2022年02月21日

たった、これだけ?【マタイ14:13〜21】

聖句「『行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。』 弟子たちは言った。『ここにはパン5つと魚2匹しかありません。』」(14:16,17)

1.《ソウルフード》 最近、何かと「ソウルフード」という語を聞くようになりました。海外からの観光客が増えた10年程前から「日本ならではの料理」の意味で使われ始め、「郷土料理」「家庭の味」と拡大解釈されました。本来は、アメリカの黒人家庭の手料理です。奴隷労働と貧苦の中から生み出された「魂の飯」なのです。音楽業界で「ソウル」が、アフリカ系の人たちの人種的な誇り、文化的、社会的な団結心を表わす合言葉とされると共に、再評価されているのです。

2.《霊魂を養う糧》 聖書に「ソウルフード」はありませんが、「霊的な糧/スピリチュアル・フード」は出て来ます。日本の教会でも、愛餐会などで皆が食べるランチを「肉の糧」、礼拝で語られた福音を「霊の糧」と言い習わして来ました。イメージとしては「出エジプト」の民が天から賜った糧「マナ」でしょうか。新約聖書によると「神の御言葉、神の御心」が「霊の糧」とされています。但し「霊の糧」を下支えしているのは「肉の糧」であり、両者は不可分なものです。霊的な事柄と肉体的な事柄を安易に切り離して考えるべきではありません。マザー・テレサは「ミサは私を下支えする霊の糧。主がパンとして顕われて給う。同時に、スラムに行き倒れた病人や捨子の体に触れる時、主に触れる」と語っています。

3.《パン屑が一杯》 弟子たちが「群集を解散させましょう」と、イエスさまに進言するのは、何となく管理者めいています。主が群集を見て憐れまれたのは、病気を押して来た人がいたからです。弟子たちが「食べ物」のことを云々するのは解散の方便に過ぎません。今では「2匹の魚と5つのパン」は教会のシンボル、教会の理念とされています。でも、その奇跡よりも、主の分けられた糧を一人一人に手渡していく中で、弟子たちは管理者の心ではなく、弟子の心にされたのだと思うのです。余ったパン屑を集めると「12の籠」一杯に成ったとあります。ユダヤ人は旅する時、柳の枝を編んだ手籠を肩から掛けて、糧食を入れました。十二使徒の持ち物だったのです。弟子とは、イエスさまの砕かれた御体、引き裂かれた御心を背負って、人生の旅へと送り出される者のことなのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 21:52 | 毎週の講壇から