2021年03月28日

テウルギアの復権

1.層雲堆を成して

聖所聖域と呼ばれる場所は、ある日突然に生まれるのではなく、古い祠や寺院の上に建て増しされます。聖なる都エルサレムもまた、ダビデ王が征服する以前から、先住のエブス人の聖所でした。更に遡ると「創世記」14章には、サレム(エルサレムの古名)の祭司王メルキゼデクが、戦功を上げた族長アブラハムを祝福したという記事があります。現在では、キリスト教徒やイスラームも、エルサレムを「聖地」と指定しているために、却って厄介な事態を引き起こしているのは御存知の通りです。

同じように、それぞれの宗派が旨とする聖典も、ある日突然に生まれたのではなく、他の宗教の聖典経典や説話説法、教義教訓や戒律など幾つもの古い伝承が積み重なって形成されて行ったものです。例えば「創世記」6〜8章の「洪水物語」は、バビロニアの「ギルガメシュ叙事詩」や「アトラ・ハシース叙事詩」が原型に成っていますし、「ヨブ記」は、アッカド語の「ルドゥルル・ベル・メネキ」や「バビロニアの神義論」から「罪なき義人の苦しみ」というテーマを受け継いで発展させた傑作です。

「これ、まんま、パクリじゃん」「オリジナルでは無いから価値が無い」等と考えるのは、著作権で金儲けが出来るように成った近現代の浅墓な論理です。むしろ「詠み人知らず」のまま、時代を超えて語り継がれ歌い継がれ、引用され借用され、時代や状況に応じて改変され、語り手や歌い手、聞き手の思念が何層にも積み重ねられたテキスト(本文)であればこそ、尚の事、尊いと言えるのでは無いでしょうか。そのような骨太なテキストは、実に多種多様な読み方を受容してくれます。つまり、懐が深いのです。

丁度、皆さんが愛でる薔薇の花と同じです。チベット原産ですが、中近東や北アフリカに拡がり、クレオパトラやネロ帝に愛好されました。イスラーム世界ではムハンマドやアッラーを象徴する花とされ、十字軍が欧州に持ち帰っては聖母マリアの花とされました。数千年に渡り、交雑による品種改良が繰り返された結果、今の薔薇が存在しているのです。

2.聖なる過越の宴

イースター(復活日)の前の1週間を「受難週/Passion Week」と言います。カトリック教会では「聖週間/Holy Week」と呼んでいます。イースターの前の日曜日が「棕梠の主日/Palm Sunday」です。その週の木曜日は、主イエスが「最後の晩餐」の時、弟子たちの足をお洗いになった「洗足木曜日/Maundy Thursday」、その翌日の金曜日は主イエスが十字架に磔にされた「受難日/Good Friday」と成っています。

悲しむべき「受難日」なのに「グッド」と言うのは、「良い」の意味ではなく、教会によって「聖別された」の意味です。「洗足木曜日」の「モーンディ」はラテン語の「マンダートゥム/mandātum/委任、命令、指図」から来ています。「私があなたがたに与える新しい命令(a new commandment)」(英訳聖書「NRSV/新欽定訳」)です。即ち「ヨハネによる福音書」13章34節「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」に当たります。

さて「洗足木曜日」から始まる「受難週」のクライマックスとも言える3日間ですが、カトリック教会では「聖なる過越の3日間/Sacrum Trīduum Paschale/サクルム・トリードゥーム・パスカレ」と言います。1570年のトリエント公会議で、この典礼が確立したと言われています。それ以前には、教会は土曜日の晩から(日没と共に翌日のイースターが始まります)徹夜の祈祷をしていただけでした。

確かに「最後の晩餐」とは「過越祭」の食事(儀式)に他なりません。「一同は賛美の歌をうたってから、オリーブ山へ出かけた」(「マタイによる福音書」26章30節)と書いてあるのも、過越の食事の終わりに歌う「ハレル詩編」(「詩編」115〜118編)の事でしょう。

3.神に働き掛ける

「出エジプト」の出来事を祝う春の祝祭が「過越祭」です。英語では文字通り「パスオーヴァー/Passover/過ぎ越す」と訳されています。主なる神ヤハウェの命令に従って、供犠(くぎ)として小羊を屠り、その血を自宅の鴨居と柱に塗ったイスラエルの民の家では、災いが「過ぎ越した」のです。しかし、何も知らないエジプト人の家では、その家の初子が全て死んだのです(「出エジプト記」12章29〜30節)。

何が「過ぎ越した」のかと言えば、ズバリ、死神です。バビロニアの疫病と死を司る祟り神「ネルガル」との類似点を指摘する聖書学者もいます。ヘブライ語で「過越祭」を「ペサハ」と言いますが、その語源は「霊魂を宥める」という意味のアッカド語「パサッハ」と同じなのだそうです。つまり、本来「過越祭」は「厄除けと霊的な加護」を祈る儀式だったのです。家内安全と疫病退散のための魔除けの儀式なのです。

ローマ教会の堕落(免罪符)からの反動もあってでしょう、宗教改革以後、キリスト教会では、祈りは専ら内面的(霊的)なものが尊ばれ、聖書的な裏付けが必要とされました。その結果、「悔い改め」「感謝」「賛美」ばかりが重んじられ、「祈願」は軽視されて来ました。しかし、本来「祈願」こそは、祈りの中心では無かったでしょうか。

「テウルギア/Theurgia」という語があります。「招魂術、妖術」等と訳されることが多いのですが、語義的には「神働術」と訳すべきでしょう。要するに「神に働き掛ける術(すべ)としての祈り」です。祈りは、私たち人間の側から神さまへの呼び掛け、助けを求める叫びや悲鳴、訴えや嘆願です。「我らを試みに遭わせず、悪より救い出し給え」という「主の祈り」を嚆矢としますが、子どもが親に糧(パンや卵)を求めるのと同じように、もっと素直に、もっと飾らずに、「コロナ禍」の今こそ、自分たちの加護や癒しを祈りましょう。

牧師 朝日研一朗

【2021年4月の月報より】

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2021年02月28日

本日モ誠ニ晴天也

1.青天と霹靂

何と暖かな陽射しでしょうか。物干しの洗濯物も心地良さそうに、穏やかな風に揺られています。何年か前に妻が庭に植えた薔薇が、遠慮がちに小さな赤い蕾を膨らませています。これが2月も半ば、冬の只中であることが信じられません。

テレビの天気予報では、北海道沿岸部では「今日の夜から明日に掛けて、数年に一度の猛吹雪に見舞われるため、出来るだけ外出を控えるように」と呼び掛けていました。ほんの十数年前まで、私も北海道で暮らしていたというのに、あたかも異世界の現象のように思われます。しかしながら、私が未だに、こうして東京の温暖な冬に違和感を抱いてしまうのは、どうやら、単なる個人的な問題では無いようなのです。

昔から東京に暮らしている人たちからも、この数年の暖冬に戸惑っているという声を聞きます。「春日和(はるびより)」という語がありますが、本来は4月の季語です(因みに「小春日和」は10月に使うべき語です。念のため…)。「2月の春日和」等、むしろ、地球温暖化による異常気象ではないかと心配の種です。

最近では、もう殆ど耳にしませんが、旧暦の睦月(正月)、如月(二月)、弥生(三月)を「三春(みはる、さんしゅん)」と言ったそうです。但し、ここに言う「春」とは「新年」のことです。「新春初売りセール」が「正月の特売」であるのと同じ道理です。しかも、旧暦と新暦とでは一月以上のズレが生じますので、私がこの文章を書いている2月16日は、旧暦の1月5日に当たります。ともかく、幾ら温暖な東京であっても、こんなに温暖で良いはずは無いのです。心地悪さに違和感を抱くのは当たり前のことですが、「2月の春日和」の心地良さに違和感を抱くこともまた、感受性のアンテナでは無いでしょうか。

2.義士に烈士

東京(江戸)で勃発した、歴史上の「三大事件」というのを御存知でしょうか。1703年1月30日(元禄15年12月14日)の「赤穂浪士討ち入り」、1860年3月24日(安政7年3月3日)の「桜田門外の変」、そして1936年2月26日の「二・二六事件」です。いずれも芝居や映画、ドラマの題材に採り上げられる、日本人の心象に深く関わる歴史的大事件です。そして、その3つ共に「春の雪景色」の中で織り成されているのです。どうやら、その辺りに、何か私たちの美意識を擽(くすぐ)るものがあるようです。

但し、その内実たるや、共通して暗殺(テロリズム)であるということに慄然とします。白い雪に飛び散る赤い血、まさに「日の丸」の旗ではありませんか。我が国には、政府要人を暗殺するテロリストを、忠君報国に殉じた烈士徇名と称える気風があるのです。

大石内蔵助(くらのすけ)の妻りくの実家が同郷、但馬国豊岡藩(家老の京極家)です。そんな地元贔屓の親近感も手伝って、東京に赴任して最初に訪ねた寺は(「赤穂義士」の墓地がある)泉岳寺でした。要するに「忠臣蔵」が好きな私なのですが、冷静に考えてみると、「義士」なんぞと言っても、結局はテロリストなのです。しかし、昨今の無差別テロ等と違って、一般人に危害を加えていない点、潔く自首している点において評価されるのでしょう。

吉良屋敷に討ち入りを果たした旧赤穂藩の浪人は「赤穂義士」と呼ばれています。それと同じように「桜田門外の変」で、大老井伊直弼の駕籠(彦根藩の行列)に斬り込んだ水戸藩や薩摩藩の脱藩浪人も「桜田烈士」と呼ばれます。

これは日本だけの事情では無いようで、韓国では、1909年にハルピン駅構内で、伊藤博文を暗殺した安重根(アン・ジュンクン)が「愛国烈士」「独立烈士」として、今も尊敬を集めています。平生の安重根は、熱心なカトリック信徒で、「義士」と呼ばれるに相応しい立派な人物だったそうです。暗殺事件後、投獄されていた旅順監獄では、日本人の看守、典獄(刑務所長)、弁護士なども彼の人品から深い感化を受けたと言われています。

ドイツの神学者にして、ルーテル派の牧師であった、ディートリヒ・ボンヘッファーが「ヒトラー暗殺計画」を進めた「黒いオーケストラ/Schwarze Kapelle」のメンバーだったことも今や、よく知られています。東洋風に言えば、彼もまた「烈士、義士」なのでしょう。

3.春を尋ねて

『啄木鳥探偵處(きつつきたんていどころ)』という、伊井圭のミステリ小説があります(創元推理文庫)。「啄木鳥」の名からも察せられる如く、歌人の石川啄木が「ホームズ役」、金田一京助が「ワトスン役」を務めます。横溝正史の創作した探偵「金田一耕助」の名前が、この言語学者の名前から採られていることを考え合わせると、愉快な気持ちに成ります(横溝は当初、「菊田一○○」という名前を考えていたそうです)。

昨年、アニメ化されたのですが、二人ともBLマンガ風の美青年にされていて、笑いが止まりませんでした(これじゃあ、朝霧カフカ+春河35の『文豪ストレイドッグス』と変わらない)。しかも、アニメ版では、野村胡堂(あらえびす)、平井太郎(江戸川乱歩)、吉井勇、萩原朔太郎、若山牧水、芥川龍之助などの面々も登場して、これが悉くイケメンなのです。唯一史実に近いのは、啄木の「クズ男」ぶりだけという有様です。

昨年の「緊急事態宣言」中に、深夜枠で放映されていたのですが、スウィングジャズ風のOP主題歌「本日モ誠ニ晴天也」が、私の頭から離れなくなってしまい、「宣言」明けにカラオケに行ったら「必ず歌うぞ!」と決心したのでした。

確かに「本日モ誠ニ晴天也」です。とは言え、こんなに晴れやかな日であっても、心晴れぬ日々が続きます。「盡日尋春不見春/尽日(じんじつ)、春を尋ねて、春を見ず」(戴益)とは、今まさしく是です。「一日中、春を探し求めたのに、春は見つからなかった」という意味です。しかしながら、世の「春」は思わぬところに生まれているのです。

牧師 朝日研一朗

【2021年3月の月報より】

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2021年01月31日

コロナ禍の落穂拾い

1.渡り鳥シリーズ

先日「NHK-BSシネマ」で、小林旭主演の「日活アクション」『ギターを持った渡り鳥』(1959年)を録画して、何年かぶりに観ました。今回、観直すと、冒頭のシーンから映像の美しさに圧倒されました。昭和新山から下って来る牧草を積んだ馬車、馬車を降りて函館に向かって歩き始める旭(勿論、背中にはギター)、そして、函館山から展望した市内の全景、それが「百万ドルの夜景」に変わるタイトル…。溜め息が出ました。

話の筋は説明する程のものではありません。第1作の『南国土佐を後にして』(1959年)から第10作『渡り鳥故郷へ帰る』(1962年)に至るまで(実は『ギターを持った渡り鳥』はシリーズ2作目なのです)、「渡り鳥」シリーズは、同じパターンを実直に踏襲して行きます。キャスティングで一目瞭然です。旭扮する滝伸次がヒーロー、相手役のヒロインは浅丘ルリ子、地元のボスが金子信雄(大抵はキャバレーの経営者)、キャバレーのマダムが渡辺美佐子か楠侑子、そのフロアショーで踊るダンサーが白木マリ、ヒーローのライバルとして、拳銃や賭博で対決するのが宍戸錠。

極端な話、舞台と成る土地が変わるだけです。@高知、東京、A函館、B宮崎、C佐渡、D裏磐梯、E摩周湖、F香港、バンコク、G雲仙、長崎、佐世保、H函館、I高松というような具合です。『ギター』のラストシーン、青函連絡船の波止場で、ルリ子が旭に「どこに行くの?」と尋ねると「佐渡にでも行ってみようかと思って」「あいつ(昔の恋人)の墓参りをしてやらないと…」と答えるのですが、この後の第3作『口笛が流れる港町』(1960年)は宮崎が舞台で、佐渡に行くのは第4作『渡り鳥いつまた帰る』(1960年)です。

青函連絡船を切ない眼差しで見送るルリ子を、中原早苗が「あの人は必ず帰って来るわ」と慰めるのですが、それに対して、彼女はキッパリと「いいえ、あの人は帰って来ないわ。私にはあの人の心が分かるもの」と断言するのです。本来、泣かせる台詞のはずですが、どこに行こうと、毎回、相手役は浅丘ルリ子だと知っている私としては、思わず吹き出してしまったのでした(最終作にして姉妹編の『故郷へ帰る』のみ笹森礼子)。

2.太陽がいっぱい

「コロナ禍」で外出が憚られるように成って以来、昔、観損ねた映画、もう一度観てみたい映画を録画して、空いた時間に観ています。「日活」で言えば、『太陽の季節』(1956年)、『狂った果実』(1956年)、『あいつと私』(1961年)が出色でした。『太陽の季節』と『狂った果実』は鎌倉や逗子、葉山あたりが舞台、『あいつと私』の舞台は田園調布と慶應日吉キャンパス、軽井沢です。改めて観ると、3作とも共通して、非常に裕福な家庭の若者たちの話で、私などは引け目を感じてしまいます。数十年後の私が観て、そう思うのですから、当時これを観た貧しい若者たちが憧れと妬みの入り混じった気持ちを抱いたであろうことは、想像に難くありません。それでも『あいつと私』のモダニズムには、うっとりと見惚れてしまいます(裕次郎は「オースチン・ヒーレー100」に乗って通学している!!)。

そのような相反する感情で思い出されるのが、昨年12月に亡くなった作詞家、なかにし礼のエピソードです。なかにしは元タカラジェンヌでシャンソン歌手の深緑夏代(歌劇団では、越路吹雪とコンビで知られた)に依頼されて、シャンソンの訳詞をしていました。「なかにし礼」というペンネームも、フランシス・レイ(Francis Lai)から採ったと言われています。なかにしの家は満州からの引き揚げ者で、彼は小樽や青森の暗い海を見詰めて、少年時代を送ったのです。ですから、真夏の湘南の海で戯れる若者たち(所謂「太陽族」の係累)に対しては、ただ怨嗟しか感じていなかったそうです。そんな彼の心にズシンッと響いたのが、1960年のフランス映画『太陽がいっぱい』(Plain Soleil)だったのでした。

3.今日でお別れね

地中海でヨットに乗って、女の子と遊び呆けて暮らしている、金持ちの放蕩息子フィリップ(モーリス・ロネ)を殺して、彼に成り済まそうとする貧乏で孤独な青年トム(アラン・ドロン)の悲劇ですが、ナポリ湾に浮かぶイスキア島の南端サンタンジェロの風景(トニー・リーヴス著『世界の映画ロケ地大事典』による)を、なかにしは湘南の海に、自身の心情をトム・リプリーに重ねていたと言います。そんな感情が後に(1967年)、菅原洋一の「今日でお別れ」(作曲:宇井あきら、編曲:早川博二)に結実したのです。

♪「今日でお別れね/もう逢えない」という歌い出し、覚えて居られる方も多いと思いますが、ニーノ・ロータ作曲の『太陽がいっぱい』のテーマそっくりです(!)。作曲の宇井は元シャンソン歌手、なかにしの先輩ですし、編曲の早川はトランペット奏者です(「太陽がいっぱい」の主旋律がトランペットだったことを忘れてはいけません)。しかも「今日でお別れ」の伴奏はマンドリンなのです(「太陽がいっぱい」も)。

しかしながら「太陽族」的な湘南文化に対して怨嗟を抱いていた、なかにし礼を、シャンソンの訳詞などという地味な世界から引っ張り出して、歌謡曲の作詞家として大成功に導いたのが、他でもありません、元祖「太陽族」石原裕次郎なのです。新婚旅行中のなかにしが下田のホテル滞在中に、偶然ホテルのバーで隣席に成ったのが、『太平洋ひとりぼっち』撮影中の裕次郎だったそうです。「シャンソンの訳詞なんてやってないで、日本の歌謡曲の歌詞を書きなさいよ」と勧められて、石原プロに行ったのがキッカケだったと言います。

考えてみたら、裕次郎を発掘してスターダムに押し上げた立役者は、松竹歌劇団出身(「男装の麗人」の異名を欲しい儘にした)水の江瀧子です。水の江は1950年代、日本映画界初の女性プロデューサーとして、日活の黄金時代を作ったのでした。深緑夏代の愛称が「ターコ」、水の江の愛称が「ターキー」だったのも似ています。歌劇団、恐るべし(!)。

牧師 朝日研一朗

【2021年2月の月報より】

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2020年12月19日

真っ直ぐな線は短い

一、スパゲッティ

イマドキの若い人たちが「オンラインゲーム」にハマった挙句に「ゲーム依存症」になって、やがては「ネトゲ廃人」…等という、ごく月並みな固定観念しか抱いていなかった私にとって、「オンライン」というレトロニム(再命名)用語は、どこかしら自分には関わりの無い事柄と感じていました。

ところが、今や「コロナ禍」も手伝って、何かと言えば、公然と「オンライン」です。多くの企業では「オンライン会議」が当たり前。学校は「オンライン授業」、学習塾から習い事まで「オンライン・レッスン」、病院は「オンライン診療」です。友人たちと「オンライン飲み会」をして、恋人たちは「オンライン・ディナー」です。食事もネット注文で「ウーバーイーツ」や「出前館」が宅配してくれます。エンタメやアートの世界も「オンライン・イベント」「オンライン・コンサート」の花盛り。それと軌を一にするようにして、キリスト教や仏教などの宗教の世界でも「オンライン礼拝」が確実に拡がり始めています。

振り返ってみれば、もう何年も前から、ネットショッピング(オンライン通販)で、どんな品物でも注文できて、「買い物カゴ」に入れたら、翌日には品物が届くという時代に成っていたのでした。わざわざ映画館に行かなくても、オンラインで新作映画を観ることが出来るのでした。それどころか、最近では「Netflix」「Amazon Prime Video」「Hulu」等の「VOD/ビデオ・オン・デマンド」の動画配信でなければ観ることの出来ない作品が一杯です。

二、ラインの黄金

何もかもが一斉に雪崩を打って「オンライン」に移行しているかのように見えますが、これは勿論「オンライン」のシステムが莫大な富をもたらしているからです。その大元にいるのは、消費資本主義のマモン(富の悪魔)であることを忘れてはなりません。

オンラインは利用者にとって便利で快適です。お気に入りの品物を探し歩いたり、雨の日に外出したり、店員とやり取りする必要もありません。自室に居ながらにして、サービスを供給してくれているように思えます。しかし、それは金銭を支払って得られる「有料サービス」です。その代償として、私たちの口座からは預金が引き落とされています。そして何より、オンラインの有料サービスを利用することにより、私たちは、自分たちの側がサービスすることを忘れてしまうのです。

実際に足を運んでも無駄足に終わることが多々あります。折角辿り着いたお店が閉店していたり、見付からないこともあります。「骨折り損」です。けれども、そこにこそ、私たちの愛があり、サービス(仕えること、礼拝すること)があるのです。

「真っ直ぐなる線が最も短し/līnea rēctā brevissima/リーネア・レークター・ブレウィッシマ」というラテン語の格言があります。十九世紀フランスの政治家、フランソワ・ギゾー(カルヴァン派でした)の言葉と伝えられます。目的の早期達成を最優先する国家主義的な言葉です。しかしながら、私はこのように言い換えたいと思います。「オンライン万能の時代も、案外と短いのではないか」と。


【会報「行人坂」No.260 2020年12月発行より】

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2020年11月29日

黄金の子牛を求めて

1.内なる悪

11月に入ってから、盛んに「新型コロナウイルスのワクチン開発の成功」というニュースが飛び交っています。

米国製薬大手の「ファイザー/Pfizer」とドイツのバイオテクノロジー企業「ビオンテック(もしくはバイオエヌテック)/BioNTech」が共同開発しているワクチンでは、治験の結果、90%以上の有効性が得られたと言います。それに続いて、米国の新興バイオテクノロジー企業「モデルナ/Moderna」も同様の発表をしました。更に、英国の製薬大手「アストラゼネカ/AstraZeneca」がオックスフォード大学と共同開発したワクチンも重症化を防ぐという臨床試験データを発表しました。

その発表の度に、株価が上昇するのを見ていると、ワクチン開発競争も人命を救うためと言うよりは金儲けのためという経済の基本原理を、つくづく思わされます。そもそも「バイオテクノロジー企業」と言えば、私など、ゲームや映画の『バイオハザード/Bio Hazard』に登場する「アンブレラ社」を思い出す訳です。

「バイオハザード」とは、細菌やウイルス等の有害物質が、研究室や病院から外部に漏れることで引き起こされる「生物災害」を意味します。『バイオハザード』では、アンブレラ社の研究施設で開発中のウイルス兵器「T-ウイルス」が施設内で漏れて、「バイオハザード」が発生、感染者たちは「アンデッド/ゾンビ」と変わり果て、特殊部隊の隊員たちに襲い掛かって来るのです。「バイオハザード」下の「サバイバル」がテーマです。

『バイオハザード』は、1996年に日本のゲーム会社「カプコン/CAPCOM」がクリエートした「PlayStation/プレステ」用のゲームソフト、及び、その実写映画化ですが、海外でのタイトルは「Resident Evil/内在する悪」でした。「生物災害」も単なる事故ではなく、企業側が仕組んだ実験であり、特殊部隊の派遣も、災害の収束を期してのものではなく、生物化学兵器の実戦データを得るためのものだったという展開です。

2.ワクチン

勿論「バイテク企業」と聞くだけで「バイオハザード」を連想してしまうのは、私の極端に歪んだ精神が作り上げた妄想に過ぎません。更に聖書の知識を加えて、妄想を加速するのが、キリスト教の牧師のヤバイところです。

「ワクチン」の語源は、ラテン語の「vaccīna/ウァッキーナ」です。「種痘疹、牛痘疹」という意味です。皆さんの右腕には「種痘」の傷跡がありますか。1976年(昭和51年)までは、天然痘の予防接種は義務化されていました。やがて、天然痘の国内発症が無くなり、1975年(昭和50年)以後に生まれた人には、種痘の跡はありません。もう1つは、結核の予防接種ワクチン「BCG」です。こちらは左右どちらでも「上腕」なら良かったみたいで、右の人も左の人もいます。

天然痘の予防接種を行なった功績者と言えば、18世紀英国の医師にして科学者のエドワード・ジェンナーです。彼はウイルスに感染した雌牛から「牛痘」を取り出して、人間に接種したところが、ウイルスに対する免疫を獲得できたという話です。それで、これが「ワクシニア・ウイルス/Vaccinia virus」と呼ばれるように成りました。「ワクチン」という語の始まりです。ラテン語の「雌牛/vacca/ウァッカ」が起源なのです。

「雌牛は我々に乳を、鶏は卵を与える/vaccae nōbīs lāc, gallīnae ōvā praebent」というラテン語の成句がありますが、雌牛は乳のみならず、天然痘のワクチンも与えてくれたのです。そう言えば、インフルエンザのワクチンも鶏の卵を使って培養されていますね。

3.物質主義

「彼らは早くも我が彼等に命ぜし道を離れ、己(おのれ)のために犢(こうし)を鑄(い)なしてそれを拝み、其(それ)に犠牲(いけにへ)を獻(ささ)げて言ふ、イスラエルよ是(これ)は汝をエジプトの地より導きのぼりし汝の神なりと」(「出エジプト記」32章8節/文語訳)という聖句を思い出します(句点は、読み易いように私が入れました)。

有名な「黄金の子牛/Golden calf」の場面です。モーセがシナイ山で、主なる神から律法を受け取っている間に、その山麓に宿営するイスラエルの民は不安の余り、エジプト人から「行き掛けの駄賃」とばかり頂戴した金を鋳造して、偶像を作り出し、「これがエジプトから脱出させてくれた神様だあ」と言って拝んだという話です。

ヘブライ語の「ラーヘム」、即ち「己(おのれ)のために」(「日本聖書協会訳」は「自分のために」、「新改訳」は「自分たちのために」)という所が、偶像礼拝の本質を暴露しています(残念ながら「新共同訳」も「協会共同訳」も抜けています)。

アロンとイスラエルの民が拝んだ「黄金の子牛」は、エジプト神話の天空の太母神「ハトホル/Hathor」が起源と思われます。彼女は「天界の雌牛」として崇拝され、その乳房から天の川が生まれ、毎日、太陽を生んでいると信じられていました。細長い雌牛の角を生やし、その両角の中に赤い太陽の円盤を載せた姿で描かれています。

ワクチン開発が成功し、待ち望む人たちに供給され、ウイルスの感染を防ぎ、罹患者の重症化を防ぐとしたら、素晴らしいことです。しかし、それは何のためでしょうか。またしても、以前と同じような大量生産大量消費の世界に、何の反省もなく戻って、「黄金の子牛」に仕えるだけのためだとしたら、それは余りにも虚しいことのように思うのです。

旧約聖書(古典ヘブライ語)では「黄金の子牛」は「エゲレー・ザーハーブ」と表現されていますが、現代ヘブライ語で「黄金の子牛/エーゲル・ハ・ザーハーブ」と言ったら「金銭崇拝、物質主義」を意味します。

牧師 朝日研一朗

【2020年12月の月報より】

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2020年09月27日

パンとワインと夢

1.主の食卓

10月第1主日は「世界聖餐日/World Communion Sunday」です。世界中の教会が十字架の主に結ばれて存在していることを確認するための記念日です。1936年に、米国の長老派教会が、10月最初の日曜日の礼拝で、聖餐式を執行したのが始まりとされています。ローマカトリック教会の「ミサ」や東方正教会の「奉神礼」では、日曜日毎に「聖体拝領」(正教会では「領聖」)が行なわれていて、それこそが礼拝の中心とされています。

ところが、多くのプロテスタント教会では、聖餐式は三大聖日(イースター、ペンテコステ、クリスマス)にしか行なわれていなかったのです。当時は、ペンテコステですら祝っていない教会が多数あった程です。それ故、同じ日に一致して、プロテスタント諸教会の信徒が聖餐に与ることに価値があるとされたのです。

特に1940年代になると、世界中に戦争の暗雲が立ち込めました。そんな中、世界中のキリスト者が共に「主の食卓」に就くことで一致し、お互いを認め合うことを願って、米国の超教派団体「連邦教会協議会/Federal Council of Churches/FCC」がこれを採用。その後身団体である米国「キリスト教協議会/National Council of Churches/NCC」によって引き継がれ、世界各国各地の「NCC」に拡がり、日本基督教団でも、1958年以降「世界聖餐日・世界宣教の日」として守られています。

2.聖餐中止

さて「コロナ禍」の中で「世界聖餐日」を、どのようにして記念したら良いでしょうか。そもそも、いつに成ったら、礼拝の中で聖餐に与ることが出来るのでしょうか。

今から十数年前に、「オープン聖餐」(未受洗でも希望する者の陪餐を認める)の是非を巡って、日本基督教団内部で批判が巻き起こり、教団執行部は未受洗者への陪餐を認める教師を免職処分にするという事件が起こりました。1969年「教団紛争」以来の黴の生えた怨恨が生み出した事件です。本来は信仰者の一致の象徴たるべき聖餐を、政争の道具として用いた結果、教団内部に大きな分裂をもたらしてしまいました。

現状はどうでしょう。主義主張は別として、殆どの教会が礼拝の中で聖餐式を執行できなくなり、中止しているのです。日本基督教団に限って言うなら、それは、あたかも神さまからの罰のように感じられます。「聖餐を重んじている!」と主張していた教会が、公同の礼拝で、聖餐に与ることが困難に成っているのです。

勿論、それでも聖餐を行なっている教会もあります。そのためにマンナンライフの「蒟蒻畑」を思わせるポーション(1人前小分け)カップに入ったグレープジュース(高価です)に、亀田製菓の「揚げ一番」のような小袋のお菓子を、パンの代用として使って居られるようです。実に涙ぐましい努力です。しかしながら、同じ場所で会衆が飲食することについては、危惧を感じない訳ではありません。

かと思えば「オンライン聖餐式」を行なっている教会もありました。各人がパンと葡萄酒(もしくは葡萄ジュース)を事前準備して、PCやタブレット端末の前に陣取り、一斉に聖餐に与るという手筈です。何と、この教会のHPには「種無しパンの作り方」と称するレシピまでが掲載されていました。しかし、オンライン等に無縁な「情報弱者」と言われる人たち(高齢者の多くが含まれます)は置き去りにされてしまいます。

3.主の血肉

聖餐のことを思い巡らして悶々としていたら、往年の名画『汚れなき悪戯』(1955年、スペイン)が思い出されました。原題は「Marcelino,Pan y Vino/マルセリーノとパンと葡萄酒」です。19世紀初め、フランス軍によって破壊されて廃墟となった修道院を再建しようとして、12人の修道士が働いていました。ある日の事、門前に赤ん坊が捨てられていました。修道士たちは、その子に「マルセリーノ」と名付け(丁度、その日がローマの殉教者マルチェリヌスの聖日だったから)、皆で育てるのです。

5歳に成ったマルセリーノは「ぼくのお母さんはどこにいるの?」と尋ねます。修道士は「神さまのもとにいる」と答えます。ある日、彼が「入るな」と禁じられていた屋根裏部屋に入ると、そこには十字架のキリスト像がありました。マルセリーノはキリスト像に話し掛けます。像は痩せていて、如何にも空腹そうに見えたので、厨房からパンを持って来て与えます。すると、像はそれを受け取ります。

やがて像は十字架から降りて来て、椅子に腰掛けます。彼が「私は誰か分かるか?」と尋ねると、マルセリーノは「神さまです」と答えます。こうして、マルセリーノは毎日、パンと葡萄酒を盗んでは、せっせと、キリスト像に運びます。キリスト像が「お前は良い子だから、願いを叶えて上げよう」と言うと、マルセリーノは迷わず「お母さんに会いたい」「あなたのお母さんにも」と答えます。

炊事係のトマス修道士は不審に思い、様子を伺っていたのですが、その目の前で、像はマルセリーノを膝に抱いて眠らせます。他の修道士たちも駈け付け、キリストが十字架に戻るのを目撃します。光輝く椅子の上で、マルセリーノは微笑みながら息絶えていました…。

「ヨハネによる福音書」のトマスは、外出していたために、復活のキリストに会いそびれて、最後まで信じられなかった使徒です。そのトマスと同じ名前の修道士が、最初に奇跡を目撃するのです。そして、マルチェリヌスは「ローマ典礼」の「聖体拝領の祈り」の中に、その名が挙げられる聖人です。

ズッと長い間、聖餐に与るのが当然、信徒なら与って当然と、私たちは思っていました。でも、当たり前の事なんか何一つ無かったのです。

牧師 朝日研一朗

【2020年10月の月報より】

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2020年08月30日

霊魂の送り迎え

1.子守唄

「五木の子守唄」と言えば、熊本県球磨郡五木村が発祥とされています。その歌詞を覚えて居られるでしょうか。♪「おどま盆ぎり盆ぎり/盆から先ゃおらんど/盆が早よ来りゃ/早よもどる」。「おどま」は「私たちは」、「盆ぎり」は「盆限り」、「おらんど」は「いないよ」です。つまり、その歌詞は「私らは、お盆までという約束で、この家に子守奉公に来ているんだ。/お盆が過ぎたら、もういないよ。/お盆が早く来たら、早く家に帰れるのになあ」という意味です。

数多くの子守唄が作られた江戸時代、社会は安定期を迎えると共に、士農工商の身分制が確立しました。農村においても「地主と小作」という階級差(経済格差)が固定化して行きました。更には、身分制の中にも入れられずに「穢多非人(えたひにん)」と蔑まれ、謂われ無き差別を受けた「部落」の人たちの存在も忘れてはなりません。

明治期に入っても、相変わらず身分差別や貧困は続き、農村では「間引き」や「口減らし」が日常的に行なわれ続けました。子どもたちは7〜8歳にも成れば奉公に出されました。何と5歳で奉公に出されたという記録まであります。女の子は「守り子」をさせられました。5歳くらいの女の子が奉公先の赤子を背負って、日中歩いている姿が、かつては、この国の各地で見られたものです。

そうした「守り子」が呟くように、呻くように歌った恨み歌の1つ、それが「五木の子守唄」なのです。2番は「おどま勧進勧進/あん人達ゃよか衆/よか衆よか帯/よか着物」でした。ここに歌われる「勧進」は「乞食、貧民、非人」を意味します。自分の奉公先の人たちを「あの家の人たちは、綺麗な帯に立派な着物のお金持ちだ」と、自分の惨めな境遇と比較して揶揄しているのです。

2.盆義理

「五木の子守唄」の「盆ぎり盆ぎり」で、遠州・三河地方の「盆義理」なる習慣を思い出しました。要するに「初盆」なのですが、かの地では葬式そのものよりも盛大に行なわれるそうです。お盆の夕方に「初盆」を迎えるお宅に、親族、近所の人たちは勿論の事、会社の同僚たち、学校時代の旧友たちに至るまで、次々に訪ねて来て「御仏前/不祝儀袋」(相場は千〜3千円)をお供えして行くのだそうです。とにかく「浜松では葬儀は2回行なわれる」と言われる程だと聞きました。本当に「義理堅い」ことですが、「初盆をもって、葬祭の義理が終了する」の意味で「盆切り」でもあるという、興味深い考察もありました。

今年は新型コロナウイルス感染拡大防止の立場から、多くの人たちが「お盆の帰省」を自粛しました。お盆に帰省する義理も立たなくなってしまったのです。日本でお盆に親族が集う習慣があるのは、お盆に先祖、即ち、死者の霊魂(50年忌以前の未だ「祖霊」に成っていない「死霊」)が家に戻って来ると信じられているからです。それ故に、霊が迷わぬよう「迎え火」を焚いて迎え、「送り火」を焚いて送り出すのです。

「大文字焼き」で知られる京都の「五山送り火」も死霊を黄泉に送り帰す行事です。これは「山の送り火」ですが、「海の送り火」(海に送り帰す火)もあります。「燈籠流し」「精霊(しょうろう)流し」です。いずれにしても、死者の世界(黄泉、冥土)は山の彼方、海の彼方にあるという日本の古い観念です。

余談に成りますが、グレープ(さだまさし)のヒット曲「精霊流し」(1974年)の一節に♪「約束通りに あなたの愛した レコードも一緒に流しましょう」と歌われていて、その当時から、私は「塩化ビニールを川や海に流すなんて、酷い環境破壊だ」と思っていました。ところが、同じ歌の中に♪「線香花火が見えますか 空の上から」の歌詞もあって、死んだ人が「空の上から」見てくれていると言っているのです。死んだ人の霊がいるのは山なのか、海なのか、それとも空の上なのか…。とにかく「彼方」なのでしょう。お盆は仏教行事の体裁を採っていますが、その深層は土着の民間信仰です。それでは、現代の私たちは、先に逝った人たちは「どこにいる」と感じているのでしょうか。

3.盂蘭盆

最後に、京都市伏見区竹田に伝わる「竹田の子守唄」で終わりましょう。「赤い鳥」が1971年のシングル盤A面に入れて、ミリオンヒットを記録しながらも、被差別部落の労働歌だったとの謂われから、放送局が自主規制を掛けて、20年以上も放送禁止歌に成っていました。B面の「翼をください」が音楽の教科書に載り、人気合唱歌として歌われ続けていること(2009年の『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』にも使われて、アニメファンにも人気)と、余りにも対照的ではありませんか。

♪「守りもいやがる/盆から先にゃ/雪もちらつくし/子も泣くし」「盆がきたとて/なにうれしかろ/帷子(かたびら)はなし/帯はなし」「この子よう泣く/守りをばいじる/守りも一日/やるせやら」「はよもゆきたや/この在所こえて/むこうに見えるは/親のうち」。この唄にも、毎日の暮らしの辛さ、遣る瀬無さが沁み込んでいます。

それにしても、ここでも再び「盆」が登場します。やはり、子守奉公の期間なのでしょう。「帷子」は「初夏から初秋にかけて着る、裏地の付いていない和服、単衣(ひとえ)」のことです。「綺麗な着物も帯も無いのに、盆が来たからと言って何が嬉しいか」と言いながらも、それでも「親のいる家に早く帰りたい」と歌っているのです。お盆になれば実家に帰れるのです。このように、死霊の送り迎えと、奉公人(現代なら労働者)の帰省とが重なっていることに、何とも知れない、不思議な符号を感じるのです。そう言えば、仏教用語の「盂蘭盆」は、古代イランのアヴェスター語「ウルヴァン/霊魂」が語源だとする説がありました。

牧師 朝日研一朗

【2020年9月の月報より】

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2020年07月26日

どこへ行くのか

1.ゴートゥ事業

新型コロナウイルス感染拡大が続く中、政府は1兆6千8百億円もの大規模な補正予算を組んで、「Go Toキャンペーン事業」を始めました。

第一弾は「Go To Travel」、大きな打撃を受けた観光業者に対する支援策です。期間中に旅行代理店を通して旅行、宿泊したら、代金の2分の1程度のクーポンが貰えるそうです。第二弾は「Go To Eat」、飲食業者に対する支援策です。期間中にオンライン予約サイトを通して飲食をしたら、ポイントが貰えるそうです。

実は、まだ続きます。第三弾は「Go to Event」、期間中にチケット会社を通してイベントやエンタメ(劇場や娯楽施設)のチケットを購入したら、2割分のクーポンが貰えると言うのです。第四弾は「Go to 商店街」、この辺りに成ると、もうサッパリ分かりませんが、地域の商店街がイベントを開催したり、公告や販売促進活動をしたり、新商品を開発したりするのを支援するようです。

しかしながら、皆さんも御存知の通り、旅行を奨励する第一弾から躓いてしまいました。都道府県知事や地方自治体の首長から一斉に、感染拡大を懸念する声が上がり、東京都民は「Go To Travel」から外されてしまいました。既に旅行を予約していた東京都民のキャンセルが相次ぎ、そのキャンセル料を、政府が補償することになったそうです。このドタバタ振り、まるで下手糞な喜劇のようです。

とは言え、これによって、またもや国民の血税が湯水のように流されて行くのですから、笑って済ませられるものではありません。税金泥棒して特定業者にだけ手渡すと言うので、「強盗キャンペーン」、感染拡大させた上に財政破綻を招くと言うので、「Go To Hell(地獄行き)キャンペーン」と揶揄されるのも当然です。

2.キャンペーン

それにしても、いつから日本政府は「商業キャンペーン」を企画する会社の真似事を始めたのでしょうか。我が国の国土交通省や経済産業省は、広告代理店の「電通」に乗っ取られてしまったのでしょうか。

「キャンペーン/campaign」とは「組織的運動、活動」のことです。「交通安全運動」「販売促進運動」「募金活動」等が「キャンペーン」の代表です。でも、米国で「キャンペーン」と言えば、大統領選や議員選、州知事選などの「選挙活動、選挙戦」です。その意味では、「Go To キャンペーン」も、旅行業者、飲食業者、チケット業者、商店街と順番に特定業種を支援することで(と言っても、単なる税金のバラ撒きですが)、秋に行なわれるとも噂される総選挙のために、支持票獲得を狙った「企画」なのかも知れません。

そもそも「キャンペーン」等というチャラい語が謳い文句として出て来ること自体が、日本国の国家政策に相応しくないと、私は思っているのです。振り返れば、バブル時代は「キャンペーンガール」(略して「キャンギャル」)の全盛期でした。高度経済成長期には「イベントコンパニオン」と称していたものです。

私にとっては「キャンペーン」と言えば、街頭で「キャンギャル」が、ハイレグ水着やレースクイーンのコスプレで「販売促進」のプロモーションをやらされている、そんなイメージなのです。要するに、完全な「色物」なのです。

3.行き先が不明

先日、NHKの「BSシネマ」で『クォ・ヴァディス』(Quo Vadis)を放映していたので、録画して観たのでした。ポーランドの作家、ヘンリック・シェンキェヴィチの原作を、ハリウッドで映画化した懐かしの名画(1951年)です。所謂「聖書もの」「キリスト教もの」の「スペクタクル映画/Epic Film」です。

東方遠征から凱旋したローマ帝国の軍司令官、マルクス・ウィニキウスが、ローマに捕囚されている、小国(スラブ系)の王女、リギア(キリスト教徒の娘)と出会って、恋に落ちるのですが、ネロ帝によるローマの大火とキリスト教徒に対する迫害の中で、信仰に目覚めるという筋書きです。彼らに関わる人物として、使徒ペトロやパウロも登場します。ネロの廷臣として、『サテュリコン』のペトロニウスやセネカも登場します。

さて、タイトルの「クォ・ヴァディス」の由来です。ネロ帝の迫害を逃れたペトロが、ローマを去るべくアッピア街道を歩いていた時、朝の光の中に、キリストが顕われます。思わずペトロは「主よ、何処にか行き給うや?」と問うのです。それが「Quo vadis,Domine?」です。ラテン語の発音は「クォー・ウァーディス・ドミネ」です。すると、キリストが答えて曰く「汝、我が民を見捨てなば、我、ローマに行きて今一度、十字架に掛からん」。それを聴いたペトロは殉教を覚悟して引き返して行くのです。

この「主よ、何処に…」は「ヨハネによる福音書」13章36節に出て来るペトロの台詞でもあります。「主よ、どこへ行かれるのですか」。英訳では「Lord,where are You going?」と訳されています。

新聞やテレビのニュース番組で、政府主導の「Go To キャンペーン事業」の一連の騒動を見たり聞いたりしながら、しきりに「クォ・ヴァディス」の問いが思い出されて仕方がありませんでした。私たちは、一体どこへ連れて行かれようとしているのでしょうか。

総額260億円(調達費184億円、配送費76億円)を使ってしまったという厚生労働省の「アベノマスク」配布事業と言い、後戻りは出来ないのでしょうか。引き返すことは出来ないのでしょうか。因みに、旧約聖書では「悔い改め」という語は「シューブ」というヘブライ語です。即ち「悪しき道から離れること」「御もとに立ち返ること」を意味します。

牧師 朝日研一朗

【2020年8月の月報より】

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2020年06月28日

信仰は冠す coronat fides

1.自発的奉仕

去る4月7日、日本政府は「改正新型インフルエンザ等対策特別措置法」に基づき「緊急事態宣言」を「発出」しました。それを受けて、東京都は都内事業者に対する「休業」と都民に対する「外出自粛」を要請しました。

私たちの教会でも、信徒(教会員と教友、教会学校の子どもたちと家族)の生命と健康を最優先に考えて、教会の諸集会を完全に休止しました。そして、当初5月6日までとされていた「休業要請期間」は延長されて、5月31日まで続きました。

折りしも5月31日は、ペンテコステ(聖霊降臨日)当日でした。幾つかの福音派教会では、この日を記念して大きなイベント(「伝道集会」「決起集会」「復興聖会」等)を打っていました。私たちの教会では、ペンテコステは辛抱して、もう1週間の猶予をもって準備をして、6月7日の三位一体主日から主日礼拝を再開としました。それでも、礼拝出席や公共交通機関の利用、外出そのものに不安を感じる人たちも多いと思いましたので、奉仕の当番を外した上で、「無理して礼拝に出席しなくても良い」「家族の反対を押し切ってまで来ることは無い」と通知しました。

実際には矛盾もあります。コロナ禍以前と同じく「奏楽者/オルガニスト」は当番制で奉仕を続けて居られます。礼拝の「司式者」には事前の祈りと準備が欠かせません。誰かが予め引き受けなくてはなりません。当日、早めに来て受付に立つ「礼拝担当者」も同様です。私たちの教会の場合、「司式」と「担当」は、役員と役員経験者による奉仕と成っていますが、現在までの所、自発的な申し出に委ねています。

2.礼拝の継続

そう言えば、所謂「自粛期間」の中にあっても、牧師と役員だけで礼拝を続けていた教会がありました。役員(教派によっては「長老」「執事」等とも言う)は一般信徒(平信徒)とは異なり、教会形成に対して特別な責務を負うと考えられているのです。

同じプロテスタント教会でも、カルヴァン派の流れを汲む教会では、「長老/Presbyter」は牧師や神学教師と共に「平信徒/Layman」の訓練に携わる特別な立場にあります。因みに、「執事/Deacon」と言う場合には、本来、施与や慈善などの奉仕に当たる者ですが、現在では、教会運営を主導する「役員」と同様の意味で使われるように成りました。それはともかく、牧師もまた「宣教長老」、長老の一人に過ぎません。と言う訳で、「自粛期間」にも拘わらず、牧師と長老(役員)だけで礼拝を守り続けた教会があったのです。

会衆派の流れを汲む教会(私たちの教会もそうですが)では、牧師を含めて、礼拝出席者の全員が「会衆/Congregation」という立場を採ります。ですから、「会衆/集められた人たち」がいないにも拘わらず、礼拝を行なう必要はありません。しかし、大規模教会では、牧師や副牧師、伝道師、主事だけで礼拝を守っていたようです。

カトリック東京大司教区は3月半ばには「非公開ミサ」としました。つまり、一般信徒が「主日ミサに与る義務を免除」したのです。カテドラル(大聖堂)では、聖職者だけで典礼を行ない、中小規模教会では「司祭が自室でミサを奉げた」そうです。プロテスタント教会の対応(牧師と役員だけで礼拝を守る、教職だけで礼拝を守る)も概ね、カトリックの「非公開ミサ」を参考にしていると思います。

そもそも、礼拝出席10人前後の小規模教会では、いつもと同じように礼拝をしていたという話も伝え聞きました。但し、近所の「自粛警察」からのクレームと飛沫感染を怖れて、声を出さずに讃美歌の歌詞を心の中で読んだそうです。

これを機に「YouTube」「Zoom」等による映像のネット配信を始めた教会もありました。何が正しい事なのかはさて置き、どの教会も苦労していますね(苦笑)。

3.やってる感

教会の姿勢として、日曜日の礼拝は何が何でも続けるという意識が働いているのです。出来る限り「休止」という語は使いたくないみたいです。「非公開ミサ」やってる、「ネット配信」やってる、少人数礼拝やってる、教職だけの礼拝やってる…。「やってる感」を大切にしていたのです。自粛で「開店休業」状態のラーメン屋と同じく、悲痛な「やってる」が各個教会でも展開されていたのです。斯く言う私も、日曜日の定時には礼拝堂に行き、30分から1時間を祈ったり、賛美したりして過ごしていました。

コロナウイルスの「コロナ/冠」という語との関連で「coronat fides/コローナート・フィデース/信仰は冠す」というラテン語の成句を思い出しました。「信仰は必ず報いられる」という意味です。但し、「とにかく主日礼拝だけは守り続ける」という拘りが、本当に「信仰」と言えるのか、これについては吟味が必要です。単なる「やってる感」のもたらした自己満足では無かったのか。つまり、これらの礼拝やミサは、本当に神さまとの応答や交流をもたらしていたのか、それが問われるべきでしょう。

ネット配信の場合などが具体的に分り易いと思いますが、メッセージや賛美や祈りを在宅の信徒に届けると言ったら綺麗ですが、「ちゃんと礼拝を続けていますよ」というアリバイのようにも思われるのです。つまり、人に届けることにのみ執心していて、そこで神さまの御臨在は置き去りにされている、そんな面は無かったと言い切れるでしょうか。これは、私自身の「5分間礼拝」配信に対する反省でもあります。

礼拝堂で、私が独り行なっていた「ぼっち礼拝」も然り。執り成しの祈りを忘れなかったつもりですが、続ける内「やってる感」に終始していたかも知れません。やはり、礼拝は召され集められた者たちが時間と空間を共にする処から生まれると、私は思っています。

牧師 朝日研一朗

【2020年7月の月報より】

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2020年05月30日

ビハインド・ザ・マスク

1.ハクション大魔王

私たちが外出する際には、マスクが欠かせなくなりました。私などは、スーパーに買出しに行こうと、ドイツ陸軍放出品の背嚢を背負い、「戦車兵の歌/Panzerlied」を歌いながら、勢い良く家を飛び出したものの、権之助坂に上がる途中で、マスクをしていないことに気付いて、すごすごと退却したことの、何度あったことでしょうか。

スギ花粉アレルギーや寒暖差アレルギーを持っているくせに、私はマスクが大の嫌いで、滅多に着用しませんでした。勿論、インフルエンザの季節に、入院中の会員、高齢の会員をお訪ねする際には、必ずマスクを着けて行きましたが、プライベートでは、酷いクシャミに悩まされながらも、どれくらい遠くまでハクションが響くか、何メートル飛沫を飛ばせるか、それを楽しんでいたようなところがありました。

ところが、そんな私が今では、マスクを2枚重ねで着用しているのです。下には使い捨ての「不織布マスク」(この「不織布」という語も最近漸く発音できるように成りました)、その上にデザイン物の布マスクです(こちらは洗って再使用できます)。しかしながら、2枚重ねで着用していると、さすがに息が切れるのです。

最近では、暑さと湿気の余り、禿げ上がった額から汗が滴り落ちるように成りました。帰宅して、マスクを外したら、口髭から湯気が立ち上っていたこともありました。このまま行くと「熱中症」でダウンするのは火を見るよりも明らかです。聞くところによると、夏向けに保冷剤を入れる「ひんやりマスク」「冷やしマスク」も販売されたとの由。千円以上する高額商品ですが、今夏の必須アイテムに成りそうです。

2.マスクの裏の事情

さて「マスク」と言えば、思い出されるのが、YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)の名曲「ビハンド・ザ・マスク/Behind the Mask」です。つい先日、同じくテクノポップを代表する「クラフトワーク/Kraftwerk」の創設者、フロリアン・シュナイダー(Florian Schneider)が亡くなって、ラジオから「アウトバーン/Autobahn」や「ヨーロッパ特急/Trans-Europa Express」「ロボット/Die Roboter」が流れていました。それを耳にして、自然に、日本のYMOが思い出されたのでした。

「ビハンド・ザ・マスク」は、YMOの2作目のアルバム「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー/Solid State Survivor」(1979年)のB面1曲目に入っていた楽曲です(クリス・モズデル作詞/坂本龍一作曲)。1986年には、エリック・クラプトンが「オーガスト/August」の中でカヴァーしています。それに先立つ1982年に、かのマイケル・ジャクソンもまた、自身が別の歌詞を付けてカヴァー録音しています。アルバム・プロデューサーのクインシー・ジョーンズ(Quincy Jones)の推しで「スリラー/Thriller」に収録されるはずが、なぜかボツに成り、結局、死後に発表された未発表楽曲集「マイケル/Michael」(2010年)で、私たちは初めて聴くことが出来た訳です。勿論、坂本がセルフカヴァーした12インチシングル(1987年)も忘れてはなりません。

「今あなたが着けている仮面(マスク)は/無表情で毛羽立っている/皺と涙、年齢と怖れ/年老いて行けば情熱も冷める/それは私?それとも、あなたか?/仮面の裏側で、私は尋ねる」。そんな歌詞です。「仮面/マスク」はケバい化粧のことだと言う人もいます(何しろ、1980年代後半はバブル期でしたから)。しかし、この楽曲が生まれた1970年代末の日本社会は閉塞感の方が強く、素直に感情や信条を表面に出せない、管理社会が到来することを警告していたように、私は感じています。そもそもアルバム名の「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」には「全体主義的国家体制(あるいは管理社会)の中で生き残れるか!?」的な含みがありました。謂わば、ジョージ・オーウェルの『1984』的デストピア(暗黒郷)が表現されていたように思います。

3.素顔じゃない社会

これから私たちは、全く予想もしなかった形で「ビハインド・ザ・マスク」生活をしなければならないかも知れません。これまでも外出の際にはマスクを着用する人は大勢いました。しかし、医療や衛生、食品に携わる人はともかく、殆どの人は職場や学校、現場に着けば、素顔でいることが出来たのです。マスク着用が義務付けられる職場でも、休憩時間とも成れば、マスクを外して同僚と歓談できたのです。

これからは、他人(特に複数の)と接する時、マスク着用がエチケットに成るでしょう。私たちは素顔を隠したまま、社会生活をすることに成ります。YMOと同じ1970年代末に、ビリー・ジョエル(Billy Joel)は「I love you/Just the way you are//素顔のままの君が好きなのさ」と歌いました(私のカラオケの持ち歌でもあります)が、これからは、中々お互いの素顔を見られなくなるのでしょう。もしかしたら、余程、親しい間柄でない限りは「Zoom」「Line」「Skype」等の通信画像を通して、初めて素顔に接する等という、寂しい事態にも成り兼ねません。

キリスト教会も他人事ではありません。讃美歌を唱和する時、詩編を交読する時、主の祈りや使徒信条を唱和する時、しばらくはマスクを着用せざるを得ません。それは、いつまで続くのでしょうか。共に聖餐や愛餐に与る日は、いつ来るのでしょうか。その内、司式者の礼拝祈祷も、牧師の説教も「マスク着用で」と言われるかも知れません(既に講壇にはプラスチックシールドを設置しています)。

所謂「口角泡を飛ばして」の熱弁振るう牧師のイメージも、今や過去のものに成りつつありますが、これを機に本当に消滅してしまうかも知れません。

牧師 朝日研一朗

【2020年6月の月報より】

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