2022年01月10日

ベトザタの池が動くとき【ヨハネ5:1〜9】

聖句「イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間病気であるのを知って、『良くなりたいか』と言われた。」(5:6)

1.《ワンオペ》 1つの店舗や事務所、営業所を「単独で切り盛りさせられること」を「ワンオペ」と言います。某牛丼チェーンが全国の店舗で、非正規従業員に長時間ワンオペ深夜営業をさせていたことが社会問題化し、日本の劣悪な労働環境を象徴する語となりました。近年は、家庭の在り方に対しても「ワンオペ家事、ワンオペ育児」と使われています。更に深刻な問題として「ワンオペ介護」も控えています。周囲の援助が無ければ、介護に当たる家族は忽ち孤立してしまいます。

2.《自己責任》 2020年に京都市で、重度の知的障碍を抱える息子を、母親が殺害した後、自殺をはかったという痛ましい事件が起こりました。介護生活に疲れ果て、心中しようとしたのです。一応、日本にも社会福祉制度や窓口は存在しているのですが、当事者や介護者が自分から窮状を訴えて行かない限り、置いてけ堀にされてしまう傾向があります。ベトザタの池の病人が「池の中に入れてくれる人がいない」と、イエスさまに訴えるのを読んで気付かされました。「あなたの援助が必要です」と、私たちは中々言えないのです。「自己責任」という呪いは、私たちの心の奥底にまで根を張っているのです。あたかも自らを孤立させて、自滅するようにプログラミングされているかのようです。

3.《親愛の情》 先ずイエスさまから、この病人に「良くなりたいか」と声を掛けられています。本田哲郎神父は「元気になりたいよね」と「タメ語」風に訳して居られました。主は、この病人の痛みと孤立に共感して居られる。実際、「自己責任」の名の下に、放置され続けた人は悲しみを通り越して、絶望と憤懣を抱えていますから、声を掛けても拒絶される場合が多いのです。それでも声を掛けるのが愛というものでは無いでしょうか。キリストが病気を癒すことを知らない男は「じゃあ、旦那が池に入れてくれるって言うんですかい」と返しているのです。癒しの奇跡を起こせない、私たちにとって、本当に大切なのは、イエスさまが孤立している人に気付いて、深い親愛の情を込めて、声を掛けられたことなのです。これこそ、私たちを互いに孤立させないために必要なことでは無いでしょうか。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 20:55 | 毎週の講壇から