2013年09月23日

目ん玉から丸太ん棒 【マタイ7:1〜6】

聖句「偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる。」(7:5)

1.《目に入る物》 目から涙が出るのは当たり前。長い人生の途上には、目に色々な物が入り、目から色々なものが出て来ます。将棋には「目から火が出る王手飛車」、相撲には「目から汗が出る」猛練習、聖書には「目から鱗」があります。私も学生時代、京都の呉服問屋でバイト中に事故に遭い、目に入った蛍光管の破片を、病院の眼科で1つずつ取り出して貰った経験があります。

2.《木屑と丸太》 目に入った異物を自分で取り除くことは、自分独りで出来ません。小さいからと言って放置して良い物でもありません。イエスさまは大工の息子ですから、丸太を挽いたり削ったりして木屑の舞い散る木工所を、身をもって御存知だったはずです。「他人の目の木屑には気付くが、自分の目の丸太に気付かない」は「自分の事は棚に上げて、他人の失敗を指摘する」嫌味な奴のことですが、一方的に他人の世話ばかり焼いている人にも当て嵌まります。何が問題かと言えば、人間関係が一方向的に成っている点です。

3.《共同の作業》 コントの締めは「豚に真珠」です。「猫に小判」は単なる「宝の持ち腐れ」ですが、「豚に真珠」は「折角見付けたお宝を粗末にしてはいけない」という意味です。それは福音、十字架の愛、そして、イエスさまの愛が私たちの相互関係に受肉することなのです。目に木っ端が入れば、取って上げます。「困った時はお互い様」なのです。双方向的なのです。何の痛みも共感も無い所から出発するのは、根本的に間違っています。私たちが他の人を、どんな眼差しで見ているか、神さまは御存知です。自分の目の木っ端を取り除くのに、必ず他の人の手を借りなければなりません。それが福音の世界です。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 17:09 | 毎週の講壇から