2022年06月27日

吐く息、吸う息、神の息【第二コリント13:11〜12】

パウロは教会にあてた手紙の終わりにしばしば「聖なる口づけを交わしなさい」と勧めます。この「聖なる口づけ」とは何でしょうか。カトリック教会では、それを「コン・スピラティオ」と呼んできたそうです。「コン」は「一緒に」、「スピラティオ」はスピリットです。直訳すれば、『霊を一緒に』という意味です。このスピリットは一般には霊と訳されますが、旧約聖書のヘブル語では「霊」という言葉は「息」とも、「風」とも訳せる言葉ですから「一緒に息をする」「共に息を吸い合う」という意味にもなります。

私たちが口から吐く息は清らかなものでも、すがすがしいものでもありません。今、コロナ禍でマスクの中で感じる自分の息は生臭く、それを吸いたいとは思いません。まして他人の吐く息を吸いたいなどとは思いません。 しかし、わたしたちが悩みや苦しみや罪と共に吐き出すその息を吸ってくれる人がいること、そして私たちも他人の吐く息を吸うこと、それがコン・スピラティオ、「聖なる口づけ」なのです。キリストが聖霊(聖なる息)の姿で私たちの息を共に吸ってくださっているからです。

瀬戸内海にあるハンセン病療養所での長年伝道に生涯を捧げた河野進牧師の詩に「天のおとうさま、どんな不幸を吸っても、吐く息は感謝でありますように。 すべては恵みの呼吸ですから」というのがあります。ハンセン病で人生を苦しみの中で生きてきた人々の吐く息を隣にいて吸い続けてきた人です。しかし、そのすった息を感謝として吐き出す方でした。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい」(テサロニケの信徒への手紙二、5:16〜18) 吸う息も、吐く息も、神の与えてくださる神の息です。教会はこの神の霊(息)を吸うことによって生かされ、神の霊(息)を感謝として吐くことによって教会となって行くのです。

上林順一郎牧師

posted by 行人坂教会 at 14:10 | 毎週の講壇から