2020年01月26日

冬の光に

1.光の教会

教会建築に関心を持っている人なら御存知かと思いますが、茨木春日丘教会(大阪教区北摂地区)は、有名な建築家、安藤忠雄が設計した礼拝堂です(1989年竣工)。建築業界では「光の教会/The Church of the Light」として知られています。この設計によって、安藤は、1996年に「国際教会建築賞」を受賞するに至ったのです。

安藤の手掛けた教会建築では、その他に「風の教会」(1986年)と「水の教会」(1988年)が有名です。「風の教会」は、神戸の「六甲オリエンタルホテル」庭園内に建てられた結婚式専用チャペルです。「水の教会」もまた、北海道の「星野リゾート『トマム』」内の結婚式場です。安藤の「教会三部作」と言われますが、礼拝のために使われているのは「光の教会」だけです。「風の教会」に至っては、「オリエンタルホテル」営業終了のために、辛うじて建物だけが残っている状態です。

その「光の教会」に、私も一度だけ行ったことがあります。当時、私は大阪の教会の副牧師をしていましたが、主任牧師の御母堂の葬儀に参列したのでした。1991年の春には、大阪の教会を離任して、宮崎県の教会に赴任しましたから、1990年か1991年初めのことでしょう。完成後間もない「光の教会」だったはずです。

安藤忠雄と言えば、コンクリート打ちっ放しの壁です。フラットな礼拝堂に入ると、真っ正面のコンクリ壁には、上から下まで、右から左までスッパリと潔く、細長い十字架状にスリット(切り込み)が入っています。これが光の十字架なのです。世間に流布した写真などでは、そのスリットから光が入って来て、十字架が輝いているのですが、実際には、そんなに都合良く光が照るはずも無く、とても薄暗い印象を受けました。

2.水の教会

後日、茨木春日丘教会の牧師に聞いたところによると、そこで礼拝を始めた直後は、余りにも暗くて聖書や讃美歌の文字が見えず、天井の照明を付け足したとの由。もっと驚いたのは、当初の設計では、十字架のスリットにガラスは入って居らず、吹きさらしであったそうです。そこから風が入って来て、信徒が寒さに耐えつつ、身を寄せ合いながら祈ることが構想されていたそうです(笑)。

安藤忠雄の構想には、思わず吹き出してしまったのですが、教会建築という事柄に対する彼なりの設計理念があったのです。これが「作家性」というものかと思い知りました。毎週の主日礼拝を守っている牧師や信徒からは、凡そ生まれ得ない発想です。また、構想の過程で「それだけは困ります!」と慌てふためいている、教会の建築委員たちの当時の様子も想像して、不謹慎ながら、ほくそ笑んでしまいました。

そう言えば、「トマム」の「水の教会/Chapel on the Water」も、前面が巨大なガラス扉(と言うか、窓)に成っていて、それをスライディングして開くと、付近の小川から水を引いたという人工池があり、その中に白塗り鉄骨の十字架がドカンッと立っているのです。その池(水深15センチだそうです)が、このチャペルの祭壇に当たる訳です。池の周りは白樺の森と成っています。

私としては「トマム」のHPとBoAのミュージックビデオで見ただけですが、結婚式を司式するにしても、牧師としては、やりにくそうな気がしました。恐らく、誓約式では、司式者は脇に退いて、新郎新婦だけが前に進み、十字架と対面しつつ、互いの愛を誓い合うというコンセプトなのでしょう。

「祭壇は神聖な場所で、人が足を踏み入れるべきではない聖域」という設計理念なのだとか…。「御神域」なのですね。十字架は立てられてはいるけれども、どちらかと言うと、神道の考えに近いのでしょう。そう言われてみれば、厳島神社の大鳥居のようでもあります。つまり、神域そのものが神の「依り代」、神の宿る場所なのです。多分「水の教会」では、あの人工の池の上に、神が降臨するのでしょう。

水と光、森と風に触れて「自然と対話するチャペル」なのだとか…。やはり、冬季でも天候さえ良ければ、式のクライマックスにガラス扉を開け放って、雪に覆われた池(御神域、依り代)に対面させるはずです。花嫁もドレス次第では寒い思いをするでしょう。きっと、こういう所から、「光の教会」の十字架スリットはガラス無し、吹きさらしという構想も出て来たのです。それこそ、新郎新婦も「身を寄せ合いながら祈る」べきなのでしょう。

3.海の教会

因みに、上記「教会三部作」とは別に、安藤忠雄には「海の教会」(2000年)もあります。こちらは兵庫県「淡路島夢舞台」の一角にある「ウェスティンホテル淡路」の結婚式専用チャペルです。天井に十字架状のスリットが入っていて、見事なまでに、そこから入る光がチャペル正面の壁に十字架形の「影ならぬ光」を落としています。

チャペルから階段を昇って屋上に出ると、カリヨンが設置されていて(多分、結婚式の終了後に新郎新婦が鳴らすのでしょう)、そこから瀬戸内海を一望することが出来るようです。しかしながら、私には、もはや「光の教会」の自己模倣のようにしか見えません。どんな事情があったのかは知りませんが、「水の教会」のように大胆に、チャペルから直接に海を臨むという設計は難しかったのでしょう。

ともかく、冬の陽射しの中に包まれると、私は今でも「光の教会」を思い出します。打ちっ放しのコンクリート壁にスリットがトレードマークですから、やはり、夏の暑さではなくて、冬の隙間風の寒さこそが、安藤忠雄の建築には似合っているような気がしてなりません。安藤も寒風に震えながら、冬の光を見詰めた日々があったのかも知れません。

牧師 朝日研一朗

【2020年2月の月報より】

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2019年12月29日

師走のスケッチ

1.スローガン

去る12月23日、用事があって妻と二人で西新宿に出向きました。その帰り、JR新宿駅西口駅前交差点に、歩道と言わず、横断歩道と言わず、デパート入口前と言わず、至る所に大勢の若者たちが立っているのを目にしました。皆、黄色の背景に黒文字の大きな看板を支えて無言で立っています。

 「罪から清められた人は幸い。」「神が遣わしたキリストが救世主」「キリストは真の神」「キリストは再び来て、世をさばく。」「キリストは罪人を救う。」「罪のむくいは死」「死後さばきにあう。」「神を畏れ、そのことばに従いなさい。」「キリストは永遠の命を与える。」「神の裁きの日は近い。」…。やはり「罪」「裁き」「死」という脅迫的な文字が目立ちます。

 それら全ての言葉の下には、黒地に白抜きで「聖書」と書いてあります。それを一瞥しただけで「こんなに押し付けがましい事を言う、聖書なんか絶対に読むものか!」と、自然に思わされます。寒空の中(恐らくは)何時間も、重い看板を持って立ち尽くす若者たちの姿を見た上で、黒地の「聖書」の文字を目にすると、それが「ブラック本」だと、暗黙の内に感じさせるのでした。

 未だに、キリスト教会が世間から疑心暗鬼の目で見られるのは、このようなキリスト教系カルトの街宣活動の影響も大きいのです。「ISIL」がテロを起こせば「イスラーム」そのものが危険視されます。元々、社会の中で少数派であると、バッシングの直撃を受けることに成るのです。しかし、このような偏見や無理解に対しては、根気強く誠意をもって、自分たちのあるべき姿を表わして行くより他にありません。

 それと同時に、私たち自身も、上記のようなスローガンを振り回すだけの存在に堕してはいないかと、常に検証して行く必要があります。私たちの聖書の読み方は、カルトの人たちと、どこがどんな風に違うのか、確認して行くことも大切です。そうすることで初めて、聖書の御言葉の中から、現代に活きるメッセージが自ずと浮かび上がって来ると思います。

2.街頭の募金

さて、件(くだん)の立て看板要員とは別に、歩道の片隅には、通行人にパンフを配ったり、アンケートを取ったりする別の要員も待機していました。こちらは、恐らく、立て看板要員よりも地位が高いのでしょう。彼らの脇の、歩道の鉄柵に立てられた幟(のぼり)旗の1つには、あたかも守護神ででもあるかのように、文鮮明(ムン・ソンミョン)と韓鶴子(ハン・ハクジャ)の写真がプリントされています(因みに、2012年に、彼らの「再臨のメシア」文鮮明は肺炎のために死亡しています)。

 鈍感な私は、それを見て漸く「統一協会であったか!」と思いました。相変わらず、団体名は隠したままに「聖書」という文字だけを振り回して街宣しているのです。街宣車も2台出ていて、スピーカーで立て看板と同じような、空疎なスローガンを連呼していました。聞けば、統一協会の信者「食口」(シック:家族や兄弟姉妹)による新宿駅西口でのキャンペーンは、今や師走の名物に成っているそうです。

 その付近では、昔ながらの「救世軍」の「社会鍋」もやっていました。こちらこそは、明治以来の師走の名物でしょう。「だいたんに銀一片を社会鍋」(飯田蛇笏)と俳句の季語にも詠まれています。ご高齢の2名の隊員(兵士)が、募金を入れる人に笑顔で対応されていましたが、以前のように鳴り物(ラッパや太鼓)も無く、ハンドマイクのアピールも歌も無く、とても静かな印象を受けました。

 そう言えば、新宿駅西口では「東日本大震災で被災した、ワンちゃん猫ちゃんを救済する街頭募金」もやっていました。こちらは「NPO法人 青年協議会」です。この街頭募金は目黒駅「アトレ2」の前でも、いつも見るので珍しくはありません。こちらは人目を引くように、愛らしく穏やかな大型犬を何頭か連れて来て、募金集めのアピールにしています。

聞く所によると、募金を呼び掛けている青年たちは、時給1,000円のアルバイトなのだそうです。「青年協議会」という団体の活動目的は、私には今少し腑に落ちません。しかし、それでも「時給1,000円」は決して高くありません。それなりの志(動物愛護の精神?)が無いと出来ません。と言って、統一協会のように、マインドコントロールした青年たちを「奴隷」として使っているのとは違うということです。

3.詐欺の集団

「街頭募金」と言えば、一時期、目黒駅西口で「難病のこどもに愛の手を」という緑色の幟(のぼり)旗を立てて募金活動をしている老人たち(なぜか男女の老人)がいました。「長野県立こども病院」の院内学級を支援するためと銘打っていました。「神奈川県立こども医療センター」を謳っている時もありました。

 長野県立こども病院にしろ、神奈川県立こども医療センターにしろ、そのHPを見ると、募金は集めていますが、「街頭募金は一切行なっていません」とのことです。「東京都内で、こども病院の名前を騙った街頭募金が横行しているとの通報を受けている」とも書かれていました。明らかに集団詐欺グループだったのです。それにしても、あの老人たちは一体、何者だったのでしょうか。

 先の統一協会の場合のように、カルトの青年たちが上からの命令を受けて動員されているのは、如何にもありそうなことですが、老人たちが動員されているというのは、これまでのイメージとは随分違っています。ああ、でも、統一協会のメンバーにも高齢者が増えているのかも知れません。そう言えば、渋谷センター街で「アンケート活動」と称して、不法勧誘をしている、統一協会の勧誘員は中高年の女性たち(統一協会婦人部)でした。

牧師 朝日研一朗

【2020年1月の月報より】

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2019年11月24日

クリスマスの想い出

1.寸劇の時

私は、1981年のクリスマスの礼拝で、深田未来生先生から洗礼を受けました。深田先生はUMC(United Methodist Church/米国合同メソジスト教会)の宣教師であると共に、同志社大学神学部の実践神学の教授でした。洗礼を受けた上賀茂伝道所(現・京都上賀茂教会)は、1974年に設立されました。70年安保闘争に端を発する学生たちの問題提起は教会の中にも及び、「教団紛争」と後に呼ばれる出来事があり、大勢の青年たちが教会から去って行きました。そんな中、村山盛敦(日本クリスチャンアカデミー)、杉瀬祐(同志社女子大学)、深田未来生(西陣労働センター&同志社大学)の3名の牧師が、旧い教会制度に囚われないクリスチャンコミュニティーを目指して、UMCの宣教師館(つまり、深田先生の自宅)を会場にして日曜礼拝を始めたのでした。

そんな教会でしたから、礼拝は車座にイスを並べ、奏楽はピアノとリコーダー、説教者も座ったまま喋ります。お互いの近況報告や仲間の消息を共有する時間を持ち、その直後に司会者から当てられた人がお祈りをしました。クリスマスの礼拝は夜に行なわれて(イヴ礼拝ではありません)、その時だけは大人数が集まりました。その礼拝の中で、お芝居をさせられたことがあります。ラーゲルレーヴの「キリスト伝説集」の中の一篇「ともしび」でしたが、髭面であるという理由だけで、私は主役のラニエロを演じさせられたのでした。

2.電飾の夜

私が最初に赴任したのは南大阪教会でした。大正時代の終わり(1926年)に設立された教会ですが、戦後、同志社の学長だった大下角一というカリスマ(「自由人にして野人」と謳われる)が牧師を務められた教会です。また、阪田寛夫の童謡「さっちゃん」は、南大阪教会附属幼稚園での想い出から生まれた歌です。

礼拝堂は有名な建築家、村野藤吾の設計になるもので、ローマのカタコンベをイメージして造られた(1980年)と言います。村野藤吾は東京で言えば、日生劇場、千代田生命保険ビル(現・目黒区総合庁舎)、日本ルーテル神学大学、新高輪プリンス等の建造物が知られています。実は、礼拝堂の入口には、旧礼拝堂の塔屋が納骨堂として残されていて、これが村野のデビュー作(1928年)とされているのです。その塔屋の傍らには、大きな樅の木があり、アドベントに成ると、青年会が電飾を付けるために登っていたものです。

クリスマスイヴとも成れば、幼稚園のある教育館では、婦人会のメンバーがテンテコ舞いで働いていて、食事の準備を為さっています(まるで、バザー直前です)。独り者の私のために、ミートローフの差し入れが届いたり、夕方に成ると、有志の奉げた寿司の仕出しが聖歌隊員に振る舞われたり、「バブル時代」の事ゆえ、大変に豪勢でした。

しかしながら、イヴ礼拝の司式とメッセージは伝道師、副牧師の役目とされて居り、余りの大舞台に、私は折角ご馳走を頂いても全く食べた気がせず、ミートローフ以外は記憶に残っていません(ミートローフは何日かに渡って食べたので、記憶に残っているのです)。

3.夜は短し

次に赴任したのは、人口が2万余の宮崎県串間市にある日向福島教会でした。飫肥教会の姉妹教会として、戦後すぐに生まれた教会です(1948年)。会員が10名足らずの教会でありながら、道路拡幅工事の御蔭で、白塗りの美しい会堂が建っていました。米国のテレビシリーズ『大草原の小さな家』の教会をリニューアルしたイメージです。

クリスマスイヴ礼拝では、聖画のスライドを利用したり、教会学校に来ている小学生の女の子たちに「世界ではじめのクリスマス」(「友よ歌おう」収録)をパートごとに歌って貰ったり、毎年の工夫が評判を呼んで、50人以上も町の人たちが集まったことがありました。

ある年には、礼拝後に子どもたちを引率して、会員の家を回るキャロリングをしました。最後に訪ねたお宅では、温かい善哉を振る舞って貰いました。今思えば、まるで「ハロウィン」のようでした。現在の東京と違い、今から約30年前、小さな田舎町のことです。真っ暗な中をペンライトを持って歩きます。勿論、子どもたちは責任を持って、私と会員が手分けして、午後10時前には自宅に送り届けましたが、「夜遅すぎる」という事で、以後「子どもキャロリング」は中止に成ってしまいました。

4.氷結の国

北海道では「ホワイトクリスマス」は当たり前。札幌市の琴似中央通教会は「北拓伝」で設立された教会です(1959年)。在任当時、聖歌隊が盛んで、イヴ礼拝が終わると、有志でキャロリングに回るのですが、これが結構、命がけなのです。札幌では12月を過ぎると、雪と霙(みぞれ)が繰り返し降り積もり、遂には「根雪」と成るのですが、スタッドレスタイヤで磨き上げられた車道の路面はツルツルで、スケート靴を付けずに、スケートリンクの上を歩いているような趣きがあります。私自身、何度、転倒したか知れません。

土地柄でしょうか、普通の市民にとっても教会は身近な存在です。地下鉄の駅前で歌っていると、飛び入りで、一緒に歌い始めるクリスチャンが毎年のように居られました。ルートの中に2つの病院が入っています。勿論、病院の中には入れませんから、駐車場で歌います。すると、キャロリングがやって来るのを待っている患者さんや医療スタッフがいて、病室の窓から見てくれています。私たちは、窓辺に佇む人、手を振る人に向かって、ペンライトを振って「メリークリスマス!」と叫びます(まるで『ホーム・アローン2』です)。

キャロリングから教会に戻って来ると、婦人会が温かい飲み物や軽食を用意して下さっていて、夜遅くまでパーティーが続きました。北国故の無礼講だったのだと思います。

牧師 朝日研一朗

【2019年12月の月報より】

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2019年10月27日

祝砲の挽歌

1.楽器としての大砲

10月22日午後、事務仕事をしていると、遠くで花火のような爆音が聞こえ、地響きが感じられました。それで「令和天皇」の「即位礼正殿の儀」が終了したのだと分かりました。陸上自衛隊北富士駐屯地(山梨県)の第1特科隊から「礼砲部隊」が編成され、礼砲専用の105ミリ榴弾砲を4門使用したのです。

首相が音頭を取る「天皇陛下萬歳!」の最初の「て」と言った瞬間、宮殿の部隊長が「撃て!」と無線で命令、850メートル離れた北の丸公園に待機する部隊が発射します。その砲音は3.5秒後に宮殿に到達、つまり、首相が「萬歳!」を言い終えた瞬間に響きます。その後は5秒間隔で、合計21発が発射されます。

105ミリ榴弾砲(M101)は先の大戦中から戦後に掛けて、「連合国」で広く使用されていた野砲です。米軍では朝鮮戦争、ベトナム戦争初期にも主力野戦砲として活躍、日本の陸自では、米軍の供与を受けて使用され始め、かなりの長期間、現役を務めました。部隊によりますが、10年くらい前までは、チラホラ残っていたように思います。特撮ファンにとっては『地球防衛軍』(1957年)の「ミステリアンドーム」攻撃の場面が思い出されます。現在は退役し、礼砲用に使用されるか、音楽隊がチャイコフスキーの「序曲1812年」を演奏する場合に「楽器」として使われているのです。

余談ですが、2017年に北富士駐屯地創立67周年記念行事が開催された時には、音楽隊が『シン・ゴジラ』のテーマ(伊福部昭の「ゴジラ」と鷺巣詩郎の「新世紀エヴァンゲリオン」のメドレー)を演奏し、後継機種の155ミリ榴弾砲FH70(えふえっちななまる)が発射されました。このFH70は「平成ゴジラ」シリーズの常連兵器です。但し、こちらは発射音が強過ぎて「楽器」向きでは無かったようです。

2.大砲は「国崩し」

「祝砲」と「礼砲」に厳密な違いはありません。英語では「Gun Salutes/敬礼の発砲」です。日本語では、皇族の即位など、特別な祝意を表わす場合には「祝砲」、外国の要人に歓迎の意を表わす場合には「礼砲」と言い換えています。最大21発と決めたのは、英国海軍の経費節減が起源とされています。それ以前は、気分次第で撃ちまくっていたのでしょう。

21発、19発、17発、15発、13発、11発、7発と、礼待する相手の身分や階級によって発射数が決められています。また、奇数は慶事、偶数は弔事(弔砲)とされています。

関係があるのか無いのか、香典に入れる金額には、偶数を避ける習慣があります(但し、なぜか2万円や2千円は良いらしい)。でも、葬儀は「弔事」故に偶数でも良いのでは…と思います。更には、銃を発射する「弔銃」の場合には「斉射3回敬礼/Three-volley salute」です。奇数は「慶事」の場合では無かったのでしょうか…。

最も古くから黒色火薬を使用していたのは、中国人だと言われています。13世紀には、モンゴル軍がイランや日本に侵攻する際に火薬弾を投げています。14世紀のスペインでは、ムーア人が弩(石弓)に似た、火薬の爆発で太矢を発射する大砲を開発していたようです。百年戦争の際には、イングランドのエドワード三世が「カレー攻城戦」(1346〜47年)に10門の大砲を使用しています。15世紀には飛躍的に破壊力が高まり、トラニオン(車輪付き台車)により移動域も拡がりました。コンスタンティノープル攻城戦(1453年)では、オスマン・トルコのメフメト二世が大型砲を多数使用しています。この大型砲を開発したのは、ハンガリー人の技師ウルバンでした。

日本で大砲が使用されるのは、その120年後、豊後の戦国大名、大友宗麟がポルトガルの宣教師から手に入れた「石火矢/フランキ砲」を「国崩し」と名付けたのが最初とされています。16世紀末には、国内でも大砲の生産が行なわれるようになったとか…。大坂の陣のために、徳川家康が英国から「カルバリン砲」4門を入手したとされています。

大砲(cannon/キャノン)という語は、ギリシア語「カンナ/kanna/筒」、ラテン語「カンナ/canna/葦笛」から来ているとか…。大砲の語源も「葦笛」という楽器だったのです。

3.大砲に白い薔薇を

私が「祝砲」という語を覚えたのは、かつて一世を風靡した海外ドラマ「刑事コロンボ」の第28話「祝砲の挽歌」(By Dawn’s Early Light)(1974年)でした。私立の陸軍幼年学校を経営する大佐(パトリック・マックグーハン)が、経営不振を理由に男女共学の短大に変えようとする、金儲け主義の理事を謀殺するエピソードでした。邦題からも察せられる通り、謀殺のトリックに使われるのが、校庭にある大砲なのです。

開校記念日の早朝(原題はここから来ています)、理事が祝砲の引き綱を引くと、轟音と共に大砲が暴発して、理事は爆死してしまうのです。ドラマの大詰め、校長室で対峙する大佐とコロンボ、事件の核心に迫るコロンボに対して、大佐は葉巻を勧め、自身の信念について滔々と語り始めます。最後に「薔薇があるのだよ。白い薔薇だ…」と語る大佐…。コロンボは唖然とするものの、大佐の犯行動機が保身や欲得を超えたものである事を察して、最大の敬意をもって受け止めるのでした。

因みに、原題は米国の国歌「星条旗/The Star-Spangled Banner」の歌詞の一節です。「Oh,say can you see/ああ、君たちにも見えるだろうか」「by the dawn’s early light/夜明けの薄明かりの中」「What so proudly we hailed/我らが誇り高く叫ぶのを」。米英戦争のマクヘンリー砦の攻防戦(1814年)を歌い上げた歌です。その歌詞の中には、英軍が砦に対する攻撃で発射したロケット弾(コングリーヴ・ロケット)も出て来ます。また「我らは神を信ず/In God is our trust」という国家標語も歌い込まれているのです。

牧師 朝日研一朗

【2019年11月の月報より】

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2019年09月29日

未来の子どもの家

1.家が火事

「私たちの家が燃えています。私はその事を伝えるために、ここに来ました。私たちの家が燃えているのです/Our house is on fire. I am here to say, our house is on fire」。

胸を突くような、この衝撃的な言葉は、16歳のスウェーデン人少女、グレタ・トゥーンベリ(Greta Thunberg)が、今年の1月に開催された「ダボス会議」(世界経済フォーラム年次総会)で訴えたメッセージです。

彼女は前年2018年から、スウェーデン議会の前で「気候変動問題のための学校ストライキ/SKOLSTREJK FÖR KLIMATET」と書いたプラカードを掲げて座り込みを行ないました。彼女の真っ直ぐな姿勢と主張に賛同した学生たちは、彼女と共に毎週金曜日に、学校を休んで座り込みを始めました。ネットやマスコミを通して、運動は世界中の若者に拡がりました。因みに、プラカードは、今や彼女のトレードマークに成っています(NY国連前で開かれた若者たちの集会でも、手にしていました)。

9月23日の国連地球温暖化対策サミットでは、世界中の政治指導者たちに向かって、「あなたたちは経済成長の話しかしていない」「あなたたちは私たちを裏切っている」「未来の世代の目があなたがたに注がれている」「もしも、あなたがたが私たちを裏切るなら、絶対に許さない」と怒りの演説を行ないました。

サミット出席のために、彼女は飛行機ではなく、太陽光パネル付きの競技用ヨットに乗って、15日間かけて大西洋を横断してNYに上陸しました。それから、彼女がアスペルガー症候群、注意欠陥・多動性障害、強迫性障害その他である事も話題になっています。

2.家と世界

そこでまた、冒頭に挙げた彼女の言葉に戻りますが、これこそは、まさしく旧約聖書の預言者のレトリックでは無いかと思ったのでした。御存知のように、旧約聖書で「ダビデの家/ベース・ダーヴィド」と言う場合は「ダビデ王朝」を、「ヤコブの家/ベース・ヤァコブ」「イスラエルの家/ベース・イシュラーエール」と言う場合には「ユダヤ民族全体」を指します。「家/ベース」は「ハウス」の事ですが、単に「建物、家屋」に留まらず、「家族、暮らし」をも意味します。

この「ベース」というヘブライ語が、ギリシア語に翻訳されると(七十人訳聖書、新約聖書)、「オイキア、オイコス」という語と成ります。ギリシア語の「家/オイキア、オイコス」は「オイケオー/住まう、暮らす」という動詞から来ているのです。そして面白い事には、この「オイケオー」の女性形の受身を現在分詞にした語「オイクーメネー」は「世界」という意味に成るのです。

キリスト教界では、しばしば「超教派の集会/教派を超えて集まる事」を「エキュメニカル/Ecumenical」と言います(大きな誤解をもたらす使用法だと思います)。先のギリシア語「オイクーメネー」がラテン語化して「オエクメンティクス/oecùmenticus/全世界の、普遍的な」「全キリスト教会挙げての」という意味に成りました。これが英語の「エキュメニカル」の語源です。

つまり、単に「spura-/教派を超えている」とか「non-/非教派的、没教派的である」とか「inter-denominational/諸教派相互の」という程度のニュアンスで使っていると、語の持つ本来の志を著しく貶める事に成るのです。「世界」を忘れてはならないのです。「エキュメニカル」という語を使う場合には、常に「世界」を視野に入れる必要があるのです。それ故「エキュメニカル・ムーブメント/Ecumenical Movement」は「世界教会運動」と訳されているのです。平和や核廃絶、環境保全などの課題に、世界の教会が連携して取り組む場合に「エキュメニカル」という語は使われるべきなのです。

3.星を継ぐ

キリスト教諸教派の「エキュメニカル運動」は、折角、20世紀に盛り上がったのですが、残念ながら21世紀に入ってから頓挫しています。ローマカトリック、聖公会、ルーテル教会、東方正教会など各々の教派の中が「保守派」と「リベラル派」に分裂してしまっているのです。勿論、その他のプロテスタント諸教派も同様の状態です。

現代的な課題が余りにも膨大で多岐に渡るためでしょうか、思考停止したり、伝統主義に回帰したり、内向きに成ったりしているのです。この世的な団体の常として、やはり「世界」を取り巻く問題などよりも、自分たちの教団の維持運営、拡大成長の優先順位が高いのでしょう(「あなたたちは経済成長の話しかしていない」)。

ローマカトリックなら「解放の神学」の取り扱い、聖公会なら女性司祭問題、北米のプロテスタントなら中絶や同性愛を認めるかどうか等、意見対立ばかりが際立ってしまったのです。先の地球温暖化問題でも、原理主義的傾向の強いプロテスタントはトランプ大統領の支持基盤の1つですが、彼らの中には、天地創造の際に、神が人に「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ」「すべて支配せよ」(「創世記」1章28節)と仰ったのだから、「地球温暖化も悪くない」等と、自分勝手な論理を振り回す宗教指導者がいるくらいです。「創世記」2章で、人が罪を犯して、楽園を追放された事については、彼らは何と考えるのでしょうか(笑)。環境破壊を「原罪」とは考えないのでしょうか。

♪「地球という星は/未来の子どもの家/いつまでも共に住む/道を示してください。」(「讃美歌21」426番)。英国の合同改革派教会の牧師、ブライアン・レン(Brian Wren)作詞による、キリスト者の立場から環境問題を歌う讃美歌です。「地球」が「未来の子どもの家」であるとすると、もうこれ以上、私たちが破壊する事は決して許されません。

牧師 朝日研一朗

【2019年10月の月報より】

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2019年08月25日

夜の効果 Effet de nuit

1.世界三大夜景

一昔前には「百万ドルの夜景」という謳い文句がありました。調べてみると、1953年に、神戸の夜景を眺めた某電力会社の幹部が「六甲山から見た神戸の電灯の電気代」から捻出したキャッチフレーズだそうです。確かに、66年後の今なら「百万ドル」ではなく「1千万ドル」くらいには成るでしょう。

いつ誰が言い始めたのかは知りませんが、「世界三大夜景」は「香港、函館、ナポリ」だそうです。共通するのは海に面した港町であることです。先程の神戸もそうですが、やはり、夜景は暗い海とのコントラストによって映えるようです。「暗い海」と言いましたが、少し違いますね。その暗い海面に夜景が反射するから美しいのです。更には、灯台の光、停泊する船舶の光も寄与しているかも知れません。

数年前に「夜景コンベンションビューロー」と称する日本の一般社団法人が、「夜景サミット2012 in長崎」というイベントを長崎市内で開催したそうです。そこで「世界新三大夜景」に「香港、長崎、モナコ」を選んだらしい。函館はどこに行ったのでしょうか。北海道に住んでいた者としては、函館の凋落ぶりが気になります。「夜景鑑定士3500人のアンケートの結果」だと言いますが、「夜景鑑定士」等という肩書きに驚かされます。

私は九州にも暮らしていたことがあり、それなりに愛着を持っています。しかし、長崎で開催されたイベントで「長崎」が選ばれている等、当初から織り込み済みの企画だったとしか思われません。横浜や神戸の人たちからしたら噴飯物です。かつては「ナポリを見てから死ね/Vedi Napoli,e poi muori」とまで言われたのに、同じ地中海沿岸でも「モナコ」に変わっているのは何故でしょう。今も昔も「香港」がその地位を譲らないことも興味深いことではあります。

2.宵闇の前髪奴

休暇を利用して京都に二泊三日したのですが、夜に成ると真っ暗なのに驚かされました。私は田舎(但馬地方)の生まれ育ちなので、夜の暗さには慣れているつもりでした。しかし、東京都内の暮らしが長くなったせいでしょうか、久しぶりに見た京都の夜の暗さに感動してしまったのです。「夜景」等という華やかなものではありません。ただ暗いのです。街が闇の中に沈んでいるのです。

宿泊先のホテルは五条でした。童謡「牛若丸」に♪「京の五条の橋の上/大のおとこの弁慶は/長い薙刀ふり上げて/牛若めがけて斬りかかる」と歌われている東西の大路です。平安の昔からあるのです。でも、歩いている私たちも闇に包まれているのです。夜に営業しているお店も数少なく、街灯も疎(まば)らです。

薄暗い大路に1軒、煌々と照明の輝くお店があります。24時間スーパー「FRESCO」でした。地元住民から、私たちのような観光客、外国人旅行者までもが、あたかも誘蛾灯に誘(おび)き寄せられたように押し合い圧し合いしています。

そこに幼児を抱いた若夫婦がいたのですが、その幼児の髪形が凄かった。私も実物を見たのは初めてです。その子は江戸時代の「前髪奴(まえがみやっこ)」だったのです。いや、それは正確ではありません。普通「前髪奴」と言えば、額上の前髪だけを残して、他の部分を剃り上げた髪形ですが、もっと凝った髪形でした。前髪のみならず、頭頂部を残す「芥子(けし)」、耳の上を残す「奴(やっこ)」、後頭部を残す「盆の窪」、この4つの組み合わせだったのです。さすがに「金太郎」のような腹掛け(腹当て)までは着けていませんでしたが(浴衣を着ていました)、その存在感に圧倒されました。

大路の暗闇に浮かぶ小さな子どもの髪形で、一瞬にして、江戸時代に吹き飛ばされたような気分に成りました。小さな丁髷(ちょんまげ)を結った子を「とんぼ」と言うのは知っていますが、他にも「あぶ」とか「はち」とかあったようで、一体どんな髪形だったのでしょうか。御存知の方は教えて頂けませんでしょうか。

3.夜の効果は光

京都の24時間スーパーの情景は深夜の話ではありません。午後8時か9時かの話です。東京なら宵の口です。東京に戻ると、夜もまた昼のように明るく照らされている現実を、改めて感じさせられました。何と大量の光を浴びていることでしょう。通りを1本入った住宅街の路地でも、京都の大路より明るいのです。

「ベルギー象徴派/Symbolisme en Belgique」に分類される画家に、ウィリアム・ドゥグーヴ・ド・ヌンク(William Degouve de Nuncques,1867−1935)という人がいます。「夜の天使たち」「運河」「ヴェネチアの中庭」「夜のブリュージュ」等、人足絶えた夜の風景ばかりを描く画家です。私が特に好きなのは「夜の効果」という作品です。薄い青を基調に描かれた夜の田園風景なのですが、所々の民家の窓から明かりが漏れています。窓の光が夜の深さを表わしているのです。

私たちは、過剰なまでの人工の光に照らされる暮らしに慣れて、光の意味や価値を見失ってしまっているのかも知れません。新約聖書では「神は光であり」(「ヨハネの手紙T」1章5節)、神は「光の源である御父」(「ヤコブの手紙」1章17節)と言われています。受肉によって「言/ロゴス」は「世の光」と成られました(「ヨハネによる福音書」8章12節)。キリストは「まことの光」(1章9節)と証されています。パウロの回心が「天からの光」によるものだったこと(「使徒言行録」9章3節)も忘れてはいけません。

「光/フォース」の感覚を取り戻すために、私たちは今一度、「闇/スコトス」を認識する感覚をも研ぎ澄ます必要があるのかも知れません。

牧師 朝日研一朗

【2019年9月の月報より】

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2019年07月28日

灰をおろそかにするなかれ

1.安否不明者

私は先月、アニメの「聖地巡礼」について書いたばかりでした。「聖地巡礼」ブームのキッカケに成った作品として『涼宮ハルヒの憂鬱』と『らき☆すた』を挙げていたのですが、まさか、それらの作品を製作した「京都アニメーション」第1スタジオが放火されて、こんなに悲惨な大事件が起きる等とは…夢にも思いませんでした。

事件発生から数日を経て、今日現在(7月23日)においても、未だに死者の身元特定が出来ないという中で、「安否不明者」として、武本康弘監督の名前が挙げられるように成りました。「京アニ」の製作作品で言えば、前述の2作の他に、『けいおん!』(2009年)、『けいおん!!』(2010年)、『日常』(2011年)、『境界の彼方』(2013年)、『響け!ユーフォニアム』(2015年)等の作品で、監督、演出、原画、絵コンテなどを手掛けた作家で、アニメ業界では有名な人物でした。

この「安否不明」という状況は、2016年の「相模原障害者施設殺傷事件」を思い出さずにはいられません。あの事件の時には、全く別の事情で被害者の名前が伏せられたままだったのですが、事件の重大さ悲惨さが明らかに成って行く過程で、容易に連想されました。そう言えば、あの事件も7月の事件でした。

2008年の「秋葉原通り魔事件」の事も思い出されました。その1年前の2007年には、秋葉原で『涼宮ハルヒの憂鬱』のエンディング・タイトルに流れる「ハレ晴れユカイ」のダンスを、全国から「ハルヒ」ファンが集まって踊っていた事が思い出されます。私は東京に来たばかりだったので、その不思議な光景をよく覚えています。

2.虐殺と攻撃

そう言えば、英語版の「ウィキペディア」によると「秋葉原通り魔事件」は「Akihabara Massacre/秋葉原虐殺」、「相模原障害者施設殺傷事件」は「Sagamihara Massacre/相模原虐殺」と呼ばれています。今回の「京都アニメーション放火事件」は「Kyoto Animation Arson Attack/京都アニメーション放火襲撃」の呼称に成っていますが、私は今回もまた、「マサカー/虐殺」だったと思います。しかし、オウム真理教による「東京地下鉄サリン事件」が「Tokyo Subway Sarin Attack/東京地下鉄サリン攻撃」であった事を考え合わせると、あれは「アタック/襲撃、攻撃」であったという事も間違いありません。

何を下らない事を言っているのかと思われるかも知れませんが、とにかく、私は「事件/アクシデント」という表記が許せないのです。「事件/アクシデント」では、突発的、偶発的に起こった出来事であるかのような意味にされてしまうのです。しかしながら、ここに挙げた4つの犯罪は、いずれも計画的な犯行です。断じて「犬も歩けば棒に当たる」的な事柄ではありません。ですから、どうしても「事件」等という日本語的な言い回し、犯罪者の責任を曖昧にするような表現が許せないのです。それらは、確かに「虐殺」であり「攻撃」だったと思うのです。

そして特に「攻撃」と言う場合に含まれるのは、その「攻撃」は、ただ単に「東京の地下鉄」や「京都アニメーション」に対する「攻撃」に終わるものでは無く、私たちの社会全体に対する、私たちの魂に対する「攻撃」なのだという実感です。それは「虐殺、大量殺人」と言う場合にも、意識されて然るべき感覚です。「事件」等と呼んでいたのでは、どこまで行っても「他人事」の域を出ないのでは無いでしょうか。

被害者は「虐殺者」による「攻撃」によって殺されたのです。辛うじて命を奪われなかった人たちも(そして、遺族、被害者家族も)、この「攻撃」によって、心身に大きな障碍や傷を負わされて、これから長い年月、苦しみに耐えなければならないのです。そのような現実を、どこかで曖昧にして、すぐさま「追悼」して行く感覚に違和感を抱かざるを得ません。日本語は、そんなにも想像力の欠落する言語に成ってしまったのでしょうか。

3.心に王冠を

「京アニ」の事を考えながら悶々としていたら、ハードディスク・レコーダーの録画の中に「京アニ」製作の『映画 聲(こえ)の形』(2016年)が録ってあるのを思い出しました。我が家の二男が録画してくれていたのです。しっかり「誤削除防止ガード」までしてありました。『聲の形』は、大今良時原作のコミックス(「週刊少年マガジン」に連載されていた)のアニメ映画化です。思わず観てしまいました。

先天性の聴覚障碍を持つ西宮硝子(早見沙織)が小学校6年生のクラスに転校して来た事から始まる、クラスの関係性の変化、イジメ、不登校、対人恐怖症などが描かれます。それから6年後、硝子イジメ先鋒だった石田将也(入野自由)は、高校3年生に成った春、硝子に再会して、そこから新たな物語が始まるのです。

岐阜県大垣市や養老町を舞台にしているのですが、街の風景(鯉の泳ぐ疏水、養老鉄道、養老天命反転地など)が細部まで丁寧に描き込まれています(それこそが「京アニ」です)。そのような風景のディティールの積み重ねが、登場人物たちの言葉や仕草や佇まいにリアリティ(アニメなのに!)を与え、その心の動き(コミュニケーションの成立、不成立の度毎の)に何度も泣かされてしまうのです。

こんな映画を作っていたアニメ製作会社のスタッフが虐殺され、スタジオが焼かれてしまったのです。窓の奥に見える煤の暗黒に(私自身も含めて)多くの人たちが、言いようの無い虚無感を抱いています。それ故、せめて私はパラケルススの言葉を献げましょう。「灰をおろそかにするなかれ。それは、汝の心の王冠、永遠なる物質の質料なのだから/Cinerem ne vilipendas, nam ipse est diadema cordis tui, et permanentium cinis」(「哲学者の薔薇園」)。

牧師 朝日研一朗

【2019年8月の月報より】

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2019年06月30日

聖なる時間を求めて

1.ロケ現場

行人坂教会に赴任したばかりの頃、目黒駅周辺を散歩していて、不思議な既視感を抱いて「まさか、前世の記憶か?!」と、しばらく悩んだことがあります。最初に気付いたのは、白金教会の裏手、JR線を跨ぐ「白金桟道橋」を、夕方に子どもを連れて散歩していた時のことでした。…何のことはありません、鈴木保奈美と織田裕二主演のテレビドラマ、『東京ラブストーリー』(1991年)の有名な場面の舞台だったのです。

このドラマには、他にも「西郷山公園」「上大崎2丁目のJR沿いの坂道」「上大崎3丁目の某マンション」「東山1丁目の天竺屋台」等が出て来ます。将来、東京に住む等と夢にも思わず見ていたのですが、白金桟道橋の風景が印象に残っていたようなのです。因みに、教団「安藤記念教会」附属「安藤記念幼稚園」(有森也実の勤め先)も登場しました。

イラストレーターの宮崎祐治著『東京映画地図』(2016年、キネマ旬報社)を開くと、東京中の映画のロケ地が詳しく解説されています。目黒区で言えば、蒼井優の『洋菓子コアンドル』(2011年)、新垣結衣の『恋するマドリ』(2007年)が青葉台、深津絵里の『ステキな金縛り』(2011年)が西郷山公園、鈴木杏と蒼井優の『花とアリス』(2004年)が碑文谷八幡宮と小牧バレエ学園、柴咲コウと真木よう子の『すーちゃん まいちゃん さわ子さん』(2013年)が学芸大学駅前…と、2000年代以降の作品だけでも、何本も出て来ます。ドラマの『最高の離婚』(2013年)で「目黒川人気」が一気に盛り上がって、ファンがロケ地巡りに訪れたことも思い出されます。

2.聖地巡礼

ファンによるロケ地巡りを「聖地巡礼」と言います。ドラマ『北の国から』(1981〜2002年)の影響で、北海道富良野は観光地と化しました。韓国ドラマ『冬のソナタ』(2002年)のファンは海を越えて、北漢江の南怡島(ナミソム)に押し寄せました。私が北海道にいた頃、韓国や台湾からの観光客が急激に増えたのですが、それは、岩井俊二監督、中山美穂主演の映画『Love Letter』(1995年)の効果だったのです。

最近は映画やドラマなんかよりも、アニメの舞台が「聖地巡礼」の対象に成っています。映画の場合は「フィルムツーリズム」、それと区別するために「アニメツーリズム」と言うらしいです。アニメの聖地巡礼が顕著になったのは『涼宮ハルヒの憂鬱』(2006年)の西宮市からでしょう。『らき☆すた』(2007年)の埼玉県鷺宮町、『かんなぎ』(2008年)の宮城県七ヶ浜町、『ガールズ&パンツァー』(2012年)の茨城県大洗町、『ラブライブ!』(2013年)の神田明神、『君の名は。』(2016年)の飛騨市、新宿区須賀神社の石段…。かつて、テレビアニメ『スラムダンク』(1993〜96年)を見た台湾のファンが江ノ電「鎌倉高校前1号踏切」に押し寄せて、現地は大変な騒動に成っているという報道もありました。

ラテン語では「巡礼」を「peregrinatio/ペレグリーナーティオー」と言います。英語の「ピルグリミッジ/pilgrimage」です。1620年、メイフラワー号で北米大陸に渡った最初のピューリタン(清教徒)たちを「ピルグリム・ファーザーズ/Pilgrim Fathers」と言います。単に「ピルグリム/巡礼者」と呼ばれることもあります。

語源を遡ると、ラテン語の「ペル/越えて、向こうへ」とギリシア語の「アグロス/農地」の合成語のようです。「農地を越えて行く、農地の向こうへ行く」ことだったのです。古代から中世に掛けて、巡礼の旅は命がけでした。何しろ、人間の手が加えられた土地(農地)の遥か彼方(未知の土地)を目指して進んで行かなくてはならないのです。

古くは、エルサレムやアンティオキアの巡礼が盛んでした。シリア・パレスチナ地方がイスラーム支配下に置かれるとコンスタンティノポリス、東ローマ帝国が滅亡すると、ローマ巡礼、ローマ教皇庁が頽廃した後は、スペインのサンチャゴ・デ・コンポステーラ、イタリア中部のロレート、フランスのルルドと、次々に新しい聖地が生まれます。

本来は、キリスト所縁(ゆかり)の場所、聖遺物がある場所が聖地だったのですが、聖遺物を移転した先、癒しの奇跡が起こった場所が、新たな聖地に成りました。その意味で「アニメツーリズム」は基本的なスタイルを継承しているのです。前述の『らき☆すた』『かんなぎ』『ラブライブ!』『君の名は。』に、神社が組み込まれているのも偶然ではありません。

3.聖時礼拝

聖地巡礼に対する批判は、アウグスティヌス以来あり、宗教改革の教会は巡礼を廃止しました。プロテスタントが巡礼を廃止した理由としては、根底に「聖遺物崇敬」があること、巡礼行によって救いに至るという「功徳、功績」主義であることが挙げられます。しかも、現代においては、命がけの危険を冒して、苦難の巡礼するということはありません。旅行は困難、試練ではなく、単なる慰安に成ってしまっています。

「聖遺物崇敬」だけが問題なのではありません。そもそも「聖地」と言われるくらいです。「聖地」とは最近流行の「パワースポット」でもあります。特定の場所を「聖なる」と規定することもまた、偶像化の危険を伴います。反対に、別の場所が「穢(けが)れた場所/忌み地」と見なされ、住民が差別されます。所詮は「ハレ」と「ケガレ」の二分法です。

むしろ、私たち、キリスト者は特定の「場所」を神聖視するのではなく、私たちが共に礼拝賛美する「時間」をこそ、神さまが聖化して下さる(潔めて下さる)と考えるべきでは無いでしょうか。その方が、聖遺物や聖地などの偶像を乗り越えて来た、現代のキリスト教が到達した信仰に相応しいと思います。聖書の神さまは「場所/トポス」にではなくて、「時間/カイロス」にこそ宿り給う、私はそのように考えるのです。この「時間」こそが「永遠」と繋がっているのです。延いては、天上の友と私たちとを結び合わせてくれるのです。

牧師 朝日研一朗

【2019年7月の月報より】

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2019年05月26日

黒いペンテコステ

1.告発歌曲

クラシック音楽ファンならば、エドワード・エルガー、マイケル・ティペット、ベンジャミン・ブリテン等の20世紀英国を代表する作曲家の名前は知っているはずです。

エルガーと言えば、行進曲「威風堂々」(Pomp and Circumstance)、アニメやドラマになった『のだめカンタービレ』に使用された「ヴァイオリン・ソナタ ホ短調」、ピアノの発表会で弾かれることも多い「愛の挨拶」(Salut d’amour)で知られています。また、ブリテンと言えば、「青少年のための管弦楽入門」(The Young Person’s Guide to the Orchestra)、能の「隅田川」を翻案した歌劇「カーリュー・リヴァー」(Curlew River)、圧倒的なスケールの「戦争レクイエム」(War Requiem)が有名です。ティペットは、前者2人には知名度で及びませんが、ナチスのユダヤ人迫害に抗議して作曲されたオラトリオ「われらの時代の子」(A Child of Our Time)があります。

このエルガー、ティペット、ブリテンの後継者がピーター・マックスウェル・デイヴィス(1934〜2016)です。彼の作品に「黒いペンテコステ」(Black Pentecost)という歌曲があるのです。メゾソプラノ+バリトンとオーケストラによる4部構成の作品です。マックスウェル・デイヴィスは音楽家として絶頂期にあった頃、ロンドンを離れて、スコットランドのオークニー諸島へ移住、終生そこに暮らしました。

マックスウェル・デイヴィスは、1979年、オークニー諸島出身の詩人にして作家、ジョージ・マッカイ・ブラウン(1921〜1996)と親交を結び、彼の『グリーンヴォー』(Greenvoe/「緑の入り江」とでも訳したら良いのでしょうか)という小説(1971年)をテクストにして、上記の歌曲を作曲しました。

2.環境汚染

この作品は、1960年代末から70年代の初め、英国の軍産複合体がオークニー諸島に「黒星作戦/Operation Black Star」というプロジェクト名で、巨大な石油コンビナートを建設した結果、深刻な環境汚染が引き起こされたことを告発したものです。私は「黒星作戦」のことは何も知らないのですが、想像するに、恐らく、北海油田の基地として建設されたのではないでしょうか。

マックスウェル・デイヴィスには、ウラン鉱山の採掘による環境汚染を、ミュージカル風に告発した「イエローケーキ」(Yellow Cake Revue)という作品もあります。英国の名女優、エレノア・ブロンが主役を演じたそうです。

「イエローケーキ」と言うと、「くまのプーさん」の「蜂蜜ケーキ」を思わせる美味しそうな名前ですが、実は、ウラン鉱石精製過程の濾過液から得られるウラン含有の高い粉末のことです。今年4月、東京都内の男子高校生が高性能爆薬「四硝酸エリスリトール/ETN」を製造、所持していたことで書類送検されました。「ETN」はプラスチック爆弾として知られる「ペンスリット」と似た爆薬です。しかも、彼はインターネットでウランを購入、精製した「イエローケーキ」をオークションサイトに出品していたのです。昨年8月、19歳の大学生が高性能爆薬「過酸化アセトン/APEX」を作って検挙されたのですが、その関連で、今年に入ってから「イエローケーキ」高校生も書類送検されたのです。驚くべきことに、高校生が放射性物質を製造販売していたのです。

因みに「過酸化アセトン」は「サタンの母/Mother of Satan」とも呼ばれ、各地のテロ事件(2015年パリ、16年ブリュッセル、17年マンチェスター:アリアナ・グランデのコンサート、19年復活日のスリランカ等)に使用されています。

さて、マッカイ・ブラウンの詩「黒い天使たち/Black Angels」の最後に「黒いペンテコステ/Black Pentecost」という語が出て来るのです。「今こそ、凍える天使たちよ/黒いペンテコステの狂騒と燃え殻から/谷間を守り給え」。原詩は「Now,cold angels,/keep the valley from the bedlam and cinders of a Black Pentecost」となっています。

ペンテコステのイメージカラーは「炎の舌」の赤です。もしくは、聖霊による洗礼の白です。米国では、ペンテコステを「Whitsunday/ホイットサンディ」と言います。「ホワイト・サンディ/白い日曜日」のことです。特に浸礼(全身ドブンッと洗礼槽に漬かる)の伝統を守る教会において、ペンテコステに受洗志願者たちが「白い衣」を着て、式に臨んだことから来ているのです。そうしてみると、「黒いペンテコステ」の黒は、重油による海洋汚染を示すことで、神の創造された自然を汚す人間たちの欲望を告発していることが分かります。

3.聖霊冒瀆

「はっきり言っておく。人の子らが犯す罪やどんな冒瀆の言葉も、すべて赦される。しかし、聖霊を冒瀆する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う」(マルコによる福音書3章28〜29節)。「マタイによる福音書」の並行文では「人の子に言い逆らう者は赦される。しかし、聖霊に言い逆らう者は、この世でも後の世でも赦されることがない」と付け加えられています。また「ルカによる福音書」12章10節には「人の子の悪口を言う者は皆赦される。しかし、聖霊を冒瀆する者は赦されない」と言われています。

イエスさまの悪口を言う者ですら赦されるが、聖霊に対する冒瀆(悪口、呪い、誹謗中傷、侮辱、汚し)は赦されないと、主は仰るのです。勿論、聖霊を自己目的(商売、組織拡大)に利用しようとする輩などは一溜まりもありません。

どうして聖霊の冒瀆は赦されないのか、私たち人間には分かりません。ただ、何となく、ペンテコステを迎えるに当たり、「黒いペンテコステ」の楽曲を思い出したのです。そして、この世には、赦されない罪というものも確かにあるのでは無いかと思ったのでした。

牧師 朝日研一朗

【2019年6月の月報より】

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2019年04月28日

炎と怒りの時代に

1.神殿と商人

今年の4月15〜16日、パリのノートルダム大聖堂で大規模な火災が発生し、中央の木造部分から大きな炎が上がり、無残に尖塔が焼け落ちました。丁度「受難週」(カトリックでは「聖週間」)の始まった翌日の事件でもあり、符牒めいた何かが感じられました。

古来「受難週」には、それぞれの日に読むべき聖書記事というものが決められています。それによると、日曜日(棕梠の主日)には「エルサレム入城」、月曜日は「宮清め」、火曜日は「終末の預言」、水曜日は「ベタニアでの塗油、ユダの裏切り」、木曜日(洗足木曜日)は「最後の晩餐、ゲツセマネ、捕縛と審問」、金曜日(受難日)は「ピラトの審問、ユダの死、十字架、埋葬」と成っているのです。

大聖堂に火の手が上がった月曜日は、イエスさまが「神殿から商人を追い出す」場面です。「『わたしの家は、すべての国の人の/祈りの家と呼ばれるべきである。』/ところが、あなたたちは/それを強盗の巣にしてしまった」と、「イザヤ書」56章7節を引用しながら、神殿の境内に陣取った両替商や鳩売りの屋台を蹴り飛ばしての大暴れです。

ノートルダム大聖堂は、年間1300万人もの観光客が訪れる、パリ屈指の名所です。大聖堂再建のための寄付の呼び掛けが始まるや、1週間足らずで、8億5千万ユーロ(約1070億円)もの寄付金が集まりました(4月22日現在)。ルイ・ヴィトンやディオール等を傘下に置くLVMHグループ、グッチ等を有するケリング社、石油会社トタル、保険会社アクサ、BNPパリバ(銀行)のオーナー株主、大富豪が巨額の寄付をしたようです。更には、米国のIT大手アップル社、ディズニー等も協力を申し出ているそうです。

これに対して、国内から不協和音が響いています。貧困問題には何の関心も示さない大富豪たちが、僅か一晩で何億ユーロもの巨額の資金を拠出する事を見せ付けたと言うのです。富の不平等な分配に抗議し、低所得者層の困窮を訴える「黄色いベスト/ジレ・ジョーヌ」の運動の記憶も生々しい中、時を置かずに、こういう現実が露骨に表面化すると、確かに何とも言えない複雑な気持ちに成ります。

2.教会と爆弾

大聖堂は翌朝まで燃え続けました。「受難週」の火曜日は、イエスさまの語られた譬え話、律法学者やファリサイ派との論争、終末の預言を読む日です。

特に「マタイによる福音書」23〜24章には、「小黙示録」と呼ばれるような終末預言が纏められています。「エルサレムのために嘆く」(23章37節〜39節)、「神殿の崩壊を予告する」(24章1〜2節)、「終末の徴」(3〜14節)、「大きな苦難を予告する」(15〜28節)、「人の子が来る」(29〜31節)、「いちじくの木の教え」(32〜35節)、「目を覚ましていなさい」(36〜44節)と続き、「これでもか!」と言うくらいです。

「民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりである。そのとき、あなたがたは苦しみを受け、殺される。また、わたしの名のために、あなたがたはあらゆる民に憎まれる。そのとき、多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合うようになる。偽預言者も大勢現れ、多くの人を惑わす。不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える」(24章7〜12節)。

すると、4月21日、イースターの朝、スリランカで連続爆破テロ事件が発生してしまいました。3百人以上の死者、4百人以上の負傷者を出しました。爆弾テロの標的と成ったのは、外国人の利用が多い高級ホテルと共に、3つの教会でした。首都コロンボの「聖アンソニー教会」、その北にあるニゴンボの「聖セバスティアン教会」、この西海岸の2つはローマ・カトリック教会でした。東海岸、バッティカロアの「ザイオン教会」は、プロテスタント福音派「ライトハウス」の流れを汲む教会のようです。

2016年12月、カイロの聖ペトロ教会(コプト教会の司教座の置かれた聖マルコ大聖堂に隣接する)では、自爆テロにより25人が死亡、49人が負傷しています。翌2017年4月9日には、タンタの聖ゲオルギウス教会、アレクサンドリアの聖マルコ教会において、45人が死亡、130人以上が負傷しています。イースター1週前の「棕梠の主日」(東方教会では「聖枝祭」)を狙ったテロでした。いずれも「ISIL/アイシル/イスラム国」系の組織による犯行だったようで、決行時期や方法を見ると、今回の事件の雛形のように思われます。

3.不安と覚悟

ノートルダム大聖堂の火災、スリランカの教会に対する自爆テロ、この2つの出来事には直接の関係はありません。けれども、敵対や憎しみや不法の連鎖、宗教施設を利用して商売をする者、宗教対立を利用して敵愾心を煽る偽預言者、愛と寛容の消滅などという、極めて現代的な要素が共通して両者に混在しているように思うのです。

「イザヤ書」66章15節に「見よ、主は火と共に来られる。/主の戦車はつむじ風のように来る。/怒りと共に憤りを/叱咤と共に火と炎を送られる」という預言があります。ドナルド・トランプ大統領の暴露本、『炎と怒り/トランプ政権の内幕』(Fire and Fury: Inside the Trump White House)の題名の出典です。書名の「炎と怒り」の「怒り」は、トランプの制御不能な情緒不安定ぶりを、「炎」は米国の強大な軍事力を表現しています。強大な軍事力(核兵器や細菌兵器を含む)を動かすことの出来る超大国のトップが、歴史上かつて無い程に、情緒不安定で独善的な人物であるという事実は、それ自体が一種のホラーです。

今日、経済や政治、軍事や宗教、テクノロジーや社会制度など、私たちの周りを見ても、不安定な要因が増しているように思います。しかし、こんな邪な時代であれば尚の事、私たちは、覚悟と諦念をもって、キリストの愛を表わして行かなくてはなりません。

牧師 朝日研一朗

【2019年5月の月報より】

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