2016年07月08日

一点一画 one jot or one title その32

  • 「昭和の女優/官能・エロ映画の時代」(大高宏雄著、鹿砦社)
    以前に観て衝撃を受け、改めて観直してみると、記憶した映像や展開と食い違っている ことがあります。著者も『非行少年/陽の出の叫び』における三条泰子の映像(の記憶) に、その種の錯覚を見出しています。「その微妙な勘違い、否、差異こそ、映画の面白さ であり、映画の秘密を解く鍵であるとさえ言える。とともに、その勘違いのなかに、そ の人なりの映画を観る根源的な意味が含まれていると感じるのである」。「勘違いを飲み 込む見方もまた、映画には許されるであろう。末梢的な細部の描写をDVDで何回も見 て、正確をきす風潮があるが、それだと、同時代に観た映画の大切な魂≠ェ失われて いくこともあるのである」。京マチ子、前田通子、三原葉子、若尾文子、左幸子、加賀ま りこ、春川ますみ、団令子、安田(大楠)道代、渥美マリ、関根恵子(高橋惠子)…。映 画は女優で観るものだと、つくづく再確認します。増村保造監督作品が数多く採り上げ られているのも、私の趣味と一致しています。『赤い天使』『セックス・チェック/第二の 性』『でんきくらげ』『遊び』の論評は、自然、力の入り具合が違って来ているようです。
  • 「HUNTER×HUNTER」第33巻「厄災」(冨樫義博作、集英社)
    長男が「連載では今、クラピカとクロロ(幻影旅団の団長)が戦っているよ」と教えて くれました。しばらくして、続巻コミックスも出たと知り、早速購入しました。それに しても、この文字の多さは何でしょうか、士郎正宗の『攻殻機動隊』に匹敵するでしょ う。その上、この登場人物の多さは何でしょうか。まさか作者は、丸ごと「暗黒大陸」 に連れて行って、全員を虐殺するつもりではないでしょうか。そういう清算の仕方を企 てているのかと邪推したく成ります。本来、主人公であるはずのゴンとキルアを外して いるのも、「キメラアント編」の時のように、後から送り込むつもりなのでしょうか。読 み終えた数日後、長男から情報が入りました。「また、冨樫、休載だってよ」。丁度、テ レビでは、アニメ『美少女戦士セーラームーン』の再放送「ムーンライト伝説」が流れ ていました。「ごめんね 素直じゃなくて…」。
  • 「阿呆の鳥飼」(内田百闥、中公文庫)
    うちの教会の会員の娘さんが表紙カバーの木版画を担当しています。百閧フ小説は随想 のようであり、その随想は小説のようです。「私は小さい時分から小鳥が好きで、色色な 鳥を飼ったり、殺したりしました」という巻頭のさり気ない告白から、胸が疼きます。 人間が生き物を飼うことは、即ち、殺すことに通じるのです。「飼い殺し」と言うくらい です。衰弱する目白や仏法僧を夜通し手の中で温めて介護し、眼を患った柄長の世話を 甲斐甲斐しく焼き、家から飛び立ってしまった河原鶸の行く末を思ってオロオロする、 その愛惜の深さに切なく成ります。しかし、他方、捕らえた鼠に石油を掛けて焼き殺す 話、蛸の頭に刻み煙草のお灸を据えて息絶えさせる話、飼い猫の股を掴んでギュッと泣 かせる話、栗鼠を衝動買いした挙句にボール函に入れたままで死なせてしまう話、酷薄 な懺悔のようなエピソードも満載です。その振幅の激しさは、飼うという営みの本質を よくよく言い表わしているように思います。
  • 「日時計」(シャーリィ・ジャクソン著、渡辺庸子訳、文遊社)
    訳者は「あとがき」で「この物語には友達になりたいと思える人物がひとりも出てきま せん」と断言していますが、私にとっては、主要登場人物全員がごく身近な人たちに思 われたのでした。教会の牧師などという稼業のせいかも知れません。全く違和感がない のです。私にとっては、皆、興味深い、愛すべき人物と思われたのでした。終末を迎え るに当たって、ハロラン家の「お屋敷」が「ノアの箱舟」に成る、そんなお告げを受け て、各々一癖も二癖もある訳ありな人たちが擬似家族を形成しながら、その日に備えて 準備をして行くのです。それは、クリスマスやイースターの準備をしている時(アドベ ントやレント)の教会生活そのものです。加えて、小学生の頃、土曜日の午後、雨戸を 閉めて居間を暗くして、「えび満月」(煎餅)片手に、妹と一緒にテレビの『ウルトラゾ ーン』(『アウター・リミッツ』第2シーズン)を見ていた時の情景が脳裏に蘇えって来ま した。
  • 「プリニウス」第4巻(ヤマザキマリ+とり・みき作、新潮社)
    紀元62年に起こったポンペイ大地震を描いています。ウェスウィウス噴火の可能性を 語るプリニウスに、護衛のフェリクスは「縁起でもない!」と諫めます。「自然が己の力 で動く事の何が縁起が悪いのだ。なぜそうやって自分の命のつごう優先で物事を考えよ うとするのだ?!」と反論するプリニウス。自然の力の前に、人間の作り上げた文明?、 いや、インフラは一瞬にして脆くも潰え去るのです。善でも悪でもなく、これこそが世 の現実です。東日本大震災の時にも「神はいるのか!」と、これ見よがしに無神論的キ ャンペーンがありました。けれども、カタストロフを採り上げて、殊更に神や仏を呪う のは筋違いというものです。ただ、私たちの存在も、私たちの文明も、余りにも卑小で あるという事に尽きるのです。そう言えば、ポッパエアによるブッルスとオクタヴィア の暗殺、謎のユダヤ人の暗躍、呪詛板やキリスト教も登場します。盛り沢山のローマ史 です。
  • 「見た人の怪談集」(岡本綺堂他著、河出文庫)
    鏡花「海異記」、鷗外「蛇」、芥川「妙な話」、佐藤春夫「化物屋敷」の4篇は『日本怪奇 小説傑作集T』(創元推理文庫)で、小泉八雲「日本海に沿うて」、岡本綺堂「停車場の 少女」もどこかで読んでいます。15篇中6篇ですから、3分の1以上が再読だった訳で す。この手のダブリはアンソロジーに付きものですが、それでも、この本の「見た人の…」 という編集意図に脆弱さを感じないではいられません。展開そのものよりも、シニカル な文章が光っていたのが、正宗白鳥「幽霊」です。「大本教でもモルモン宗でも、何でも いいが…肉体を離れて魂魄が無いものなら、基督も釈迦も、お直婆さんやおみき婆さん と同じように痴愚の教えを説いて、幾億万の人間をたぶらかしたのだ」。猟奇的なオチが 控える橘外男「蒲団」、どこか陰惨な印象を残す角田喜久雄「沼垂の女」が私の好みです。 田中貢太郎「竃の中の顔」、大佛次郎「手首」は、古典の味わいの中にも、江戸時代の無 残絵を思わす、独特の残酷趣味が漂っています。
posted by 行人坂教会 at 10:14 | 牧師の書斎から

2016年05月25日

一点一画 one jot or one title その31

  • 「日影丈吉傑作館」(日影丈吉著、河出文庫)
    目黒の住人としては、「呪いの家」を描いた「ひこばえ」を第一に挙げない訳には参りま せん。「G坂の方からM通に出て芝公園を抜け都心に出る道」「M通にむかう正面に、い つもあらわれるのがその家だった」とあります。この家は「瓦斯会社の出張所」で、結 局、住人一家の命を吸い尽くしてしまうのです。年譜によれば、日影は1951年に目黒 の西小山と不動前に住んでいた時期があったとの由。どの辺りの話なのか調べてみたく なりました。「泥汽車」は、日本に類い稀なるファンタジー小説。開発のために消え去る 自然が少年に一瞬の美を見せてくれます。「東天紅」は横溝正史風の陰湿なミステリーと 思わせて、一夜明けて、東京者の抱える怠惰と虚無を白日の下に晒します。「吉備津の釜」 は曰く言い難い危うさに溢れているものの、『剃刀の刃』的に九死に一生を得て幕を閉じ ます。事業に失敗した男が再起を賭けた紹介状を手に行く先は…。単なるホラー、単な るミステリー、単なるファンタジーに終わらないのが最大の魅力です。
  • 「クアトロ・ラガッツィ/天正少年使節と世界帝国」上下(若桑みどり著、集英社文庫)
    読了後しばし、表紙カバーの狩野内膳と光信の「南蛮屏風」を眺めたことです。著者が 美術史家であるからでしょうか。私の脳裏に浮かび上がった絵図は、16世紀に生きた人 物群像のパノラマでした。ルネサンスの華咲くヨーロッパに渡った4人の少年たち(伊 東マンショ、千々石ミゲル、原マルティーノ、中浦ジュリアン)、彼らを送り出したイエ ズス会のヴァリニャーノ、メスキータ、通訳のジョアン・ロドリゲスやフロイス、3人の キリシタン大名(大友宗麟、大村忠純、有馬晴信)がいます。日本の権力者たち(信長、 秀吉、家康に正親町天皇や足利義昭)、欧州の権力者たち(スペイン王フェリペ2世、教 皇グレゴリオ13世、シスト5世)、息を呑むほどカッコ良い高山右近や黒田孝高、転び バテレンのファビアン、フェレイラも忘れ難い。カトリック信仰を布教した者、通商貿 易した者、キリシタンを守護した者、迫害した者、棄教した者、殉教した者、有名無名 を問わず、紹介される歴史上の人物を血の通った人間として描き切った力量に脱帽です。 「西洋文明に接した日本の知識人の態度はふたつしかない。全力で相手にくらいつきマ スターするか。自分が第一者でいられる日本に回帰するか。第三の道は、おそらく西と 東のあいだに橋を架けることである。しかし、そのためには、その双方を学ばなければ ならない」。21世紀に生きる日本人キリスト者としては、否応も無く「第三の道」を選 ばざるを得ません。
  • 「アド・アストラ/スキピオとハンニバル」第9巻(カガノミハチ作、集英社)
    マルケルス麾下、スキピオはシラクサ陥落に大きな功績を上げたことで、インペリウム (指揮権)を授けられ、ヒスパニアに遠征、ハンニバル軍の根拠地と成っていたカルタ ゴ・ノヴァ(現在のカルタヘナ)を奪還します。うーん。シラクサ攻略戦に燃えないのは、 岩明均の『ヘウレーカ』があったせいかと思っていたのですが、カルタゴ・ノヴァ攻略戦 にも乗り切れません。後に、スキピオが同盟を結ぶヌミディアのマシニッサが登場した のが嬉しかったくらいでしょうか。
  • 「怪奇文学大山脈V/西洋近代名作選【諸雑誌氾濫篇】」(荒俣宏編纂、東京創元社)
    英米独のパルプ・マガジンと仏グラン・ギニョル劇からの選集です。中東クルディスタン を舞台にした「悪魔の娘」(E・ホフマン・プライス)がアクションあり、ファンタジーあ り、エロチシズムありの文句なしの傑作。絞首人とジプシー女の駆け引きを描いた「死 を売る男」(R・L・ベレム)は「ロジャー・コーマン・プロ作品」の味わいです。エコロジ ー系SFの先駆のような「アシュトルトの樹林」(J・バカン)は、ロバート・ヤングの小 品と似ています。特筆すべきは「不屈の敵」(W・C・モロー)です。傲慢なインド人藩主 に両手両足を切断されたマレー人が、驚くべき執念と方法で復讐を果たします。奴隷船 の船長がアフリカの女奴隷に呪いを掛けられる「唇」(H・S・ホワイトヘッド)も同系列 でしょう。圧巻は「最後の拷問」(A・ド・ロルド&E・モレル)です。義和団事件の渦中、 仏領事館に立て籠もった人々の恐怖を描いた作品ですが、ショッキングな結末に震えが 来ます。これらの諸作に散見されるのは、西洋人が搾取し続けているアジア人、アフリ カ人に対する嫌悪感と罪悪感です。現代欧米社会を覆っている、イスラムに対する恐怖 感(イスラモフォビア)を見ても、基本的な構図は変わっていないようです。
  • 「改訂・雨月物語」(上田秋成著、鵜月洋訳、角川ソフィア文庫)
    「浅茅が宿」や「蛇性の淫」は、私としては、溝口健二の映画の刷り込みから逃れられ ません。それでも「蛇性」には「道成寺」が登場して驚きました。この辺りの妙味は、 実際に読んでみなければ分かりません。西行法師が崇徳上皇の怨霊と対峙する「白峯」、 良妻翻り死霊と化して、夫と愛人に祟る「吉備津の釜」が素晴らしい。その「吉備津」 のヒロイン、磯良は、やはり、貴志祐介の『十三番目の人格/ISOLA』の元ネタなので しょうね。「青頭巾」は、溺愛する稚児に死なれた住職が屍姦の果てに、その肉を喰らい、 食人鬼と成り果てて村人を襲う話。これが一番ホラーの味わいです。高野山で一夜の野 宿と洒落込んだ旅の親子が、亡霊の大名行列に遭遇して、句を詠まされる「仏法僧」は、 黒澤明の『夢』の「狐の嫁入り」を思い出させます。
posted by 行人坂教会 at 13:35 | 牧師の書斎から

2016年03月07日

一点一画 one jot or one title その30

  • 「ハリウッド黄金期の女優たち」(逢坂剛+南伸坊+三谷幸喜談、七つ森書館)
    何より驚いたのは、18歳のジュリー・アンドリュースのポートレート。映画『スター!』で、彼女がガートルード・ローレンスを演じた時、その娘役は当時16歳のジェニー・アガターでしたが、とても似ているので、今頃になって感心しました。私のベスト3は、『パンドラの箱』のルイーズ・ブルックスは別格として、歌手のレナ・ホーン、『巨星ジーグフェルド』のルイーゼ・ライナー、『タイムマシン』のイヴェット・ミミューです。宗教ネタを拾うと、修道院育ち(コンスタンス・ベネット、ルアナ・ウォルターズ、セシリア・パーカー、ドロシー・マクガイア、マリア・シェル)、カトリック寄宿学校出身(イヴ・アーデン)、カトリック神学校出身(マーガレット・リンゼイ)、修道女志望(グレイス・ムーア)と、今回はカトリック勢が多いです。聖歌隊出身(アイリーン・ダンとジャネット・ブレア)はプロテスタント教会でしょうかね。モルモン教の家庭に育ったフェイ・レイ、「エホバの証人」に入会して引退したジョイス・ホールデンが変り種か。ノーマ・シアラーとマーサ・ハイヤーは、映画プロデューサーと結婚した際に「ユダヤ教に改宗」とあり、ハリウッド映画がユダヤ人の産業だったことを思い出しました。
  • 「チェルノブイリの祈り/未来の物語」(スベトラーナ・アレクシェービッチ著、松本妙子訳、岩波現代文庫)
    巻頭のリュドミーラの証言、巻末のワレンチナの証言。いずれも新婚間も無い夫が消防士として、高所作業組立工として、事故直後のチェルノブイリで作業に当たっています。夫の帰還後に、彼女たちは絶望的で壮絶な看護(誇張ではない!)の果てに、夫の死に直面します。ある看護婦はリュドミーラに「ご主人は人間じゃないの、原子炉なのよ」と言います。ワレンチナは、夫が死んでも「熱いまま横たわっていた。軽くふれることもできなかったんです」と言います。そして、彼女たちの夫の遺体は放射性廃棄物として処理されるのです。これは魂を揺さぶる愛の物語です。チェルノブイリ原発事故という破滅的な大災害(人間が建造した施設ゆえ正確には人災)が、新婚夫婦を引き裂くのです。「解説」で、フォトジャーナリストの広河隆一が「リュドミーラの姿勢は、人間に力を与える。ある意味では聖書よりも仏典よりも深い勇気を与える」と述べています。その通りかも知れません。私たちにとっても、チェルノブイリは過去の事故ではありません。事故から30年、原子炉を封印していた「石棺」は今や崩壊しつつあるそうです。約20トンの核燃料が残ったままの「石棺が崩壊すれば1986年以上に恐ろしい結果になる」と預言されています。当時、事故で放出された放射能は、僅か6日で日本に到達したのですが、アレクシェービッチが本書を完成させるまで11年、日本で翻訳出版されるまで14年の歳月を経ています。そうして漸く語られ、届けられる世界があるのです。
  • 「巨匠とマルガリータ」上下巻(ミハイル・ブルガーコフ著、水野忠夫訳、岩波文庫)
    ハチャメチャで奇想天外で、滑稽でグロテスクで、センチメンタルでロマンチック。だけど、何か筋が一本通っているような小説です。それは、20世紀においても尚、救いを求める人間の魂、その真摯な努力の結晶であるからです。これは結局、ヒロイン、マルガリータと彼女が「巨匠」と呼ぶ不遇の作家、そして「巨匠」の小説の中に登場するヨシュアとピラトゥス、この4人の救済の物語なのでした。悪魔ヴォランドの一党の中では、巨大な黒猫のベゲモート(ベヘモト!)が出色。まるで『猫の恩返し』のデブ猫、ムタさんです。エプロン1つ身に付けて裸で給仕するヘルラも傑作。これって、日本のエロマンガかAVの世界ではありませんか。1940年のスターリン独裁政権下で執筆され、1973年の再評価まで33年間もの歳月を要したのも宜なる哉。「20世紀を代表する文学」とか言われると、身構えてしまいますが、少なくとも私は、夜毎楽しく読み続けることが出来ました。『運命の卵』と同じく、軽くホラーの味付けもあって、幻想文学ファンには十分に楽しめる内容になっています。魔女の箒に跨ってモスクワの夜空を滑空するマルガリータは、窮屈なソビエト体制から解放されて、妄想の世界に遊ぶブルガーコフ自身の魂なのでしょう。
  • 「シュトヘル/悪霊」第12巻(伊藤悠作、小学館)
    死んだ…と思っていた登場人物が、実は死んでいなかった、息を吹き返したというのは、シュトヘルに続いて、これ(ユルール)で二人目。そして現段階で既に三人目も予想されるのです。モンゴルの侵略と殺戮が日常茶飯事で繰り返される本作の世界観の中であれば、尚の事これは禁じ手です。主要人物だけが不死身というのでは、如何にもアンフェアな印象を受けます。作者が彼らの心身を切り刻むことになるのは、恐らく、その補償行為のようなものなのでしょう。
  • 「奥の部屋/ロバート・エイクマン短篇集」(R・エイクマン著、今本渉訳、ちくま庫)
    読んでいて、ふと「やおい」というマンガ用語を思い出しました。「ヤマなし、オチなし、イミなし」という意味ですが、エイクマンの短篇小説にも相通ずるものがあります。しかし、そんな作品群の中でも、突然に山場と思われる瞬間が巡って来るから凄いのです。例えば、表題作で、散歩中に湿地に迷い込んだヒロイン、レーネは、少女時代に母親に廃棄されたドールハウスそのままの邸に遭遇します(これは怖い!)。ベルギー象徴派絵画(文庫本の表紙もクノップフが使用されています)ファン必読の「恍惚」では、絵画愛好家が老婆に妖術をかけられたように身動き取れなくなってしまいます。「何と冷たい小さな君の手よ」では、エドマンドのもとに、電話だけで交流していた謎の女性、ネーラが迫って来ます。「学友」では、メルが入院中の女友だち、サリーのために彼女の古びた邸を訪れます。いずれも、ただならぬ気配を感じます。何か恐ろしい秘密があるようなのですが、主人公も読者も、その核心みたいな部分に辿り着くことが出来ず、宙ぶらりんのまま投げ出されてしまうのです。泉鏡花の言う「たそがれ時」の世界にも通じるかも知れません。
posted by 行人坂教会 at 11:26 | 牧師の書斎から

2016年01月18日

一点一画 one jot or one title その29

一点一画 one jot or one title(続き)
  • 「犬の心臓・運命の卵」(ミハイル・ブルガーコフ著、増本浩子・ヴァレリー・グルチュコ訳、新潮文庫)
    「犬の心臓」は、革命後間もないモスクワ、ある医学者が野良犬に人間の脳下垂体と性器を移植して「新しい人間」を創造しようとしますが、人間としての自我を獲得した結果、どうしようもなく自堕落で卑怯で傲慢な悪漢と化して行く物語です。「運命の卵」は、ある生物学者が生物に成長と繁殖力とを異常に増進させる「赤い光線」を発見しますが、その光線を農産物の増産に利用しようとしたソフホーズ(国営農場)で、巨大なアナコンダやガラガラヘビ、ワニやダチョウの群れが大量発生してしまうのです。人間が喰われて行く描写が、少し意外なくらいに残酷です。アナコンダが中年女を食べる場面では「マーニャの頭は地面からはるか離れた高みにあり、蛇の頭にやさしく寄り添っているように見えた。…それから蛇は顎をはずして口を大きく開き、その頭をマーニャの頭にかぶせた。そしてまるで手袋でもはめるようにマーニャを飲み込み始めた」。保安部員が死ぬ場面では「頭にもう一巻きしたときに頭皮がはがれ、頭蓋骨がメリメリと割れた」。これこそ小説を読む醍醐味です。
  • 「ハザール事典/夢の狩人たちの物語〔男性版〕」(ミロラド・パヴィチ著、工藤幸雄訳、創元社ライブラリー)
    紀元7世紀にカスピ海と黒海の北に栄えたというハザール王国に、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教を代表する識者が集まり、カガン(君主)の御前宗論が開催されます。最初は、レッシングの『賢者ナータン』のような小説かと勘違いしましたが、とんでもありません。3つの宗教の中で伝承された「ハザール問題の覚書」を合本にした「事典」の体裁を取っていますが、その実、1編1編が怪奇と幻想の世界、それがモザイクのように組み合わされているのです。自らの瞼に、見た者を即死させる魔の文字を記した王女、他人の夢から夢へと渡り歩く「夢の狩人」、原初の人「アダム・カドモン」、自分の口で自分の性器から漏れる精を吸う印刷屋、親指が2本ずつある奥方、修道院で写本を担当するサタン…。些か手に余り、読み終わるまでに、たっぷりと時間を費やしてしまいました。それなのに、まるで長い夢から覚めた後のように、この本について説明しようとすると、途端に要領を得なくなってしまうのでした。
  • 「虫めづる姫君/堤中納言物語」(作者未詳、蜂飼耳訳、光文社古典新訳文庫)
    昔、ダリオ・アルジェントのホラーサスペンス『フェノミナ』を観た時、虫たちと交信するヒロインが出て来て、こりゃあ「虫めづる姫君」じゃないかと思ったものです。ヒロインを演じた(当時)十代半ばのジェニファー・コネリーは、長い髪を振り乱して、脅えてくれて、中々そそるものがありました。こうして現代語訳が出てくれる御蔭で、古典の教養のない私たちも、気楽に物語を楽しむことが出来ます。表題作以外で意外に面白かったのが「思いがけない一夜」(思わぬ方にとまりする少将)と「黒い眉墨」(はいずみ)。前者は、姉妹を取り違えたまま、一夜のアバンチュールを楽しむ2人の貴族の話。後者は、ある男が妻を捨てて、新しい恋人を邸に迎え入れる予定が、追い出した妻の詠んだ哀歌にほだされて、よりを戻してしまう話です。勿論、(通い婚とか)現代のモラルが通用しない平安時代が舞台です。そんな異世界で、男たちの欲望に振り回される女たちの姿が愛惜の情を誘います。とは言え、そんなはかなげな風情に、男たちはまた魅かれてしまうのですが。
  • 「なんでもない一日」(シャーリィ・ジャクソン著、市田泉訳、創元推理文庫)
    これから何が起こるのだろうかと思わせぶりな「スミス夫人の蜜月」、存在そのものの危うさを感じさせる「行方不明の少女」や「逢瀬」、これらはミステリー仕立てですが、推理も謎解きもなく、読者は迷子になってしまいます。古い屋敷の古い絵の中に閉じ込められてしまう「お決まりの話題」、死霊に取り憑かれた田舎屋を描いた「家」も、一応ホラー仕立てでありながら、何かジャンルからハミ出した感があります。匿名の手紙を送り付けて悦に入っている老嬢の心理を見事なまでに綴った「悪の可能性」、クレーマーの中年女がデパート中を右往左往する「メルヴィル夫人の買い物」、この辺りが、ごく普通の人たちの中に潜む悪意を活写して作者の真骨頂でしょう。かと思えば、初めて独りで親戚の家へ向かう少年が列車の中で、警察に追われる女性と交流する「レディとの旅」の爽やかさはどうでしょう。お店への苦情、ご近所との係争、契約上のトラブル、子育てのパニックとか、そんな鬱陶しいことを短編小説にして読ませてしまうところが、この人の凄いところです。
  • 「江戸化物草子」(アダム・カバット編、角川ソフィア文庫)
    十返舎一九の草双紙「妖怪一年草」「化物の娵入」「信有奇怪会」、そして「化皮太鼓伝」(「水滸伝」のパロディ)が収録されていて、その軽さ下らなさは特筆に値します。春英や国芳の画もお下劣で感動的です。女性器や男性器を思わせる妖怪の姿も見られます。古文の授業で、「源氏物語」や「枕草子」「奥の細道」を無理強いするよりも、例えば、小学校時代に、これらの絵物語を読ませたら、どんなにウケルことでしょう。まあ、シモネタ満載なので決して実現しないと思いますが、江戸時代の文章と言うのに、私のような者にも原文翻刻がスラスラと読めてしまい、まるで魔法に掛けられたようでした。この本を読み終えようとした日、水木しげる翁の訃報に接しました。「世界凡て妖ならざるはなし。人若き時、恋聟の美なりしも、忽歯落髪白くなりて、ばくばく祖父と化し、花娵の艶なるも、雛より色黒くなりて、歯抜祖母と変わる」。「化皮太鼓伝」の痛快な前口上です。
posted by 行人坂教会 at 16:22 | 牧師の書斎から

2015年11月12日

一点一画 one jot or one title その28

  • 「時間と空間のかなた」(A・E・ヴァン・ヴォークト著、沼沢洽治訳、創元SF文庫)
    知的宇宙生物エズオルと人類の攻防を描いた「第二の解決法」、宇宙植物アイビスが人類を滅亡させるのが「平和樹」、いずれもヴァン・ヴォークトの定番メニューです。貸し出し上映される度に、フィルムの中身が変質する「フィルム・ライブラリー」には、16ミリ映写機の懐かしい匂いを感じました。意外な拾い物は「永遠の秘密」です。ナチスドイツの興亡を、「ケンルーベ装置」という架空の発明品を通して描いて見せます。しかも、この作品、物語を報告書だけで構成するという実験作です。国家権力によって戦争目的のために利用される科学者が、見事に意趣返しを遂げる展開も心地良いです。「避難所」は「宇宙ヴァンパイア」ドリーグ人との絶望的な戦いを描いていますが、いつもながらのドンデン返しは流石です。ただ、私としては、少年のような美少女クラッグ人、パトリシア・アンガーンに、もう少し活躍して欲しかったです。
  • 「日本残酷物語1/貧しき人々のむれ」(宮本常一、山本周五郎、楫西光速、山代巴監修、平凡社)
    五社英雄の映画『御用金』で、幕府の御用金を運ぶ船を座礁させるトリック、あれは全国津々浦々の漁村で、日常的に使われていたのです。山村では、僅かばかりの開墾地を巡って、『七人の侍』のような流血の抗争が繰り広げられています。三浦哲郎の『おろおろ草紙』のネタに成った、天明の大飢饉における人肉食も取り上げられています。後半の「弱き者の世界」では、乞食の生涯、子どもの間引きと堕胎、姥捨て、女性忌避、過酷な炭鉱労働、遊女、からゆきさんの証言が語られていきます。それは、現代日本を象徴する課題であるはずの、貧困家庭とホームレス、幼児虐待と育児放棄、老人施設での暴力、性暴力、売買春と風俗産業の原点を見るようです。貧しさ故に、乳児を放置して農作業や炭鉱労働に従事しなければならず、働けなくなった老人たちは自らを役立たずと蔑み、死に急ぎます、つい50年か百年ほど前には、この貧困が日本の現実であったことを覚えたい。しかも、精神性においては、今も大して変わっていません。巻末には、今村昌平の『女衒/ZEGEN』のモデル、村岡伊平治の波瀾万丈物語もあります。日本の女性たちは、鎖国時代から拉致られて、中国や香港で性奴隷にされていたのですね。
  • 「カフカの『城』他三篇」(森泉岳士作、河出書房新社)
    カフカの『城』、漱石の『こころ』から「先生と私」、ポーの『盗まれた手紙』、ドストエフスキーの『鰐』が短編マンガと成って収録されています。観念的、寓話的、幻想的などと言われて、皆が敬遠する作品ばかりです。物語をなぞるのではなく、その作品の持つ雰囲気を抽出しているのです。あの長大な『城』が僅か16ページのマンガに化けるのですから、凄いと言わざるを得ません。でも、丘の上に建つ城の周りを、いつ終わるともなく巡り歩いているような「悪夢の香り」、『こころ』の朦朧とした感じ等よく出ています。墨汁で描かれた世界ですから、描かれていない余白こそが、この連作の最大の魅力かも知れません。
  • 「風立ちぬ/宮崎駿の妄想カムバック」(宮崎駿作、大日本絵画)
    とにかく全ては、堀越次郎設計の九単(三菱KA−14九試単座戦闘機)の美しい機体に奉げられているのです。九単は、後の九六艦戦(九六式艦上戦闘機)や零戦(零式艦上戦闘機)の原型に成る試作品。しかし、「逆ガル」の主翼が大変に美しいのです。「逆ガル」とは、「ガル」(カモメ)のM字形に見える主翼と逆に、W字形に成っている主翼のことです。結局、映画『風立ちぬ』も、この「逆ガル」を見て、ビリッと戦慄が走るかどうかで、作品の評価が分かれてしまうでしょう。因みに、私の息子たちは「映画を観ても何も感じなかった」「意味不明だった」と言います。そりゃあそうです。プラモデルも作ったことがないのですから。
  • 「ミス・ブロウディの青春」(ミュリエル・スパーク著、岡照雄訳、白水社)
    1967年に映画化されています。残念ながら私が覚えているのは、サンディを演じたパメラ・フランクリンが美術教師のヌードモデルになる場面だけです。但し、ロッド・マッケンの主題歌「ジーン」は大好きで、数年前のクリスマス会で披露したことがあります。原作は、実に苦み走った味わい。女子学園中等部のブロウディ先生は6人の生徒を選んで、彼女が信じる「エリート教育」を施します。女生徒たちは高等部に進んでも尚「ブロウディ組」として個性を発揮します。しかし、そんな「最良の時/the prime」も、やがて終わりを告げます。物語は20年後の時点から回顧されているのです。それこそは、彼女たちが成長した証なのですが、それでも彼女たちの「最良の時」はあの時代だったと認めざるを得ないのです。単なる郷愁や懐古趣味ではありません。多感な少女期に強烈な個性と溢れる情熱を持った人物と出会い、その影響を受けてしまうということは、それ程に喜ばしく、また同時に(一種のトラウマのような)苦々しい体験なのです。
posted by 行人坂教会 at 14:11 | 牧師の書斎から

2015年10月09日

一点一画 one jot or one title(続き)その27

  • 「灯台守の話」(ジャネット・ウィンターソン著、岸本佐和子訳、白水社)
    久しぶりに心が震えた読書体験でした。母親の死後、孤児となって、灯台守の見習いとして住み込むことになった少女シルバー、そして彼女に物語の力を与える盲目の灯台守ピュー、この二人の魂の交流が描かれます。更に、百年前に、その教区の牧師を務めたバベル・ダークの二重生活の謎が語られていきます(最終的には、三人の魂の交流か)。著者は、熱狂的なペンテコステ派の両親の下、女説教師となるべく育てられるも、同性を愛したがために教団を追放され、自活しながら独学でオックスフォードに入学したそうです。ですから、そのレトリックには、聖書を思わせる確信犯的なイメージの共鳴があり、生硬に見えて、実は思索と推敲を重ねた言葉が綴られているのです。初期設定こそ、ギャリコの『スノー・グース』やグラスの『ブリキの太鼓』を連想させますが、どうしてどうして、これまで全く読んだことのないような展開です。そう言えば、シルバーが灯台生活から追放された後の章が「新しい惑星」の表題でした。灯台での暮らしは、まるで宇宙ステーションのようでもあった訳です。宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』にも通じる、闇の中に灯火が瞬く世界です。
  • 「大映セクシー女優の世界」(上妻祥浩著、河出書房新社)
    採り上げられているのは、1968〜71年の3年間、倒産寸前の大映が断末魔のようにして量産した「性春映画」です。八並映子、渥美マリ、八代順子、笠原玲子、関根恵子、松坂慶子などが出演した作品群です。私は著者より6歳年長ですが、ローカルテレビ局の深夜映画番組で、関根の『遊び』や渥美の『でんきくらげ』(いずれも増村保造監督作品)に出会って、衝撃を受けた経験は共通しています。特に『遊び』には深い愛着があり、放映される度に観たものです。少年と少女が河の中の浮島に向かって泳いで行くラストシーンの切なさは、生涯忘れることはありません(野坂昭如原作だけに、『火垂るの墓』と同じ感触がある)。熊本のローカル局(RKK)放映のデータを集積したり、1969年に渥美マリが熊本市の写真撮影会に来演していることを突き止めたり、著者の情熱には頭が下がります。
  • 「修験道/魔と呪いの系譜」(滝沢解著、KKロングセラーズ)
    数珠はバラモンの法具「Japa」に由来し、西欧で直訳されて「ロザリオ/薔薇の花」に成ったとか、そんな話が延々と披露される訳で、楽しい限り。ザビエルの案内を務めたアンジロー(鮫島彌次郎?)が「鮫島円成坊」なる山伏として活動していたというエピソードに心惹かれました。熊野の奥、玉置神社に行こうとして、岩場で進退窮まった体験談で、「荒御霊」をもって迎えられたと解釈し、「無理しなくて良かった」と安堵する辺り、修験者ならぬ我々も一緒にホッとしていました。但し、最終章「マンダラの気圧配置」に関しては、著者自身が手探り状態であるせいか、それまでのボルテージが一気に落ちて、門外漢の私などは投げてしまいました。その件を差し引いても、お釣りは来ます。現在78歳という年齢で、こんなポップな文章を書くのかと感動して買った1冊でした。やはり「難しいことを優しく」説明する人が一番偉いです。
  • 「アド・アストラ/スキピオとハンニバル」第8巻(カガノミハチ作、集英社)
    遂にシラクサの攻囲戦、「アルキメデスの器械」の登場です。しかし、これは既に、岩明均が『ヘウレーカ』でやってしまっているので、作者の苦心の跡が随所に見られます。「鉤爪」の攻撃なども、ローマの軍船側から描くので、意識して構図も変えてあります。「スパルタのダミッポス」も登場させるのですが(『ヘウレーカ』の愛読者としては複雑な気分)、まあ、面白ければ何でもありです。
  • 「プリニウス」第3巻(とり・みき+ヤマザキマリ作、新潮社)
    プリニウス一行は頽廃の都ローマを跡にして、ウェスウィウス火山の麓までやって来ます。やはり、皇帝ネロの自堕落な生活なんかよりも、大きな蛸が水揚げされたり、突然、温泉が湧き出したり、亜硫酸ガスで羊の群れが死んでいたり、天変地異の前兆に、プリニウスが遭遇していく、これこそが本題でしょう。こちらとしては、古代版の「SRI」(『怪奇大作戦』)みたいなことを期待している訳ですよ。こっそり、小プリニウスを登場させたりするのも、中々心憎い演出ではあります。
  • 「岸辺のヤービ」(梨木香歩著、小沢さかえ画、福音館)
    背の低い幼児の目線が捉える世界は、私が見ている世界とは絶対に違うはずだと思います。私自身のことを言えば、二男の車椅子を押して、一緒に街を歩いていると、彼が不思議な何かや面白い何かを発見することが多いのです。勿論、彼が指摘してくれなければ、こちらは目にも入らなかったものたちです。この物語の「ウタドリ先生」も、湖沼にボートを浮かべて、何気なく岸辺を眺めていた時、ヤービという小さな生きものに出会います。そもそも通常の目線とは全く異なる世界の見方をしていたのです。ですから、従来の人生や生活に行き詰ったり、これまでの価値観に限界を感じたり、仕事や作業が煮詰まったりした時には、実際に、そうしてみるだけで良いのです。妖精や妖怪、トロルやエルフに出会う一番簡単な方法です。それにしても、久々に素敵な本を手にすることが出来ました。
posted by 行人坂教会 at 14:50 | 牧師の書斎から

2015年09月15日

一点一画 one jot or one title(続き)その26

  • 「ゾンビの科学/よみがえりとマインドコントロールの探求」(フランク・スウェイン著、西田美緒子訳、インターシフト)
    ロシアのブリュコネンコは切断した犬の頭部だけを生かし続けました。米国のコーニッシュは殺した犬の蘇生実験を繰り返し、犬には聖書に因んで「ラザルス3号」等と命名しました。フリーマンは(ナイフを米神に刺して脳を切断する)初期ロボトミー手術を「心の手術」と称して繰り返しました。デルガドは患者の脳に電極を埋め込み、彼が攻撃性を発揮する前に抑制しました。いずれもグロテスクな生体実験です。しかし、現在では、人体は(血液や臓器や細胞を提供する)資源として流通し売買されています。クローンの問題も含めて、人間存在の固有性とか人格の尊厳とか、これまで信じられて来た価値観が科学と経済によって瓦解しつつあります。ハイチのゾンビは、死者を労働によって搾取することでしたが、今や、自然のままなら死んでいるべき人が「脳死」状態に留め置かれ、肉体を搾取される時代がやって来たのです。
  • 「黒い破壊者/宇宙生命SF傑作選」(A・E・ヴァン・ヴォークト、ロバート・F・ヤング他著、中村融編、創元SF文庫)
    やはり「ビーグル号」第1話に当たる表題作が、今読み直しても一番面白い。『遊星よりの物体X』『禁断の惑星』『エイリアン』その他の名作映画に与えた影響も窺い知れます。この作品にも、カリタという日本人考古学者が登場しますが、R・マッケナの「狩人よ、故郷に帰れ」にも、学者のトヤマ夫妻、そして、ミドリという名の魅力的なヒロインが出て来ます。いずれも異世界を解き明かす役回りなので、当時の欧米人にとってミステリアスな存在だったということなのでしょう。P・アンダースンの「キリエ」は、宇宙で活動する修道女エロイーズと、「ルシファー」と名付けられたエネルギー生命体との魂の交流を描いています。中世の修道女たちの神秘主義、神との合一をモデルにしています。J・H・シュミッツの「おじいちゃん」の主人公コードは、どこかエリスンの「少年と犬」を思い出させます。ヤングの「妖精の棲む樹」の語り手、世界樹の伐採者、ストロングは言います。「もしも、愛するものが殺されねばならないのなら、自分の手でそうしてやるのが慈悲だ。なぜなら、慈悲というものが殺人の一部になりうるなら、愛人にこそ、それを与えてやる最高の資格があるというものではないか」。と言う訳で、人類と遭遇する生命体よりも、それと対峙する人間側に思いが傾くのですが、これも加齢のせいでしょうか。
  • 「モサド・ファイル/イスラエル最強スパイ列伝」(マイケル・バー=ゾウハー&ニシム・ミシャル著、上野元美訳、ハヤカワノンフィクション文庫)
    私はシオニズムに対して批判的な立場ですが、それでもイスラエル国家及びモサドが、ユダヤ人同胞の命を徹底して助けようとする執念には、頭が下がります。例えば、1984年の「モーセ作戦」、1991年の「ソロモン作戦」では、エチオピアとスーダンから何万人単位で同胞を脱出させ、イスラエルへ移住させようとします。その目的達成のために、莫大な国家予算を注ぎ込み、如何なる犠牲も厭いません。1940年代、イラク在住の同胞10万人を移送した立役者となったスパイ、ダカルはイラク当局に逮捕、死刑を宣告されます。しかし、イスラエル政府の地道な交渉により、9年後に本国送還されるのです。「ダカルを帰国させるまで、モサドの長官たちは、創設当初の方針の1つをかたくなに守った。国民を生きて取り戻すためなら、努力と手段と犠牲を惜しむなかれ」。勿論、シオニストの立場で書かれた本であり、多分に美化されてもいるはずです。それでも、私は溜め息が出ます。戦前(移民政策)も戦中(将兵の人命軽視)も戦後(中国残留)も、現代(原発難民)も、一貫して「棄民政策」を続けている我らが政府とは、思想の立脚点が余りにも違っているからです。
  • 「18の奇妙な物語/街角の書店」(フレドリック・ブラウン、シャーリィ・ジャクスン他著、中村融編、創元推理文庫)
    江戸川乱歩の造語「奇妙な味」をテーマに編纂されたアンソロジー。今回一番のお気に入りは、イーヴリン・ウォーの「ディケンズを愛した男」です。S・キングの『ミザリー』を思い出させる展開です。分かっていても怖いのです。ロナルド・ダンカンの「姉の夫」も予想通りの展開。大好きなS・ジャクスンの「お告げ」は可愛らしい小品。書名の通り街の店が舞台になるのが、ネルソン・ボンドの「街角の書店」、テリー・カーの「試金石」、ハーヴィー・ジェイコブズの「おもちゃ」。仰天したのが、文豪スタインベックの「M街七番地の出来事」です。風船ガムがもたらす恐怖なんて、誰も発想できません。8歳の息子から「おとうさん、ぼくがガムを噛んでるんじゃない。ガムがぼくを噛んでるんだ」と、泣きながら言われたらどうしますか。ロジャー・ゼラズニイ(懐かしい!)の「ボルジアの手」、キリスト教神学を修めた作家ならではの「さまよえるユダヤ人」ネタにワクワク、ところが展開が平板、オチが何の捻りもなし。
  • 「オフシーズン」(ジャック・ケッチャム著、金子浩訳、扶桑社海外文庫)
    長男が「父の日」にプレゼントしてくれました(どんな親子関係なのか!?)。秋の閑散とした避暑地の別荘に都会からやって来た6人の男女が、突如、食人族に襲撃され、嬲り殺しにされていきます。ヒロインは逆さ吊りにされて、陰部から喉元まで切り裂かれ、内臓を引き摺り出されて、焚き火でバーベキューにされます。襲われた人たちも逆襲に転じ、マグナムを撃って族の頭を吹き飛ばしたり、煮えたぎる油とバターを族の女子供の頭の上にぶちまけて、大火傷させたり、遂に侵入して来た子供たちの首を鎌で切断したりします。しかし、この『リオ・ブラボー』か『要塞警察』のような、凄まじく残酷な籠城戦は序の口です。誰一人として無傷で終わることのない物語です。『サランドラ』『悪魔のいけにえ』『食人族』『わらの犬』『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』、更に、ゴールディングの『蝿の王』等の記憶がこの作品に熱い血を沸き立たせているのです。絶対にお勧めできない一冊です。
posted by 行人坂教会 at 14:01 | 牧師の書斎から

2015年08月03日

一点一画 one jot or one title(続き)その25

  • 「怪奇文学大山脈/西洋近代名作選」第1巻「19世紀再興篇」(荒俣宏編、東京創元社)
    クレメンス・ハウスマンの「人狼」の迫力が凄い。劇画的とさえ言えるでしょう。多分、映画『ハウリング』も影響を受けているのでしょうが、美女の人狼なのです。リチャード・マーシュの「仮面」は、美女が「わたくしたちの顔は、ある意味では、仮面にほかなりません」と語り始める場面から始まります。これは気持ちの悪い話でした。現代劇に手直ししても、十分に通用する作品です。この2作はファム・ファタル物です。やはり、女は怖い。ロバート・チェンバースの「使者」は、黒魔僧と戦う羽目になった若夫婦の物語ですが、ブルターニュという舞台設定に深い味わいがあります。「気むずかしいブルターニュ人に口を割らせるるのは、星辰の道筋を変えるよりもむずかしい」のだそうです。ドイツ・ロマン派の作品、ゲーテの「新メルジーネ」、ティークの「青い彼方への旅」も紹介されています。妖精や侏儒の出て来る世界、少し不気味なメルヒェンです。特に後者には「取り替え子/チェンジリング」の話も出て来ます。
  • 「シュトヘル/悪霊」第11巻(伊藤悠作、小学館)
    「すでにモンゴルは文字を得た。モンゴルは勝者の筆で語ることが出来る。」―「でも、テムジン。勝者の筆の記したものは、常に、敗者からすれば偽りに満ちている。いつ誰の筆を得ようと。ひとつに限られた勝者の筆を取り合うかぎり、記されていくのは常に、誰かにとっての偽りだ。だからこそ筆を、どこまでも増やすんだ。数も、種類も。」 遂に大ハーンと対峙したユルールの語りです。現代は、ITの普及によって米国英語が「国際語」のような顔をして幅をきかせ、日本でも為政者たちが母語を粗末に扱っています。また、かつて日本帝国が植民地や占領地で母語(方言も)の使用を禁じ、日本語(標準語)を押し付けた歴史、固有の文字を持たぬアイヌ語はじめ少数民族の言語伝承が困難に成っている現状も思わないではいられません。
  • 「決定版・20世紀戦争映画クロニクル」(大久保義信著、洋泉社)
    著者は雑誌「軍事研究」の副編集。阿片戦争から日露戦争までを「大戦前史」として、位置づけをしてあり、また、省かれがちな大戦後の中国の国共内戦に1章を割く誠実さに感銘を受けました。古今東西の戦争映画を、C級アクションからアート系作品まで幅広く採り上げてあります。米英作品一辺倒ではなく、日本映画は勿論、フィンランド、デンマーク、オランダ、ウクライナから、ベトナム、カンボジア作品に至る当事国の作品も忠実に紹介しています。各章末の年表も凄いです。この際、『地獄の決死隊』『ビーチレッド戦記』『フロッグメン』が出て来なかった等とは言うまい。ともかく、厳密さが魅力です。そして、本来は兵器オタであったのでしょうね。イデオロギーに関係なく、登場する戦闘機、戦車、艦船、銃火器類が史実通りに再現されているかどうか、戦闘や作戦、戦場の状況が描かれているかどうか、それこそが著者の視点なのです。徒にヒロイズムやセンチメンタリズムに流されず、それでいて、心動かされる点は、静かに胸に刻み付けて行きます。好感を持てるスタンスです。
  • 「教科書に載っていないUSA語録」(町山智浩著、文春文庫)
    歩いて行ける距離に生鮮食料品店がなく、ファストフード店ばかりが並んでいる「食べ物砂漠/Food Desert」、ファストフード店はもとより、スーパー販売の牛肉の7割に混入されている「クズ肉(食肉解体処理の際に出る脂肪をアンモニアで防腐処置した)/Pink Slime」。食べることが大好きな私としては、この2つが突出して気になりました。勿論、保守的キリスト教徒(福音派)を辛辣に論評した「キリストの戦士民兵団/Hutare Militia」や「携挙/Rapture」、カルトのサイエントロジー用語「ジヌー/Xenu」、モルモン教徒ロムニーのネタ、イスラムのネタもあります。しかし、著者が言うように、アメリカは日本の鏡でもあります。アメリカで行なわれた政治的失策を、日本の政治家たちは、何年か後に、そのまま真似しているからです(しかも、その失敗が明白に成ってから)。日本の支配階層もまた、ただ自己利益を優先して、国を滅ぼしつつあることが分かります。
  • 「エクスタシーの神学/キリスト教神秘主義の扉をひらく」(菊地章太著、ちくま新書)
    キリスト教神秘主義と言えば、西田・田辺学派の人たちが難解な用語を駆使して繰り広げる論文の数々が思い浮かびます。ところが、著者は、日本人にも馴染み深いザビエル像の図版から説き起こし、ロヨラの「霊操」を経て、エクスタシーを軸に、シエナの聖カテリーナ、アヴィラの聖テレサ等の女性神秘家たちを採り上げます。著者の専門領域からフランスとスペインに限定し、ドイツ神秘主義は最初から扱いません。ヒルデガルト・フォン・ビンゲンも扱いません。この境界設定のお陰で、神秘主義を扱った本の中では、具体的で理解し易い内容に成っています。反宗教改革の時代に成ってから、庶民は「無原罪の御宿り」を信仰し始め、教皇庁の正式な認可は2百年後だったという説明には、目から鱗でした。カトリックには、重病を患う人が、その苦しみによって、キリスト以後の贖罪を続けているという信仰があります。それも、神秘主義の奥義「ウニオ・ミスティカ/神人合一、神秘的合一」から解き明かすことが可能です。
posted by 行人坂教会 at 11:35 | 牧師の書斎から

2015年06月26日

一点一画 one jot or one title(続き)その24

  • 「回顧七十年」(斎藤隆夫著、中公文庫)
    先日、父の二十五回忌の法事のため、久しぶりに但馬の実家に帰省。その際、仏間に飾られた斎藤隆夫の扁額を改めて確認して来ました。「雲氣靜/雲高くして気静か」に「天城隆」と署名されていました。平凡と言ってしまえばそれまで。むしろ、飾らぬ但馬人気質が出ていて安心しました。叔父によれば、拙宅に逗留した際に書かれたものらしいのですが、回顧録を読みながら、いつ頃に書かれたのか気になりました。併録されている演説2篇、二・二六事件直後の所謂「粛軍演説」、日中戦争処理についての質問演説は、今読んでも胸がすく思いです。保守政治家の立場から正面切って、ここまで厳しく内閣と軍部の責任を追及した人は誰もいません。斎藤は全く平和主義者、理想主義者などではなく、徹底した現実主義者、しかも熱烈な天皇崇拝者ですが、しかし、立憲政治を信奉し、それに殉ずる気概を持っていたのです。何の展望もないままに軍部が始めた日中戦争のために、どれだけの血税が浪費されて、どれだけ国民の生命財産が失われているか訴える件は、涙無くして読めません。昨今の国立競技場建設問題や「集団的自衛権」法案を見る限り、日本の官僚や代議士たちの行き当たりばったりの体質は何も変わっていません。
  • 「ノヴァーリスの引用/滝」(奥泉光著、創元推理文庫)
    著者の作品を読むのは『石の来歴』以来でした。ノヴァーリスが好きで買ってみたのですが、読み終えてみると、圧倒的に『滝』が面白かった。修験道系の宗教教団の「若者組」の少年たちが夏期修練の総仕上げとして回峰行に挑みますが、それを監督する「青年組」の男の屈折した愛情が原因となって壊滅していくのです。少年たちの肉体と精神が崩壊していく様は「少年十字軍」を思い出しました。誓約(うけい)の際の神籤が先輩たちによって恣意的に操作される慣例があったり、女人禁制の故に男色が黙認されていたり、実に興味深い。『ノヴァーリス』には、泥酔した「私」が1979年の春にタイムスリップする展開があります。ここが、十数年前に自死したとされる石塚の側からの、仲間たちへの異議申し立てに成っています。これまでの展開を全て引っ繰り返して、推理ごっこに興じる生者たちこそが、殺人の真犯人であったと主張します。黒澤の『羅生門』で、巫女に憑依して語る死せる夫の霊と同じです。
  • 「神話の力」(ジョーゼフ・キャンベル&ビル・モイヤーズ著、飛田茂雄訳、ハヤカワノンフィクション文庫)
    キャンベルによる神話や宗教儀礼の引用には、アメリカ先住民、古代インド、マヤやアステカの神話、それに仏教説話なども頻出するのですが、それに加えて、聖書やカトリック信仰(彼自身の出発点)も重視されています。少し彼のカトリック贔屓は鼻に付くかも知れません。プロテスタントはルターが採り上げられている以外、全く問題外で、東方教会については手付かずのようです。しかしながら、神話学の立場から読み直しているせいか、彼の聖書解釈は、「聖書の非神話化」以後の私たちから見ても的確です。対話者のモイヤーズが南部バプテストの神学校出身者だという点も重要で、旧来のキリスト教批判も含めて、全米の一般的読者が内容を受容するために、大きな役割を果たしていると思います。但し、日本の読者がこれを鵜呑みにして、自分たちの「宗教的寛容の風土」を誇る等というのは勘違いも甚だしい。日本宗教の中の権力構造については、私たち自身が批判していく課題として残されているのです。
  • 「ヒストリエ」第9巻(岩明均作、講談社)
    旧作『寄生獣』が実写映画化されてヒットしたり、テレビアニメ化されたりして何かと話題になっても、どこ吹く風と、相変わらず地味な歴史物をコツコツ描き続けている作者は凄い。買った日に2回読みました。「カイロネイアの戦い」開戦という所で終わってしまう訳で、戦闘も殺戮もない巻なのですが、それでも面白いのです。アテネのフォーキンとのやり取り、アンティパトロスとの腹の探り合いを、エウメネスがしているだけで嬉しいのです。昔懐かしい人も再登場していますし、新キャラのフォイニクスも頼もしい「相棒」に成りそうだし…。
  • 「妻を帽子とまちがえた男」(オリヴァー・サックス著、高見幸郎・金沢泰子訳、ハヤカワノンフィクション文庫)
    表題は比喩や寓意ではなく、その言葉通りに妻の頭を摑むや持ち上げて被ろうとする患者が登場するのです。彼は、一見しただけでは対象物が何であるか認識する直観力と総合力を失ってしまったのです。また、別の男性は19歳以降の記憶を失ってしまって、今現在の記憶も次の瞬間には、砂に書いた文字が波に浚われるように消えて行きます。ある女性は、身体の固有感覚を失ってしまい、視覚によって意識集中させなければ、自然に動けなくなってしまいます。神経と精神・身体の不思議を思わないではいられません。「われわれは『物語』をつくっては、それを生きているのだ。物語こそわれわれであり、そこからわれわれ自身のアイデンティティが生じると言ってもよいだろう」。「生物学的あるいは生理学的には、人間は誰しもたいして変わらない。しかし物語としてとらえると、一人一人は文字どおりユニークなのである」。「世界とはどういうものなのかを子供に教えるのは、『物語的な』あるいは『象徴的な』力なのである。具体的な現実が表現されるからである」。脳神経科医の著者にして、この言葉、唸らせます。
posted by 行人坂教会 at 10:14 | 牧師の書斎から

2015年05月01日

一点一画 one jot or one title(続き)その23

  • 「あそぶ神仏/江戸の宗教美術とアニミズム」(辻惟雄著、ちくま学芸文庫)
    妻の親戚に「ギイ坊(ぼん)さん」と呼ばれる作仏聖(さくぶつひじり)がいたらしい。全国各地を遊行した後、京都の桂の山奥に庵を結んで、仏像を彫り続けたらしい。最期は四国で亡くなったとか。妻の実家に帰る度に、その「ギイ坊(ぼん)さん」の釈迦誕生像(多分「天上天下唯我独尊」の姿勢と思われる)と御一緒させて貰っている。この本に採り上げられる円空や木喰行道の仏像を見て、この無名の作仏聖の存在が重なったのでした。他に、風外慧薫、白隠、仙高フ禅画、天龍道人源道の仏画が解き明かされ、伊藤若沖、葛飾北斎の浮世絵の宗教性までが論じられています。日本の風土に深く根差したアニミズム(万物に神仏霊が宿っている)の復権が、この本のテーマです。私たち、日本のキリスト者としても、パンセイズム(汎神論、万有在神論)として受容、再解釈した上で、土着化を考えるべきです。遠く蝦夷地まで渡って木彫、石彫を続けた木喰(「奪衣婆」の素晴らしさ)、「法ノ本ハ無法ナリ」と、意識的に無技巧な禅画を志した仙香A彼らの求道の人生もさることながら、日本の仏教美術に見られるファンシー(奇想、可愛らしさ)、これが大切です。どう見たってマンガやアニメの源流でしょう。
  • 「マクロイ傑作選/歌うダイアモンド」(ヘレン・マクロイ著、好野理恵他訳、創元推理文庫)
    アラビアの格言「かなえられた願いには禍いがつきもの」、余程、著者お気に入りの言い回しだったのでしょう、「八月の黄昏に」と「人生はいつも残酷」に引用されています。やはり、巻頭の「東洋趣味(シノワズリ)」には舌を巻きます。幻想的、衒学的、厭世的な物語でありながら、義和団事件直前の清朝末期という歴史的背景が素晴らしい効果を上げているのです。ドッペルゲンガーを扱った「鏡もて見るごとく」、UFO目撃者が次々と怪死を遂げる「歌うダイアモンド」は、推理小説の体裁は採っているものの、探偵役が法廷精神科医ということもあり、また、著者の心理表現の技巧も相まって、心理小説(超心理小説?)と言っても良いでしょう。私が最も感銘を受けたのは、核戦争による終末を描いた「風のない場所」です。レイモンド・ブリッグスの『風が吹くとき』やグードルン・パウゼヴァングの『見えない雲』に比肩するアポカリプス・メルヘンです。巻末「人生はいつも残酷」は、その苦々しさが読了しばらく後を曳きます。「灰の味を見るようだった。彼女は出ていった。荒涼とした世界に一人残されたブライは、口の中に苦さを感じた。それは燃え尽きた青春の後味だった」。
  • 「おばけずき/鏡花怪異小品集」(泉鏡花著、東雅夫編、平凡社ライブラリー)
    「…夜と昼、光と暗との外に世界のないように思って居るのは、大きな間違いだと思います。夕暮れとか、朝とか云う両極に近い感じの外に、たしかに、一種微妙な中間の世界があるとは、私の信仰です。私はこのたそがれ趣味、東雲趣味を世の人に伝えたいものだと思って居ります」(「たそがれの味」)。そんな黄昏時の逢魔を描く「怪談女の輪」が怖い。やはり、男子にとって女の曲線ほど魔性に通じるものはありません。それも、集団で登場された日には…。「黒壁」は、丑の刻詣りに遭遇してしまった生々しい恐怖。武家屋敷の「血天井」「不開室」「庭の竹籔」と来て、在り来たりと思っていたら、映画『ホステル』か、月岡芳年の無残絵みたいに残酷趣味も加わってしまう「妖怪年代記」。今や古典の域の鏡花ですが、ストーリーテリングよりも、その独特な感性から生まれる表現にドキッとさせられます。「颱風の中心は魔の通るより気味が悪い」、「心づくと、人ごみに揉立てられたために、手を曳いた児は、身なしに腕一つだけ残った」、「ひとえに白い。乳くびの桃色をさえ、蔽いかくした美女にくらべられたものらしい」、「縁側の手拭掛が、ふわりと手拭を掛けたまま歩行んです」、「川の流は同じでも、今のは先刻の水ではない」、「黒髪に透く星あかりを魂棚の奥に映す」…。親戚が城崎の老舗旅館をやっているので、随筆「城崎を憶う」では、故郷を懐かしみました。
  • 「みうらじゅんのゆるゆる映画劇場」(みうらじゅん著、文春文庫)
    「(どんな映画でも)どこかしらグッとくるシーンはあるに違いない。それを見つける行為をオレは修行≠ニ呼んで映画館に通っているのである」(「文庫版あとがき」)。これって結局、淀川長治のモットー「私は未だかつて、嫌いな人に会ったことがない」と同じですね。意外にヨドチョーさんと繋がっているのです。「淀川長治先生のTV映画解説の最後が『ビースト/巨大イカの大逆襲』であったように、終焉は突然やってくる。人生は選ぶことができないという」の一節にシビレました。そう、何を隠そう、著者と同じく怪獣映画ファンの私も、日曜洋画劇場、ヨドチョーさんのラストカット、見ましたがな「『JAWS』と同じ、ピーター・ベンチリーの原作なんですね」と強調しておられました。最近は、ジャンル映画についてのウンチク本、それどころか、わざわざトラッシュ(クズ映画)を漁って、お笑いネタとしてリサイクルする類いの映画本が数多ありますが、著者は、大ヒット作も、苦手な恋愛映画も、ホラーも青春映画も、時代劇も分け隔てなく鑑賞しています。不真面目に見えて、かなりな「ヨドチョーさん」なのでした。いや、『シベ超』や『ペキフー』を持ち上げて、カルトに仕立て上げてしまった力量は侮れません。
  • 「時代劇は死なず!〈完全版〉/京都太秦の『職人』たち」(春日太一著、河出文庫)
    私の友人Kは、1970年代末、東映太秦映画村でバイトをしていました。ロボコンの着ぐるみに入って村の中を歩くだけ。観光客の女の子と抱き合って、記念写真に収まる仕事、しかも「ロボコンお散歩、随時」だったそうです。その話を聞いて羨ましいと思ったものです。その映画村が、稼働率の低下したオープンセットの活用、撮影所スタッフ、大部屋俳優の出向先であったことは、本書に詳しい経緯が記されています。観客人口の減少と映画産業斜陽化は、テレビの普及が原因として挙げられて来ました。しかし、その固定観念を覆したことが、本書の最大の功績です。実際には、撮影所からテレビ製作現場へと出向した人々が新たな表現の場を与えられたこと、そのお陰で撮影所と時代劇製作の人材が生き残ったことが証明されたのです。しかしながら、「新書版あとがき」「文庫版あとがき」を読むと、残念ながら現在では「死なず!」とは言えぬ、壊滅状態に至ってしまったとのことです。
  • 「アド・アストラ/スキピオとハンニバル」第7巻(カガノミハチ作、集英社)
    マケドニア王フィリポス5世が登場。ハンニバルに呼応し、アドリア海とイリュリアの覇権を巡って、ローマ艦隊と戦います。世に言う「第一次マケドニア戦争」の始まりです。フィリポスは、ハンニバルのカルタゴが敗北した後も、対ローマ戦争を続けることになります。まあ、そういう話は描かれていませんが、「第二次ポエニ戦争」の背景として押さえて置くとしましょう。それでも、第45話「忠臣の使命」には、マケドニアに向かうハンニバルの使節船が、ローマ艦隊の攻撃を受ける場面がしっかり描かれており、『ベン・ハー』でお馴染み、火槍(ファラリカ)投擲や衝角(ロストルム)による体当たり攻撃が出て来ます。重装歩兵を敵船に乗り込ませるための嘴(コルルウム)も見えられます。新キャラ、マゴーネ(ハンニバルの幼馴染)が中々いい味を出しています。
posted by 行人坂教会 at 13:22 | 牧師の書斎から