2013年10月16日

不安は魂を食いつくす

何とも恐ろしげな、薄気味悪い言葉を、しばしば天気予報で耳にするようになりました。「これまでに経験したことのないような大雨」という表現です。それをワイドショーに出ているタレント風情が喋るならいざ知らず、真っ当なニュース番組や天気予報の中で、天気予報士が言うのですから堪りません。

2012年7月に気象庁予報部が発表した「記録的な大雨に関する情報」の中で初めて使われた表現だったようです。「熊本県と大分県を中心に、これまでに経験したことのないような大雨になっています。この地域の方は厳重に警戒してください」と言われたのです。その後、繰り返し、この表現を耳にするようになりました。今年は、山口県・島根県、秋田県を襲った集中豪雨で同じ表現が使われていました。

「経験があるから彼は恐れる」(expertus metuit)というラテン語の慣用句があります。アウグスティヌスと同時代の古代ローマの詩人、ホラティウスの『書簡集』の中の一節だそうです。「経験した者だけが知り得る恐怖」というものがあるのです。つまり、本来ならば「未経験」であることは「恐れを知らぬ」ことに通じるのです。戦場で最初に斃れるのは「恐れを知らぬ」新兵です。

「これまでに経験したことのないような」という「未経験」を指す表現が、私たちに語り掛けているのは、きっと「恐怖」ではなく「不安」なのでしょう。敢えて分類すれば、「恐怖」は経験した者の抱く感情であり、「不安」は未経験の者の抱く感情なのかも知れません。竜巻を間近に経験した人が「恐ろしかった」と言って、インタビューに答えているのを見ても分かります。

そもそも警報というものは、私たちの「不安」を掻き立てるためにあります。そう言えば、子供の頃、サイレンの音が怖かったという思いを持たれた方は多いでしょう。火の見櫓の半鐘の音、空襲警報、パトカーや救急車のサイレン、どれも私たちに「不安」を与えるために鳴っているのです。

「サイレン」の語源は、ギリシア神話に登場する海の怪物「セイレーン」です。上半身が人間の女性、下半身が鳥という異形の姿ながら、美しい歌声で海上航行中の船員を惑わし、船を座礁させて、死体の山を築きます。してみると、「不安」は私たちを「幻惑」させるものでもあるらしい。危機感を煽るだけで問題が解決することはありません。むしろ「不安は魂を食いつくす」(Angst essen Seele auf)と言います。最も大切なのは、他者の経験に聴き、その経験に思いを巡らす想像力ではないでしょうか。

今年は、行人坂教会の創立110周年記念の年ですが、同時に関東大震災の90周年、行人坂教会の前身である、京橋基督教会の被災90周年を記念する年でもあるのです。

【会報「行人坂」No.247 2013年10月20日発行より】

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