2014年04月21日

信じない者が信じる者に【ヨハネ20:24〜31】

聖句「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をその脇腹に入れてみなければ、私は決して信じない。」(20:25)

1.《脇腹の傷》 十字架に磔にされたイエスさまが亡くなった後、ローマ兵が死亡確認のために脇腹を槍で刺したことは「ヨハネによる福音書」にしか書いてありません。意外にも「共観福音書」では槍の刺し傷どころか、両手足を釘で打ち抜かれたことすら言いよどんでいるのです。「十字架のキリストを宣べ伝える」と断言したパウロですら「焼き印」等という婉曲表現です。

2.《磔刑の図》 キリスト教美術には、キリストの十字架を描いた「磔刑図」というジャンルがあります。脇腹の傷もお愛想程度のものから、スプラッター映画のように血が噴出しているものまで様々です。中世には「聖杯」や「聖槍」の「聖遺物崇拝」が流行しました。キリストの御血に触れた杯や槍には、病気治癒や永遠の命や世界の支配といった物凄いパワーが秘められていると言うのです。近世プロテスタントは、脇腹から流れ出た「血と水」を「聖餐と洗礼」と教え、近代の聖書解釈は「生きた水が川となって流れ出る」聖霊の譬えとしました。現代においては、主の示された「傷」の方が重要かと思います。

3.《聖なる傷》 復活の姿には、傷も汚れもしみも皺もないというイメージが、私たちにも与えられています。「ルカによる福音書」24章の復活のイエスさまは「私の手や足を見なさい。触ってみなさい」と仰っていますが、そこには傷の描写がありません。しかし、ここでは、復活の主が敢えて御傷を示されるのです。不信仰者の代表のように言われる「疑いのトマス」ですが、彼は「十字架のイエス」を信じていたのではないでしょうか。けれども、信仰は多面的なのです。私たちの未だ知らない信仰の世界もあるのです。本当は、私たちの見たこともない世界が一杯あるのです。それこそが信仰なのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 16:02 | 毎週の講壇から