2012年03月31日

遠すぎる春

1.遠い春よ

これ程に、春の訪れが待ち遠しく感じられた年があったでしようか。北海道から東北、日本海沿岸地域では、近年稀に見る降雪量でした。屋根の落雪、雪崩によって死傷した人たちも大勢いました。首都圏でも2度の積雪。我が教会のメンバーにも、滑って打撲傷を受けた人が居られました。花粉アレルギーに悩まされる時期が来ても尚、朝夕、冷え込んでいました。漸く春一番の到来かと思えば、冷たいだけの突風でした。仮設住宅や避難先で過ごさねばならぬ長い冬は、言い知れぬ辛さでしよう。

そんな季節柄、何度も何度も、私の脳裏に蘇って来る歌がありました。松任谷由実の『春よ、来い』です。皆さんもサビの部分は御存知でしよう。「春よ、遠い春よ/瞼閉じればそこに/愛をくれし君の/なつかしき声がする」。元々は、1994年度後期のNHK朝の連続テレビ小説の主題歌だったのです。橋田壽賀子が自伝的な要素の濃い脚本を書き、安田成美主演で始まったものの、途中降板してしまい(中田喜子に替わった)、橋田の「飼い犬に手を噛まれた」発言など、週刊誌で話題に成ったものでした。

当時の私は、朝の連続テレビ小説を見る習慣は無く、番組そのものは全く見た記憶がありません。しかし、ワイドショーや週刊誌を賑わした騒動は辛うじて記憶しています。勿論、主題歌の方は大ヒットしたので、よく覚えています。これ以後、卒業式に使われることも多かったようです。カラオケに行った折も、何度か耳にした覚えがあります。

2.春よ来い

春の訪れが遅く感じられる余りに、私のような者すら、「春よ、遠い春よ」とか「春よ、まだ見ぬ春」とか、その歌詞の一節を、思わず知らず口ずさんでいたのです。

そう言えば、昨年の「紅白歌合戦」では、紅組トリの歌として、松住谷を中心に出場者全員による合唱で、被災地へのエールとして歌われていました。その時には、最後のリフレインの部分に、相馬御風作詞・弘田龍太郎作曲の童謡『春よ来い』の「春よ来い/早く来い」をリミックスして歌っていて、編曲の妙にゾクッとしたものです。やはり、あれも松任谷正隆の手になるアレンジなのでしようか。

「春よ来い/早く来い/あるきはじめた/みいちゃんが/赤い鼻緒の/じょじょはいて/おんもへ出たいと/待っている」。「みいちゃん」とは、この童謡の作者、相馬御風の娘、文子の愛称なのだそうです。相馬の暮らした新潟県糸魚川市は、年間降雪量4メートルにも達する大降雪地帯なのだそうです。よちよち歩きの愛娘が「赤い鼻緒の」付いた下駄(草履)を履いて、外で遊びたいと願っているのです。

確かに、ここにも「遠い春」が歌われています。そして、相馬御風は同郷の良寛上人の研究家としても有名です。良寛(1758〜1831)は曹洞宗の僧侶ですが、歌人や書家、漢詩人としても有名です。良寛と言えば、子供たちと無邪気にかくれんぼや手鞠、凧揚げや独楽廻し等をして、遊ぶことを好んだエピソードが有名です。

しかしながら、水上勉の説によると、一見、微笑ましく思われるエピソードにも、その背景には、当時の悲惨な現実があったということです。水上によれば、良寛は、貧しい越後の女の子たちが上州木崎の宿場町に身売りされて、「飯盛女」とされて行くのを見ながら、何も出来なかったのです。「飯盛女]とは、昼間は女中奉公(文字通りの「おさんどん」)をさせられながら、夜になれば宿泊客相手に春を鬻(ひさ)ぐ女たちです。要するに、女郎です。そして、上州木崎には、「飯盛女」をさせられた挙句に、十代や二十代で病死、過労死した子たちの墓石が、無縁墓地の中に幾つもあるそうです。墓碑を解読して見れば、皆、越後の出雲崎、寺泊、地蔵堂から売られて来た女の子たち。その没年から察するに、良寛和尚と一緒に遊んだかも知れない子たちなのです。

売られて行く子供たちの過酷な運命を知りながら、何一つしてやれない忸怩たる思いが良寛にあったのだと、水上は推測します。そして、そんな無力な良寛が唯一、子供たちにして上げられることが「遊び」だったのだと言うのです。だから、良寛が子供と遊んだというエピソードは、無邪気な話でも微笑ましい話でもなくて、壮絶な悲哀と苦悶に満ちた祈りのようなものだったのです。

3.里の春日

もう少し詳しくお知りになりたい方は、水上勉の『良寛を歩く』(日本放送協会出版)をお買い求め下さい。因みに、私が「水上良寛」のことを教わったのは、九州にいた十数年前、犬養光博牧師によってでした。

犬養牧師は、1965年以来、筑豊の閉山炭鉱のある福吉という町に移り住み、福吉伝道所を続けて居られます。お若い頃には、長距離トラックの運転手をしたりしながら、自身の足場としての福吉、筑豊に立ち尽くして行かれました。恐らく、彼の著書『筑豊に生きて』(日本基督教団出版局)は絶版でしょう。改めて本を調べてみたら「1971年初版」「定価580円」とありました。今なら文庫本の値段です。 1965〜1969年の間に、犬養牧師がガリ版刷りで作られた「月刊福吉」を纏めただけの本です。

ある地方、地域の住民の中に身を置き続け、そこに「蒔かれた種」として一生を献げる、そんな牧師(サラリーマンではない牧師)が、僅かながら日本にも居られるのです。他にも、青森の六ヶ所村の岩田雅一牧師(八戸北伝道所)、大阪釜ヶ崎の故金井愛明牧師(釜ヶ崎伝道所)等のお姿が思い浮かびます。それは、さながら、現代の良寛のように思われるのです。

最後に、良寛の和歌を1つ紹介します。「この里に手まりつきつつ子供らと遊ぶ春日は暮れずともよし」。地蔵堂にて詠まれた歌です。

牧師 朝日研一朗   朝日です。

【2012年4月の月報より】

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2012年03月10日

我らが流浪の果てに

1.灰の水曜日

丁度、「灰の水曜曰」に成ったので、久しぶりに書棚の奥から、大学時代に買ったT.S.エリオットの詩集(Faber Paperbacks)を取り出して、「灰の水曜曰」(1930年)に目を通してみました。30年を経て本が黄ばんだだけで、私の英語の読解力が向上した訳もなく、相変わらず、何が言いたいのか全く分かりませんでした。

それでも、第4詩の末尾に付された「and after this our exile/我らが流浪の果てに」というフレーズが心に引っ掛かりました。「3.11」の震災と津波、原発事故から1年が過ぎようとしていて、走馬灯のように様々なニュース映像が思い出されたのでした。津波で瓦礫の山と化した被災地、家族の安否を問うメモ用紙が貼り出された掲示板、被災者で溢れ返る避難所、仮設住宅、放射能汚染による全町村民避難、自主避難した人たち、ポケット線量計を首から提げて外出する福島の子どもたち…。

このフレーズの直前には、「イチイの木から、風が千の囁き声を振り落とすまで]という、これまた意味不明な言葉があります。「イチイ」は、別名「アララギ」(伊藤左千夫、斎藤茂吉、島木赤彦らの流れを流行短歌運動と同じ)とも言います。そう言えば、北海道では「オンコ」と呼んでいました。エリオットの詩に出て来る「yew/ユー」は「ヨーロッパイチイ」です。英国やアイルランドでは、必ずと言って良い程に教会の庭に植えられていて、樹齢千年以上の古木もあるそうです。

古い教会の敷地には、当然、墓地もあります。イチイの木は亡霊の依り代であるのかも知れません。千年を経たイチイの木には、千もの亡霊(残念)が依り憑いているかも知れません。そこに「聖霊」を表わす「風」が吹いて、枝を揺すぶって、祓い落とすのでしょうか。そして「千の風になって」飛んで行くのでしょうか。「千の囁き声/a thousand whispers」が「千の風/a thousand winds」へと昇華されるのでしょうか。

2.エグザイル

そして、問題は「この我らがエグザイル」と嘆息と折りの込められたフレーズです。「エグザイル/exile」を「亡命」と訳すべきか、「追放」と訳すべきか、大いに迷います。大文字ならば、旧約聖書の「バビロン捕囚」を意味するのですが…。「亡命」と言えば、政治的な迫害や宗教的な弾圧を受けて、他国へ逃れることを意味します。「追放」と言えば、害悪を及ぼしたり、罪科を問われて、退けられ、追い払われることを意味します。

ラテン語の「エクスシリウム/exsilium」、その動詞形の「エクスシリオ/exsilio」の第一義は「飛び出る]、第二義は「急ぎ去る、逃げ去る」です。

どちらかと言えば、「追放」よりは「亡命」でしょうか。けれども、原義からすれば、「避難」という語が最も適切な気がします。具体的に、「3.11」後を念頭に置いて、避難生活を余儀なくされている被災者の姿を想像すると、ごく自然に「難民」という語が思い浮かびました。

遠隔地へ「避難」をしているから、「エグザイル」ではありません。津波や地震によって、一瞬にして家族や住む家を失った人たちの苦難は想像を絶しています。しかし、それだけが「エグザイル」ではありません。以前から暮らしている同じ町や村に踏み留まり、同じ家に暮らしていても、子どもへの放射性物質の影響を心配しつつ、胸が張り裂けそうにして生きている。それもまた「エグザイル」なのです。非常な困難を抱えて生活していかなくてはならないとしたら、それもまた「難民」では無いでしょうか。

実際、「難民]は他国の話ではありません。敗戦後の引き揚げをした人たちは、ある期間、確かに「難民」の経験を為さったのです。そもそも、明治以来、帝国政府は臣民に「移民」を奨励して、積極的に海外に送り出しました。榎本武揚の提案した政策と言われています。ハワイ移民、カリフォルニア移民、南米移民、やがては「満蒙開拓移民」へと受け継がれて行きます。これを、豊浦志朗(冒険小説家の船戸与一)は「棄民政策」と呼んでいました。在日コリアンの人たちに対して、政府が北朝鮮への「帰還運動」を奨励したのも、今思えば「棄民政策」の一環だったように思います。

阪神大震災の後、家族や家屋、職場を失った人々が神戸を離れて、人口は10万人減ったとされています。その後、人口は回復傾向にありますが、そのまま、神戸に戻らなかった市民の中には「難民化」の憂き目を見た人も少なくなかったはずです。

3.困難は続く

今年、奇しくも「3.11」は日曜日です。 日本各地で「3.11」関連の様々な行事が為されるでしょう。色々な宗旨宗派の中でも「追悼」「供養」「記念」と銘打った儀式が執り行なわれることでしょう。日曜日ですから、当然、キリスト教会の礼拝でも「3.11」に触れない訳はありません。

しかしながら、この震災に起因する「災害」は未だ継続中です。福島第一原発は未だ「冷温停止」状態にすら成っていません。冷温停止作業、施設瓦礫撤去作業、近隣地の「除染」作業などに携わる人たちには、被爆を前提にした労働が続きます。今後、更に放射性物質は拡散して、全国、全世界に広がって行くでしょう。

旧約聖書の「エグザイル/バビロン捕囚」は半世紀続きましたが、日本の「エグザイル」は今後、何十年(何百年)続くのか、見当がつきません。例えば、報道に一番よく出て来るセシウム137の半減期が30年です。30年放射線を出し続けて、漸く半分に成るのです。日本の「エグザイル」は今始まったばかりなのです。

今も困難を抱えて生き悩む人たち、未来において私たちの「負の遺産」を背負わされる子たちの苦難が続くのです。「3.11」は長大な「エグザイル」の始まりに過ぎません。

牧師 朝日研一朗   朝日です。

【2012年3月の月報より】

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2012年02月24日

われらの時代のイコン

パソコンの画面(ディスプレイ)脇に並ぶ小図像を「アイコン」と言います。この「アイコン」という語は、東方正教会で大切にされている板絵の聖画像「イコン」から来ているそうです。最初に「アイコン」と命名したのは「マック」(アップル社)だそうで、それを「ウィンドウズ」(マイクロソフト社)も踏襲しているということです。

そもそも「イコン」は、ギリシア語の「エイコーン」(「面像」という意味)から来ています。「エイコーン」をラテン語にすると「イマゴ」、英語の「イメージ」の語源です。例えば「御子は、見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方です」(コロサイの信徒への手紙1章15節)という聖句の中にある「神の姿」は、ラテン語で言えば「イマゴ・デイ」です。「神の画像」と訳しても良いでしょう。

東方正教会の伝説では、最初にイコンを描いたのは「福音書記者の聖ルカ」とされています。ル力が「聖母子像」を描いたのだそうです。但し、現存するイコンの殆どは、10世紀以後に、ロシア・バルカン地方で作られたものです。

東方正教会の信徒にとって、イコンは「天国に通じる窓」とされています。以下、高橋保行司祭の著作、『イコンのこころ』『イコンのあゆみ』『イコンのかたち』(春秋社)から得た知識です。高橋司祭は神田の「ニコライ堂」、東京復活大聖堂教会に奉職なさった人物です。イコンは「聖堂」の中にだけあるものでは無くて、曰本の仏壇や神棚のように、各人の家庭に安置されて、それを前にして祈るのです。また、信徒にとって、それは、神の御心を解き明かす「聖書」でもあるのだそうです。

私自身は、15世紀ロシアのイコン画家、アンドレイ・ルブリョーフに興味があります。しかし、厳密に言えば、彼の「作品」等というものは存在しません。有名な『至聖三者』(聖三位一体)は、ルブリョーフの代表作とされていますが、美術的にも、ただ「ルブリョーフ派」と表記されるに留まっています。それは、イコンというものが作家の個性を発揮する媒体ではなく、礼拝すべきものとされていたからです。同じ時代に、西方のカトリック教会では、ルネサンスの華が開き、ダヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロ等が互いに腕を競い合って、自分の「作品」を発表していました。如何にも対照的です。

イコンには「贋作」は存在しません。芸術作品として価値が高まったり、売買される物では無いからです。主題も決められていて、既に画風が確立しているので、それを模倣して描いても構いません。それをもって礼拝に奉仕することが出来さえすれば、それは立派なイコンなのです。

別に「聖画」を教会に飾ろうとは思いません。プロテスタント教会の伝統の中には、イコンも存在しません。しかし、もしも「天国に通じる窓」が、私たちの暮らしの至る所に、開かれていたら、素晴らしいと思うのです。私たちにとっての「イコン」は何でしょうか。

【会報「行人坂」No.244 2012年2月19日発行より】

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2011年10月24日

スズメのいのち

今年の六月頃だったでしょうか、二男が、下校の際、近所で飛べなくなっている子スズメを発見しました。二男にせがまれるまま、家に連れて帰って来てしまいました。巣立ちしたばかりの子スズメでした。生まれつきなのか、それとも、巣から出て怪我をしたのか、片方の羽根が傷付いて、広がらなくなっていました。しかも、足も折れているようで、スズメ特有のホッピングが出来ません。

人間が野生のスズメを飼うことは、大変に難しいことであると承知していましたので、子どもには「二、三日で死ぬだろう。何も期待するな」と宣告していました。それでも、家族で話し合って、取り敢えず名前を付けることにしました。最初は、私の提案で「ジャック」としました。言うまでもなく、映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』で、ジョニー・デップ演じる海賊「ジャック・スパロー/スズメのジャック」からの借用です。ところが、二男の再提案によって「ジャッピー」と改名されました。

段ボール箱の中にボロ切れを敷いて「巣」を作ったのですが、問題は飲食です。それでも、水は何とかなりました。小さなコップに水を入れて、頭を突っ込むと、ジャッピーは嘴をパクパク開けていました。幸い教会の中庭からは、活きの良いミミズが幾らでも取れます。食糧の確保は簡単なのですが、本人が少しも食べてくれないのです。

丁度その頃、クレア・キップスの『ある小さなスズメの記録』(文藝春秋社)を読み終えたばかりでしたので、訳者の梨木香歩さんに電話をして相談しました。彼女は、我が家のジャッピーが、キップスの飼っていたスズメ「クラレンス」と全く同じ境遇であることを知って、大いに驚いていました。

「強制給餌しかないわねぇ」というのが結論でした。片手で嘴を強制的に押し開いて、ピンセットか爪楊枝を使って、ミミズの切れ端(刺し身)を□の中に挿入するのです。「最初は抵抗すると思うけども、この人たちはぼくに悪い事をしようとしているのでないんだと、必ず分かって貰えるはず」と言っていました。

ところが、私は愚かにも、彼女の有り難い助言に素直に従うことが出来ませんでした。ジャッピーは片羽根と足以外は元気なのですから、新鮮なミミズを「巣」の中に入れてさえ置けば、自分で食べると判断してしまったのです。今思えば、何としても彼の命を長らえさせようという、必死の思いが足りなかったのかも知れません。

三日目の朝、段ボールの「巣」の中で、冷たくなっているジャッピーを発見しました。「食べたはず」と私が思い込んでいた餌のミミズは、段ボールの隙間から干物に成って見つかりました。そこで初めて、彼が何も食べていなくて餓死したことを知って愕然としたのです。命の問題においては、時に「強制」が必要な事態があるのです。

スズメは、聖書の神さまが大好きな小鳥です。大変に申し訳ないことをしました。

【会報「行人坂」No.243 2011年10月23日発行より】

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2011年03月31日

あなたの富のあるところ

2010年12月25日、クリスマスの朝、群馬県児童相談所の玄関に10個のランドセルがプレゼントとして置かれているのを、職員が発見しました。贈り主は、30年前のマンガ『タイガーマスク』の主人公「伊達直人」を名乗っていました。その報道が話題になるや、摸倣が瞬く間に広がり、全国の児童養護施設に、様々なプレゼントが置かれるようになりました。今や「タイガーマスク運動」と呼ばれています。

「伊達直人」という名乗りの仕方が、多くの人々の胸の奥にヒットしたのだと思います。『肝っ王かあさん』の京塚昌子も登場しましたが、プレゼントの届け主の名前には、圧倒的にマンガやアニメの主人公が多かったのです。少し挙げてみましょう。

矢吹丈(『あしたのジョー』)、ドラえもん、アンパンマン、ウルトラの父(『ウルトラマン』シリーズ)、星飛雄馬(『巨人の星』)、あさりちゃん、島村ジョー(『サイボーグ009』)、ルパン三世、麻宮サキ(『スケバン刑事』)、綾波レイ(『新世紀エヴァンゲリオン』)、野原しんのすけ(『クレヨンしんちゃん』)、ムスカ(『天空の城ラピュタ』)、涼宮ハルヒ、不動遊星(『遊戯王5D's』)、スティッチ、仮面ライダー、みなしごハッチ、デビルマン、愛の戦士レインボーマン、ちびまる子、大神一郎(『サクラ大戦』シリーズ)、平沢唯(『けいおん!』)……。

あたかも「コミケ」(コミックマーケット)のコスプレ大会の様相を呈しています。これらの新旧キヤラが勢揃いしている様子を想像すると、壮観ですらあります。そして、60〜20歳代の幅広い「マンガ・アニメ世代」が、一斉に集結したかのような印象があるのです。

その顔ぶれを丁寧に眺めると、貧困のモチーフ(『巨人の星』『レインボーマン』)、孤児と非行少年のモチーフ(『あしたのジョー』『サイボーグ009』『みなしごハッチ』『スケバン刑事』)、児童虐待(ネグレクト)のモチーフ(『エヴァンゲリオン』)も垣間見えたりします。「涼宮ハルヒ」の精神不安定ぶりも気になるところです。

それはともかく、「伊達直人」登場の第一報に接した瞬間、自動的に『タイガーマスク』のエンディングテーマ『みなし児のバラード』(作詞・木谷梨男、作曲・菊池俊輔作曲、歌・新田洋)が、私の頭の中で鳴り始めたのでした。それも映像を伴って、繰り返し……。それは突然に、まるでテレビのスイッチが入ったという感じでした。

「あたたかい人の情も/胸をうつ熱い涙も/知らないで育った/僕はみなし児さ/強ければそれでいいんだ/力さえあればいいんだ/ひねくれて星をにらんだ僕なのさ/ああ、だけど、そんな僕でも/あの子らは慕ってくれる/それだから、みんなの幸せ祈るのさ」。

この歌を披露すると、二男が教えてくれました。「『遊戯王』の不動遊星もみなし児。『スティッチ』のリロもみなし児。「NARUTO」もみなし児だよ。『ゲゲゲの鬼太郎』も母さんは死んじやったんだよ。」すると、なぜか「あなたの富のあるところに、あなたの心もある」(マタイ福音書6章21節)という聖句が、私の頭に浮かんだのでした。

【会報「行人坂」No.242 2011年3月27日発行より】

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2010年10月17日

真理は時の娘

今年の夏は、御巣鷹山の日航機墜落事故から25年の節目に当たり、例年に比べて、マスコミの報道も扱いが大きかったように思います。あの事故に遭遇して亡くなった乗客の中には、夏休み期間中ということで、大勢の子どもたちも含まれていました。

9歳の野球少年は、25メートルプールを泳ぎ切った御褒美で、念願の甲子園行きを家族からプレゼントされたのです。その頃、航空会社が「可愛い子には独り旅を」というようなキャンペーンを展開していたことも影響していたのでしょうか。テレビでお母さんの証言が紹介されていたそうです。偶然、その番組を見た妻は、25年の時を経て尚、悔やんでも悔やみ切れない、その余りの痛ましさに言葉を失っていました。

私自身も、新聞で、その子のお兄ちゃんの証言を読み、絶句しました。出発直前に、つまらない兄弟喧嘩をして、お兄ちゃんは思わず「お前なんか、もう帰って来るな!」と言ってしまったのです。勿論、事故で弟が死んだのは自分の罵倒のせいではない、頭では理解できるのですが、それでも何年も何年も自分を責め続けていたという、お兄ちゃんの気持ちが察せられて、私の胸も詰まりました。

「あの時、もしも、こうしていれば・・・」「あの時、こうしてさえいなければ・・・」「こんな事故には遭わなかったかも知れない」と、遺族は思い巡らし、自分を責め続けるのです。突然の不幸を経験した人ならば、誰でもが知っているはずです。ここに立ち塞がるのが「時間の不可逆性」という現実です。失われてしまった命は戻って来ないのです。出来ることなら、あの時以前に時間を巻き戻して、子どもの命を救いたいと思うのですが、今となっては、もはや取り返しがつかないのです。

さて、SF小説の世界には、H・G・ウェルズの『タイム・マシン』(1895年)を始祖とする「時間SFもの」というジャンルがあります。R・A・ハインラインの『夏への扉』(1956年)、筒井康隆の『時をかける少女』(1967年)、B・J・ベイリーの『時間衝突』(1973年)、R・マシスンの『ある日どこかで』(1976年)等は、マニアでなくても御存知の方は多いでしょう。時間旅行を利用して、未完の目的を達成したり、仇敵に復讐したり、不幸な過去をやり直したり、秘めたままの恋心を告白したり・・・。物語の世界だからこそ、現実を超越できるのです。しかしながら、時間旅行によっても、現実は願った方向に変えられなかったという展開が大多数を占めています。

けれども、私たちの人生は「何も変えられなかった」という悲観で終わるものではありません。命がけの試みや切なる願いによって、確かに何かが変えられているのです。「真理は時の娘/Veritas temporis filia」という格言があります。真理は、今日は未だ隠されているかも知れないが、きっと、いつの日にか明らかになるという意味です。私たちが生きていて味わう悲しみや苦しみの意味も、いずれ明らかにされる日が来るのでしょう。

【会報「行人坂」No.241 2010年10月17日発行より】

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2010年03月28日

朝の栄光と真夜中の太陽

先日、テレビのドキュメンタリー番組で「モーニング・グローリー」を撮影するとか言っていたので、何の事かも分からないままに見てしまいました。「モーニング・グローリー」を直訳すれば「朝の栄光」です。あるいは「朝顔」の花です。しかし、これは、時折オーストラリア北東部などで見られる気象現象なのだそうです。

高度二千メートル上空に、巨大なロール状の雲の帯が、長さ千キロメートルにもわたって延々と続いているのです。しかも、一時間に60キロのスピードで移動するのです。その雲の帯が三列に並んでいる珍しいケースもあるそうです。英語では「モーニング・グローリー・クラウド」と言うのだそうです。早朝に起こることが多いので、そんな名前が付けられたのでしょう。聖書の中では、「雲の柱」「雲に乗る者」「雲のように囲む証人」等、「雲」が神の臨在や栄光を表わすシンボルである事も思い出されます。

この「モーニング・グローリー」という用語を耳にして、私は、大昔の映画を思い出しました。キャサリン・ヘップバーンとダグラス・フェアバンクス・ジュニア、アドルフ・マンジューが共演した『勝利の朝』(1933年)です。まさしく原題が「モーニング・グローリー」でした。ブロードウェイに憧れて上京した娘が、我儘な主演女優が降板したために、主役の座を射止める(一夜明けると、「朝顔」が咲いていたように)という定番です。後に、スーザン・ストラスバーグ主演の『女優志願』としてリメイクされました。

それから次に、バーブラ・ストライサンド主演の『スター誕生』(1976年)を思い出しました。これは、ジャネット・ゲイナー版(1937年)、ジュディ・ガーランド版(1954年)に続く三度目の映画化です。ロックシンガーの話に変えてありますが、妻が大スターになり、夫が落ちぶれて自滅するパターンは同じです。

この映画の主題歌の中に「Two lights that shine as one, /Morning glory and midnight sun」という一節があったことが思い出されたのです。ポール・ウィリアムズが詞を書いていて、その年のアカデミー主題歌賞を受賞したのでした。「ふたつの光がひとつに結ばれて輝く/それは朝の栄光と真夜中の太陽」と、そんな風な歌詞でした。

そうすると、俄然、気になるのが「ミッドナイト・サン/真夜中の太陽」です。調べてみれば、これまた気象用語にありました。極圏内で、真夏、もしくは真冬に見られる「真夜中の太陽」というものがあるのだそうです。

こうしてみると、「朝の栄光」と「真夜中の太陽」とは同時に存在できないものだということに気付きました。朝と真夜中という時間の別のみならず、その気象現象が発生する地域も全く違うのです。ポール・ウィリアムズの歌詞がとても重く胸に沁みました。私たちの命は重なり合うことはないのです。しかし、いつの日か、その命の光が一つに結ばれる、そんな日が来るのを信じて待っているのです。


【会報「行人坂」No.240 2010年3月28日発行より】

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2009年10月04日

蝉時雨なく夏も終わり

1.蝉時雨

本来は本州の南半分に生息していたクマゼミが次第に北上し、それに伴って、アブラゼミの生息領域が減っているという話を聞きます。「地球温暖化の影響」が言われていました。ところが、最近、新たに耳にした話によると、アブラゼミが減少して、クマゼミが増加している原因は、カラスの捕食にあるというのです。

天敵に襲われると、クマゼミはかなり遠くまで飛んで逃げるのですが、アブラゼミは近くの木に飛んで移動するだけなのだそうです。都市化と共に、樹木の数は疎らになり、カラスの数は増加しています。その結果、アブラゼミが捕食され、その数を減らし、その分だけ、クマゼミの生息領域が広がったということだそうです。

2.見栄え

子どもの頃、兵庫県は但馬地方で育った私は、クマゼミという物を見たことがありませんでした。クマゼミを見るためには、姫路など播磨地方まで足を伸ばさなくてはなりませんでした。黒くて頑丈そうなクマゼミは、男の子の憧れでした。アブラゼミを見慣れていた私たちにとっては、尚更、クマゼミの方が希少価値が感じられたのでした。

同じようなことが.、他の生物にも言えます。私たちは、鮎や鱒よりもブルーギルを、鮒や鯉よりもブラックバスを、ヌマエビよりもアメリカザリガニを、イシガメやクサガメよりもミシシッピアカミミガメを、珍しがって求めたのでした。在来種よりも外来種の方が見栄えよく感じられたのでした。今思えば、実に愚かなことでした。

犬や猫などのペット業界では、舶来信仰のような、この感覚が現在も罷り通っています。血統書というブランドと共に、次々にブームが繰り返されて、目新しい犬や猫の種類が消費されています。

3.大人様

本当に大切なのは、見栄えではないのです。お子様には分からないかも知れませんが、そういうことを弁えているのが大人なのです。見栄えとかブランドとか、ブームとかトレンドとか、そういう表面的なものではない価値というものがある。それを知っているのが成熟した人間だと思います。

そういう人はブームが去っても、変わらずに同じ立ち位置にいますし、ブランドのマークが付いて無くても、良品か否かを判別することが出来るのです。ある時期から、私は、時流や潮流に「流されない」人になりたいと思っていました。かと言って、「マイナー志向」に陥ってしまっては偏屈になります。心持ちとしては、もっと軽やかに、もっとポップであっても良いと思っています。今年は「日本プロテンタント宣教一五〇周年」だそうですが、教会の在り方も同じです。要は、その地に根を生やした、愛と祈りがあるかどうかです。


【会報「行人坂」No.239 2009年10月4日発行より】

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2009年03月29日

重要、かつ不快なこと

日頃の礼拝にはお見えにならないお客様から、讃美歌の歌声を褒めていただくことがあります。お世辞半分とは思いますが、歌声を褒められれば、本人も悪い気はしないものです。先日、支区婦人部の集会の際に 「今日は、三大テノールのような、先生の美声を聴かせていただきまして!」と、他教会の婦人に褒められて、すっかり、赤面してしまいました。それにしても、「三大テノール」との譬えには仰天しました。

「確かに、この髭と太鼓腹はパヴァロッティかも知れませんね」と返して、咄嗟に謙遜のポーズはとってみたものの、予想もしない表現に、危うく、舞い上がってしまうところでした。また、別な時には、「声楽をなさっているのですか?」と尋ねられたこともあります。いつも、答えは「カラオケをやっているだけ」です。しかしながら、そのカラオケも、昨年は一回しか行っていません。

さて、そのカラオケ。イギリス政府が国民に行なったアンケート調査において、「最も重要と思いつつも、最も不快と感じる発明品」の第一位に選ばれたという記事を、年末の新聞で読みました。携帯電話を抑え、堂々、22パーセントの支持票を集めたそうです。そう言えば、数年前には、「カラオケを発明し、互いに寛容になる新しい手段を人々に提供した」業績に対して、井上大佑という方に「イグノーベル賞」の「平和賞」が授与されていました。言うまでもなく、これは「ノーベル賞」のパロディで、かなり皮肉と諧謔が込められているのですが、カラオケが内包するアンビバレンスに、私は大変興味を覚えます。

何を隠そう、私は元々、カラオケが大嫌いだったのです。とりわけ、酒の飲めない私にとっては、パブ等で酔い痴れて歌う感覚が、更に嫌悪感を深めていたのです。ところが、九州教区時代、地区の先輩牧師たちを連れて、カラオケボックスに入ってみたら、意外に楽しかったのです。戦中派の牧師たちは、軍歌しか歌えません。山田耕筰の「燃ゆる大空」、藤原義江の「討匪行」、高木東六の「空の神兵」等を、一緒に大合唱したものです。しかも、この時代には、戦時中の記録映像や戦争映画の一場面も挿入されるようになって、すっかりカラオケに魅せられてしまったのでした。

教会生活の中にも、不快感を味合わされることはないではありません。その不快さに耐え切れず、教会から離れてしまう人もいます。他者と共にあることは、基本的に不快なことなのです。カラオケの嫌いな人にとってのカラオケみたいなものです。しかし、異なる他者と付き合うことは重要なことです。避けたり、受容したり、我慢したり、棲み分けをしたり、時には、衝突したり…。それでも、やっぱり、極めて重要なことです。


【会報「行人坂」No.238 2009年3月29日発行より】

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2008年08月24日

同じ時代を生きて

1979年、大江健三郎が「同時代ゲーム」という小説を発表して、「同時代」という言葉が持て囃されたものです。気がつけば、もう30年近くの時が経過しているのですね。あの小説は好きになれませんでしたが、「同時代」という言葉は大好きです。横の広がり、空間的な広がりを感じるのです。

「連想ゲーム」をしていくと、ユング心理学の「共時性」という言葉も思い出されます。「共時性」とは、イメージ的によく似た複数の事象が空間を超えて存在することです。直接の因果関係はないのに、同じような出来事が随伴して生起することです。 神学生時代のこと、ニューヨークのユニオン神学校教授だった小山晃佑さんと、一度だけお話するチャンスがありました。当時、「時速5キロの神」という論文を発表(1982年)された後だったと思います。タイのチェンマイでの経験を基に紡がれた「水牛の神学」によって、70年代から世界的に知られていました。

雑談の中で、こんな話が出ました。「西洋において、キリスト教の宣教がヨーロッパの北限まで伝播したのも6世紀、東洋において、仏教の布教が東限である日本にまで達したのも同じ6世紀、これには深い意味がある」と。このような感覚を「共時性」と言います。大抵の学問は「因果性」の論理(因果律)に支配されていますが、それとは全く異なる考え方や感じ方があるのです。

イギリスのロックバンド、ポリスが 「シンクロニシティ」(Synchronicity)というアルバムをヒットさせたのもこの頃(1983年)でした。スティングの歌う「見つめていたい」(Every Breath You Take)はシングルカットされて、ヒットチャート入りし、毎週のようにMTVで流されていました。ポール・ボウルズの「シェルタリング・スカイ」(後に映画化されて有名になった) の第1章と同じ、「サハラ砂漠でお茶を」(Tea in the Sahara)という題名の曲も入っていました。「シンクロニシティ」とは、まさに「共時性」の英訳です。そう言えば、シンクロナイズドスイミングが五輪の正式競技に採用されたのも、その翌年の1984年のロサンゼルス・オリンピックからです。これもまた、シンクロしています。

さて、年配の人が「最近の若い者は…」と苦言を呈するのは今に始まったことではありません。SF作家のアシモフによると、紀元前2800年頃の古代アッシリアの粘土板にも、古代ギリシアの哲学者プラトンの著作にもあるとの由。山手線の中で「最近の若い奴らは…」と、小学生が会話していたという笑い話もあります。

若者たちの側でも、結局、同じ世代で固まってしまって、他の世代との交流が少ないのです。更に言うと、老若に関係なく、これは私たち皆に共通する問題です。「同世代」 の心地良さも分かりますが、時には「同時代」の刺激を味わってみてはどうでしょう。

「同世代」ではなく、「同時代」の広がりをもって、共に生きている。それが教会という場です。


【会報「行人坂」No.237 2008年8月24日発行より】

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