2017年02月14日

旭日亭菜単 (続き)その36

  • 「人形/デュ・モーリア傑作集」(ダフネ・デュ・モーリア著、務台夏子訳、創元推理文庫)
    やはり、自分の職業柄か、全14編中、最も記憶に残るのは「いざ、父なる神に」と「天使ら、大天使らとともに」の2編です。いずれも、権力志向の強い俗物牧師、ホラウェイの物語です。金持ちや上流階級に上手に取り入る一方、自分の利益にならぬと見るや、悩む人を見捨て、貧しい人を見捨てる最悪の人間です。しかも、自分の讃美歌の歌声に酔い痴れ、自分の説教に会衆が心動かされているのを見て悦に入っているのです。同業者として嫌悪感を抱かせる半面、どこからしら共感してしまう自分が恐ろしい。ホラウェイ牧師の陰画と言えるでしょう、「メイジー」には、娼婦が「こんなに讃美歌が好きなのに、どうして教会の中へ入れて貰えないのだろう」と嘆く場面が用意されています。巻末の「笠貝」は、ヒロインの独白を通して、その本性が少しずつ明らかにされていくのですが、それはさながら、関わった人たちの栄養を吸い上げる寄生虫なのです。独白スタイルだからこそ、読者は震撼させられるのです。彼氏から届く手紙だけで、男女関係の変質を描き切る「そして手紙は冷たくなった」も斬新です。人間の内奥に渦巻く悪意を描かせたら、デュ・モーリアはシャーリイ・ジャクソンと双璧です。
  • 「『雲』の楽しみ方」(ギャヴィン・プレイター・ピニー著、桃井緑美子訳、河出文庫)
    「もしもくる日もくる日も青一色の空ばかりだったら、人生は退屈でしょう。…雲は天気の顔です。雲はみずからの気持ちを表現し、目に見えない気流の状態を教えてくれるのです。そして…雲は大自然の紡ぎ出す詩だ」。そんな風に演説してしまう著者は、「雲を愛でる会」の設立者。空の雲に目を留めようともしない青空至上主義者たちに敢然と立ち向かいます。雲の分類は、私の興味外でしたが、雲に挑んだ人たちの物語には興奮させられました。米空軍パイロット、ウィリアム・ランキン中佐は、ジェット戦闘機の故障から、止む無く積乱雲の中をパラシュート降下して奇跡的に生還します。米国の化学者ラングミュアとシェファーは「雲の種まき」と称して、人工降雨をはじめとする気象コントロールを試みます。その他、コンスタンティヌス帝が天空に目撃した神のメッセージが何であったかという分析も必読です。飛行機雲が地球温暖化の大きな要因であることも初めて知りました。しかし、何と言っても圧巻は、豪州のモーニンググローリーでのグライディングに初めて挑戦したホワイトとトンプソンです。
  • 「処刑人」(シャーリイ・ジャクソン著、市田泉訳、創元推理文庫)
    読了後「また、まんまとやられた!」と思うはずです。終盤に展開される夜の道行は『ウルトラQ』第25話「悪魔っ子」を思い出しました。催眠術を多用した結果、幽体離脱を繰り返すようになってしまった奇術団の子役、リリーの物語です。「人工的な明りが消えたあとの人工的な暗闇とは違っていた。自然の光が去っていくと同時に訪れる自然の深い闇だ」。そのように語られるのは、モノクロ映像で描く夜の情景に近いと思います。人里離れた夜の世界でありながら、どこか白昼の悪夢のような感覚が付き纏っています。幻覚にも似たエスケープが始まるのが、ヒロイン、ナタリーが実家に帰省して、自分の居場所がどこにもないことを再確認してからの展開であったということが重要です。元より女子大にも学生寮にも、彼女の居場所はありませんでした。現実の社会や人間関係から遊離していることが、彼女の幻想の病因ですが、しかし、こちらの現実がそんなに確かなものかと言えば、そうではなくて、私たちが営む生活も、色々なフィクションの上に成り立っているに過ぎないのです。ただ、そのフィクションを大多数の人間が「現実」として合意することで、辛うじて成り立っているのです。
  • 「AV出演を強要された彼女たち」(宮本節子著、ちくま新書)
    「ポルノ被害と性暴力を考える会/People Against Pornography and Sexual Violence」、略して「PAPS」の世話人と成った著者。彼女はソーシャルワーカーとして、長年活動する中から、自らの務めを、問題に直面し、困難を抱えた様々な人たちの「伴走者」と位置付けています。ここでも、スカウトの罠にはまり、AV産業の暴力的システムの中に飲み込まれ、必死で助けを求める女性たちに寄り添いながら「伴走」しています。勧誘から契約に持ち込み、雑誌グラビアや着エロ動画の撮影、遂にはAV本番に至る訳ですが、女の子が勧誘に乗ったが最後、もう後戻り出来ない手法は凄い。単なる詐欺ではなく、カルトの方法論が使われていると確信します。助けを求めて来て彼女たちが、それでも尚、スカウトやプロダクションの人を「良い人」と信じ続けている辺りも、カルトと同じです。そう言えば、私が毎月聖書研究会を担当しているYMCAの某学舎には、中国や韓国から来た留学生もいるのですが、彼らは一様に「自分らの国には、日本に来れば、AVのような世界が待っていると思い込んでいる若者が多い」と言っていました。我が国は、ポルノ映像・画像のアジア最大の発信国なのです。
  • 「詩人と狂人たち」(ギルバート・キース・チェスタートン著、南條竹則訳、創元推理文庫)
    ローマカトリック信者のチェスタートンだけに、プロテスタント教会に対する悪口が随所にちりばめられています。「鱶の餌」の元宣教師のブーン氏や、「ガブリエル・ゲイルの犯罪」のソーンダース牧師の造形などは、プロテスタント信仰の戯画化と言えましょう。それはともかく、主人公の詩人探偵ゲイルは、詩人であるが故に、狂人たち(lunatics)に対して、魂の奥深くで共鳴することで、結果的に犯罪を暴くことに成るのです。「狂人」と言うより「取り憑かれた人」と言うべきかも知れません。今なら一種の「サイコダイバー」です。その意味で、本作が国書刊行会「世界幻想文学大系」に収められていたという事実は興味深いものです。凡そ論理的な展開とは思えないので、普通の推理を期待すると戸惑うことでしょう。斯く申す私も、第2話「黄色い鳥」の結末を見た所で漸く、詩人探偵の観察力と推理力(と言うか、その個性)に順応したくらいです。楽しみ始めたのは、第6話「孔雀の家」あたりでしょうか。変人の多い探偵の中でも、その変てこ度において、かなり上位に食い込むキャラクターです。しかも、この連作集、探偵自身の恋愛小説とも成っているのですからオドロキです。
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2016年12月20日

一点一画 one jot or one title その35

  • 「世にも奇妙な人体実験の歴史」(トレヴァー・ノートン著、赤根洋子訳、文春文庫)
    18世紀英国の医師、ジョン・ハンターは墓場の死体を使って解剖実験を繰り返したこと で有名ですが、自分のペニスに淋病や梅毒患者の膿みを塗り付けて、伝染の実験をして いたそうです。死体の解剖などは序の口、死刑囚、受刑者、売春婦、孤児、障害者、黒 人奴隷、貧民などが人体実験(生体実験)の材料にされて来た長い歴史がありましたが、 読み進むにつれて、医師自身、あるいは助手、研究員を巻き込んでの、自分の体を張っ た壮絶な実証実験が中心に成ります。ところで、私の大学時代の友人は京都府福知山市 の出身でしたが、「高校時代に日当3万円のバイトをした」と自慢していました。731 部隊の医師が創立に関わった製薬会社「ミドリ十字」で、研究被験者として試薬を服用 するバイトでした。また、私たちの受ける「治療」の施術、投薬もまた人体実験の延長 線上にあるのです。
  • 「くじ」(シャーリイ・ジャクスン著、深町眞理子訳、ハヤカワ文庫)
    有名な表題作は、あちこちのアンソロジーで紹介されていますが、改めて読み直しても 恐ろしい。くじ引きの行なわれる6月27日は、アメリカの学校では夏休みの開始日に 因むのでしょうか、それとも夏至に当たる「洗礼者ヨハネの誕生日」6月24日のモジ リでしょうか。私のお気に入りは、鶏を噛み殺してしまった飼い犬の処分法について、 村中の人たちが話題にする「背教者」です。死んだ鶏を犬の首に括り付けて取れないよ うにして、腐るに任せるとか、牝鶏に犬の目玉を突かせるとか、腐敗して異臭を放つゆ で卵を食わせるとか、愛犬家が失神しそうな話がこれでもかと出て来ます。愛書家とし ては「曖昧な七つの型」が印象的です。予想通りの平板な展開のはずなのに、なぜか忘 れられないのです。古書店主のハリス氏の感情が欠落しているからでしょう。ブルジョ ワ婦人たちの偽善的な親切を嘲る「アイルランドにきて踊れ」、若いミセスがNYの雑踏 の中で身動き取れなくなる「塩の柱」(ソドム滅亡の瞬間を振り返り見てしまったロトの 妻のこと!)も大好きです。
  • 「ゴールデンカムイ」第8巻(野田サトル作、集英社)
    本作において、専らコメディリリーフを担当している脱獄王、白石由竹(モデルは「昭 和の脱獄王」白鳥由栄)の過去が描かれています。お笑い半分に描かれてはいますが、 その一途な生き方は、固いパンの欠片を懐に隠し持つことで、希望を繋いで生き延びる 短編小説(フランチスク・ムンテヤーヌの「一切れのパン」)を思い出させます。土方歳 三と永倉新八が昔話をしながら、若き日の姿に戻る場面は、マンガならではの味わいが あります。しかし、何と言っても、今回の見ものは第89話「沈黙のコタン」〜第90話 「芸術家」でしょう。「ジャンプ」らしい凶暴な大立ち回りが描かれています。やはり、 これこそ、このマンガの真骨頂と言いたいところですが、何やら編集者から「そろそろ お願いします」と頼まれて描いたファンサービスのような気がします。
  • 「兵器と戦術の世界史」(金子常規著、中公文庫)
    扱われているのは陸戦のみ。海戦空戦は、艦砲射撃と航空機爆撃以外は扱われていませ ん。歩兵と騎兵、重騎兵と軽騎兵、大砲と小銃、砲兵と戦車、白兵と火力などの対立軸 で、兵器運用と戦術の歴史が描かれています。日本陸軍には、曲りなりにも勝利してし まうと、旧式な兵器と稚拙な戦術を見直そうとはせず、ひたすら精神主義と白兵銃剣主 義に走る悪い癖(貧乏性)が最後まで付いて回りました。しかし、過去の勝利の喜びや 敗北の苦みが原因で、1つの戦術に固着してしまう傾向は、フランス陸軍にもドイツ陸 軍にもあるみたいで、少し安心しました。1人の人間に人柄があるのと同じように、軍 隊にもお国柄が出てしまうようです。失敗の本質を見極めず、放置すると道を誤って、 同じ失敗を繰り返し続けても、中々改まらず、体質改善に相当の時間(50年、百年)を 必要とするようです。裏を返せば、自身の成功例に囚われ過ぎてしまうという事でもあ ります。
  • 「誕生日の子どもたち」(トルーマン・カポーティ著、村上春樹訳、文春文庫)
    礼拝のメッセージの中で『ティファニーで朝食を』を採り上げたので、何となく読みた くなったのでした。「感謝祭の夜」「クリスマスの思い出」「あるクリスマス」「おじいさ んの思い出」は、著者の幼少年時代の思い入れがたっぷりと詰まったミンツパイやミー トパイのような連作です。やはり、少年の親友、スックの存在感や言葉は圧倒的です。 表題作に登場するミス・ホビットも魅力的です。それは、彼女の命が不慮の事故によって 突然に断たれてしまい、「失われた」という悲しみのせいかも知れません。勿論、その他 の諸作も、「失われた」少年時代であるが故に愛惜に満ちているのです。
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2016年10月24日

一点一画 one jot or one title その34

  • 「ロルドの恐怖劇場」(アンドレ・ド・ロルド著、平岡敦編訳、ちくま文庫)
    著者は、19世紀末から20世紀初頭、パリのグラン・ギニョル座の台本作家として名を成 した人物です。医者であった父親が何とか家業を継がせようと施した英才教育が裏目に 出て、死体と殺人と狂気の愛好家と成ったそうです。この短編集の殆ど全てに医者が登 場するのは、その署名のようなものです。『怪奇文学大山脈V』で読んだ「最後の拷問」 が別バージョンで入っています。「大山脈」版は義和団事件の北京が舞台でしたが、こち らは革命直前のロシア帝国に設定されています。サイコ犯罪が中心であること、必ず肉 体損壊描写があること、この辺りは現代小説の傾向を先取りしています。埋葬地の樫の 木を夫の生まれ変わりと、未亡人が妄想する「生きている木」は、偶然か、先日の日影 丈吉「歩く木」と同趣向でした。不貞の妻に対して、夫が自らの命を賭して復讐を遂げ る「恐ろしき復讐」と「告白」、何と暗く恨み深い情念であることか。その他、愛する妻 子や親友を助けてやることが出来ず、むざむざ死なせてしまう、後味の悪い展開が多数 収録されています。この異常なまでのバッドエンドの反復は何でしょうか。ショッキン グな挫折感、残酷な絶望感、それを嗜好品とする時代(現代)が到来していたのです。
  • 「日影丈吉/幻影の城館」(日影丈吉著、河出文庫)
    解説によると、日影はローマカトリックの洗礼を受けていたのだそうです。「変身」はク リスマスイヴに働く者の鬱屈した心情が、聖夜を口実に浮かれ騒ぐ異教徒に対する沸沸 と湧き上がる侮蔑を絡めて描写されていて、私などは大いに共感するのです。但し、私 の好みは、ファム・ファタルの登場する作品です。特に「ふかい穴」には『天城越え』の 趣きがあります。全身入れ墨の女「天人おきぬ」が少年の心に終生忘れ得ぬ女性性のイ コンを刻み付けるのです。しかも、彼女を庇おうとした少年の純情と努力が却って仇と 成るのが切ないです。「匂う女」と「異邦の人」では、もう少し成長した少年が登場して、 彼の推理が事件の背景にある女の哀れを照らします。台湾もの「蟻の道」の娼婦ペーを 見詰めるのは、中年に近い男です。ただ、彼女の辿る末路に注がれる眼差しは、「ふかい 穴」「匂う女」の少年たちと同質のように思われます。何とかして女を苦界から救いたい と願いながらも、結局その思いが果たされることはありません。植物との対決を描く「歩 く木」は、ウィンダムの『トリフィド時代』を、山頂の測候所を舞台にした「崩壊」も、 ハマーフィルムの『クォーターマス』シリーズを思い出させます。
  • 「日本武術神妙記」(中里介山著、角川ソフィア文庫)
    『大菩薩峠』の作者、介山は意外や、キリスト教信仰に感化を受け、そのペンネームも 牧師の松村介石から採っているのです。巻頭すぐに、黒澤映画『七人の侍』の勘兵衛の モデルと成った上泉伊勢守の有名なエピソードがあり、巻末近く『雨あがる』の伊兵衛 のモデルと成った山本南竜軒のエピソードが置かれています。千葉周作に勝ち方ではな く死に方を問うた土方某の話もまた、そのヴァリエーションでしょう。藤沢周平の『隠 し剣/鬼の爪』の元ネタも発見しました。岩明均のマンガ『剣の舞』に登場する疋田文 五郎の「それではあしいぞ」、柳生但馬守のみならず山本勘介も打たれていたのですね。 猫の屋根から落ちるのを見て、柔術を極めた関口弥六左衛門の話も、『姿三四郎』から『柔 道一直線』『いなかっぺ大将』までネタにされ続けています。「我が心の剣は活人剣であ るけれども、相手をする人が悪人である時にはそのまま殺人剣となるものでござる」(塚 原卜伝)、「始は易く、中は危くそれを過ぎてはまた危し、始中終の本心が確と備わると きは何の危き所はない」(宮本武蔵)、「仕合をする時は真剣勝負の心ですべきものじゃ」 (高田三之丞)、「礼儀の場に於ても、刀を振うことが無いということはない」(戸田清玄)、 「斬られながらと書かないで、斬らせながらと書かなくてはいけない」(上杉鷹山)、「武 術を修めようとする者は宜敷まず文事からはじめるがよろしい、然る後如何なる難問題 にぶつかっても刃を迎えて自ら説くことが出来、武器の使用もはじめて神妙に至るので ある」(根本武夷)…。けだし名言の宝庫でもあります。
  • 「シュトヘル/悪霊」第13巻(伊藤悠作、小学館)
    モンゴルの捕虜となり、人間の矢楯として使われていた西夏兵たちとの出会いが泣かせ ます。スドーは彼らに文字を教えます。伝えられた文字と言葉は彼らの中に宿り、生き 始めるのです。他方、ユルールはトルイ皇子の配下となり、モンゴル帝国の中で西夏文 字を残そうとします。宿敵であったはずのシュトヘルとハラバルが、行き掛かりから共 闘して、モンゴルの重装騎兵の陣営を強行突破する場面、僅かに13ページ程度ですが、 久々に燃えます。舞台は、いよいよ南宋の成都へと近付きます。シュトヘルの体が弱り 始めていることに気付いたスドーは、自分がシュトヘルの「延命の点滴で、それがなく なれば、結局は長くは保たない」と悟ります。いよいよ終結が迫っているようです。
  • 「アド・アストラ/スキピオとハンニバル」第10巻(カガノミハチ作、集英社)
    「ローマの剣」と称えられた名将、マルケルスの最期から始まります。ハンニバルの弟 ハッシュ(ハスドルバル)がイベリア半島のバクエラでスキピオ軍に敗北(紀元前208 年)、ハンニバルと合流するためアルプス越えをしますが、イタリア半島北部メタウルス 川の戦いで戦死します(紀元前207年)。それにしても、当のハッシュが(平気でヌミ ディアのマシニッサを使い捨てにしたりして)全く感情移入できぬキャラとして描かれ ているため、弟の復讐を誓うハンニバルにも共感が持てません。ともかく、いよいよ物 語はクライマックスです。この4年後、スキピオがアフリカに軍を進めたことで(スキ ピオ・アフリカヌス!)、ハンニバルも本国に召還され、遂に両雄が相見ゆることと成る 訳です。
posted by 行人坂教会 at 23:20 | 牧師の書斎から

2016年09月08日

一点一画 one jot or one title(続き)その33

  • 「ゴールデンカムイ」第4〜8巻(野田サトル作、集英社)
    やはり、昔のアメリカ西部劇『悪の花園』『マッケンナの黄金』辺りが発想の原点かも知 れません。殺伐とした画調と陰惨な物語ながら、アシリパさんとの交流、厳しくも豊か な北海道の自然に身を置く中で、日露戦争の帰還兵が人間性を回復して行くプロセスこ そが、この作品の真骨頂と思っていました。ところが、売れた作品の常とは言え、物語 に絡むキャラが急増、その上、サブキャラをメインに据えたスピンオフ的挿話も加えて、 破綻ギリギリです。笑顔の快楽殺人犯、女装趣味の拷問人、同性愛のヤクザ、人皮を扱 うサイコ剥製屋など、脇のキャラをビザール仕立てにしたのもヤリ過ぎの感あり。6巻 の茨戸(札幌に10年住んでいた私には懐かしい!)における土方歳三・永倉新八コン ビの大立ち回り(黒澤の『用心棒』、ハメットの『血の収穫』)では、画が極端に乱雑に 成っていて、思わず「もう読むの止めようかな」という気分でした。しかし、8巻に、 元マタギ谷垣の「カネ餅」のエピソードがあり、文字通り「モチ直し」ました。
  • 「襲撃者の夜」(ジャック・ケッチャム著、金子浩訳、扶桑社ミステリー文庫)
    何年か前、父の日に長男がプレゼントしてくれたケッチャムの「食人族シリーズ」。前作 『オフシーズン』に辟易して放置してあったのですが、狩猟と料理法が描かれた『ゴー ルデンカムイ』を読んだせいでしょう、つい手に取って、一気に読んでしまいました。 さすがに前作ほどの衝撃はありません。但し、食人一家が缶詰の蓋で作ったらしい金属 の「入れ歯」を装着して、カチカチやりながら、ヒロインのクレアに迫って来る辺り、 彼女の内腿の肉を食いちぎる辺りの描写は堪らないものがあります。『バーバレラ』の噛 み付き機械人形のハード版みたい。クレアは父親の影響で、60〜70年代のニューシネマ のファンなのです。しかも、黒澤明の言葉「芸術家であるということは、目をそむけな いことなんだ」(恐らく、自伝『蝦蟇の油』に出て来る黒澤のドストエフスキー評でしょ う)を思い出して、そこから反撃に打って出るのです。ケッチャム自身の映画の趣味が 反映されているのでしょうが、私たちには、ニューシネマと黒澤は結び付きませんから、 アメリカの映画ファンならではの現象でしょう。
  • 「ゴールデンカムイ」第1〜3巻(野田サトル作、集英社)
    ある日、長男が第1巻をポンッと渡して、「お父さん、続き買ってよ」と言うのです。映 画『二百三高地』、和月伸宏の『るろうに剣心』、安彦良和の『王道の狗』等も思い出し ましたが、何と言っても、このマンガの魅力は、主人公の「不死身の杉元」とコンビを 組むアイヌの少女アシリパさんでしょう。彼女の口と技を通して、アイヌの狩猟、サバ イバル術、食生活、暮らしと信仰、自然観と人間観が語られると、少しもイヤミではな いのです。作者は萱野茂や更科源蔵その他、アイヌ関係の資料をよく咀嚼しています。 「手塚治虫文化賞マンガ大賞受賞」の帯を見て、手塚がアイヌとシサム(和人)の戦い を描いた『シュマリ』を思い出さない訳には参りません。随分叩かれましたからね。そ れを思うと今昔の感があります。
  • 「死の鳥」(ハーラン・エリスン著、伊藤典夫訳、ハヤカワ文庫)
    『世界の中心で愛を叫んだけもの』で有名なエリスンのアンソロジーというので、期待 して読みました。ただ、残念ながら、表題作と「ランゲルハンス島沖を漂流中」は長っ たらしいばかりで、少しも面白くありませんでした。反抗的ユダヤ作家らしく、ユダヤ・ キリスト教的物語に敢えて背を向けて、オルタナ、カウンターカルチャーを決め込んで いるのですが、力み過ぎて、読者(特に異教世界に暮らす私たち)にとっては退屈なだ けです。それに比べると、「おれには口がない、それでもおれは叫ぶ」は「世界の中心」 を思い出させる暴力的筆致が痛快です。ラスヴェガスが舞台の「プリティ・マギー・マネ ーアイズ」、ニューヨークが舞台の「鞭打たれた犬たちのうめき」「ソフト・モンキー」は 切れ味鋭いナイフの閃光です。残忍で酷薄でありながらも、作中何度か挙げられる40 年代のアメリカ犯罪映画の残り香みたいな品の良さもあります。私としては「ジェフテ ィは五つ」をお薦めします。5歳で成長が止まっている坊やの話と言えば、ギュンター・ グラスの『ブリキの太鼓』みたいな寓話かと思われるでしょう。でも、ここにあるのは 「歴史」についての考察ではなく、「時間」についての批評です。現在というものは、過 去の存在に対して凶暴に襲い掛かって来るのです。とても哀切な短編です。
  • 「ピンク映画史/欲望のむきだし」(二階堂卓也著、彩流社)
    著者は『マカロニアクション大全』『剣とサンダルの挽歌』等において、イタリアB級C 級映画の勃興と凋落を年代記風に綴っていました。それは彼自身の青春と重ね合わされ て、見事な挽歌、鎮魂歌となっていました。本書においても同じです。映画作品を論ず るに、「品格」だの「作家性」「芸術性」だのといった、立派そうに見えて、その実は怪 しげな観念は一切持ち出さず、徹底して「楽しめたかどうか」で語っていく姿勢に、改 めて感服しました。従って、ここでは向井寛、小森白、関孝二、小川欽也、木俣堯喬、 渡辺護などについて多くが語られています。私が青年時代に観ていた若松孝二、中村幻 児、高橋伴明、和泉聖治などの作家性の強い人たちの諸作は「ピンク」の本流として扱 われてはいません。それにしても、信じ難い低予算と短い製作日数で多作を強いられた スタッフとキャストの映画愛には頭が下がります。しかも、どんなに頑張ってみても、 真っ当に評価されることのない、まさに「名誉と栄光のためでなく」「殉教」とも言うべ き世界です。
  • 「バイエルの謎/日本文化になったピアノ教則本」(安田寛著、新潮文庫)
    もう20年以上前だと思いますが、牧師仲間が興奮した口調で一読を勧めてくれたのが、 この著者の『唱歌と十字架/明治音楽事始め』でした。うちの教会のKさんは音楽CD 制作会社に勤めていて、昨年、安田氏の講演会を開いておられました。日本人の音楽教 育の基礎となった「バイエル」とは何者かと、探索と思索の旅を続けるプロセス、そし て辿り着く結論は『唱歌と十字架』に似ています。著者はグーグル検索エンジンの凄さ を前にして「研究者の旅は終わった」と溜め息をつきつつも、以下のように叫ばざるを 得ないのです。「大切なのはこの長い時間に満たされた『遠方』である。クリックではす べてが近すぎる。時間による成熟が期待できない。空間を超える異郷感が得られない。 人間は時間的にも空間的にも遠くにあるものに惹かれる。そこに想いが生まれる」。星野 道夫の『旅する木』に出て来るシェルパの言葉を思い出します。
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2016年07月08日

一点一画 one jot or one title その32

  • 「昭和の女優/官能・エロ映画の時代」(大高宏雄著、鹿砦社)
    以前に観て衝撃を受け、改めて観直してみると、記憶した映像や展開と食い違っている ことがあります。著者も『非行少年/陽の出の叫び』における三条泰子の映像(の記憶) に、その種の錯覚を見出しています。「その微妙な勘違い、否、差異こそ、映画の面白さ であり、映画の秘密を解く鍵であるとさえ言える。とともに、その勘違いのなかに、そ の人なりの映画を観る根源的な意味が含まれていると感じるのである」。「勘違いを飲み 込む見方もまた、映画には許されるであろう。末梢的な細部の描写をDVDで何回も見 て、正確をきす風潮があるが、それだと、同時代に観た映画の大切な魂≠ェ失われて いくこともあるのである」。京マチ子、前田通子、三原葉子、若尾文子、左幸子、加賀ま りこ、春川ますみ、団令子、安田(大楠)道代、渥美マリ、関根恵子(高橋惠子)…。映 画は女優で観るものだと、つくづく再確認します。増村保造監督作品が数多く採り上げ られているのも、私の趣味と一致しています。『赤い天使』『セックス・チェック/第二の 性』『でんきくらげ』『遊び』の論評は、自然、力の入り具合が違って来ているようです。
  • 「HUNTER×HUNTER」第33巻「厄災」(冨樫義博作、集英社)
    長男が「連載では今、クラピカとクロロ(幻影旅団の団長)が戦っているよ」と教えて くれました。しばらくして、続巻コミックスも出たと知り、早速購入しました。それに しても、この文字の多さは何でしょうか、士郎正宗の『攻殻機動隊』に匹敵するでしょ う。その上、この登場人物の多さは何でしょうか。まさか作者は、丸ごと「暗黒大陸」 に連れて行って、全員を虐殺するつもりではないでしょうか。そういう清算の仕方を企 てているのかと邪推したく成ります。本来、主人公であるはずのゴンとキルアを外して いるのも、「キメラアント編」の時のように、後から送り込むつもりなのでしょうか。読 み終えた数日後、長男から情報が入りました。「また、冨樫、休載だってよ」。丁度、テ レビでは、アニメ『美少女戦士セーラームーン』の再放送「ムーンライト伝説」が流れ ていました。「ごめんね 素直じゃなくて…」。
  • 「阿呆の鳥飼」(内田百闥、中公文庫)
    うちの教会の会員の娘さんが表紙カバーの木版画を担当しています。百閧フ小説は随想 のようであり、その随想は小説のようです。「私は小さい時分から小鳥が好きで、色色な 鳥を飼ったり、殺したりしました」という巻頭のさり気ない告白から、胸が疼きます。 人間が生き物を飼うことは、即ち、殺すことに通じるのです。「飼い殺し」と言うくらい です。衰弱する目白や仏法僧を夜通し手の中で温めて介護し、眼を患った柄長の世話を 甲斐甲斐しく焼き、家から飛び立ってしまった河原鶸の行く末を思ってオロオロする、 その愛惜の深さに切なく成ります。しかし、他方、捕らえた鼠に石油を掛けて焼き殺す 話、蛸の頭に刻み煙草のお灸を据えて息絶えさせる話、飼い猫の股を掴んでギュッと泣 かせる話、栗鼠を衝動買いした挙句にボール函に入れたままで死なせてしまう話、酷薄 な懺悔のようなエピソードも満載です。その振幅の激しさは、飼うという営みの本質を よくよく言い表わしているように思います。
  • 「日時計」(シャーリィ・ジャクソン著、渡辺庸子訳、文遊社)
    訳者は「あとがき」で「この物語には友達になりたいと思える人物がひとりも出てきま せん」と断言していますが、私にとっては、主要登場人物全員がごく身近な人たちに思 われたのでした。教会の牧師などという稼業のせいかも知れません。全く違和感がない のです。私にとっては、皆、興味深い、愛すべき人物と思われたのでした。終末を迎え るに当たって、ハロラン家の「お屋敷」が「ノアの箱舟」に成る、そんなお告げを受け て、各々一癖も二癖もある訳ありな人たちが擬似家族を形成しながら、その日に備えて 準備をして行くのです。それは、クリスマスやイースターの準備をしている時(アドベ ントやレント)の教会生活そのものです。加えて、小学生の頃、土曜日の午後、雨戸を 閉めて居間を暗くして、「えび満月」(煎餅)片手に、妹と一緒にテレビの『ウルトラゾ ーン』(『アウター・リミッツ』第2シーズン)を見ていた時の情景が脳裏に蘇えって来ま した。
  • 「プリニウス」第4巻(ヤマザキマリ+とり・みき作、新潮社)
    紀元62年に起こったポンペイ大地震を描いています。ウェスウィウス噴火の可能性を 語るプリニウスに、護衛のフェリクスは「縁起でもない!」と諫めます。「自然が己の力 で動く事の何が縁起が悪いのだ。なぜそうやって自分の命のつごう優先で物事を考えよ うとするのだ?!」と反論するプリニウス。自然の力の前に、人間の作り上げた文明?、 いや、インフラは一瞬にして脆くも潰え去るのです。善でも悪でもなく、これこそが世 の現実です。東日本大震災の時にも「神はいるのか!」と、これ見よがしに無神論的キ ャンペーンがありました。けれども、カタストロフを採り上げて、殊更に神や仏を呪う のは筋違いというものです。ただ、私たちの存在も、私たちの文明も、余りにも卑小で あるという事に尽きるのです。そう言えば、ポッパエアによるブッルスとオクタヴィア の暗殺、謎のユダヤ人の暗躍、呪詛板やキリスト教も登場します。盛り沢山のローマ史 です。
  • 「見た人の怪談集」(岡本綺堂他著、河出文庫)
    鏡花「海異記」、鷗外「蛇」、芥川「妙な話」、佐藤春夫「化物屋敷」の4篇は『日本怪奇 小説傑作集T』(創元推理文庫)で、小泉八雲「日本海に沿うて」、岡本綺堂「停車場の 少女」もどこかで読んでいます。15篇中6篇ですから、3分の1以上が再読だった訳で す。この手のダブリはアンソロジーに付きものですが、それでも、この本の「見た人の…」 という編集意図に脆弱さを感じないではいられません。展開そのものよりも、シニカル な文章が光っていたのが、正宗白鳥「幽霊」です。「大本教でもモルモン宗でも、何でも いいが…肉体を離れて魂魄が無いものなら、基督も釈迦も、お直婆さんやおみき婆さん と同じように痴愚の教えを説いて、幾億万の人間をたぶらかしたのだ」。猟奇的なオチが 控える橘外男「蒲団」、どこか陰惨な印象を残す角田喜久雄「沼垂の女」が私の好みです。 田中貢太郎「竃の中の顔」、大佛次郎「手首」は、古典の味わいの中にも、江戸時代の無 残絵を思わす、独特の残酷趣味が漂っています。
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2016年05月25日

一点一画 one jot or one title その31

  • 「日影丈吉傑作館」(日影丈吉著、河出文庫)
    目黒の住人としては、「呪いの家」を描いた「ひこばえ」を第一に挙げない訳には参りま せん。「G坂の方からM通に出て芝公園を抜け都心に出る道」「M通にむかう正面に、い つもあらわれるのがその家だった」とあります。この家は「瓦斯会社の出張所」で、結 局、住人一家の命を吸い尽くしてしまうのです。年譜によれば、日影は1951年に目黒 の西小山と不動前に住んでいた時期があったとの由。どの辺りの話なのか調べてみたく なりました。「泥汽車」は、日本に類い稀なるファンタジー小説。開発のために消え去る 自然が少年に一瞬の美を見せてくれます。「東天紅」は横溝正史風の陰湿なミステリーと 思わせて、一夜明けて、東京者の抱える怠惰と虚無を白日の下に晒します。「吉備津の釜」 は曰く言い難い危うさに溢れているものの、『剃刀の刃』的に九死に一生を得て幕を閉じ ます。事業に失敗した男が再起を賭けた紹介状を手に行く先は…。単なるホラー、単な るミステリー、単なるファンタジーに終わらないのが最大の魅力です。
  • 「クアトロ・ラガッツィ/天正少年使節と世界帝国」上下(若桑みどり著、集英社文庫)
    読了後しばし、表紙カバーの狩野内膳と光信の「南蛮屏風」を眺めたことです。著者が 美術史家であるからでしょうか。私の脳裏に浮かび上がった絵図は、16世紀に生きた人 物群像のパノラマでした。ルネサンスの華咲くヨーロッパに渡った4人の少年たち(伊 東マンショ、千々石ミゲル、原マルティーノ、中浦ジュリアン)、彼らを送り出したイエ ズス会のヴァリニャーノ、メスキータ、通訳のジョアン・ロドリゲスやフロイス、3人の キリシタン大名(大友宗麟、大村忠純、有馬晴信)がいます。日本の権力者たち(信長、 秀吉、家康に正親町天皇や足利義昭)、欧州の権力者たち(スペイン王フェリペ2世、教 皇グレゴリオ13世、シスト5世)、息を呑むほどカッコ良い高山右近や黒田孝高、転び バテレンのファビアン、フェレイラも忘れ難い。カトリック信仰を布教した者、通商貿 易した者、キリシタンを守護した者、迫害した者、棄教した者、殉教した者、有名無名 を問わず、紹介される歴史上の人物を血の通った人間として描き切った力量に脱帽です。 「西洋文明に接した日本の知識人の態度はふたつしかない。全力で相手にくらいつきマ スターするか。自分が第一者でいられる日本に回帰するか。第三の道は、おそらく西と 東のあいだに橋を架けることである。しかし、そのためには、その双方を学ばなければ ならない」。21世紀に生きる日本人キリスト者としては、否応も無く「第三の道」を選 ばざるを得ません。
  • 「アド・アストラ/スキピオとハンニバル」第9巻(カガノミハチ作、集英社)
    マルケルス麾下、スキピオはシラクサ陥落に大きな功績を上げたことで、インペリウム (指揮権)を授けられ、ヒスパニアに遠征、ハンニバル軍の根拠地と成っていたカルタ ゴ・ノヴァ(現在のカルタヘナ)を奪還します。うーん。シラクサ攻略戦に燃えないのは、 岩明均の『ヘウレーカ』があったせいかと思っていたのですが、カルタゴ・ノヴァ攻略戦 にも乗り切れません。後に、スキピオが同盟を結ぶヌミディアのマシニッサが登場した のが嬉しかったくらいでしょうか。
  • 「怪奇文学大山脈V/西洋近代名作選【諸雑誌氾濫篇】」(荒俣宏編纂、東京創元社)
    英米独のパルプ・マガジンと仏グラン・ギニョル劇からの選集です。中東クルディスタン を舞台にした「悪魔の娘」(E・ホフマン・プライス)がアクションあり、ファンタジーあ り、エロチシズムありの文句なしの傑作。絞首人とジプシー女の駆け引きを描いた「死 を売る男」(R・L・ベレム)は「ロジャー・コーマン・プロ作品」の味わいです。エコロジ ー系SFの先駆のような「アシュトルトの樹林」(J・バカン)は、ロバート・ヤングの小 品と似ています。特筆すべきは「不屈の敵」(W・C・モロー)です。傲慢なインド人藩主 に両手両足を切断されたマレー人が、驚くべき執念と方法で復讐を果たします。奴隷船 の船長がアフリカの女奴隷に呪いを掛けられる「唇」(H・S・ホワイトヘッド)も同系列 でしょう。圧巻は「最後の拷問」(A・ド・ロルド&E・モレル)です。義和団事件の渦中、 仏領事館に立て籠もった人々の恐怖を描いた作品ですが、ショッキングな結末に震えが 来ます。これらの諸作に散見されるのは、西洋人が搾取し続けているアジア人、アフリ カ人に対する嫌悪感と罪悪感です。現代欧米社会を覆っている、イスラムに対する恐怖 感(イスラモフォビア)を見ても、基本的な構図は変わっていないようです。
  • 「改訂・雨月物語」(上田秋成著、鵜月洋訳、角川ソフィア文庫)
    「浅茅が宿」や「蛇性の淫」は、私としては、溝口健二の映画の刷り込みから逃れられ ません。それでも「蛇性」には「道成寺」が登場して驚きました。この辺りの妙味は、 実際に読んでみなければ分かりません。西行法師が崇徳上皇の怨霊と対峙する「白峯」、 良妻翻り死霊と化して、夫と愛人に祟る「吉備津の釜」が素晴らしい。その「吉備津」 のヒロイン、磯良は、やはり、貴志祐介の『十三番目の人格/ISOLA』の元ネタなので しょうね。「青頭巾」は、溺愛する稚児に死なれた住職が屍姦の果てに、その肉を喰らい、 食人鬼と成り果てて村人を襲う話。これが一番ホラーの味わいです。高野山で一夜の野 宿と洒落込んだ旅の親子が、亡霊の大名行列に遭遇して、句を詠まされる「仏法僧」は、 黒澤明の『夢』の「狐の嫁入り」を思い出させます。
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2016年03月07日

一点一画 one jot or one title その30

  • 「ハリウッド黄金期の女優たち」(逢坂剛+南伸坊+三谷幸喜談、七つ森書館)
    何より驚いたのは、18歳のジュリー・アンドリュースのポートレート。映画『スター!』で、彼女がガートルード・ローレンスを演じた時、その娘役は当時16歳のジェニー・アガターでしたが、とても似ているので、今頃になって感心しました。私のベスト3は、『パンドラの箱』のルイーズ・ブルックスは別格として、歌手のレナ・ホーン、『巨星ジーグフェルド』のルイーゼ・ライナー、『タイムマシン』のイヴェット・ミミューです。宗教ネタを拾うと、修道院育ち(コンスタンス・ベネット、ルアナ・ウォルターズ、セシリア・パーカー、ドロシー・マクガイア、マリア・シェル)、カトリック寄宿学校出身(イヴ・アーデン)、カトリック神学校出身(マーガレット・リンゼイ)、修道女志望(グレイス・ムーア)と、今回はカトリック勢が多いです。聖歌隊出身(アイリーン・ダンとジャネット・ブレア)はプロテスタント教会でしょうかね。モルモン教の家庭に育ったフェイ・レイ、「エホバの証人」に入会して引退したジョイス・ホールデンが変り種か。ノーマ・シアラーとマーサ・ハイヤーは、映画プロデューサーと結婚した際に「ユダヤ教に改宗」とあり、ハリウッド映画がユダヤ人の産業だったことを思い出しました。
  • 「チェルノブイリの祈り/未来の物語」(スベトラーナ・アレクシェービッチ著、松本妙子訳、岩波現代文庫)
    巻頭のリュドミーラの証言、巻末のワレンチナの証言。いずれも新婚間も無い夫が消防士として、高所作業組立工として、事故直後のチェルノブイリで作業に当たっています。夫の帰還後に、彼女たちは絶望的で壮絶な看護(誇張ではない!)の果てに、夫の死に直面します。ある看護婦はリュドミーラに「ご主人は人間じゃないの、原子炉なのよ」と言います。ワレンチナは、夫が死んでも「熱いまま横たわっていた。軽くふれることもできなかったんです」と言います。そして、彼女たちの夫の遺体は放射性廃棄物として処理されるのです。これは魂を揺さぶる愛の物語です。チェルノブイリ原発事故という破滅的な大災害(人間が建造した施設ゆえ正確には人災)が、新婚夫婦を引き裂くのです。「解説」で、フォトジャーナリストの広河隆一が「リュドミーラの姿勢は、人間に力を与える。ある意味では聖書よりも仏典よりも深い勇気を与える」と述べています。その通りかも知れません。私たちにとっても、チェルノブイリは過去の事故ではありません。事故から30年、原子炉を封印していた「石棺」は今や崩壊しつつあるそうです。約20トンの核燃料が残ったままの「石棺が崩壊すれば1986年以上に恐ろしい結果になる」と預言されています。当時、事故で放出された放射能は、僅か6日で日本に到達したのですが、アレクシェービッチが本書を完成させるまで11年、日本で翻訳出版されるまで14年の歳月を経ています。そうして漸く語られ、届けられる世界があるのです。
  • 「巨匠とマルガリータ」上下巻(ミハイル・ブルガーコフ著、水野忠夫訳、岩波文庫)
    ハチャメチャで奇想天外で、滑稽でグロテスクで、センチメンタルでロマンチック。だけど、何か筋が一本通っているような小説です。それは、20世紀においても尚、救いを求める人間の魂、その真摯な努力の結晶であるからです。これは結局、ヒロイン、マルガリータと彼女が「巨匠」と呼ぶ不遇の作家、そして「巨匠」の小説の中に登場するヨシュアとピラトゥス、この4人の救済の物語なのでした。悪魔ヴォランドの一党の中では、巨大な黒猫のベゲモート(ベヘモト!)が出色。まるで『猫の恩返し』のデブ猫、ムタさんです。エプロン1つ身に付けて裸で給仕するヘルラも傑作。これって、日本のエロマンガかAVの世界ではありませんか。1940年のスターリン独裁政権下で執筆され、1973年の再評価まで33年間もの歳月を要したのも宜なる哉。「20世紀を代表する文学」とか言われると、身構えてしまいますが、少なくとも私は、夜毎楽しく読み続けることが出来ました。『運命の卵』と同じく、軽くホラーの味付けもあって、幻想文学ファンには十分に楽しめる内容になっています。魔女の箒に跨ってモスクワの夜空を滑空するマルガリータは、窮屈なソビエト体制から解放されて、妄想の世界に遊ぶブルガーコフ自身の魂なのでしょう。
  • 「シュトヘル/悪霊」第12巻(伊藤悠作、小学館)
    死んだ…と思っていた登場人物が、実は死んでいなかった、息を吹き返したというのは、シュトヘルに続いて、これ(ユルール)で二人目。そして現段階で既に三人目も予想されるのです。モンゴルの侵略と殺戮が日常茶飯事で繰り返される本作の世界観の中であれば、尚の事これは禁じ手です。主要人物だけが不死身というのでは、如何にもアンフェアな印象を受けます。作者が彼らの心身を切り刻むことになるのは、恐らく、その補償行為のようなものなのでしょう。
  • 「奥の部屋/ロバート・エイクマン短篇集」(R・エイクマン著、今本渉訳、ちくま庫)
    読んでいて、ふと「やおい」というマンガ用語を思い出しました。「ヤマなし、オチなし、イミなし」という意味ですが、エイクマンの短篇小説にも相通ずるものがあります。しかし、そんな作品群の中でも、突然に山場と思われる瞬間が巡って来るから凄いのです。例えば、表題作で、散歩中に湿地に迷い込んだヒロイン、レーネは、少女時代に母親に廃棄されたドールハウスそのままの邸に遭遇します(これは怖い!)。ベルギー象徴派絵画(文庫本の表紙もクノップフが使用されています)ファン必読の「恍惚」では、絵画愛好家が老婆に妖術をかけられたように身動き取れなくなってしまいます。「何と冷たい小さな君の手よ」では、エドマンドのもとに、電話だけで交流していた謎の女性、ネーラが迫って来ます。「学友」では、メルが入院中の女友だち、サリーのために彼女の古びた邸を訪れます。いずれも、ただならぬ気配を感じます。何か恐ろしい秘密があるようなのですが、主人公も読者も、その核心みたいな部分に辿り着くことが出来ず、宙ぶらりんのまま投げ出されてしまうのです。泉鏡花の言う「たそがれ時」の世界にも通じるかも知れません。
posted by 行人坂教会 at 11:26 | 牧師の書斎から

2016年01月18日

一点一画 one jot or one title その29

一点一画 one jot or one title(続き)
  • 「犬の心臓・運命の卵」(ミハイル・ブルガーコフ著、増本浩子・ヴァレリー・グルチュコ訳、新潮文庫)
    「犬の心臓」は、革命後間もないモスクワ、ある医学者が野良犬に人間の脳下垂体と性器を移植して「新しい人間」を創造しようとしますが、人間としての自我を獲得した結果、どうしようもなく自堕落で卑怯で傲慢な悪漢と化して行く物語です。「運命の卵」は、ある生物学者が生物に成長と繁殖力とを異常に増進させる「赤い光線」を発見しますが、その光線を農産物の増産に利用しようとしたソフホーズ(国営農場)で、巨大なアナコンダやガラガラヘビ、ワニやダチョウの群れが大量発生してしまうのです。人間が喰われて行く描写が、少し意外なくらいに残酷です。アナコンダが中年女を食べる場面では「マーニャの頭は地面からはるか離れた高みにあり、蛇の頭にやさしく寄り添っているように見えた。…それから蛇は顎をはずして口を大きく開き、その頭をマーニャの頭にかぶせた。そしてまるで手袋でもはめるようにマーニャを飲み込み始めた」。保安部員が死ぬ場面では「頭にもう一巻きしたときに頭皮がはがれ、頭蓋骨がメリメリと割れた」。これこそ小説を読む醍醐味です。
  • 「ハザール事典/夢の狩人たちの物語〔男性版〕」(ミロラド・パヴィチ著、工藤幸雄訳、創元社ライブラリー)
    紀元7世紀にカスピ海と黒海の北に栄えたというハザール王国に、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教を代表する識者が集まり、カガン(君主)の御前宗論が開催されます。最初は、レッシングの『賢者ナータン』のような小説かと勘違いしましたが、とんでもありません。3つの宗教の中で伝承された「ハザール問題の覚書」を合本にした「事典」の体裁を取っていますが、その実、1編1編が怪奇と幻想の世界、それがモザイクのように組み合わされているのです。自らの瞼に、見た者を即死させる魔の文字を記した王女、他人の夢から夢へと渡り歩く「夢の狩人」、原初の人「アダム・カドモン」、自分の口で自分の性器から漏れる精を吸う印刷屋、親指が2本ずつある奥方、修道院で写本を担当するサタン…。些か手に余り、読み終わるまでに、たっぷりと時間を費やしてしまいました。それなのに、まるで長い夢から覚めた後のように、この本について説明しようとすると、途端に要領を得なくなってしまうのでした。
  • 「虫めづる姫君/堤中納言物語」(作者未詳、蜂飼耳訳、光文社古典新訳文庫)
    昔、ダリオ・アルジェントのホラーサスペンス『フェノミナ』を観た時、虫たちと交信するヒロインが出て来て、こりゃあ「虫めづる姫君」じゃないかと思ったものです。ヒロインを演じた(当時)十代半ばのジェニファー・コネリーは、長い髪を振り乱して、脅えてくれて、中々そそるものがありました。こうして現代語訳が出てくれる御蔭で、古典の教養のない私たちも、気楽に物語を楽しむことが出来ます。表題作以外で意外に面白かったのが「思いがけない一夜」(思わぬ方にとまりする少将)と「黒い眉墨」(はいずみ)。前者は、姉妹を取り違えたまま、一夜のアバンチュールを楽しむ2人の貴族の話。後者は、ある男が妻を捨てて、新しい恋人を邸に迎え入れる予定が、追い出した妻の詠んだ哀歌にほだされて、よりを戻してしまう話です。勿論、(通い婚とか)現代のモラルが通用しない平安時代が舞台です。そんな異世界で、男たちの欲望に振り回される女たちの姿が愛惜の情を誘います。とは言え、そんなはかなげな風情に、男たちはまた魅かれてしまうのですが。
  • 「なんでもない一日」(シャーリィ・ジャクソン著、市田泉訳、創元推理文庫)
    これから何が起こるのだろうかと思わせぶりな「スミス夫人の蜜月」、存在そのものの危うさを感じさせる「行方不明の少女」や「逢瀬」、これらはミステリー仕立てですが、推理も謎解きもなく、読者は迷子になってしまいます。古い屋敷の古い絵の中に閉じ込められてしまう「お決まりの話題」、死霊に取り憑かれた田舎屋を描いた「家」も、一応ホラー仕立てでありながら、何かジャンルからハミ出した感があります。匿名の手紙を送り付けて悦に入っている老嬢の心理を見事なまでに綴った「悪の可能性」、クレーマーの中年女がデパート中を右往左往する「メルヴィル夫人の買い物」、この辺りが、ごく普通の人たちの中に潜む悪意を活写して作者の真骨頂でしょう。かと思えば、初めて独りで親戚の家へ向かう少年が列車の中で、警察に追われる女性と交流する「レディとの旅」の爽やかさはどうでしょう。お店への苦情、ご近所との係争、契約上のトラブル、子育てのパニックとか、そんな鬱陶しいことを短編小説にして読ませてしまうところが、この人の凄いところです。
  • 「江戸化物草子」(アダム・カバット編、角川ソフィア文庫)
    十返舎一九の草双紙「妖怪一年草」「化物の娵入」「信有奇怪会」、そして「化皮太鼓伝」(「水滸伝」のパロディ)が収録されていて、その軽さ下らなさは特筆に値します。春英や国芳の画もお下劣で感動的です。女性器や男性器を思わせる妖怪の姿も見られます。古文の授業で、「源氏物語」や「枕草子」「奥の細道」を無理強いするよりも、例えば、小学校時代に、これらの絵物語を読ませたら、どんなにウケルことでしょう。まあ、シモネタ満載なので決して実現しないと思いますが、江戸時代の文章と言うのに、私のような者にも原文翻刻がスラスラと読めてしまい、まるで魔法に掛けられたようでした。この本を読み終えようとした日、水木しげる翁の訃報に接しました。「世界凡て妖ならざるはなし。人若き時、恋聟の美なりしも、忽歯落髪白くなりて、ばくばく祖父と化し、花娵の艶なるも、雛より色黒くなりて、歯抜祖母と変わる」。「化皮太鼓伝」の痛快な前口上です。
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2015年11月12日

一点一画 one jot or one title その28

  • 「時間と空間のかなた」(A・E・ヴァン・ヴォークト著、沼沢洽治訳、創元SF文庫)
    知的宇宙生物エズオルと人類の攻防を描いた「第二の解決法」、宇宙植物アイビスが人類を滅亡させるのが「平和樹」、いずれもヴァン・ヴォークトの定番メニューです。貸し出し上映される度に、フィルムの中身が変質する「フィルム・ライブラリー」には、16ミリ映写機の懐かしい匂いを感じました。意外な拾い物は「永遠の秘密」です。ナチスドイツの興亡を、「ケンルーベ装置」という架空の発明品を通して描いて見せます。しかも、この作品、物語を報告書だけで構成するという実験作です。国家権力によって戦争目的のために利用される科学者が、見事に意趣返しを遂げる展開も心地良いです。「避難所」は「宇宙ヴァンパイア」ドリーグ人との絶望的な戦いを描いていますが、いつもながらのドンデン返しは流石です。ただ、私としては、少年のような美少女クラッグ人、パトリシア・アンガーンに、もう少し活躍して欲しかったです。
  • 「日本残酷物語1/貧しき人々のむれ」(宮本常一、山本周五郎、楫西光速、山代巴監修、平凡社)
    五社英雄の映画『御用金』で、幕府の御用金を運ぶ船を座礁させるトリック、あれは全国津々浦々の漁村で、日常的に使われていたのです。山村では、僅かばかりの開墾地を巡って、『七人の侍』のような流血の抗争が繰り広げられています。三浦哲郎の『おろおろ草紙』のネタに成った、天明の大飢饉における人肉食も取り上げられています。後半の「弱き者の世界」では、乞食の生涯、子どもの間引きと堕胎、姥捨て、女性忌避、過酷な炭鉱労働、遊女、からゆきさんの証言が語られていきます。それは、現代日本を象徴する課題であるはずの、貧困家庭とホームレス、幼児虐待と育児放棄、老人施設での暴力、性暴力、売買春と風俗産業の原点を見るようです。貧しさ故に、乳児を放置して農作業や炭鉱労働に従事しなければならず、働けなくなった老人たちは自らを役立たずと蔑み、死に急ぎます、つい50年か百年ほど前には、この貧困が日本の現実であったことを覚えたい。しかも、精神性においては、今も大して変わっていません。巻末には、今村昌平の『女衒/ZEGEN』のモデル、村岡伊平治の波瀾万丈物語もあります。日本の女性たちは、鎖国時代から拉致られて、中国や香港で性奴隷にされていたのですね。
  • 「カフカの『城』他三篇」(森泉岳士作、河出書房新社)
    カフカの『城』、漱石の『こころ』から「先生と私」、ポーの『盗まれた手紙』、ドストエフスキーの『鰐』が短編マンガと成って収録されています。観念的、寓話的、幻想的などと言われて、皆が敬遠する作品ばかりです。物語をなぞるのではなく、その作品の持つ雰囲気を抽出しているのです。あの長大な『城』が僅か16ページのマンガに化けるのですから、凄いと言わざるを得ません。でも、丘の上に建つ城の周りを、いつ終わるともなく巡り歩いているような「悪夢の香り」、『こころ』の朦朧とした感じ等よく出ています。墨汁で描かれた世界ですから、描かれていない余白こそが、この連作の最大の魅力かも知れません。
  • 「風立ちぬ/宮崎駿の妄想カムバック」(宮崎駿作、大日本絵画)
    とにかく全ては、堀越次郎設計の九単(三菱KA−14九試単座戦闘機)の美しい機体に奉げられているのです。九単は、後の九六艦戦(九六式艦上戦闘機)や零戦(零式艦上戦闘機)の原型に成る試作品。しかし、「逆ガル」の主翼が大変に美しいのです。「逆ガル」とは、「ガル」(カモメ)のM字形に見える主翼と逆に、W字形に成っている主翼のことです。結局、映画『風立ちぬ』も、この「逆ガル」を見て、ビリッと戦慄が走るかどうかで、作品の評価が分かれてしまうでしょう。因みに、私の息子たちは「映画を観ても何も感じなかった」「意味不明だった」と言います。そりゃあそうです。プラモデルも作ったことがないのですから。
  • 「ミス・ブロウディの青春」(ミュリエル・スパーク著、岡照雄訳、白水社)
    1967年に映画化されています。残念ながら私が覚えているのは、サンディを演じたパメラ・フランクリンが美術教師のヌードモデルになる場面だけです。但し、ロッド・マッケンの主題歌「ジーン」は大好きで、数年前のクリスマス会で披露したことがあります。原作は、実に苦み走った味わい。女子学園中等部のブロウディ先生は6人の生徒を選んで、彼女が信じる「エリート教育」を施します。女生徒たちは高等部に進んでも尚「ブロウディ組」として個性を発揮します。しかし、そんな「最良の時/the prime」も、やがて終わりを告げます。物語は20年後の時点から回顧されているのです。それこそは、彼女たちが成長した証なのですが、それでも彼女たちの「最良の時」はあの時代だったと認めざるを得ないのです。単なる郷愁や懐古趣味ではありません。多感な少女期に強烈な個性と溢れる情熱を持った人物と出会い、その影響を受けてしまうということは、それ程に喜ばしく、また同時に(一種のトラウマのような)苦々しい体験なのです。
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2015年10月09日

一点一画 one jot or one title(続き)その27

  • 「灯台守の話」(ジャネット・ウィンターソン著、岸本佐和子訳、白水社)
    久しぶりに心が震えた読書体験でした。母親の死後、孤児となって、灯台守の見習いとして住み込むことになった少女シルバー、そして彼女に物語の力を与える盲目の灯台守ピュー、この二人の魂の交流が描かれます。更に、百年前に、その教区の牧師を務めたバベル・ダークの二重生活の謎が語られていきます(最終的には、三人の魂の交流か)。著者は、熱狂的なペンテコステ派の両親の下、女説教師となるべく育てられるも、同性を愛したがために教団を追放され、自活しながら独学でオックスフォードに入学したそうです。ですから、そのレトリックには、聖書を思わせる確信犯的なイメージの共鳴があり、生硬に見えて、実は思索と推敲を重ねた言葉が綴られているのです。初期設定こそ、ギャリコの『スノー・グース』やグラスの『ブリキの太鼓』を連想させますが、どうしてどうして、これまで全く読んだことのないような展開です。そう言えば、シルバーが灯台生活から追放された後の章が「新しい惑星」の表題でした。灯台での暮らしは、まるで宇宙ステーションのようでもあった訳です。宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』にも通じる、闇の中に灯火が瞬く世界です。
  • 「大映セクシー女優の世界」(上妻祥浩著、河出書房新社)
    採り上げられているのは、1968〜71年の3年間、倒産寸前の大映が断末魔のようにして量産した「性春映画」です。八並映子、渥美マリ、八代順子、笠原玲子、関根恵子、松坂慶子などが出演した作品群です。私は著者より6歳年長ですが、ローカルテレビ局の深夜映画番組で、関根の『遊び』や渥美の『でんきくらげ』(いずれも増村保造監督作品)に出会って、衝撃を受けた経験は共通しています。特に『遊び』には深い愛着があり、放映される度に観たものです。少年と少女が河の中の浮島に向かって泳いで行くラストシーンの切なさは、生涯忘れることはありません(野坂昭如原作だけに、『火垂るの墓』と同じ感触がある)。熊本のローカル局(RKK)放映のデータを集積したり、1969年に渥美マリが熊本市の写真撮影会に来演していることを突き止めたり、著者の情熱には頭が下がります。
  • 「修験道/魔と呪いの系譜」(滝沢解著、KKロングセラーズ)
    数珠はバラモンの法具「Japa」に由来し、西欧で直訳されて「ロザリオ/薔薇の花」に成ったとか、そんな話が延々と披露される訳で、楽しい限り。ザビエルの案内を務めたアンジロー(鮫島彌次郎?)が「鮫島円成坊」なる山伏として活動していたというエピソードに心惹かれました。熊野の奥、玉置神社に行こうとして、岩場で進退窮まった体験談で、「荒御霊」をもって迎えられたと解釈し、「無理しなくて良かった」と安堵する辺り、修験者ならぬ我々も一緒にホッとしていました。但し、最終章「マンダラの気圧配置」に関しては、著者自身が手探り状態であるせいか、それまでのボルテージが一気に落ちて、門外漢の私などは投げてしまいました。その件を差し引いても、お釣りは来ます。現在78歳という年齢で、こんなポップな文章を書くのかと感動して買った1冊でした。やはり「難しいことを優しく」説明する人が一番偉いです。
  • 「アド・アストラ/スキピオとハンニバル」第8巻(カガノミハチ作、集英社)
    遂にシラクサの攻囲戦、「アルキメデスの器械」の登場です。しかし、これは既に、岩明均が『ヘウレーカ』でやってしまっているので、作者の苦心の跡が随所に見られます。「鉤爪」の攻撃なども、ローマの軍船側から描くので、意識して構図も変えてあります。「スパルタのダミッポス」も登場させるのですが(『ヘウレーカ』の愛読者としては複雑な気分)、まあ、面白ければ何でもありです。
  • 「プリニウス」第3巻(とり・みき+ヤマザキマリ作、新潮社)
    プリニウス一行は頽廃の都ローマを跡にして、ウェスウィウス火山の麓までやって来ます。やはり、皇帝ネロの自堕落な生活なんかよりも、大きな蛸が水揚げされたり、突然、温泉が湧き出したり、亜硫酸ガスで羊の群れが死んでいたり、天変地異の前兆に、プリニウスが遭遇していく、これこそが本題でしょう。こちらとしては、古代版の「SRI」(『怪奇大作戦』)みたいなことを期待している訳ですよ。こっそり、小プリニウスを登場させたりするのも、中々心憎い演出ではあります。
  • 「岸辺のヤービ」(梨木香歩著、小沢さかえ画、福音館)
    背の低い幼児の目線が捉える世界は、私が見ている世界とは絶対に違うはずだと思います。私自身のことを言えば、二男の車椅子を押して、一緒に街を歩いていると、彼が不思議な何かや面白い何かを発見することが多いのです。勿論、彼が指摘してくれなければ、こちらは目にも入らなかったものたちです。この物語の「ウタドリ先生」も、湖沼にボートを浮かべて、何気なく岸辺を眺めていた時、ヤービという小さな生きものに出会います。そもそも通常の目線とは全く異なる世界の見方をしていたのです。ですから、従来の人生や生活に行き詰ったり、これまでの価値観に限界を感じたり、仕事や作業が煮詰まったりした時には、実際に、そうしてみるだけで良いのです。妖精や妖怪、トロルやエルフに出会う一番簡単な方法です。それにしても、久々に素敵な本を手にすることが出来ました。
posted by 行人坂教会 at 14:50 | 牧師の書斎から