2007年09月23日

わたしたちの明日

南大阪教会の伝道師をしていた頃、本間さんという教友がおられました。長く教会に通っておられましたが、洗礼は受けておられませんでした。彼女の妹が、映画監督の黒木和雄のお連れ合いだった関係で、黒木監督の新作が劇場にかかると、私にも必ず、招待券を下さっていました。そうは言っても、そもそも寡作な監督ですから、私が大阪にいた5年間、実際に招待券を貰ったのは2回だけでした。

私が宮崎県に転任になったのを知って、黒木監督も宮崎県えびの市の出身であることを、本間さんから伺いました。随分、後になって、監督が「美しい夏キリシマ」という作品を発表した時に、そのことを思い出しました。その黒木監督も、昨年の「紙屋悦子の青春」が遺作になってしまいました。

初めて招待券を貰って、私が観たのは、「TOMORROW/明日」(1988年)でした。前出の「美しい夏キリシマ」、「父と暮らせば」と共に、黒木監督の「戦争レクイエム三部作」と言われています。

映画の舞台は1945年8月8日、長崎です。つまり、原爆投下の前日なのです。

その日一日を生きる庶民の哀歓が描かれます。主人公(佐野史郎)は結核を患って兵役免除になり、看護婦の許婚(南果歩)と三々九度を交わします。そこから、式に集まった人たちの一日が静かに描かれて行くのです。

花嫁の姉(桃井かおり)は出産直前の妊婦です。花婿の友人(黒田アーサー)は軍属ですが、捕虜を助けることができず悔やんでいます。花嫁の妹(仙道敦子)は、恋人の医学生に召集令状が来て悩んでいます。市電の運転士の叔父(なべおさみ)は、明日、浦上天主堂の前を走る予定です。そして、難産の末、明け方に、姉が赤ん坊を産みます。そこで映画は終わります。一瞬にして、彼らの暮らしは消し去られてしまったのです。彼らの「明日」は無残に奪われてしまったのです。

私が「明日」を考える時に、いつも、この映画のことが思い出されます。何気なく「明日」という言葉を使った時にも、ふと思い出されて、何か切ない気持ちになることがあります。実は、原作者の井上光晴自身も、小説「明日」の構成のため、長崎市内の浦上周辺を隈なく行き来しながら、創作ノートを書き溜めていた時、「密集する家々に干された洗濯物を見ながら、なぜか慄然とする思いにうたれた」と書いています(著者あとがき)。

きっと、1945年8月8日の長崎は、私たちの明日とも繋がっているということなのでしょう。私たちも、明日のことを知らされてはいませんが、それでも(それだからこそ?)今日という日を大切に生きています。さて、私たちの教会では、どのような「明日」を思い描くことが出来るでしょうか。今日を明日に繋ぐものこそ、希望なのです。


【会報「行人坂」No.235 2007年9月23日発行より】

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2007年03月18日

ゆるい教会、厳しい教会

行人坂教会のことを称して、比較的に「ゆるい教会」と言われる場合があります。確かに「厳しい教会」ではないかも知れません。それでは、どういう教会が「厳しい教会」と、世間で言われているのでしょうか。

実例を挙げます。札幌時代の事ですが、教会の近所に精神障碍者の作業所がありました。通所者の中には、以前に洗礼を受けた人、今もどこかの教会に通っている求道者も多くいました。所長さんと親しくしていたせいもあり、その通所者が私のもとに、ご相談に見えることもありました。

Aさんはバプテスト派の教会の信者でしたが、その教会は韓国から伝道に来た人が牧師をしており、毎週日曜日、礼拝が終わると、夕方まで、信者が全員参加で伝道用トラクトを配布して回るのです。彼は疲れ果てて、礼拝をサボります。すると、夕方には、牧師が自宅アパートまで訪ねて来て、時には何時間も熱心な祈祷をしていくのだそうです。彼の病状は悪化して、作業所に通うことも出来なくなります。

このような教会が、世間に言う「厳しい教会」です。私は彼に「もう、そんな教会には行かない方が良いのではないか。しばらく休むことも大切だ」と言うと、彼は怒り心頭に発して「牧師さんが教会を休むように勧めるとは!」と抗議しました。最後には「サタン」呼ばわりされてしまいました。

その時、彼が教会に依存していることが分かりました。「依存症」の状態なのです。彼の精神的な自立や解放のために、教会が機能しているのではなくて、彼の精神を徹底的に依存させ、隷属化させているのです。アルコールや薬物と同じような働きを、教会が果しているのを目の当たりにして、悲しい気持ちになりました。

ここまで極端ではなくとも、「厳しさ」には、依存を増長させる要素が含まれています。自分で感じたり考えたりすることを否定して、教会や牧師が与える回答や目的を目指して生きることを強いられるのです。勿論、本人たちに「強いられた」という思いはありません。むしろ、自分が判断して選択したと信じているのです。

行人坂教会が「ゆるい」のは、実は「厳しい」からです。この教会は「組合教会」という教派の流れを汲むのですが、「組合教会」「会衆派」の特徴は、自主自律なのです。各自の個性を大切にし、自由に考えることを重んじるのです。他人に自分の考えを押し付けることはしません。けれども、その分、各人の自己責任に委ねられているとも言えます。その意味では、厳しいのです。

その伝統は今も生きています。だからこそ、私としては安心して、「それに加えて、共同体性を」と主張することが出来るのです。「共同体性」とは、「私の教会」ではなく「私たちの教会」という意識です。その「私たち」の中には、未来の信徒も含まれているのです。


【会報「行人坂」No.234 2007年3月18日発行より】

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2006年09月17日

信仰はコミュニティから

去る6月18日、行人坂教会の牧師就任式を催していただきました。心から感謝申し上げます。司式をして下さった高橋津賀子先生(馬込教会)からは、とても素晴らしい式辞をいただきました。祝賀会では、南支区を代表して橋爪忠夫先生(洗足教会)から、全国同信伝道会を代表して定家修身先生(武蔵野扶桑教会)から、ウィットに富んだ祝辞をいただきました。会員の皆さんも準備や進行に心を砕いて下さいました。その甲斐あって、非常にスマートな祝賀会が行なわれました。

このような一連の行事、儀式と言えば、儀式に過ぎませんが、一つ一つ、為すべき事を為し終えて、少しづつ、行人坂教会として、牧師と信徒との関係が結ばれていくのです。私自身、代表役員の登記変更を終え、就任式を終え、色々な行事や毎週の礼拝、祈祷会などを積み重ねながら、あるいは、会員のお宅に訪問しながら、「ああ、段々と、行人坂教会の牧師に成って行っているな」と感じています。

文化人類学には「通過儀礼/イニシエーション」という用語があります。最近では「単なる通過儀礼として」等と、間違った使われ方をしてしまいますが、そういう感覚はお粗末としか言いようがありませんが通過儀礼を経なければ、私たちが変えられるという体験をする事は難しいのです。

神と会衆との前に信仰を告白し、洗礼を受けて、信仰共同体の中に迎え入れられるという体験をしてこそ、私たちはクリスチャンに成るのです。信仰は個人の内面的な問題ではなくて、教会が共同体として積み重ねて行く経験です。つまり、「私のもの」ではなく「私たちのもの」です。また、「私たち」という自覚、共通感覚を持つ事なしに、信仰者であり続ける事は出来ません。

信仰が個人のものでしかないとしたら、こんなに脆いものはありません。個人としては、如何にも弱々しい信仰なのですが、共同体として証しされる時には、大きくされ、強められるのです。それが教会という場なのです。イエスさまが「実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」(ルカによる福音書17章21節)とか、「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」(マタイによる福音書18章20節)と言われるのは、そういう事です。

皆さんとご一緒に、教会共同体(コミュニティ)としての体験を積み重ねて参りたいと思います。悲しい別れも、喜ばしい出会いも、共にして参りましょう。


【会報「行人坂」No.233 2006年9月17日発行より】

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