2013年04月05日

幽径耽読 Book Illuminationその6

  • 「鳥と雲と薬草袋」(梨木香歩著、新潮社)
    「旅をしたことのある土地の名が、ふとしたおりに、『薬効』のようなものを私に与えてくれていると気づいた」(「あとがき」より)。なるほど、「富士見」「姶良」「由良」「京北町」「日向」「樫野崎」「西都原」「新田原」…。旅行の経験の僅かな私ですが、それでも著者の愛着とカブる地名がありました。訪れた時の暑さ寒さ、空の色と風の音、同じ時と場を過ごしながら、今は音信の絶えた人たちが蘇って来ます。
  • 「四つの四重奏」(T・S・エリオット著、岩崎宗治訳、岩波文庫)
    受難週からイースターまでの期間に鑑賞しました。「空ろな人間」と「灰の水曜日」は、大学時代、原詩を誦していたのでしたが、今回は、綿密な訳註にビックリ。随分、誤解していたことがありました。「滴る血だけがわれらの飲み物、/血にまみれた肉だけがわれらの食。/それなのに、われらは思いがち、/自分は健やかで血と肉に満ちているのだと――/それなのに、われらはこの日を佳き金曜日と呼ぶ。」 四重奏の第2楽章「イースト・コウカー」のクライマックスです。ホラーではなくて、十字架の受難です。
  • 「荒木飛呂彦の奇妙なホラー映画」(荒木飛呂彦著、集英社新書)
    アニメ化された『ジョジョ』を見たら、エンディングにイエスの「ラウンドアバウト」を使っているではないですか。死ぬ程カッコ良かったです。「田舎に行ったら襲われた」系ホラー(『悪魔のいけにえ』『サランドラ』『変態村』)というジャンル命名に感動。背景に著者の原体験もあって納得。「見る人が恐怖するしかないような状況を描く映画」というホラー映画の定義から始まる辺り、著者の溢れる思いが感じられます。その定義によれば、『プレシャス』や『エレファント・マン』は純然たるホラーなのです。
  • 「見て学ぶアメリカ文化とイギリス文化/映画で教養をみがく」(藤枝善之編著、近代映画者SCREEN文庫)
    副題の「教養をみがく」が恥ずかしいです。けれども、採り上げる映画1本につき、必ず3冊の参考書籍が挙げられているように、勉強をして裏付けを取った知識を紹介しています。その誠実な態度に好感がもてます。『グリーン・フィンガーズ』は、私のお気に入りの作品。ミルトンの『失楽園』のエデンは「整形式庭園」から「風景式庭園」に設定変更が為されたという薀蓄、勉強になりました。
  • 「厭な物語」(アガサ・クリスティー他著、中村妙子他訳、文春文庫)
    読後感の悪い短編のアンソロジーです。大好きなシャーリィ・ジャクソンの『くじ』が入っているので買いました。要するに「ヨシュア記」7章の「アカン」の話です。私の心臓の直球ド真ん中に来たのが、ジョー・R・ランズデールの『ナイト・オブ・ザ・ホラー・ショウ』。ハッキリ言って趣味悪いです。登場人物は語り手の主人公も含めて、全て反吐の出そうな奴ばかり。残忍極まりないのですが、なぜか切ない印象が後を引きます。
  • 「邪悪な植物」(エイミー・スチュワート著、山形浩生監訳、守岡桜訳、朝日出版社)
    最近、連れ合いが中庭でハーブと花を育てるようになり、園芸店で足止めを食うことが多くなりました。有名なキョウチクトウに始まり、ホテイアオイ、ルバーブ、ニワトコ、クズ、ライム、ジンチョウゲ、ニセアカシア、アジサイ、スズラン、スイートピー、チューリップ、ヒヤシンス等、園芸店は「毒草」の宝庫です。普通に園芸やってて、ホーソンの『ラパチーニの娘』に出て来るような「毒草植物園」が作れます。
  • 「食糧の帝国/食物が決定づけた文明の勃興と崩壊」(エヴァン・D・G・フレイザー、アンドリュー・リマス著、藤井美佐子訳、太田出版)
    中世の修道院は、農地開発と食糧加工技術、製粉権の独占によって農業ビジネスを展開し、現代のウォルマートに匹敵する存在だったそうです。例えば、小麦からビールを製造したのも、流通販売に適切だったからとか。フェアトレード運動の元祖は、エドナ・ルース・バトラーというメノナイト教会の信徒だったとか、神智学者のルドルフ・シュタイナーが有機農法の原則を確立したとか、19世紀英国社会がエールから紅茶へ嗜好の大転換を果たした時にメソジスト教会が影響を与えたとか…。宗教ネタも豊富です。現代の大規模化し作物特化した農業は、原子力産業と同じカラクリなのです。そう言えば、昔から、東京水産大学の水口憲哉先生は「農業の工業化、漁業の農業化」と言って、警鐘を鳴らして居られました。
  • 「花の日本語」(山下景子著、幻冬舎文庫)
    牡丹の異称「深見草」は渤海から伝わったとされ、日本では渤海を「ふかみ」と呼んだとか…。満州國を舞台にした、安彦良和の『虹色のトロツキー』の主人公の名前が「深見」だったのは、そういう含みだったのですか。バナナの和名を「実芭蕉」と言うの件で、吉本ばななのペンネームに松尾芭蕉気取りを発見したり、梨の異称「有実」と聞いて、女優の有森也実を思い描いたり、カラスウリの異称が「玉章(たまずさ)」と知っては、『南総里見八犬伝』の玉梓の怨霊を想い起こしたり…。
  • 「とうもろこしの乙女、あるいは七つの悪夢」(ジョイス・キャロル・オーツ著、栩木玲子訳、河出書房新書)
    私にとって、少年時代最大のトラウマ映画は『小さな悪の華』です。表題作はその血を受け継いだ悪夢です。アメリカを代表する写真家、ダイアン・アーバスの作品には、繰り返し「双生児」が採り上げられ、社会不安が表現されていました。「化石の兄弟」「タマゴテングダケ」を読んで、アーバスの写真と森脇真末味のマンガを思い出しました。「ヘルピング・ハンズ」「頭の穴」には、ブッシュ政権とイラク戦争のもたらした国民生活の逼迫がホラー仕立てで表現されています。
  • 「Running Pictures/伊藤計劃映画時評集1」(伊藤計劃著、ハヤカワ文庫)
    丁度、今、聖書研究で「ヨブ記」を読んでいて、著者の『プライベート・ライアン』評にグッと来ました。「語るのではなく、描写すること。説教するのではなく、突き付けること」。これぞ「ヨブ記」です。因果応報という、その世界の秩序付けを護るため、繰り返し「説教する」ヨブの友人たちに対して、ヨブは「オレの姿を見ろ!」「これが世界の現実だ!」と叫び続けるのです。『グラディエーター』評で、「アウグストゥス」のことを「アウグスティヌス」と、2度も誤記されていました。誰か校正してやれよ。こんなことでは、故人たる著者が浮かばれません。
posted by 行人坂教会 at 12:35 | 牧師の書斎から