2013年01月26日

幻の映像作家と京橋教会

1.京橋教会

私たちの行人坂教会は、2月第1主日をもって、創立110周年記念の年度に入ります。丁度、そんな折、牧師のもとに、ある問い合わせの電話がありました。それは、行人坂教会の前身である日本組合京橋基督教会時代についての事柄でした。お電話の主は、佐藤洋さんと仰る(高良健吾似の)青年で、現在、早稲田大学大学院文学研究科博士課程後期で、映画史を研究している方でした。

行人坂教会の初代牧師は、二宮邦次郎先生です。現在の牧師館の玄関にも「二宮邦次郎牧師記念牧師館」とプレートが貼ってある通りです。二宮牧師は同志社に学び、新島襄から洗礼を受け、郷里の備中高梁でキリスト教の伝道します。これが現在の高梁教会の基礎と成っています。更に瀬戸内海を渡って、今治、松山で伝道に活躍されました。松山教会と松山女学校(松山東雲学園)の設立にも寄与されています。その後、意を決して上京し、京橋教会の設立に尽力されたのです。

その京橋教会の草創期、二宮牧師を助けて、教会形成に協力なさったのが、松岡鎮枝姉です。鎮枝姉は、幼くして息子さんを亡くされたことを契機に、1903年、洗礼を受けて居られます。以後、ご自宅を開放して、木曜日の夜に聖書研究会を開催して居られたそうです。かの社会事業家、留岡幸助牧師(監獄制度の改革者、報徳主義者)とも幼馴染で、京橋教会が報徳銀行の土地建物を購入する場面でも、鎮枝姉が留岡牧師(当時、霊南坂教会)に相談しながら事を進めていたそうです。

その鎮枝姉の家庭で行なわれていた聖書研究会に出席していた人物の一人に、能勢克男という人物がいました。この能勢克男こそが、佐藤さんが研究している映画史のテーマなのだそうです。

2.能勢克男

能勢克男(1894−1979)は、同志社大学法学部の教授、弁護士という肩書きに留まらず、京都家庭消費者組合(現在の京都生活協同組合)の設立者、週刊誌『土曜日』の発行責任者を務めて、治安維持法で投獄までされている、戦前の日本を代表するリベラル知識人です。戦後は、夕刊京都新聞社(現在の京都新聞)を設立し、編集局長を務めています。更には、「松川事件」(米占領下で起こった奇怪な事件の1つ)では、弁護団に参加して、冤罪の容疑者を救うために活躍しています。

これだけでも凄い人なのですが、能勢は映画作家でもあったのです。琵琶湖から京都市内の疎水を辿る『疎水、流れに沿って』(1934年)、モガの最先端とされたバスガールの日常を追った『飛んでゐる處女』(1935年)、「土曜日」同人のピクニックを撮影した『土曜日の一周年』(1937年)等の、8ミリによるドキュメンタリー映画を撮っているのです。

1989年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で、『疎水』が上映されて、大反響を呼んで以来、「幻の映像作家」として再評価されているのです。上映会が行なわれたり、DVD『ファシズムと文化新聞「土曜日」の時代/1930年代能勢克男映像作品集』(六花出版)が発売されたりしています。

この能勢克男が松岡鎮枝姉の甥に当たるのだそうです。東京帝国大学に入学した1915年以後、松岡家の木曜日の会に出席していたらしいのです。出席者の中には、能勢の親友、田中耕太郎もいたのです。田中は、戦後の第1次吉田内閣の文部大臣、日本国憲法に署名した一人です。その後、最高裁長官を任じられ、「砂川事件」の判決では「統治行為論」という玉虫色の判決を下したことでも有名です。

佐藤洋さんは、能勢克男が松岡家の聖書研究会に大きな影響を受けたのではないかと推察されているのです。以下、佐藤さんのお便りです。「数年間の研究で、能勢克男の思想的原動力として、キリスト教の影響が生涯大きかったことは、実証されてまいりましたが、そのディティールを考えていくと、多感な学生時代に、京橋教会、木曜の集まりで受けた影響が、とても大きかったのではないかと、僕は考えています。」

3.苗床教会

「能勢さんの映画運動は、とても特異なものでした。自分で8ミリカメラをもって、仲間たちとつくったドキュメンタリー映画が、まず表現として、とてもすぐれています。そして、観客の集まり(消費組合)を京都映画クラブとしてつくりだします。京都映画クラブは、撮影所の見学会をしたり、入場料金の割引をしたり、合評会をしたりで、先駆的な観客団体でした。僕はずっと、どうして能勢さんは、こんなに特別ですばらしいことができたのだろうか?と考えてまいりました。」

佐藤さんから頂いたお便りを読みながら、私も学生時代に「京都映画サークル協議会」という団体に所属していて、岩波ホール系の映画や昔の埋もれた名作を観たことを思い出しました。そう言えば、会場になっていたのは、いつも「勤労会館」だったのですが、能勢の「京都映画クラブ」と何か繋がりがあるのでしょうか。

そんな個人的な思い出はともかく、創立110周年の記念年が幕開けしようとする時期に、京橋教会草創期についての問い合わせを受け、当時の「月報」「会報」「前進」「あけぼの」「二宮邦次郎先生の面影」等の文献を閲覧させて貰いたいという申し出のあったことに、不思議な御導きのようなものを感じないではいられませんでした。

早速、教会資料委員会に本件を依頼して、佐藤さんが資料を閲覧し、研究に協力して頂けるようお願いしました。京橋教会=行人坂教会は、キリスト教信仰の普及伝道のみならず、日本の思想史・文化史にも大きく貢献した点が実証されるとしたら素晴らしいことです。

牧師 朝日研一朗

【2013年2月の月報より】

posted by 行人坂教会 at 15:10 | ┣会報巻頭言など