2014年02月18日

小さい人が真ん中に【マタイ18:1〜5】

聖句「そこで、イエスは一人の子供を呼び寄せ、彼らの中に立たせて、言われた。」(18:2,3)

1.《供え物》 ユニセフの「子どもの権利条約」批准以来、日本でも「子供」ではなく「子ども」と表記することが多くなりました。「子供」という漢字表記は、かつて少年少女や幼児が「人身御供」として生贄に捧げられたことを連想させるようです。古今東西に、子供を生きながらに殺す残酷な宗教儀礼や風俗がありました。昔の人たちは、自分たちの一番大切な子供を犠牲にすることで、何とかして神々に願いを聞き届けさせようとしていたのです。

2.《犠牲者》 「人身御供」こそありませんが、戦争や動乱、災害の際に真っ先に犠牲になるのが幼い命です。児童虐待、ネグレクト、少年少女を標的にした犯罪も跡を絶ちません。「虐待110番」のような電話相談をしている団体の人が、自分たちは「子ども」を「小さい人」と呼んでいると講演されていました。大人、即ち「大きい人」に対して「小さい人」です。小さくても「人」なのです。未熟で無力でも、大人と同じように、尊重され守られるべき人権を持った人なのです。「小さい人」と呼ぶことで、そのことを訴えているのだそうです。

3.《幼な子》 弟子たちがイエスさまに「誰が天国では一番偉いのか」と尋ねました。この質問の背景には、モーセかエリヤか、アブラハムかエノクかという想定があります。「山上の変貌」を見たせいもあって、「イエスさまかも」という念が湧きました。途端に「自分はナンバー2かも」と思ったのでしょう。私たちもテレビのランキング形式によって情報操作されています。しかし、イエスさまはそんな弟子たちの質問に対して、通りすがりの幼な子を招いて「この子が一番」と言われました。それが「天国」なのです。天国にはランキングも偏差値も、優先順位も生活格差もありません。この世は不平等で弱肉強食で、強い人、大きい人を中心にして回っています。けれども、小さい人を真ん中にして生きる時、たとえ、この世であっても、そこに天国が生まれるのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 07:54 | 毎週の講壇から