2014年04月10日

幽径耽読 Book Illuminationその13

  • 「日本幻想文学大全/幻視の系譜」(東雅夫編、ちくま文庫)
    室生犀星の『蜜のあわれ』には降参しました。初老の小説家と彼が愛玩する金魚、その他、幽霊女も登場しますが、会話(鉤括弧)だけで構成された実験的な小説です。しかも、面白い。金魚は自分を「あたい」と称し、作家を「おじさま」と呼んで、媚態を振り撒くのです。その筋を我が家の二男にしてやったら、曰く「それって、『ポニョ』じゃん」。一刀両断でした。宮沢賢治の『ひかりの素足』は弟を、夢野久作の『木魂』は妻子を亡くす話です。幻想文学にとって喪失の悲しみが大きなモチベーションだということです。私の最高のお気に入りは、中島敦の『文字禍』です。「中国もの」ではなく「アッシリアもの」です。歴史を文字で記録するのではなく、文字が歴史を作るという倒錯した感覚、これぞ幻視です。老博士は言い放ちます。「書かれぬ事は無かった事じゃ。芽の出ぬ種子は、結局初めから無かったのじゃわい」「わしらこそ彼等文字の精霊にこき使われる下僕じゃ」。
  • 「ハカイジュウ」第12巻(本田信吾作、秋田書店)
    武重先生がトール型特殊生物と融合した「フューズ03」が目覚しい戦闘能力を発揮しますが、造形的にもアクション的にも、永井豪の『デビルマン』を思い出します。さて、いよいよ封印されていた帝王≠フお目覚めですが、スケール(尺)が巨大過ぎると、リアリティを喪失して、つまらなくなります(私の持論です)。巨大化した武重を描く傍ら、早乙女博士と陽、瑛士たち、人間サイズのフューズを描くことで、何とかバランスを保って来たのですが、どうなりますやら。
  • 「もっと厭な物語」(夏目漱石他、文藝春秋編、文春文庫)
    今回は日本の作家が4名入っていますが、悪趣味さで草野唯雄の『皮を剥ぐ』が群を抜いています。クライヴ・バーカーの『恐怖の探求』は、映画『ホステル』を連想しましたが、少し捻って予想通りの結末でした。「恐怖にまさる愉しみはない。それが他人の身にふりかかっているものであるかぎり」。奇妙な味わいのルイス・パジェット『著者謹呈』が楽しかったです。恐喝を副業にする悪徳新聞屋トレイシーと、彼が殺した魔術師の使い魔メグ(黒猫)との間に繰り広げられる、殺すか殺されるかの駆け引きの面白いこと。最後にメグが使った魔法、彼女が最初に予告した通りの内容だったことに読了後、しばらくして気付きました。後味悪くないです。かなり愉快でした。
  • 「シュトヘル/悪霊」第9巻(伊藤悠作、小学館)
    途中、シュトヘルに家族を殺されたモンゴル脱走兵集団の話が入ります。憎しみが憎しみを生み、悪霊が新たな悪霊を作る呪いの連鎖が描かれます。ゼスは暑苦しいキャラですが、中々どうして凄絶な殺人技を仕掛けて来ます。主要登場人物が、金国の道府・中都を守る要害、居庸関に集結しつつあります。そろそろ物語は佳境ということでしょうか。
  • 「ひとさらい」(ジュール・シュペルヴィエル著、永田千奈訳、光文社古典新訳文庫)
    学生時代、シュペルヴィエルの短編集『沖の少女』(教養文庫)を読みました。繊細すぎる感性に、読んでいて胸の痛みすら覚えるのです。実際、シュペルヴィエル、心臓の持病を抱えていたそうです。本作の主人公、フィレモン・ビグア大佐は、不幸せな家庭の子どもたちを見つけては、次々に誘拐して養育するのです。犯罪なのに、犯罪ではない。大佐は勿論、登場する人たちは悪人でも善人でもありません。大佐を幻惑する養女マルセルも、そのマルセルを乱暴するジョセフも、マルセルのアル中の父親エルバンも、弱さを抱える人間です。ただ、心の動きの複雑さが擬似家族を混乱させて、悲劇的な結末をもたらします。
  • 「真珠湾収容所の捕虜たち/情報将校の見た日本軍と敗戦日本」(オーテス・ケーリ著、ちくま学芸文庫)
    学生時代、ケーリ先生のお孫さんのベビーシッターをしたことがあります。お宅に伺って、先生のお仕事の邪魔にならないように、孫のAちゃんを京都御所に散歩に連れて行ったりしていました。Aちゃんがお昼寝をしたので、居間のテレビで、勅使河原宏監督の『砂の女』を観ていました。そしたら、ケーリ先生が登場して、しばらく一緒に見ていたのですが、(観念的で抽象的な映画は余りお好きでなかったのでしょう)「コーボー・アベ!君は何が言いたいのだ!」と、テレビに向かって言っていました。今ならば「そんなことは、お友だちのドナルド・キーンさんに聞いてくださいよ」と苦笑いしたことでしょう。でも、あの言葉は、きっと「君はこういう映画に何を見ているのかね?」という問い掛けだったのですね。「裸でぶつかって来ない」日本の学生に対する苦言を読みながら、彼から見たら、当時の私も「マウシー」で「ナイーヴ」な「若い者」だったのだろうなと思いました。
  • 「神国日本のトンデモ決戦生活」(早川タダノリ著、ちくま文庫)
    戦前戦中を全く経験していない世代の人たち(田母神俊雄のような)が、敗戦以前の日本人は「誇りをもっていた」と断言するのは、虚妄なのです。著者は、戦時下の出版物やポスター等を収集、観察、分析しながら、「決戦下」の庶民生活を丹念に再構成していきます。雑誌『主婦之友』に「アメリカ人をぶち殺せ!」「米鬼を一匹も生かすな!」「一人十殺米鬼を屠れ!」等というスローガンが1ページ捲るごとに躍っているのは、やはりクラクラします。もはやプロパガンダと呼べるものではなく、国全体が集団ヒステリー状態だったことが分かります。結局、カルト国家、カルト宗教が一番近いのです。そして今また、日本主義的な発言が持て囃され、日本社会のカルト化が深く静かに進行しつつあるように思います。雰囲気や気分で戦前回帰を目指すべきではありません。決して賛美できるような国ではなかったのです。
  • 「世界神話事典/世界の神々の誕生」(大林太良編、角川ソフィア文庫)
    中国苗(ミャオ)族の洪水神話は瓠(ふくべ)の船。独竜(トールン)族では、人間の男女が土から造られるが、蛇の助言のために、死んで土に返るようになった。朝鮮でも、鴨緑山の黄土から男女が造られる。メソポタミアのアダパ神話には「命のパンと命の水」が出て来ますが、「死のパンと死の水」も出て来ます。アルタイ族の神話では、人間の耳から魂が、鼻から知恵が吹き込まれ、男の肋骨2本で女が造られる。オセアニアのタンナ神話でも、蛇が重要。女は蛇によって妊娠し男児を産みます。アマゾンのアピナイエ族には、「星の女」によって農業を学んだ人々が「生命の木」を切り倒してしまう。作物を手に入れることで、労働と死を経験するのです。西スーダンのバンバラ族によれば、沈黙の世界に生じた「声」によって自己分裂して世界が創造されます。ザンビアのロジ族には、最初の人、カヌムが高い塔を作って天に登ろうとするが、失敗します。このように、メソポタミアやエジプト以外にも、聖書と繋がる話が一杯ありました。
posted by 行人坂教会 at 20:24 | 牧師の書斎から

2014年02月06日

幽径耽読 Book Illuminationその12

  • 「新トラック野郎風雲録」(鈴木則文著、ちくま文庫)
    鈴木監督が桜美林大学の映画専修コースの『トラック野郎/御意見無用』上映会に参加した後、「夕闇迫るキャンパスを小川君(大学の助手)と歩いていると、白く浮かぶ建物の尖塔に十字架が光っているのが、目に入った。礼拝堂である。…『聖獣学園』の作者であったことを思い出させ、立ちすくみ、十字を切って祈りを捧げるうちに急速に夜のとばりは降りていった」。私は大爆笑でした。エッセイの所々に「無から有をつくる」とか「新しい酒は新しい皮袋に」とか、何気なく聖句が使われています。やがて、「わたしの映画のバックボーンは、難しい思想や哲学ではなく、こういう通俗歌曲の詩や俳句、短歌、聖書の中の一節など庶民の血肉となっている言葉であった」という告白に出会いました。さすがは鈴木監督、聖書の活用法よく御存知です。修道女が薔薇の蔦で乳房をグルグル巻きにされるの図は、『ロザリオの悲しみ』のアン・ヘイウッドより『聖獣学園』の多岐川裕美がゼッタイいいって。同じように『コンボイ』や『ダーティファイター』より『トラック野郎』の方が百倍いいって!
  • 「聖夜」(佐藤多佳子著、文春文庫)
    クリスマスに、オリヴィエ・メシアンのオルガン曲「神はわれらのうちに」を演奏することになった高3の男子の話です。単純だけど普遍性のある物語です。舞台は青山学院、時代設定は1970年代後半です。主人公の一哉がプログレを聴いているのが、同世代の私としては嬉しいです。ELPのキース・エマーソンがハモンドオルガンにナイフを突き立てたり、仰向けになったりしながら演奏するのは、NHKで放送した「ヤング・ミュージック・ショー」(1974年)でした。オランダのFOCUSの名前も出て来ます。「笹本さん」は深町純をイメージして読みました。そう言えば、私の友人の塚本潤一くん(今、頌栄短期大学准教授)も、神学部のオルガン実習の時に、パイプオルガンで『インフェルノ』の「図書館」を弾いて叱られていました。土肥いつき(今は、セクシャルマイノリティ教職員ネットワーク副代表)が、メシアンのサインを自慢そうに見せてくれたことも思い出します。私自身は、高校時代、ラジオで『トゥーランガリラ交響曲』を聴いてショックを受けたのが、メシアンとのファーストコンタクトでした。
  • 「バートン版アラビアンナイト/千夜一夜物語拾遺」(大場正史訳、角川ソフィア文庫)
    「拾遺」ですから「拾い読み」です。解説によると、大場全訳版が12巻(角川文庫)もあったそうです。『アラジンと不思議なランプ』の中に「『角の大君』イスカンダルのような大王」という表現がありました。「イスカンダル」は「アレクサンドロス大王」のことだったのですね。アラブ世界でも尊敬されていたのです。『アラジン』の舞台が支那の都「アル・カラス」、もしくは「京師」となっているのにビックリ。まるで『トゥーランドット』です。何しろ王女の名前がバドル・アル・ブドゥル姫ですから。見た目の美しさから「白人奴隷」が珍重されていたり、シャーベット水や珈琲を飲んだり、16世紀当時の(多分、エジプトの)風俗が描かれていて面白いです。『三人の男と主イサの話』で狂言回しとなる「マリアの子イサ」はイエスのことです。悪者が互いに騙し合って、全員が身を滅ぼしてしまう説話。仏教説話集『ジャータカ』にもあって、仏教、キリスト教、イスラム教の3つの円の「集合」部分みたいです。
  • 「映画の殿堂」の映画題名について
    前記短編には、膨大な数の悪趣味映画のタイトルが羅列されています。訳者(夏来健次)は涙ぐましい努力をして、邦題のある作品は邦題を記していますが、それでも不足がありますので、補いたいと思います。「Insatiable」は『プラチナ・パラダイスPART2』、「(The) Mutations」は『悪魔の植物人間』、「Wanabe Wicked Warden」は「Greta- Haus ohne Manner」、つまり『女体拷問人グレタ』、「Talk Dirty to Me」は『私に汚い言葉を云って』、「Avenging Angel」は『ストリート・エンジェル/復讐の街角』、「Cafe Flesh」は『愛の終焉/カフェ・フレッシュ』です。因みに「Fists of Vengeance」は、倉田保昭主演の台湾映画『除暴』(別題『狂龍出海』、日本未公開)ですね。
  • 「シルヴァー・スクリーム」下巻(デイヴィッド・J・スカウ編、田中一江他訳、創元推理文庫)
    とにかく、マーク・アーノルドの『映画の殿堂』がサイコー!! 映像の垂れ流しよろしく、映画の題名の垂れ流し箇所が多数あり、これを巡るだけで、カルト映画マニアは自然と涙腺が緩んでいるのに気付くでしょう。原題の「Pilgrims to the Cathedral/巡礼者は大聖堂へ」にも匂わしてあるのですが、山奥のドライブインシアターを悪趣味映画の殿堂として再創造、自由のユートピアとした3人のクリエーターの成功物語が描かれます。次いで、同じくヒッピーやニューエイジから出発しながらも、テレビ伝道師となった男の人生が描かれます。やがて彼は「殿堂」付近の(バイブルベルト)の町の指導者として迎えられます。そして遂に、「殿堂」ユートピアはバイブル町の侵略を受け、攻め滅ぼされてしまうのですが…。明らかに、ルター派がミュンツァー派を弾圧したドイツ農民戦争が下敷きですね。クライマックスは『妖怪大戦争』や『妖怪百物語』です(実際、河童も登場します)。
  • 「シルヴァー・スクリーム」上巻(デイヴィッド・J・スカウ編、田中一江他訳、創元推理文庫)
    映画ネタを使ったホラーのアンソロジー。映画好きの私は即買でした。勿論、タイトルは「銀幕/シルヴァー・スクリーン」のもじり。ヴードゥーの呪いを題材にした短編が2つ入っています。F・ポール・ウィルソンの『カット』とカール・エドワード・ワグナーの『裏切り』です。ウィルソンの『カット』の凄まじさは圧倒的です。解説にもあるように、自作『城塞』がマイケル・マン監督によって映画化された(『ザ・キープ』)時の怨みを込めた作品です。映画館を舞台にした2作品も心に残りました。ロバート・ブロックの『女優魂』は、サイレント映画のフィルムの中で生き続けている脇役女優と年老いたエキストラ男優との結び付きを描いて哀切です。クライヴ・バーカーの『セルロイドの息子』は、観客の眼差しが実体化した怪物が登場します。でも、最高の発見は、レイ・ガートンの『罪深きは映画』でしょう。セブンスデー・アドベンチストの村に住む祖父母の家に預けられ、戒律に縛られて暮らす少年が、映画の世界と猟奇殺人の世界に同時に足を踏み入れてしまうのです。『前口上』の「Seconds」は『セコンド』の邦題で公開されています。
  • 「夜歩く」(ジョン・ディクスン・カー著、和爾桃子訳、創元推理文庫)
    主人公の探偵役は、パリの予審判事バンコラン。バンコランと言えば、魔夜峰央の『パタリロ!』ですね。巻頭、「人狼/ルー・ガルー」とも仇名される、異常性格の凶悪犯、アレクサンドル・ローランが余りにも魅力的に紹介されるものですから、期待し過ぎて些か肩透かしを喰いました。1930年代の正統派作品ですから、猟奇小説ではないのです。それでも、バンコランの名台詞は沢山ありました。「真の恐怖というのはまんざら滑稽味と無縁ではない」。「こういう事件では、あるべき品の有無に思いを致すよう、つねにお勧めします」。「女性が服を脱いだら、わきまえも一緒に脱ぎ捨ててしまう」。「一足飛びに結論へ飛びつかないように。なにも明白なことを信じるなとお願いしているのではありません。ただ、何が明白であるかを見極めてからにしてください」。
  • 「昭和怪優伝/帰ってきた昭和脇役名画座」(鹿島茂著、中公文庫)
    岸田森(和製ドラキュラ)、天知茂(色悪)、渡瀬恒彦(鉄砲玉の美学)、成田三樹夫(悪のエロス)…。彼らが活躍した時代の日本映画界は(今から思えば)何と豊饒だったことでしょうか。つまり、この類いの豊かさは、その時には感知できないのでしょう。個人的には、徹底的に再現された芹明香の『㊙色情めす市場』の章が一番感動的でした。私がこの作品に出会ったのは、製作から10年を経た後のことですが、忘れ難い傷跡のような印象を私の魂に残したのでした。日本映画界から完全にプログラム・ピクチャーが消滅して何十年が過ぎたことでしょうか。私の映画三昧は70〜80年代でしたが、既に、その時ですら昔語りになっていました。東宝怪獣映画、にっかつロマンポルノと東映実録路線で、私は尻尾を少し齧ったのかな。
posted by 行人坂教会 at 19:37 | 牧師の書斎から

2013年12月21日

幽径耽読 Book Illuminationその11

  • 「氷川清話/付勝海舟伝」(勝海舟談、勝部真長編、角川ソフィア文庫)
    「行政改革ということは、よく気をつけないと弱いものいじめになるよ。…全体、改革ということは、公平でなくてはいけない。そして大きいものから始めて、小さいものを後にするがよいよ。言いかえれば、改革者が一番に自分を改革するのさ」。日本の政治家と官僚たちは真逆のことをやっているのですね。これが明治時代の談話だから凄い。この人、どこまで遠く見えてたんだろ。「功名をなそうという者には、とても功名はできない。きっと戦いに勝とうという者には、なかなか勝ち戦はできない。…せんじつめれば余裕がないからのことよ」。勝部による小伝も抜群に面白いです。江戸城明け渡しの際、西郷との談判決裂時の策として、慶喜の英国亡命、江戸の焦土戦術、住民の避難誘導まで準備した上で、臨んでいたとは…。
  • 「ファビュラス・バーカー・ボーイズの地獄のアメリカ観光」(町田智浩+柳下毅一郎著、ちくま文庫)
    私がジョン・ウォーターズの『ピンク・フラミンゴ』を見たのは80年代前半、京大西部講堂でした。確か同時上映はトッド・ブラウニングの『フリークス』だったと思います。その頃、ケネス・アンガーの諸作品も一気に観たのでした。ところで、この本のコンセプトは、アンガーの『ハリウッド・バビロン』ですよね。ウォーターズのインタビュー記事を読むと、「変態だったりバカだったりして(笑)、生きづらい連中と出会って、彼らと映画を作ることで救われたんだと思うよ」という感想(ウェイン町山)が出て来て、大いに納得。それから映画以外でも、1999年の段階で、アウトサイダー・アートについて、繰り返し採り上げていてビックリ。犯罪者、パンクロック、ポルノ、スキャンダル…異端の文化史なのですが、見世物としての映画(エクスプロテーション)の復興を強く念じないではいられません。
  • 「日本人とキリスト教」(井上章一著、角川ソフィア文庫)
    解説の末木文美士が、今の日本人は「お寺と神社と教会とをきちんと使い分けているのだ」という「神仏キ習合」論を展開してくれます。実際、うちの教会のイヴ礼拝の出席者は大半がご近所さん(未信者)です。如何にしてキリスト教信仰を日本文化の中に接ぎ木するかについて、互いにとってより善きシンクレティズムの在り方を、日夜、模索している私にとって、大変に参考になりました。特に禁教下の江戸時代における、切支丹についての言説の分析は瞠目しました。私自身、魔法使いのような帽子とマントの装束で歩き、「邪教」のイメージを意識的に振り撒いています。プロテスタント教会には、もう少しロマンチシズムとエキゾチシズムのスパイスが必要です。
  • 「冬虫夏草」(梨木香歩著、新潮社)
    山奥に生まれる鉱山町の話が出て来ます。その社会の活気は「未来永劫続くようなものではない。儚いものだ。あれも、鉱床が尽きるまでの話だ。…幻の町だ」。私の生まれ故郷にも、神子畑、明延、生野という鉱山町がありました。鉱夫とその家族のために、スーパーマーケット、共同浴場、映画館までもあって、私たちから見ると都会のようでした。今は跡形もありません。「衰えていくものは無理なく衰えていかせねばならぬ」という高堂の言葉もありました。この国だけではない、世界中、衰退のペースが加速し過ぎています。衰退は悪いことではありません。必要で自然なプロセスなのです。でも、その一事を拒絶し、更なる「成長」を目指そうと無理をするので、却って急激な崩壊を招いて、被造物の何もかもが悲鳴を上げているように思います。
  • 「刻刻」第7巻(堀尾省太作、講談社)
    「神ノ離忍(カヌリニ)」化した佐河と飛野の戦闘は、予告画通りの怪獣映画的描写でした。それ以上に、過去を告白する佐河と樹里が対峙する緊迫した描写と台詞、圧巻でした。「ありもしない信頼にすり変えて隠そうとしていたのは、お互い1ミリも妥協できないという現実」。この樹里の台詞、どうしたら、こういう言葉を思い付くのでしょうか。
  • 「怪奇小説日和/黄金時代傑作選」(西崎憲編訳、ちくま文庫)
    ノルウェーのヨナス・リーの『岩のひきだし』は、魔女に魅入られて以来、クリスマスの前々日に姿を消す男の話。M・ボウエンの前世の因縁もの『フローレンス・フラナリー』も、H・ウォルポールの魔術ネタ『ターンヘルム』も、なぜかクライマックスはクリスマスです。E・ボウエンの『陽気なる幽霊』もクリスマスの話。季節柄ピッタリでした。M・P・シールの『花嫁』は、教会の日曜学校の校長をしている男が、下宿先の姉妹二人から同時に愛される話です。しかも、この男、結構ズルイのです。「創世記」のヤコブとレア、ラケル姉妹の話が下敷きに成っています。R・F・エイクマンの『列車』を読んで、昔のホラー映画『女子大生危険なサイクリング』を思い出しました。W・W・ジェイコブズの『失われた船』は短いけれど圧巻です。申し分のない文学です。
  • 「ハカイジュウ」第11巻(本田真吾作、秋田書店)
    トール型(巨大特殊生物)の群れと戦うフューズ・シリーズ…。大変なスペクタクルが展開されると思いきや、意外に面白くない。多分、一体一体のモンスターに思い入れを感じる暇もないからでしょう。それは、各フューズについても言えることです。もはや戦闘はドラマの背景でしかなく、グロテスクも凡庸化するのだなと思いました。物語は佳境なのに面白くない、切り株描写が少ないからでしょうか。
  • 「エンニオ・モリコーネ、自身を語る」(エンニオ・モリコーネ+アントニオ・モンダ著、中山エツコ訳、河出書房新社)
    ファンにとっては堪えられない本。例えば、『天地創造』のために書いた曲を、23年後の『サハラの秘宝』に使ったとか、『続・夕陽のガンマン』のエレキギターの音は、磁石を側に置いて弾いたとか、『シシリアン』のテーマはJ.S.バッハの「フーガ/イ短調」前奏曲から生まれたとか、『ガンマン大連合』と『新・夕陽のガンマン/復讐の旅』に、グレゴリオ聖歌の旋律要素が入っているとか、パゾリーニが『テオレマ』に「モツレク」を入れたのは、芸術的な理由ではなく、厄除けのためだったとか(共産党員のくせに!?)…。訳者、よく頑張っていますが、『ピオヴラ』シリーズ(p.187)は『対決』という邦題でビデオ化されていたことを指摘して置きます。因みに、ウェルトミューラーの『バジリスク』の主題歌を歌ったファウスト・チリアーノ(p.48)こそは、『特捜最前線』の「私だけの十字架」を熱唱した人なのです。
  • 「西洋中世奇譚集成/皇帝の閑暇」(ティルベリのゲルファシウス著、池上俊一訳、講談社学術文庫)
    名古屋の「ひつまぶし」を、いつも「ひまつぶし」と読んでしまう私にピッタリの本。12世紀のヨーロッパ各国を遍歴した知識人が、当時、耳にした「驚異」(mirabilia)の数々を蒐集編纂したのです。「馬頭人類」はスウィフトやコクトーを思い出させます。「ドラクス」は日本の河童か中国の水虎に似た妖怪ですが、子孫の乳母として働かせるために、人間の女を水底に引き摺り込んで誘拐します。動物に育てられた子ならぬ、悪霊に養育された娘も登場します(やはり、言葉は忘れています)。この話、オチが怖いです。ダマスカスの教会にある聖母像は、生身の乳房から癒しの油を分泌します。「エペルヴィエ城の貴婦人」は、必ずミサの途中で退席してしまいますが、正体は悪霊の化身で、強引に引き止めると、礼拝堂を破壊して、奈落へ消え行きます。
  • 「日本怪談集/幽霊篇」下巻(今野圓輔著、中公文庫)
    巻頭の「防空頭巾の集団亡霊」(三重県津市、1963年「女性自身」)が圧巻です。その他、アジア・太平洋戦争の戦死者の亡霊について多くのページが割かれています。日本人が「幽霊」について考察する場合に避けて通れない事柄ではあるのでしょう。それにしても、朝鮮人、中国人、アジア諸国の外国人は幽霊に成りません。多くの惨禍をもたらした張本人である日本人の前に化けて出ないのは、どうしてなのでしょうか。やはり、幽霊とは、日本人の自己言及に過ぎないのでしょうか。著者の指摘するように、交通機関の発達と共に、幽霊も電車、タクシー、飛行機に出現します。いずれ宇宙船にも同乗して来るはずです(『ゴースト・オブ・マーズ』か)。
  • 「日本怪談集/幽霊篇」上巻(今野圓輔著、中公文庫)
    著者が福島県生まれの人のため、相馬地方の山中郷、現在の飯館村の話、双葉郡や相馬郡の話が多く採録されています。原発の出来る前は、この地方、本当に辺鄙な所だったのでしょうね。臨終時に現われて、知人を訪ねたりする幽霊を、秋田県鹿角地方では「オモカゲ」と言うのだそうです。『HUNTER×HUNTER』の映画版に、そんなキャラがいましたね。神奈川県立博物館は横浜正金銀行(東京銀行)の建物だったそうですが、関東大震災の大火災で避難した人々は地下室に…。僅かに開いて空気取りをした窓からは、焼死していく外の人々の断末魔が延々と聞えて来たそうです。これはコワイ。
posted by 行人坂教会 at 09:57 | 牧師の書斎から

2013年10月16日

幽径耽読 Book Illuminationその10

  • 「クロニクルFUKUSHIMA」(大友良英著、青土社)
    『あまちゃん』の劇伴で、すっかり有名になった大友良英が、少年時代を過ごしたのが福島県の渡利。3.11の震災と原発事故を契機に、地元の人たちと色々なイベントを催しながら、汚染の現実と向き合い、引き裂かれた故郷を見つめ、福島人の複雑な心情に寄り添って行きます。坂本龍一、遠藤ミチロウといった同じミュージシャンとの対談は運動論として勉強になります。放射線学者の木村真三との対談では、厳しい現実を改めて思わないではいられません。野外公演のために、皆から寄せられた風呂敷を縫い合わせて「大風呂敷」を作り、それを会場全体に広げて、放射性物質を付着拡散させないという発想。「福島が加害者になってはいけない」というテーゼ、感動しました。詩人の和合亮一との対談でも言われている「ふたをされる」という、問題放棄の仕方、東京オリンピック招致決定で、いよいよ現実と成っている今日この頃です。
  • 「岡本綺堂読物集二/青蛙堂鬼談」(岡本綺堂著、千葉俊二編、中公文庫)
    近年、昔読んだ本をそれとは気づかず再読することが多い。表紙の山本タカトの艶かしいボブカット少女の絵(『一本足の女』)に魅かれて、衝動買いしたものの、読めば八割方記憶が甦って来ました。『一本足の女』は『笛塚』と同じく、所謂「妖刀もの」のヴァリエーションですが、庄兵衛と不具の少女お冬との目合(まぐわい)を、もう少し掘り下げて描写していたら、クローネンバーグ好みの異端文学として突出していたことでしょう。それは『笛塚』の2人の若侍、彌次右衛門と喜兵衛との同性愛的な関係にも言えることです。勿論、そこまで深入りしたら、それは綺堂ではなくなってしまうのです。
  • 「前キリスト教的直観/甦るギリシア」(シモーヌ・ヴェイユ著、今村純子訳、法政大学出版局)
    日本には「本地垂迹説」というのがあります。インド発祥の仏教やヒンドゥー教を日本の風土に接ぎ木する方便として、「大日如来は天照大御神のことなり」と宛がって行きます。ヴェイユも古代ギリシアの文学や思想の中に、キリストの十字架と受難の痕跡を探して行きます。しかも、その独自の理念を通して、当時の政治状況や社会環境を解読することさえしています。例えば、自己放棄による善と幸福への到達について語る時、彼女は聖フランチェスコを思い、「見えなくなりたければ、貧しくなるにしくはない」とのスペイン俗謡を引用します。スペイン市民戦争に参加した時代に覚えたのでしょう。「十字架上の苦悶は、復活よりもはるかに神的なものである。それは、キリストの神性が極まる一点である。今日、栄光なるキリストは、わたしたちの目から呪われたキリストを覆い隠してしまっている」。まさしくヴェイユの「十字架の神学」です。
  • 「百鬼園百物語/百濶異小品集」(内田百闥、東雅夫編、平凡社ライブラリー)
    「子供に神秘的な恐怖を教えたい。その為に子供が臆病になっても構わない。臆病と云う事は不徳ではない。のみならず場合によれば野人の勇敢よりも遥かに尊い道徳である。」―この巻頭言を目にして即買ってしまいました。『豹』では、牧師と法華の太鼓たたきが喰われます。多分、百關謳カ、五月蝿い奴が嫌いなのですね。それにしても、豹の皮の下に別の得体の知れぬ何かが入っているという発想の怖いこと。『キャットピープル』の先駆です。巨大鰻が日比谷のお堀から這い上がって来る『ウルトラQ』もどき、漱石の『夢十夜』を髣髴とさせる『柳藻』も良い。裏切った女の幼い弟を山奥に捨てて来る『残照』の後ろめたさと言ったら、これ以上ないくらい気持ち悪い。百關謳カ、愛猫家かと思っていたら、猫の腹を蹴ったり包丁で刺し殺そうとしたりする話もあります。
  • 「大伽藍/神秘と崇厳の聖堂讃歌」(ジュリス=カール・ユイスマンス著、出口裕弘訳、平凡社ライブラリー)
    大学時代に田辺貞之助訳の『彼方』を読みました。『彼方』では、悪魔学と黒ミサの世界にいた主人公、ディルタルが、この作品では、敬虔なカトリック信者になっていて、遂にはベネディクト派の修道院に入ろうと言うのですからオドロキです。シャルトル大聖堂の彫刻とステンドグラスについての象徴学的・美術的・信仰論的な論述が延々と続くのです。それにしても、こんな本、聖書と聖人伝と聖画と教会史を知らない人が読んでも、全く理解できませんでしょう。プロテスタント側から見れば、偶像崇拝以外の何ものでもありません。非カトリック教徒としては、グリューネヴァルトとレンブラントを褒めてくれているのが、せめてもの慰めか。
  • 「ヒストリエ」第8巻(岩明均作、講談社)
    ビザンティオン・ペリントス攻略戦は、堅固な城塞とアテネ海軍の奇襲によって、マケドニア惨敗。スキタイ遠征も帰途上のトリバロイ奇襲によって大損害を蒙る。そんな負け戦の続く中、エウメネスの慧眼と活躍が際立って来る訳です。特に、トリバロイ戦では、人事不省のアッタロスさんの名前を騙って、敵軍を退却させるのに成功します。ところで、これって「名探偵コナン」と毛利小五郎の関係ですよね。
  • 「シュトヘル」第8巻(伊藤悠作、小学館)
    天水の城門を攻撃するモンゴル(西夏人を先兵にしている)が、金国人を楯にして守備隊の弓兵に対抗する場面は、『ブラックホーク・ダウン』のソマリア民兵、『最愛の大地』のセルビア兵を思い出しました。ナランとトルイがシャーマン(巫者)の村に夜襲をかけて住民虐殺の数を競うのですが、殺した者の耳を削ぎ落として集めます。これも、豊臣秀吉の「朝鮮征伐」(文禄・慶長の役)を思い出します。
  • 「あなたに似た人〔新訳版〕U」(ロアルド・ダール著、田口俊樹訳、ハヤカワ文庫)
    『満たされた人生に最後の別れを』の原題は「Nunc Dimittis」、「ルカによる福音書」3章の、幼児キリストに相見えた老シメオンが「主よ、今こそあなたは、お言葉通り、この僕を安らかに去らせて下さいます」と歌う讃美の詩です。勿論、ダールが使うからには、大変な皮肉と成っています。年老いた独身男性がおバカな復讐心に血道を上げたばかりに、長年属していた社交界から排除されるトホホな話です。私は田舎者なので、連作『クロードの犬』がお気に入りです。特に、ドッグレースで一儲けを企む話『ミスター・フィージー』は(高校時代、夢中で読んだ)アラン・シリトーのような味わいもあって、無惨な幕切れながら、不思議な人生の哀歓を湛えています。
  • 「昭和史/1926―1945」(半藤一利著、平凡社ライブラリー)
    辻正信と田中新一は、関東軍が壊滅的に敗北したノモンハン事件の作戦参謀でありながら、その責任を問われることなく、そのまま太平洋戦争、ガダルカナルやインパールの作戦参謀となり、再び数十万の将兵を死地に追いやることになります。どうして日本国の権力組織は、こうも性懲りもなく同じ失敗を繰り返すのでしょうか。因みに「反軍演説」で知られる斎藤隆夫は、曽祖父が支持者だったらしく、私の実家にもよく出入りしていたようです。親米派の外務官僚として名前が挙げられている堀内謙介は、蒋介石の中国政府との休戦工作「トラウトマン工作」で知られる人物ですが、わが行人坂教会の有力会員でした(1979年召天)。
  • 「時を生きる種族/ファンタスティック時間SF傑作選」(ロバート・F・ヤング、フリッツ・ライバー他著、中村融編、創元SF文庫)
    やはり、T・L・シャーレッドの『努力』が傑出しています。それにしても何と地味な邦題でしょうか(原題はE for Effort)。解説によると、これ1作だけの一発屋らしいのですが、歴史的傑作であることは疑いの余地がありません。タイムマシン・カメラで歴史のエポックをフィルムに収めることが出来たらどうなるかというネタです。映画ファンとしては、とても楽しい筋立てです。結局、映画の愉しみは「のぞき趣味」なのですが、それを政治や軍事の世界でやったら、永遠の反権力闘争になる訳です。ヤングの『真鍮の都』、クリンガーマンの『緑のベルベットの外套を買った日』は少女マンガそのものでした(ほめ言葉です)。
  • 「オタク・イン・USA/愛と誤解のAnime輸入史」(パトリック・マシアス著、町山智浩編訳、ちくま文庫)
    雑誌「映画秘宝」を定期購読していた時代に、彼の連載コラムは読んでいました。深作欣二の『宇宙からのメッセージ』について綴ったくだりで転げ回って笑ったのを覚えています。「…子供の目から見ても、狂っていた。宇宙を飛ぶ帆船、ダボシャツにステテコの宇宙チンピラ、顔を銀色に塗った東洋人が演じるガバナス星人…。それはSFというより麻薬のバッド・トリップのようだった。」―この文章も入っていますが、比較文化論として優れた本です。異文化に対して基本的に排他的であるアメリカ社会が、日本文化の中で醸成されたファンタジーを、どのようにして受容して行ったかという、愛とエロスに満ちた文集です。
posted by 行人坂教会 at 16:22 | 牧師の書斎から

2013年08月07日

幽径耽読 Book Illuminationその9

  • 「白魔」(アーサー・マッケン著、南條竹則訳、光文社古典新訳文庫)
    ふと、気が付くと、最近、南條竹則訳の幻想小説ばかりです。「プロローグ」の隠者アンブローズとコットグレーヴの対話こそは、マッケンの思想のエッセンスです。物質文明の中を生きなければならぬ、現代の幻視者の立ち位置です。その点で、併録の「生活のかけら」は小説としては限りなく退屈ですが、物質生活から霊的生活へと移動するための(随筆形式の)指南書なのでしょう。マッケンの父親が国教会の牧師であるのは知っていましたが、まさか「高教会派」(High Church)だったとは驚きです。それなのに生活に窮乏していて…。マッケンがカトリックに改宗するのも無理ありません。T・S・エリオット、ブラウン神父(チェスタトン)、そんなのばっかり読んでいます。
  • 「天来の美酒/消えちゃった」(アルフレッド・エドガー・コッパード著、南條竹則訳、光文社古典新訳文庫)
    墓場に最後に埋められた者が、古参の連中の奴隷となって、他の亡者どもに仕えねばならぬという、恐ろしい迷信に囚われた老人の悩み(「マーティンじいさん」)。自分の教区(parish、日本で言えば「教会」)の皆の衆を天国まで導きながら、自らは門扉を閉ざされてしまう牧師のショック(「レイヴン牧師」)。田舎の少年が俳優から信仰復興運動の説教者へと転身、挫折、最愛の女性との死別を経て、修道会の運営する救貧院で死を迎える人生(「天国の鐘を鳴らせ」)。自称無神論者コッパードによるこれらの短編こそ、牧師必読の小説です。
  • 「ソーシャルワーカーという仕事」(宮本節子著、ちくまプリマー新書)
    ソーシャルワーカーは他者の人生に介入する仕事。「それらの人生に向き合うことにより自分の頭の中の引きだしを一つ一つ増やしていく。そうした蓄積を重ねて、ワーカーとして成長出来るのです」。牧師という自分の仕事を振り返ると、その共通性に驚かされました。これまで大勢の人たちに出会いました。その1人1人と交わした対話、一緒に過ごした教会生活、共に祈り働いたこと、そういった事が私の胸の中に抽斗を増やしていたのです。明治から昭和にかけての賀川豊彦、石井十次、富岡幸助など、キリスト者がソーシャルワーカーの先駆的な働きをしていたことも思い出されました(p.166、5〜8行目)。ワーカーが絶望してはいけない。楽天的でなければいけない。しかし、職業的な憂いが必要。この辺り、牧師の仕事そのものです。
  • 「知れば恐ろしい日本人の風習」(千葉公慈著、河出書房新社)
    「ぼたもち」「おはぎ」に関連して、社寺の朱色信仰が血液、それも神への供犠の、台座から滴り落ちる生贄の血を起源とするという話。あるいは「蘇民将来」の一族が「茅の輪潜り」で疫病除けをしたものの、「巨旦将来」の一族が滅亡する話。これらは、まさに「過越祭」の起源譚を彷彿とさせます。福の神を外へ逃がさないため、正月に雨戸を閉め切ったり、掃除、労働せず、物忌み状態で過ごす。これまた「安息日」律法に共通します。巻末の「小泉小太郎」説話から「神仏習合」の粋を抜く辺りの見事さ、感服しました。仏教同様、外来宗教であるキリスト教も、明治以来の禁忌を犯して、習合の営みに踏み出すべきなのかも知れません。
  • 「カイヨワ幻想物語集/ポンス・ピラトほか」(ロジェ・カイヨワ著、金井裕訳、景文館書店)
    「ポンテオ・ピラトのもとに十字架につけられ、死にて葬られ…」とは、今も毎週の礼拝で唱えられる「使徒信条」の一節です。そのピラトが、もしも異なった判決を下していたら…という小説です。「それはシモン・ペトロの切り落とされた耳が奇跡によってもと通りになる話であり…」(p.89)は、「シモン・ペトロによって」とすべきでしょう。併録の「ノア」も、深い洞察に満ちた物語です。大洪水の中、羊飼いの母親が乳飲み子もろ共に大きな鮫に食べられるのを、ノアは目撃してしまいます。その理不尽さに彼の正義感はショックを受けます。ノアは、自分が神によって救われたことを誇りとは感じられなくなり、酒浸りになっていくのです。ワインを飲んで酔っ払う「農夫ノア」の物語(創世記9章20〜28節)を見事に織り込んであります。
  • 「終点:大宇宙!」(A・E・ヴァン・ヴォークト著、沼沢洽治訳、創元SF文庫)
    やはり、怪獣ファンとしては「休眠中」のイーラでしょう。異次元からゾロゾロと侵入して来る「音」のイェーヴド人も、「アウター・リミッツ」や「ウルトラセブン」を思い出させます。昔の翻訳(1973年)のせいばかりではないでしょう。今読むと、懐かしいと言うか、古臭い印象もあります。その辺りが、フレドリック・ブラウンやシオドア・スタージョンと違うのです。それでも(と言うか、それ故に)巻頭の「はるかなりケンタウルス」はオチが最高です。
  • 「ハカイジュウ」第10巻(本田信吾作、秋田書店)
    『世界怪獣映画入門!』(洋泉社MOOK)に大畑創監督(『へんげ』)による実写プロモ版『ハカイジュウ』の写真が載っていて、思わず長男に見せてしまいました。秋田書店のビルが破壊される楽屋落ちみたいな場面があるのですが、編集部から逃げ出している後ろ姿の人物が「手長足長」みたいで、これが一番気持ち悪かった。ハッキリ言って、クラーケンはインパクトありません。新型の巨大フューズの方が印象的でした。
posted by 行人坂教会 at 22:43 | 牧師の書斎から

2013年07月05日

幽径耽読 Book Illuminationその8

  • 「秘書綺譚」(アルジャノン・ブラックウッド著、南條竹則訳、光文社古典新訳文庫)
    死んだ友人が訪ねて来る「約束」は、水木しげるが漫画化したことで有名です。他にも巻末の「転移」等も『墓場の鬼太郎』の「夜叉と吸血鬼の対決」の元ネタかも知れません。そう言えば、表題作「秘書綺譚」は、飢えた人狼のような食人鬼とその奇怪な「ユダヤ人」の召し使いに追い回される話ですが、これも「鬼太郎」の「顔の中の敵」の人狼を思わせます。
  • 「ねじの回転」(ヘンリー・ジェームズ著、南條竹則・坂本あおい訳、創元推理文庫)
    中学生の頃でしたか、マーロン・ブランド主演の『妖精たちの森』という英国映画を観ました。貴族の邸宅(マナーハウス)を舞台に、下男クウィントと家庭教師ジェスル先生の愛欲模様を描いていました。結局、その邸の姉弟によって2人は殺されてしまうのです。少し人物設定の変更はあるものの、『ねじの回転』の前日譚ですね。あの映画を観ていたせいで、本書では曖昧にしか表現されない背景も具体的にイメージすることが出来ました。併録の「幽霊貸家」が意外に素晴らしい拾いものでした。
  • 「アド・アストラ」第4巻(カガノミハチ作、集英社)
    「ミヌキウスとアエミリウス」から「和解」にかけて、ジーンと心に染みる良い展開です。登場人物に感情移入しにくい諸星大二郎系の絵だったのですが、随分キャラに血を通わせようと努力なさっています。性格の悪そうなヴァロの表情とか、スキピオの婚約者アエミリアの愛らしさとか…。ローマ歩兵の三戦列の陣形とか、貴族と平民との関係とか分かり易く具象化されていて、我が家の中坊が読んでも理解できる程、よく出来ています。いよいよ次の巻は「カンナエ」です。
  • 「人間和声」(アルジャノン・ブラックウッド著、南條竹則訳、光文社古典新訳文庫)
    「幽霊屋敷もの」のカテゴリーに入るのでしょうが、ホラーとは言えません。クライマックスに達しても、こちらの想像力の不足からか、不安や恐怖を感じることはありませんでした。そうそう、ユダヤ教の神名「YHWH」は、通常は決して発声されることはなく、秘匿されていました。そして、1年に1度だけ、エルサレム神殿の大祭司が至聖所において、その御名を囁くことが許されていたのでした。その話を思い出しました。その手のカバラ話に、音階と色彩と香りを加えてアレンジした辺りが、ブラックウッドの芸達者なところです。古代ヘブル語には母音記号はありませんでした。一旦、死語になったせいで、その文字を何と発声するかは、暗号解読並みに成ってしまったのです。
  • 「怪獣文藝」(東雅夫編、メディアファクトリー)
    吉村萬壱の「別の存在」がエログロの強度で抜きん出ています。但し、全体的な印象は「ゾンビもの」「インフェクテッドもの」で、「怪獣もの」ではありません。語り口の心地良さでは、山田正紀の「松井清衛門、推参つかまつる」でしょうか(これもゾンビでしたが…)。結局、一番感動したのは、夢枕獏との対談で、特技監督の樋口真嗣が「怪獣は夜の闇の中で目が光っているものだと、長年思い込んでいて、実際に光らせてみたら、ねぶた祭りだった」と話しているところでした。やっぱり「幽BOOKS」のせいか、編集者が東先生だからなのか、90%が「怪獣より妖怪」でした。
  • 「見えない日本の紳士たち」(グレアム・グリーン著、高橋和久他訳、ハヤカワepi文庫)
    大学1年生の英書講読のテキストが『第三の男』でした。魅惑的な三十路の女性講師でした。彼女は今頃どこで何をしておられるでしょうか。グリーンはカトリック作家と紹介されていますが、一筋縄では行きません。例えば、「祝福」は、大司教が侵略戦争に使用される戦車を祝福する話、「戦う教会」は、独立前の動乱のケニアを舞台に、カトリックの宣教師たちを描いています。しかし、単純で護教的な信仰譚でもなければ、浅薄な宗教批判でもありません。個人的には、キングのホラーみたいな味わいの「拝啓ファルケンハイム博士」、「庭の下」が気に入っています。
  • 「新・忘れられた日本人」(佐野眞一著、ちくま文庫)
    このような異色人物列伝を書く時の手掛かりとしたのは、かつて著者が『原色怪獣怪人大百科』を編集した時の手法だったとの告白(「あとがき」)にビックリ。確かに「怪人」としか言いようのない異形の人物たちが次から次へと登場します。個人的には、満映、東映に繋がる人たち(西本正、根岸寛一、笹井末二郎、岡田桑三)が面白かったです。とりわけ千本組の組長でありながら、アナキストを支援し、甘粕とも親交を結んでしまう笹井が最高でした。
  • 「「呪い」を解く」(鎌田東二著、文春文庫)
    最初は少し警戒しつつ読み始めましたが、著者の絶妙のバランス感覚(「ブレない」と言った方が良いでしょうか)に、信頼を置いて読み終えることとなりました。「呪い」の世界が一面的ではなく、一筋縄で行かないのと同じく、仏教もキリスト教も、鈴木大拙も平田篤胤も、これを語る時には、あちらこちらに目配りが必要です。その繊細さと、先に述べた「ブレなさ」加減(骨太さ)を持ち合わせて居られます。地下鉄サリン事件の朝に、著者が異常な感覚に悩まされたり、「魔界論」執筆に当たって、霊的妨害を受けたりする辺りも、折口信夫の精神の数少ない継承ではないかと思いました。
posted by 行人坂教会 at 15:55 | 牧師の書斎から

2013年05月26日

幽径耽読 Book Illuminationその7

  • 「モンタヌスが描いた驚異の王国/おかしなジパング図版帖」(宮田珠己著、パイ・インターナショナル)
    ラジオ体操の前屈運動のように、立ったまま両手を地面近くまで伸ばして礼を交わすサムライたち、「悪魔の植物人間」にしか見えない仏像、豊かな乳房を露わにした半裸の大仏、あたかも水木しげるの「妖怪城」のような天守閣、集団自殺のように描かれた補陀落渡海の図…。私たちの想像を絶する異次元の日本の風景が続きます。ラヴェルの歌曲『シェヘラザード』の第1曲「アジア」が脳裏に響くようでした。西洋人の誤解と妄想とが生み出したSF的な異世界です。モンタヌスはオランダ改革派教会の牧師です。
  • 「月を見つけたチャウラ/ピランデッロ短篇集」(ルイジ・ピランデッロ著、関口英子訳、光文社古典新訳文庫)
    白水社刊の『カオス・シチリア物語』とカブっている作品は思いの他少なく、その上、幻想文学の掌篇が集めてありました。表題作『月を見つけたチャウラ』や『使徒書簡朗誦係』は、聖フランチェスコの汎神論的な信仰を思い出させます。『ひと吹き』は、自らが疫病神と成って、町を破滅させていく物語。「出エジプト記」12章の「ネルガル」みたい。『すりかえられた赤ん坊』は、魔女によるチェンジリングを思って読み始めると、やがて、更に恐ろしい現実が見えて来ます。『手押し車』や『笑う男』には、家庭の中で追い詰められている私たち、中年男の現実が余す所無く描かれています。
  • 「禅銃/ゼン・ガン」(バリントン・J・ベイリー著、酒井昭伸訳、ハヤカワ文庫)
    キーパーソンとなる「小姓」池松八紘の喋り方が、テレビアニメ『NARUTO』の自来也そっくりだったので、読んでいる間中、大塚芳忠の声が頭から離れませんでした。豚族がクーデターを起こして、帝国を支配下に置くのは、オーウェルの『動物農場』と同じです。「イタチ族は自然の生み出したもっともすぐれた殺戮機械であり」云々は、斉藤惇夫の『冒険者たち/ガンバと15ひきの仲間』の読者にとっては親しみの持てる意見。それにしても、人猿パウトの活躍が意外な程に少なく、『西遊記』や『ドラゴンボール』の展開を期待した私(バカ)には何とも拍子抜けでした。でも、パウトの禅銃の使用法、私も是非やってみたいです。
  • 「レクィエムの歴史/死と音楽との対話」(井上太郎著、河出文庫)
    プロテンタント陣営からは、J.S.バッハ、H.シュッツ、J.ブラームスの3人が採り上げられているだけですが、『ドイツ・レクイエム』については、著者の思い入れ並々ならぬものを感じました。20世紀後半の「現代音楽」作曲家の作品も同等に扱われていて、その公平な批評眼だけでも敬服に価します。「聴き手は音楽が終わった時、それが鳴っていた『有限の時間』が『無限の時間』に変わる瞬間を体験する。それはなんと人の死に似ているのだろう」。著者は人生、命もまた「メビウスの帯」に例えているのです。私たちが生きている所の、その裏返った所に、死者が「生きる」世界があるのです。
  • 「ハカイジュウ」第8〜9巻(本田真吾作、秋田書店)
    新宿のコクーンシアタービルがロケットと成って飛ぶのは、もう子供の空想そのまんま。お台場封鎖作戦の比ではありません。9巻の「三つ巴」で戦うトール型。これって『決戦!南海の大怪獣/ゲゾラ・ガニメ・カメーバ』でしょう。チブル星人みたいのと、メトロン星人にワイアール星人足したみたいのと、ムルロアみたいのとが戦います。「人間肉団子」もグロかった。フェーズは『メタルギア』シリーズの雷電、押井の『ケルベロス』をグロテスクに発展させたやつです。
  • 「クラシック音楽は『ミステリー』である」(吉松隆著、講談社α新書)
    「ピアノがうまく弾ける」というのは「ボタンの早押し」や「モグラ叩きゲーム」と同じ反射神経の問題だと…。「『絶対音感』にも、パブロフの犬以上の意味はない。それは、訓練と対応能力の問題であって、『音楽』の才能とは全く別の要素だ」。同じことを、私たち素人が言っても笑われるだけですが、作曲家先生が言って下さると説得力があります。どのジャンルでも、早期英才教育による純粋培養種の育成が盛んです。しかし、僅かな環境の変化で忽ち絶滅するのです。絶滅せずとも、各家庭の「不良債権」(『のだめカンタービレ』より)と化している子たちが大勢います。
  • 「Cinematrix/伊藤計劃映画時評集2」(伊藤計劃著、ハヤカワ文庫)
    これを読みながら、著者が既に「屍者の王国」の住人であるという事実に、中々、得心が行きませんでした。彼が生前、個人のウェブサイトにアップしていた映画レヴューということで、語り口がブログのそれなので、そんな気がするのでしょう。特に押井作品評(『アヴァロン』『イノセンス』)が素晴らしいです。ここまで適正な批評をした人を他に知りません。出来ることなら『スカイ・クロラ』評を読んでみたかった…。渡辺文樹の『腹腹時計』体験記など、私も些か覚えがあって苦笑せざるを得ませんでした。そう、見世物小屋、グラン・ギニョール、アングラ芝居の世界が息づいているのです。でも、よく数十人もの観客が集ったものです。サンプラザ市原ホール、凄い。
  • 「ル・グラン・デューク」(ヤン作、ロマン・ユゴー画、宮脇史生訳、イカロス出版)
    ソ連の女性パイロット「夜の魔女」の話は、その昔、松本零士の『ザ・コックピット』で読んだ覚えがあります。ライバルとなる「エクスペルテン」ヴルフの乗る機がFw190、ハインケル219(ウーフー)、Ta‐152H、ミステルと変化して行きます。ヒロイン、リリアの機も複葉機ポリカルポフに始まって、シュトルモヴィク、ペトリヤコフ‐3、La‐5FN、エアコブラと変わります。終戦後、二人が生き延びて再会するのが良いです。まっ、ファンタジーだけど。バンド・テシネ(マンガ)ですから。暗いリアリズム一辺倒では楽しくありません。
  • 「雲の彼方/オドゥラ・デ・ニュアージュ」(レジ・オーティエール作、ロマン・ユゴー画、宮脇史生訳、イカロス出版)
    谷口ジローの絵と似ているのでビックリ。そして、フランスにも滝沢聖峰みたいなマンガ描いている人がいるのね。でも、物語の作風は、やっぱり谷口に近い。谷口の『遥かな町へ』が仏語圏で人気が高く、ベルギーで映画化されたりしているのも頷けます。後半の連作『最後の飛翔』は短いエピソードの積み重ねながら、神風、ノルマンディー、エクスペルテン、ヤコブレフと来て、モザイクのように因果が巡って、エピローグでは思わず空を見上げたくなりました。
  • 「刻刻」第1〜6巻(堀尾省太作、講談社モーニングKC)
    この「ドンドン面白く成って行く」感覚、久しぶりに味わいました。冴えない一家に火が着いて…という意味では、ポン・ジュノ監督の『グエムル/漢江の怪物』にも似ています。雑多で得体の知れない登場人物がザクザク「整理」されて行く力学を楽しむことが出来ます。読者の読みの裏切り方も大したものです。少し岩明均の『七夕の国』を思い出しましたが、この「止界」観はかなり独創的です。
  • 「ヒュペルボレオス極北神怪譚」(クラーク・アシュトン・スミス著、大瀧啓裕訳、草原推理文庫)
    幾度、斬首刑に処しても蘇る怪人と首斬り役人の物語『アタムマウスの遺書』、黒魔術師と彼を捕らえようとした宗教裁判官とが異世界で呉越同舟となる『土星への扉』(悟空とベジータみたい)が私の好みです。17世紀の海賊たちが、偶然、手に入れた酒壷に入っていたのは『アトランティスの美酒』だったという怪異譚、これも単純で面白い。清朝の官吏を主人公にした『柳のある山水画』は、小泉八雲にも同趣向の作品があったように思います。
posted by 行人坂教会 at 15:53 | 牧師の書斎から

2013年04月05日

幽径耽読 Book Illuminationその6

  • 「鳥と雲と薬草袋」(梨木香歩著、新潮社)
    「旅をしたことのある土地の名が、ふとしたおりに、『薬効』のようなものを私に与えてくれていると気づいた」(「あとがき」より)。なるほど、「富士見」「姶良」「由良」「京北町」「日向」「樫野崎」「西都原」「新田原」…。旅行の経験の僅かな私ですが、それでも著者の愛着とカブる地名がありました。訪れた時の暑さ寒さ、空の色と風の音、同じ時と場を過ごしながら、今は音信の絶えた人たちが蘇って来ます。
  • 「四つの四重奏」(T・S・エリオット著、岩崎宗治訳、岩波文庫)
    受難週からイースターまでの期間に鑑賞しました。「空ろな人間」と「灰の水曜日」は、大学時代、原詩を誦していたのでしたが、今回は、綿密な訳註にビックリ。随分、誤解していたことがありました。「滴る血だけがわれらの飲み物、/血にまみれた肉だけがわれらの食。/それなのに、われらは思いがち、/自分は健やかで血と肉に満ちているのだと――/それなのに、われらはこの日を佳き金曜日と呼ぶ。」 四重奏の第2楽章「イースト・コウカー」のクライマックスです。ホラーではなくて、十字架の受難です。
  • 「荒木飛呂彦の奇妙なホラー映画」(荒木飛呂彦著、集英社新書)
    アニメ化された『ジョジョ』を見たら、エンディングにイエスの「ラウンドアバウト」を使っているではないですか。死ぬ程カッコ良かったです。「田舎に行ったら襲われた」系ホラー(『悪魔のいけにえ』『サランドラ』『変態村』)というジャンル命名に感動。背景に著者の原体験もあって納得。「見る人が恐怖するしかないような状況を描く映画」というホラー映画の定義から始まる辺り、著者の溢れる思いが感じられます。その定義によれば、『プレシャス』や『エレファント・マン』は純然たるホラーなのです。
  • 「見て学ぶアメリカ文化とイギリス文化/映画で教養をみがく」(藤枝善之編著、近代映画者SCREEN文庫)
    副題の「教養をみがく」が恥ずかしいです。けれども、採り上げる映画1本につき、必ず3冊の参考書籍が挙げられているように、勉強をして裏付けを取った知識を紹介しています。その誠実な態度に好感がもてます。『グリーン・フィンガーズ』は、私のお気に入りの作品。ミルトンの『失楽園』のエデンは「整形式庭園」から「風景式庭園」に設定変更が為されたという薀蓄、勉強になりました。
  • 「厭な物語」(アガサ・クリスティー他著、中村妙子他訳、文春文庫)
    読後感の悪い短編のアンソロジーです。大好きなシャーリィ・ジャクソンの『くじ』が入っているので買いました。要するに「ヨシュア記」7章の「アカン」の話です。私の心臓の直球ド真ん中に来たのが、ジョー・R・ランズデールの『ナイト・オブ・ザ・ホラー・ショウ』。ハッキリ言って趣味悪いです。登場人物は語り手の主人公も含めて、全て反吐の出そうな奴ばかり。残忍極まりないのですが、なぜか切ない印象が後を引きます。
  • 「邪悪な植物」(エイミー・スチュワート著、山形浩生監訳、守岡桜訳、朝日出版社)
    最近、連れ合いが中庭でハーブと花を育てるようになり、園芸店で足止めを食うことが多くなりました。有名なキョウチクトウに始まり、ホテイアオイ、ルバーブ、ニワトコ、クズ、ライム、ジンチョウゲ、ニセアカシア、アジサイ、スズラン、スイートピー、チューリップ、ヒヤシンス等、園芸店は「毒草」の宝庫です。普通に園芸やってて、ホーソンの『ラパチーニの娘』に出て来るような「毒草植物園」が作れます。
  • 「食糧の帝国/食物が決定づけた文明の勃興と崩壊」(エヴァン・D・G・フレイザー、アンドリュー・リマス著、藤井美佐子訳、太田出版)
    中世の修道院は、農地開発と食糧加工技術、製粉権の独占によって農業ビジネスを展開し、現代のウォルマートに匹敵する存在だったそうです。例えば、小麦からビールを製造したのも、流通販売に適切だったからとか。フェアトレード運動の元祖は、エドナ・ルース・バトラーというメノナイト教会の信徒だったとか、神智学者のルドルフ・シュタイナーが有機農法の原則を確立したとか、19世紀英国社会がエールから紅茶へ嗜好の大転換を果たした時にメソジスト教会が影響を与えたとか…。宗教ネタも豊富です。現代の大規模化し作物特化した農業は、原子力産業と同じカラクリなのです。そう言えば、昔から、東京水産大学の水口憲哉先生は「農業の工業化、漁業の農業化」と言って、警鐘を鳴らして居られました。
  • 「花の日本語」(山下景子著、幻冬舎文庫)
    牡丹の異称「深見草」は渤海から伝わったとされ、日本では渤海を「ふかみ」と呼んだとか…。満州國を舞台にした、安彦良和の『虹色のトロツキー』の主人公の名前が「深見」だったのは、そういう含みだったのですか。バナナの和名を「実芭蕉」と言うの件で、吉本ばななのペンネームに松尾芭蕉気取りを発見したり、梨の異称「有実」と聞いて、女優の有森也実を思い描いたり、カラスウリの異称が「玉章(たまずさ)」と知っては、『南総里見八犬伝』の玉梓の怨霊を想い起こしたり…。
  • 「とうもろこしの乙女、あるいは七つの悪夢」(ジョイス・キャロル・オーツ著、栩木玲子訳、河出書房新書)
    私にとって、少年時代最大のトラウマ映画は『小さな悪の華』です。表題作はその血を受け継いだ悪夢です。アメリカを代表する写真家、ダイアン・アーバスの作品には、繰り返し「双生児」が採り上げられ、社会不安が表現されていました。「化石の兄弟」「タマゴテングダケ」を読んで、アーバスの写真と森脇真末味のマンガを思い出しました。「ヘルピング・ハンズ」「頭の穴」には、ブッシュ政権とイラク戦争のもたらした国民生活の逼迫がホラー仕立てで表現されています。
  • 「Running Pictures/伊藤計劃映画時評集1」(伊藤計劃著、ハヤカワ文庫)
    丁度、今、聖書研究で「ヨブ記」を読んでいて、著者の『プライベート・ライアン』評にグッと来ました。「語るのではなく、描写すること。説教するのではなく、突き付けること」。これぞ「ヨブ記」です。因果応報という、その世界の秩序付けを護るため、繰り返し「説教する」ヨブの友人たちに対して、ヨブは「オレの姿を見ろ!」「これが世界の現実だ!」と叫び続けるのです。『グラディエーター』評で、「アウグストゥス」のことを「アウグスティヌス」と、2度も誤記されていました。誰か校正してやれよ。こんなことでは、故人たる著者が浮かばれません。
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2013年02月16日

幽径耽読 Book Illuminationその5

  • 「米軍が恐れた「卑怯な日本軍」(一ノ瀬俊也著、文藝春秋)
    米陸軍の対日戦マニュアル「The Punch below the Belt」から説き起こし、満州事変、日中戦争、張鼓峰事件、ノモンハン事件の「戦訓」も分析。圧倒的な火力を誇る敵軍に対しては、誰しも「卑怯な戦法」を採らざるを得ないのです。日本軍は、そのゲリラ戦においても中途半端だったことが分かります。「無策のツケは、最終的に現場が自らの創意工夫で支払わされることになった」。「上層部の無策を現場が頑張って解決しようとしてしまうという、今でも続く日本社会の構図」。これ、米軍戦車に対抗するのが、肉攻による地雷という話です。
  • 「失脚/巫女の死/デュレンマット傑作集」(フリードリヒ・デュレンマット著、増本浩子訳、光文社古典新訳文庫)
    『故障』が抜群に面白い。料理の描写が美味しい。『失脚』は、スターリンからフルシチョフに権力交代した時はこんな感じだったのかと思わせます。本の栞に登場人物紹介があって助かりました。映画監督のベルトラン・タヴェルニエが京都で講演した時に、サインを貰ったことがあります。タヴェルニエの『判事と暗殺者』はデュレンマットの原作だったのですね。
  • 「ゾティーク幻妖怪異譚」(クラーク・アシュトン・スミス著、大瀧啓裕訳、創元推理文庫)
    洞窟を抜けると異世界に。その庭園の果実を食べると、失われた王族の人生を辿る。『クセートゥラ』は『千と千尋』です。人生の歩みが文字化される『最後の象形文字』、人間の屍に魔界の植物を接ぎ木する『アドムファの庭園』が大好き。首が鈴生る椰子、耳の咲く蔓、乳房の実るサボテン、花弁の中で動く目…。これはIPS細胞か、はたまた、天才会田誠の「愛ちゃん盆栽」か。
  • 「せどり男爵数奇譚」(梶山季之著、ちくま文庫)
    うちの教会員に、梶山の事務所に勤めていたKさんがいます。それを知って以来、身近に感じるようになりました。最初は「男爵」然としていた笠井氏が、中盤から「…でげす」とか「…でさあ」と、お下品な喋り方になります(微妙なキャラ変更)。永井荷風のイメージを推し進めたということでしょうか。梶山お得意の「京城もの」、本格推理(松本清張の『黒い福音』とカブる)みたいな「キリシタン版」は、さすが名手と思わせます。巻末の「人皮装『姦淫聖書』」に至っては、サド侯爵も乱入して、悪ノリが過ぎています。でも、私なら刺青を入れた人皮にするな。Kさんの家には、梶山の描いたキリストの絵があるのだそうです。
  • 「英語で読む罪と罰の聖書」(石黒マリーローズ著、コスモピア)
    高校時代に購読していた「スクリーン・イングリッシュ」で、著者の文章を読んだことがあり、懐かしくて買いました。「創世記」のエピソードに、かなりの分量が割かれています。犯罪、セックス、悪魔、地獄という皆の大好きなテーマで勉強しましょう。「煉獄」と「アブラハムの懐/the bosom of Abraham」の関係、これは使えるネタです。
  • 「奇形建築物世界遺産100」(珍建築研究所編、扶桑社)
    樫の木の中に造られた礼拝堂(仏)、先住民プエブロ族の伝統を採り入れた土壁のカトリック教会(米)が、職業的に参考になりました。個人的な趣味としては、シュヴァルの理想宮(仏)、湖畔の岩の間に建つ家(仏)、ストーンハウス(葡)、仏教テーマパーク(ラオス)に行ってみたい。要するに、大企業や行政が巨費を投じて作った「箱物」が嫌いなのです。改めて納得しました。
  • 「HUNTER×HUNTER/ハンター×ハンター」第0巻「クラピカ追憶編」(冨樫義博作、集英社)
    二男が映画『緋色の幻影』を観に行って貰って来ました。丁寧な画線、完成した構図、短けれども素晴らしい物語…。最新刊32巻「完敗」(題名通り)の手抜き作業と比べるべくもありません。あれは「間奏曲」としても許容外です。
  • 「ブラウン神父の無心」(ギルバート・キース・チェスタトン著、南條竹則・坂本あおい訳、ちくま文庫)
    それにしても、ブラウン神父の口から出るスコットランド長老派に対する揶揄は凄まじい限り。ピューリタンに対するイヤミもありますが、スコットランド人は異教徒扱い、カルヴァン派が本当に嫌いだったのですね。まあ、幾分その気持ちは理解できます。「他のすべての人間の聖書も読むのでなければ、自分の聖書を読んだって無益だ」。全くその通りです、神父さま。
  • 「キャプテン・アメリカはなぜ死んだか/超大国の悪夢と夢」(町田智浩著、文春文庫)
    アーミッシュの「ラムシュプリンガ」、デヴィッド・ロシュの「信心80%の教会」等、結構、キリスト教ネタがあり、勉強になります。これを読んでいた時に、丁度、コネティカットの小学校の虐殺事件が起こりました。あの国が経済、政治、文化、軍事、宗教などによって、世界を牽引しているかと思うと呆然とします。いずれ行き着く先は破滅かと…。
  • 「18の罪/現代ミステリ傑作選」(ローレンス・ブロック他著、田口俊樹他訳、ヴィレッジブックス)
    昔、虫明亜呂無が引用した文章に接して以来、ジョイス・キャロル・オーツの作品を読みたいと思っていました。勿論、オーツの『酷暑のバレンタイン』は巻末を飾るに相応しい傑作。札幌時代、私の後輩の牧師に、これと似た状態の死体を発見する羽目になった人がいます。いずれ劣らぬ傑作揃いのアンソロジーです。
  • 「汚辱の世界史」(ホルへ・ルイス・ボルヘス著、中村健二訳、岩波文庫)
    学生時代に『悪党列伝』(晶文社)として出版された本書を読んでいました。30年を経て、改めて読んでみると、ボルヘス独特のネジレが心に沁みるのです。巻頭の、ラス・カサスが「インディオスの破壊」について訴えなければ、黒人奴隷も存在せず、ハバネラもブードゥー教も生まれなかったという件などは典型です。煉獄に行ったメランヒトンの話(まるで幻想文学の筆致ですが)、本当にスウェーデンボルク自身がこんな風に書いていたとは思えません。
  • 「シュトヘル」第7巻(伊藤悠作、小学館)
    スドーが消えてシュトヘルが還って来た!! ジルグス戦で手負いのハラバルと完全復活を果たしたシュトヘルとの死闘は、まさに『キングコング対ゴジラ』の迫力でした。当然の引き分けの後に、新キャラ登場。これで繋いで行きます。やはり、西夏文字は海を渡って、日本に来るのですかね。
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2012年12月12日

幽径耽読 Book Illuminationその4

  • 「HUNTER×HUNTER/ハンター×ハンター」第13巻「参戦」(冨樫義博作、集英社)
    私が一番好きなキャラはレオリオです。そのレオリオが放出系(?)の念能力で、ジンに一撃を喰らわす場面が愉快。ネテロ会長亡き後の選挙戦から、ゾルディック家のお家騒動へ話がシフトしつつあります。いつものことだけど、面白くなれば良いです。
  • 「六本指のゴルトベルク」(青柳いづみこ著、中公文庫)
    娘をピアニスト、ヴァイオリニストにしようと懸命な母親たちがいる。つくづく「駱駝が針の穴を通る」ような虚しい夢なのだと思う。それも、児童虐待に近いという意味では悪夢。しかし、その悪夢の中から、ミステリーやホラーが生まれるのだから、満更、捨てたものではありません。
  • 「戦闘技術の歴史2/中世編」(マシュー・ベネット他著、浅野明監修、野下祥子訳、創元社)
    ボヘミアのフス派が単なる宗教集団ではなく、「車輪の壁」という戦術兵器を開発した戦闘集団だということが分かりました。軍師ヤン・ジシュカ、偉い。コンスタンティノープルを攻め落としたオスマン帝国のスルタン、メフメト2世がキリスト教徒の女奴隷の息子だというのは知っていました。しかし、彼のために攻城用大砲(重量18トン)を作ったのも、ウルバンという名前のハンガリー人「背教者」だったのです。
  • 「邪悪な虫」(エイミー・スチュワート著、山形浩生監訳、盛岡桜訳、朝日出版)
    昔、厭魅の呪術で蠱毒を作ろうとしたことがあります。「矢毒」コーナーに紹介してあるアメリカ先住民ヤヴァパイ族の毒の製法が傑作。「鹿の肝臓にタランチュラ、ガラガラヘビを詰めて地中に埋め、その上で火を焚く。それから掘り出して腐らせた物をペースト状にする」のだそうです。まさに蠱毒です。
  • 「アヴェロワーニュ妖魅浪漫譚」(クラーク・アシュトン・スミス著、大瀧啓裕訳、創元推理文庫)
    ラブクラフトとの最大の違いは、魅力的な女性の存在です。魔女、女吸血鬼、恋人、犠牲者…。「イルゥルニュ城の巨像」は、ゴーレム、大魔神、庵野秀明の巨神兵、エヴァの系列です。「分裂症の創造主」は、旧約聖書の真面目な読者が必ず突き当たるテーマを、上手にドラマ化しています。
  • 「新世紀エヴァンゲリオン」第13巻(貞本義行画、GAINAX作、角川書店)
    遂に「生命の樹/セフィロト」が青空を背景に具現化。お母さん、唯の台詞から、セカンド・インパクト後は、季節が夏限定であったことが漸く分かりました。確かに「夏」は黙示録や終末のキーワードですものね(マルコによる福音書13章28節以下)。
  • 「アド・アストラ/スキピオとハンニバル」第3巻(カガノミハチ作、集英社)
    独裁者ファビウスの苦しい消耗戦が描かれています。いよいよ、次の4巻では、カンナエの戦いに突入する訳ですが、ファビウスの最大の政敵、ウァロの登場場面が僅か過ぎて(説明不足でしょう)、少し心配です。
  • 「アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない」(町山智浩著、文春文庫)
    私が「アメリカ・キリスト教史」を教わった森孝一先生は、2004年当時、「民主党がグァンタナモ収容所の告発を徹底していれば、ブッシュ再選を防ぐことが出来たのに」と言っていました。しかし、民主党政権にとっても、グァンタナモは必要なのです。
  • 「エストニア紀行/森の苔、庭の木漏れ日、海の葦」(梨木香歩著、新潮社)
    テレビの紀行番組には、こんなに地味な素材はありません。この紀行文を読みながら、私は「地味」ということをズッと考えていました。ここに紹介されている、バルト海沿岸に広がる葦原の風景のように、静かにゆっくりとした営みを、東京のド真ん中にあっても、続けることは出来ないものでしょうか。
  • 「黄色い部屋の謎」(ガストン・ルルー著、宮崎嶺雄訳、創元推理文庫)
    うちの教会員に、翻訳者の娘さんがいます。「父は一行訳すのに一晩を費やしたこともありました」と言っておられました。本書は旧版が76版、新版が4版、計80版を重ねた古典中の古典です。古典なので読み進むのに難渋する章もあるにはありますが、それだけに最後の釣る瓶落としのような展開は胸がすきます。
  • 「影が行く/ホラーSF傑作選」(フィリップ・K・ディック他著、中村融編訳、創元SF文庫)
    異星の先住民の地下墓地に入った調査隊が出遭う恐怖を描いた「ヨー・ヴォムビスの地下墓地」が最高。フェイスハガーの如き生物、大きな骨壷の列の中を逃げ回る情景などは『エイリアン』です。「睡の樹」に登場する、周辺環境ごと変化させて定着しようとするエイリアンも凄い。
posted by 行人坂教会 at 16:09 | 牧師の書斎から