2013年03月18日

ポンテオ・ピラトのもとに【ヘブライ 13:7〜17】

聖句「私たちは、イエスが受けられた辱めを担い、宿営の外に出て、そのみもとに赴こうではありませんか。」(13:13)

1.《使徒信条から》 使徒信条に「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」と告白されています。この一句は紀元2世紀前半の「ローマ信条」にまで遡ることが出来ます。イエスさまを十字架で殺した張本人の名前、使徒たちにとっても忌まわしい記憶でしょうに、唱え続けて来たのです。イエスさまが現実の歴史の中に生きられ、それは私たちの歴史と地続きなのです。

2.《ピラトの下に》 台湾長老教会の高明俊牧師が来日した際に「日本基督教団の信仰告白には『ポンテオ・ピラト』がありませんね」と指摘されました。台湾では1947年の「二二八事件」以来40年間も戒厳令が敷かれ、軍事独裁政権が続きましたが、その中で草の根の民主運動を支えたのは教会と神学校だったのです。イエスさまが「ピラトのもとに」時代の只中を生きられたように、私たちも日本の国にあって「ピラトのもとに」生きているのです。

3.《信仰の現場に》 むしろ、戦前戦中の日本のキリスト教会は「ピラトのもとに苦しみを受け」るよりは、生き残り戦略として「ピラトのもとに」身を寄せたと言っても過言ではありません。朝鮮総督府の資金援助による朝鮮伝道、満州開拓団キリスト村、ホーリネス弾圧の黙認…。黒歴史ですが、主は何もかも御存知ですから、私たちの不真実を引っ提げて御前に行くより他はありません。キリストは「門の外で苦難に遭われた」のです。私たちの信仰が求められる現場は、教会という「宿営」以上に、「宿営の外」なのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 17:56 | 毎週の講壇から