ・エレイソン/茂る森かげの/いばらのこみちを/キリエ・エレイソン」。3節「いばらの枯木も/キリエ・エレイソン/血にそみしあとに/きよき花さきぬ/キリエ・エレイソン」。

牧師 朝日研一朗

【2021年12月の月報より】

posted by 行人坂教会 at 06:00 | ┣会報巻頭言など