2016年09月26日

アドリア海で朝食を【使徒言行録 27:27〜38】

聖句「…パウロは、一同の前でパンを取って神に感謝の祈りをささげてから、それを裂いて食べ始めた。そこで、一同も元気づいて食事をした。」(27:35,36)

1.《最後の航海》 パウロは十二使徒以外で唯一「使徒」と呼ばれる人物ですが、それは彼が「異邦人の使徒」と成ったからです。国外の異邦人にキリストの教えを伝え、3回の伝道旅行で移動した距離は8千数百キロに及びます。その後、ユダヤ教徒からの告訴を受けたパウロは、皇帝に上訴してローマに移送されることになりました。その行程表が詳しく記述してあります。

2.《アドリア海》 9月末の地中海は荒れるので、古代人は航海を中止したものです。しかし、パウロの乗せられた船は、船主や船長、ローマ軍との利害が絡んでいたのか、無理な出航をした挙句に漂流してしまいます。クレタ島を出た後、暴風に遭い、リビア沖に流され、更に14日目にはアドリア海に流されていたということです。アドリア海は『紅の豚』の舞台ですが、その直後にマルタ島に漂着するところを見ると、どうやら当時はイオニア海も含めて「アドリア海」と言っていたようです。乗客の安全を無視した危険な航海、乗客を置き去りにして逃げ出す船員の描写など、現代の海難事故を髣髴とさせます。

3.《元気を出す》 不安と船酔いのため2週間も何も食べていなかった乗客乗員に向かって、パウロは「朝の食事をしましょう」と促します。カポーティの『ティファニーで朝食を』のホリーは「たとえティファニーで朝御飯を食べる金持ちに成ったとしても、私は私のままでいたい」と自らの生活信条を語りました。朝食には、私たちの生活信条、自身の生き方、家庭の在り方(崩れ方)がどうしようもなく表われてしまいます。遭難者たちが共に朝食を食べる場面は「聖餐」と重ねられています。彼らは「元気づく」のです。今日も神さまから頂いた1日、賜った命です。神の御守りを信じて祈りましょう。

朝日研一朗牧師

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2016年09月19日

異教徒の間に生きる【Tペトロ2:11〜17】

聖句「異教徒の間で立派に生活しなさい。そうすれば、彼らはあなたがたを悪人呼ばわりしてはいても、…訪れの日に神をあがめるようになります。」(2:12)

1.《カルトの子》 村上春樹の小説『1Q84』には、カルト教団の中で成長したヒロインたちが登場します。「エホバの証人」や「ヤマギシ会」がモデルに成っています。親が入信することで、その子たちも否応無くカルトの世界に引き込まれ、少なからぬ影響を受けてしまうのです。長じてからも、そのトラウマに苦しめられている人たちが大勢いるのです。

2.《コミューン》 元来「カルト」とは「祭儀」で、悪い意味はありませんが、現在では、当人の人格や家庭、社会生活を破壊する団体の意味で使われています。同じく「コミューン」も「共同」の意味で、カトリックの「教区」を基にした地方自治の最小単位だったのです。やがて、社会主義者たちの集団農場を指して用いられ、現在では、カルト信者が社会から隔絶して、自分たちだけの「楽園」を形成する場合に使われます。プロテスタント教会の中にも、多少「コミューン」的要素は残っていますが、むしろ、聖書は信者の社会生活を優先して「異邦人の間で立派に生活しなさい」と勧めています。

3.《異教徒の間》 これまで「異邦人」という訳語を「異教徒」と変えたことは、日本社会に暮らす私たちにとって大きな意味があります。家族の中ですら「異教徒の間」にあるのです。当時の信徒は「悪者呼ばわり」されて、偏見や中傷を受けていましたが、だからこそ「立派な(美しく魅力的な)行ない」を見て貰いなさいと言うのです。しかも「周囲の見る目が変わる」等と安請け合いはしません。たとえ異教徒であっても、全ての人を敬っているので、他者を変えることは、神さまにお委ねしているのです。私たちは、社会や家庭を投げ出したりしないで、「異教徒と共に生きる」信仰の闘いを続けて参りましょう。

朝日研一朗牧師

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2016年09月12日

この世に打ち勝つ【Tヨハネ5:1〜5】

聖句「神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。」(5:4)

1.《運動靴会社》 オリンピックやワールドカップは、スポーツシューズのブランドにとっても、絶好のPRチャンスです。映画『炎のランナー』で知られるエイブラハムズとリデルが、パリ五輪で使用したのはリーボックでした。近年、著しく知名度を上げたのがナイキです。元々はオニツカタイガーの米国販売代理店だったのですが、今や世界的なブランドを確立しました。

2.《勝利の女神》 ナイキはギリシア神話のニーケーです。スポーツ中継などで「勝利の女神が微笑んだ」と言われるのはニーケーのことです。ゼウスやアテナの命に従って、一方に肩入れして、勝利をもたらすのですが、神々が決め兼ねる時には、中空を飛びながら様子を伺っていると言います。ローマ神話ではウィクトーリア、ラテン語の「勝利」です。同じくニーケーもギリシア語の「勝利」です。「初めに言葉があった」のです。「勝利」の語が擬人化されて、美女の姿で描かれるようになったのです。4〜5節には、ニーケーが4回も登場します。「世に打ち勝つ勝利」等は同語反復の典型です。

《打ち勝つ愛》 私たちが生きている社会は競争原理が支配しています。競争が向上を促す場合もありますが、凡そ道を外れた競争も多いのです。国威発揚合戦や軍拡競争など愚の骨頂です。省みれば、私たち自身も下らないことを自慢し合っています。教会までが競い合っているのです。「世に打ち勝つ」のではなくて「世に順応して成功する」ことを求めているのです。「神の掟」、聖書の「言い付け」は「あなたがたは競い合うのではなく、愛し合いなさい」です。「イエスこそ我が救い」と告白した者は、辱め合ったり貶め合ったりするのではなく、神を愛し、人を愛するのです。それが「世に打ち勝つ勝利」です。

朝日研一朗牧師

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2016年09月05日

成長する建物【エフェソ2:11〜22】

聖句「キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。」(2:21)

1.《幽霊屋敷》 S・キングのホラー小説『ローズ・レッド』は、自己増殖を続ける幽霊屋敷が舞台です。その屋敷のモデルと成ったのは、カリフォルニア州のウィンチェスター邸です。銃器製造メーカーの未亡人が「娘と夫に先立たれたのは銃の被害者の呪い」という霊媒師のお告げを信じて、霊障から逃れるために38年間1日24時間、休み無く屋敷の増築を続けさせたのです。

2.《人柱伝説》 礼拝堂が自分で補修や増設をしてくれたら楽ですが、幽霊屋敷は人々の生気を奪い取るものです。日本には、人間の魂が入った建物が頑強であるという信仰があり、20世紀になっても、トンネルの難工事などで労働者を生き埋めにして来た歴史があります。靖国の祭神も「柱」と言うのは、神霊が宿る依代を言うのみならず、犠牲者の怨霊を祀り上げることで国家の守護神とする人柱の観念でもあります。新約聖書でも教会や使徒たちを「柱」と言います。また、使徒たちは信仰の故に殉教すら厭いませんでした。しかし、彼らは祟りません。彼らを突き動かして来たのは、主の御愛だったからです。

3.《神の家族》 イエスさまと殉教者たちを「柱、土台」として形作られるのがキリスト教会です。どこのどんな教会であろうと、苦しみと悩みの歴史があるのです。信徒の一人一人も同じです。故無く立つ教会も信徒もありません。この世での齟齬や違和感や疎外感があって初めて、私たちは神さまと向き合うのです。教会も同化や一体化を強いる場ではなく、異なる者たちがそのままで結び合わせられる所です。苦手な人、嫌いな人がいるのも「お互い様」。同一規格に切断されるのではなくて、ジグソーのようにバラバラなままで良いのです。「組み合わせる」(ピッタリと1つにする)のは、神の御業だからです。

朝日研一朗牧師

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2016年08月29日

義の実は平和の中【ヤコブ3:13〜18】

聖句「義の実は、平和を実現する人たちによって、平和のうちに蒔かれるのです。」(3:18)

1.《ソフィア》 日本なら「知恵ちゃん」です。欧米では、略称の「ソフィー、ゾフィー」も含めて人気のある名前です。イスタンブールの世界遺産「アヤソフィア」も本来は「聖ソフィア大聖堂」でした。イエズス会設立の「上智大学」の名前も「聖母の連祷」の「知恵ある乙女/上智の座」から採られています。「上からの知恵、神の知恵」を「ソフィア」と呼んでいたのです。

2.《悔い改め》 「あなたがたの中で、知恵があり分別があるのは誰か?」という問い掛けを、寅さん風に言えば「お前、差し詰めインテリだな。それじゃ余計、女にモテないよ」です。内閣や政府が「学識経験者」を集めて、報告書や提言などを作らせていますが、政策を支持するだけの「御用学者」に過ぎない場合が多いのです。「ヤコブの手紙」は辛辣です。それでも、あなたがたが「神の知恵」が与えられていると言うならば、美しく魅力的な生き方、温情のある行ないをもって示しなさい。むしろ、あなたがたは「内心、妬み深く利己的である」のだから、自慢したり虚勢を張ったりしないで、恥を知り、真理に向き合いなさい。

3.《実を蒔く》 私たちが「人類の英知」等と威張っても、私たちが「知恵」と称しているものは、真の「知恵」ではないのです。「地上の知恵(狡知)」「この世の知恵(世知)」「悪魔から出た知恵」なのです。だから、便利で快適に成っても、幸せから遠ざけ、混乱と悪行の元凶にも成っています。科学技術も発明品も学術研究の成果も「妬みと利己心」から生み出されているからです。「上から出た知恵/上智」は賢さ、利口さ、機転や頭の回転の速さではなく、品性や人格に関わるものなのです。実を結べば自慢したくなるのが人情ですが、そこで結ばれた「良い実」を蒔くのです。そこに平和が作られるのです。

朝日研一朗牧師

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2016年08月23日

よい知らせは世界中で【コロサイ1:22〜29】

聖句「この福音は、世界中至るところの人々に宣べ伝えられており、わたしパウロは、それに仕える者とされました。」(1:23)

日本の教会の伝道はふるわない、このままでは次の世代はどうなるという危機感を募らせる言葉をよく聞きます。しかしそもそも何のために伝道するのか、教会としても一信仰者としても共有しているでしょうか。

パウロは回心後、自分のすべてをキリストのためにささげた強い伝道のモチベーションがありました。それは、今や御子の死によって神の前に聖なる者としていただけた(22節)、そのありがたさを心から信じこの福音の希望が世界中で共有されているスケールの大きなものであることを実感していたからです(23節)。なのにもし信仰を「私の心の中だけのもの」などと私物化して伝道を遠慮したりしては、キリストの贖いを小さくしている上に神の国から他者を締め出すことです。

何よりも確実な神の国の国籍をいただいている(フィリピ3:20)栄光を、私たちはキリストのお苦しみの意味がなお欠けているこの国で宣べ伝えなければなりません。伝道は、自らの危機感や一挙両得のためではなく、すでに世に勝利されているキリストの力が私たちの内に力強く働くことなのです。

キスト岡崎さゆ里宣教師

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2016年08月15日

主イエスの開かれた世界【ヨハネ14:1〜14】

聖句「わたしは道であり、真理であり、命である。」(14:6)

1.《わたしは道であり、真理であり、命である。》 主イエスは、ご自分が十字架に掛けられる前の晩に、不安な思いでいた弟子達に、「心を騒がせるな。神を信じ、私を信じなさい。」と言って、慰め励まされました。そして、「あなた方の為に場所を用意しに行くのだ」と告げられたのですが、彼らは、そこへ行く“道”が分かりませんと尋ねた時に、主が語られたのが、この御言葉です。将に、キリストこそ「父なる神に至る、唯一つの道」であり、「真理」、又、「永遠の命」です。

2.《わたしを通らなければ、だれも、父のもとに行く事は出来ない。》 主イエスは、又、ご自分によらなければ誰も父のもとに行く事は出来ないと明言されました。神から来られた、独り子なる御子イエス様のみが、父なる神様の御心を完全に現わす事の出来るお方であり、全人類の罪を贖い得る唯一のお方なのです。主イエスと父なる神は一つです。主イエスの内に父なる神様がおられ、父なる神様の中に主イエスがおられる事を信じなさい、と主は勧めておられます。「主イエスを見た人は、実は、父なる神様を見た」のであります。

3.《私の名によって願う事は何でもかなえてあげよう。》 主イエスが死と復活を通して開かれた、「主イエスと共にいつもいると言う、この恵みに満ちた、永遠の命の世界」が、福音として宣べ伝えられる為には、私達の力ではなく、上からの力、即ち、神様ご自身とイエス・キリストからもたらされる「聖霊」によらなければ不可能な事です。主は「何でも求めなさい」と言って下さいますが、何にも増して、主の御霊を祈り求めるように、私達に勧めておられます。

清瀬弘毅牧師

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2016年08月08日

ピースメーカー(ズ)【マタイ5:1〜12】

聖句「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。」(5:9)

1.《アメリカの平和》 コルトSAAは、西部開拓者を先住民の襲撃から守った拳銃として「ピースメーカー」の愛称で呼ばれています。コンベアB-36戦略爆撃機にも「ピースメーカー」の別称がありました。B-29の後続機で、大戦後に米軍に配備、朝鮮戦争でも温存されました。航続距離が11,000キロもあり、ソ連と中国への核攻撃を準備していたのです。「平和」という語に騙されてはいけません。問題は誰のための平和であるかです。

2.《自分たちの平和》 カナダ人のイアン・アーシーは、日本の「お役所言葉」の研究をした人です。彼によると、日本では「戦争」は忌み言葉で、常に「平和」と言い換えているそうです。「平和記念公園」等と言いますが、平和を祈念する以前に、戦争の愚かさを直視すべきでしょう。他にも、戦争は事変、日本軍は自衛隊、敗戦は終戦と、語にモザイクを掛けています。「平和国家」を自称しながら、沖縄に米軍基地を集中させ、米軍の後方基地として機能することで、私たちも戦争の加害者であり続けているのです。米軍が敵地に原爆を落として「ピースメーカー」と主張するのと同じくらい、恥ずべきことです。

3.《平和を作り出す》 イエスさまは「平和を愛する人」でも「平和を好む人」でもなく「平和を作り出す人たち」が幸いであると仰います。しかも、それは複数形です。自分だけに実現すれば良いのではなく、複数の人たち、異なる共同体と共に実現されるのです。元海兵隊員で平和運動に転じたアレン・ネルソンは、ベトナムの農村を攻撃した時、偶然に若い母親の出産に遭遇して、人間性を回復して行きます。帰還後、小学生たちに体験を語った時、「あなたは人を殺しましたか?」という少女の問い掛けを突き付けられて、運命を変えられます。それこそが「平和が作り出された」瞬間だったのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 18:50 | 毎週の講壇から

2016年08月01日

マムシにご用心!【マタイ12:33〜37】

聖句「蝮の子らよ、あなたたちは悪い人間であるのに、どうして良いことが言えようか。」(12:34)

1.《蝮の思い出》 田舎の田園地帯に育った私は、小さい頃から蛇に慣れ親しんでいました。それでも、ヤマカガシに対峙した時には、(当時は毒蛇とされていませんでしたが)本能的な不安を感じました。雨上がりの翌日、甲羅干しをする蝮の群れを避けながら山を走ったこともあります。隣の家のおじさんからは、蝮の捕まえ方と「マムシ酒」の作り方を教えられました。

2.《蝮の子らよ》 アダムとエバを誘惑する「楽園の蛇」、モーセやアロンの「杖の蛇」、荒れ野の「青銅の蛇」等、聖書には何度も蛇が登場します。聖書の舞台であるパレスチナ地方も36種類もの蛇の生息が確認されています。それだけ身近な存在だったのです。「信じる者は蛇を?む」(マルコ16:18)の御言葉を、蝮に咬まれても害を受けなかったパウロの物語と混合して、それを信仰の証と誤解した米国の新興宗教「ヘビ教/Snake Handling Cult」があります。そんなことがキリスト教の福音の核心でないのは言うまでも無いことです。しかし、枝葉末節に終始して、本末転倒を起こすのが人間の習性です。

3.《悪い者でも》 洗礼者ヨハネと同じく「蝮の子らよ!」と叱りながらも、それでもイエスさまは、私たちを見捨ててはおられません。「悪い人間であるのに…」は、「あなたがたは悪い者でありながらも…」(マタイ7:11)に通じる物言いです。むしろ、キリストの十字架は、「悪い人間」「蝮の子ら」でしかない私たちを救おうとして成された奇跡では無かったでしょうか。私たちの言葉は「つまらない」(36節)ものです。「無益、無駄、不注意、軽率」です。私たちの「実」、行ないも(自分では善行をしたつもりでも)取るに足りないのです。むしろ、自らを悪人と覚えて、主の憐れみにお縋りしましょう。

朝日研一朗牧師

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2016年07月25日

キリスト編み物教室【Tコリント1:10〜17】

聖句「皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい。」(1:10)

1.《編み物》 編み物が趣味の人、習慣的に編む人、片手間に編む人、認知症予防に編む人、誰かのために徹夜で編む人もいるでしょう。吉田聡の『湘南爆走族』の主人公は暴走族の総長でありながら、高校の手芸部の部長でもあるミスマッチな個性が味わいでした。学校に手芸部があるように、英米には「Knitting Club/編み物会」があり、同好の人たちが集まって編み物をします。

2.《クラブ》 米国の『金曜日の編み物クラブ』という小説は「編み物会」の人間模様が描かれています。雑多で我儘な人たちが時と場を同じくすることで、やがて固い絆で結ばれて行くのです。日本は「編み物教室」です。「クラス」と「クラブ」では大違いです。プロテスタント教会も近世に生まれ、近代に日本に入って来たために専ら「教室モデル」に成っていますが、「クラブ」要素も大切にしなくてはいけません。「クラブ」は「塊、棍棒」という語です。しかし、一塊に成ってクラブ、グループが出来ると、一致団結して見えますが、互いに「勝手なことを言い、仲たがいする」ように成るのが世の常です。

3.《クラス》 パウロの勧告は校長先生の朝礼の訓話みたいに鬱陶しく感じられます。そうでなくても日本社会は「同調圧力」の強い風土です。「一致の勧め」も多様性の切り捨て、少数意見の排除、全体主義に成り兼ねません。しかし「一つの、同じ」と訳された「アウトス」は「オートマチック」の「オート/自動的」の語源です。「自発的、自分から」なのです。「固く結び合いなさい」を「一緒に編み物しなさい」と訳した英訳がありました。確かに「ニット」には「強い絆で結ぶ」の意味もあります。私たち自身の綻びや破れを、神の御前に晒け出し、縫い繕い、皆で編み上げて行くのが教会形成なのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 17:48 | 毎週の講壇から