2016年05月29日

東京YMCA山手学舎

1.山手学舎

私は月に1回、高田馬場に通っています。東京YMCA山手学舎に行き、その舎生さんたちと聖書研究会をしているのです。昨年秋に留学生が1名途中入舎しました。この春6名が退舎して、3名が新入舎しました。それで差し引き現在、舎生は12名です。ここで、ザッと12人の紹介をして置きましょう。

早稲田大学商学部4年生のM君(宮崎市出身)、さすが、彼の作った「チキン南蛮」は絶品でした。東京大学法学部4年生のS君(桐生市出身)は頭脳明晰な人ですが、ここに来て、実存的な悩みを抱えています。立教大学経済学部3年生のF君(北海道八雲町出身)は、元高校球児のスポーツマンです。東京大学文学部3年生のK君(豊島区出身)は官僚を目指していますが、時折り見せるズッコケぶりが憎めません。東京農業大学国際食糧情報学部2年生のF君(志木市出身)はバスケットボール選手、『黒子のバスケ』の「敵キャラ」に出て来そうな体格の持ち主です。東京理科大学理学部2年生のI君(新潟市出身)は、数学科なのに、小説を書くのが趣味の文学青年です。駒澤大学経済学部2年生のN君(苫小牧市出身)は、アニメ『銀魂』のファンで、不思議な個性の持ち主です。早稲田大学法学部1年生(日大を退学して入り直した)のK君(長野市出身)は、政治家の事務所でバイトをしていて、将来、自分も政界に関わりを持ちたいと思っています。

昨年秋に入舎したのが、早稲田大学大学院創造理工学研究科1年生のY君(四川省出身)です。十把一絡げに「中国人は…」等と言ってはダメです。非常に奥床しい性格の人です。そして春に、早稲田大学文学部3年生のM君(下関市出身)、早稲田大学基礎理工学部1年生のK君(三島市出身)とY君(和歌山市出身)が加わりました。

2.聖書研究

改めて確認してみると、私が山手学舎の聖書研究を担当するようになったのは2011年度からでした。月1回(と言っても、夏休みや年度替りがあって、実際には年に9回程度ですが)の聖書研究に通い、加えて、入舎式と退舎式の礼拝説教を担当させて頂いています。当教会のKさんから依頼されてのことでした。Kさん自身も山手学舎の出身であり、現在「山手学舎OB会・後援会」の中心メンバーです。

依頼を受けたのは丁度、二男が肢体不自由児と成って間も無くの頃でした。当時、私自身の気分としては、夜に外出するのも億劫だったのです。ところが、妻が「外に出て、若い人たちと接した方が良いよ!」と背中を押してくれたのです。こうして仕方なく始めた務めでしたが、少しずつ学舎に行くのが楽しみに成って来ました。

1つには、高田馬場という街の魅力もあります。早稲田界隈には、今でも古書店が並んでいます。例えば、ある日のコース。タレントの郷ひろしさんが店主を務める、中古レコード屋「レコーズ・ハリー」で、60〜90年代の歌謡曲やポップスの盤を漁りながらお喋りをし、もう1軒の中古レコード店「タイム」にも立ち寄ります(残念ながら、この春に閉店)。「早稲田松竹」の2本立て興行のポスターを眺めながら、「元祖仲屋むげん堂」でインド&ネパール雑貨を物色、時間調整のために日本茶専門喫茶「茶々工房」で「ほうじチャイ」を飲みます。忽ち気分は学生時代にタイムリープです。

このような趣味的なモチベーションもありますが、勿論、それだけではありません。地方から上京して来て、経済的にも厳しい中で、学業とアルバイトに精を出している学生たちに対して、次第に、私は強いシンパシーを抱くようになりました。

親元を離れて都会で暮らす心細さ、仕送りやバイト料で繋ぐ綱渡りのような生活、将来への夢と希望、不安と迷い…。自分もまた、かつて同じだったからです。そんな学生たちに寄宿舎(安心して暮らせる場)を提供しているのが、東京YMCA山手学舎なのです。それと同じように、聖書研究の場も「精神的な宿り木」に成れたらと思っています。聖書には「生きるためのヒント」や「隠れスイッチ」が色々あるからです。聖書が思い込みや社会通念、固定観念を突き崩してくれたり、価値の逆転や発想の転換を促してくれたり、大切な何かに気付かせてくれたり、そんなことが一杯あるのです。

3.反時代的

何しろ、イマドキ2人1部屋です。「日直」の務めや「舎懇」というミーティングもあり、その上、「聖研」もあるのです。舎生の多くは夏休みに成ると、強制ではありませんが、石巻にボランティアに行ったり、YMCAキャンプのリーダーとして奉仕したりしています。山手センターのバザーでは、カレーを調理販売しています。

奉仕活動が日常的にあるのです。これは、全くイマドキではありません。

イマドキの学生さんは、自宅から通うかワンルームマンションに暮らしています。個室の中で、社会や他人と関わりを持たないで、孤立していることが、暮らしの前提に成っています。しかし、これは「暮らし」とは言えません。ペットショップのケージに入っている子犬や子猫と同じ眺めです。ところが、学舎では、同室者が話し掛けてくるし、お互いに気遣いも必要だし、夜には、鬱陶しい同室者の鼾や寝言や歯軋りが聞こえて来たりもするのです。でも、ここから「共に生きる」事が始まるのです。

当番ならば、他人のゴミも一緒に出したり、共用スペースである食堂やトイレや風呂を掃除したりしなければなりません。しかし、それが「暮らし」なのです。この「暮らし」の経験がその後の人生の原点に成って行くのです。山手学舎のOBたちが数十年の時を経ても、交流を続けていることを見れば、それは明白です。「時代」は「暮らし」の実感を喪失させ、人との関わりを断ち切る方向へと進んでいます。従って「反時代的」は最大の賛辞です。

牧師 朝日研一朗

【2016年6月の月報より】

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2016年04月24日

不安の立像

1.ゴジラの足音

2016年4月14日(木)夜、翌日の前夜式の準備も終わり、私は子どもたちと居間で寛いでいました。長男が「お父さん、もう新作ゴジラの最新予告映像が出ているよ」と教えてくれたので、彼のスマホを奪い取り、興奮して見ていました

『エヴァンゲリオン』の庵野秀明と、平成『ガメラ』三部作や平成版『日本沈没』等を手掛けた樋口真嗣とが、共同で監督をした『シン・ゴジラ』(GODZILLA Resurgence)です。2011年に『巨神兵 東京に現わる』で、コンビを組んだ二人です。その時、「巨神兵」を造型した竹谷隆之が、ゴジラの造型を担当しています。竹谷は雨宮慶太作品(『ゼイラム』二部作、『鉄機甲ミカヅキ』『牙狼/GARO』)の造型師です。そのせいか、何か得体の知れぬ禍々しさを感じさせる予告編でした

敢えて言葉にするならば、それは「妖怪のようなゴジラ」でした。派手な都市破壊の場面は余り無かったように思います。しかし、都市の中に立ち尽くしているゴジラの絵に、感覚を逆撫でされるような気味悪さがありました。まるで「マンモスフラワー」のような…。あれは「ゴジラ」と言うよりは、むしろ「ビオランテ」のようでした。長男は「何かキモイ」と漏らしました。でも、その時には、何が「キモイ」のか分かりませんでした

見終わった後しばらく、そんな感想を語り合っていると、突然、ドンッと地鳴りが響きました。それは「ゴジラの足音」のように思われました。午後8時58分、東京23区で震度2の地震があったのです。テレビの速報で「震度2」と言われましたが、私たちにとっては、それ以上に、何かしら気味悪さを感じさせる一撃でした。

2.不吉なる予兆

その予感は現実のものと成りました。その28分後、「緊急地震速報」のチャイム音が「チャンチャン、チャンチャン」と、テレビから鳴り響き、「緊急地震速報です。強い揺れに警戒してください」というアナウンスが被さりました。午後9時26分、熊本で震度7(マグニチュード6.4)の最初の地震が発生したのです。東京で私たちが感じた震度2の揺れと、熊本の地震との関連性は無いとされています。しかし、今でも大勢の人が皮膚感覚として「あれは前兆だった」という実感を持っているのです

ところで、あの「緊急地震速報」のチャイム音は、伊福部達(いふくべ・とおる)という東大の音響工学の先生が考案したものです。その名前から推察される通り、『ゴジラ』や『大魔神』の音楽で知られる現代音楽の作曲家、伊福部昭は彼の叔父に当たります。伊福部昭の交響曲「シンフォニア・タプカーラ/Sinfonia Tapkaara」(1954年)の第3楽章「Vivace」冒頭の和音の引用だったのです

伊福部昭は北海道で生まれ育ち、アイヌの人たちとの交流の中で幼少期を過ごしました。そのせいか、アイヌ音楽を素材に使うことが多いのです。「タプカーラ」は、アイヌ語で「立って踊る」という意味です

そして思い出したのは、1995年の阪神大震災の時に被災した知人の子どもさんが、1月17日午前5時46分、激震にマンションが揺さ振られ、轟音と共に部屋の中を家具が飛び回った瞬間を思い返して、「ゴジラが来たと思った」と証言したことです。ここでも「ゴジラ」に繋がるのですから不思議です

「怪獣/モンスター」がラテン語の「モーンストルム/monstrum/警告、予兆」から来ていることは、以前にも申し上げました。更に言えば、動詞の「モネオー/moneo/思い出させる、注意する、戒める」から派生したものです。この国の為政者と官僚たちは、これらの出来事を通して、東日本大震災と原発事故による難民に思いを向け、原発再稼動を強行したことを悔い改めなければならないのです。さもないと、これからも、このような事象は頻発し、私たちは「一億総難民化」してしまうでしょう。

3.死すべき存在

現在、私たちは皆、言い知れぬ不安を感じながら暮らしています。高度経済成長時代に対する素朴なノスタルジー等は、もう疾うの昔に消費してしまいました。私たちを不安に陥れているのは、首都直下型地震などの激甚災害だけではありません。やがて、テロの危険も現実に成るでしょう。収束しない原発事故、深く静かに進行する放射能汚染、急激な少子高齢化、地方の過疎空洞化、経済成長神話の崩壊…

しかしながら、私たちが、このような数多くの不安を感じながら生きることは、とても大切だと思うのです。むしろ、何も感じないことの方が恐ろしいと思うのです。とても不安であることを素直に告白しようではありませんか。真っ当な人間ならば、自分の将来に、自分の子孫の将来に、底知れぬ不安を感じるはずです

テレビを点ければ、外国人が日本を誉めてくれる番組と、無芸タレントがガツガツ大食している番組しかありません。かなり前から、そんな袋小路のような状態が続いていて、異常だと思っていました。今は、熊本の群発地震が中心に報道されています。この不安と悲しみに満ちた世界こそが、この世界の現実なのです

その昔、諸星大二郎に『不安の立像』という恐ろしい作品がありました(短編集『アダムの肋骨』(奇想天外社)収録)。白昼、ある駅で飛び込み自殺があり、電車が停まりました。サラリーマンの一人は車窓から、自殺現場に立つ奇妙な影のような生き物を見るのですが、他の乗客たちは誰も気付きません…(続きはご自分で読んでください!)

私たちは「死すべき存在」なのですから、本来、存在の不安と向き合って生きて行かなくてはならないのです。それは、私たち自身の実存が作り出す影のようなものなのです。

牧師 朝日研一朗

【2016年5月の月報より】

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2016年03月27日

未来の不確かなる希望

「未来の不確かなる希望/spes incerta futuri」というラテン語の成句があります。古代ローマの詩人、ウェルギリウスの『アエネーイス』第八巻に出て来る言葉だそうです。「お先真っ暗」なのは世の常。未来は定まらず、先が見えません。しかし、そうであればこそ、そこに希望もあるというものです。

放射性物質、化学物質による地球規模の環境汚染、地球温暖化によって引き起こされていると思しき、異常気象と巨大災害も頻発しています。その過程で、多様な動植物の種が日々刻々と死滅しています。外来種の侵入によって、その地方固有の在来種は駆逐されてもいる訳ですが、それは何も自然界だけの話ではありません。

経済のグローバル化によって、色々な意味で「境界」が急激に崩れ去りつつあります。民族固有の生活文化や言語、宗教や伝統風俗も、均一化の大波に晒されています。報道される戦争やテロ、難民や経済小国の財政破綻のニュースは、それらが表面化した結果です。ここでもまた、多様性が奪われているのです。

多様性を失った生態系が死滅するように、多様性を奪われた人間界の仕組みも滅亡が近付いているように思います。人類が滅びるのではないかも知れませんが(その可能性も多分にあるものの)、これからは、家庭消滅、地域集落消失、社会崩壊、国家破綻などの出来事が、あちらこちらで散発的に続いて行くように思います。

このようにして現在から未来に目を向けるならば、正直、誰でも暗澹たる気持ちになることでしょう。逸早く敏感に、そのような未来図を透視した人たちがいます。その結果、子どもを産まない決断をした女性を、私は何人か知っています。その内の一人は「子どもたちに安心して渡せるような未来を、到底、望めないから」と言っていました。もう三十年ほど前の話です。環境問題に取り組んでいる人でした。

彼女ほどに意識的な人は、今でも少数派だと思います。それでも、出生率は低下する一方です。子どもが生まれなくなっている社会的な要因は、マスコミで言われている通り、幾つも挙げることが出来ます。他方、不妊症に悩んでいる夫婦も多くあります。子孫を残すという生物としての営みが失われているのを見るにつけ、種としての人類は急速に衰退しつつあると思います。これこそは、地球環境と社会環境の激変に対応してのことでしょう。いや、逆に、対応し切れなくてのことかも知れません。

そう言えば、ウェルギリウスには「羊の群れの希望/spes gregis」という成句もありました。『牧歌』の一節だそうですが、その意味は「一人の大切な子」です。幼子のイエスさまが私たち人類の「希望」と成られたことを思い出します。そして、未来を慮って憂いに沈むよりも、今、私たちの目の前にいる「一人の子」を大切にしよう、そう思うのです。もし、未だ神さまが私たちを見捨てず、私たちに希望を置いておられるとしたら、その心でしょう。


【会報「行人坂」No.252 2016年3月発行より】

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わたしが命のパン

1.ホットクロスバンズ

基本的に「ご飯は米が食べたい」私です。それでも、ごく稀にですが、妻の負担を軽減しようと思い立ち、帰宅時にパン屋を訪れることがあります。かつて足しげく通ったのは、目黒新橋の近所にあった「丸栄」でした。「丸栄」無き後は、白金教会の向かいにある「HOBS/ホーブス」です。こちらは夕方には閉まってしまいます。そこで仕方なく行くのが「アトレ目黒店」の「神戸屋キッチンエクスプレス」なのです。どうして「仕方なく」かと言えば、チェーン店の大量生産のくせに、異常に値段が高いからです。やはり、パン屋はレジの奥に、パン焼きの工房があるような店でなくてはいけません。

それはさて置き、「棕梠の主日」の前夜、取り敢えず、翌日の朝食用に家族のパンを買いに入ったのですが、棚を見てビックリ仰天、十字の飾りの入った丸いパン、「ホットクロスバンズ/hot cross buns」を売っているではありませんか。「幸運のイースターバンズ」と銘打ってあります。値段は「1個180円」と成っていました。他の陳列に目をやると、「うさぎのチェリーパイ」や「イースターエッグサンド」と銘打った商品もあり、イースターにあやかって新作パンを製作販売したようです(「うさぎ」ではなく「うなぎのパイ」なら、私も買ったかも知れません)。

2.信じる事と食べる事

その後、「神戸屋」のHPで調べてみると、「幸運を呼ぶ!イースターには欠かせないイギリス伝統のパンです。シナモンを加えたしっとりと柔らかい生地にレーズン・クランベリーを練り込みました。後を引く美味しさです」と宣伝文句が並んでいました。それにしても「ホットクロスバン」が「1個180円」は高いのでは無いでしょうか。

英国の童謡に「ホットクロスバンの歌」(マザーグース)があり、そこでは、このように歌われているようです。「焼き立て、ほかほかのホットクロスバンだよ/1つでも、いや、2つでも、たったの1ペニー」。現在1ポンドが133円だそうですから、その百分の1として、1ペンス1円です。つまり、ホットクロスバンズは2個で1円なのです。

勿論、「神戸屋」に、ホットクロスバンズを「2個1円で売れ!」等と言うのは、全くの冗談です。私が常日頃の鬱憤をブツけているだけ。かなり滅茶苦茶な要求です。いや、実際「神戸屋」のパンにしては安いのです。そして、私は全く知りませんでしたが、「神戸屋」は何年も前から、コンビニやスーパーに卸す菓子パンとして「クロスバンズ」を売っていたのです。こちらの価格は88円でした。

イースターの前の金曜日、私たちは「受難日」と呼び、英語では「Good Friday/聖金曜日」と言いますが、クロスバンズは元々、この日に焼いて食べる習慣だったようです。レント(受難節)の始まる「灰の水曜日」の前日「懺悔の火曜日/Shrove Tuesday」が、いつの間にか「パンケーキの日/Pancake Tuesday」「パンケーキを焼く日」に成ってしまったのと同じような感じです。一見、不謹慎のような気もしますが、どこか大らかです。信仰生活が食生活に直結していて、庶民の暮らしに息づいているように思います。これを「信仰の土着化」と言うのでしょうか。その点については、日本のキリスト教の牧師としては、少しだけ羨ましくも感じるのです。

テレビ等のメディアは勿論の事、作家やエッセイスト、素人のHPやブログまで競って、西欧の食品や食文化を盛んに紹介しています。一昔前には誰も知らなかった「ホットクロスバンズ」の他、西欧各国のイースター料理なども逐一レポートされるようになり、新しがり屋の中には早速、現地に行って食べてみる人、自宅で作ってみる人も増えています。しかし、余りにも表面的では無いでしょうか。

私たちは日本人のクリスチャンとして、むしろ、日本の伝統食材、日常の食材を使った、自らの「レント料理」「イースター料理」、そして「クリスマス料理」を創作するべきではありませんか。今は亡き料理研究家の小林カツ代さん(日本基督教団ひばりが丘教会の会員でした)には、是非とも、そういうアプローチをして欲しかったのですが…。

3.共に食べて信じる者

イエスさまは「わたしが命のパンである」(ヨハネによる福音書6章35節)と宣言されました。「主の晩餐」では「取りなさい。これは私の体である」と言って、パンを裂いて弟子たちに与えられました(マルコによる福音書14章22節)。

いや、よく考えてみたら、パンだけではありません。「神の小羊」(ヨハネ1章39節)等という表現を聞いても、私たちは、英国アードマンアニメの「ひつじのショーン」「こひつじのティミー」、ディズニーの「こひつじのダニー」、サンリオの「ピアノちゃん」、ベネッセの「しまじろう」の「らむりん」と、可愛い羊キャラしか連想できません。しかし、羊肉を日常的に食べている中東の人たちにとっては、「小羊」もまた「食べ物」としてイメージされたのでは無いでしょうか。つまり、生きることは食べることと、食べることは信ずることと一直線に繋がっているのです。

そう言えば、聖餐用のパン(ローマカトリック教会では「御聖体」と言う)を、イタリア語では「il pane degli angeli/天使たちのパン(糧)」と呼ぶことがあります。キリスト信者は「天上の食糧」のお裾分けに与っているという訳です。斯くして、キリスト教は「食べて信じる宗教だったのだなあ」と、改めて思わされるのです。

どうして、わざわざ、イエスさまは復活の後、弟子たちと一緒にパンや魚をお食べになったのでしょうか。言うまでもありません。「命のパン」に与ることで天と地とが、共に食べることで兄弟姉妹が結ばれる、信仰の紐帯、それが「キリストの体なる教会」だからです。

牧師 朝日研一朗

【2016年4月の月報より】

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2016年02月28日

オルガンは教会の臓器

1.足踏みオルガン

「…おなかをつき出した歩き方で叔父は足早にオルガンの傍まで行き、馴れた馬に乗るみたいに、楽器の背中に一寸手をあてて床几みたいな椅子にまた一挙動で腰かけた。それで初めて顔がこちらを向いたが、僅かな間に貫禄が変わっていた。

麻雀の名人がパイをさわる手つきで鍵盤のストップ(音栓)を引き出しながら、少し尻を浮かして叔父はいちばん坐り心地のいい姿勢を一度決め、その手をのばして前もってひろげてあった楽譜を一つおさえた。熟練した機関士が時刻表を先ず点検する手つきである。…気がつくともう最初の音が鳴り始めていた。雅楽のような音が切れ目なしにひびいてくる。

…叔父はたぶん子供が子供自動車を漕ぐように二つの踏み板を踏みながら、右膝のわきで増音器の横木を押したり離したり加減しながら弾いている筈だ。しかし、こちら側から見ると、まるで書斎で老学者が本を読んでいる姿である。一度高い音を押えたあと右手を強く跳ね上げたが、それ以外は上体も動かない。」

童謡「サッちゃん」「ねこふんじゃった」「おなかのへるうた」「夕日が背中を押してくる」等の作詞でお馴染み、阪田寛夫の短編小説『足踏みオルガン』から引用しました。彼の叔父である大中寅二が、リードオルガンを弾く様子を描写した場面です。騎手、雀士、機関士、子供に老学者という比喩の変化が、大中が演奏に入って行く過程を表現していて、見事だと思います(『土の器』(文春文庫)に収録)。

阪田さんの御母堂、京さんも教会のオルガニストで、奏楽奉仕を退いてから天に召されるまでの最期の日々を描いたのが、芥川賞受賞作の『土の器』でした。因みに、阪田さんの短編小説には、かつて私も登場させて頂いたことがあるのです。『靴』という短編の中に「これから葬儀に行こうとしている伝道師」という役回りでしで、ドタバタしている様子が描かれています(『菜の花さくら』(講談社)に収録)。

2.オルガンの人生

去る2月23日午後2時30分、記念室に保存してあった、リードオルガンが搬出されて行くのを見送りました。彼女は大切に梱包されて、3人かがりで、楽器運送専用トラックに乗せられて、旅立って行きました。その様子を眺めながら、思わず「彼女は何十年くらい前から、この教会にいたのだろうか?」「何年くらい礼拝に奉仕したのだろうか?」と考えてしまいました。

当教会最高齢の奏楽者にお聴きしたところ、「私がこの教会に来た時から既にあった」と仰るので、戦前から教会に備えられていたものと思われます。京橋から目黒に移って、会堂建築をした折に、併せて設置したものかも知れません。どなたかが献品して下さったのかも知れませんし、他の教会から譲り受けたのかも知れません。

中を覗いて見ると、「山葉オルガン拾號形」「静岡縣濱松市日本樂器製造株式會社」という保証書が貼ってありました。保証書の発行は「拾年」とありましたので、大正10年(1921年)のものであるらしい。昨年、役員会が何とか活用できないかと考え、「日本リードオルガン協会」の会員の方に調べて頂きましたが、修理にどれくらいの費用と歳月がかかるのかは全く分からないということでした。現在は、リードオルガンの製造も新規受注もなくなって久しく、従って修理を請け負う業者も存在せず、見積もりというものが、まるで成り立たなくなっているのです。

空気を送ってリードを鳴らすのですが、その「ふいご」だか「ハーモニウム」だかの何かが壊れていて、大きな音が響かなくなっているのです。それでも、意匠も素敵で、木工象嵌も良い状態で保存されているので、「何とか活用なさっては?」と勧められたのです。しかしながら、10年前にもお金をかけて修理したものの、良い音が出ず、その結果、使われず仕舞いだった現実が思い遣られました。役員会でも何度か協議しましたが、当教会での活用を前提にしての修理の見込みが立たないことから、「日本リードオルガン協会」会員のAさんにお引き取り頂いた上で、何とか(家具調度品ではなく楽器としての)活用の道を探って頂くことになったのでした。

2月21日の礼拝後には、何人かの人たちが別れを惜しんで、鍵盤を弾き、踏み板を踏み、写真を撮っていました。お別れに百合を献花した人もいました。高齢の奏楽者は「ズッと長いこと、このオルガンを弾いて来たのです」と涙して居られました。楽器を演奏する者なら誰でも知っているように、楽器にも人格があり、人生があるのです。

3.教会の臓器提供

『行人坂教会百年史』によると、1974年(昭和49年)に「ポジティブ・オルガン」(移動可能な小型パイプ・オルガン)が会堂に設置されています。ここで一旦、リードオルガンはお役御免を言い渡されたそうです。しかし、このポジティブさんが何者かに拉致誘拐されて、会堂から姿を消すという大事件が起こり、再び彼女の出番になったようです。その後、1983年(昭和58年)に、現在の電子オルガン(アルボーン社製)が設置されるまで、彼女は奉仕を続けたようです。

「オルガン」の語源はギリシア語「オルガノン」、「道具、器具、機械」から「楽器」をも意味するようになったそうです。そこには「組み立てられた物」の含みがあります。ラテン語の「organum/オルガヌム」に受け継がれると、そこに「器官、臓器」の意味も加わりました。まさしく、オルガンはキリスト教会の大切な「臓器」の1つだったのです。今回の出来事は、一種の「臓器提供」だったと、私は思っているのです。但し、壊れた臓器すらも治して使って貰えるとしたら、それこそ、神さまの御心に相応しいと思います。

牧師 朝日研一朗

【2016年3月の月報より】

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2016年01月31日

十年一昔と十年一日

1.契約更新

私が行人坂教会に赴任して10年の歳月が過ぎようとしています。新年度(4月)から11年目を迎えることになります。尤も、「解任要求」や「退任要望」も出ず、留任について総会の承認を得られればの話ですが…(笑)。

札幌の前任教会では「5年契約」を更新して、10年目を迎えた後、次の再更新は、財政的な観点からも教会形成の方針からも、難しいということでした。役員会では「先生御自身のステップアップのためにも、新しい任地を探されては如何ですか?」と、やんわりと仄めかして頂いたものです。

ところが、当教会においては「任期」や「契約更新」の話などは、ただの一言も出て来ませんでした。そのことを確認することも忘れて、私自身、何も考えずに、来年度の「牧会方針案」や「行事活動計画案」を役員会に提出してしまいました。どうも、来年も再来年も留任するのが当たり前のように思われているようです。そこまで信頼して頂いているなら、こんなに光栄なことはありません。先程の北海教区の「契約」観念からすると、東京の教会では、牧師と信徒とがお互い何も言葉にしなくても、了解し合っているかのようです。鷹揚と言えば鷹揚と言えましょう。

しかし、牧師と信徒との関係が悪化した場合には、どうするのでしょうか。例えば、牧師がカルト化したり、スピリチュアル・アビューズ(「信仰」を振り翳した虐待と横暴)を始めた場合には、どのようにして対処するのでしょうか。牧師が自分の立場を悪用して私利私欲に走ったり、教会運営と教会財産を私物化したりした時など、信徒は毅然と対処できるのでしょうか。老婆心ながら心配に成って来ます。実際、近隣の教会にも、そのような事例が幾つかあるのです。私自身は、定期総会を「契約更新」の時として受け止めています。

2.生きもの

それにしても、10年と言えば、確かに一時代ではある訳です。「十年一昔」と言うくらいです。それは子どもたちの成長を見れば一目瞭然です。この教会に赴任した後、長男は小学校の2年生に成りました。二男は幼稚園の年中組に入りました。それが来年度は、それぞれに高校3年生と中学3年生に進級します。

毎日、顔を合わせているせいでしょうか、自分の子を見ていても、よく分かりませんが、他家の子を見ていると、時間の流れが実感できます。10年前「教会学校こどもの礼拝」に出席していた子たちが、就職したり結婚したという消息を耳にするにつけ、「十年一昔」の現実がリアルに迫って来るのです。

この10年の間に、28名の会員が天に召されています。諸般の事情から、当教会が葬儀に関わったのは、その内19名に過ぎません。約3分の2です。キリスト教の信徒の場合、本人の遺志よりも、遺族の希望や家の宗教が優先されて、仏式の葬儀にされてしまうことも少なくないのです。また、最近では「家族葬」と為さることも多いのです。

それはともかくとして、思えば、実に大勢の人たちが旅立ってしまわれたものです。その中には、10年前にはお元気で、毎週の礼拝や聖書研究会を御一緒した方も多く、「十年一昔」の思いと共に、改めて「今、私たちが日曜毎に御一緒できることは、実は、とっても貴重な時間なのだな」と思われるのです。

勿論、寂しい悲しいばかりではありません。10年前には全く知らなかった人が、今ではお仲間に成って、御一緒に礼拝を守っているということもあるのです。この10年の間に、受洗や転入を経て、役員を務めて頂いた信徒の方も大勢あります。重要な奉仕を担っている方たちも沢山います。

このようにして考えると、やはり「教会は生きものだな」と思います。新陳代謝を繰り返しているのです。勿論、牧師の交代も新陳代謝機能の1つですが、それだけではなくて、天に召される者があり、新たに神さまが教会へ召される人もあるのです。肥え太るばかりが成長ではありません。生きものならば、皮下脂肪が落ちてスリムに成る時もあります。冬籠りを終えた直後の熊などは痩せ細っています。

3.新陳代謝

因みに「新陳代謝」は英語で「metabolism/メタボリズム」と言います。「新陳代謝させる」が「メタボライズ/metabolize」です。ラテン語で「メタボレー/metabole」と言えば音楽用語で「変調、音調変化」、修辞学の「語句転換」、要するに「倒置法」です。例えば、ユーミン(荒井由美)の「翳りゆく部屋」のサビの歌詞「どんな運命が愛を遠ざけたの/輝きはもどらない/わたしが今死んでも」とか、初音ミクの「うそつきでもすき」のサビ「君はつく/そんな嘘を/君は重ねる/そんな嘘を」とか…。

ですから、英語の「メタボリズム/metabolism」も本来は「物質交代」という意味です。生命の維持のために生物の体内で行なわれる化学変化のことです。吸収された栄養がエネルギーに変換されたりすることです。太ったお腹を指して「メタボ」「メタボ」等と言って蔑むのは、語の使用法において、大いに間違っているのです。

世に言う「メタボ」とは「メタボリック・シンドローム/代謝症候群」という語の略称ですが、むしろ問題視されているのは「代謝機能の低下」の方であって、「メタボリズム/新陳代謝」そのものは、生命維持に必要なことなのです。

因みに、語源はギリシア語の「メタボレー」です。「メタ/真ん中に、間に」+「ボレー/投げる」で「取り引き、売買、変化、変更、転換」です。やはり「十年一日の如く」ではありません。変化、代謝を続けているから、私たちは生きているのです。教会も同じです。

牧師 朝日研一朗

【2016年2月の月報より】

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2015年12月27日

未来史年表

1.ブレードランナー

師走の日の午後、昼ご飯を食べようと、牧師館に戻ると、高校生の長男は期末試験が終了して学校が早々と休みになったとかで、テレビの洋画劇場(テレビ東京「午後のロードショー」)を観ていました。その時、丁度、放映されていたのは、1982年の名作『ブレードランナー』(Blade Runner)でありました。

御存知ない人のために申し上げると、原作は、フィリップ・K・ディックが1968年に発表した『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』です。SF小説の体裁を取ってはいますが、人間存在の不確かさについて考察した実存小説です。それを娯楽映画に仕立て上げたのが、SFホラーの金字塔『エイリアン』、松田優作の遺作『ブラック・レイン』、『グラディエーター』や『ブラックホーク・ダウン』、近年では『エクソダス:神と王』を撮った、センス抜群のリドリー・スコット監督です。そして何より、この作品は工業デザイナー、シド・ミードの創造した未来社会の造形を見るための作品なのです。

物語は…、宇宙コロニーで過酷な労働を強いられていたレプリカント(人造人間)4体が反乱を起こして逃亡、地球に侵入したため、「ブレードランナー」と呼ばれる捜査官が、レプリカントを「見付け出して処分せよ」という指令を受けるというもの。

映画が始まると、時代設定が「2020年、ロサンゼルス」と成っているのを見て、長男が苦笑していました。私としては、その反応に非常なショックを受けたのです。そうです。2020年は「東京オリンピック&パラリンピック」開催の年で、決して遠い未来では無いのです。しかも、気付けば、最初に映画館で観てから33年、最後にVHSで観てから20年以上もの歳月が経過していたのです。

2.未来に追い付いた

振り返りみるに、例えば、1984年を迎えた時には、ジョージ・オーウェルの『1984年』を思い浮かべて、管理社会の恐怖を現実社会に当て嵌めようと努力しました。1999年を迎えた時には、終末感たっぷりに『ノストラダムスの大予言』を、2001年を迎えた時には、遠退くばかりの「宇宙時代」に『2001年宇宙の旅』を思い起こしました。私たちの生きている現実が、SF小説やSF映画の世界に追い付いてしまったように感じて、何やら言いようのない不安と共に、少し安堵したものです。

その他にも、既に「過去」と化してしまったSF未来年があります。取り敢えず、近年の出来事をご紹介しましょう。2000年は「セカンドインパクト」が起きた年でした(『新世紀エヴァンゲリオン』)。2003年は、天馬博士が交通事故死した我が子の飛雄(トビオ)に似せて「アトム」を発明した年でした(手塚治虫『鉄腕アトム』)。2008年は、第三次世界大戦が勃発、使用された超磁力兵器によって大陸が水没してしまう「大変動」の年でした(『未来少年コナン』)。2009年は「地球連邦軍」設立の年でした(『機動戦士ガンダム』)。2010年は、アレックス・マーフィ巡査が「オムニ社」によって「ロボコップ」に改造された年でした(『ロボコップ』)。2011年は、急激な天変地異により日本を除く陸地が全て水没した年でした(筒井康隆『日本以外全部沈没』)。

そして昨年、2015年は、謎の宇宙生命体「シト」が地球に襲来し、特務機関NERVの開発した人型汎用決戦兵器「エヴァンゲリオン」が迎撃した年であり、2016年は、遂に「人類補完計画」が発動され、全人類が滅亡した年でした(『新世紀エヴァンゲリオン』)。しかし、昨年の話題の中心は、1989年の映画『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2』でした。主人公のマーティ・マクフライがタイムマシン「デロリアン」に乗って訪れた未来の年、それが丁度2015年の設定だったのです。そこで、映画の中に登場した未来ツールが「実現したか」「開発中か」等とテレビで採り上げられていました。

3.来たらざる未来に

最近のSF小説は、作家が小賢しくなったのか、遥か未来に設定したり、時代を特定しなかったり、異世界設定にしたりして、年代設定をボカす傾向がありますが、その点、アニメや映画は「もう過ぎちゃったじゃん」みたいなのがボロボロと出て来ます。要するに、設定されていた未来に、現代が追い付いてしまったのです。そして、アニメ世代の実感としては「案外、早く来ちゃったみたい」なのです。

「未来史/Future History」とは、SF作家が作品の背景として構築した未来の歴史です。勿論、想像の産物です。現実の歴史と抵触することを恐れて、大抵は「宇宙暦○○年」とか銘打って、空想の年代記を作り上げるのです。しかし、敢えて現実の歴史と繋ぐ危険を冒してまで、リアリティを高めようとする勇気ある作家たちも、ジャック・ロンドンやH・G・ウェルズの昔から存在しています。

その結果として、古典SFの描いていた時代が過ぎ去ってしまうことも多々あります。例えば、フレドリック・ブラウンの『発狂した宇宙』は1954年が舞台。ロバート・A・ハインラインの名作『夏への扉』は、主人公が1970年から2000〜2001年に時間旅行します。グレッグ・イーガンの『白熱光』の2008年も過ぎました。レイ・ブラッドベリの『火星年代記』に至っては、題名の通り、1999〜2026年の火星コロニー計画を描いた年代記(クロニクル)なのですが、後の改訂版では、作者が31年も繰り上げ改変する羽目に成ったのでした。でも、相変わらず、私たちにとって火星は遥か彼方のままです。

『来(きた)るべき世界』(Things to Come)と言えば、H・G・ウェルズですが、「来たらざる世界」(Things Do Not Come)も数多く存在する訳です。そして、明日が今日と同じように、必ず来るとは、誰にも断言することは出来ないのです。

牧師 朝日研一朗

【2016年1月の月報より】

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2015年11月29日

湯たんぽの夢

1.暖かい寝床

かつては身体に熱量が充溢していた私も、開腹手術を境にして、すっかり冷え性に成ってしまいました。真冬に布団から素足が出ていても、朝まで眠り続けていたものですが、今では布団に湯たんぽが欠かせません。思い返せば、手術直後には、分厚い靴下を履かないでは眠れない程でした(まるで、イギリス人のようです)。あの頃に比べれば、かなり元気を回復してはいるのです。しかし、それでも、やはり、毎晩、湯たんぽを用意しています。今年は暖冬だと言うのに…。

湯たんぽは11月上旬に登場します。我が家で湯たんぽを用意するのは、私の仕事です。但し、以前は、家族のために湯たんぽを作って上げていたのですが、今では、自分自身のために作っているような気がします。比較的、温暖な夜など、妻や長男が「今夜は要らない」と言うのに、せっせと湯たんぽを作り続けています。気の毒に思って同情してくれるのでしょうか、二男は「ぼくのも作って」と言ってくれます。

しかし、こうして私が湯たんぽを作るようになったのは、札幌時代からです。御存知のように、極寒の北海道では、窓は二重窓、二重サッシ、玄関も二重扉、部屋のストーブは冬中付けっ放しです。外出時/外泊時にも、自宅のストーブは「Low」のままにして置くのが鉄則です。礼拝堂の暖房なども、週日の間に冷え切っているので、土曜日の深夜にボイラーを焚き始めて、朝の礼拝時に備えます。極寒の故に部屋の中は(常夏とまでは言わずとも)常春状態にしてあるのです。

そんな環境下で、湯たんぽ等、不要と思われるかも知れません。それでも、出産後、妻が体調を崩したのを契機に、湯たんぽを作り始めました。湯たんぽをして眠ってみると、血の巡りが善くなり、順調に回復したように思われて、それ以来、冬の湯たんぽは我が家の定番と成りました。

2.懐かしい炉

湯たんぽの効用は幾つもあります。朝の目覚めが良いのです。電気毛布を使用すると、眠っている間に体の水分が失われて脱水症状に陥ることがあります。タイマーをセットして、ストーブやエアコンが点くのは便利ですが、朝の新鮮な空気からは程遠いものです。湯たんぽには、そんなことはありません。風邪も引きにくいのです。湯たんぽは、電気もガスも灯油も使いません。勿論、湯を沸かすのにガスは必要ですが、その後はエネルギーを消費しません。朝までポカポカしています。最高の省エネ暖房具です。

それにしても、10年以上、湯たんぽを利用していると、最近の湯たんぽは製品の質が悪くなったと思います。プラスチック製であっても、数年は使用に耐えたものですが、最近は、1年か2年しか持ちません。先日も、2年前に買った製品の柄から湯が漏れ始めて廃棄したばかりです。その数日後には、昨年買ったばかりの製品の蓋が破損して、そこから湯が漏れて、危うく火傷しそうに成りました。

その点、金属製が丈夫なのですが、こちらは内部から腐食が起こり易いという欠点があります。勿論、シーズン終了時には、一旦、水を抜いた後も引っ繰り返す等して溜まり水を落とします。蓋を開けたままにして、数日間、風に晒して内部まで乾燥させてから、押し入れに仕舞います。それでも、腐食を起こして、継ぎ目から湯が少しずつ漏れていたことがありました。やはり、消耗品なのでしょう。残念なことです。

そう言えば、私の幼少時、実家には、江戸時代、明治時代の代物(殆どガラクタ)が沢山あったのです(因みに、今も囲炉裏火鉢の間があります)が、その中に瀬戸物製の湯たんぽがありました。瀬戸物にどれだけの保温性があったのかは大いに疑問です。

私の幼少時には「豆炭」という暖房具があり、それを布団に入れて眠っていました。湯たんぽ程の大きさの容器をパカッと開けると、中に豆炭を入れる窪みがあります。そこに、火を点けた豆炭を入れるのです。炬燵も「練炭」でした。よく炬燵の中に入って遊んでいた子どもが一酸化炭素中毒で亡くなっていました。「練炭」は円筒形をしていました。その小型が「豆炭」でした。同じ豆炭を使う携帯用の「懐炉」もあったように思います。石炭ストーブと同じく、今と成っては懐かしい暖かさです。

3.熱燗の喜び

私の故郷も雪が降るので、小学校の教室には、大きなダルマストーブがありました。冬には、2人でバケツに石炭を入れて教室に運ぶのが、日直の仕事でした。給食のコッペパンをストーブで焼くのが流行りました。焼いたパンにマーガリンを置いて溶かしました。ストーブの上には、加湿のために湯の入った鍋が置いてあるのですが、それに牛乳瓶を入れて、熱燗にして飲むのが流行りました。今と違って、パンも牛乳もマズイ代物ですが、温めると何でも美味しく感じました。

やがて灯油ストーブに変わりました。日直が2人で灯油を入れたポリタンクを運ぶようになりました。そして、誰もパンを焼かなくなりました。パンを焼いてみると、石油臭かったのです。それでも牛乳の熱燗は続いていました。

中学に入ると、全館スチーム暖房でした。各教室の窓際にスチームのラジエーター(放熱機)が突き出ていました。濡れた靴下を乾かしたものです。勿論、回収する時期を見誤ると焦げてしまいます。クラスの皆が挙って、濡れた靴下や手袋をラジエーターの上に置くものですから、授業中、そこから臭い湯気がユラユラと立ち上ります。しかも、そのすぐ脇に購買の焼きソバパンを置いて温めているツワモノがいました。

やはり、冬は、それなりに寒くなければ、暖かさへの感謝も湧き上がって来ません。

牧師 朝日研一朗

【2015年12月の月報より】

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2015年10月25日

教会暦を身につけよう

1.三つの出来事

キリスト者の信仰にとって、大きな出来事は3つあります。言うまでもありません。イエス・キリストの「降誕」と「復活」、そして「聖霊降臨」の出来事です。その3つは、キリスト教の「教会暦/〔羅〕Annus ecclesiasticus/〔英〕Ecclesiastical calendar」の中で、それぞれ三大祝日に該当します。即ち「クリスマス/降誕日」「イースター/復活日」「ペンテコステ/聖霊降臨日」です。

12月25日の「クリスマス」は誰でも御存知でしょう。「春分」に当たる「イースター」は(西方教会では)3月22日から4月25日までの35日の間を移動する「移動祭日」です。これも最近では、ディズニーランドの「ハッピーイースター」その他、西欧の風俗が移入される中で認知度が高まりつつあります。

その点、教会に通う信徒だけが守っているのが「ペンテコステ」です。これもまた「イースター」の50日後と決まっているため(「ペンテコステ」とは「50日目」という意味です)、5月10日から6月13日の間を、必然的に移動します。天に召されたキリストが聖霊と成って、弟子たちの上に降り注ぎ、力強く証を始めた日とされています。それで「聖霊降臨日」と言います。米国では、この日に洗礼を受ける者たちが「白い衣」を着ていたことから「ホイットサンデー/Whitsunday」と呼ばれています。

教会生活をする者は誰でも、最低限この3つの祝日を守っています。イエスさまの御降誕に与るだけではなく、その十字架の死と復活の命にも与りたいし、聖霊の導きと力にも与りたいからです。

2.三位一体の力

キリスト教では「父と子と聖霊の御名によって」と、牧師の「祝祷/Benediction」が唱えられます。礼拝の最初と最後を飾る「頌栄/Doxologia」も「三位一体の神に栄光を帰し、その御名を頌め讃える」歌です(「ドクサ」とは、ギリシア語の「栄光」です)。「主の祈り」の結びに「国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり」の「御国・御力・御栄え」と言われているのも、それに対応しています。

それと同じように、実は、私たちの暮らしの1年間もまた、「教会暦」では3つに分かれているのです。それが「クリスマス/降誕節」「イースター/復活節」「ペンテコステ/聖霊降臨節」なのです。クリスマスと言っても、その日1日を言うのではなく、その祝日を前後する期間を言います。よく知られているのは、クリスマスの4週前の日曜日に始まる「アドベント/待降節」です。

しかし、近年では「アドベント」を含めて9回の日曜日を「降誕前節」として守るように成りました。12月25日の「降誕日」から本来の「降誕節」が始まります。クリスマスを中心に据えた前後の期間を一括して、これら全てを「降誕」をテーマに生活する期間(秋から冬)と定めるのです。同じように、イースターを中心にして、その前後を「復活前節」「復活節」の期間(冬から春)として守るのです。「レント/受難節」を復活の準備期間、「復活前節」として捉え直すのです。すると、イエスさまの受難と十字架の死の出来事が、復活の命を招来する秘儀であることが自然に受け止められるのです。そして最後に。ペンテコステから始まる「聖霊降臨節」(春から秋)です。

このように1年の「教会暦」を3つに分け、3つの救済の出来事として、暮らしの中で味わうようにしては如何でしょうか。

神秘主義の世界では、「三位一体」の起源が太陽の現われに関係があるとされてます。「光」の象徴である球体は、日の出、真昼、日没の3つの段階を持っていて、万物が成長、成熟、崩壊する様子を体現します。しかも、太陽は夜毎、死にますが、朝と共に蘇えるのです。この永続する運動を、自身のバイオリズム(生体運動)の中にも組み込んで行くことが大切なのです。人間が太陽と共に生活して来たのは、それなりの理由があるのです。

そして、太陽は「日周運動」を行なっているだけではなく、「年周運動」をも行なっています。占星術の世界では、太陽は天の十二の家(黄道十二宮)に30日ずつ滞在しながら、次々と通過して行き、72年に1度の割合で退行するとされています。日本基督教団の採用している聖書日課「日毎の糧」が「4年サイクル」に成っていることは、太陽の「年周運動」を考えた上で作られているのです。勿論「72」や「12」は「4」の倍数であるのみならず、「3」の倍数でもあります。

3.継続が力なり

キリスト教の中でも、プロテスタント教会には、特別な「修行」「修道」は存在しません。その意味で、プロテンタントは「世俗化したキリスト教」と言えるでしょう。ローマカトリックが神秘めかして保持して来た聖性を、何もかも取っ払ってしまったからです。聖人もいなければ、聖遺物も聖水も聖餅もなく、聖地すらもありません。聖餐式に頂くのも食パンと葡萄ジュースに過ぎません。

但し、余りにも世俗化の度が過ぎたと言うべきでしょうか、洗礼を受けた信徒の中でも、礼拝を重んじず、聖書を読まず、奉仕に参与しない人が増えて来ました。大変に残念なことです。何より残念なのは、特別な修行などしなくても、ただ、教会に通うだけで自然に身に付くはずの信仰が無残に打ち捨てられているということです。

イエス・キリストの降誕も、受難も十字架も、復活の命も、聖霊降臨も三位一体も、教会暦の中で自然に養われるものなのです。特別な勉強をしなくても、ただ、真面目に礼拝生活を続けるだけで、自分のものにすることが出来るのです。

牧師 朝日研一朗

【2015年11月の月報より】

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彼岸と此岸

今年の6月、父の二十五回忌法要のために、久しぶりに実家に帰りました。キリスト教の牧師が主日礼拝を休んで、仏事(臨済宗)に参加するのですから、余り気持ちの良いものではありません。けれども、亡き父のことを念じながら、「般若心経」や「白隠禅師座禅和讃」を唱えたのでした。素直な気持ちで、改めて「和讃」を詠んでみると、私たちの信仰にも相通じるものがあります。

「衆生本来仏なり/水と氷の如くにて/水を離れて氷なく/衆生の外に仏なし」という出だしは、禅宗と無縁な人でも聞いたことがあると思います。「私たちは本来仏です/それは水と氷の関係のようなもので/水がなければ氷が出来ないように/私たち以外に仏はあり得ないのです」。「わたしたちは、すでに神の子なのである」(協会訳:「ヨハネの第一の手紙」3章1節)、「神の国は…『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」(協会訳:「ルカによる福音書」17章20〜21節)、そんな御言葉を思い出させるのです。

春分と秋分に墓参りに行く「お彼岸」は「彼岸会」の略です。本来の「彼岸/パーラ」とは、単に「あの世」のことではなく、理想の「涅槃/ニルヴァーナ」の世界のことです。私たちが生きたり死んだりしている「人の世界」である「此岸」に対して、「仏の世界」を言うのです。ところが、「白隠禅師座禅和讃」は、それを逆転させて「仏の世界」は「人の世界」の中にこそあると説いているのです。この逆説のロジックが、見事なくらいに、イエスさまの御言葉と同じなのです。

「神の国」や「涅槃」はともかく、確かに「水」のイメージには、一種の彼岸性があります。日本でも「水底の国」は「あの世」「黄泉」です。旧約聖書でも「陰府」を「淵」「大水」と言います。しかも、それは水面として「この世」にも接しています。フランスの詩人、ジャン・コクトーが映画『オルフェ』で描いた「鏡」もまた、「水」のヴァリエーションです。「この世」と「あの世」との境界性という点に着目すれば、「水」の持つ大きな意味が分かるはずです。そして思い返せば、教会の「洗礼」こそは、キリストの死に与ることで、古い自分を葬り去り、「新しい命」に生きるための儀式でした。

洗礼を経ることによって、私たちは既に「キリストの命」を宿しているのです。但し、私たちの「ただ中にある」ことを、繰り返し告白し確認していかなくてはなりません。そうしなければ、折角の「キリストの命」も全く発動しないのです。それこそが、私たちが毎週、礼拝を守っている意味です。謂わば、礼拝は「スイッチオン」なのです。つまり、私たちが共に、イエスの御名によって祈る時、賛美の歌声を上げる時、聖書に聴き従う時、身と魂とを献げる時、信仰の共同体であることを告白する時、「キリストの命」が発動し、ダムの放流水のように、私たちの人格と人生の中に流れ込んで、大きなエネルギーと成るのです。

【会報「行人坂」No.251 2015年10月発行より】

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