2016年02月28日

オルガンは教会の臓器

1.足踏みオルガン

「…おなかをつき出した歩き方で叔父は足早にオルガンの傍まで行き、馴れた馬に乗るみたいに、楽器の背中に一寸手をあてて床几みたいな椅子にまた一挙動で腰かけた。それで初めて顔がこちらを向いたが、僅かな間に貫禄が変わっていた。

麻雀の名人がパイをさわる手つきで鍵盤のストップ(音栓)を引き出しながら、少し尻を浮かして叔父はいちばん坐り心地のいい姿勢を一度決め、その手をのばして前もってひろげてあった楽譜を一つおさえた。熟練した機関士が時刻表を先ず点検する手つきである。…気がつくともう最初の音が鳴り始めていた。雅楽のような音が切れ目なしにひびいてくる。

…叔父はたぶん子供が子供自動車を漕ぐように二つの踏み板を踏みながら、右膝のわきで増音器の横木を押したり離したり加減しながら弾いている筈だ。しかし、こちら側から見ると、まるで書斎で老学者が本を読んでいる姿である。一度高い音を押えたあと右手を強く跳ね上げたが、それ以外は上体も動かない。」

童謡「サッちゃん」「ねこふんじゃった」「おなかのへるうた」「夕日が背中を押してくる」等の作詞でお馴染み、阪田寛夫の短編小説『足踏みオルガン』から引用しました。彼の叔父である大中寅二が、リードオルガンを弾く様子を描写した場面です。騎手、雀士、機関士、子供に老学者という比喩の変化が、大中が演奏に入って行く過程を表現していて、見事だと思います(『土の器』(文春文庫)に収録)。

阪田さんの御母堂、京さんも教会のオルガニストで、奏楽奉仕を退いてから天に召されるまでの最期の日々を描いたのが、芥川賞受賞作の『土の器』でした。因みに、阪田さんの短編小説には、かつて私も登場させて頂いたことがあるのです。『靴』という短編の中に「これから葬儀に行こうとしている伝道師」という役回りでしで、ドタバタしている様子が描かれています(『菜の花さくら』(講談社)に収録)。

2.オルガンの人生

去る2月23日午後2時30分、記念室に保存してあった、リードオルガンが搬出されて行くのを見送りました。彼女は大切に梱包されて、3人かがりで、楽器運送専用トラックに乗せられて、旅立って行きました。その様子を眺めながら、思わず「彼女は何十年くらい前から、この教会にいたのだろうか?」「何年くらい礼拝に奉仕したのだろうか?」と考えてしまいました。

当教会最高齢の奏楽者にお聴きしたところ、「私がこの教会に来た時から既にあった」と仰るので、戦前から教会に備えられていたものと思われます。京橋から目黒に移って、会堂建築をした折に、併せて設置したものかも知れません。どなたかが献品して下さったのかも知れませんし、他の教会から譲り受けたのかも知れません。

中を覗いて見ると、「山葉オルガン拾號形」「静岡縣濱松市日本樂器製造株式會社」という保証書が貼ってありました。保証書の発行は「拾年」とありましたので、大正10年(1921年)のものであるらしい。昨年、役員会が何とか活用できないかと考え、「日本リードオルガン協会」の会員の方に調べて頂きましたが、修理にどれくらいの費用と歳月がかかるのかは全く分からないということでした。現在は、リードオルガンの製造も新規受注もなくなって久しく、従って修理を請け負う業者も存在せず、見積もりというものが、まるで成り立たなくなっているのです。

空気を送ってリードを鳴らすのですが、その「ふいご」だか「ハーモニウム」だかの何かが壊れていて、大きな音が響かなくなっているのです。それでも、意匠も素敵で、木工象嵌も良い状態で保存されているので、「何とか活用なさっては?」と勧められたのです。しかしながら、10年前にもお金をかけて修理したものの、良い音が出ず、その結果、使われず仕舞いだった現実が思い遣られました。役員会でも何度か協議しましたが、当教会での活用を前提にしての修理の見込みが立たないことから、「日本リードオルガン協会」会員のAさんにお引き取り頂いた上で、何とか(家具調度品ではなく楽器としての)活用の道を探って頂くことになったのでした。

2月21日の礼拝後には、何人かの人たちが別れを惜しんで、鍵盤を弾き、踏み板を踏み、写真を撮っていました。お別れに百合を献花した人もいました。高齢の奏楽者は「ズッと長いこと、このオルガンを弾いて来たのです」と涙して居られました。楽器を演奏する者なら誰でも知っているように、楽器にも人格があり、人生があるのです。

3.教会の臓器提供

『行人坂教会百年史』によると、1974年(昭和49年)に「ポジティブ・オルガン」(移動可能な小型パイプ・オルガン)が会堂に設置されています。ここで一旦、リードオルガンはお役御免を言い渡されたそうです。しかし、このポジティブさんが何者かに拉致誘拐されて、会堂から姿を消すという大事件が起こり、再び彼女の出番になったようです。その後、1983年(昭和58年)に、現在の電子オルガン(アルボーン社製)が設置されるまで、彼女は奉仕を続けたようです。

「オルガン」の語源はギリシア語「オルガノン」、「道具、器具、機械」から「楽器」をも意味するようになったそうです。そこには「組み立てられた物」の含みがあります。ラテン語の「organum/オルガヌム」に受け継がれると、そこに「器官、臓器」の意味も加わりました。まさしく、オルガンはキリスト教会の大切な「臓器」の1つだったのです。今回の出来事は、一種の「臓器提供」だったと、私は思っているのです。但し、壊れた臓器すらも治して使って貰えるとしたら、それこそ、神さまの御心に相応しいと思います。

牧師 朝日研一朗

【2016年3月の月報より】

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2016年01月31日

十年一昔と十年一日

1.契約更新

私が行人坂教会に赴任して10年の歳月が過ぎようとしています。新年度(4月)から11年目を迎えることになります。尤も、「解任要求」や「退任要望」も出ず、留任について総会の承認を得られればの話ですが…(笑)。

札幌の前任教会では「5年契約」を更新して、10年目を迎えた後、次の再更新は、財政的な観点からも教会形成の方針からも、難しいということでした。役員会では「先生御自身のステップアップのためにも、新しい任地を探されては如何ですか?」と、やんわりと仄めかして頂いたものです。

ところが、当教会においては「任期」や「契約更新」の話などは、ただの一言も出て来ませんでした。そのことを確認することも忘れて、私自身、何も考えずに、来年度の「牧会方針案」や「行事活動計画案」を役員会に提出してしまいました。どうも、来年も再来年も留任するのが当たり前のように思われているようです。そこまで信頼して頂いているなら、こんなに光栄なことはありません。先程の北海教区の「契約」観念からすると、東京の教会では、牧師と信徒とがお互い何も言葉にしなくても、了解し合っているかのようです。鷹揚と言えば鷹揚と言えましょう。

しかし、牧師と信徒との関係が悪化した場合には、どうするのでしょうか。例えば、牧師がカルト化したり、スピリチュアル・アビューズ(「信仰」を振り翳した虐待と横暴)を始めた場合には、どのようにして対処するのでしょうか。牧師が自分の立場を悪用して私利私欲に走ったり、教会運営と教会財産を私物化したりした時など、信徒は毅然と対処できるのでしょうか。老婆心ながら心配に成って来ます。実際、近隣の教会にも、そのような事例が幾つかあるのです。私自身は、定期総会を「契約更新」の時として受け止めています。

2.生きもの

それにしても、10年と言えば、確かに一時代ではある訳です。「十年一昔」と言うくらいです。それは子どもたちの成長を見れば一目瞭然です。この教会に赴任した後、長男は小学校の2年生に成りました。二男は幼稚園の年中組に入りました。それが来年度は、それぞれに高校3年生と中学3年生に進級します。

毎日、顔を合わせているせいでしょうか、自分の子を見ていても、よく分かりませんが、他家の子を見ていると、時間の流れが実感できます。10年前「教会学校こどもの礼拝」に出席していた子たちが、就職したり結婚したという消息を耳にするにつけ、「十年一昔」の現実がリアルに迫って来るのです。

この10年の間に、28名の会員が天に召されています。諸般の事情から、当教会が葬儀に関わったのは、その内19名に過ぎません。約3分の2です。キリスト教の信徒の場合、本人の遺志よりも、遺族の希望や家の宗教が優先されて、仏式の葬儀にされてしまうことも少なくないのです。また、最近では「家族葬」と為さることも多いのです。

それはともかくとして、思えば、実に大勢の人たちが旅立ってしまわれたものです。その中には、10年前にはお元気で、毎週の礼拝や聖書研究会を御一緒した方も多く、「十年一昔」の思いと共に、改めて「今、私たちが日曜毎に御一緒できることは、実は、とっても貴重な時間なのだな」と思われるのです。

勿論、寂しい悲しいばかりではありません。10年前には全く知らなかった人が、今ではお仲間に成って、御一緒に礼拝を守っているということもあるのです。この10年の間に、受洗や転入を経て、役員を務めて頂いた信徒の方も大勢あります。重要な奉仕を担っている方たちも沢山います。

このようにして考えると、やはり「教会は生きものだな」と思います。新陳代謝を繰り返しているのです。勿論、牧師の交代も新陳代謝機能の1つですが、それだけではなくて、天に召される者があり、新たに神さまが教会へ召される人もあるのです。肥え太るばかりが成長ではありません。生きものならば、皮下脂肪が落ちてスリムに成る時もあります。冬籠りを終えた直後の熊などは痩せ細っています。

3.新陳代謝

因みに「新陳代謝」は英語で「metabolism/メタボリズム」と言います。「新陳代謝させる」が「メタボライズ/metabolize」です。ラテン語で「メタボレー/metabole」と言えば音楽用語で「変調、音調変化」、修辞学の「語句転換」、要するに「倒置法」です。例えば、ユーミン(荒井由美)の「翳りゆく部屋」のサビの歌詞「どんな運命が愛を遠ざけたの/輝きはもどらない/わたしが今死んでも」とか、初音ミクの「うそつきでもすき」のサビ「君はつく/そんな嘘を/君は重ねる/そんな嘘を」とか…。

ですから、英語の「メタボリズム/metabolism」も本来は「物質交代」という意味です。生命の維持のために生物の体内で行なわれる化学変化のことです。吸収された栄養がエネルギーに変換されたりすることです。太ったお腹を指して「メタボ」「メタボ」等と言って蔑むのは、語の使用法において、大いに間違っているのです。

世に言う「メタボ」とは「メタボリック・シンドローム/代謝症候群」という語の略称ですが、むしろ問題視されているのは「代謝機能の低下」の方であって、「メタボリズム/新陳代謝」そのものは、生命維持に必要なことなのです。

因みに、語源はギリシア語の「メタボレー」です。「メタ/真ん中に、間に」+「ボレー/投げる」で「取り引き、売買、変化、変更、転換」です。やはり「十年一日の如く」ではありません。変化、代謝を続けているから、私たちは生きているのです。教会も同じです。

牧師 朝日研一朗

【2016年2月の月報より】

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2015年12月27日

未来史年表

1.ブレードランナー

師走の日の午後、昼ご飯を食べようと、牧師館に戻ると、高校生の長男は期末試験が終了して学校が早々と休みになったとかで、テレビの洋画劇場(テレビ東京「午後のロードショー」)を観ていました。その時、丁度、放映されていたのは、1982年の名作『ブレードランナー』(Blade Runner)でありました。

御存知ない人のために申し上げると、原作は、フィリップ・K・ディックが1968年に発表した『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』です。SF小説の体裁を取ってはいますが、人間存在の不確かさについて考察した実存小説です。それを娯楽映画に仕立て上げたのが、SFホラーの金字塔『エイリアン』、松田優作の遺作『ブラック・レイン』、『グラディエーター』や『ブラックホーク・ダウン』、近年では『エクソダス:神と王』を撮った、センス抜群のリドリー・スコット監督です。そして何より、この作品は工業デザイナー、シド・ミードの創造した未来社会の造形を見るための作品なのです。

物語は…、宇宙コロニーで過酷な労働を強いられていたレプリカント(人造人間)4体が反乱を起こして逃亡、地球に侵入したため、「ブレードランナー」と呼ばれる捜査官が、レプリカントを「見付け出して処分せよ」という指令を受けるというもの。

映画が始まると、時代設定が「2020年、ロサンゼルス」と成っているのを見て、長男が苦笑していました。私としては、その反応に非常なショックを受けたのです。そうです。2020年は「東京オリンピック&パラリンピック」開催の年で、決して遠い未来では無いのです。しかも、気付けば、最初に映画館で観てから33年、最後にVHSで観てから20年以上もの歳月が経過していたのです。

2.未来に追い付いた

振り返りみるに、例えば、1984年を迎えた時には、ジョージ・オーウェルの『1984年』を思い浮かべて、管理社会の恐怖を現実社会に当て嵌めようと努力しました。1999年を迎えた時には、終末感たっぷりに『ノストラダムスの大予言』を、2001年を迎えた時には、遠退くばかりの「宇宙時代」に『2001年宇宙の旅』を思い起こしました。私たちの生きている現実が、SF小説やSF映画の世界に追い付いてしまったように感じて、何やら言いようのない不安と共に、少し安堵したものです。

その他にも、既に「過去」と化してしまったSF未来年があります。取り敢えず、近年の出来事をご紹介しましょう。2000年は「セカンドインパクト」が起きた年でした(『新世紀エヴァンゲリオン』)。2003年は、天馬博士が交通事故死した我が子の飛雄(トビオ)に似せて「アトム」を発明した年でした(手塚治虫『鉄腕アトム』)。2008年は、第三次世界大戦が勃発、使用された超磁力兵器によって大陸が水没してしまう「大変動」の年でした(『未来少年コナン』)。2009年は「地球連邦軍」設立の年でした(『機動戦士ガンダム』)。2010年は、アレックス・マーフィ巡査が「オムニ社」によって「ロボコップ」に改造された年でした(『ロボコップ』)。2011年は、急激な天変地異により日本を除く陸地が全て水没した年でした(筒井康隆『日本以外全部沈没』)。

そして昨年、2015年は、謎の宇宙生命体「シト」が地球に襲来し、特務機関NERVの開発した人型汎用決戦兵器「エヴァンゲリオン」が迎撃した年であり、2016年は、遂に「人類補完計画」が発動され、全人類が滅亡した年でした(『新世紀エヴァンゲリオン』)。しかし、昨年の話題の中心は、1989年の映画『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2』でした。主人公のマーティ・マクフライがタイムマシン「デロリアン」に乗って訪れた未来の年、それが丁度2015年の設定だったのです。そこで、映画の中に登場した未来ツールが「実現したか」「開発中か」等とテレビで採り上げられていました。

3.来たらざる未来に

最近のSF小説は、作家が小賢しくなったのか、遥か未来に設定したり、時代を特定しなかったり、異世界設定にしたりして、年代設定をボカす傾向がありますが、その点、アニメや映画は「もう過ぎちゃったじゃん」みたいなのがボロボロと出て来ます。要するに、設定されていた未来に、現代が追い付いてしまったのです。そして、アニメ世代の実感としては「案外、早く来ちゃったみたい」なのです。

「未来史/Future History」とは、SF作家が作品の背景として構築した未来の歴史です。勿論、想像の産物です。現実の歴史と抵触することを恐れて、大抵は「宇宙暦○○年」とか銘打って、空想の年代記を作り上げるのです。しかし、敢えて現実の歴史と繋ぐ危険を冒してまで、リアリティを高めようとする勇気ある作家たちも、ジャック・ロンドンやH・G・ウェルズの昔から存在しています。

その結果として、古典SFの描いていた時代が過ぎ去ってしまうことも多々あります。例えば、フレドリック・ブラウンの『発狂した宇宙』は1954年が舞台。ロバート・A・ハインラインの名作『夏への扉』は、主人公が1970年から2000〜2001年に時間旅行します。グレッグ・イーガンの『白熱光』の2008年も過ぎました。レイ・ブラッドベリの『火星年代記』に至っては、題名の通り、1999〜2026年の火星コロニー計画を描いた年代記(クロニクル)なのですが、後の改訂版では、作者が31年も繰り上げ改変する羽目に成ったのでした。でも、相変わらず、私たちにとって火星は遥か彼方のままです。

『来(きた)るべき世界』(Things to Come)と言えば、H・G・ウェルズですが、「来たらざる世界」(Things Do Not Come)も数多く存在する訳です。そして、明日が今日と同じように、必ず来るとは、誰にも断言することは出来ないのです。

牧師 朝日研一朗

【2016年1月の月報より】

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2015年11月29日

湯たんぽの夢

1.暖かい寝床

かつては身体に熱量が充溢していた私も、開腹手術を境にして、すっかり冷え性に成ってしまいました。真冬に布団から素足が出ていても、朝まで眠り続けていたものですが、今では布団に湯たんぽが欠かせません。思い返せば、手術直後には、分厚い靴下を履かないでは眠れない程でした(まるで、イギリス人のようです)。あの頃に比べれば、かなり元気を回復してはいるのです。しかし、それでも、やはり、毎晩、湯たんぽを用意しています。今年は暖冬だと言うのに…。

湯たんぽは11月上旬に登場します。我が家で湯たんぽを用意するのは、私の仕事です。但し、以前は、家族のために湯たんぽを作って上げていたのですが、今では、自分自身のために作っているような気がします。比較的、温暖な夜など、妻や長男が「今夜は要らない」と言うのに、せっせと湯たんぽを作り続けています。気の毒に思って同情してくれるのでしょうか、二男は「ぼくのも作って」と言ってくれます。

しかし、こうして私が湯たんぽを作るようになったのは、札幌時代からです。御存知のように、極寒の北海道では、窓は二重窓、二重サッシ、玄関も二重扉、部屋のストーブは冬中付けっ放しです。外出時/外泊時にも、自宅のストーブは「Low」のままにして置くのが鉄則です。礼拝堂の暖房なども、週日の間に冷え切っているので、土曜日の深夜にボイラーを焚き始めて、朝の礼拝時に備えます。極寒の故に部屋の中は(常夏とまでは言わずとも)常春状態にしてあるのです。

そんな環境下で、湯たんぽ等、不要と思われるかも知れません。それでも、出産後、妻が体調を崩したのを契機に、湯たんぽを作り始めました。湯たんぽをして眠ってみると、血の巡りが善くなり、順調に回復したように思われて、それ以来、冬の湯たんぽは我が家の定番と成りました。

2.懐かしい炉

湯たんぽの効用は幾つもあります。朝の目覚めが良いのです。電気毛布を使用すると、眠っている間に体の水分が失われて脱水症状に陥ることがあります。タイマーをセットして、ストーブやエアコンが点くのは便利ですが、朝の新鮮な空気からは程遠いものです。湯たんぽには、そんなことはありません。風邪も引きにくいのです。湯たんぽは、電気もガスも灯油も使いません。勿論、湯を沸かすのにガスは必要ですが、その後はエネルギーを消費しません。朝までポカポカしています。最高の省エネ暖房具です。

それにしても、10年以上、湯たんぽを利用していると、最近の湯たんぽは製品の質が悪くなったと思います。プラスチック製であっても、数年は使用に耐えたものですが、最近は、1年か2年しか持ちません。先日も、2年前に買った製品の柄から湯が漏れ始めて廃棄したばかりです。その数日後には、昨年買ったばかりの製品の蓋が破損して、そこから湯が漏れて、危うく火傷しそうに成りました。

その点、金属製が丈夫なのですが、こちらは内部から腐食が起こり易いという欠点があります。勿論、シーズン終了時には、一旦、水を抜いた後も引っ繰り返す等して溜まり水を落とします。蓋を開けたままにして、数日間、風に晒して内部まで乾燥させてから、押し入れに仕舞います。それでも、腐食を起こして、継ぎ目から湯が少しずつ漏れていたことがありました。やはり、消耗品なのでしょう。残念なことです。

そう言えば、私の幼少時、実家には、江戸時代、明治時代の代物(殆どガラクタ)が沢山あったのです(因みに、今も囲炉裏火鉢の間があります)が、その中に瀬戸物製の湯たんぽがありました。瀬戸物にどれだけの保温性があったのかは大いに疑問です。

私の幼少時には「豆炭」という暖房具があり、それを布団に入れて眠っていました。湯たんぽ程の大きさの容器をパカッと開けると、中に豆炭を入れる窪みがあります。そこに、火を点けた豆炭を入れるのです。炬燵も「練炭」でした。よく炬燵の中に入って遊んでいた子どもが一酸化炭素中毒で亡くなっていました。「練炭」は円筒形をしていました。その小型が「豆炭」でした。同じ豆炭を使う携帯用の「懐炉」もあったように思います。石炭ストーブと同じく、今と成っては懐かしい暖かさです。

3.熱燗の喜び

私の故郷も雪が降るので、小学校の教室には、大きなダルマストーブがありました。冬には、2人でバケツに石炭を入れて教室に運ぶのが、日直の仕事でした。給食のコッペパンをストーブで焼くのが流行りました。焼いたパンにマーガリンを置いて溶かしました。ストーブの上には、加湿のために湯の入った鍋が置いてあるのですが、それに牛乳瓶を入れて、熱燗にして飲むのが流行りました。今と違って、パンも牛乳もマズイ代物ですが、温めると何でも美味しく感じました。

やがて灯油ストーブに変わりました。日直が2人で灯油を入れたポリタンクを運ぶようになりました。そして、誰もパンを焼かなくなりました。パンを焼いてみると、石油臭かったのです。それでも牛乳の熱燗は続いていました。

中学に入ると、全館スチーム暖房でした。各教室の窓際にスチームのラジエーター(放熱機)が突き出ていました。濡れた靴下を乾かしたものです。勿論、回収する時期を見誤ると焦げてしまいます。クラスの皆が挙って、濡れた靴下や手袋をラジエーターの上に置くものですから、授業中、そこから臭い湯気がユラユラと立ち上ります。しかも、そのすぐ脇に購買の焼きソバパンを置いて温めているツワモノがいました。

やはり、冬は、それなりに寒くなければ、暖かさへの感謝も湧き上がって来ません。

牧師 朝日研一朗

【2015年12月の月報より】

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2015年10月25日

教会暦を身につけよう

1.三つの出来事

キリスト者の信仰にとって、大きな出来事は3つあります。言うまでもありません。イエス・キリストの「降誕」と「復活」、そして「聖霊降臨」の出来事です。その3つは、キリスト教の「教会暦/〔羅〕Annus ecclesiasticus/〔英〕Ecclesiastical calendar」の中で、それぞれ三大祝日に該当します。即ち「クリスマス/降誕日」「イースター/復活日」「ペンテコステ/聖霊降臨日」です。

12月25日の「クリスマス」は誰でも御存知でしょう。「春分」に当たる「イースター」は(西方教会では)3月22日から4月25日までの35日の間を移動する「移動祭日」です。これも最近では、ディズニーランドの「ハッピーイースター」その他、西欧の風俗が移入される中で認知度が高まりつつあります。

その点、教会に通う信徒だけが守っているのが「ペンテコステ」です。これもまた「イースター」の50日後と決まっているため(「ペンテコステ」とは「50日目」という意味です)、5月10日から6月13日の間を、必然的に移動します。天に召されたキリストが聖霊と成って、弟子たちの上に降り注ぎ、力強く証を始めた日とされています。それで「聖霊降臨日」と言います。米国では、この日に洗礼を受ける者たちが「白い衣」を着ていたことから「ホイットサンデー/Whitsunday」と呼ばれています。

教会生活をする者は誰でも、最低限この3つの祝日を守っています。イエスさまの御降誕に与るだけではなく、その十字架の死と復活の命にも与りたいし、聖霊の導きと力にも与りたいからです。

2.三位一体の力

キリスト教では「父と子と聖霊の御名によって」と、牧師の「祝祷/Benediction」が唱えられます。礼拝の最初と最後を飾る「頌栄/Doxologia」も「三位一体の神に栄光を帰し、その御名を頌め讃える」歌です(「ドクサ」とは、ギリシア語の「栄光」です)。「主の祈り」の結びに「国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり」の「御国・御力・御栄え」と言われているのも、それに対応しています。

それと同じように、実は、私たちの暮らしの1年間もまた、「教会暦」では3つに分かれているのです。それが「クリスマス/降誕節」「イースター/復活節」「ペンテコステ/聖霊降臨節」なのです。クリスマスと言っても、その日1日を言うのではなく、その祝日を前後する期間を言います。よく知られているのは、クリスマスの4週前の日曜日に始まる「アドベント/待降節」です。

しかし、近年では「アドベント」を含めて9回の日曜日を「降誕前節」として守るように成りました。12月25日の「降誕日」から本来の「降誕節」が始まります。クリスマスを中心に据えた前後の期間を一括して、これら全てを「降誕」をテーマに生活する期間(秋から冬)と定めるのです。同じように、イースターを中心にして、その前後を「復活前節」「復活節」の期間(冬から春)として守るのです。「レント/受難節」を復活の準備期間、「復活前節」として捉え直すのです。すると、イエスさまの受難と十字架の死の出来事が、復活の命を招来する秘儀であることが自然に受け止められるのです。そして最後に。ペンテコステから始まる「聖霊降臨節」(春から秋)です。

このように1年の「教会暦」を3つに分け、3つの救済の出来事として、暮らしの中で味わうようにしては如何でしょうか。

神秘主義の世界では、「三位一体」の起源が太陽の現われに関係があるとされてます。「光」の象徴である球体は、日の出、真昼、日没の3つの段階を持っていて、万物が成長、成熟、崩壊する様子を体現します。しかも、太陽は夜毎、死にますが、朝と共に蘇えるのです。この永続する運動を、自身のバイオリズム(生体運動)の中にも組み込んで行くことが大切なのです。人間が太陽と共に生活して来たのは、それなりの理由があるのです。

そして、太陽は「日周運動」を行なっているだけではなく、「年周運動」をも行なっています。占星術の世界では、太陽は天の十二の家(黄道十二宮)に30日ずつ滞在しながら、次々と通過して行き、72年に1度の割合で退行するとされています。日本基督教団の採用している聖書日課「日毎の糧」が「4年サイクル」に成っていることは、太陽の「年周運動」を考えた上で作られているのです。勿論「72」や「12」は「4」の倍数であるのみならず、「3」の倍数でもあります。

3.継続が力なり

キリスト教の中でも、プロテスタント教会には、特別な「修行」「修道」は存在しません。その意味で、プロテンタントは「世俗化したキリスト教」と言えるでしょう。ローマカトリックが神秘めかして保持して来た聖性を、何もかも取っ払ってしまったからです。聖人もいなければ、聖遺物も聖水も聖餅もなく、聖地すらもありません。聖餐式に頂くのも食パンと葡萄ジュースに過ぎません。

但し、余りにも世俗化の度が過ぎたと言うべきでしょうか、洗礼を受けた信徒の中でも、礼拝を重んじず、聖書を読まず、奉仕に参与しない人が増えて来ました。大変に残念なことです。何より残念なのは、特別な修行などしなくても、ただ、教会に通うだけで自然に身に付くはずの信仰が無残に打ち捨てられているということです。

イエス・キリストの降誕も、受難も十字架も、復活の命も、聖霊降臨も三位一体も、教会暦の中で自然に養われるものなのです。特別な勉強をしなくても、ただ、真面目に礼拝生活を続けるだけで、自分のものにすることが出来るのです。

牧師 朝日研一朗

【2015年11月の月報より】

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彼岸と此岸

今年の6月、父の二十五回忌法要のために、久しぶりに実家に帰りました。キリスト教の牧師が主日礼拝を休んで、仏事(臨済宗)に参加するのですから、余り気持ちの良いものではありません。けれども、亡き父のことを念じながら、「般若心経」や「白隠禅師座禅和讃」を唱えたのでした。素直な気持ちで、改めて「和讃」を詠んでみると、私たちの信仰にも相通じるものがあります。

「衆生本来仏なり/水と氷の如くにて/水を離れて氷なく/衆生の外に仏なし」という出だしは、禅宗と無縁な人でも聞いたことがあると思います。「私たちは本来仏です/それは水と氷の関係のようなもので/水がなければ氷が出来ないように/私たち以外に仏はあり得ないのです」。「わたしたちは、すでに神の子なのである」(協会訳:「ヨハネの第一の手紙」3章1節)、「神の国は…『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」(協会訳:「ルカによる福音書」17章20〜21節)、そんな御言葉を思い出させるのです。

春分と秋分に墓参りに行く「お彼岸」は「彼岸会」の略です。本来の「彼岸/パーラ」とは、単に「あの世」のことではなく、理想の「涅槃/ニルヴァーナ」の世界のことです。私たちが生きたり死んだりしている「人の世界」である「此岸」に対して、「仏の世界」を言うのです。ところが、「白隠禅師座禅和讃」は、それを逆転させて「仏の世界」は「人の世界」の中にこそあると説いているのです。この逆説のロジックが、見事なくらいに、イエスさまの御言葉と同じなのです。

「神の国」や「涅槃」はともかく、確かに「水」のイメージには、一種の彼岸性があります。日本でも「水底の国」は「あの世」「黄泉」です。旧約聖書でも「陰府」を「淵」「大水」と言います。しかも、それは水面として「この世」にも接しています。フランスの詩人、ジャン・コクトーが映画『オルフェ』で描いた「鏡」もまた、「水」のヴァリエーションです。「この世」と「あの世」との境界性という点に着目すれば、「水」の持つ大きな意味が分かるはずです。そして思い返せば、教会の「洗礼」こそは、キリストの死に与ることで、古い自分を葬り去り、「新しい命」に生きるための儀式でした。

洗礼を経ることによって、私たちは既に「キリストの命」を宿しているのです。但し、私たちの「ただ中にある」ことを、繰り返し告白し確認していかなくてはなりません。そうしなければ、折角の「キリストの命」も全く発動しないのです。それこそが、私たちが毎週、礼拝を守っている意味です。謂わば、礼拝は「スイッチオン」なのです。つまり、私たちが共に、イエスの御名によって祈る時、賛美の歌声を上げる時、聖書に聴き従う時、身と魂とを献げる時、信仰の共同体であることを告白する時、「キリストの命」が発動し、ダムの放流水のように、私たちの人格と人生の中に流れ込んで、大きなエネルギーと成るのです。

【会報「行人坂」No.251 2015年10月発行より】

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2015年09月27日

生きられる時間

1.ジャネの法則

誰もが実感する疑念があります。年齢を重ねるにつれて、段々と時間の過ぎるのが速くなっているかのように感じてしまうのです。

要するに「人が感じる時間の長さは、自らの年齢に反比例する」ということです。これを「ジャネの法則」と言います。ピエール・ジャネ(Pierre Janet,1859−1947)というフランスの精神病理学者が「記憶の進化と時間観念」(L’Évolution de la Mémoire et la Notion du Temps)という論文の中で紹介しているそうです。それは、彼の父、哲学者のポール・ジャネ(Paul Janet,1823−99)が定義したことらしいのです。勿論、改めて定義したり理論化したりして頂かずとも、私たちは皆、実感として知っていることです。

ルキノ・ヴィスコンティ監督の1971年の映画、『ベニスに死す』(Morte a Venezia)だったと思いますが、確か、こんな台詞がありました。「人生は砂時計のようなものだ。砂が落ち始めたばかりの頃は、ほんの少量なので気にも留めない。しかし、ふと気付くと、残された砂は僅か、落ちるスピードは急激になっている」。トーマス・マンの原作には、そんな言葉はありませんでした。恐らく、脚本のオリジナルでしょう。

ヴィスコンティの作品には、そんな怖ろしい台詞が時折、出て来ます。1974年の『家族の肖像』(Gruppo di Famiglia in un Interno)では、老教授がこんな話をします。「ある作家が自宅の2階に引っ越して来た間借り人のことを書いている。その間借り人が動き廻る音、歩いている足音に、作家は耳を傾けていた。ある日突然、間借り人は姿を消してしまったようだった。その後、長い間、作家は彼の足音を聞かなかった。ところが、彼は戻って来る。そして彼は、以前よりも部屋に居付くようになり、彼の存在は確かなものと成って行った。彼は死そのものなのだ。人生の終わりに近づいたという自覚を、死がそれと悟られぬものに姿を変えて、作家に知らせたのだ」。

2.珈琲スプーン

夏休みに日光と那須に泊りに行った時、ホテルの売店で、二男がガラス壜に白い砂の入った砂時計を発見、なぜか欲しがりますので、買って帰りました。「3分間」と表示がありました。彼に言わせると、カップラーメンを作る時に便利だとのことでした。ところが、キッチンに置きっ放しにしていたためか、8月末には、湿気で砂が固まってしまい、全く砂時計の用を足さなくなってしまったのです。

人生に重ねるなら、見る見る残量の乏しくなる砂時計も怖ろしい限りですが、湿気て砂の落ちなくなった砂時計も、膠着状態ですから、幸せな人生とは思われません。その固まった砂を見ながら、T・S・エリオットの初期の詩「J・アルフレッド・プルーフロックの恋歌」(The Love Song of J.Alfred Prufrock,1917年)の一節を私は思い出しました。「夜毎、朝毎、昼毎に/私は自分の人生を珈琲スプーンで量り尽くした」(Evenings,mornings,afternoons,/I have measured out my life with coffee spoons.)。

毎日、判で押したように日課を繰り返す生活があります。時折りイベントは入りますが、通勤通学をはじめ、同じような日々を繰り返しているだけという印象は拭えません。産業社会は、私たちに、そういう生活を強いて来ました。腕時計、メモ帳、カレンダー、会社のタイムカード、学校の時間割、日程表付きの企画書、公共交通機関の運行表…。最近のモバイルやセルラーも、産業社会の量りがもたらしたものです。学校の成績、偏差値、営業成績、収入と納税額、視力聴力、血糖値、血圧、心拍数…。私たちも日々「スプーンで量り尽くされて」いるのかも知れません。

私が珈琲や紅茶に砂糖を使わなくなって十年以上になります。スプーンで砂糖を量らなくなると、以前は、何かにつけ思い出すことも多く、口ずさんでいたエリオットの詩を忘れてしまっていました。ところが、今回、子どもの砂時計が固まった時に、どうしたものか、急に思い出されたのです。

私たちの人生は、決して量れないのです。少なくとも(自身を含めて)人には決して量れないのです。私たちの人生の長さと重さを量って、お決めになるのは神さまなのですから。

3.尺取虫の人生

聖書には、神さまの「物差し」「測り竿」(measuring rod)、「測り縄」(measuring line)が出て来ます。神さまが重さを量る「天秤」(balances)も出て来ます。これは、神さまが正確な基準であることを言い表わしているのです。

私たちの感覚は曖昧で移ろい易いものです。年齢を重ねて歳月の速さを感じるのも錯覚ならば、日課を繰り返して自らを量っているかに思うのも虚構に過ぎません。どのように感じるにせよ、「昨日、今日、明日」という時間の歩みを誠実に生きるところに、健全な信仰が与えられて行きます。私たちが日曜日に礼拝に集まり、神に向かって賛美と祈りを奉げることは、時計を標準時に合わせるような行為なのです。

これが無いと、私たちは勝手に速く進んでしまったり、ドンドン遅れてしまったりするのです。もしかしたら、螺旋(ねじ)を巻き忘れているかも知れません。電池が切れているかも知れません。いつの間にか、大きくバランスを失っているかも知れません。そんなズレに気付かないままに、生きている人が多いのではありませんか。それは、自分の感覚を基準にしているところから生じるのです。何をもってして自らを測る(量る)のか、それこそが大切なテーマなのです。「あなたがたのうち誰が、思い悩んだからと言って、寿命を僅か(1キュビト/約45センチ)でも延ばすことが出来ようか」(マタイによる福音書6章27節)。神さまに向き合わぬままの延命は所詮、悪あがき、延ばせても1尺余りなのです。

牧師 朝日研一朗

【2015年10月の月報より】

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2015年08月30日

日曜日には、お家に帰ろう

1.神の家

旧約聖書では、時折「神殿」のことを「神の家/ベート・ハー・エロヒーム」と呼んでいます。特に「詩編」で「神の家」と出て来たら、十中八九「エルサレム神殿」のことを意味します。

「わたしは魂を注ぎ、思い起こす/喜び歌い感謝をささげる声の中を/祭りに集う人の群れと共に進み/神に家に入り、ひれ伏したことを。」(詩編42編5節)、「わたしは生い茂るオリーブの木。/神の家にとどまります。」(詩編52編10節)、「あなたの庭で過ごす1日は千日にまさる恵みです。/主の逆らう者の天幕で長らえるよりは/私の神の家の門口に立っているのを選びます。」、「ハレルヤ。/賛美せよ、主の御名を/賛美せよ、主の僕らよ/主の家に/わたしたちの神の家の庭に居並ぶ人々よ。」(詩編135編1〜2節)。

福音書の「安息日に麦の穂を摘む」の記事では、イエスさまもファリサイ派の人を相手に論争をして「(ダビデも)神の家に入り、…供えのパンを食べたではないか」と語っておられます(マタイによる福音書12章4節、マルコによる福音書2章26節、ルカによる福音書6章4節)。但し、ここで、イエスさまの仰っている「神の家/ホー・オイコス・トゥ・セオゥ」は「エルサレム神殿」ではなく「ノブの神殿」のことです。

こんな所からも、イエスさまが「シオニスト」ではないことが分かります。ガリラヤ出身のメシアは中央集権的ではなく、エルサレム神殿を絶対化してはいないのです。それどころか、エルサレム神殿に感動し、その壮麗さを賛美する弟子に対して、「これらの大きな建物を見ているのか。1つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない」等と言ってしまわれるのです(マルコ13章2節)。

2.会見場

イエスさまは「聖地」としてのエルサレムも、壮大な建造物としての「神殿」も、神を礼拝する真の信仰とは、直接は関係が無いと断じておられるのです。それ故、新約聖書で「神の家」と言う場合には「神を信じる者の共同体」を指すようになりました。例えば、パウロは「神の家とは、真理の柱であり土台である生ける神の教会です」(テモテへの手紙一3章15節)と言っています。

従って、教会の会堂、礼拝堂を指して「神の家」と称するのは、旧約聖書の神殿の立場であり、新約聖書の信仰からは大いに外れていると言わざるを得ません。「神の家」とは「信仰共同体(コミュニティ)」としての教会であり、土地建物のことでは無いからです。

それでは、「神殿」でも「神の家」「神の宮」でも無いとしたら、私たちにとって会堂、礼拝堂とは何でしょうか。実は、神と人との「会見の場」なのです。神と人との会見は何によって実現するのかと言えば、礼拝(御言葉の宣教と聖礼典の執行)において可能に成るのです。それがキリスト教の「基本のキ」です。「神の家族」である会衆が皆、等しく礼拝に与ることが出来るように、聖書と解き明かし、聖餐と洗礼を真正面に据えた、現在の礼拝堂の構造が生まれたのです。

但し、プロテスタント教会の礼拝堂は、余りにも礼拝への集中を促した結果、構造が「近代学校モデル」に接近し過ぎてしまいました。その反省から、近年では、礼拝堂の構造を奥行きの長い「縦型」から、奥行きの短い「横型」に変えたり、祭壇(Altar)を囲むように丸みをもたせて、会衆席を3列にして、身廊(Nave)、要するに中央通路を2本にしたりする試みもあります。

とは言え、礼拝堂の構造や礼拝の在り方に多少の変化があるとしても、礼拝において神さまが会衆と会見されるという点だけは変わりません。端的に言って、私たちにとっては、礼拝への参与です。実際に礼拝に出席することによって、神の見えない御力の庇護下に入るのです。教会生活を続ける中で、私が体得したことの1つに「取り敢えず足を運ぶこと」の大切さがあります。勿論、これは「無理強い」ではありません。むしろ、キリスト者としての最低限の修行、修養なのです。

3.日曜日

「出エジプト記」には「会見の幕屋/オーヘル・モーエード」というヘブル語が何度か出て来ます。残念ながら「新共同訳」では「臨在の幕屋」等と、身も蓋も無い訳語にされてしまいました。聖書では「モーエード」が「集会」とも訳されますが、本来の意味は「期日、予定日、定刻」です。そこから「祭り、祭日」という意味が生まれました。英訳聖書では「会見の幕屋」は「テント・オブ・ミーティング/Tent of meeting」です。つまり、日曜日の礼拝とは、神さまとの「ミーティング」の「予定日」だったのです。毎度毎度、そんなに約束をスッポかして良いものでしょうか(笑)。

さて、神さまと私たちとの「会見場」である行人坂教会の会堂も、建築から彼是、53年です。半世紀を超えてしまいました。2001〜2005年には、教会創立百周年記念事業として、バリアフリー化を目指した内部の改修工事、会堂外壁と大屋根の補修工事が行なわれました。その時から数えても、早や10年の歳月が経ってしまいました。

階下ホールでは、経路不明の雨漏りが続いており、雨風の日には、ブルーシートを床に敷かなくてはなりません。水道管が漏水したために、何ヶ月か数万円もの水道料金が連続して請求されたのも古い話ではありません。よく見てみれば、外壁にも内壁にも、あちらこちらクラック(亀裂)が入っています。この会堂、実に、よく耐え忍んでいると思います。

最近では、有志が会堂の補修作業を行なうようになりました。皆で一緒に、会堂のこれからを考えてみましょう。何しろ、私たちが「神の家」と成るために必要な場なのですから。

牧師 朝日研一朗

【2015年9月の月報より】

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2015年07月26日

戦争の真の終わり

1.望みさえすれば

「戦争の終わり」という言葉を耳にすると、私たちの世代にとっては、1971年のジョン・レノンの名曲「ハッピー・クリスマス/戦争は終わった」(Happy Xmas/War Is Over)が思い出されます。

「メリークリスマス/そして新年おめでとう/良い年になるように祈ろう/恐怖のない世の中であるように/クリスマスがやって来た(戦争は終わる)/弱き人にも強き人にも(君が望みさえすれば)/富める人にも貧しき人にも(戦争が終わるよ)/世の中が間違っていても(君が望みさえすればね)」。

「メリークリスマス」に「戦争を止めよう」というメッセージのコーラスが被る二重構造に成っています。西洋には「クリスマス休戦」という用語があるように、クリスマスの告知は平和のメッセージと繋がっています。その2つの要素を組み合わせて、見事に1つのバラード曲に仕上げたところに、ジョン・レノンの天才があります。

12月に成ると、ラジオやテレビ、音楽配信サービス等で流されることの多い曲です。けれども、今年に限っては、季節は夏に向かっているというのに、やたらと思い出されてなりませんでした。「君が望むなら/if you want it」という句が脳裏に何度も浮かんでは消えるのでした。「未来は君が望むようにしかならないよ」。これもまた、確か、ジョン・レノンの言葉だったと思います。

2.クリスマスには

先日、珍しく、子どもからテレビのチャンネル権を譲られて、1977年の戦争映画『遠すぎた橋』(A Bridge Too Far)を観ていました。

ノルマンディー上陸作戦成功後、英軍のモンゴメリー元帥がブラウニング中将に立案させたのが「マーケット・ガーデン作戦」です。米軍のパットン将軍との功名争いに取り憑かれたモンティは、一気にライン川を越えて、ドイツ国内に攻め入ろうと計画したのです。1944年9月、独軍占領下のオランダの主要な橋を、先発の空挺師団が降下、確保して(マーケット作戦)後、英軍の機甲師団が攻め上る(ガーデン作戦)筋書きでした。ところが、独軍ビットリッヒ中将のSS機甲師団の攻撃によって、補給が断たれると、忽ち戦線は「地獄の一本道」と化し、連合軍の前線は分断され孤立無縁となります。僅か9日間の戦闘で、連合軍は戦死戦傷者と行方不明者が1万7千名、更に7千名近くが捕虜になるという惨憺たる結果を招いたのでした。

38年ぶりに観ると、当時、気にも留めなかった事柄に深いメッセージが込められていたことが分かって来ます。ブラウニングが作戦を指揮官たちに説明する場面では、「これで、クリスマスまでに戦争は終わる」という定番の台詞が出て来ました。アーンエムの英軍負傷兵たちが、讃美歌「日暮れてやみはせまり」を合唱する場面もありました。何千人もの兵士が犬死した作戦の終了後、ブラウニング中将が「ただ、あの橋は少し遠かったな」と、軽く言い放つのも邪気がないだけに却って震撼させられました。因みに、フレデリック・ブラウニング中将は、私の大好きな作家、ダフネ・デュ・モーリア(『レベッカ』や『鳥』が有名)の夫君でもあったのでした。

「クリスマスまでには、戦争が終わる」は、欧米では、戦場に兵士を送り出す指導者たちの常套句なのです。第一次大戦の時にも、そう言われて、そう信じて、多くの兵士が出征して行ったのです。連続テレビ小説『マッサン』でも、スコットランド時代のエリーさんの恋人が「クリスマスには帰って来る」と言い残したのを覚えて居られるでしょう。

しかし、実際には、フランス戦線は膠着、悲惨な塹壕戦と化します。戦車や毒ガスが投入されて、戦場は文字通りの地獄と化したのです。それで、次の年になっても、その次の年になっても、兵士たちは帰って来ませんでした。

3.敗戦70年の夏に

私たちもまた「アジア・太平洋戦争」の敗戦から70年目の夏を迎えようとしています。聖書では「70」は「完全数」、従って「70年」は「期間の満了」を意味します。それ故に「エレミヤ書」25章、29章では、新バビロニア帝国による捕囚が「70年」で終わることに成っているのです。史的には「バビロン捕囚」(紀元前587年)からキュロス王による「捕囚解放令」(紀元前538年)までは、49年間でした。

安倍晋三首相が「安保関連法案」を国会に提出しました。海外有事の際には、自衛隊を世界中どこにでも派遣することが出来て、米軍の同盟国として戦争に参加できるようにするための法整備です。しかも、これを「時限立法」ではなく「恒久法」として設置しようとしているのです。「アメリカの国力が衰退した分を、同盟国の日本が補う」等と、綺麗事を言っているマヌケがいますが、実際には、ベトナム戦争時の韓国軍のような役回りに違いありません。日米関係がフェアな同盟関係ではなく、宗主国と属国の関係であることは、沖縄の現実を見れば一目瞭然です。

丁度、70年目の節目の年に、宗主国の台所事情と属国の思惑とが絡み合って、日本国の再軍事化が進もうとしているのです。70年経って尚、米国からの独立を果たせず、果たせないままに「同盟」という表看板によって、米国製の高額な兵器を売り付けられ、米国の要請で、世界各地に派兵させられるのです。便利な「イエローキャブ/Yellow Cab」扱いされているのです。これを「亡国」と言わずして、何を言いましょうか。これは「シビリアン・コントロール/文民統制」以前の問題です。明確な国家戦略のないままに、(米国の失敗の先例を見ていながら)徒に米国追従政策を行なえば、この国は立ち行かなくなります。

牧師 朝日研一朗

【2015年8月の月報より】

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2015年06月28日

仮面を被った麝香猫

1.エレミヤの手紙

「神々の像は、あたかも神殿の梁のようなもので、よく言われるように、その内部は虫に食われています。地からわいた虫が体や衣をかじっても、何も感じません。その顔は神殿に漂う煙で黒ずんでいます。その体や頭の上を、こうもりやつばめ、小鳥が飛び交い、猫までやって来ます。このようなことで、それらの像が神ではないことは分かるはずですから、恐れてはなりません。」

旧約聖書続編「エレミヤの手紙」19〜22節です。聖書中、唯一「猫」が登場する箇所として、「猫好き」の人たちから喜ばれている箇所です。「エレミヤの手紙」等と言っても、別に預言者エレミヤが書いた手紙ではありません。「エレミヤ書」29章に、エレミヤが第1回バビロン捕囚で連行された同胞へ宛てたとされる手紙があるために、それに倣って、このような書名が付けられたそうです。「エレミヤの手紙」には、「第二神殿時代」(バビロン捕囚から帰還したユダヤ人たちがエルサレムに神殿を再建して以降の時代)の、バビロン残留民の生活や信仰が反映されていると言われています。

2.猫が行方不明?

「猫」と言えば、エジプトが有名です。猫の頭を持った女神、バテストがいるくらいに、猫は崇拝されていました。飼い猫が死ぬと、飼い主と一緒に死後の復活を果たすことを願って、ミイラにしているくらいです。紀元前525年、アケメネス朝ペルシア帝国のカンビュセス2世(キュロス2世の息子)が、エジプト第26王朝を滅ぼして、エジプトを征服併合しますが、この時の戦い(ペルシュウムの戦い)では、ペルシア軍が戦列の前に多数の猫を置いたため、エジプト軍は攻撃することができず、そのために敗れたという俗説まであります。猫愛に殉じて全滅するとは…。

しかしながら、「エレミヤの手紙」に出て来る「猫」は「バビロンの猫」と考えられています。ここでは、猫崇拝は問題にされていないからです。ペルシア帝国時代とは言え、未だペルシャ猫は登場していません。ペルシャ猫という品種が登場するのは、15〜16世紀に成ってからのことですから。

日本でも、廃寺の仏像の上を猫が歩いている風景を想像することは難しくありません。廃寺でなくても、古びた教会にも猫は居着くのでしょう。我が行人坂教会の近辺にも、数匹は馴染みの野良猫がおりまして、春の夜更け等、教会の中庭で盛んに交流をしています。発情期の営みですが、赤ん坊の泣くような甲高い声で、名古屋人のようにミャアミャアと騒いでいました。

ところが、今年に限っては、そのような声を聞くことがありませんでした。街から消えた訳ではありません。時折り道路で見かけると、相手の方でもジッと見ていますから、私も必ず声をかけて挨拶をします。「最近、教会に来ていないね」等と問うてみますが、何分、相手は猫ですから、詳しい近況報告はしてくれません。しかし、彼らには彼らなりに、教会から遠ざかる理由があったのです。いつの頃からか、別の動物が教会の中庭を縄張りにするように成っていたのです。

3.食べられる猫

去る6月20日朝、2階の寝室のカーテンを開けてビックリ。ベランダにウンコの山盛りがあり、その中に多数の種が混じっています。間違いなく、庭の枇杷の実です。私も血迷って最初は猫かとも考えましたが、猫はフルーツを食べません。とすれば、残る可能性は「ハクビシン」しかありません。

その夜8時頃でしたか、土曜日恒例の『男はつらいよ』をBSで観ていた時です。木の枝がザワザワと揺れる音が盛んにするではありませんか。懐中電灯を手に庭に出てみますと、枇杷の木の枝にハクビシンが3匹、枇杷の実をムシャムシャと嬉しそうに齧っています。懐中電灯で照らすと、目が白く光ります。

「ハクビシン/白鼻芯、白鼻心」は、かなり古くから日本に入って来た外来種です。イタチに似て、細長い体と尻尾を持っていますが、ネコ目ジャコウネコ科です。ラテン語の学名は「Paguma Larvata/パグマ・ラールヴァータ」、「larua/ラールア」が「仮面」ですから、「仮面を被ったようなパグマ(マレー語で「木登り犬」とか)」です。「仮面」とは、額から鼻に抜ける白い筋の特徴を言います。英名は「Masked Palm Civet/マスクド・パーム・シヴィト」、「シヴィト」は「麝香」です。「palm cat/パーム・キャット」が「ジャコウネコ」です。やはり「マスクド/仮面の」と付きます。

東京23区内には、ハクビシンが千頭以上生息しているそうです。現在のところ、ハクビシンは「外来種」扱いではなく「野生動物」扱いに成っていますので、駆除殺傷することは禁じられています。残念です。その肉はとても美味だとされていますので、私としては、少し食べてみたいと思っていたのです。中華料理では、臭みを除くため、ニンニクと醤油で味付けして、梨と一緒に煮込んで「梨片果子狸」という料理にするそうです。「果子狸」がハクビシンの中国名「クオツーリー」です。

同志社の神学部の学寮であった「此春寮」では、戦後の食糧難の時代、よく寮生たちが赤犬を捕まえて来ては、鍋にして食べていたそうです。そんな時代の先輩たちに「猫は食べましたか?」と尋ねると、「猫の身は油ばかり多くて食べられた物では無かった」「フライパンにヘバリ付いた猫の油が取れなかった」と証言してくれました。

果実を大量に食べているハクビシンならば、さぞかし美味しいことでしょう。愛猫家の皆さんも、あのイタチとタヌキの中間みたいな奴なら許して下さるのではないでしょうか。

牧師 朝日研一朗

【2015年7月の月報より】

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