2013年07月08日

しあわせな人たち【マタイ5:1〜12】

聖句「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。」(5:9)

1.《信仰の真髄》「山上の説教」を「山上の垂訓」と呼び習わして、校長や社長の訓辞のように受け止めたところに、日本のキリスト教の不幸があります。忽ち実行できる事は道徳です。しかし、信仰は生涯をかけて目指して行くものです。一気飲み、鵜呑みは慎んで、時間をかけて味わって参りましょう。イエスさまの教えは全世界、全時代、全ての人に向けて語られた御言葉なのですから。

2.《求めること》イエスさまは命令や教えの前に「幸せ」を宣言なさって、私たちを招き、無条件に祝福して下さるのです。「八福」と言われますが、前半は受け身の状態を、後半は「共に生きようとする時の姿勢」を表わしています。前半4つの「人々」はカテゴリーや条件付けではありません。共通しているのは、ひたすらに神を求め、寄り頼むことです。「求める人は幸い」なのです。自分は神のもの、生きるも死ぬるも、健康でも病気でも、持っていても持っていなくても、求めることは許されているのです。そこに信仰の道が始まるのです。

3.《共に生きる》神の御名を求めることが許されている幸せな人は如何に生きるか。どのように生きるのがキリスト者の幸せか。それが後半です。モデルはキリストの十字架の生涯です。「憐れみ深い」は「友愛」、「心の清い」は偽りに満ちた私を神の真実の前に投げ出すこと、「平和を実現する」は「この世の平和」の偽りを暴くこと、「義のために迫害される」はその結果です。善いことを求めて迫害されたのでは堪ったものではありません。しかし、それも幸せなのです。幸せにあれこれと条件を付けているのは私たち自身なのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 16:14 | 毎週の講壇から