2022年05月09日

ことばが切り開く世界【創世記1:1〜3、マタイ3:16〜4:4】

言葉はコミュニケーションを図る上で便利ですが、時に人を殺す力も持ちます。教会暦ではイースターからペンテコステへ、つまり神を信じる一人一人に語る言葉が与えられる季節へ向かうのですが、今日は神の言葉に注目します。

今日の箇所はイエスが誘惑を受ける場面で、言葉について考えさせます。「道を外させる者」という意味の悪魔は、神の道から踏み外させる誘惑を3つ試みます。今日はその最初の誘惑です。空腹を覚えるイエスに「神に頼み、石をパンに変えてもらえ」と迫るのです。自分が変わるのではなく、自分の都合に合わせて神を変える誘惑です。この誘惑に対してイエスは「人はパンだけで生きるのではない。神の言葉によって生きる」と答えました。

「人は神の言葉によって生きる」。この発言の根底にはユダヤ教の世界観、特に創世記に描かれた神の言葉への理解があります。創造物語は「地は混沌で、闇が深淵のおもて」と暗闇とカオスの状態に始まり、そこに「光あれ」と神の宣言が差し込みます。この1章の創造物語はバビロン捕囚時代に今のような形に編纂されたと言われます。古代イスラエルが新バビロニア帝国に戦争に負け、多くの人が奴隷として外国に囚われた時代。自由も出口もない抑圧と差別こそが、その当時の現実(混沌と闇)だったのです。

聖書は、その絶望と闇の中で神は言葉を投げかけ、光となってくださったと語ります。創世記において神の言葉は、闇の中で様々な存在を「命あるもの」として浮かび上がらせていきます。混沌や闇の中で見えなくなっているものたちの名を呼び、存在を確認するのです。そしてこの言葉の力をイエスは体験的に知っていました。イエスはこの誘惑直前に洗礼を受けました。その時イエスは「これはわたしの愛する子」という神の語りかけを受け、この言葉と共に試練の場に臨んでいます。「神の言葉、愛が人を生かす」これがイエスの実感であり、信念なのです。

神はわたしたちに語りかけることで、この存在に触れ、共に生きている事実に導きます。そのような言葉を神から受けているのです。さらに言えば、今度はその愛の言葉をわたしたちが他者に扱うように信じられ、託されているのです。

佐原光児牧師

posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の講壇から