2013年07月05日

幽径耽読 Book Illuminationその8

  • 「秘書綺譚」(アルジャノン・ブラックウッド著、南條竹則訳、光文社古典新訳文庫)
    死んだ友人が訪ねて来る「約束」は、水木しげるが漫画化したことで有名です。他にも巻末の「転移」等も『墓場の鬼太郎』の「夜叉と吸血鬼の対決」の元ネタかも知れません。そう言えば、表題作「秘書綺譚」は、飢えた人狼のような食人鬼とその奇怪な「ユダヤ人」の召し使いに追い回される話ですが、これも「鬼太郎」の「顔の中の敵」の人狼を思わせます。
  • 「ねじの回転」(ヘンリー・ジェームズ著、南條竹則・坂本あおい訳、創元推理文庫)
    中学生の頃でしたか、マーロン・ブランド主演の『妖精たちの森』という英国映画を観ました。貴族の邸宅(マナーハウス)を舞台に、下男クウィントと家庭教師ジェスル先生の愛欲模様を描いていました。結局、その邸の姉弟によって2人は殺されてしまうのです。少し人物設定の変更はあるものの、『ねじの回転』の前日譚ですね。あの映画を観ていたせいで、本書では曖昧にしか表現されない背景も具体的にイメージすることが出来ました。併録の「幽霊貸家」が意外に素晴らしい拾いものでした。
  • 「アド・アストラ」第4巻(カガノミハチ作、集英社)
    「ミヌキウスとアエミリウス」から「和解」にかけて、ジーンと心に染みる良い展開です。登場人物に感情移入しにくい諸星大二郎系の絵だったのですが、随分キャラに血を通わせようと努力なさっています。性格の悪そうなヴァロの表情とか、スキピオの婚約者アエミリアの愛らしさとか…。ローマ歩兵の三戦列の陣形とか、貴族と平民との関係とか分かり易く具象化されていて、我が家の中坊が読んでも理解できる程、よく出来ています。いよいよ次の巻は「カンナエ」です。
  • 「人間和声」(アルジャノン・ブラックウッド著、南條竹則訳、光文社古典新訳文庫)
    「幽霊屋敷もの」のカテゴリーに入るのでしょうが、ホラーとは言えません。クライマックスに達しても、こちらの想像力の不足からか、不安や恐怖を感じることはありませんでした。そうそう、ユダヤ教の神名「YHWH」は、通常は決して発声されることはなく、秘匿されていました。そして、1年に1度だけ、エルサレム神殿の大祭司が至聖所において、その御名を囁くことが許されていたのでした。その話を思い出しました。その手のカバラ話に、音階と色彩と香りを加えてアレンジした辺りが、ブラックウッドの芸達者なところです。古代ヘブル語には母音記号はありませんでした。一旦、死語になったせいで、その文字を何と発声するかは、暗号解読並みに成ってしまったのです。
  • 「怪獣文藝」(東雅夫編、メディアファクトリー)
    吉村萬壱の「別の存在」がエログロの強度で抜きん出ています。但し、全体的な印象は「ゾンビもの」「インフェクテッドもの」で、「怪獣もの」ではありません。語り口の心地良さでは、山田正紀の「松井清衛門、推参つかまつる」でしょうか(これもゾンビでしたが…)。結局、一番感動したのは、夢枕獏との対談で、特技監督の樋口真嗣が「怪獣は夜の闇の中で目が光っているものだと、長年思い込んでいて、実際に光らせてみたら、ねぶた祭りだった」と話しているところでした。やっぱり「幽BOOKS」のせいか、編集者が東先生だからなのか、90%が「怪獣より妖怪」でした。
  • 「見えない日本の紳士たち」(グレアム・グリーン著、高橋和久他訳、ハヤカワepi文庫)
    大学1年生の英書講読のテキストが『第三の男』でした。魅惑的な三十路の女性講師でした。彼女は今頃どこで何をしておられるでしょうか。グリーンはカトリック作家と紹介されていますが、一筋縄では行きません。例えば、「祝福」は、大司教が侵略戦争に使用される戦車を祝福する話、「戦う教会」は、独立前の動乱のケニアを舞台に、カトリックの宣教師たちを描いています。しかし、単純で護教的な信仰譚でもなければ、浅薄な宗教批判でもありません。個人的には、キングのホラーみたいな味わいの「拝啓ファルケンハイム博士」、「庭の下」が気に入っています。
  • 「新・忘れられた日本人」(佐野眞一著、ちくま文庫)
    このような異色人物列伝を書く時の手掛かりとしたのは、かつて著者が『原色怪獣怪人大百科』を編集した時の手法だったとの告白(「あとがき」)にビックリ。確かに「怪人」としか言いようのない異形の人物たちが次から次へと登場します。個人的には、満映、東映に繋がる人たち(西本正、根岸寛一、笹井末二郎、岡田桑三)が面白かったです。とりわけ千本組の組長でありながら、アナキストを支援し、甘粕とも親交を結んでしまう笹井が最高でした。
  • 「「呪い」を解く」(鎌田東二著、文春文庫)
    最初は少し警戒しつつ読み始めましたが、著者の絶妙のバランス感覚(「ブレない」と言った方が良いでしょうか)に、信頼を置いて読み終えることとなりました。「呪い」の世界が一面的ではなく、一筋縄で行かないのと同じく、仏教もキリスト教も、鈴木大拙も平田篤胤も、これを語る時には、あちらこちらに目配りが必要です。その繊細さと、先に述べた「ブレなさ」加減(骨太さ)を持ち合わせて居られます。地下鉄サリン事件の朝に、著者が異常な感覚に悩まされたり、「魔界論」執筆に当たって、霊的妨害を受けたりする辺りも、折口信夫の精神の数少ない継承ではないかと思いました。
posted by 行人坂教会 at 15:55 | 牧師の書斎から