2013年11月04日

草の花【Tペトロ1:22〜25】

聖句「草は枯れ、花は散る。しかし、主の言葉は永遠に変わることがない。」(1:24,25)

1.《死者の葬り》 人間だけが死者を葬るということをします。動物は葬ることをしません。何万年も昔の墓からも、懇ろに埋葬された遺骨が出土して、原始の人たちの死者への思いが察せられます。葬る理由は、死者の霊的作用への恐れ、穢れへの忌みかも知れません。しかし、迷信に支配された時代でも、お墓は生活圏の近くに作られたのです。生と死とは地続きなのです。死者たちは、尚、生者たちの中に生きているのです。

2.《過ぎ去る者》 『草の花』は福永武彦の小説です。敗戦後の結核療養所を舞台に、死を見つめて生きる人たちの孤独と絶望を綴った作品です。福永もまた、死者が生者に依然として働き掛けることを言います。その人を憶える人が徐々に死に絶えて後、二度目の決定的な死を迎える。だから、死者を憶えて生きることこそが生者の義務なのだと言います。しかし、その記憶も失われます。メルロ=ポンティは身体を「過去という時間の堆積物」と言いました。私たちが愛する者を失った時、身をもぎ取られるように感じるのは、そのためです。

3.《帰って行く》 地上の命も記憶すらも過ぎ去って行きます。「草は枯れ、花は散る」のです。けれども、聖書は「永遠に変わることがない主の言葉」「朽ちない種」と言います。「草の花」の引用は「イザヤ書」40章「帰還の約束」から採られています。バビロン捕囚からの帰還の預言、しかも、3つの福音書が「神の子イエス・キリストの福音の初め」として巻頭に掲げている御言葉です。草の如くに枯れ、花の如くに散る私たちですが、戻るべき道が用意されているのです。人の目から見れば、以前と何も変わって見えません。相変わらず山あり谷ありです。しかし、確実に行き着く先が変わっているのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 20:49 | 毎週の講壇から