2013年09月28日

自分の魂を取り戻す

1.あまちゃん

NHK朝の連続テレビ小説『あまちゃん』が終了します。実は、この原稿を書いている現時点では、最終回は未来形なのです。けれども、来週からの「『あまちゃん』のない生活」を想像すると、本当に遣り切れなくなります。予告編を見る限り、杏主演の『ごちそうさん』も悪くはなさそうですが、この大きな喪失感を埋められるのか、甚だ心配です。

どうやら、そんな風に感じているのは、私だけではないようで、放映期間も半ばの頃から「日曜日は『あまちゃん』がないから楽しくない」というファンの声が雑誌に採り上げられていました。そして、遂には誰が作った造語か、「ペットロス」ならぬ「あまロス」等という語まで出来てしまいました。これらは週刊誌などに書いてあるネタに過ぎません。しかし、我が家でも、妻が「『あまちゃん』は鎹(かすがい)」という新しい諺を作ってしまいました。私たちは、何かと喧嘩ばかりしている夫婦なのですが、『あまちゃん』の話をしている時は、楽しく和やかな雰囲気の会話が成立するのです。

例えば、「タイトルで跳んでいるアキちゃんの格好、“J”なんだって」とか、「原宿駅のプラットホームに『おら、「あまちゃん」が大好きだ!』(扶桑社から出ているファンブック)の巨大看板が出ていたよ」とか、「『あまちゃん歌のアルバム』というCDが出ていて、「潮騒のメモリー」も「暦の上ではディセンバー」も「地元に帰ろう」も「南部ダイバー」も入っている」とか、「NHK渋谷のスタジオパークのカフェで「まめぶ汁」が食べられる」とか、「東銀座の岩手県のアンテナショップでも食べられる」とか、そんな他愛もないことを喋るのが嬉しくて堪らなかったのです。

2.自分は自分

『あまちゃん』の物語やキャラ、全体に散りばめられた小ネタとパロディの数々を、改めて採り上げるつもりはありません。私には「ファンブック」に書いてある以上のことは言えませんし、見ていない人には、コアな内容説明など全く無意味でしょう。

それでも、私の注目したワンポイントを申し上げます。これまでも田舎から上京/上阪して来るヒロインの物語は数多あったのですが、今回のヒロインは東京生まれの東京育ちでありながら、母親に連れられて、生まれて初めて母の生家に戻ったのです。その架空の町「北三陸市」(ロケは久慈市)で、地元漁協の海女クラブ会長をしている祖母と出会って、海に落とされて、自分も海女になることを決意するのです。

この第1週で、ヒロインは訛るようになってしまうのです。東京で生まれ育ったヒロインが訛りで喋るようになって、そこから若い生命感が弾けるように顕われて来るのです。まるで、これまで封印されていた彼女の魂が蘇ったようでした。

例えば、宮崎駿の『魔女の宅急便』の中にも「魔女は呪文で飛ぶのではない。箒で飛ぶのでもない。魔女は血で飛ぶ」という名台詞がありましたが、『あまちゃん』のヒロイン、アキの場合も、彼女の中にある海女の血の為せる業かと思わせます。実際、海に浮かんで「きもちいいーッ」と叫ぶアキを見て、海に落とした祖母(夏ばっぱ=宮本信子)が満面の笑みを浮かべて「やっぱり、おらの孫だ」と言う場面があります。

その意味では、私たちもまた、生き馬の目を抜くような都会で暮らしていて、自分の言葉を奪われ、自分の血を封印されてしまい、本当の自分、「自分が自分であること」を失ってしまっているのかも知れません。勿論、現実には、故郷にUターンすれば、本当の自分を取り戻すことが出来るとか、田舎の方言を使えば、それで取り戻せる等という図式的なものではありません。「血」と言っても、恭しく御先祖様を奉るとか、血族主義で固まるとか、そんな単純なものでもないと思います。

ともかく、一種のイニシエーション(通過儀礼)によって、一旦、自分自身の魂を取り戻したヒロインは、以後、東京に行こうが地元に帰ろうが、全くスタンスがブレなくなるのです。女優の鈴鹿ひろ美(薬師丸ひろ子)からも「天野アキを演じさせたら、あなたの右に出る者はいない」と太鼓判を押されます。

3.共に生きる

そんなアキに比べると、相方のユイは、アイドル志望の女子高生がグレてヤンキーになる変貌ぶりを見るにつけ、これぞ「女優」という役柄です。アキ役の能年玲奈が素朴な「天然」を演じているとすると、ユイ役の橋本愛はキャラクターの不安定さを武器にして、色々な表情を演じているのです。

アキとユイとは、劇中の台詞でも「太陽と月」に喩えられて、「光と影」のような対称として描かれています。「シャドウ」や「影武者」がキーワードのドラマですから、影の果たす役割は重要なのです。そして、もう1つの暗喩は、宮沢賢治の『双子の星』でしょう。音楽担当の大友英良は劇伴として、『双子の星』の主題歌「星めぐりの歌」(宮沢賢治作詞作曲)のメロディーを繰り返し流しています。

『双子の星』のチュンセ童子とポウセ童子の慈愛、『銀河鉄道の夜』のジョバンニとカムパネルラの死別、『グスコーブドリの伝記』のブドリとネリ兄姉の別れ、『ひかりの素足』の一郎と楢夫兄弟の死別…。一連の宮沢賢治作品における、2人1組の童話を思い出させるのです。勿論、宮沢賢治のように悲劇に終わったりしないのでしょうが、背景にあるモチーフは間違いなく宮沢賢治の世界です。

「自分が自分であること」は大切なテーマですが、それだけでは、ただの独善とエゴでしかありません。同時に、そんな自分が「誰と共に生きるのか」というテーマが加わって、そこで初めて、人生はホンモノになるのです。本当の自分の魂に到達できるのです。

牧師 朝日研一朗

【2013年10月の月報より】

posted by 行人坂教会 at 16:23 | ┣会報巻頭言など