2013年07月26日

ゲリラ豪雨

1.前方の視界

南九州に暮らしていた頃、台風と集中豪雨は珍しくありませんでした。珍しくないとは言え、実際には、毎年やって来る台風の猛威は凄まじいものでした。集中豪雨も、私のような本州から来た者にとっては、あたかも「熱帯のスコール」のように思われました。地元の人が大抵、裸足に草履なのは、大雨が降って膝まで水に浸かっても平気だからです。

南九州では、自動車を運転していて、思わず低速運転せざるを得ないような、大雨も何度か経験しました。けれども、運転に支障を感じる程の集中豪雨を体験したのは、意外なことに、九州時代ではありません。

忘れ難い集中豪雨の思い出、その1回目は、但馬の実家へ里帰りの途中、中国自動車道の吉川JCTの辺りでした。もう1回は、軽井沢の東日本ユースキャンプに行く途中、上信越自動車道の藤岡JCTの辺りでした。いずれの場合も、余りの豪雨のために前方の視界が遮られて、高速道路であるにも拘わらず、30〜20キロまで減速せざるを得ませんでした。前方が見えないままの運転くらい、恐ろしいことはありません。

そう言えば、映画の『ザ・フォッグ』『ミスト』も斯くやと思うような濃霧に突入したことも何度かありました。北海道時代には、猛烈な地吹雪のために、フロントガラスの向こうが「ホワイトアウト」ということがありました。

2.豪雨と落雷

去る7月23日の「ゲリラ豪雨」にも驚かされました。翌日のニュースでも採り上げられていたので、御覧になった方も多いでしょう。目黒川が氾濫の寸前まで行きました。1時間に百ミリの集中豪雨が続き、水位が急上昇しました。沿岸地域では、サイレンが鳴り響きました。水位上昇が護岸から2.5メートルに達すると、自動的に警報機のサイレンが鳴るようになっているのです。

ネットの投稿写真で見ると、下流の五反田大橋は橋桁近くまで水が来ていました。どうやら、行人坂教会の辺りの目黒川も、氾濫まで残り2メートルというところだったようです。目黒川は氾濫せずとも、降水量の多さに道路の排水が追い付かず、山手通は(場所によっては)脹脛(ふくらはぎ)まで水嵩が来て、マンホールの蓋が浮いていたそうです。その結果、大鳥神社前交差点のアンダーパスは水没し、山手通は大渋滞となりました。

何でも目黒区民センターの近所の一般家庭では、トイレから下水が逆流して噴き出したそうです。やはり、川の近くだからでしょうか。川が氾濫する以前に、川に流している排水道に水が溢れてしまったのでしょう。

目黒川とは無関係ですが、ネットには、世田谷区の駒沢大学のキャンパスが水没した投稿写真、五反田や目黒中町の冠水した道路の写真もありました。恐らく、これらの地域は窪地に成っていて、周辺の地域から水が流れ込んで来たのではないでしょうか。

落雷も凄かったようです。目黒清掃工場の避雷針には、あの日だけで、3発もの雷が落ちたそうです。東急池上線は停電、エスカレーターもエレベーターも動かなくなりました。車椅子の子供を抱える家庭としては、そういう出来事がとても恐ろしく感じられます。また、東急東横線の学芸大学駅は雨漏りのために、パニック状態に成ったと言います。

3.菅原道真公

いつまでも鳴り止まない雷鳴を聞きながら、私は「清涼殿落雷事件」を思い出していました。旧約聖書の神、ヤハウェも「栄光の神の雷鳴は轟く」と、その御声が雷鳴に喩えられています(詩編29編3〜10節)。昔の人が天の雷光、雷鳴、落雷をどれだけ恐れていたか、よく分かります。

「天神様」「学問の神様」として知られる菅原道真ですが、その実体は「祟り神」であり、「雷神」として畏怖されているのです。菅原道真は幼少期から詩歌の才に秀で、官僚と成っても業績を重ね、朝廷随一の天才と言われ、宇多(うだ)天皇の寵愛を受けて右大臣にまで出世したのです。ところが、時の左大臣、藤原時平に妬まれて、讒言を受け、大宰府に左遷され、失意の内に僻地の九州で亡くなります。

ところが、その死後、彼は日本宗教史上、最大最強の怨霊と成って(夢枕獏の『陰陽師』にも登場しますね)、朝廷に祟りをもたらします。時平はじめ、その子孫を次々に病死させ、遂には御所の清涼殿に雷を落として、政府要人を皆殺しにしてしまいました。特に、左遷に直接関与した藤原清貫(きよつら)等は、落雷の直撃を受けて、丸焦げに成った上に、胸が裂けて、内臓が溢れ出ていたと言われています。

これが、930年の「清涼殿落雷事件」です。それは「延長8年6月26日」、現在の暦で言えば、7月24日のことでした。奇しくも、あの「ゲリラ豪雨」と1日違いだったのです。丁度、24日の「聖書と祈りの集い」のテキストは「ヨブ記」26章でした。「神について私たちの聞き得ることは何と僅かなことか/その雷鳴の力強さを誰が悟り得よう」の註解で、私は菅公の「清涼殿落雷事件」の話をしたのです。聖研の準備をするのは前週の水曜日ですから、私にも少し「預言する霊」が与えられたようです。

神道では「魂鎮め」と言って、「怨霊」を慰撫し、「英霊」や「神」へと祭り上げます。故に「鎮魂」と言います。生者に祟らないように鎮めるのです。しかし、キリスト教の「レクイエム」は「死者が生前に犯した罪が、神の慈悲によって赦され、永遠の安息が与えられるように祈る」ものです。「死者のためのミサ/Missa pro defunctis」の冒頭の句「主よ、彼らに永遠の安息を与え、彼らを絶えざる光をもて照らし給え/Requiem aeternam dona eis,Domine: et lux perpetua luceat eis」から来ているのです。有難くて涙が出ます。

牧師 朝日研一朗

【2013年8月の月報より】

posted by 行人坂教会 at 22:26 | ┣会報巻頭言など