2020年05月30日

ビハインド・ザ・マスク

1.ハクション大魔王

私たちが外出する際には、マスクが欠かせなくなりました。私などは、スーパーに買出しに行こうと、ドイツ陸軍放出品の背嚢を背負い、「戦車兵の歌/Panzerlied」を歌いながら、勢い良く家を飛び出したものの、権之助坂に上がる途中で、マスクをしていないことに気付いて、すごすごと退却したことの、何度あったことでしょうか。

スギ花粉アレルギーや寒暖差アレルギーを持っているくせに、私はマスクが大の嫌いで、滅多に着用しませんでした。勿論、インフルエンザの季節に、入院中の会員、高齢の会員をお訪ねする際には、必ずマスクを着けて行きましたが、プライベートでは、酷いクシャミに悩まされながらも、どれくらい遠くまでハクションが響くか、何メートル飛沫を飛ばせるか、それを楽しんでいたようなところがありました。

ところが、そんな私が今では、マスクを2枚重ねで着用しているのです。下には使い捨ての「不織布マスク」(この「不織布」という語も最近漸く発音できるように成りました)、その上にデザイン物の布マスクです(こちらは洗って再使用できます)。しかしながら、2枚重ねで着用していると、さすがに息が切れるのです。

最近では、暑さと湿気の余り、禿げ上がった額から汗が滴り落ちるように成りました。帰宅して、マスクを外したら、口髭から湯気が立ち上っていたこともありました。このまま行くと「熱中症」でダウンするのは火を見るよりも明らかです。聞くところによると、夏向けに保冷剤を入れる「ひんやりマスク」「冷やしマスク」も販売されたとの由。千円以上する高額商品ですが、今夏の必須アイテムに成りそうです。

2.マスクの裏の事情

さて「マスク」と言えば、思い出されるのが、YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)の名曲「ビハンド・ザ・マスク/Behind the Mask」です。つい先日、同じくテクノポップを代表する「クラフトワーク/Kraftwerk」の創設者、フロリアン・シュナイダー(Florian Schneider)が亡くなって、ラジオから「アウトバーン/Autobahn」や「ヨーロッパ特急/Trans-Europa Express」「ロボット/Die Roboter」が流れていました。それを耳にして、自然に、日本のYMOが思い出されたのでした。

「ビハンド・ザ・マスク」は、YMOの2作目のアルバム「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー/Solid State Survivor」(1979年)のB面1曲目に入っていた楽曲です(クリス・モズデル作詞/坂本龍一作曲)。1986年には、エリック・クラプトンが「オーガスト/August」の中でカヴァーしています。それに先立つ1982年に、かのマイケル・ジャクソンもまた、自身が別の歌詞を付けてカヴァー録音しています。アルバム・プロデューサーのクインシー・ジョーンズ(Quincy Jones)の推しで「スリラー/Thriller」に収録されるはずが、なぜかボツに成り、結局、死後に発表された未発表楽曲集「マイケル/Michael」(2010年)で、私たちは初めて聴くことが出来た訳です。勿論、坂本がセルフカヴァーした12インチシングル(1987年)も忘れてはなりません。

「今あなたが着けている仮面(マスク)は/無表情で毛羽立っている/皺と涙、年齢と怖れ/年老いて行けば情熱も冷める/それは私?それとも、あなたか?/仮面の裏側で、私は尋ねる」。そんな歌詞です。「仮面/マスク」はケバい化粧のことだと言う人もいます(何しろ、1980年代後半はバブル期でしたから)。しかし、この楽曲が生まれた1970年代末の日本社会は閉塞感の方が強く、素直に感情や信条を表面に出せない、管理社会が到来することを警告していたように、私は感じています。そもそもアルバム名の「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」には「全体主義的国家体制(あるいは管理社会)の中で生き残れるか!?」的な含みがありました。謂わば、ジョージ・オーウェルの『1984』的デストピア(暗黒郷)が表現されていたように思います。

3.素顔じゃない社会

これから私たちは、全く予想もしなかった形で「ビハインド・ザ・マスク」生活をしなければならないかも知れません。これまでも外出の際にはマスクを着用する人は大勢いました。しかし、医療や衛生、食品に携わる人はともかく、殆どの人は職場や学校、現場に着けば、素顔でいることが出来たのです。マスク着用が義務付けられる職場でも、休憩時間とも成れば、マスクを外して同僚と歓談できたのです。

これからは、他人(特に複数の)と接する時、マスク着用がエチケットに成るでしょう。私たちは素顔を隠したまま、社会生活をすることに成ります。YMOと同じ1970年代末に、ビリー・ジョエル(Billy Joel)は「I love you/Just the way you are//素顔のままの君が好きなのさ」と歌いました(私のカラオケの持ち歌でもあります)が、これからは、中々お互いの素顔を見られなくなるのでしょう。もしかしたら、余程、親しい間柄でない限りは「Zoom」「Line」「Skype」等の通信画像を通して、初めて素顔に接する等という、寂しい事態にも成り兼ねません。

キリスト教会も他人事ではありません。讃美歌を唱和する時、詩編を交読する時、主の祈りや使徒信条を唱和する時、しばらくはマスクを着用せざるを得ません。それは、いつまで続くのでしょうか。共に聖餐や愛餐に与る日は、いつ来るのでしょうか。その内、司式者の礼拝祈祷も、牧師の説教も「マスク着用で」と言われるかも知れません(既に講壇にはプラスチックシールドを設置しています)。

所謂「口角泡を飛ばして」の熱弁振るう牧師のイメージも、今や過去のものに成りつつありますが、これを機に本当に消滅してしまうかも知れません。

牧師 朝日研一朗

【2020年6月の月報より】

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2020年05月08日

散りゆく光の中で

1.散らされて

聖書学には「ディアスポラのユダヤ人」という語がよく出て来ます。一般には馴染みの薄い語ですが、「ディアスポラ/Diaspora」とは、ギリシア語で「散らされている者」という意味です。パレスチナ以外の土地に移り住んでいるユダヤ人を言います。

旧約続編「マカバイ記U」1章27節に「(主よ、)離散した同胞を集め、異邦人のもとで奴隷にされている者たちを解放し、虐げられ、疎まれている者たちにも心を配ってください」という祈りが綴られていますが、「七十人訳聖書/Septuaginta」(紀元前1世紀頃に完成したギリシア語「コイネー/ヘレニズム帝国の公用語」訳)には、この「離散した同胞」が「ディアスポラ」という語で表現されています。

アッシリア帝国、新バビロニア帝国による「捕囚」政策によって、メソポタミア地方に連れ去られた民がありました。また、王国の滅亡に際して、難民としてエジプトに逃れた者たちがナイル川上流やアレクサンドリアに移住したと言われています。ペルシア帝国やヘレニズム(ギリシア)帝国の時代には、シリアや小アジア(トルコ)各地、遠くカスピ海にまで移住させられた者たちもいました。そして、紀元1〜2世紀、ローマ帝国に対して、何度か叛乱を起こしたものの、その都度、鎮圧され、その挙句、遂に5世紀には、パレスチナから殆どのユダヤ人は追放されてしまったと言われています。

「使徒言行録」2章には「エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人」が、聖霊に満たされた弟子たちによって「自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった」と書かれています。あれこそ、巡礼にやって来た「ディアスポラのユダヤ人」に他なりません(中には、ユダヤ人ではない、異邦人からの改宗者もいたみたいですが…)。

2.集められて

しばしば、教会は「呼び集められた者の群れ」であると言われます。これは、旧約聖書に言われる「会衆」という語(ヘブライ語の「カーハール」)を読み砕いたものです。これが先程の「七十人訳聖書」では「エククレーシア/召集された市民の集会、議会」というギリシア語に翻訳され、そのまま、ラテン語に転訛されて「エックレーシア/ecclēsia」は「教会」という意味で使われるように成ったのです。

私たちの教会は「組合教会」、即ち、英国、米国の「会衆派」の流れを汲むものですが、「会衆派教会/Congregational Church」の「会衆/Congregation」という語もまた、ラテン語の「congregātiōnes/共に集まれし者」に由来します。動詞「con-gregō/コングレゴー/集める、結合する」⇒「grgēgō/グレーゴー/呼び集める、召集する」に至るのです。

それ故に「会衆」あっての「教会」と申すことが出来るでしょう。従って「会衆」不在の状態、「集会」を呼び掛けることの困難な状況は、教会にとって「死」を意味します。カトリック教会の「非公開ミサ」(一般信徒には閉じられたまま、聖職者のみで聖体祭儀を行なう)、プロテスタント教会の「無会衆礼拝」(教職のみで礼拝を行ない、それをネット配信する)の試みを頭から否定するつもりはありませんが、それを「公同の礼拝」とするのは、残念ながら「嘘も方便」の域を出ません。

この点に関しては、言い逃れ出来ません。「呼び集められた群れ」、即ち「会衆」が存在しない今、教会は死んだも同然、もはや死に体なのです。私たちの教会は勿論、どんな大規模教会も(聖イグナチオ教会であれ、聖マリア大聖堂・関口教会であれ、ルーテル市ヶ谷教会であれ、聖公会聖アンデレ教会であれ)、礼拝を休止している教会は死んだのです。しかしながら、会衆の誰か、あるいは、その家族や友人の誰かを死の危険に晒すことを潔しとはしなかったのです。その意味では、主の十字架と同じく「死に渡された」と言えましょう。

3.散り行く光

ところで、私たちが「教会」として「呼び集められる」のは、再び「散らされる」ためだと主張する人もいます。現代を生きるキリスト者は「散らされる」という語を、より積極的な意味で捉え直そうとしています。

例えば、「使徒言行録」には、「ステファノの殉教」に端を発する、新たな宣教の展開が描かれています。8章1節「その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った」のですが、4節「さて、散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた」と続きます。エルサレム教会の弾圧によって信徒たちが「散らされて行った」結果、サマリアでの宣教が始まるのです。

私たちの教会は「迫害、弾圧」を受けている訳ではありませんが、教会というものは、そもそも「呼び集められ」、また「散らされて行く」ものだと言えるのです。そこには「宣教」(主の御言葉、主の御心を宣べ伝える)という目的があるのです。すると、すかさず「このウイルス禍こそは、家族伝道の絶好のチャンスです!」と、能天気な牧師なら言うでしょう。ドナルド・トランプ並みの(かなり危険な)楽天的エゴイズムです。

迫害と弾圧は、恐らく、当時の「エルサレム原始教会/Primitive Church of Jersalem」に、破滅と言っても良い程の打撃を与えたと思うのです。エピファニオス(サラミスの主教)によると、4世紀初頭まで残存していたそうですが、次第に衰退して行ったのに違いありません。しかし、そこから「散って行った人々」が新しい教会を作って行ったのです。

それは丁度、倒れて朽ち行く樹木を苗床として、そこから新しい芽が生まれていったようなことでは無かったでしょうか。自分が肥え太るのではなく、自分自身が肥やしに成って、新芽を育てる、そのような大きな循環(自然サイクル)を見る思いがします。

牧師 朝日研一朗

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2020年04月23日

教会の一大痛恨事

1.小さな世界

4月5日の「棕梠の主日」の礼拝までは、辛うじて守ることが出来ました。礼拝出席は13名でした。政府や自治体、感染症対策の専門家は、マスコミを通して「土日の不要不急の外出は控えるように」とのアピールを繰り返していましたので、3月以後、礼拝出席者は激減していたのです。特に持病のある方、高齢者は礼拝出席に不安を抱かざるを得ません。家族も心配して「礼拝に行くな」と言います。そして遂に4月7日、「緊急事態宣言」が発出されました。教会の諸集会を全て休止することを(役員と相談の上で)決断し、「教会からの重大なお知らせ」として書面で郵送し、現在に至ります。

しかしながら、教会から何の「音沙汰も無し」と言うのでは「福音」の名折れです。そこで、4月12日のイースターから毎週日曜日、行人坂教会HP上で、5分間礼拝「小さな世界/minutum mundum」という番組を音声配信しています。讃美歌と聖書朗読とメッセージと祈り、それで数分です。

通常の式順通りに「無会衆礼拝」を行ない、その模様(1時間以上)を「YouTube」「Line」「Zoom」「Skype」等を利用して、映像配信している教会もあります。所謂「オンライン礼拝」です。しかし、映像が余り良くないと聞きました。また、誰もいない礼拝堂や牧師の姿だけが映し出され、切り替えも無い映像など退屈極まりありません。

映像配信を行なうツールも準備も無かったというのが正直な所ですが、今回は「音声のみの配信」「数分間に限る」という選択をしました。メッセージの内容は、ノンクリスチャンも共に聴いて下さる事を前提にしました。実際に「未信者の御家族と聴いている」「数分なので一緒に聴いて貰える」という嬉しい反応を頂いています。

2.ぼっち礼拝

この5分間礼拝「小さな世界」、日曜日ごとに1本が配信されていますが、予め週日に2回分ずつ録音されたものです。でも、それとは別に、日曜日午前10時30分から、牧師は独り、礼拝堂で「独りぼっちの礼拝」を守っています。音声配信を利用するか否かは別として(実際、PCやスマホをお持ちでない方たちは利用できません)、この時間に合わせて、各家庭で祈りの時を持って下さっている信徒の方たちがいると信じているからです。

そして何より、日曜日の朝に、主の礼拝堂にあって、祈る者が誰一人いないという状況はあり得ないと思ったのです。神さまに申し訳が立ちません。そこで「独りぼっちの礼拝」を4月12日から始めました。いささか自嘲気味に「ぼっち礼拝」と呼んでいますが、どんな風に礼拝しているのか、具体的に申し上げましょう。

何の準備も無く、聖書と讃美歌だけを携えて、礼拝堂に行きます。@黙想を続けます。A讃美歌を数曲うたいます。Bその合間に聖書を読みます。C声に出して祈ります。E「主の祈り」やF「使徒信条」を唱えます。この7つの要素を順番も決めずに、聖霊の御導きのままに行なっています。

「フレンド派/基督友会/The Religious Society of Friends」、俗に言う「クエーカー/Quakers」の日曜礼拝を経験なさった方はお分かりに成ると思います。プログラムの無い礼拝です。牧師も司式者もいません。どちらかと言えば「沈黙の礼拝」です。「フレンド」の人たちは「内なる光/Inner Light」と言いますが、神の働きに導かれるままに、その礼拝の時を過ごします。私の「ぼっち礼拝」が「フレンド」の礼拝と違うのは、讃美歌をうたうという所だけでしょう。

私の「ぼっち礼拝」は30分と決めています。余り長い時間を続けると、次回に繋がらないと思うのです。毎回、心を集中させて新鮮な気持ちで礼拝するために、時間を限っているのです。勿論、時間を計っている訳では無くて、上の7要素をゆっくりと行なっていると、丁度30分くらいに成っているのです。

3.不要不急?

今回の「コロナ禍」で最も悲しく思ったのは「不要不急」という語でした。主日礼拝に出席する事は、信仰者、クリスチャンの暮らしにとって、何よりも「重要」なはずですが、それが「不要」とされてしまったのです。実際に、未信者の家族から礼拝に行くのを止められた信徒も大勢いらっしゃいます。そこに「不要不急」という看板(大義名分)が立ち塞がっていたはずです。

家族が「控えるように」言うのは、我が身を心配しての事とは分っているのですが、それでも「不要/重要では無い」と言われた事によって、私たちの信仰は深く傷付けられたのです。師岡カリーマ・エルサムニーが「東京新聞」のコラムに書いて居られました。イスラム教のどこかの国では、本来なら礼拝への呼び掛けであるべき「アザーン」の放送が、嗚咽しながら「モスクに来るな」「自宅で待機せよ」と為されたとの由。

その記事を読んだ時、私も胸が詰まりました。本当は、私自身も声を上げて、泣き出したいような気持ちだったのです。そんな思いを無理に押さえ込んで、理性的に装って、礼拝休止を決定したのでした。でも、本当は悲しかった。本当は、魂が引き裂かれるような気持ちだったのです。

個人的に「礼拝を休む」とか「礼拝をサボる」とか、または「礼拝を寝過ごした」とか、そんな事ではありません(そう言えば「アザーン」の一節には「礼拝は睡眠にまさる」というのがありましたっけ)。「公同の礼拝/Ecclesia Catholicus」を休止したのです。これ以上の痛恨事はありません。「主なる汝の神を拝し、ただこれにのみ仕うべし」(「ルカ傳福音書」4章8節)、この主の戒めを守れなかったのです。

牧師 朝日研一朗

【2020年5月の月報より】

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2020年04月07日

暗夜に光を求めて

牧師 朝日研一朗

2020年4月12日、私たちは「復活日/イースター」を迎えます。しかし残念なことに、主の復活をお祝いする礼拝に、私たちは参集することが出来ません。辛うじて「受難週」の始まりを告げる「棕梠の主日」は、礼拝を守ることが出来ましたが、「洗足木曜日」の礼拝、「受難日」の祈祷会は断念せざるを得ませんでした。私たちは「受難節/レント」の途中で、その歩みを止めるしかありませんでした。これが首都圏の現状です。

猖獗(しょうけつ)を極める「新型肺炎コロナウイルス」を前にして、国内のみならず、世界中が嘆きと呻きに溢れています。今まさに罹患して苦しんでいる人たち、命を落とさんとする人たち、愛する者を奪われた悲しみと孤独の中に置き去りにされた人たちがいます。多くの人たちが不安の中で逼塞(ひっそく)した暮らしを続けています。こんな状態にあっても尚、働かなくてはならない人たち(食品、運輸、流通、救急、警察)、務めを果たさなくてはならない人たち(特に医療従事者)のことも忘れてはいけません。

英国では「5G(第5世代)移動通信システムがコロナウイルス感染を拡大させている」とのフェイクニュース(虚偽報道)を信じた人たちにより、英国国内数ヶ所で電波塔が放火されたそうです。勿論、完全なデマ(流言飛語)なのですが、ウイルスと同じく、電波もまた目に見えませんし、情報もまた人と人とを繋いだり、人から更に多くの人へ拡散したりするものです。

この報道に接した時、この感染症は「苦しみの連鎖」かも知れないと思いました。人から人へと、人伝(ひとづて)に病苦や死が伝播(でんぱ)して行くのです。しかも、潜伏期間中には自覚症状が無い人、症状が出ても軽い人もありながら、それでいて、感染した他の誰かにとっては致命的であったりするのです。それはあたかも、私たちが他者の苦しみに対して、極めて鈍感、無感覚であることの隠喩(メタファー)のようです。その点、何だか現代社会を反映しているように思われるのです。

「苦しみの連鎖」と言いましたが、苦しむ人と苦しまない人とがいます。ペストやコレラやインフルエンザにも、耐性のある人と無い人、発症する人としない人とがあると思いますが、ここまでの大きな差異は無かったと思います。「陽性」と診断されても、殆ど健康状態に変化の無い人もいるのです。

今たまたま、私たちの健康が保たれているとすれば、今こそ、苦しみの中にある人たちに心を寄せて祈るべきことが是非とも求められています。それは「レント」に当たって、主イエスの苦難と十字架を念ずることに通じます。そのことを通してのみ、私たちは「復活/イースター」へと到達することが出来るのです。

私たちは、苦しみ悩む人たちのために、喘ぎ苦しむ世界のために祈りましょう。「苦しみの連鎖」を「祈りの連鎖」へと変えて参りましょう。

(2020年4月7日)

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2020年03月29日

疫病をおくるのは神か悪魔か

1.ペオルのバアル

旧約聖書「民数記」25章に「ペオルにおけるイスラエル」という物語があります。

エジプトを脱出したイスラエルの民は、モーセに率いられて「約束の土地」を目指しますが、その途上、死海北東のモアブ平野の町「シティム/Shittim」に宿営します。モアブの住民たちは(恐らく、純粋に歓迎の意図だったでしょう)イスラエルの民を祝宴に招きます。しかしながら、古代人の食事は、自分たちの神々に犠牲を捧げて、その相伴に与ることを意味します。つまり「神人共食儀礼」です。

彼らが犠牲を捧げた現地の神は「ペオルのバアル/Baal-Peor」と言いました。「バアル」はカナン地方全体で広く信仰されていた神です。ギリシア神話のゼウスと同じく、雷と雨を司る主神です。そもそも「バアル」は「主」とか「神」という意味です。地方ごとに色々な「神/バアル」が崇拝されていたようです。「ペオル」は「開く」の意味で、人身御供に処女が捧げられていたとも言われます。イスラエルの民が「ペオル神」の儀式である会食に参加したことに対して、主なる神(ヤハウェ)は激怒して、モーセに「民の長たちをことごとく捕らえ、主の御前で彼らを処刑し、白日の下にさらしなさい」と命じます。

ところが、この物語には、もう1つの異なる伝承(異伝)が重なって錯綜しています。主なる神は、イスラエルの民が異民族との「雑婚」によって、他の神々を拝むようになったことに憤り、民の上に何等かの「災害」を下したようです。その渦中、モーセと民が嘆き悲しんでいるのを尻目に、あるイスラエル人男性が異教徒のミディアン人の女性(モアブ人ではなくなっています)をテントに連れ込んで同衾していたのです。すると、祭司の家系であるピネハスが槍を取り、交わっている男女を串刺しにします。「それによって、イスラエルを襲った災害は治まったが、この災害で死んだ者は2万4千人であった」(「民数記」25章8〜9節)と、物語は結ばれているのです。

2.ベルフェゴール

新型肺炎コロナウイルスによる世界の死者数が1万人を超えた時、この「民数記」の物語を、私は思い出しました。「2万4千人」という死者数がリアルに感じられたのです。

「民数記」には「イスラエルを襲った災害は治まった」と書いてありますが、その肝心の「災害」が何であったのかは、なぜか書かれていません。しかし「災害」と訳されている「マンゲーファーハ」は、現代ヘブライ語では「疫病、伝染病」を意味します。そもそも、旧約聖書の「怒りの神」が民に下す神罰は、@疫病、A飢饉(旱魃)、B剣(異民族の攻撃)の3段階に成っているのです。その中で一番ポピュラーな災いが「疫病」なのです。これは深刻さの順位ではなく、頻発した順位ではないかと、私は考えています。古代社会の民は、それだけ数多く疫病の流行に悩まされたということではないでしょうか。

さて、カナンの神「ペオルのバアル」は転訛して「ベルフェゴール/Belphégor」という悪魔に矮小化されました。ベルフェゴールは、キリスト教の悪魔学では「怠惰の化身」とされています(怠惰は「七つの大罪」の1つ)。ユダヤの密教「カバラ」では、彼は元来「生命の樹/セフィロート」の第6番目の「セフィラー/球界」、即ち「ティフェレト/美」を支配する天使でしたが、ルキフェルと共に天界を追放されて、見るも醜悪な悪魔と成り果てたとされています。但し、男性を誘惑する時だけは、美少女の姿で現われるそうで、その辺り、かつて「美」を支配した余韻があります。

ベルフェゴールへの捧げ物は排泄物とされています。その伝承から来ているのでしょう、19世紀フランスの作家、コラン・ド・プランシーの『地獄の辞典』では、穴の開いた椅子(トイレの便器)に座っているイラストが付されています。そのイメージに加えて、出典とされる「民数記」25章の「疫病」とが混淆したのでしょう、やがて「疫病をもたらす悪魔」と言われるように成ったのです。

3.蝿王ベルゼブル

これと似た例として、旧約聖書「列王記下」1章に名前の出て来る神「バアル・ゼブブ/Baal-zebub」があります。南北朝時代の北王国の王、アハズヤが病気に成り、地中海沿岸のペリシテ人の都市国家エクロンで崇拝されている神、バアル・ゼブブに「この病気が治るかどうか」伺いを立てよと、使者を遣わしたのです。この時も、主なる神(ヤハウェ)は「イスラエルに神がいないとでも言うのか」と怒って、預言者エリヤをアハズヤ王の宮殿に遣わして、王の死を予告させるのです。これまた身も蓋も無いお話です。

本来は「バアル・ゼブール/住居の主」という名前の神を、「列王記」の記者が揶揄して「バアル・ゼブブ/蝿の主」と言い換えたようなのです。新約聖書の時代には、悪霊の名前として定着していたようで、共観福音書では、イエスさまが「悪霊の頭ベルゼブル」と言って居られます。そんなこんなで、地獄を支配する巨大な蝿の姿で表現されるように成ってしまったのです。英国のノーベル賞作家、ウィリアム・ゴールディングの名作『蝿の王』(Lord of the Flies)の題名の由来です。その蝿の姿から「疫病をもたらす悪魔」とされています。

現代社会では、さすがに悪魔や悪霊が疫病をもたらすとは考えません。しかし、パンデミックのような災厄を前にして、何等かの神罰では無いかと感じてしまうのも事実です。人間は目に見えないもの(細菌やウイルス)を恐れて、同じく目に見えない悪魔や悪霊、あるいは鬼神(怒りの神、荒ぶる神、祟り神)のせいにするのです。

私たちの主、キリストは「多くの痛みを負い、病を知っている」(「イザヤ書」53章3節)と告白されています。病(神罰)を人間にもたらすのではなく、病者の痛み苦しみを共に負われる神、病者に寄り添い、看取り、お癒しになる神なのです。

牧師 朝日研一朗

【2020年4月の月報より】

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2020年02月22日

蒼ざめた馬を見よ

1.マスク不足

毎月の恒例行事です。掛かり付けのクリニックに行き、血液の検体を取って(簡易キットによる測定もあります)、ドクターと世間話をしました。その後、調剤薬局に行って、処方箋を出して、雑誌を読みながら待っていました。すると、初老の女性が薬局に入って来て、いきなり「マスク、ありますか!?」と叫ぶのです。薬剤師が「いいえ、ありません」と応えるや、すぐに出て行きました。

私は思わず薬剤師と顔を見合わせました。薬剤師は「最近、毎日、ああいうのが何人も来ますよ」と呟きました。「買占めですね」「マスクはウイルスを他人に移さないための物で、自分がウイルス防御をするなら、むしろ介護用手袋(ラテックスの)でも買った方が良いのにね」と言うと、薬剤師は我が意を得たりとばかりに「そうです、そうです。その通りです」と頷いていました。

翌朝のニュースバラエティ番組では、中国人の「転売ヤー」が大挙して日本に乗り込んで来ていて、マスクを買い占めている、しかも、1箱5百円程度のマスクを、中国本土で1万円の高額で売り捌いている等というネタを紹介していました。そう言われてみれば、調剤薬局で叫んだ女性も(中国人かどうかは定かではありませんが)、自分の必要のためではなく、転売目的のように思われました。

妻に頼まれて、近所のドラッグストアに、消毒用のアルコール液を買いに行ったら、これまた、店員から「今日は入荷ありません」と言われる始末。そこで漸く「新型コロナウイルス禍による買い占めか」と悟った次第です。何と呑気なことでしょう。そして世の中には、パニックを煽って、それを機に儲けようとする商売人が大勢いるのですね。

2.ウイルス禍

パニックを煽るのは何も商売人だけではありません。武漢(ウーハン)が「新型コロナウイルス禍」に見舞われたのは、神の裁きであると喧伝している「キリスト教の牧師」も居られるようです。何でも、その牧師によると、中国共産党がキリスト教を弾圧し、会堂を撤去したり、十字架を燃やしたりしたことに対して、「神の怒り」が下ったのだそうです。そんな風に主張なさっている牧師のフェイスブック投稿(写真画像含む)を、私も目にする機会がありました。

実質的に、中国には「信教の自由」は存在せず、政府公認の教団しか運営が許されていません。例えば、カトリックなら「中国天主教愛国会」ですが、バチカンとの国交を認めていない中国では、教皇の叙任権は及びません。プロテスタントの方も「三自愛国教会」「中国基督教協会」がありますが、戦時体制下の「日本基督教団」と同じく、政府の厳しい監視と指導の下に置かれています。その他の教派(特に福音派)は地下教会(家の教会)として活動しています。貧富の格差と共産党独裁という二重の苦しみの中で、数千万人もの人民(レェンミィン)がキリスト教、イスラム、新興宗教に救いを求めていると言われています。

さて、中国保険局によると、2月16日現在、新型ウイルスの感染者は7万人を超え、死亡した人は1770人に及んだとのことです。恐らく、肺炎を発症したり、亡くなったり、家族を亡くしたりした人たちの悲惨な現実があるだけで、そこに「クリスチャンか否か」等という選別は成り立たないと思うのです。「出エジプト記」12章の「過越」のように、災厄がイスラエル人の家の前だけを過ぎ越して、エジプト人の家だけを打つ等と、そんなに都合よくは行っていないと思うのです。

キリスト教に限らず、大きな災害や人災(地震、津波、原発事故、台風、水害、火事、飢饉)が起こると、それを「天罰」「神罰」と捉える固定観念は拭い難く、私たちの脳味噌にこびり付いています。確かに自らの中にある罪や悪を省みるチャンスかも知れません。しかしながら、自分は痛くも痒くもない場所にいながら、他者の苦難に対して「神罰」等と嘯くのは、キリスト者として相応しくありません。東日本大震災の時に「天罰」と放言した石原慎太郎(当時の都知事)級の「低レベル廃棄物」です。

3.疫病と信仰

勿論、旧約聖書では「疫病」は「剣」(他国の侵略)「飢饉」(旱魃)と並ぶ「神罰」です。ヘブライ語の「疫病」、即ち「デベル」は「神罰としての疫病」を、「マッゲーパーハ」も「ネゲフ/打つこと」から派生した語です。神が民を打つのが疫病なのです。

新約聖書では「ロイモス」というギリシア語ですが、面白いことにキリスト教の宣教に対して使われているのです。「使徒言行録」24章5節「実は、この男は疫病(ロイモス)のような人間で…」と、パウロが告発されているのです。ユダヤ教徒からすれば、イエスの福音を広める使徒こそが、非常に厄介な「疫病」のように思われたのでしょう。古代ギリシアには「ドリーア人との戦争(レモス)が起こると、疫病(ロイモス)が一緒にやって来る」という諺があります。イオニア人(アテナイ)の立場から、ドーリア人(スパルタ)との戦争の厄介さを言っているのでしょう。

ラテン語では「疫病」は「ペースティス/pēstis」と言います。ここから「ペスト/黒死病」という語が生まれました。英語の「疫病/ペスタランス/pestilence」の語源です。中世ヨーロッパでは、ペストもまた神罰、もしくは「終末に訪れる大患難の前兆」とされていました。「ヨハネの黙示録」の「青白い馬」の騎手が「死/タナトス」であり、「陰府/ハデース」を引き連れていたように、疫病流行のイメージは大量死と繋がり易いのです。そして、死の現実に直面して初めて、人間は己の非力を悟ります。そこで信仰による救いを願うのです。「助かったら現世御利益、助からなくても極楽」という訳です(やれやれ)。

牧師 朝日研一朗

【2020年3月の月報より】

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2020年01月26日

冬の光に

1.光の教会

教会建築に関心を持っている人なら御存知かと思いますが、茨木春日丘教会(大阪教区北摂地区)は、有名な建築家、安藤忠雄が設計した礼拝堂です(1989年竣工)。建築業界では「光の教会/The Church of the Light」として知られています。この設計によって、安藤は、1996年に「国際教会建築賞」を受賞するに至ったのです。

安藤の手掛けた教会建築では、その他に「風の教会」(1986年)と「水の教会」(1988年)が有名です。「風の教会」は、神戸の「六甲オリエンタルホテル」庭園内に建てられた結婚式専用チャペルです。「水の教会」もまた、北海道の「星野リゾート『トマム』」内の結婚式場です。安藤の「教会三部作」と言われますが、礼拝のために使われているのは「光の教会」だけです。「風の教会」に至っては、「オリエンタルホテル」営業終了のために、辛うじて建物だけが残っている状態です。

その「光の教会」に、私も一度だけ行ったことがあります。当時、私は大阪の教会の副牧師をしていましたが、主任牧師の御母堂の葬儀に参列したのでした。1991年の春には、大阪の教会を離任して、宮崎県の教会に赴任しましたから、1990年か1991年初めのことでしょう。完成後間もない「光の教会」だったはずです。

安藤忠雄と言えば、コンクリート打ちっ放しの壁です。フラットな礼拝堂に入ると、真っ正面のコンクリ壁には、上から下まで、右から左までスッパリと潔く、細長い十字架状にスリット(切り込み)が入っています。これが光の十字架なのです。世間に流布した写真などでは、そのスリットから光が入って来て、十字架が輝いているのですが、実際には、そんなに都合良く光が照るはずも無く、とても薄暗い印象を受けました。

2.水の教会

後日、茨木春日丘教会の牧師に聞いたところによると、そこで礼拝を始めた直後は、余りにも暗くて聖書や讃美歌の文字が見えず、天井の照明を付け足したとの由。もっと驚いたのは、当初の設計では、十字架のスリットにガラスは入って居らず、吹きさらしであったそうです。そこから風が入って来て、信徒が寒さに耐えつつ、身を寄せ合いながら祈ることが構想されていたそうです(笑)。

安藤忠雄の構想には、思わず吹き出してしまったのですが、教会建築という事柄に対する彼なりの設計理念があったのです。これが「作家性」というものかと思い知りました。毎週の主日礼拝を守っている牧師や信徒からは、凡そ生まれ得ない発想です。また、構想の過程で「それだけは困ります!」と慌てふためいている、教会の建築委員たちの当時の様子も想像して、不謹慎ながら、ほくそ笑んでしまいました。

そう言えば、「トマム」の「水の教会/Chapel on the Water」も、前面が巨大なガラス扉(と言うか、窓)に成っていて、それをスライディングして開くと、付近の小川から水を引いたという人工池があり、その中に白塗り鉄骨の十字架がドカンッと立っているのです。その池(水深15センチだそうです)が、このチャペルの祭壇に当たる訳です。池の周りは白樺の森と成っています。

私としては「トマム」のHPとBoAのミュージックビデオで見ただけですが、結婚式を司式するにしても、牧師としては、やりにくそうな気がしました。恐らく、誓約式では、司式者は脇に退いて、新郎新婦だけが前に進み、十字架と対面しつつ、互いの愛を誓い合うというコンセプトなのでしょう。

「祭壇は神聖な場所で、人が足を踏み入れるべきではない聖域」という設計理念なのだとか…。「御神域」なのですね。十字架は立てられてはいるけれども、どちらかと言うと、神道の考えに近いのでしょう。そう言われてみれば、厳島神社の大鳥居のようでもあります。つまり、神域そのものが神の「依り代」、神の宿る場所なのです。多分「水の教会」では、あの人工の池の上に、神が降臨するのでしょう。

水と光、森と風に触れて「自然と対話するチャペル」なのだとか…。やはり、冬季でも天候さえ良ければ、式のクライマックスにガラス扉を開け放って、雪に覆われた池(御神域、依り代)に対面させるはずです。花嫁もドレス次第では寒い思いをするでしょう。きっと、こういう所から、「光の教会」の十字架スリットはガラス無し、吹きさらしという構想も出て来たのです。それこそ、新郎新婦も「身を寄せ合いながら祈る」べきなのでしょう。

3.海の教会

因みに、上記「教会三部作」とは別に、安藤忠雄には「海の教会」(2000年)もあります。こちらは兵庫県「淡路島夢舞台」の一角にある「ウェスティンホテル淡路」の結婚式専用チャペルです。天井に十字架状のスリットが入っていて、見事なまでに、そこから入る光がチャペル正面の壁に十字架形の「影ならぬ光」を落としています。

チャペルから階段を昇って屋上に出ると、カリヨンが設置されていて(多分、結婚式の終了後に新郎新婦が鳴らすのでしょう)、そこから瀬戸内海を一望することが出来るようです。しかしながら、私には、もはや「光の教会」の自己模倣のようにしか見えません。どんな事情があったのかは知りませんが、「水の教会」のように大胆に、チャペルから直接に海を臨むという設計は難しかったのでしょう。

ともかく、冬の陽射しの中に包まれると、私は今でも「光の教会」を思い出します。打ちっ放しのコンクリート壁にスリットがトレードマークですから、やはり、夏の暑さではなくて、冬の隙間風の寒さこそが、安藤忠雄の建築には似合っているような気がしてなりません。安藤も寒風に震えながら、冬の光を見詰めた日々があったのかも知れません。

牧師 朝日研一朗

【2020年2月の月報より】

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2019年12月29日

師走のスケッチ

1.スローガン

去る12月23日、用事があって妻と二人で西新宿に出向きました。その帰り、JR新宿駅西口駅前交差点に、歩道と言わず、横断歩道と言わず、デパート入口前と言わず、至る所に大勢の若者たちが立っているのを目にしました。皆、黄色の背景に黒文字の大きな看板を支えて無言で立っています。

 「罪から清められた人は幸い。」「神が遣わしたキリストが救世主」「キリストは真の神」「キリストは再び来て、世をさばく。」「キリストは罪人を救う。」「罪のむくいは死」「死後さばきにあう。」「神を畏れ、そのことばに従いなさい。」「キリストは永遠の命を与える。」「神の裁きの日は近い。」…。やはり「罪」「裁き」「死」という脅迫的な文字が目立ちます。

 それら全ての言葉の下には、黒地に白抜きで「聖書」と書いてあります。それを一瞥しただけで「こんなに押し付けがましい事を言う、聖書なんか絶対に読むものか!」と、自然に思わされます。寒空の中(恐らくは)何時間も、重い看板を持って立ち尽くす若者たちの姿を見た上で、黒地の「聖書」の文字を目にすると、それが「ブラック本」だと、暗黙の内に感じさせるのでした。

 未だに、キリスト教会が世間から疑心暗鬼の目で見られるのは、このようなキリスト教系カルトの街宣活動の影響も大きいのです。「ISIL」がテロを起こせば「イスラーム」そのものが危険視されます。元々、社会の中で少数派であると、バッシングの直撃を受けることに成るのです。しかし、このような偏見や無理解に対しては、根気強く誠意をもって、自分たちのあるべき姿を表わして行くより他にありません。

 それと同時に、私たち自身も、上記のようなスローガンを振り回すだけの存在に堕してはいないかと、常に検証して行く必要があります。私たちの聖書の読み方は、カルトの人たちと、どこがどんな風に違うのか、確認して行くことも大切です。そうすることで初めて、聖書の御言葉の中から、現代に活きるメッセージが自ずと浮かび上がって来ると思います。

2.街頭の募金

さて、件(くだん)の立て看板要員とは別に、歩道の片隅には、通行人にパンフを配ったり、アンケートを取ったりする別の要員も待機していました。こちらは、恐らく、立て看板要員よりも地位が高いのでしょう。彼らの脇の、歩道の鉄柵に立てられた幟(のぼり)旗の1つには、あたかも守護神ででもあるかのように、文鮮明(ムン・ソンミョン)と韓鶴子(ハン・ハクジャ)の写真がプリントされています(因みに、2012年に、彼らの「再臨のメシア」文鮮明は肺炎のために死亡しています)。

 鈍感な私は、それを見て漸く「統一協会であったか!」と思いました。相変わらず、団体名は隠したままに「聖書」という文字だけを振り回して街宣しているのです。街宣車も2台出ていて、スピーカーで立て看板と同じような、空疎なスローガンを連呼していました。聞けば、統一協会の信者「食口」(シック:家族や兄弟姉妹)による新宿駅西口でのキャンペーンは、今や師走の名物に成っているそうです。

 その付近では、昔ながらの「救世軍」の「社会鍋」もやっていました。こちらこそは、明治以来の師走の名物でしょう。「だいたんに銀一片を社会鍋」(飯田蛇笏)と俳句の季語にも詠まれています。ご高齢の2名の隊員(兵士)が、募金を入れる人に笑顔で対応されていましたが、以前のように鳴り物(ラッパや太鼓)も無く、ハンドマイクのアピールも歌も無く、とても静かな印象を受けました。

 そう言えば、新宿駅西口では「東日本大震災で被災した、ワンちゃん猫ちゃんを救済する街頭募金」もやっていました。こちらは「NPO法人 青年協議会」です。この街頭募金は目黒駅「アトレ2」の前でも、いつも見るので珍しくはありません。こちらは人目を引くように、愛らしく穏やかな大型犬を何頭か連れて来て、募金集めのアピールにしています。

聞く所によると、募金を呼び掛けている青年たちは、時給1,000円のアルバイトなのだそうです。「青年協議会」という団体の活動目的は、私には今少し腑に落ちません。しかし、それでも「時給1,000円」は決して高くありません。それなりの志(動物愛護の精神?)が無いと出来ません。と言って、統一協会のように、マインドコントロールした青年たちを「奴隷」として使っているのとは違うということです。

3.詐欺の集団

「街頭募金」と言えば、一時期、目黒駅西口で「難病のこどもに愛の手を」という緑色の幟(のぼり)旗を立てて募金活動をしている老人たち(なぜか男女の老人)がいました。「長野県立こども病院」の院内学級を支援するためと銘打っていました。「神奈川県立こども医療センター」を謳っている時もありました。

 長野県立こども病院にしろ、神奈川県立こども医療センターにしろ、そのHPを見ると、募金は集めていますが、「街頭募金は一切行なっていません」とのことです。「東京都内で、こども病院の名前を騙った街頭募金が横行しているとの通報を受けている」とも書かれていました。明らかに集団詐欺グループだったのです。それにしても、あの老人たちは一体、何者だったのでしょうか。

 先の統一協会の場合のように、カルトの青年たちが上からの命令を受けて動員されているのは、如何にもありそうなことですが、老人たちが動員されているというのは、これまでのイメージとは随分違っています。ああ、でも、統一協会のメンバーにも高齢者が増えているのかも知れません。そう言えば、渋谷センター街で「アンケート活動」と称して、不法勧誘をしている、統一協会の勧誘員は中高年の女性たち(統一協会婦人部)でした。

牧師 朝日研一朗

【2020年1月の月報より】

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2019年11月24日

クリスマスの想い出

1.寸劇の時

私は、1981年のクリスマスの礼拝で、深田未来生先生から洗礼を受けました。深田先生はUMC(United Methodist Church/米国合同メソジスト教会)の宣教師であると共に、同志社大学神学部の実践神学の教授でした。洗礼を受けた上賀茂伝道所(現・京都上賀茂教会)は、1974年に設立されました。70年安保闘争に端を発する学生たちの問題提起は教会の中にも及び、「教団紛争」と後に呼ばれる出来事があり、大勢の青年たちが教会から去って行きました。そんな中、村山盛敦(日本クリスチャンアカデミー)、杉瀬祐(同志社女子大学)、深田未来生(西陣労働センター&同志社大学)の3名の牧師が、旧い教会制度に囚われないクリスチャンコミュニティーを目指して、UMCの宣教師館(つまり、深田先生の自宅)を会場にして日曜礼拝を始めたのでした。

そんな教会でしたから、礼拝は車座にイスを並べ、奏楽はピアノとリコーダー、説教者も座ったまま喋ります。お互いの近況報告や仲間の消息を共有する時間を持ち、その直後に司会者から当てられた人がお祈りをしました。クリスマスの礼拝は夜に行なわれて(イヴ礼拝ではありません)、その時だけは大人数が集まりました。その礼拝の中で、お芝居をさせられたことがあります。ラーゲルレーヴの「キリスト伝説集」の中の一篇「ともしび」でしたが、髭面であるという理由だけで、私は主役のラニエロを演じさせられたのでした。

2.電飾の夜

私が最初に赴任したのは南大阪教会でした。大正時代の終わり(1926年)に設立された教会ですが、戦後、同志社の学長だった大下角一というカリスマ(「自由人にして野人」と謳われる)が牧師を務められた教会です。また、阪田寛夫の童謡「さっちゃん」は、南大阪教会附属幼稚園での想い出から生まれた歌です。

礼拝堂は有名な建築家、村野藤吾の設計になるもので、ローマのカタコンベをイメージして造られた(1980年)と言います。村野藤吾は東京で言えば、日生劇場、千代田生命保険ビル(現・目黒区総合庁舎)、日本ルーテル神学大学、新高輪プリンス等の建造物が知られています。実は、礼拝堂の入口には、旧礼拝堂の塔屋が納骨堂として残されていて、これが村野のデビュー作(1928年)とされているのです。その塔屋の傍らには、大きな樅の木があり、アドベントに成ると、青年会が電飾を付けるために登っていたものです。

クリスマスイヴとも成れば、幼稚園のある教育館では、婦人会のメンバーがテンテコ舞いで働いていて、食事の準備を為さっています(まるで、バザー直前です)。独り者の私のために、ミートローフの差し入れが届いたり、夕方に成ると、有志の奉げた寿司の仕出しが聖歌隊員に振る舞われたり、「バブル時代」の事ゆえ、大変に豪勢でした。

しかしながら、イヴ礼拝の司式とメッセージは伝道師、副牧師の役目とされて居り、余りの大舞台に、私は折角ご馳走を頂いても全く食べた気がせず、ミートローフ以外は記憶に残っていません(ミートローフは何日かに渡って食べたので、記憶に残っているのです)。

3.夜は短し

次に赴任したのは、人口が2万余の宮崎県串間市にある日向福島教会でした。飫肥教会の姉妹教会として、戦後すぐに生まれた教会です(1948年)。会員が10名足らずの教会でありながら、道路拡幅工事の御蔭で、白塗りの美しい会堂が建っていました。米国のテレビシリーズ『大草原の小さな家』の教会をリニューアルしたイメージです。

クリスマスイヴ礼拝では、聖画のスライドを利用したり、教会学校に来ている小学生の女の子たちに「世界ではじめのクリスマス」(「友よ歌おう」収録)をパートごとに歌って貰ったり、毎年の工夫が評判を呼んで、50人以上も町の人たちが集まったことがありました。

ある年には、礼拝後に子どもたちを引率して、会員の家を回るキャロリングをしました。最後に訪ねたお宅では、温かい善哉を振る舞って貰いました。今思えば、まるで「ハロウィン」のようでした。現在の東京と違い、今から約30年前、小さな田舎町のことです。真っ暗な中をペンライトを持って歩きます。勿論、子どもたちは責任を持って、私と会員が手分けして、午後10時前には自宅に送り届けましたが、「夜遅すぎる」という事で、以後「子どもキャロリング」は中止に成ってしまいました。

4.氷結の国

北海道では「ホワイトクリスマス」は当たり前。札幌市の琴似中央通教会は「北拓伝」で設立された教会です(1959年)。在任当時、聖歌隊が盛んで、イヴ礼拝が終わると、有志でキャロリングに回るのですが、これが結構、命がけなのです。札幌では12月を過ぎると、雪と霙(みぞれ)が繰り返し降り積もり、遂には「根雪」と成るのですが、スタッドレスタイヤで磨き上げられた車道の路面はツルツルで、スケート靴を付けずに、スケートリンクの上を歩いているような趣きがあります。私自身、何度、転倒したか知れません。

土地柄でしょうか、普通の市民にとっても教会は身近な存在です。地下鉄の駅前で歌っていると、飛び入りで、一緒に歌い始めるクリスチャンが毎年のように居られました。ルートの中に2つの病院が入っています。勿論、病院の中には入れませんから、駐車場で歌います。すると、キャロリングがやって来るのを待っている患者さんや医療スタッフがいて、病室の窓から見てくれています。私たちは、窓辺に佇む人、手を振る人に向かって、ペンライトを振って「メリークリスマス!」と叫びます(まるで『ホーム・アローン2』です)。

キャロリングから教会に戻って来ると、婦人会が温かい飲み物や軽食を用意して下さっていて、夜遅くまでパーティーが続きました。北国故の無礼講だったのだと思います。

牧師 朝日研一朗

【2019年12月の月報より】

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2019年10月27日

祝砲の挽歌

1.楽器としての大砲

10月22日午後、事務仕事をしていると、遠くで花火のような爆音が聞こえ、地響きが感じられました。それで「令和天皇」の「即位礼正殿の儀」が終了したのだと分かりました。陸上自衛隊北富士駐屯地(山梨県)の第1特科隊から「礼砲部隊」が編成され、礼砲専用の105ミリ榴弾砲を4門使用したのです。

首相が音頭を取る「天皇陛下萬歳!」の最初の「て」と言った瞬間、宮殿の部隊長が「撃て!」と無線で命令、850メートル離れた北の丸公園に待機する部隊が発射します。その砲音は3.5秒後に宮殿に到達、つまり、首相が「萬歳!」を言い終えた瞬間に響きます。その後は5秒間隔で、合計21発が発射されます。

105ミリ榴弾砲(M101)は先の大戦中から戦後に掛けて、「連合国」で広く使用されていた野砲です。米軍では朝鮮戦争、ベトナム戦争初期にも主力野戦砲として活躍、日本の陸自では、米軍の供与を受けて使用され始め、かなりの長期間、現役を務めました。部隊によりますが、10年くらい前までは、チラホラ残っていたように思います。特撮ファンにとっては『地球防衛軍』(1957年)の「ミステリアンドーム」攻撃の場面が思い出されます。現在は退役し、礼砲用に使用されるか、音楽隊がチャイコフスキーの「序曲1812年」を演奏する場合に「楽器」として使われているのです。

余談ですが、2017年に北富士駐屯地創立67周年記念行事が開催された時には、音楽隊が『シン・ゴジラ』のテーマ(伊福部昭の「ゴジラ」と鷺巣詩郎の「新世紀エヴァンゲリオン」のメドレー)を演奏し、後継機種の155ミリ榴弾砲FH70(えふえっちななまる)が発射されました。このFH70は「平成ゴジラ」シリーズの常連兵器です。但し、こちらは発射音が強過ぎて「楽器」向きでは無かったようです。

2.大砲は「国崩し」

「祝砲」と「礼砲」に厳密な違いはありません。英語では「Gun Salutes/敬礼の発砲」です。日本語では、皇族の即位など、特別な祝意を表わす場合には「祝砲」、外国の要人に歓迎の意を表わす場合には「礼砲」と言い換えています。最大21発と決めたのは、英国海軍の経費節減が起源とされています。それ以前は、気分次第で撃ちまくっていたのでしょう。

21発、19発、17発、15発、13発、11発、7発と、礼待する相手の身分や階級によって発射数が決められています。また、奇数は慶事、偶数は弔事(弔砲)とされています。

関係があるのか無いのか、香典に入れる金額には、偶数を避ける習慣があります(但し、なぜか2万円や2千円は良いらしい)。でも、葬儀は「弔事」故に偶数でも良いのでは…と思います。更には、銃を発射する「弔銃」の場合には「斉射3回敬礼/Three-volley salute」です。奇数は「慶事」の場合では無かったのでしょうか…。

最も古くから黒色火薬を使用していたのは、中国人だと言われています。13世紀には、モンゴル軍がイランや日本に侵攻する際に火薬弾を投げています。14世紀のスペインでは、ムーア人が弩(石弓)に似た、火薬の爆発で太矢を発射する大砲を開発していたようです。百年戦争の際には、イングランドのエドワード三世が「カレー攻城戦」(1346〜47年)に10門の大砲を使用しています。15世紀には飛躍的に破壊力が高まり、トラニオン(車輪付き台車)により移動域も拡がりました。コンスタンティノープル攻城戦(1453年)では、オスマン・トルコのメフメト二世が大型砲を多数使用しています。この大型砲を開発したのは、ハンガリー人の技師ウルバンでした。

日本で大砲が使用されるのは、その120年後、豊後の戦国大名、大友宗麟がポルトガルの宣教師から手に入れた「石火矢/フランキ砲」を「国崩し」と名付けたのが最初とされています。16世紀末には、国内でも大砲の生産が行なわれるようになったとか…。大坂の陣のために、徳川家康が英国から「カルバリン砲」4門を入手したとされています。

大砲(cannon/キャノン)という語は、ギリシア語「カンナ/kanna/筒」、ラテン語「カンナ/canna/葦笛」から来ているとか…。大砲の語源も「葦笛」という楽器だったのです。

3.大砲に白い薔薇を

私が「祝砲」という語を覚えたのは、かつて一世を風靡した海外ドラマ「刑事コロンボ」の第28話「祝砲の挽歌」(By Dawn’s Early Light)(1974年)でした。私立の陸軍幼年学校を経営する大佐(パトリック・マックグーハン)が、経営不振を理由に男女共学の短大に変えようとする、金儲け主義の理事を謀殺するエピソードでした。邦題からも察せられる通り、謀殺のトリックに使われるのが、校庭にある大砲なのです。

開校記念日の早朝(原題はここから来ています)、理事が祝砲の引き綱を引くと、轟音と共に大砲が暴発して、理事は爆死してしまうのです。ドラマの大詰め、校長室で対峙する大佐とコロンボ、事件の核心に迫るコロンボに対して、大佐は葉巻を勧め、自身の信念について滔々と語り始めます。最後に「薔薇があるのだよ。白い薔薇だ…」と語る大佐…。コロンボは唖然とするものの、大佐の犯行動機が保身や欲得を超えたものである事を察して、最大の敬意をもって受け止めるのでした。

因みに、原題は米国の国歌「星条旗/The Star-Spangled Banner」の歌詞の一節です。「Oh,say can you see/ああ、君たちにも見えるだろうか」「by the dawn’s early light/夜明けの薄明かりの中」「What so proudly we hailed/我らが誇り高く叫ぶのを」。米英戦争のマクヘンリー砦の攻防戦(1814年)を歌い上げた歌です。その歌詞の中には、英軍が砦に対する攻撃で発射したロケット弾(コングリーヴ・ロケット)も出て来ます。また「我らは神を信ず/In God is our trust」という国家標語も歌い込まれているのです。

牧師 朝日研一朗

【2019年11月の月報より】

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