2023年01月23日

まだまだクリスマス【イザヤ11:1〜10】

「エッサイの株からひとつの芽が萌えいで、その根からひとつの若枝が育ち」(1節)とは、神さまが私たちにエッサイの家系から救い主を与えるとの預言の言葉です。ですからこの箇所は昔からアドベントの期間に、キリストの誕生の意味を想起するために読まれてきました。

エッサイとはイスラエルの王ダビデの父です。ダビデ王はイスラエル王国の繁栄の象徴でした。しかし自分たちの知恵や力により頼み、度重なる神さまへの背反により、王国は滅亡していきます。「エッサイの株」とは切り倒された王国のことを指しています。しかし神さまはその切り株から新しい若枝を生えさせると語るのです。

人間の目には終わりと見えるところにこそ、神さまの救いの業が現れます。それがイザヤの預言でした。人間の不信仰や失敗、途方に暮れるような葛藤の中にこそ、神さまは様々な形でご自身を現わされる方です。だからこそ私たちは不安の多い社会にあっても、希望を見失わずに歩むことができるのです。

私たちの心の中にも「大きな木」が存在しているかもしれません。自分中心の言動や傲慢さ、驕り高ぶりという「大きな木」を切り倒さなければ、心の中にキリストをお迎えすることはできないのです。神さまは私たちの失敗、もうダメだというところから新しい道を開いてくださいます。不安の絶えない社会状況の中にあっても、必ず進むべき希望の道が示されていることに感謝しつつ、この1年の歩みを進めていきたいと思います。

原牧人牧師

posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の講壇から