2018年03月25日

結び上げること

1.桜の散る速度

(明里)「ねえ、秒速5センチメートルなんだって」―(貴樹)「えっ、なに?」―(明里)「桜の花の散るスピード」―(貴樹)「ん〜。明里、そういうこと、よく知ってるよね」―(明里)「ねぇ、なんだか、まるで雪みたいじゃない?」―(貴樹)「そうかなぁ。ねぇー、待ってよ」―(明里)「貴樹くん、来年も一緒に桜、見れるといいね」。

小学5年生の女の子、篠原明里(あかり)と同級生の男の子、遠野貴樹(たかき)が、学校の帰り道でしょうか、桜の花の舞い散る坂道から踏切へと(渋谷区参宮橋駅の周辺とされています)歩きながら会話をしています。けれども、翌年、女の子は小学校卒業と同時に栃木県下都賀郡岩舟町に引っ越して行き、もはや二人が舞い散る桜を一緒に見ることはありませんでした…。

大ヒット作『君の名は。』(2016年)で広く知られるようになった、新海誠監督の『秒速5センチメートル』(2007年)のプロローグです。桜の季節になると、この冒頭の場面が思い起こされるのです。

この作品は3つの短編連作から構成されています。第1話『桜花抄』は、中学1年生の冬、鹿児島県に引っ越すことが決まった貴樹がJRの在来線を乗り継ぎながら、岩舟に住む明里に会いに行く話です。第2話『コスモナウト』は、種子島を舞台に、高校3年生の澄田花苗が、中学の時に転校して来たクラスメイトの貴樹に、恋しい気持ちを伝えられない話。第3話『秒速5センチメートル』では、成人した貴樹は東京で働いていますが、仕事に忙殺されて、恋人との関係も破局を迎えたようです。

桜の花びらが舞い散る中、冒頭に登場したのと同じ踏切を、失意の貴樹が歩いています。明里もまた同じ踏切を渡ります。擦れ違った直後、二人とも振り返りますが、その刹那、小田急線の急行が二人の視界を塞ぎます。電車が通り過ぎた後には、もう彼女の姿はありませんでした。これがエピローグに成っています。

2.拙い自分の姿

あの『君の名は。』のラストは、この『秒速5センチメートル』のハッピーエンド版だったということが分かるでしょう。とても切なく悲しい幕切れなのです。しかし、観終わった後の印象は、両作品とも驚く程に似通ったものを感じるのです。

その一方、ごく大雑把な意見だとは思いますが、『秒速5センチメートル』は、男性から圧倒的な支持を得ていると聞きました。逆を言えば、女性の反応はイマイチなのだそうです。私自身、告白すれば、新海監督の作品の中で、最も胸が締め付けられ、何日も心痛が後を引いたのは『秒速5センチメートル』でした。勿論、幾つも「個人的な体験」がカブっていることが、その理由の第一に挙げられるでしょう。

そういうことを考えていると、新海作品に共通するテーマが浮かび上がって来たのです。それは「拙さ」です。自分自身の、如何にも拙かった過去(恋愛も友情も、仕事も生活も)が否応も無く脳裏に甦って来るのです。だから、観ていて、とても気恥ずかしくあるのです。けれども、考えてみたら、恥ずかしさに顔が真っ赤に成るような、そんな感覚を久しくしていなかったのです。そう思った瞬間に、過去の「拙さ」が生々しく甦って来るのです。自らの「拙さ」に対する後悔の念は、取り戻すことの出来ない過去と、現在の自分とを引き合わせますから、何とも知れない心の疼きを伴うのです。

今の自分から見ると「もどかしさ」以外の何ものでも無いのですが、あの時の自分にとっては、それが精一杯だったのです。『雲の向こう、約束の場所』(2004年)にも、『言の葉の庭』(2013年)にも、同じような「もどかしさ」の悲しみが漂っています。

3.擦れ違う人々

オールドファンは「君の名は」と聞けば、岸惠子と佐田啓二(中井貴一の父親)が主演した松竹映画『君の名は』3部作(1953〜54年)、もしくは、同名のNHK連続ラジオドラマ(1952〜54年)を思い出されるでしょう。最近の映画ファンのために言って置くと、2007年の『ALWAYS/続・三丁目の夕日』で、戦争のために引き裂かれた昔の恋人、薬師丸ひろ子と上川隆也が「日本橋」の上でバッタリ再会する場面は、『君の名は』の「数寄屋橋」に対する目配せのようなものを感じます。

そうです。かつての『君の名は』は「すれ違いメロドラマ」の典型とされていました。当時の観客は、恋人たちが寸での所で出会わないまま、擦れ違って行く描写に何度ヤキモキさせられたことでしょう。客席から「あー」と溜め息が漏れたと聞いたことがあります。しかし、あの時代には、たとえ擦れ違っても、いつか必ず会えるというドラマの鉄則がありました。何しろ「袖触れ合うも多少の縁」が実感として残っていましたから。現代は、そのような信頼が抱きにくい時代なのでしょう。

同じ時代、同じ世界に生きるものとしての連帯感、共感のようなものを取り戻すことは出来ないのでしょうか。街で擦れ違う人に対して…というのは難しいかも知れません。しかしながら、同じ電車やバスに乗り合わせた人に対しては如何でしょうか。やはり、難しいでしょうか。それなら、せめて同じ礼拝に出席している私たちは如何でしょうか。

「宗教/religion」はラテン語で「religiō/レリギオー」、その語源は「religere/レリゲレ/結び合わせる」にあるとされています。人と神、地と天とを結び合わせることです。

そう言えば、『君の名は。』の中で、宮水神社の神主である祖母が、孫娘2人に組紐を編む練習をさせながら言っていました。「寄り集まって、戻って、繋がって、それが結び」「糸を繋げることも結び、人を繋げることも結び、時間が流れることも結び」。

牧師 朝日研一朗

【2018年4月の月報より】

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十字架の魔除け効果?

「高きに在す御方の御名において、父と子と聖霊の力において、我は悪の全ての力と種とを追い祓う。我は悪の全ての力と種とを追い祓う。我は悪の全ての力と種とを、キリストの聖なる教会の御言葉によって縛る。鎖で縛られるように固く縛られて、外の暗闇に投げ捨てられ、以後、神のしもべを苦しめることの無きように」。

悪魔祓いの儀式で「拘束命令/Binding Commands」と言われる祈りと同じです。ローマカトリック教会の典礼書では、その後、聖書を朗誦した上で「追放命令/Banishment Commands」と「三一改変/Variable Triune」等が行なわれます。

それはともかく、上記の祈りは、20世紀初め「内光協会/The Society of Inner Light」という魔術団を設立した、ダイアン・フォーチュンが著書の中で述べている、最も簡単な「心霊的自己防衛/Pychic Self-Defence」です。

彼女は十字の切り方についても教示してくれています。「指差したり、十字を切ったりする時、人差指と中指を伸ばし、薬指と小指は曲げて掌につけ、その爪に親指を重ねるようにする。祝福のために塩と水の溶液に手をかざす時、手は水平に、指をつけて真直ぐにし、親指だけは人差指と直角となるように伸ばす」(「世界魔法大全」第4巻)。

そう言えば、プロテスタント教会では、ルター派と聖公会以外に、十字を切る習慣がありません。しかし、ローマ教会では、しばしば信者は十字を切ります。通常は「父と子と聖霊の御名によりて」と称えて、親指で額、口、左肩から右肩へと印を描きます。額と口と胸に描くのは、心と言葉と行ないとを表わしていると言われています。三位一体への信仰を表明するため、三位一体の名(「父と子と聖霊」)が唱えられる度に印を結びます。ラテン語で「十字架の印/シーグヌム・クルキス/Signum crucis」と言います。

「十字架の印」は秘蹟に準じるものとされ、それによって免償、即ち罪の赦しが与えられるとされていました。プロテスタント教会が「十字架の印」を廃棄した理由はそれです。しかしながら、一般庶民の心情としては、災難や恐怖、試練や誘惑に際して、そこから「逃れさせ給え」「免れさせ給え」「御加護を賜え」の祈りを込めて、印を結んでいたのではないでしょうか。その心情は無視できません。

最近では、ローマ教会でも「十字架の印」の意味づけを変えて来ています。十字架に掛けられ、死んで葬られ、復活した「キリストを信じています」という「告白のしるしだ」と言うのです。「栄光の神学」から「十字架の神学」への移行です。「頌栄」よりも「信仰告白」に比重を移しているのです。

そう言えば、カバラの魔術の呪文の中にも「十字架の印/シーグヌム・クルキス」がありました。「…イェスス、ナサレヌス、レクス、イウダエオルム/エクケ、ドミニカェ、クルキス、シグヌム、フギテ、パルテス、アドウェルサェ/ウィキト、レオ、デ、トリブ、ユダエ/ラディクス、ダウィド、アレルーヤ/キリエ、エレイソン/クリステ、エレイソン…」。


【会報「行人坂」No.256 2018年3月発行より】

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2018年02月25日

大水は声を上げました

1.アフターマス

所謂「東日本大震災」から7年目を迎えます。けれども、私は未だに「東日本大震災」という曖昧な名称を受け入れることが出来ません。成る程、茨城県や千葉県や栃木県、東京都や神奈川県でも犠牲者が出ています。特に千葉県の旭市は津波の被害が大きかった。とは言え、やはり、岩手県と宮城県と福島県の被害のレベルは格段に違います。

私にとっては「3.11大震災」「東北大地震と津波」という名称が一番シックリ来ます。「東日本大震災」という名称ですと、公共交通機関の途絶によって、首都圏を中心に10万人もの「帰宅困難者」が出たことが、どうしても一番に思い出されてしまうのです。「東日本大震災」の名称は、首都圏を中心にした捉え方のような気がしてなりません。でも、首都圏の被害は飽く迄も「余波」であって、「大地震」や「大津波」の直撃ではなかったことを、私たちは自らに言い聞かせる必要があると思います。

因みに、英語の名称は「Aftermath of 2011 Tōhoku Earthquake and Tsunami/2011年の東北地震と津波の被害」と成っています。「アフターマス」とは、災害や事件、事故などによって引き起こされた状況を表わす語であり、「余波、結果、痛手、後遺症」と訳されます。「マス/math」とは、一説によると古英語の「mæþ/メス/刈り取り」から来ていて、草刈りを終えた後の、何もかも無くなって、すっかり様変わりしてしまった風景を言うのだそうです。確かに、災害が襲った後、風景は一変します(被害者の心の風景も)。

それ故「アフターマス」という語を、私自身は取り敢えず「被害」と訳しています。それに加えて「アフターマス」という語には「震災そのものも大変だけど、その後がもっとズッと大変なのだ」「復興などと言っても、痛手は簡単には消えないのだ」という含みがあるようで、カタストロフの真実を上手に言い当てていると思うのです。

2.遠くか近くか

「東日本大震災」は、中国語では「2011年日本東北地方太平洋近海地震」と表記されます。「津波」は「海嘯/ハイシャオ」と言います。英語の名称にしろ中国語の名称にしろ「東北」「東北地方太平洋近海」というように、特定された震源地が明確に示されているのが良いと思うのです。それらを見るに付け、どうして日本では「東日本大震災」等という曖昧な名称にしてしまったのかという疑問が湧いて来ます。

実は、同じような疑問を感じたことが過去にもあったのです。1994年12月28日に三陸沖で発生した「三陸はるか沖地震」(マグニチュード7.6)でした。地震で大勢の死傷者を出し、建物の被害も相当数あったのですが、幸いにも津波の規模は小さくて、殆ど被害はありませんでした。それはともかく「はるか沖地震」という命名に、私は大きな違和感を抱いたのです。「「はるか彼方の沖」だから、三陸海岸は大丈夫」とでも言いたかったのでしょうか。とても不可解な名称でした。

その前年、1993年7月12日の「北海道南西沖地震」、別名「奥尻島地震」の場合にも感じたのですが、なぜか「沖」という語を使いたがるのです。「遠く」という印象操作でしょうか。この時には、津波で奥尻島が壊滅的な被害を受けたのでした。因みに、この「北海道南西沖地震」、中国語では「北海道南西近海地震」と言います。「沖」と言うか「近海」と言うかで、随分と印象が変わります。ここでも、国内よりも国外の名称の方が、より的確であるという不思議が生じているのです。

さて、その昔は日本も中国と同じように、津波も高潮も纏めて「海嘯(かいしょう)」と呼んでいたようです。1902年9月に相模湾西岸地帯を襲ったのが「小田原大海嘯」です。地震によるのではなく、台風の影響による海面上昇であったため、現在では「高潮」に分類されていますが、津波と同じくらい、大勢の死傷者、多数の家屋被害を出しています。

3.大水の轟く声

「大海嘯」と聞けば、私などは、宮崎駿の漫画『風の谷のナウシカ』(1982〜1994年)、及び、そのアニメ映画化作品(1984年)を思い出さずには居られません。「火の7日間」と呼ばれる最終戦争によって人類の文明が滅んでから、千年後の地球が舞台です。陸地の大部分は「腐海」と呼ばれる有毒な森に覆われています(放射能汚染の隠喩)。

『ナウシカ』には「王蟲/オーム」と呼ばれる巨大な蟲が登場しますが、これが大群と成って押し寄せ暴走する現象を「大海嘯」と言うのです。これ自体が破滅的大災害の隠喩なのですが、それだけでは終わりません。この大暴走の結果、多数の「王蟲」の屍骸から有毒な粘菌が飛散して「腐海の森」が生まれるという悪循環が待っているのです。因みに、この「大海嘯」、ドイツ語版では「grossen Flut/大洪水」と訳されていました。

旧約聖書では「創世記」6〜9章に描かれる「大洪水/マッブール」が有名です。「ノアの箱舟」の物語です。「洪水が起こった」時の様子を「この日、大いなる深淵の源がことごとく裂け、天の窓が開かれた」と表現しています。

古代人の宇宙観では、天には「天の海」があったのです(因みに、地下の世界にも、陰府の海が広がっています)。だから、空は海のように青いのです。それが破れてしまったのですから、これは創造の秩序の崩壊です。しかも「深淵/テホーム」は「天地創造」の「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり」(創世記1章1節)の「深淵」です。つまり「天地創造」以前の状態、分離される以前の状態に逆戻りしてしまうのです。それ故に「混沌」、即ち「形なく、空しく/トーフー・ヴァボーフー」に成ってしまうのです。

果たして私たちは、神さまが創造して下さった秩序(自然環境)を大切にしているでしょうか。震災から7年が過ぎ、私たち皆の中に、その心が強められることを切に祈ります。

牧師 朝日研一朗

【2018年3月の月報より】

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2018年01月28日

悲しみは雪のように

1.雪降り止まず

先日、珍しく東京が大雪に見舞われました。と言っても、積雪が僅かに20センチ程です。東北や北海道、日本海側の出身者、あるいは、それらの地方での生活経験のある人は、むしろ、首都圏の公共交通機関と道路の混乱ぶり、マスコミの大騒ぎぶり(ハシャギぶり)の方をこそ訝しく思われたことでしょう。

一夜明けて、私は「雪かきスコップ」(2014年の大雪の後に教会で購入して貰った)を使って、教会の周りの雪撥ねをしていました。妻は牧師館の前に、1メートル程の小さな雪だるまを作っていました。それは、子猫か子狸のように耳と鼻の付いた動物の顔をした雪だるまでした。造型が優れていたと見え、その日、通り掛かりの若い女性たちが、雪だるまに目を留めて、ニッコリ微笑んだり、「見て、カワイイ」と会話しながら歩いているのを、何度も何度も目撃しました。

実は、その雪だるまの眼窩に、お化けの眼球(グルグルと緑色の紅彩が動く)を1つ嵌め込んでやろうか等と、私などは不穏なことを考えていたので、女の子たちの好反応、好評ぶりを見て、大きな敗北感を胸に抱いたのでした。やはり、私は性根が腐っているのです。妻がメルヘン系だとすると、私は根っからのホラー系の人間です。

午後になると、温かい陽射しを受けて雪は溶け、路面も乾いてしまいました。実に、東京の雪は呆気ないものです。雪国では、踏まれて汚れた雪が、そのまま凍て付いて固まってしまいます。その上から、その黒い雪を覆うようにして、また新しい雪が降ります。こうして根雪に成るのです。まさに「雪降り止まず」なのです。

2.欺く雪の白さ

そのようなことを思い巡らしながら仕事をしていると、奇しくも2014年1月に亡くなった吉野弘の詩「雪の日に」の一節が思い出されたのでした。吉野が混声/女性合唱組曲「心の四季」のために、自作の詩をアレンジした作品です。

♪「雪がはげしく ふりつづける/雪の白さを こらえながら//欺きやすい 雪の白さ/誰もが信じる 雪の白さ/信じられている雪は せつない//どこに 純白な心など あろう/どこに 汚れぬ雪など あろう//雪がはげしく ふりつづける/うわべの白さで 輝きながら/うわべの白さを こらえながら/雪は 汚れぬものとして/いつまでも白いものとして/空の高みに生まれたのだ/その悲しみを どうふらそう//雪はひとたび ふりはじめると/あとからあとから ふりつづく/雪の汚れを かくすため//純白を 花びらのように かさねていって/あとからあとから かさねていって/雪の汚れを かくすのだ」

♪「雪がはげしく ふりつづける/雪はおのれを どうしたら/欺かないで 生きられるだろう/それが もはや/みずからの手におえなくなってしまったかの/ように/雪ははげしく ふりつづける//雪の上に 雪が/その上から 雪が/たとえようのない 重さで/音もなく かさなっていく/かさねられていく/かさなっていく かさねられていく」。

合唱曲「心の四季」(全7曲)の第6曲目です。因みに、作曲は田三郎(1913〜2000年)です。現代日本を代表する作曲家ですが、カトリック初台教会に属する教会音楽家でもありました。「第2ヴァチカン公会議」(1962〜63年)によって、ローマカトリック教会はラテン語からの自国語による典礼へと大きく舵を切りましたが、以来、日本のカトリック教会の典礼改革をリードしたのが田三郎です。彼は、私たちの讃美歌集のためにも作曲してくれています。「讃美歌第二編」83番「呼ばれています」、「讃美歌21」131番「谷川の水を求めて」、409番「すくいの道を」です。

このような田の宗教的背景を考え合わせ、且つ、その田とのコラボということを念頭に置くと、吉野の「雪の日に」の歌詞には、また別の意味でも味わいが増して来るようではありませんか。「雪の白さを こらえながら」「どこに 純白な心など あろう/どこに 汚れぬ雪など あろう」「雪は 汚れぬものとして」「空の高みに生まれたのだ/その悲しみを どうふらそう」…。この辺りの歌詞が切なくて胸にグッと迫ります。私には、信仰を抱いて生きる者としての悲しみが込められているような気がしてなりません。

3.白雪の悲しみ

ロックミュージシャンの浜田省吾もまた、この吉野の詩にインスパイアされて「悲しみは雪のように」(1981年)という名曲を作りました。♪「誰もが 泣いてる/涙を 人には見せずに/誰もが 愛する 人の前を/気付かずに 通り過ぎてく//悲しみが 雪のように 積もる夜に…」。

当時、浜田の母親が脳梗塞に倒れて、意識不明の重体と成ったと言います。彼は深い悲しみと絶望に打ちのめされながらも、不思議なことに、人に対する慈しみの気持ちが湧き上がって来るのを感じたそうです。そんな気持ちの中から生まれた楽曲なのです。

その後、1992年にテレビドラマ『愛という名のもとに』(鈴木保奈美、唐沢寿明、江口洋介出演)の主題歌としてセルフリメイクされています。脚本を担当した野島伸司は、最初から「悲しみは雪のように」を念頭に置いてドラマを書いたと言われています。

「詩編」51編9節は「わたしを洗ってください 雪よりも白くなるように」と、神に訴えます。「罪に汚れ果てた自分を潔めて欲しい」と祈っているのです。この詩編は古来、ダビデ王の懺悔の祈りと信じられて来ました。しかし「雪もまた自らの汚れを隠すために降り積もる」と、吉野弘は歌っています。それは、私たちが何度も同じ過ちを繰り返してしまう、その度し難さを思わせるのです。にも拘わらず、そのような人の営みに対しても尚、天から慈しみが与えられていることをも感じさせられるのです。

牧師 朝日研一朗

【2018年2月の月報より】

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2017年12月31日

奇妙なオルガン

1.天馬博士のオルガン

『鉄腕アトム』と言えば、手塚治虫の原作もさることながら、1963〜1966年(昭和38〜41年)に、フジテレビ系列で放映された日本初の国産アニメ(虫プロダクション)が有名です。動きがリアルで丁寧な(ディズニーや東映動画に代表される)フルアニメーションに対して、制作費と製作時間を削減するための、リミテッドアニメーション(フィルム3コマにつき1枚の動画)、バンクシステム(同じセル画の使い回し)を確立した「ジャパニメーション」草創期の作品です。

記念すべき第1話「アトム誕生」の放映は1月1日でした。また、第2話「フランケン」、第3話「火星探検」までは、手塚自身が演出を担当しています。並々ならぬ意気込みが伺えます。

第1話「アトム誕生」では、交通事故で独り息子の「飛雄」を失った天馬博士が、人間型のロボットを発明し、息子の名前を採って「トビオ」と命名します。人間と同じように細やかな感情まで持っている「トビオ」でしたが、天馬博士は次第に、人間のように成長しないトビオに苛立ちを感じるようになり、結局、サーカス団に売り飛ばしてしまうのです。「鉄腕アトム」と命名するのは、サーカス団の団長(ハム・エッグ)なのです。アトムはローマの剣闘士さながら、残酷な「ロボット対戦」をさせられるのですが…。

ところで、天馬博士が「トビオ」=「アトム」を完成させる場面ですが、彼が操作する機械は、明らかにパイプオルガンをイメージしています。但し、そこで響き渡るのはベートーヴェンの「運命」第1楽章の有名な旋律です。

2.オペラ座のオルガン

手塚治虫が映画、とりわけSF映画と怪奇映画に造詣が深かったことは有名です。「アトム誕生」の場面は、ユニヴァーサルの『フランケンシュタイン』(1931年)や『フランケンシュタインの花嫁』(1935年)、『フランケンシュタインの復活』(1939年)を思い出さない訳には参りません。あるいは、フリッツ・ラングの『メトロポリス』(1926年)におけるアンドロイド「マリア」創造の場面も思い出されます。

それにしても、天馬博士のオペレーションがオルガンであるのは、一体、どこから来ているのでしょうか。私がすぐに思い出したのは『バーバレラ』(1968年)です。デュラン・デュラン博士が自身の発明による「オルガニズム拷問マシン」(凄い洒落)に、バーバレラを入れて、パイプオルガン演奏よろしく自ら操作していました。

近くは『パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト』(2006年)があります。蛸のような顔をした悪霊、デイヴィ・ジョーンズが海賊船「フライング・ダッチマン号」(彷徨える阿蘭陀人!)の中で、両手のみならず、顎から垂れ下がる触手をも使って、パイプオルガンを弾いていました。海賊船の船内にパイプオルガンとは笑えるではありませんか。ともかく、怪奇趣味にはオルガンがよく似合うのです。

恐らく、その原点は『オペラの怪人』=『オペラ座の怪人』(1925年)でしょう。自分が溺愛する無名の新人、クリスティーヌを主役にするために、ファントム(「怪人、幽霊」)と呼ばれるエリックが暗躍する物語です。エリックはクリスティーヌに恋する余り、彼女を誘拐して、ガルニエ宮地下の秘密の部屋に監禁して、自分を愛するように迫ります。しかし、クリスティーヌは、エリックが一心にパイプオルガンを弾いている最中、仮面を剝ぎ取ってしまいます。そこから表われた彼の醜い素顔は…。

ガストン・ルルーの原作は知りませんが、この映画のエリックはオペラ座のオルガニストだったという設定です。それで、このサイレント(無声)映画を上映して、パイプオルガンの即興演奏を入れたリサイタルが行なわれたりしているのです。

3.パスカルのオルガン

17世紀フランスの思想家、ブレーズ・パスカルは『パンセ』の中で、人間を「奇妙なオルガン」に譬えています。

「気まぐれ。――人は普通のオルガンを弾くつもりで、人間に接する。なるほど人間はオルガンではあるが、奇妙な、変わりやすい、移り気なオルガンである。そのパイプは音階の順に並んでいない。普通のオルガンしか弾けない人は、この諧音では音を出すことができない。鍵盤がどこにあるかを知らなければならない。」(松浪信三郎訳、河出書房新社)。

最後の「鍵盤/touches」という語は、草稿に欠落して居り、多くの版本がこれを採用していますが、全く確定していません。パスカル自身、モンテーニュの『随想録』に触発されているらしいのですが、『随想録』には、以下の如き同趣旨の発言があります。曰く「1つのペダル(marche)を踏んだ者は、すべてに触れたも同然である。それは極めて協和的な音の調和であり、決して調子外れになることがない」。従って「鍵盤」ではなく「ペダル/marche」という語を補う本も出て来ています。

突然に「なるほど人間はオルガンであるが…」等と言われても、私たちは狐に摘まれたような気分に成りますが、以前にも申し上げた通り、「オルガン」のラテン語「organum/オルガヌム」とは「道具、楽器」であり、「器官、臓器」の意味にも派生しているのです。ですから「なるほど人間はオルガン」なのです。

「気まぐれ」という訳語も「一定しない事」とする訳者もいます。人間というものは難しい。人間付き合いは難しい。人に接してみると、人によって反応もまちまちで、その日の機嫌や健康状態、天候や気候によっても変わり易く、安定していないのです。だから、この人間というオルガンでは和音を奏でられない。そのようにパスカルは言っているようです。

牧師 朝日研一朗

【2018年1月の月報より】

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2017年11月26日

サンタ解体新書

1.クリスマスホラー

ホラー映画ファンにとっては、『聖し血の夜』(1974年)、『サンタが殺しにやって来る』(1980年)、『悪魔のサンタクロース/惨殺の斧』(1984年)の3作が、クリスマスの定番メニューです。

『聖し血の夜』(再ソフト化に際して『ブラッディ✛ナイト/聖し血の夜』と改題)は、知る人ぞ知るカルト映画です。本来「暗い満月の夜/Night of the Dark Full Moon」という、結構、凝った原題だったのです。よく見ると「満月/full moon」と「晦日(みそか)、月隠(つごもり)/dark moon」)」を掛け合わせてあるのです(それならば「大月隠(おおつごもり)」ということでしょうか…)。しかし、本国でも「聖し血の夜/Silent Night,Bloody Night」という「きよしこの夜」のパロディに改題されてしまいました。

題名が変えられてしまうのは、この類いの低予算ホラーの宿命のようで、『サンタが殺しにやって来る』も同じ運命を辿っています。邦題の通り、サンタクロースの衣装に身を包んだ殺人鬼が、良い子にはプレゼントを渡しつつ、悪い大人たちを惨殺して回る、『13日の金曜日』と同じような(公開年も同じ)スラッシャー映画です。これも原題は「気を付けた方がいいよ/You Better Watch Out」だったのですが、「クリスマスの悪魔/Christmas Evil」と改題されました。

これらクリスマスホラーの決定打と成ったのが『悪魔のサンタクロース/惨殺の斧』でした。「ポスターやテレビCMを見た子どもたちが、サンタクロースに脅えるようになった」と、全米のPTA団体から抗議が殺到し、NYでは上映反対運動まで巻き起こったのですが、皮肉なことには、その御陰で、シリーズが第5作まで作られる程の、意外なヒット作と成ったのです。原題は「Silent Night,Deadly Night/聖し死の夜」でした。そして、この作品のヒットの御陰で、例の『聖し血の夜』も(改題されて)陽の目を見たという訳です。

2.サンタとなまはげ

『悪魔のサンタクロース/惨殺の斧』のポスターは、サンタクロースの衣装を着た何者かが、雪の積もった屋根の上、煉瓦造りの煙突から民家に侵入しようとしている絵柄です。右手には「惨殺の斧」が握られていて、「死の夜/Deadly Night」の赤い文字からは血が滴っています。日本の毒々しいポスターを見慣れている私たちとしては、こんなデザインのどこが、そんなに子どもたちを脅えさせたのかと思います。

そう言えば、秋田県の「なまはげ」も出刃包丁を手にしています。あれは、冬に働かないで、囲炉裏に当たって怠けてばかりいる、子どもや初嫁の手足に「なもみ」と言われる低温火傷が出来るそうで、それを剝ぎ取るために包丁(あるいは鉈(なた)、もしくは御幣の付いた杖)と桶(勿論「なもみ」を入れる)を持って、家々を回っているのだそうです。「なもみ」を「剝ぐ」から「なまはげ」なのだそうです。

サンタのモデルは、言うまでもなく、3世紀の小アジアはミュラの司教、聖ニコラウスです。しかし、モデルは1つではありません。様々な要素が入り混じっているのです。もう1つは「冬親爺」=「ヘル・ヴィンテル/Herr Winter」です。ヴァイキングが一族の誰か1人に、冬を擬人化した人物を演じさせ、それを丁重に持て成すことで、厳しい冬に挨拶をして、冬を懐柔しようとしたのです。「冬親爺」は、フード付きのコートを羽織り、頭に蠟燭を灯した柊の冠を被っています。これが後に、ドイツで「クリスマス親爺」=「ヴァイナハツマン/Weihnachtsmann」と呼ばれるように成ります。サンタクロースのことを、英国人が「ファーザー・クリスマス/Father Christmas」、フランス人が「ペール・ノエル/Père Noël」と呼ぶのも、恐らく、同じ「冬親爺」の流れを汲むからでは無いでしょうか。

他にも様々な要素が入り交じっています。「ペルヒタ/Perchta」(独)は角のある仮面を付けた怪物で、日本の獅子舞を思わせます。女サンタである「ベファーナ/Befana」(伊)や「バブーシュカ/Babushka」(露)は箒に乗って空を飛び、煙突から民家に侵入します。サンタの従者と言えば、日本ではトナカイだけですが、「黒いピート/Zwarte Piet」(蘭、白)や「鞭打ち爺さん/Le Père Fouettard」(仏)は悪い子を殴りますし、半獣半人の「クランプス/Krampusz」(独、洪)は人の顔に煤を塗り付けます。

『悪魔のサンタクロース』のポスターに、全米の子どもたちが恐怖したのは、もしかしたら、彼らの潜在意識の中にある、これら「黒いサンタクロース」の禍々しい記憶を呼び覚ましたからでは無いでしょうか。

3.クリスマスの親爺

1983年の大島渚監督作品『戦場のメリークリスマス』(Merry Christmas Mr.Lawrence)を御覧になった方は、酒に酔ったハラ軍曹(ビートたけし)が「クリスマスの祝いだ」とばかり、勝手に営倉(懲罰房)入りの捕虜、ロレンス(トム・コンティ)とセリエ(デイヴィッド・ボウイ)を出してしまう場面を覚えて居られるでしょう。

「ロレンスさん、ファーゼル・クリースマス、知っていますか? 今夜、私がファーゼル・クリースマス」と言うのです。原作はローレンス・ヴァン・デル・ポストの『影の獄にて』。戦時下のジャワ島の日本軍の捕虜収容所を舞台にした小説です。私の手元にある「ペンギン」のペーパーバックを開くと「Fazeru Kurīsumasu」と綴られています。

既に明治40年代には、「サンタクロース」という名称が日本の一般社会で使われていました。にも拘わらず、大正生まれ(多分)のハラ軍曹が「ファーザー・クリスマス」と言うのです。ここから、もしや彼は聖公会系の教会の日曜学校に(あるいは、クリスマス会に)一度くらい行ったことがあったかも知れない、そんなことを私は妄想してしまうのでした。

牧師 朝日研一朗

【2017年12月の月報より】

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2017年10月29日

異端審問と魔女狩り

「宗教改革五百年記念」と称して、様々なイベントが行なわれているようですが、違和感を禁じ得ないのは、専ら「宗教改革の成功」だけを記念して、お祝いしているように思われる点です。ルター以前にも、宗教改革の運動は何度も起こっていました。但し、その都度、ローマ教会の強権により圧殺されていたのです。所謂「実現しなかった宗教改革」が幾つもあったのです。

ボヘミアのヤン・フスは、聖書の自国語への翻訳においても、免償符批判においても、ルターの先駆けとなる人物です。1415年に火刑に処せられています。ルターの宗教改革を溯ること、百年も前の出来事です。プラハの礼拝堂で「真理が勝つ」と説教をするフスの勇姿は、アルフォンス・ミュシャ(ムハ)の巨大な絵画「スラヴ叙事詩」にも描かれています。

そのフスに影響を与えたのが、英国のジョン・ウィクリフです。ウィクリフは聖書の英訳を行ない、堕落したローマ教会を批判し、聖餐の化体説も否定しました。その結果、フスが火刑に処せられたのと同じ年に、ウィクリフもまた異端者として断罪され、ローマ教皇庁は彼の墓を暴き、著書を焼くことを命じました。

その他、メディチ家と対決して絞首刑に処せられた、ジロラーモ・サヴォナローラ、異端審問にかけられ、終身禁固刑にされたヴェーゼルのヨハン、オランダのヨハン・ヴェッセル等、「宗教改革前の宗教改革者」がいたことを忘れてはなりません。これらの改革者たちは「異端/Haeresis」の宣告を受け、迫害されたのです。

更に溯れば、11〜13世紀、南仏トゥルーズに起こった「アルビ派」、リヨンから南欧に拡がった「ワルドー派」、東欧の「ボゴミール派」のことも思い出されます。彼らは十把一絡げに「カタリ派」と呼ばれていました。この人たちは、度重なる「十字軍」によって殲滅虐殺されたのです。その二元論的な教えから、世界史の教科書でも「異端」と烙印を押されています。しかし、プロテスタントの代名詞とも言える「ピューリタン/清教徒」という語も、そもそも反対者たちが「カタリ派」という意味で用いた蔑称でありました。「カタリ」はギリシア語の「カタロス/聖潔な、純粋な」から来ているのです。

ローマ教会によって異端審問制度が大規模に整備強化されたのは、13世紀前半「カタリ派」の撲滅が目的でした。それが15世紀には宗教改革者たちを弾圧し、一般庶民の間でも「魔女狩り」として猛威を振るうこととなります。密告が市民の義務とされ、拷問や処刑が日常茶飯事となります。ローマ教会だけではなく、宗教改革者の陣営内でも、異端審問や魔女狩りが行なわれていたのですから、皮肉としか言いようがありません。例えば、カルヴァン支配下のジュネーヴでは、神学者のミシェル・セルヴェが火焙りにされました。

「宗教改革五百年」を記念するのは結構ですが、プロテスタントの先駆けとなった信仰共同体や改革者たち、宗教改革の余波とも言える「魔女狩り」で殺されていった無辜の民、そこにも、私たちと繋がる何かが確かにあることを覚えたいのです。


【会報「行人坂」No.255 2017年10月発行より】

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収穫の主に願いを

1.収穫感謝

日本基督教団では、11月第4主日を「収穫感謝日」として礼拝を守っています。「詩編」67編8節が「大地は作物を実らせました。/神、わたしたちの神が わたしたちを祝福してくださいますように。」と歌っているのは「収穫感謝祭の歌」とされています。

ユダヤ教の収穫感謝祭は、春と秋、年に2回ありました。従って、ヘブル語の「収穫」という語も2つあるのです。「カーツィール」は「刈り入れ」、麦の収穫を意味します。「バーツィール」は「摘み取り」、葡萄の収穫を意味します。

4月中旬に大麦の刈り入れが始まり、レンズ豆、スパイスに使うクロタネ草(Nigella)を収穫、その2〜3週間後に小麦、スペルタ麦と続きます。同じパレスチナ地方でも収穫の時期は地域によって差があり(桜前線みたい)、温暖なエリコ付近では、4月に大麦の刈り入れが始まりますが、地中海沿岸地方では1週間遅れ、丘陵地帯では更に1週間遅れで行なわれたそうです。結局、地域による適時の違いから、大麦刈り入れから小麦刈り入れまで、全収穫が完了するのに7週間かかったそうです。

それで収穫の鎌収めの祭りを「七週祭」と呼ぶように成ったようです。ヘレニズム時代には「ペンテコステ/五旬祭」と呼ばれます。「過越祭」の日曜日から数えて50日目の日曜日に当たるからです。こうして旧約聖書の「七週祭」は、新約聖書では「五旬祭」と呼ばれるように成り、私たちは今も「ペンテコステ」を祝っているのです。

それに対して、葡萄や無花果の摘み取りが終わった後に、古代のイスラエル人は「仮庵祭」を祝いました。秋分の日に近い満月の日(9月中旬から10月中旬の間)に始まり、それから1週間続く「秋の収穫祭」です。

2.建国神話

「収穫感謝日」は国や地域によって異なります。収穫の作物と時期が異なるからです。スイスの改革派教会では9月に「Herbst-Communion/収穫の愛餐」が祝われています。ドイツ福音主義教会では、9月29日の「聖ミカエルの日」の後の日曜日が「収穫感謝日」とされています。英国では8月1日に「Lammas Day/ラマスの日」が祝われます。「ラマス」とは「laof mass/一塊のパンのミサ」の事です。

さて、米国では「収穫祭」を、11月の第4木曜日に祝っています。各家庭で七面鳥を料理して食べるので「Turkey Day/七面鳥の日」と言われています。

米国民は、メイフラワー号に乗って北米大陸に入植した最初の清教徒(ピューリタン)たちを「ピルグリム・ファーザーズ/Pilgrim Fathers」と呼んで「国父」のように記念しています。どうして「ピルグリム/巡礼者、旅人、放浪者」なのかと言えば、上陸から10年後、プリマスに入植地を作り、2代目の知事と成ったウィリアム・ブラッドフォードが、自分たちの仲間を記念して、そのように呼んだからです。

「ヘブライ人への手紙」11章13節「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表わしたのです」。ここで「仮住まいの者」と訳されているのが「pilgrims」です。この聖書からの引用だったのです。

1620年、清教徒たちが北米大陸に入植した冬は大寒波で、寒さと飢えのために半数以上の人が死んだと言われています。しかしながら、近隣の先住民、ワンパノアグ族からトウモロコシ等の栽培の仕方を教えて貰い、翌年の秋には豊作でした。そこで先住民を招いて、神の恵みに感謝して、共に御馳走を頂きました。これが「収穫祭/Thanksgiving Day」の始まりとされる、白人たちの「建国神話」です。日本のプロテスタント教会が11月第4日曜日を「収穫感謝日」としているのも、この米国の風習を受け継いでいるのです。

3.断腸の念

感動的な「建国神話」の「収穫祭」も、先住民の側から見ると「噴飯物」です。ワンパノアグ族の末裔は「感謝祭」の日に、先住民諸部族に呼び掛けて「全米哀悼の日」を開催しています。喪服を着て、虐殺された先祖たちに祈りを奉げているのです。

入植者たちは(土地所有の概念を持たない)先住民の土地を奪って、入植地を拡げて、ワンパノアグ族の度重なる抗議にも拘わらず、森林を伐採し、猟場を奪い、伝染病を蔓延させました。遂には、先住民を殺したり、女子どもを捕らえて奴隷商人に売り飛ばすように成りました。ワンパノアグ族が入植地を攻撃をすると、入植者たちはモホーク族やモヒカン族に彼らを攻撃させて、ワンパノアグ族を虐殺させました。これを「フィリップ王戦争」(1675年)と言います。ワンパノアグ族の酋長メタコメットを、白人は「フィリップ王」と呼んでいたからです。古代マケドニア王国のフィリポス2世から付けた仇名とされています。恐らく、からかって冗談半分に付けたのでしょう。

米国「建国神話」の裏面を思うことで、私は聖書の一節を思い出しました。「マタイによる福音書」9章36節「(イエスは)群集が飼い主のいない羊のように打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた」。「深く憐れまれた/エスプランクニステー」は「はらわた/スプランクノン」です。「断腸の思い」、痛切な悲しみです。そして、主は弟子たちに言われます。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい」。イエスさまの仰る「収穫」は「打ちひしがれた」大勢の人たちです。神さまは「終わりの日」に、この人たちを迎え入れて下さるのです。

この世の収穫(成功)を求めて働く人は多いのですが、神の国の収穫(救済)のために働く人は少ないのです。それ故、私たちは「収穫の主」に祈らざるを得ないのです。

牧師 朝日研一朗

【2017年11月の月報より】

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2017年09月24日

ジャンプ展

1.六本木ヒルズ

第18号台風一過の9月18日、「創刊50周年記念 週刊少年ジャンプ展」に行って参りました。会場は六本木ヒルズの森アーツセンターギャラリーです。台風が接近する週末に、軽い気持ちで「もしも月曜日、晴れたら連れて行ってやる」と、二男に約束していたのですが、明けて月曜日は青天の夏日…(何という晴れ男でしょう)。と言う訳で、二男の移動介助として同行することになったのでした。

今年の春から、二男も電動車椅子の運転が出来るようになったので、「介助」と言いながらも、随分と楽になりました。東京メトロ南北線麻布十番駅から徒歩で、環状3号線をトコトコ進みます。途中、鳥居坂下交差点の急傾斜舗道を横断する際には、親子で戦々恐々としました。坂道を上ったり下りたりする以上に、車椅子は坂道を横断する方が恐ろしいのです。「ヒルズ」に着いてからは、段差のない入り口が見付からず、エレベーターの乗り換えに四苦八苦。これは帰りも同じでした。

エスカレーターや階段が自由に利用できる人には、中々、理解して貰えません。昔のデパートと違って、最近の複合施設(ショッピングモール)はシネコンや美術館やホール等が入っていて、各階ごとにデザインや設計を変えているせいか、エレベーターの場所が移動するのです。況してや、「ヒルズ」のように丘の上から麓に掛けて、幾つかの建造物が連なっていると、どこから出入りしたら良いのか(地上は何階なのか)分からなくなるのです。

2.少年ジャンプ

要するに「少年ジャンプ」の回顧展、歴代「少年ジャンプ」に連載されたマンガの原画展なのです。「少年ジャンプ」は1968年に創刊されて、来年が50周年だそうです。それを「創刊〜1980年代」「1990年代」「2000年代〜」と3期に分けて開催する、今回は、その「VOL.1」なのでした。

今回の目玉は、武論尊+原哲夫の『北斗の拳』、ゆでたまごの『キン肉マン』、鳥山明の『Dr.スランプ』『ドラゴンボール』、高橋陽一の『キャプテン翼』、秋本治の『こちら葛飾区亀有公園前派出所』、北条司の『キャッツハート(トランプ)アイ』『シティハンター』、車田正美の『聖闘士星矢』と、主に1980年代のヒット作品です。これら一時代を画した大ヒット作品には、1作品ごとに1つのスペースが割り当てられています。

しかしながら、私としては、創刊直後のスペースに展示されていた、永井豪の『ハレンチ学園』、本宮ひろ志の『男一匹ガキ大将』に釘付けで、感動してしまいました。それらの原画を見た瞬間、小学校の風景(スカートめくり、番長ごっこ)が蘇えって来たのです。その影響力の深さと濃さたるや一生もの。恐るべしです。

吉沢やすみの『ど根性ガエル』、とりいかずよしの『トイレット博士』、梶原一騎+井上コオの『侍ジャイアンツ』、山川惣治(『少年ケニヤ』の!!)+川崎のぼるの西部劇『荒野の少年イサム』、池沢さとしのレース物『サーキットの狼』、これらが私が小学校時代に愛読していた「ジャンプ」でした。ところが、同じ時代に「ジャンプ」には、中沢啓治の『はだしのゲン』も連載されていたのです。しかるに、私自身は『はだしのゲン』は図書館で読んだ印象しかありません。図書館に置かれている唯一のマンガだったのです(当時は、手塚治虫すら置かれていませんでした)。

諸星大二郎の『妖怪ハンター』『孔子暗黒伝』にもビックリ。所謂、民俗学的ホラー、伝奇文学的ホラーですが、「ジャンプ」に連載されていたとは知りませんでした。読んだのは大学生になってからです。諸星の後継、星野之宣の海洋SF物『ブルーシティー』については、その連載を覚えているのです。つまり、諸星のマンガは、当時の私には難し過ぎて、目で見ていても、心と頭で読んではいなかったのでしょう。

これらは皆、1970年代のマンガ作品です。こうして改めて俯瞰してみると、ジャンルは別として、70年代の「ジャンプ」の絵は(星野を別として)洗練されていませんが、「荒ぶる魂」とでも言うべき猛々しさに満ち溢れていたように思います。

3.神さまもいる

今泉伸二の『神様はサウスポー』(1988〜90年)のカラーイラスト(1990年)にはビックリ。コピーは「ボクサーにして修道士!目指すは世界チャンピオン!!」。主人公がノックダウンした対戦相手を抱きかかえています。その背後には、十字架のキリストが…。こんなマンガがあったのですね。解説によると「アメリカの修道院で育った少年」が亡き父の夢であった「ボクシング世界チャンピオンを目指す」のだそうです。「神の力が宿る左から繰り出す必殺パンチも話題になった」とも書いてあります。

そう言えば、『北斗の拳』(1983〜88年)には、キリスト教の祈りを感じさせる原画がありました。十字の墓標を刺した盛り土の上に、種を蒔くケンシロウ。それを見て「ケッ そんな所に まいたって実るわけ ねぇだろ」と吐き捨てる、スレッカラシのバット。「実るさ…」と種を蒔き続けるケンシロウ。「下に あの老人が 眠っている」と、十字架の上から種を蒔き続けるケンシロウ、天の雲間からは光が差し込んでいる(1983年)。

ケンシロウに七つの傷を負わせた男、南斗聖拳の使い手シンを倒した後、その埋葬の準備を黙々と続けるケンシロウに向かって、「なぜだよ なぜ そんな男に墓を つくってやるんだよ」と吐き捨てるバット(またかよ)。その時、ケンシロウはシンの遺体を抱き上げて言うのでした。「同じ女を 愛した 男だから」と。彼らの前には墓穴が、遠景には、瓦礫と化したビル群がありますが、なぜかケンシロウの後ろには、大きな十字架が描かれているのです。しかも、コマからはみ出しちゃってます!(1983年)。ある意味、現代の聖画です。

牧師 朝日研一朗

【2017年10月の月報より】

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2017年08月27日

ドラマと映画の落穂拾い

1.夏目漱石の妻

録画したままの番組(映画やドラマ)を、何とか夏休みの間に観ようと思ったのですが、やはり、全く消化できませんでした。NHK土曜ドラマ『夏目漱石の妻』(尾野真千子、長谷川博己の出演)は、なぜか最終回だけが未見のまま何ヶ月も放置されていたのですが、先に観た妻が「やはり、オノマチは凄く良い!」と強く勧めたこともあり、いの一番に鑑賞、漸く観終えることが出来ました。

妻のオノマチ好きは、連続テレビ小説の『カーネーション』、土曜ドラマの『足尾から来た女』、映画『きみはいい子』等、その都度、聞かされているので「ああ、やっぱり、そうなのね」…。しかし、私からすれば、どうしても長谷川博己の演技に興味が行くのです。『シン・ゴジラ』も良かったのですが、何と言ってもBSプレミアム版『獄門島』の金田一耕助の情緒不安定ぶりが衝撃的でした。特に、了然和尚役の奥田瑛二との最終バトルでの「無駄無駄無駄無駄無駄無駄!無駄ぁぁ!」という攻撃の台詞には、一緒に見ていた二男までが、思わず仰け反り、「ぎゃあ!」と声を上げた程です。マンガとアニメでお馴染み『ジョジョの奇妙な冒険』のDIO、もしくはジョルノ・ジョヴァーナの口癖なのです。

それはともかく『夏目漱石の妻』ですが、要するに夏目漱石と鏡子の夫妻を演じる二人の演技合戦なので、『獄門島』の時も思ったのですが、こうして互いに火花を散らす役柄だと、役者さん同士は共演しても、きっと仲良くはなれないのだろうなと思いました。妻視点のドラマなので、幾分ロマンチックなエンディングにしてありましたが、夫視点で描いたら、もっと渋い終わり方もあり得たかも知れません。

2.悲しき破壊神

『精霊の守り人U/悲しき破壊神』全9話も、7月末くらいから空いている時間を利用して、少しずつ消化していましたが、目出度く観終えることが出来ました。山本八重を演じたNHK大河ドラマ『八重の桜』以来、綾瀬はるかはアクション(殺陣)が出来る女優として定着した感があります。さすがに第2シーズンともなると、女用心棒バルサの役に全く違和感を抱かせなくなりました。

今回のバルサは、破壊神の依り代にされた少女アスラを守って、ロタ王国の呪術師たちと対決するのですが、ライバルのシハナ役の真木よう子の台詞回しが相変わらず舌足らずで、私は気になって仕方ありませんでした(「それが可愛い」と仰るファンがいることも知っていますが…)。因みに、妻の目撃情報によると、真木よう子は(丁度このドラマの撮影中に当たると思われる時期)目黒アトレのユニクロで下着の大量買いをしていたそうです。さぞかし、アクション演技で汗をかいたのでしょう。

第1シーズンでは、バルサは精霊の卵を宿した新ヨゴ国の王子チャグムを守って戦っていたのですが、今回、そのチャグム(板垣瑞生)は青年に成長していて、サンガル王国の捕虜になったり、海賊に助けられたり、タルシュ帝国の王子に陰謀を持ち掛けられたりと、別の国で冒険をしているのです。こうして全く平行線を進んでいた2つのドラマが、最終の第9話で繋がるのです。チャグムの母親ニノ妃から「用心棒」の依頼を受けたバルサが、絶体絶命のチャグムの所に駈け付ける、この場面では不覚にも泣いてしまいました。「いいかい、私の後ろから離れるんじゃないよ!」「忘れたのかい?私はあんたの用心棒だよ」。ああ、私もこんなカッコいいお姐さんが欲しかった…。

3.桜の花びらが

『君の名は。』で有名な新海誠監督の『秒速5センチメートル』(2007年)も、漸く観ることが出来ました。「一緒に観ようね」と男の約束を交わしていた二男(入院中)からは「裏切り者!」呼ばわりされてしまいました(これが人の世です)。しかも、実際に鑑賞してみて、内容の重さにすっかり打ちのめされてしまいました。敢えて言うならば『雲のむこう、約束の場所』(2004年)に連続する味わいです。

『雲の向こう』においては、思い出の津軽半島の風景があり、その海峡の向こうには北海道の大地が広がっています。それに比べると、東京の街は多少なりとも無機質で薄汚れていますが、それでも美しい。同じように『秒速』においても、東京と地方の風景とが、登場人物たちの「心の距離」として描かれています。

第1話「桜花抄」、両毛線岩舟駅(栃木県)の佇まい、とっぷりと暮れて雪の積もった田畑の遠くに仄かに見える岩船山(東映「スーパー戦隊」もののロケ地)の黒い影、寒くて切なくて、死ぬまで引き摺りそうな予感です。第2話「コスモナウト」、水平線と地平線に丸みを強調して、種子島(鹿児島県)の海と空を表現した風景、これは、私も都井岬の近所に住んでいたので、凄く納得できます。吹っ切れているように見えて、海の青さも空の青さも悲しみの色だったことに、後になって気付かされるような感じ。

第3話「秒速5センチメートル」は、東京で社会人になった主人公たち(貴樹、明里)の物憂い日常が描かれていますが、そのエピローグが、映画冒頭アバンタイトルのプロローグと合わせて「インクルージオ/囲い込み」の反転構造になっています。プロローグと同じく桜の季節で、桜の花びらが風に舞っています。題名の「秒速5センチメートル」とは、新海監督がノルウェーの新聞の取材インタビューで語ったところによると、「桜の花びらが舞い散る速度」なのだそうです。

地方に離れ離れになってしまった時と違い、お互いの物理的距離は狭まったのですが、互いに異なる人生を歩み出してしまった彼らの「心の距離」(秒速5センチメートルで離れて行って13年間)は埋まらず、小田急線の踏切の「すれ違い」として描かれるのでした。

牧師 朝日研一朗

【2017年9月の月報より】

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