2013年05月20日

弱虫ペトロの力強い証し【使徒言行録2:37〜42】

聖句「人々はこれを聞いて大いに心を打たれ、ペトロとその他の使徒たちに、『私たちはどうしたらよいのですか』と言った。」(2:37)

1.《ペンテコステ》 見た目に囚われると物事の本質は見えてきません。「聖霊降臨」によって引き起こされた現象にばかり囚われると、却って出来事の意味を見落とします。繰り返される「ような」という語は日常に有り得ないが故の表現です。出来事の説明が僅かに4節なのも、聖書が現象よりも意味に重点を置いているからです。聖霊の働きは人間の理解を超えているのです。

2.《兄弟たちよ!》 ペトロが「知って頂きたい」と語るのは、イエス・キリストの十字架の死と復活です。その説教の中で「あなたがたが殺した」と糾弾をしているのです。それなのに人々は「大いに心を打たれ」、「兄弟たちよ」と言って、使徒たちに身の処し方の如何を尋ねるのです。普通、ミスを指摘されたり、糾弾されたら、生理的に反発するはずです。罪を指弾されながらも、互いに「兄弟よ」と呼び交わす関係が生まれるとしたら、それこそが聖霊の働きです。

3.《罪の仲間たち》 「私たちはどうしたらよいのですか」は、絶望と希望とが綯い交ぜになった言葉です。自分に自信があったら、そんなことは言いません。自分に絶望した者が、すっかり神さまに自分を明け渡しているのです。そして、罪の糾弾を受けた人たちが「仲間に加わった」と言われています。実は、使徒たちも全く同じ経験をしていたのです。ペトロたち自身が「主を十字架に付けたのは私だ」「どうしたらよいのか」と泣き叫んだはずなのです。それだからこその「仲間」なのです。絶望の告白の上に教会は立っているのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 16:27 | 毎週の講壇から