2018年07月29日

太陽を背にうけて

1.楳図漫画

小学生時代に読んでいた「少年画報」という雑誌に、楳図かずおの『笑い仮面』という気持ちの悪いマンガが掲載されていました…。

その頃、楳図マンガは少女雑誌(「なかよし」「週刊少女フレンド」)から少年雑誌(「週刊少年マガジン」)へと、徐々にシフトして来ていました。「少年マガジン」には、楳図が作画した『ウルトラマン』が連載されていたのですが(1966〜1967年)、どうしようもなくホラーな絵なのです。「ウルトラマン」好きの私が避けて遠ざける程でした。

あの陰気臭いベタと異様に丁寧なペン入れ、特にキャラが悲鳴を上げた時の口元の線が、当時の私にとっては、如何とも受け入れ難く、楳図マンガは指で挟んで置いて、そのページだけを飛ばして読むようにしていたものです。それでも何かの拍子に(お菓子を取るとか、中座したとか)ペラッと、偶然そのページが開いてしまって「ぎゃあー!」「また、イヤなもん見てまった!」と、その後味の悪さから中々立ち直れませんでした。

例えば『半魚人』(1965年)は、両親を亡くした少年に異常な行動が目立つようになり、金魚を食べたり、鱗が生え始めたりして、次第に理性を失い、最後は海に消えて行くホラーです。物語の中では「千年後に陸地は水没するので、徐々に魚人化する人間が出始めている」的な説明が為されています。でも、そんな理屈は問題ではありません。圧倒的なのは楳図かずおの絵なのです。茫然と立ち尽くす弟の眼前で、遂に魚人化した兄が、裂けた口から牙を剝き出して「シャーッ!」と咆哮するのが最後の場面ですが、そんなページが開いてしまったりして、それから幾晩うなされたか知れません。

2.異常高温

さて、問題の『笑い仮面』(1967年)です。1940年に九州の日裏村で生まれた赤ん坊が全員、真っ黒な蟻のような姿に成る事件が起こりました。その後、全国各地で同じような赤ん坊が生まれ、生まれてすぐに走り回り、人を襲うので、彼らは皆殺しにされてしまいます。この赤ん坊たちは「アリ人間」と名付けられます。

天文学者の式島博士は、この「アリ人間」化現象が11年周期の太陽黒点と関連のあることを訴え、22年後の「大黒点の年」には、太陽熱に灼き尽くされて、地上の生命は絶えてしまうだろうと予言します。「アリ人間化」現象は生存本能によって引き起こされた、地底に逃れるための突然変異なのです。しかし、帝国陸軍は式島博士を危険思想の持ち主として捕縛して、博士の頭に鉄仮面を被せた上から「溶接」してしまうのでした。その鉄仮面が「笑い仮面」なのです(この仮面が気持ち悪い!)。

その後の『笑い仮面』の展開は、どうぞ各自お読み頂きたいと思います。なぜ突然、私が『笑い仮面』を思い出したかと言えば、やはり、この「熱波」のせいです。連日連夜、テレビの気象予報士やニュース番組のキャスターが「不要不急の外出はお控え下さい」と訴えるものですから礼拝出席者も激減です。いや、斯く言う私自身も、外出から帰宅した後には、脱水症状を起こしている自分に驚いています。

近年「太陽の光」や「日焼け」は「健康」のイメージから急速に「病気」のイメージへと変わりつつあります。もはや、紫外線がシミやソバカスの原因となると、女性が気にする美容レベルの話ではなく、「皮膚癌」や「白内障」までが憂慮されるようになりました。直接、陽光に当たらなくても、全国各地で、異常高温が原因の熱中症で多数の人々が救急搬送され、中には、そのまま帰らぬ人も出て来ています。「命の危険があるような暑さ」「災害レベルの高温」という言葉も、頻繁に漏れ聞くようになりました。

「アリ人間」ではありませんが、私たちも「シャンバラ」とか「アガルタ」とか「アルザル」とかの地下都市を建設して、いよいよと成れば、地底に移住する時が近付いているのかも知れない等と、真剣に考えてしまいそうです。

3.命の危険

こんな季節に読むべきは、やはり、この「詩編」の聖句でしょう。「主はあなたを見守る方/あなたを覆う陰、あなたの右にいます方。/昼、太陽はあなたを撃つことがなく/夜、月もあなたを撃つことがない」(詩編121編5〜6節)。

英語に「ムーンストラック/moonstruck」という単語があります。直訳すると「月に撃たれた」ですが、そこから「気がふれた、感傷的に成って心を乱れた、茫然とした」という意味に成ります。昔の人は、月の光が狂気をもたらすと信じていたのです。この対語に成っているのが「サンストラック/sunstruck」です。「太陽に撃たれた」、つまり「日射病、熱中症に罹っている」という意味です。

古代イスラエルの人たちにとっては、太陽も月も恐るべき存在であったのです。ところで「サンストラック/熱中症」を精神的に読み直すと、そこには、何かに取り憑かれたように「熱中する、熱狂する」の含みもあるのでは無いかと思います。イスラエルの詩文は「二行一句」に成っているからです。「月の病」があるなら「日の病」もあるのです。心乱れるのも熱中するのも、余り度を越すと病気なのです。

これらの精神的な病気は、宗教や信仰の領域と近接しています。霊の依り代と成るシャーマンも、神の御言葉を告げるイスラエルの預言者も、日常の社会生活から見れば、明らかに異常です。とは言え、ある程度は「ON/OFF」のスイッチがあるはずです。その微妙な閾値を自分でコントロール出来れば良し。あるいは、信頼できる家族や仲間がサポートしてくれても構いません。しかし、放置すると「命の危険がある」ことも忘れてはいけません。主なる神は、そのような躁鬱や熱狂からも、私たちを守って下さるはずです。

牧師 朝日研一朗

【2018年8月の月報より】

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2018年06月24日

日曜はダメよ

1.日曜は鶏料理

「毎週日曜日、私らはチキンを食べて/牧師さんは巡回する。/毎週日曜の朝には、父さんが私ら皆を街に連れてってくれる。/私らは映画に行ったり、野原のピクニックに行ったりするんだ。/ああ、これぞ庶民/そんな私に大満足」。

「日曜は鶏料理」(Chicken Every Sunday)という歌の一節です。米国のカントリー・ミュージックのシンガーソングライター、ドリー・パートン(Dolly Parton)の7枚目のソロ・スタジオ・アルバム「ジョシュア/Joshua」(1971年)の中の1曲です。

私は「牧師さん」と訳してみましたが、原詩では「the preacher/説教師」です。ドリーの祖父はペンテコステ派(チャーチ・オブ・ゴッド)の牧師であり、彼女自身も6歳から会衆の前で賛美の先唱者を務め、7〜8歳からはギターを手に讃美歌を独唱していたそうです。ペンテコステ派の教会では、牧師は何より「語り」のパフォーマンスを披露する「説教師/preacher」なのです。

「庶民」と訳した語も、原詩では「the lower class/下層階級」です。ドリーが生まれ育ったのは、テネシー州の田舎の村「グレート・スモーキー・マウンテン」で、そこはペンテコステ派の信徒が数多く居住する地域でした。父親は農業労働者と建設作業員を兼業し、ドリーには11人も兄弟姉妹がいて(文字通り「貧乏人の子沢山」!)、一家14人は一部屋しかない掘っ立て小屋(cabin)に身を寄せ合って暮らしていたそうです。

「日曜は鶏料理/chicken every sunday」は、貧しい庶民の御馳走の事です。貧しいながらも、主の復活を祝う日曜日だからと奮発して、御馳走のチキンを食べるのです。ジョージ・シートン監督(『三十四丁目の奇蹟』)の映画にも、同タイトルの『日曜は鶏料理』(1949年)という人情喜劇があったことが思い出されます。こちらは、ヤマッ気が多いくせに、お人好しの夫が、何かと借金を作って来るので、家政の遣り繰りに苦労する主婦の話です。

2.聖日厳守主義

牧師としての最大の苦悩は、日曜日の礼拝に信徒が集まらないことです。年々、礼拝に集う信徒の数が減って行くというのに、それに対する策が1つしか思い当たらないことです。しかも、その策は、リベラル(自由主義的)な立場を採る教会にとっては、既に「禁じ手」とされてしまっている事柄なのです。

それは「聖日厳守主義」とか「安息日主義」と呼ばれるものです。英語で「サバタリアニズム/Sabbatarianism」と言います。日曜日を、あたかもユダヤ教の「安息日/Sabbath」であるかのように、特に聖別された日として、厳守を強制するのです。

キリスト教において、日曜日を「新しき契約の日」「新しき創造の日」「聖霊による約束の成就の日」と説いたのは、セビリアの大主教イシドルス(Isidorus/560〜636)が嚆矢とされます。以来、「主の日/ドミニカ/Dominica」は、ユダヤ教の安息日との類比で取り上げられることが多くなり、中世末期には、厳格な就業禁止令が敷かれることとなります。

「聖日厳守主義」は、聖書主義を掲げるプロテスタント諸教派にも受け継がれます。例えば、ジャン・カルヴァン(Jean Calvin/1509〜64)が神権政治を確立したジュネーヴでは、市民には日曜日と水曜日に教会に行く義務が課せられていました。誰か義務を怠っている者はいないかと、警察官が街路、店、家庭を巡回しました。彼らは市民を尋問し、カルヴァンの信仰に反すると判断された人は処罰され、投獄されたのです。

英国においても、ニコラス・バウンド(Nicholas Bownde/〜1613)が、1595年に『安息日の真の教説』という著書の中で、日曜日にピューリタンが集会を行なう権利と義務を主張しました。それを汲んで、ピューリタン革命後には、繰り返し日曜厳守の法的裏付けが議論されました。遂に1718年には「主日遵守に関する法令/Lord’s Day Observance Act」が議会を通過し、日曜日には遊技場が閉鎖(スポーツ禁止)されることになりました。

スコットランドでも、17世紀には「聖日厳守主義」が影響力を強め、日曜日には宗教書以外には手を触れないとか、世俗音楽の演奏と鑑賞を控えるという習慣があったそうです。

3.悲しい日曜日

日本の教会でも、戦前からの信徒が「日曜日」を「聖日」と呼ぶことが多いのは、背景に「聖日厳守主義」があります。「十戒」の「安息日を憶(おぼ)えて、これを聖潔(きよく)すべし」と教えられたことを忠実に守って居られるのです。一昔前には、信徒の戸主は家族を引き連れて、礼拝に出席するのが当たり前でした。妻も子も入信するのが当然でした。教会生活や信仰が、ある種の強制力を持っていたのです。

20世紀末からは、律法主義的に礼拝出席を強制する「聖日」ではなく、「喜びの日、光の日、慰めの日、憩いの日」(「讃美歌21」204番)である「主日」を、多くの牧師たちは呼び掛けて来ました。私自身もその一人です。礼拝への主体的参加(自由意志による出席)が期待されていたのです。しかし、残念ながら、このような自由主義的な風潮は、強制力の無さ故に、結果的に礼拝出席者の減少と、リベラルな教会の衰退を招いています。個人主義、高齢化、人口減少なども相俟って、この傾向には歯止めが掛かりません。

従って、今後のキリスト教界全体の趨勢としては、保守反動化して、再び「聖日厳守主義」が主流に成ることでしょう。組織としての生存本能から言って、そのように成らざるを得ないかと思います。「日曜日に礼拝に集わなければ祝福されない」のです。裏を返せば「日曜日に礼拝に集わない者は呪われる」のです。かつて、某牧師は信徒に「這ってでも来い!」と怒鳴って説教していました。また、そんな時代がやって来ます。

私が「礼拝に集って欲しい」と願うのは、そんな「悲しい日曜日」はイヤだからです。

牧師 朝日研一朗

【2018年7月の月報より】

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2018年05月22日

楽しい音を奏でるために

1.グッドニュース

先日、銀座「教文館」に行った帰り道、妻が「子どもらにお土産を」と「大角玉屋」で和菓子を買いました。その際、栗が丸々1個入った「どら焼き」がショーケースに展示してあり、商品名が「福音」と成っていてビックリ(!)。けれども、改めて熟視してみると、小さく「Fukune」と別記されていました。後で聞けば、この店の看板商品との由。何でも「ふくいん」と読んでしまう、これ等も職業病の一種でしょう。

 聖書の用語「福音」は、ヘブル語の「ベソーラー」、ギリシア語の「エウアンゲリオン」から来ています。「良き音ずれ、良い知らせ」という意味です。英訳聖書では、伝統的に「ゴスペル/the gospel」と訳されていましたが、最近では「グッドニュース/the good news」の訳語を当てる聖書が多く成りました。

 『がんばれ!ベアーズ』(1976年)という少年野球を題材にした映画がありました。リトルリーグの最下位チーム「ベアーズ」に、吞んだくれのコーチ兼監督(ウォルター・マッソー)とその娘のピッチャー(テイタム・オニール)がやって来て、遂に決勝戦にまで進出するという作品でした。女子のピッチャーと言うと、私たちにとっては「水原勇気」、水島新司のマンガ『野球狂の詩』(1972〜77年)が思い出されますが、ポール・R・ロスワイラーの小説『赤毛のサウスポー』(The Sensuous Southpaw/1976年)の影響でしょう。阿久悠が作詞したピンク・レディーの「サウスポー」の出典でもあります。

 さて、『がんばれ!ベアーズ』の原題は「The Bad News Bears/悪い噂のベアーズ、厄介なベアーズ」です。勿論、これは「The Good News for Mr.So-and-so/誰某に福音(朗報、耳寄りな知らせ)!」という定番の商品広告を思い出させるものです。

2.悪い噂の福音派

5月14日、ドナルド・トランプが在イスラエルの米国大使館を、テルアビブからエルサレムへ移転したことで、中東情勢が極度に悪化しています。ガザでの騒乱だけではなく、イランとの間で戦争まで勃発しそうな気配です。5月9日のイラン核合意からの米国の離脱、イランに対する経済制裁の復活も含めて、米国のイスラエルロビーの介入が露骨です。

 それはともかく、昨今の日本のテレビニュースや新聞記事では、それに関連して、トランプの偏った「イスラエル支持の背景には、米国の有権者の4分の1を占めるキリスト教福音派の票取りの目論見がある」と解説されているのです。NHKのキャスターが、まるで鬼の首でも取ったようにフリップを捲ると「福音派」という文字が登場します。日頃から日本の政治に対しては、無批判なキャスターなのに、トランプやイスラエルの時には「由々しき問題」という面立ちで語っていて、非常に腹が立ちます。

 そもそも「福音派/Evangelicals」というのは、非常に大雑把な括りです。その信仰も政治的立場も多種多様なのです。それを、多くの日本人がキリスト教について無知であるのを良いことに、したり顔で「福音派」が原因のように言うのです。

 「プロテスタンティズム/Protestantism」の訳語は「福音主義」なのです。つまり、広義においては、私たちの教会も「福音主義」なのです。しかし、プロテスタント諸派の枠組みの中で、敢えて「福音」の看板を掲げる場合には「自由主義神学の立場を取らず」のニュアンスに成ります。「福音派」の多くは「聖書無謬説」の立場を取っていますが、その殆どは一言一句ではなく、「全体として」聖書は真理であるという主張をしています。お互いの相違についても、割合に鷹揚なのです。私自身は「聖書無謬説」を採りませんが、それもまた、信仰の1つだと認めたいと思います。

 但し、その中には、頑なまでに「聖書無謬説」を主張する人たちがいます。彼らのことを「原理主義者/Fundamentalists」と言います。彼らが一般の「福音派」と異なるのは、自分たちの意見を採らない者に対して「敵対者」のレッテルを貼り、憎しみを煽り、より攻撃的に成っていることです。簡単に言えば「二元論」に陥っているのです。これは、かなり有害です。その意味では、キリスト教など何も知らないくせに、十把一絡げに「福音派」を悪者扱いする日本のマスコミも、同じく「二元論」に陥っていると申せましょう。

3.安易なレッテル

真に恐るべきは、安易な「レッテル貼り」です。16億人のイスラーム(ムスリムとムスリマ)が全員「イスラム国/ISIL」ではありません。その多くは穏やかで敬虔な人たちです。また、米国の有権者の4分の1を占める「福音派」の信仰を持つ人たちが皆、イスラームを憎んでいる訳でもありません。その殆どは愛と正義を重んじる人たちです。「聖書無謬説」を採る人たち誰もがトランプの仲間ではありません。その多くは生活困窮者です。

 今の世の中は、世界が高度に情報化され、ネットワーク化された反動として、体温を感じるような確かな出会いや安心感が失われているのだと思います。その代わりに、ネットやメディアを通して、表面的な知識や一面的な理解だけが先行して、安易な「レッテル貼り」が横行する結果と成っているのでは無いでしょうか。

 米国では「歴史的な教会が凋落することで、悪い宗教団体が台頭している」との警告があります(「ニューヨーク・タイムズ」のコラムニスト、ロス・ドウザット)。個々人は真面目な、敬虔な人たちであっても、悪い宗教団体の指導者(彼らは常に「断言」口調です)によって、その政治的志向によって、簡単に操作されたり、誘導されたりしてしまう。そのような状況も起こっているようです(その際に、聖書の言葉を引用します)。

 私たちは、キリストの「福音」を信じる者ですから、安易で危険な「レッテル貼り」をする事にもされる事にも、十分に気を付けて、喜びの和音を奏でたいと思うのです。

牧師 朝日研一朗

【2018年6月の月報より】

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2018年04月29日

味覚が変わる面白さ

1.果実酒の味

ある若者の話です。彼は何事に対しても渇きを感じていました。金にも女にも、世の中に対しても渇いていました。ある日、森の中を通り過ぎようとすると、彼を呼び止める声がありました。それは、毒々しく赤く色付いた果実を、その枝という枝に湛えた大きな果樹でした。果実の重みに苦しむ樹は若者に言いました。「ねぇ、あんた、私を食べて」。

若者は躊躇しました。これだけ沢山の実を結んでいるというのに、人が果実を取り入れたり、野の鳥が啄ばんだ様子もありません。しかし、樹は改めて呼び掛けます。「遠慮しなくていいからさ。さあ、食べてみて」。若者は渇きを覚えていたので、思い切って果実に手を伸ばし、口に含んでみました。果実は苦く、思わず若者は吐き出して文句を言いました。「折角だけど、こんな物は食べられないよ」。樹は笑いました。「何だ、未だ熟していないんだわ、きっと」「じゃあ、持ってお帰りなさい。そして瓶に詰めて、アルコールにでも浸して置きなさい。何年かしたら、きっと、あんたの舌に合うお酒に成るわよ」。彼は言われた通りにして、棚の奥に瓶を仕舞いました。

その後、若者は御多分に漏れず、知らなかった世界を少しずつ味わいました。時には失望したり、嫌悪を感じたりもしましたが、そんな事にも慣れっこに成りました。結婚をして、人の親にも成りました。ある日、彼は棚の奥に仕舞い込んだまま忘れていた果実酒の瓶を見付けました。「どう成ったろう」「もう飲んでも良いのだろうか」。

グラスに注いだ酒を恐る恐る飲んでみると、意外なことに、とても甘かったのです。彼はその不思議な感覚のギャップに酔いました。「あんなに強い香りだった酒が、こんなに甘く溶けている」。そうしてみると、今度は反対に、あの時に感じた苦さが、何か、もう手の届かない懐かしい痛みのように甦って来るのでした。

2.失われた味

それから更に、また何年か過ぎたある日、今やすっかり成長した息子が、赤く色付いた果実を両手に抱えて帰って来ました。それを見て、今やすっかり年齢を重ねて、若者ではなくなった父親が尋ねました。「お前、その果実をどこで手に入れたんだ」。若者は応えました。「貰ったんだよ。今は食べられないから果実酒にしろってね」。

父親はその答えに目を輝かせて言いました。「それだ!」「その実だ!」「お父さんにその果実を1つくれないかね?」。若者は躊躇しました。「だって、苦くて食えたものじゃないよ」。父親は益々、目を輝かせて言いました。「知ってるよ」「お父さんは、それが欲しいんだ。そいつを酒にした物がここにある。お前には、こっちの方が甘くて、口に合うだろう。飲んでみてごらん」。

若者は果実酒を一口含んで顔をしかめました。「苦い」「どっちも同じ味だよ」。…「そんなはずはない。その酒は…」、そう言いながら、父親は息子の持って帰って来た果実を手に取りました。果実を食べてみると、やはり甘かったのです。昔はあんなに痛い程に苦く感じたのに…。彼はそこで初めて気付いたのです。月日が変えていたのは、果実の味ではなく、彼自身の方だったのだと…。

これは、高橋葉介の短編集にあったマンガです。内容はメモに書き留めてあったので、辛うじてお伝えすることが出来ましたが、原本は古本屋行きと成って久しく、どうしても題名が思い出せません。しかし、残酷な味わいの幕切れで、とても印象に残っています。私自身、二十歳の頃に読んだのですが、今や物語の通りに、盛りを過ぎた父親の立場に成っています。今改めて、物語の展開を復誦してみると、加齢による「味覚障害」のこと等も思われて、単なるアナロジーに終わらぬリアリティも感じます。

3.味覚の変化

少年時代に観た映画、見逃していた映画をBS録画して観ているのですが、何より自分の感覚の変化に驚いています。フランコ・ネロ主演のマカロニ西部劇『真昼の用心棒』(Tempo di Massacro)〔1966年〕は、ドスの利いた主題歌が有名な作品で、期待して観てみたら大変な肩透かしでした。ところが、同じフランコ・ネロ主演のマカロニでも、『ガンマン大連合』(Vamos a Matar,Compañeros)〔1970年〕には痺れました。マカロニ終焉期の作品なのですが、今一番この時代に(いや、自分自身に)足りない野蛮なエネルギーに満ち溢れているように感じました。

試しに『ドクトル・ジバゴ』(Doctor Zhivago)〔1966年〕を久しぶりに観てみたら、明らかに自分の感覚が変わっていることに気付きました。子どもの頃に観て印象に残っているのは、第一次大戦の敗残兵の場面とか、パルチザンと白衛軍との戦闘場面とか、優しい苦学生から恐怖の殺戮者に変貌するストレルニコフとかだったのです。ところが、今に成って心魅かれるのは、ラーラとトーニャの間で揺れ動く、中年医師ユーリのモジモジぶりだったりするのです。やはり、中年にしか中年男の気持ちは分かりません。

長く見逃したままだった『王になろうとした男』(The Man Who Would Be King)〔1975年〕は、この年齢に成ってから観て良かったと思いました。こちらも、中年に差し掛かった英国の退役軍人2人が、欧米人の未踏の地「カリフスタン」(アフガニスタンの奥地か)に乗り込んで、対立する部族を統一して王国を立てようとする話です。野望を実現したと思われた矢先に、全て水泡に帰するのですが、この苦み走った後悔に満ちた幕切れは、公開当時に観ていても理解できなかったでしょう。

年齢を重ねると共に、味わいが変わります。映画だけの話ではなくて、小説も美術も、お酒も、聖書も味わいが変わるのです。勿論、変わったのは私たち自身の方なのです。

牧師 朝日研一朗

【2018年5月の月報より】

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2018年03月25日

結び上げること

1.桜の散る速度

(明里)「ねえ、秒速5センチメートルなんだって」―(貴樹)「えっ、なに?」―(明里)「桜の花の散るスピード」―(貴樹)「ん〜。明里、そういうこと、よく知ってるよね」―(明里)「ねぇ、なんだか、まるで雪みたいじゃない?」―(貴樹)「そうかなぁ。ねぇー、待ってよ」―(明里)「貴樹くん、来年も一緒に桜、見れるといいね」。

小学5年生の女の子、篠原明里(あかり)と同級生の男の子、遠野貴樹(たかき)が、学校の帰り道でしょうか、桜の花の舞い散る坂道から踏切へと(渋谷区参宮橋駅の周辺とされています)歩きながら会話をしています。けれども、翌年、女の子は小学校卒業と同時に栃木県下都賀郡岩舟町に引っ越して行き、もはや二人が舞い散る桜を一緒に見ることはありませんでした…。

大ヒット作『君の名は。』(2016年)で広く知られるようになった、新海誠監督の『秒速5センチメートル』(2007年)のプロローグです。桜の季節になると、この冒頭の場面が思い起こされるのです。

この作品は3つの短編連作から構成されています。第1話『桜花抄』は、中学1年生の冬、鹿児島県に引っ越すことが決まった貴樹がJRの在来線を乗り継ぎながら、岩舟に住む明里に会いに行く話です。第2話『コスモナウト』は、種子島を舞台に、高校3年生の澄田花苗が、中学の時に転校して来たクラスメイトの貴樹に、恋しい気持ちを伝えられない話。第3話『秒速5センチメートル』では、成人した貴樹は東京で働いていますが、仕事に忙殺されて、恋人との関係も破局を迎えたようです。

桜の花びらが舞い散る中、冒頭に登場したのと同じ踏切を、失意の貴樹が歩いています。明里もまた同じ踏切を渡ります。擦れ違った直後、二人とも振り返りますが、その刹那、小田急線の急行が二人の視界を塞ぎます。電車が通り過ぎた後には、もう彼女の姿はありませんでした。これがエピローグに成っています。

2.拙い自分の姿

あの『君の名は。』のラストは、この『秒速5センチメートル』のハッピーエンド版だったということが分かるでしょう。とても切なく悲しい幕切れなのです。しかし、観終わった後の印象は、両作品とも驚く程に似通ったものを感じるのです。

その一方、ごく大雑把な意見だとは思いますが、『秒速5センチメートル』は、男性から圧倒的な支持を得ていると聞きました。逆を言えば、女性の反応はイマイチなのだそうです。私自身、告白すれば、新海監督の作品の中で、最も胸が締め付けられ、何日も心痛が後を引いたのは『秒速5センチメートル』でした。勿論、幾つも「個人的な体験」がカブっていることが、その理由の第一に挙げられるでしょう。

そういうことを考えていると、新海作品に共通するテーマが浮かび上がって来たのです。それは「拙さ」です。自分自身の、如何にも拙かった過去(恋愛も友情も、仕事も生活も)が否応も無く脳裏に甦って来るのです。だから、観ていて、とても気恥ずかしくあるのです。けれども、考えてみたら、恥ずかしさに顔が真っ赤に成るような、そんな感覚を久しくしていなかったのです。そう思った瞬間に、過去の「拙さ」が生々しく甦って来るのです。自らの「拙さ」に対する後悔の念は、取り戻すことの出来ない過去と、現在の自分とを引き合わせますから、何とも知れない心の疼きを伴うのです。

今の自分から見ると「もどかしさ」以外の何ものでも無いのですが、あの時の自分にとっては、それが精一杯だったのです。『雲の向こう、約束の場所』(2004年)にも、『言の葉の庭』(2013年)にも、同じような「もどかしさ」の悲しみが漂っています。

3.擦れ違う人々

オールドファンは「君の名は」と聞けば、岸惠子と佐田啓二(中井貴一の父親)が主演した松竹映画『君の名は』3部作(1953〜54年)、もしくは、同名のNHK連続ラジオドラマ(1952〜54年)を思い出されるでしょう。最近の映画ファンのために言って置くと、2007年の『ALWAYS/続・三丁目の夕日』で、戦争のために引き裂かれた昔の恋人、薬師丸ひろ子と上川隆也が「日本橋」の上でバッタリ再会する場面は、『君の名は』の「数寄屋橋」に対する目配せのようなものを感じます。

そうです。かつての『君の名は』は「すれ違いメロドラマ」の典型とされていました。当時の観客は、恋人たちが寸での所で出会わないまま、擦れ違って行く描写に何度ヤキモキさせられたことでしょう。客席から「あー」と溜め息が漏れたと聞いたことがあります。しかし、あの時代には、たとえ擦れ違っても、いつか必ず会えるというドラマの鉄則がありました。何しろ「袖触れ合うも多少の縁」が実感として残っていましたから。現代は、そのような信頼が抱きにくい時代なのでしょう。

同じ時代、同じ世界に生きるものとしての連帯感、共感のようなものを取り戻すことは出来ないのでしょうか。街で擦れ違う人に対して…というのは難しいかも知れません。しかしながら、同じ電車やバスに乗り合わせた人に対しては如何でしょうか。やはり、難しいでしょうか。それなら、せめて同じ礼拝に出席している私たちは如何でしょうか。

「宗教/religion」はラテン語で「religiō/レリギオー」、その語源は「religere/レリゲレ/結び合わせる」にあるとされています。人と神、地と天とを結び合わせることです。

そう言えば、『君の名は。』の中で、宮水神社の神主である祖母が、孫娘2人に組紐を編む練習をさせながら言っていました。「寄り集まって、戻って、繋がって、それが結び」「糸を繋げることも結び、人を繋げることも結び、時間が流れることも結び」。

牧師 朝日研一朗

【2018年4月の月報より】

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十字架の魔除け効果?

「高きに在す御方の御名において、父と子と聖霊の力において、我は悪の全ての力と種とを追い祓う。我は悪の全ての力と種とを追い祓う。我は悪の全ての力と種とを、キリストの聖なる教会の御言葉によって縛る。鎖で縛られるように固く縛られて、外の暗闇に投げ捨てられ、以後、神のしもべを苦しめることの無きように」。

悪魔祓いの儀式で「拘束命令/Binding Commands」と言われる祈りと同じです。ローマカトリック教会の典礼書では、その後、聖書を朗誦した上で「追放命令/Banishment Commands」と「三一改変/Variable Triune」等が行なわれます。

それはともかく、上記の祈りは、20世紀初め「内光協会/The Society of Inner Light」という魔術団を設立した、ダイアン・フォーチュンが著書の中で述べている、最も簡単な「心霊的自己防衛/Pychic Self-Defence」です。

彼女は十字の切り方についても教示してくれています。「指差したり、十字を切ったりする時、人差指と中指を伸ばし、薬指と小指は曲げて掌につけ、その爪に親指を重ねるようにする。祝福のために塩と水の溶液に手をかざす時、手は水平に、指をつけて真直ぐにし、親指だけは人差指と直角となるように伸ばす」(「世界魔法大全」第4巻)。

そう言えば、プロテスタント教会では、ルター派と聖公会以外に、十字を切る習慣がありません。しかし、ローマ教会では、しばしば信者は十字を切ります。通常は「父と子と聖霊の御名によりて」と称えて、親指で額、口、左肩から右肩へと印を描きます。額と口と胸に描くのは、心と言葉と行ないとを表わしていると言われています。三位一体への信仰を表明するため、三位一体の名(「父と子と聖霊」)が唱えられる度に印を結びます。ラテン語で「十字架の印/シーグヌム・クルキス/Signum crucis」と言います。

「十字架の印」は秘蹟に準じるものとされ、それによって免償、即ち罪の赦しが与えられるとされていました。プロテスタント教会が「十字架の印」を廃棄した理由はそれです。しかしながら、一般庶民の心情としては、災難や恐怖、試練や誘惑に際して、そこから「逃れさせ給え」「免れさせ給え」「御加護を賜え」の祈りを込めて、印を結んでいたのではないでしょうか。その心情は無視できません。

最近では、ローマ教会でも「十字架の印」の意味づけを変えて来ています。十字架に掛けられ、死んで葬られ、復活した「キリストを信じています」という「告白のしるしだ」と言うのです。「栄光の神学」から「十字架の神学」への移行です。「頌栄」よりも「信仰告白」に比重を移しているのです。

そう言えば、カバラの魔術の呪文の中にも「十字架の印/シーグヌム・クルキス」がありました。「…イェスス、ナサレヌス、レクス、イウダエオルム/エクケ、ドミニカェ、クルキス、シグヌム、フギテ、パルテス、アドウェルサェ/ウィキト、レオ、デ、トリブ、ユダエ/ラディクス、ダウィド、アレルーヤ/キリエ、エレイソン/クリステ、エレイソン…」。


【会報「行人坂」No.256 2018年3月発行より】

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2018年02月25日

大水は声を上げました

1.アフターマス

所謂「東日本大震災」から7年目を迎えます。けれども、私は未だに「東日本大震災」という曖昧な名称を受け入れることが出来ません。成る程、茨城県や千葉県や栃木県、東京都や神奈川県でも犠牲者が出ています。特に千葉県の旭市は津波の被害が大きかった。とは言え、やはり、岩手県と宮城県と福島県の被害のレベルは格段に違います。

私にとっては「3.11大震災」「東北大地震と津波」という名称が一番シックリ来ます。「東日本大震災」という名称ですと、公共交通機関の途絶によって、首都圏を中心に10万人もの「帰宅困難者」が出たことが、どうしても一番に思い出されてしまうのです。「東日本大震災」の名称は、首都圏を中心にした捉え方のような気がしてなりません。でも、首都圏の被害は飽く迄も「余波」であって、「大地震」や「大津波」の直撃ではなかったことを、私たちは自らに言い聞かせる必要があると思います。

因みに、英語の名称は「Aftermath of 2011 Tōhoku Earthquake and Tsunami/2011年の東北地震と津波の被害」と成っています。「アフターマス」とは、災害や事件、事故などによって引き起こされた状況を表わす語であり、「余波、結果、痛手、後遺症」と訳されます。「マス/math」とは、一説によると古英語の「mæþ/メス/刈り取り」から来ていて、草刈りを終えた後の、何もかも無くなって、すっかり様変わりしてしまった風景を言うのだそうです。確かに、災害が襲った後、風景は一変します(被害者の心の風景も)。

それ故「アフターマス」という語を、私自身は取り敢えず「被害」と訳しています。それに加えて「アフターマス」という語には「震災そのものも大変だけど、その後がもっとズッと大変なのだ」「復興などと言っても、痛手は簡単には消えないのだ」という含みがあるようで、カタストロフの真実を上手に言い当てていると思うのです。

2.遠くか近くか

「東日本大震災」は、中国語では「2011年日本東北地方太平洋近海地震」と表記されます。「津波」は「海嘯/ハイシャオ」と言います。英語の名称にしろ中国語の名称にしろ「東北」「東北地方太平洋近海」というように、特定された震源地が明確に示されているのが良いと思うのです。それらを見るに付け、どうして日本では「東日本大震災」等という曖昧な名称にしてしまったのかという疑問が湧いて来ます。

実は、同じような疑問を感じたことが過去にもあったのです。1994年12月28日に三陸沖で発生した「三陸はるか沖地震」(マグニチュード7.6)でした。地震で大勢の死傷者を出し、建物の被害も相当数あったのですが、幸いにも津波の規模は小さくて、殆ど被害はありませんでした。それはともかく「はるか沖地震」という命名に、私は大きな違和感を抱いたのです。「「はるか彼方の沖」だから、三陸海岸は大丈夫」とでも言いたかったのでしょうか。とても不可解な名称でした。

その前年、1993年7月12日の「北海道南西沖地震」、別名「奥尻島地震」の場合にも感じたのですが、なぜか「沖」という語を使いたがるのです。「遠く」という印象操作でしょうか。この時には、津波で奥尻島が壊滅的な被害を受けたのでした。因みに、この「北海道南西沖地震」、中国語では「北海道南西近海地震」と言います。「沖」と言うか「近海」と言うかで、随分と印象が変わります。ここでも、国内よりも国外の名称の方が、より的確であるという不思議が生じているのです。

さて、その昔は日本も中国と同じように、津波も高潮も纏めて「海嘯(かいしょう)」と呼んでいたようです。1902年9月に相模湾西岸地帯を襲ったのが「小田原大海嘯」です。地震によるのではなく、台風の影響による海面上昇であったため、現在では「高潮」に分類されていますが、津波と同じくらい、大勢の死傷者、多数の家屋被害を出しています。

3.大水の轟く声

「大海嘯」と聞けば、私などは、宮崎駿の漫画『風の谷のナウシカ』(1982〜1994年)、及び、そのアニメ映画化作品(1984年)を思い出さずには居られません。「火の7日間」と呼ばれる最終戦争によって人類の文明が滅んでから、千年後の地球が舞台です。陸地の大部分は「腐海」と呼ばれる有毒な森に覆われています(放射能汚染の隠喩)。

『ナウシカ』には「王蟲/オーム」と呼ばれる巨大な蟲が登場しますが、これが大群と成って押し寄せ暴走する現象を「大海嘯」と言うのです。これ自体が破滅的大災害の隠喩なのですが、それだけでは終わりません。この大暴走の結果、多数の「王蟲」の屍骸から有毒な粘菌が飛散して「腐海の森」が生まれるという悪循環が待っているのです。因みに、この「大海嘯」、ドイツ語版では「grossen Flut/大洪水」と訳されていました。

旧約聖書では「創世記」6〜9章に描かれる「大洪水/マッブール」が有名です。「ノアの箱舟」の物語です。「洪水が起こった」時の様子を「この日、大いなる深淵の源がことごとく裂け、天の窓が開かれた」と表現しています。

古代人の宇宙観では、天には「天の海」があったのです(因みに、地下の世界にも、陰府の海が広がっています)。だから、空は海のように青いのです。それが破れてしまったのですから、これは創造の秩序の崩壊です。しかも「深淵/テホーム」は「天地創造」の「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり」(創世記1章1節)の「深淵」です。つまり「天地創造」以前の状態、分離される以前の状態に逆戻りしてしまうのです。それ故に「混沌」、即ち「形なく、空しく/トーフー・ヴァボーフー」に成ってしまうのです。

果たして私たちは、神さまが創造して下さった秩序(自然環境)を大切にしているでしょうか。震災から7年が過ぎ、私たち皆の中に、その心が強められることを切に祈ります。

牧師 朝日研一朗

【2018年3月の月報より】

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2018年01月28日

悲しみは雪のように

1.雪降り止まず

先日、珍しく東京が大雪に見舞われました。と言っても、積雪が僅かに20センチ程です。東北や北海道、日本海側の出身者、あるいは、それらの地方での生活経験のある人は、むしろ、首都圏の公共交通機関と道路の混乱ぶり、マスコミの大騒ぎぶり(ハシャギぶり)の方をこそ訝しく思われたことでしょう。

一夜明けて、私は「雪かきスコップ」(2014年の大雪の後に教会で購入して貰った)を使って、教会の周りの雪撥ねをしていました。妻は牧師館の前に、1メートル程の小さな雪だるまを作っていました。それは、子猫か子狸のように耳と鼻の付いた動物の顔をした雪だるまでした。造型が優れていたと見え、その日、通り掛かりの若い女性たちが、雪だるまに目を留めて、ニッコリ微笑んだり、「見て、カワイイ」と会話しながら歩いているのを、何度も何度も目撃しました。

実は、その雪だるまの眼窩に、お化けの眼球(グルグルと緑色の紅彩が動く)を1つ嵌め込んでやろうか等と、私などは不穏なことを考えていたので、女の子たちの好反応、好評ぶりを見て、大きな敗北感を胸に抱いたのでした。やはり、私は性根が腐っているのです。妻がメルヘン系だとすると、私は根っからのホラー系の人間です。

午後になると、温かい陽射しを受けて雪は溶け、路面も乾いてしまいました。実に、東京の雪は呆気ないものです。雪国では、踏まれて汚れた雪が、そのまま凍て付いて固まってしまいます。その上から、その黒い雪を覆うようにして、また新しい雪が降ります。こうして根雪に成るのです。まさに「雪降り止まず」なのです。

2.欺く雪の白さ

そのようなことを思い巡らしながら仕事をしていると、奇しくも2014年1月に亡くなった吉野弘の詩「雪の日に」の一節が思い出されたのでした。吉野が混声/女性合唱組曲「心の四季」のために、自作の詩をアレンジした作品です。

♪「雪がはげしく ふりつづける/雪の白さを こらえながら//欺きやすい 雪の白さ/誰もが信じる 雪の白さ/信じられている雪は せつない//どこに 純白な心など あろう/どこに 汚れぬ雪など あろう//雪がはげしく ふりつづける/うわべの白さで 輝きながら/うわべの白さを こらえながら/雪は 汚れぬものとして/いつまでも白いものとして/空の高みに生まれたのだ/その悲しみを どうふらそう//雪はひとたび ふりはじめると/あとからあとから ふりつづく/雪の汚れを かくすため//純白を 花びらのように かさねていって/あとからあとから かさねていって/雪の汚れを かくすのだ」

♪「雪がはげしく ふりつづける/雪はおのれを どうしたら/欺かないで 生きられるだろう/それが もはや/みずからの手におえなくなってしまったかの/ように/雪ははげしく ふりつづける//雪の上に 雪が/その上から 雪が/たとえようのない 重さで/音もなく かさなっていく/かさねられていく/かさなっていく かさねられていく」。

合唱曲「心の四季」(全7曲)の第6曲目です。因みに、作曲は田三郎(1913〜2000年)です。現代日本を代表する作曲家ですが、カトリック初台教会に属する教会音楽家でもありました。「第2ヴァチカン公会議」(1962〜63年)によって、ローマカトリック教会はラテン語からの自国語による典礼へと大きく舵を切りましたが、以来、日本のカトリック教会の典礼改革をリードしたのが田三郎です。彼は、私たちの讃美歌集のためにも作曲してくれています。「讃美歌第二編」83番「呼ばれています」、「讃美歌21」131番「谷川の水を求めて」、409番「すくいの道を」です。

このような田の宗教的背景を考え合わせ、且つ、その田とのコラボということを念頭に置くと、吉野の「雪の日に」の歌詞には、また別の意味でも味わいが増して来るようではありませんか。「雪の白さを こらえながら」「どこに 純白な心など あろう/どこに 汚れぬ雪など あろう」「雪は 汚れぬものとして」「空の高みに生まれたのだ/その悲しみを どうふらそう」…。この辺りの歌詞が切なくて胸にグッと迫ります。私には、信仰を抱いて生きる者としての悲しみが込められているような気がしてなりません。

3.白雪の悲しみ

ロックミュージシャンの浜田省吾もまた、この吉野の詩にインスパイアされて「悲しみは雪のように」(1981年)という名曲を作りました。♪「誰もが 泣いてる/涙を 人には見せずに/誰もが 愛する 人の前を/気付かずに 通り過ぎてく//悲しみが 雪のように 積もる夜に…」。

当時、浜田の母親が脳梗塞に倒れて、意識不明の重体と成ったと言います。彼は深い悲しみと絶望に打ちのめされながらも、不思議なことに、人に対する慈しみの気持ちが湧き上がって来るのを感じたそうです。そんな気持ちの中から生まれた楽曲なのです。

その後、1992年にテレビドラマ『愛という名のもとに』(鈴木保奈美、唐沢寿明、江口洋介出演)の主題歌としてセルフリメイクされています。脚本を担当した野島伸司は、最初から「悲しみは雪のように」を念頭に置いてドラマを書いたと言われています。

「詩編」51編9節は「わたしを洗ってください 雪よりも白くなるように」と、神に訴えます。「罪に汚れ果てた自分を潔めて欲しい」と祈っているのです。この詩編は古来、ダビデ王の懺悔の祈りと信じられて来ました。しかし「雪もまた自らの汚れを隠すために降り積もる」と、吉野弘は歌っています。それは、私たちが何度も同じ過ちを繰り返してしまう、その度し難さを思わせるのです。にも拘わらず、そのような人の営みに対しても尚、天から慈しみが与えられていることをも感じさせられるのです。

牧師 朝日研一朗

【2018年2月の月報より】

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2017年12月31日

奇妙なオルガン

1.天馬博士のオルガン

『鉄腕アトム』と言えば、手塚治虫の原作もさることながら、1963〜1966年(昭和38〜41年)に、フジテレビ系列で放映された日本初の国産アニメ(虫プロダクション)が有名です。動きがリアルで丁寧な(ディズニーや東映動画に代表される)フルアニメーションに対して、制作費と製作時間を削減するための、リミテッドアニメーション(フィルム3コマにつき1枚の動画)、バンクシステム(同じセル画の使い回し)を確立した「ジャパニメーション」草創期の作品です。

記念すべき第1話「アトム誕生」の放映は1月1日でした。また、第2話「フランケン」、第3話「火星探検」までは、手塚自身が演出を担当しています。並々ならぬ意気込みが伺えます。

第1話「アトム誕生」では、交通事故で独り息子の「飛雄」を失った天馬博士が、人間型のロボットを発明し、息子の名前を採って「トビオ」と命名します。人間と同じように細やかな感情まで持っている「トビオ」でしたが、天馬博士は次第に、人間のように成長しないトビオに苛立ちを感じるようになり、結局、サーカス団に売り飛ばしてしまうのです。「鉄腕アトム」と命名するのは、サーカス団の団長(ハム・エッグ)なのです。アトムはローマの剣闘士さながら、残酷な「ロボット対戦」をさせられるのですが…。

ところで、天馬博士が「トビオ」=「アトム」を完成させる場面ですが、彼が操作する機械は、明らかにパイプオルガンをイメージしています。但し、そこで響き渡るのはベートーヴェンの「運命」第1楽章の有名な旋律です。

2.オペラ座のオルガン

手塚治虫が映画、とりわけSF映画と怪奇映画に造詣が深かったことは有名です。「アトム誕生」の場面は、ユニヴァーサルの『フランケンシュタイン』(1931年)や『フランケンシュタインの花嫁』(1935年)、『フランケンシュタインの復活』(1939年)を思い出さない訳には参りません。あるいは、フリッツ・ラングの『メトロポリス』(1926年)におけるアンドロイド「マリア」創造の場面も思い出されます。

それにしても、天馬博士のオペレーションがオルガンであるのは、一体、どこから来ているのでしょうか。私がすぐに思い出したのは『バーバレラ』(1968年)です。デュラン・デュラン博士が自身の発明による「オルガニズム拷問マシン」(凄い洒落)に、バーバレラを入れて、パイプオルガン演奏よろしく自ら操作していました。

近くは『パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト』(2006年)があります。蛸のような顔をした悪霊、デイヴィ・ジョーンズが海賊船「フライング・ダッチマン号」(彷徨える阿蘭陀人!)の中で、両手のみならず、顎から垂れ下がる触手をも使って、パイプオルガンを弾いていました。海賊船の船内にパイプオルガンとは笑えるではありませんか。ともかく、怪奇趣味にはオルガンがよく似合うのです。

恐らく、その原点は『オペラの怪人』=『オペラ座の怪人』(1925年)でしょう。自分が溺愛する無名の新人、クリスティーヌを主役にするために、ファントム(「怪人、幽霊」)と呼ばれるエリックが暗躍する物語です。エリックはクリスティーヌに恋する余り、彼女を誘拐して、ガルニエ宮地下の秘密の部屋に監禁して、自分を愛するように迫ります。しかし、クリスティーヌは、エリックが一心にパイプオルガンを弾いている最中、仮面を剝ぎ取ってしまいます。そこから表われた彼の醜い素顔は…。

ガストン・ルルーの原作は知りませんが、この映画のエリックはオペラ座のオルガニストだったという設定です。それで、このサイレント(無声)映画を上映して、パイプオルガンの即興演奏を入れたリサイタルが行なわれたりしているのです。

3.パスカルのオルガン

17世紀フランスの思想家、ブレーズ・パスカルは『パンセ』の中で、人間を「奇妙なオルガン」に譬えています。

「気まぐれ。――人は普通のオルガンを弾くつもりで、人間に接する。なるほど人間はオルガンではあるが、奇妙な、変わりやすい、移り気なオルガンである。そのパイプは音階の順に並んでいない。普通のオルガンしか弾けない人は、この諧音では音を出すことができない。鍵盤がどこにあるかを知らなければならない。」(松浪信三郎訳、河出書房新社)。

最後の「鍵盤/touches」という語は、草稿に欠落して居り、多くの版本がこれを採用していますが、全く確定していません。パスカル自身、モンテーニュの『随想録』に触発されているらしいのですが、『随想録』には、以下の如き同趣旨の発言があります。曰く「1つのペダル(marche)を踏んだ者は、すべてに触れたも同然である。それは極めて協和的な音の調和であり、決して調子外れになることがない」。従って「鍵盤」ではなく「ペダル/marche」という語を補う本も出て来ています。

突然に「なるほど人間はオルガンであるが…」等と言われても、私たちは狐に摘まれたような気分に成りますが、以前にも申し上げた通り、「オルガン」のラテン語「organum/オルガヌム」とは「道具、楽器」であり、「器官、臓器」の意味にも派生しているのです。ですから「なるほど人間はオルガン」なのです。

「気まぐれ」という訳語も「一定しない事」とする訳者もいます。人間というものは難しい。人間付き合いは難しい。人に接してみると、人によって反応もまちまちで、その日の機嫌や健康状態、天候や気候によっても変わり易く、安定していないのです。だから、この人間というオルガンでは和音を奏でられない。そのようにパスカルは言っているようです。

牧師 朝日研一朗

【2018年1月の月報より】

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2017年11月26日

サンタ解体新書

1.クリスマスホラー

ホラー映画ファンにとっては、『聖し血の夜』(1974年)、『サンタが殺しにやって来る』(1980年)、『悪魔のサンタクロース/惨殺の斧』(1984年)の3作が、クリスマスの定番メニューです。

『聖し血の夜』(再ソフト化に際して『ブラッディ✛ナイト/聖し血の夜』と改題)は、知る人ぞ知るカルト映画です。本来「暗い満月の夜/Night of the Dark Full Moon」という、結構、凝った原題だったのです。よく見ると「満月/full moon」と「晦日(みそか)、月隠(つごもり)/dark moon」)」を掛け合わせてあるのです(それならば「大月隠(おおつごもり)」ということでしょうか…)。しかし、本国でも「聖し血の夜/Silent Night,Bloody Night」という「きよしこの夜」のパロディに改題されてしまいました。

題名が変えられてしまうのは、この類いの低予算ホラーの宿命のようで、『サンタが殺しにやって来る』も同じ運命を辿っています。邦題の通り、サンタクロースの衣装に身を包んだ殺人鬼が、良い子にはプレゼントを渡しつつ、悪い大人たちを惨殺して回る、『13日の金曜日』と同じような(公開年も同じ)スラッシャー映画です。これも原題は「気を付けた方がいいよ/You Better Watch Out」だったのですが、「クリスマスの悪魔/Christmas Evil」と改題されました。

これらクリスマスホラーの決定打と成ったのが『悪魔のサンタクロース/惨殺の斧』でした。「ポスターやテレビCMを見た子どもたちが、サンタクロースに脅えるようになった」と、全米のPTA団体から抗議が殺到し、NYでは上映反対運動まで巻き起こったのですが、皮肉なことには、その御陰で、シリーズが第5作まで作られる程の、意外なヒット作と成ったのです。原題は「Silent Night,Deadly Night/聖し死の夜」でした。そして、この作品のヒットの御陰で、例の『聖し血の夜』も(改題されて)陽の目を見たという訳です。

2.サンタとなまはげ

『悪魔のサンタクロース/惨殺の斧』のポスターは、サンタクロースの衣装を着た何者かが、雪の積もった屋根の上、煉瓦造りの煙突から民家に侵入しようとしている絵柄です。右手には「惨殺の斧」が握られていて、「死の夜/Deadly Night」の赤い文字からは血が滴っています。日本の毒々しいポスターを見慣れている私たちとしては、こんなデザインのどこが、そんなに子どもたちを脅えさせたのかと思います。

そう言えば、秋田県の「なまはげ」も出刃包丁を手にしています。あれは、冬に働かないで、囲炉裏に当たって怠けてばかりいる、子どもや初嫁の手足に「なもみ」と言われる低温火傷が出来るそうで、それを剝ぎ取るために包丁(あるいは鉈(なた)、もしくは御幣の付いた杖)と桶(勿論「なもみ」を入れる)を持って、家々を回っているのだそうです。「なもみ」を「剝ぐ」から「なまはげ」なのだそうです。

サンタのモデルは、言うまでもなく、3世紀の小アジアはミュラの司教、聖ニコラウスです。しかし、モデルは1つではありません。様々な要素が入り混じっているのです。もう1つは「冬親爺」=「ヘル・ヴィンテル/Herr Winter」です。ヴァイキングが一族の誰か1人に、冬を擬人化した人物を演じさせ、それを丁重に持て成すことで、厳しい冬に挨拶をして、冬を懐柔しようとしたのです。「冬親爺」は、フード付きのコートを羽織り、頭に蠟燭を灯した柊の冠を被っています。これが後に、ドイツで「クリスマス親爺」=「ヴァイナハツマン/Weihnachtsmann」と呼ばれるように成ります。サンタクロースのことを、英国人が「ファーザー・クリスマス/Father Christmas」、フランス人が「ペール・ノエル/Père Noël」と呼ぶのも、恐らく、同じ「冬親爺」の流れを汲むからでは無いでしょうか。

他にも様々な要素が入り交じっています。「ペルヒタ/Perchta」(独)は角のある仮面を付けた怪物で、日本の獅子舞を思わせます。女サンタである「ベファーナ/Befana」(伊)や「バブーシュカ/Babushka」(露)は箒に乗って空を飛び、煙突から民家に侵入します。サンタの従者と言えば、日本ではトナカイだけですが、「黒いピート/Zwarte Piet」(蘭、白)や「鞭打ち爺さん/Le Père Fouettard」(仏)は悪い子を殴りますし、半獣半人の「クランプス/Krampusz」(独、洪)は人の顔に煤を塗り付けます。

『悪魔のサンタクロース』のポスターに、全米の子どもたちが恐怖したのは、もしかしたら、彼らの潜在意識の中にある、これら「黒いサンタクロース」の禍々しい記憶を呼び覚ましたからでは無いでしょうか。

3.クリスマスの親爺

1983年の大島渚監督作品『戦場のメリークリスマス』(Merry Christmas Mr.Lawrence)を御覧になった方は、酒に酔ったハラ軍曹(ビートたけし)が「クリスマスの祝いだ」とばかり、勝手に営倉(懲罰房)入りの捕虜、ロレンス(トム・コンティ)とセリエ(デイヴィッド・ボウイ)を出してしまう場面を覚えて居られるでしょう。

「ロレンスさん、ファーゼル・クリースマス、知っていますか? 今夜、私がファーゼル・クリースマス」と言うのです。原作はローレンス・ヴァン・デル・ポストの『影の獄にて』。戦時下のジャワ島の日本軍の捕虜収容所を舞台にした小説です。私の手元にある「ペンギン」のペーパーバックを開くと「Fazeru Kurīsumasu」と綴られています。

既に明治40年代には、「サンタクロース」という名称が日本の一般社会で使われていました。にも拘わらず、大正生まれ(多分)のハラ軍曹が「ファーザー・クリスマス」と言うのです。ここから、もしや彼は聖公会系の教会の日曜学校に(あるいは、クリスマス会に)一度くらい行ったことがあったかも知れない、そんなことを私は妄想してしまうのでした。

牧師 朝日研一朗

【2017年12月の月報より】

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