2013年02月23日

レプトン銅貨をささげよう

1.寡婦の献金

福音書の中に「やもめの献金」というエピソードがあります。「マルコによる福音書」12章41〜44節、「ルカによる福音書」21章1〜4節に「並行記事」があります。どちらも僅か4節しかない短い記事です。

イエスが神殿の片隅に座って、人々が賽銭箱に献金を入れる様子を御覧になっています。日本の初詣の賽銭と同じで、お金持ちは沢山入れています。しかし、イエスさまが目を留められたのは、1人の貧しい寡婦でした。女性が父や夫の「所有物」と見なされていた時代です。社会福祉も何も整備されていない2千年前です。一家の働き手を失った未亡人は、親族の哀れみに縋(すが)る以外には、ジャン=フランソワ・ミレーが描いたように「落穂拾い」でもするしかありません。

そんな極貧の中にある寡婦が「レプトン銅貨」2枚を賽銭箱に入れるのを、イエスさまは見て居られました。「レプトン銅貨」2枚で買えるのは「小麦粉1掴み」だったと言われています。それは、当時のユダヤ社会で「1日の命を繋ぐ最低量の食糧」とされた表現です。日本なら、差し詰め「ご飯1膳」と言ったところでしょうか。仮に5キロ米が2千円とすると、1膳36円です。

その寡婦を見て、イエスさまは弟子たちに言われました。「はっきり言って置く。この貧しい寡婦は、賽銭箱に入れている人の中で、誰よりも沢山入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物を全て、生活費を全部入れたからである」。

2.礼拝の献金

今更、言うまでもありませんが、プロテンタント教会は、私たちの献金によって成り立っています。そして、大雑把に分けると、献金は2種類から成っています。1つは、礼拝の中で奉げられる「礼拝献金」です。これは礼拝の席上で集められるので「席上献金」とも言われます。

もう1つは「月定献金」「特別献金」「季節献金」等の献金です。「月定献金」は、年間を通して、教会活動を支えるために自分の収入の中から一定の金額を奉げていくものです。これは、信徒である私が神さまと交わす約束という意味で「約定献金」とも言われます。「特別献金」は、誕生日や受洗日、結婚記念日、召天記念日、その他、個人的な感謝や祈念のために奉げられるものです。「季節献金」は「クリスマス献金」「イースター献金」「夏期献金」です。「季節献金」だけは、毎回、目標額が設定されていますから、その目標額到達のために、自らが奉げるのみならず、「目標が達成されますように」と祈りを合わせていくのです。以上、「月定」「特別」「季節」の、3種類の献金は、専用の袋に入れて、個人名を記して奉げるので、昔から教会では「袋献金」と総称されています。

要するに、献金には「礼拝献金/席上献金」と「袋献金」の2種類があるのです。そして「礼拝献金/席上献金」は完全に匿名の献金であり、「袋献金」は教会会計が領収すると、奉げた個人に対して受け取り書が発行されます。会員に対しては袋に会計印が押されて返却され、非会員に対しては領収書を郵送しています。

勿論、何事にも例外はあり、匿名で「クリスマス献金」や「イースター献金」を奉げる人もあります。「袋献金」は基本的に会員の務めですが、非会員でも「クリスマス献金」や「イースター献金」、あるいは「特別献金」を奉げて下さることは少なくありません。

さて、「礼拝献金/席上献金」は、その日に礼拝に出席した者が、大人も子供も、会員も非会員も、信者も未信者も、一緒に奉げる献金です。そして、礼拝学では「献金こそは礼拝のクライマックスである」と言われています。なぜなら、「献金」とは「奉献」であり、「奉献」とは、神の召しと恵みに対して「これは私たちの献身のしるしです。清めてお受け取り下さい」と、自らを差し出して行く応答の儀式だからです。

3.匿名の献金

私が行人坂教会に赴任して、7年目が終わろうとしています。その間、ズッと気になっていることがありました。この機会に書き記します。「礼拝献金/席上献金」と「袋献金」とは全く異なる種類の献金であるということが、理解されていないように思うのです。

多くの教会では、受付台に南京錠付きの木製の箱が置いてあり、礼拝に出席する会員は、そこに予め「袋献金」を入れて行きます。勿論、礼拝のクライマックスである「奉献の祈り」の際には、献金当番が集約した「席上献金」と共に、聖餐台の前に運ばれて来て、それもまた「献身のしるし」として、神さまに奉げられるのです。本当に徹底して、献金の意義を明確にして行くためには、そのようにしたら良いかも知れません。ただ、行人坂には行人坂の伝統があり、会員の皆さんの意見も聞く必要があるでしょう。

ここで私が申し上げたいのは、1つだけです。「袋献金」を出しても、それによって「礼拝献金/席上献金」を奉げたことにはならないということです。「袋献金」は個人の献げ物ですが、「礼拝献金/席上献金」は会衆の献げ物です。

こんな不況の時代です。年金も減らされる一方で、誰もが経済的に疲弊しています。遠方から交通費を使って来ている人もいらっしゃいます。無理を言うつもりは毛頭ありません。「レプトン銅貨」で良いのです。「袋献金」とは別に、それを一緒に奉げて頂きたいのです。「礼拝献金/席上献金」は「匿名の献金」です。そこに名前はありません。誰に気兼ねする必要も、体裁や立場を考える必要もありません。名前の書いていない献金であっても、そこに込められた祈りを、イエスさまは見詰めて居られます。寡婦の祈りと「レプトン銅貨」36円を加えて、私たちの「献身のしるし」を確かなものとして参りましょう。

牧師 朝日研一朗

【2013年3月の月報より】

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