2012年03月10日

我らが流浪の果てに

1.灰の水曜日

丁度、「灰の水曜曰」に成ったので、久しぶりに書棚の奥から、大学時代に買ったT.S.エリオットの詩集(Faber Paperbacks)を取り出して、「灰の水曜曰」(1930年)に目を通してみました。30年を経て本が黄ばんだだけで、私の英語の読解力が向上した訳もなく、相変わらず、何が言いたいのか全く分かりませんでした。

それでも、第4詩の末尾に付された「and after this our exile/我らが流浪の果てに」というフレーズが心に引っ掛かりました。「3.11」の震災と津波、原発事故から1年が過ぎようとしていて、走馬灯のように様々なニュース映像が思い出されたのでした。津波で瓦礫の山と化した被災地、家族の安否を問うメモ用紙が貼り出された掲示板、被災者で溢れ返る避難所、仮設住宅、放射能汚染による全町村民避難、自主避難した人たち、ポケット線量計を首から提げて外出する福島の子どもたち…。

このフレーズの直前には、「イチイの木から、風が千の囁き声を振り落とすまで]という、これまた意味不明な言葉があります。「イチイ」は、別名「アララギ」(伊藤左千夫、斎藤茂吉、島木赤彦らの流れを流行短歌運動と同じ)とも言います。そう言えば、北海道では「オンコ」と呼んでいました。エリオットの詩に出て来る「yew/ユー」は「ヨーロッパイチイ」です。英国やアイルランドでは、必ずと言って良い程に教会の庭に植えられていて、樹齢千年以上の古木もあるそうです。

古い教会の敷地には、当然、墓地もあります。イチイの木は亡霊の依り代であるのかも知れません。千年を経たイチイの木には、千もの亡霊(残念)が依り憑いているかも知れません。そこに「聖霊」を表わす「風」が吹いて、枝を揺すぶって、祓い落とすのでしょうか。そして「千の風になって」飛んで行くのでしょうか。「千の囁き声/a thousand whispers」が「千の風/a thousand winds」へと昇華されるのでしょうか。

2.エグザイル

そして、問題は「この我らがエグザイル」と嘆息と折りの込められたフレーズです。「エグザイル/exile」を「亡命」と訳すべきか、「追放」と訳すべきか、大いに迷います。大文字ならば、旧約聖書の「バビロン捕囚」を意味するのですが…。「亡命」と言えば、政治的な迫害や宗教的な弾圧を受けて、他国へ逃れることを意味します。「追放」と言えば、害悪を及ぼしたり、罪科を問われて、退けられ、追い払われることを意味します。

ラテン語の「エクスシリウム/exsilium」、その動詞形の「エクスシリオ/exsilio」の第一義は「飛び出る]、第二義は「急ぎ去る、逃げ去る」です。

どちらかと言えば、「追放」よりは「亡命」でしょうか。けれども、原義からすれば、「避難」という語が最も適切な気がします。具体的に、「3.11」後を念頭に置いて、避難生活を余儀なくされている被災者の姿を想像すると、ごく自然に「難民」という語が思い浮かびました。

遠隔地へ「避難」をしているから、「エグザイル」ではありません。津波や地震によって、一瞬にして家族や住む家を失った人たちの苦難は想像を絶しています。しかし、それだけが「エグザイル」ではありません。以前から暮らしている同じ町や村に踏み留まり、同じ家に暮らしていても、子どもへの放射性物質の影響を心配しつつ、胸が張り裂けそうにして生きている。それもまた「エグザイル」なのです。非常な困難を抱えて生活していかなくてはならないとしたら、それもまた「難民」では無いでしょうか。

実際、「難民]は他国の話ではありません。敗戦後の引き揚げをした人たちは、ある期間、確かに「難民」の経験を為さったのです。そもそも、明治以来、帝国政府は臣民に「移民」を奨励して、積極的に海外に送り出しました。榎本武揚の提案した政策と言われています。ハワイ移民、カリフォルニア移民、南米移民、やがては「満蒙開拓移民」へと受け継がれて行きます。これを、豊浦志朗(冒険小説家の船戸与一)は「棄民政策」と呼んでいました。在日コリアンの人たちに対して、政府が北朝鮮への「帰還運動」を奨励したのも、今思えば「棄民政策」の一環だったように思います。

阪神大震災の後、家族や家屋、職場を失った人々が神戸を離れて、人口は10万人減ったとされています。その後、人口は回復傾向にありますが、そのまま、神戸に戻らなかった市民の中には「難民化」の憂き目を見た人も少なくなかったはずです。

3.困難は続く

今年、奇しくも「3.11」は日曜日です。 日本各地で「3.11」関連の様々な行事が為されるでしょう。色々な宗旨宗派の中でも「追悼」「供養」「記念」と銘打った儀式が執り行なわれることでしょう。日曜日ですから、当然、キリスト教会の礼拝でも「3.11」に触れない訳はありません。

しかしながら、この震災に起因する「災害」は未だ継続中です。福島第一原発は未だ「冷温停止」状態にすら成っていません。冷温停止作業、施設瓦礫撤去作業、近隣地の「除染」作業などに携わる人たちには、被爆を前提にした労働が続きます。今後、更に放射性物質は拡散して、全国、全世界に広がって行くでしょう。

旧約聖書の「エグザイル/バビロン捕囚」は半世紀続きましたが、日本の「エグザイル」は今後、何十年(何百年)続くのか、見当がつきません。例えば、報道に一番よく出て来るセシウム137の半減期が30年です。30年放射線を出し続けて、漸く半分に成るのです。日本の「エグザイル」は今始まったばかりなのです。

今も困難を抱えて生き悩む人たち、未来において私たちの「負の遺産」を背負わされる子たちの苦難が続くのです。「3.11」は長大な「エグザイル」の始まりに過ぎません。

牧師 朝日研一朗   朝日です。

【2012年3月の月報より】

posted by 行人坂教会 at 15:43 | ┣会報巻頭言など