2010年10月17日

真理は時の娘

今年の夏は、御巣鷹山の日航機墜落事故から25年の節目に当たり、例年に比べて、マスコミの報道も扱いが大きかったように思います。あの事故に遭遇して亡くなった乗客の中には、夏休み期間中ということで、大勢の子どもたちも含まれていました。

9歳の野球少年は、25メートルプールを泳ぎ切った御褒美で、念願の甲子園行きを家族からプレゼントされたのです。その頃、航空会社が「可愛い子には独り旅を」というようなキャンペーンを展開していたことも影響していたのでしょうか。テレビでお母さんの証言が紹介されていたそうです。偶然、その番組を見た妻は、25年の時を経て尚、悔やんでも悔やみ切れない、その余りの痛ましさに言葉を失っていました。

私自身も、新聞で、その子のお兄ちゃんの証言を読み、絶句しました。出発直前に、つまらない兄弟喧嘩をして、お兄ちゃんは思わず「お前なんか、もう帰って来るな!」と言ってしまったのです。勿論、事故で弟が死んだのは自分の罵倒のせいではない、頭では理解できるのですが、それでも何年も何年も自分を責め続けていたという、お兄ちゃんの気持ちが察せられて、私の胸も詰まりました。

「あの時、もしも、こうしていれば・・・」「あの時、こうしてさえいなければ・・・」「こんな事故には遭わなかったかも知れない」と、遺族は思い巡らし、自分を責め続けるのです。突然の不幸を経験した人ならば、誰でもが知っているはずです。ここに立ち塞がるのが「時間の不可逆性」という現実です。失われてしまった命は戻って来ないのです。出来ることなら、あの時以前に時間を巻き戻して、子どもの命を救いたいと思うのですが、今となっては、もはや取り返しがつかないのです。

さて、SF小説の世界には、H・G・ウェルズの『タイム・マシン』(1895年)を始祖とする「時間SFもの」というジャンルがあります。R・A・ハインラインの『夏への扉』(1956年)、筒井康隆の『時をかける少女』(1967年)、B・J・ベイリーの『時間衝突』(1973年)、R・マシスンの『ある日どこかで』(1976年)等は、マニアでなくても御存知の方は多いでしょう。時間旅行を利用して、未完の目的を達成したり、仇敵に復讐したり、不幸な過去をやり直したり、秘めたままの恋心を告白したり・・・。物語の世界だからこそ、現実を超越できるのです。しかしながら、時間旅行によっても、現実は願った方向に変えられなかったという展開が大多数を占めています。

けれども、私たちの人生は「何も変えられなかった」という悲観で終わるものではありません。命がけの試みや切なる願いによって、確かに何かが変えられているのです。「真理は時の娘/Veritas temporis filia」という格言があります。真理は、今日は未だ隠されているかも知れないが、きっと、いつの日にか明らかになるという意味です。私たちが生きていて味わう悲しみや苦しみの意味も、いずれ明らかにされる日が来るのでしょう。

【会報「行人坂」No.241 2010年10月17日発行より】

posted by 行人坂教会 at 17:45 | ┣会報巻頭言など