2015年10月25日

教会暦を身につけよう

1.三つの出来事

キリスト者の信仰にとって、大きな出来事は3つあります。言うまでもありません。イエス・キリストの「降誕」と「復活」、そして「聖霊降臨」の出来事です。その3つは、キリスト教の「教会暦/〔羅〕Annus ecclesiasticus/〔英〕Ecclesiastical calendar」の中で、それぞれ三大祝日に該当します。即ち「クリスマス/降誕日」「イースター/復活日」「ペンテコステ/聖霊降臨日」です。

12月25日の「クリスマス」は誰でも御存知でしょう。「春分」に当たる「イースター」は(西方教会では)3月22日から4月25日までの35日の間を移動する「移動祭日」です。これも最近では、ディズニーランドの「ハッピーイースター」その他、西欧の風俗が移入される中で認知度が高まりつつあります。

その点、教会に通う信徒だけが守っているのが「ペンテコステ」です。これもまた「イースター」の50日後と決まっているため(「ペンテコステ」とは「50日目」という意味です)、5月10日から6月13日の間を、必然的に移動します。天に召されたキリストが聖霊と成って、弟子たちの上に降り注ぎ、力強く証を始めた日とされています。それで「聖霊降臨日」と言います。米国では、この日に洗礼を受ける者たちが「白い衣」を着ていたことから「ホイットサンデー/Whitsunday」と呼ばれています。

教会生活をする者は誰でも、最低限この3つの祝日を守っています。イエスさまの御降誕に与るだけではなく、その十字架の死と復活の命にも与りたいし、聖霊の導きと力にも与りたいからです。

2.三位一体の力

キリスト教では「父と子と聖霊の御名によって」と、牧師の「祝祷/Benediction」が唱えられます。礼拝の最初と最後を飾る「頌栄/Doxologia」も「三位一体の神に栄光を帰し、その御名を頌め讃える」歌です(「ドクサ」とは、ギリシア語の「栄光」です)。「主の祈り」の結びに「国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり」の「御国・御力・御栄え」と言われているのも、それに対応しています。

それと同じように、実は、私たちの暮らしの1年間もまた、「教会暦」では3つに分かれているのです。それが「クリスマス/降誕節」「イースター/復活節」「ペンテコステ/聖霊降臨節」なのです。クリスマスと言っても、その日1日を言うのではなく、その祝日を前後する期間を言います。よく知られているのは、クリスマスの4週前の日曜日に始まる「アドベント/待降節」です。

しかし、近年では「アドベント」を含めて9回の日曜日を「降誕前節」として守るように成りました。12月25日の「降誕日」から本来の「降誕節」が始まります。クリスマスを中心に据えた前後の期間を一括して、これら全てを「降誕」をテーマに生活する期間(秋から冬)と定めるのです。同じように、イースターを中心にして、その前後を「復活前節」「復活節」の期間(冬から春)として守るのです。「レント/受難節」を復活の準備期間、「復活前節」として捉え直すのです。すると、イエスさまの受難と十字架の死の出来事が、復活の命を招来する秘儀であることが自然に受け止められるのです。そして最後に。ペンテコステから始まる「聖霊降臨節」(春から秋)です。

このように1年の「教会暦」を3つに分け、3つの救済の出来事として、暮らしの中で味わうようにしては如何でしょうか。

神秘主義の世界では、「三位一体」の起源が太陽の現われに関係があるとされてます。「光」の象徴である球体は、日の出、真昼、日没の3つの段階を持っていて、万物が成長、成熟、崩壊する様子を体現します。しかも、太陽は夜毎、死にますが、朝と共に蘇えるのです。この永続する運動を、自身のバイオリズム(生体運動)の中にも組み込んで行くことが大切なのです。人間が太陽と共に生活して来たのは、それなりの理由があるのです。

そして、太陽は「日周運動」を行なっているだけではなく、「年周運動」をも行なっています。占星術の世界では、太陽は天の十二の家(黄道十二宮)に30日ずつ滞在しながら、次々と通過して行き、72年に1度の割合で退行するとされています。日本基督教団の採用している聖書日課「日毎の糧」が「4年サイクル」に成っていることは、太陽の「年周運動」を考えた上で作られているのです。勿論「72」や「12」は「4」の倍数であるのみならず、「3」の倍数でもあります。

3.継続が力なり

キリスト教の中でも、プロテスタント教会には、特別な「修行」「修道」は存在しません。その意味で、プロテンタントは「世俗化したキリスト教」と言えるでしょう。ローマカトリックが神秘めかして保持して来た聖性を、何もかも取っ払ってしまったからです。聖人もいなければ、聖遺物も聖水も聖餅もなく、聖地すらもありません。聖餐式に頂くのも食パンと葡萄ジュースに過ぎません。

但し、余りにも世俗化の度が過ぎたと言うべきでしょうか、洗礼を受けた信徒の中でも、礼拝を重んじず、聖書を読まず、奉仕に参与しない人が増えて来ました。大変に残念なことです。何より残念なのは、特別な修行などしなくても、ただ、教会に通うだけで自然に身に付くはずの信仰が無残に打ち捨てられているということです。

イエス・キリストの降誕も、受難も十字架も、復活の命も、聖霊降臨も三位一体も、教会暦の中で自然に養われるものなのです。特別な勉強をしなくても、ただ、真面目に礼拝生活を続けるだけで、自分のものにすることが出来るのです。

牧師 朝日研一朗

【2015年11月の月報より】

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彼岸と此岸

今年の6月、父の二十五回忌法要のために、久しぶりに実家に帰りました。キリスト教の牧師が主日礼拝を休んで、仏事(臨済宗)に参加するのですから、余り気持ちの良いものではありません。けれども、亡き父のことを念じながら、「般若心経」や「白隠禅師座禅和讃」を唱えたのでした。素直な気持ちで、改めて「和讃」を詠んでみると、私たちの信仰にも相通じるものがあります。

「衆生本来仏なり/水と氷の如くにて/水を離れて氷なく/衆生の外に仏なし」という出だしは、禅宗と無縁な人でも聞いたことがあると思います。「私たちは本来仏です/それは水と氷の関係のようなもので/水がなければ氷が出来ないように/私たち以外に仏はあり得ないのです」。「わたしたちは、すでに神の子なのである」(協会訳:「ヨハネの第一の手紙」3章1節)、「神の国は…『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」(協会訳:「ルカによる福音書」17章20〜21節)、そんな御言葉を思い出させるのです。

春分と秋分に墓参りに行く「お彼岸」は「彼岸会」の略です。本来の「彼岸/パーラ」とは、単に「あの世」のことではなく、理想の「涅槃/ニルヴァーナ」の世界のことです。私たちが生きたり死んだりしている「人の世界」である「此岸」に対して、「仏の世界」を言うのです。ところが、「白隠禅師座禅和讃」は、それを逆転させて「仏の世界」は「人の世界」の中にこそあると説いているのです。この逆説のロジックが、見事なくらいに、イエスさまの御言葉と同じなのです。

「神の国」や「涅槃」はともかく、確かに「水」のイメージには、一種の彼岸性があります。日本でも「水底の国」は「あの世」「黄泉」です。旧約聖書でも「陰府」を「淵」「大水」と言います。しかも、それは水面として「この世」にも接しています。フランスの詩人、ジャン・コクトーが映画『オルフェ』で描いた「鏡」もまた、「水」のヴァリエーションです。「この世」と「あの世」との境界性という点に着目すれば、「水」の持つ大きな意味が分かるはずです。そして思い返せば、教会の「洗礼」こそは、キリストの死に与ることで、古い自分を葬り去り、「新しい命」に生きるための儀式でした。

洗礼を経ることによって、私たちは既に「キリストの命」を宿しているのです。但し、私たちの「ただ中にある」ことを、繰り返し告白し確認していかなくてはなりません。そうしなければ、折角の「キリストの命」も全く発動しないのです。それこそが、私たちが毎週、礼拝を守っている意味です。謂わば、礼拝は「スイッチオン」なのです。つまり、私たちが共に、イエスの御名によって祈る時、賛美の歌声を上げる時、聖書に聴き従う時、身と魂とを献げる時、信仰の共同体であることを告白する時、「キリストの命」が発動し、ダムの放流水のように、私たちの人格と人生の中に流れ込んで、大きなエネルギーと成るのです。

【会報「行人坂」No.251 2015年10月発行より】

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2015年09月27日

生きられる時間

1.ジャネの法則

誰もが実感する疑念があります。年齢を重ねるにつれて、段々と時間の過ぎるのが速くなっているかのように感じてしまうのです。

要するに「人が感じる時間の長さは、自らの年齢に反比例する」ということです。これを「ジャネの法則」と言います。ピエール・ジャネ(Pierre Janet,1859−1947)というフランスの精神病理学者が「記憶の進化と時間観念」(L’Évolution de la Mémoire et la Notion du Temps)という論文の中で紹介しているそうです。それは、彼の父、哲学者のポール・ジャネ(Paul Janet,1823−99)が定義したことらしいのです。勿論、改めて定義したり理論化したりして頂かずとも、私たちは皆、実感として知っていることです。

ルキノ・ヴィスコンティ監督の1971年の映画、『ベニスに死す』(Morte a Venezia)だったと思いますが、確か、こんな台詞がありました。「人生は砂時計のようなものだ。砂が落ち始めたばかりの頃は、ほんの少量なので気にも留めない。しかし、ふと気付くと、残された砂は僅か、落ちるスピードは急激になっている」。トーマス・マンの原作には、そんな言葉はありませんでした。恐らく、脚本のオリジナルでしょう。

ヴィスコンティの作品には、そんな怖ろしい台詞が時折、出て来ます。1974年の『家族の肖像』(Gruppo di Famiglia in un Interno)では、老教授がこんな話をします。「ある作家が自宅の2階に引っ越して来た間借り人のことを書いている。その間借り人が動き廻る音、歩いている足音に、作家は耳を傾けていた。ある日突然、間借り人は姿を消してしまったようだった。その後、長い間、作家は彼の足音を聞かなかった。ところが、彼は戻って来る。そして彼は、以前よりも部屋に居付くようになり、彼の存在は確かなものと成って行った。彼は死そのものなのだ。人生の終わりに近づいたという自覚を、死がそれと悟られぬものに姿を変えて、作家に知らせたのだ」。

2.珈琲スプーン

夏休みに日光と那須に泊りに行った時、ホテルの売店で、二男がガラス壜に白い砂の入った砂時計を発見、なぜか欲しがりますので、買って帰りました。「3分間」と表示がありました。彼に言わせると、カップラーメンを作る時に便利だとのことでした。ところが、キッチンに置きっ放しにしていたためか、8月末には、湿気で砂が固まってしまい、全く砂時計の用を足さなくなってしまったのです。

人生に重ねるなら、見る見る残量の乏しくなる砂時計も怖ろしい限りですが、湿気て砂の落ちなくなった砂時計も、膠着状態ですから、幸せな人生とは思われません。その固まった砂を見ながら、T・S・エリオットの初期の詩「J・アルフレッド・プルーフロックの恋歌」(The Love Song of J.Alfred Prufrock,1917年)の一節を私は思い出しました。「夜毎、朝毎、昼毎に/私は自分の人生を珈琲スプーンで量り尽くした」(Evenings,mornings,afternoons,/I have measured out my life with coffee spoons.)。

毎日、判で押したように日課を繰り返す生活があります。時折りイベントは入りますが、通勤通学をはじめ、同じような日々を繰り返しているだけという印象は拭えません。産業社会は、私たちに、そういう生活を強いて来ました。腕時計、メモ帳、カレンダー、会社のタイムカード、学校の時間割、日程表付きの企画書、公共交通機関の運行表…。最近のモバイルやセルラーも、産業社会の量りがもたらしたものです。学校の成績、偏差値、営業成績、収入と納税額、視力聴力、血糖値、血圧、心拍数…。私たちも日々「スプーンで量り尽くされて」いるのかも知れません。

私が珈琲や紅茶に砂糖を使わなくなって十年以上になります。スプーンで砂糖を量らなくなると、以前は、何かにつけ思い出すことも多く、口ずさんでいたエリオットの詩を忘れてしまっていました。ところが、今回、子どもの砂時計が固まった時に、どうしたものか、急に思い出されたのです。

私たちの人生は、決して量れないのです。少なくとも(自身を含めて)人には決して量れないのです。私たちの人生の長さと重さを量って、お決めになるのは神さまなのですから。

3.尺取虫の人生

聖書には、神さまの「物差し」「測り竿」(measuring rod)、「測り縄」(measuring line)が出て来ます。神さまが重さを量る「天秤」(balances)も出て来ます。これは、神さまが正確な基準であることを言い表わしているのです。

私たちの感覚は曖昧で移ろい易いものです。年齢を重ねて歳月の速さを感じるのも錯覚ならば、日課を繰り返して自らを量っているかに思うのも虚構に過ぎません。どのように感じるにせよ、「昨日、今日、明日」という時間の歩みを誠実に生きるところに、健全な信仰が与えられて行きます。私たちが日曜日に礼拝に集まり、神に向かって賛美と祈りを奉げることは、時計を標準時に合わせるような行為なのです。

これが無いと、私たちは勝手に速く進んでしまったり、ドンドン遅れてしまったりするのです。もしかしたら、螺旋(ねじ)を巻き忘れているかも知れません。電池が切れているかも知れません。いつの間にか、大きくバランスを失っているかも知れません。そんなズレに気付かないままに、生きている人が多いのではありませんか。それは、自分の感覚を基準にしているところから生じるのです。何をもってして自らを測る(量る)のか、それこそが大切なテーマなのです。「あなたがたのうち誰が、思い悩んだからと言って、寿命を僅か(1キュビト/約45センチ)でも延ばすことが出来ようか」(マタイによる福音書6章27節)。神さまに向き合わぬままの延命は所詮、悪あがき、延ばせても1尺余りなのです。

牧師 朝日研一朗

【2015年10月の月報より】

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2015年08月30日

日曜日には、お家に帰ろう

1.神の家

旧約聖書では、時折「神殿」のことを「神の家/ベート・ハー・エロヒーム」と呼んでいます。特に「詩編」で「神の家」と出て来たら、十中八九「エルサレム神殿」のことを意味します。

「わたしは魂を注ぎ、思い起こす/喜び歌い感謝をささげる声の中を/祭りに集う人の群れと共に進み/神に家に入り、ひれ伏したことを。」(詩編42編5節)、「わたしは生い茂るオリーブの木。/神の家にとどまります。」(詩編52編10節)、「あなたの庭で過ごす1日は千日にまさる恵みです。/主の逆らう者の天幕で長らえるよりは/私の神の家の門口に立っているのを選びます。」、「ハレルヤ。/賛美せよ、主の御名を/賛美せよ、主の僕らよ/主の家に/わたしたちの神の家の庭に居並ぶ人々よ。」(詩編135編1〜2節)。

福音書の「安息日に麦の穂を摘む」の記事では、イエスさまもファリサイ派の人を相手に論争をして「(ダビデも)神の家に入り、…供えのパンを食べたではないか」と語っておられます(マタイによる福音書12章4節、マルコによる福音書2章26節、ルカによる福音書6章4節)。但し、ここで、イエスさまの仰っている「神の家/ホー・オイコス・トゥ・セオゥ」は「エルサレム神殿」ではなく「ノブの神殿」のことです。

こんな所からも、イエスさまが「シオニスト」ではないことが分かります。ガリラヤ出身のメシアは中央集権的ではなく、エルサレム神殿を絶対化してはいないのです。それどころか、エルサレム神殿に感動し、その壮麗さを賛美する弟子に対して、「これらの大きな建物を見ているのか。1つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない」等と言ってしまわれるのです(マルコ13章2節)。

2.会見場

イエスさまは「聖地」としてのエルサレムも、壮大な建造物としての「神殿」も、神を礼拝する真の信仰とは、直接は関係が無いと断じておられるのです。それ故、新約聖書で「神の家」と言う場合には「神を信じる者の共同体」を指すようになりました。例えば、パウロは「神の家とは、真理の柱であり土台である生ける神の教会です」(テモテへの手紙一3章15節)と言っています。

従って、教会の会堂、礼拝堂を指して「神の家」と称するのは、旧約聖書の神殿の立場であり、新約聖書の信仰からは大いに外れていると言わざるを得ません。「神の家」とは「信仰共同体(コミュニティ)」としての教会であり、土地建物のことでは無いからです。

それでは、「神殿」でも「神の家」「神の宮」でも無いとしたら、私たちにとって会堂、礼拝堂とは何でしょうか。実は、神と人との「会見の場」なのです。神と人との会見は何によって実現するのかと言えば、礼拝(御言葉の宣教と聖礼典の執行)において可能に成るのです。それがキリスト教の「基本のキ」です。「神の家族」である会衆が皆、等しく礼拝に与ることが出来るように、聖書と解き明かし、聖餐と洗礼を真正面に据えた、現在の礼拝堂の構造が生まれたのです。

但し、プロテスタント教会の礼拝堂は、余りにも礼拝への集中を促した結果、構造が「近代学校モデル」に接近し過ぎてしまいました。その反省から、近年では、礼拝堂の構造を奥行きの長い「縦型」から、奥行きの短い「横型」に変えたり、祭壇(Altar)を囲むように丸みをもたせて、会衆席を3列にして、身廊(Nave)、要するに中央通路を2本にしたりする試みもあります。

とは言え、礼拝堂の構造や礼拝の在り方に多少の変化があるとしても、礼拝において神さまが会衆と会見されるという点だけは変わりません。端的に言って、私たちにとっては、礼拝への参与です。実際に礼拝に出席することによって、神の見えない御力の庇護下に入るのです。教会生活を続ける中で、私が体得したことの1つに「取り敢えず足を運ぶこと」の大切さがあります。勿論、これは「無理強い」ではありません。むしろ、キリスト者としての最低限の修行、修養なのです。

3.日曜日

「出エジプト記」には「会見の幕屋/オーヘル・モーエード」というヘブル語が何度か出て来ます。残念ながら「新共同訳」では「臨在の幕屋」等と、身も蓋も無い訳語にされてしまいました。聖書では「モーエード」が「集会」とも訳されますが、本来の意味は「期日、予定日、定刻」です。そこから「祭り、祭日」という意味が生まれました。英訳聖書では「会見の幕屋」は「テント・オブ・ミーティング/Tent of meeting」です。つまり、日曜日の礼拝とは、神さまとの「ミーティング」の「予定日」だったのです。毎度毎度、そんなに約束をスッポかして良いものでしょうか(笑)。

さて、神さまと私たちとの「会見場」である行人坂教会の会堂も、建築から彼是、53年です。半世紀を超えてしまいました。2001〜2005年には、教会創立百周年記念事業として、バリアフリー化を目指した内部の改修工事、会堂外壁と大屋根の補修工事が行なわれました。その時から数えても、早や10年の歳月が経ってしまいました。

階下ホールでは、経路不明の雨漏りが続いており、雨風の日には、ブルーシートを床に敷かなくてはなりません。水道管が漏水したために、何ヶ月か数万円もの水道料金が連続して請求されたのも古い話ではありません。よく見てみれば、外壁にも内壁にも、あちらこちらクラック(亀裂)が入っています。この会堂、実に、よく耐え忍んでいると思います。

最近では、有志が会堂の補修作業を行なうようになりました。皆で一緒に、会堂のこれからを考えてみましょう。何しろ、私たちが「神の家」と成るために必要な場なのですから。

牧師 朝日研一朗

【2015年9月の月報より】

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2015年07月26日

戦争の真の終わり

1.望みさえすれば

「戦争の終わり」という言葉を耳にすると、私たちの世代にとっては、1971年のジョン・レノンの名曲「ハッピー・クリスマス/戦争は終わった」(Happy Xmas/War Is Over)が思い出されます。

「メリークリスマス/そして新年おめでとう/良い年になるように祈ろう/恐怖のない世の中であるように/クリスマスがやって来た(戦争は終わる)/弱き人にも強き人にも(君が望みさえすれば)/富める人にも貧しき人にも(戦争が終わるよ)/世の中が間違っていても(君が望みさえすればね)」。

「メリークリスマス」に「戦争を止めよう」というメッセージのコーラスが被る二重構造に成っています。西洋には「クリスマス休戦」という用語があるように、クリスマスの告知は平和のメッセージと繋がっています。その2つの要素を組み合わせて、見事に1つのバラード曲に仕上げたところに、ジョン・レノンの天才があります。

12月に成ると、ラジオやテレビ、音楽配信サービス等で流されることの多い曲です。けれども、今年に限っては、季節は夏に向かっているというのに、やたらと思い出されてなりませんでした。「君が望むなら/if you want it」という句が脳裏に何度も浮かんでは消えるのでした。「未来は君が望むようにしかならないよ」。これもまた、確か、ジョン・レノンの言葉だったと思います。

2.クリスマスには

先日、珍しく、子どもからテレビのチャンネル権を譲られて、1977年の戦争映画『遠すぎた橋』(A Bridge Too Far)を観ていました。

ノルマンディー上陸作戦成功後、英軍のモンゴメリー元帥がブラウニング中将に立案させたのが「マーケット・ガーデン作戦」です。米軍のパットン将軍との功名争いに取り憑かれたモンティは、一気にライン川を越えて、ドイツ国内に攻め入ろうと計画したのです。1944年9月、独軍占領下のオランダの主要な橋を、先発の空挺師団が降下、確保して(マーケット作戦)後、英軍の機甲師団が攻め上る(ガーデン作戦)筋書きでした。ところが、独軍ビットリッヒ中将のSS機甲師団の攻撃によって、補給が断たれると、忽ち戦線は「地獄の一本道」と化し、連合軍の前線は分断され孤立無縁となります。僅か9日間の戦闘で、連合軍は戦死戦傷者と行方不明者が1万7千名、更に7千名近くが捕虜になるという惨憺たる結果を招いたのでした。

38年ぶりに観ると、当時、気にも留めなかった事柄に深いメッセージが込められていたことが分かって来ます。ブラウニングが作戦を指揮官たちに説明する場面では、「これで、クリスマスまでに戦争は終わる」という定番の台詞が出て来ました。アーンエムの英軍負傷兵たちが、讃美歌「日暮れてやみはせまり」を合唱する場面もありました。何千人もの兵士が犬死した作戦の終了後、ブラウニング中将が「ただ、あの橋は少し遠かったな」と、軽く言い放つのも邪気がないだけに却って震撼させられました。因みに、フレデリック・ブラウニング中将は、私の大好きな作家、ダフネ・デュ・モーリア(『レベッカ』や『鳥』が有名)の夫君でもあったのでした。

「クリスマスまでには、戦争が終わる」は、欧米では、戦場に兵士を送り出す指導者たちの常套句なのです。第一次大戦の時にも、そう言われて、そう信じて、多くの兵士が出征して行ったのです。連続テレビ小説『マッサン』でも、スコットランド時代のエリーさんの恋人が「クリスマスには帰って来る」と言い残したのを覚えて居られるでしょう。

しかし、実際には、フランス戦線は膠着、悲惨な塹壕戦と化します。戦車や毒ガスが投入されて、戦場は文字通りの地獄と化したのです。それで、次の年になっても、その次の年になっても、兵士たちは帰って来ませんでした。

3.敗戦70年の夏に

私たちもまた「アジア・太平洋戦争」の敗戦から70年目の夏を迎えようとしています。聖書では「70」は「完全数」、従って「70年」は「期間の満了」を意味します。それ故に「エレミヤ書」25章、29章では、新バビロニア帝国による捕囚が「70年」で終わることに成っているのです。史的には「バビロン捕囚」(紀元前587年)からキュロス王による「捕囚解放令」(紀元前538年)までは、49年間でした。

安倍晋三首相が「安保関連法案」を国会に提出しました。海外有事の際には、自衛隊を世界中どこにでも派遣することが出来て、米軍の同盟国として戦争に参加できるようにするための法整備です。しかも、これを「時限立法」ではなく「恒久法」として設置しようとしているのです。「アメリカの国力が衰退した分を、同盟国の日本が補う」等と、綺麗事を言っているマヌケがいますが、実際には、ベトナム戦争時の韓国軍のような役回りに違いありません。日米関係がフェアな同盟関係ではなく、宗主国と属国の関係であることは、沖縄の現実を見れば一目瞭然です。

丁度、70年目の節目の年に、宗主国の台所事情と属国の思惑とが絡み合って、日本国の再軍事化が進もうとしているのです。70年経って尚、米国からの独立を果たせず、果たせないままに「同盟」という表看板によって、米国製の高額な兵器を売り付けられ、米国の要請で、世界各地に派兵させられるのです。便利な「イエローキャブ/Yellow Cab」扱いされているのです。これを「亡国」と言わずして、何を言いましょうか。これは「シビリアン・コントロール/文民統制」以前の問題です。明確な国家戦略のないままに、(米国の失敗の先例を見ていながら)徒に米国追従政策を行なえば、この国は立ち行かなくなります。

牧師 朝日研一朗

【2015年8月の月報より】

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2015年06月28日

仮面を被った麝香猫

1.エレミヤの手紙

「神々の像は、あたかも神殿の梁のようなもので、よく言われるように、その内部は虫に食われています。地からわいた虫が体や衣をかじっても、何も感じません。その顔は神殿に漂う煙で黒ずんでいます。その体や頭の上を、こうもりやつばめ、小鳥が飛び交い、猫までやって来ます。このようなことで、それらの像が神ではないことは分かるはずですから、恐れてはなりません。」

旧約聖書続編「エレミヤの手紙」19〜22節です。聖書中、唯一「猫」が登場する箇所として、「猫好き」の人たちから喜ばれている箇所です。「エレミヤの手紙」等と言っても、別に預言者エレミヤが書いた手紙ではありません。「エレミヤ書」29章に、エレミヤが第1回バビロン捕囚で連行された同胞へ宛てたとされる手紙があるために、それに倣って、このような書名が付けられたそうです。「エレミヤの手紙」には、「第二神殿時代」(バビロン捕囚から帰還したユダヤ人たちがエルサレムに神殿を再建して以降の時代)の、バビロン残留民の生活や信仰が反映されていると言われています。

2.猫が行方不明?

「猫」と言えば、エジプトが有名です。猫の頭を持った女神、バテストがいるくらいに、猫は崇拝されていました。飼い猫が死ぬと、飼い主と一緒に死後の復活を果たすことを願って、ミイラにしているくらいです。紀元前525年、アケメネス朝ペルシア帝国のカンビュセス2世(キュロス2世の息子)が、エジプト第26王朝を滅ぼして、エジプトを征服併合しますが、この時の戦い(ペルシュウムの戦い)では、ペルシア軍が戦列の前に多数の猫を置いたため、エジプト軍は攻撃することができず、そのために敗れたという俗説まであります。猫愛に殉じて全滅するとは…。

しかしながら、「エレミヤの手紙」に出て来る「猫」は「バビロンの猫」と考えられています。ここでは、猫崇拝は問題にされていないからです。ペルシア帝国時代とは言え、未だペルシャ猫は登場していません。ペルシャ猫という品種が登場するのは、15〜16世紀に成ってからのことですから。

日本でも、廃寺の仏像の上を猫が歩いている風景を想像することは難しくありません。廃寺でなくても、古びた教会にも猫は居着くのでしょう。我が行人坂教会の近辺にも、数匹は馴染みの野良猫がおりまして、春の夜更け等、教会の中庭で盛んに交流をしています。発情期の営みですが、赤ん坊の泣くような甲高い声で、名古屋人のようにミャアミャアと騒いでいました。

ところが、今年に限っては、そのような声を聞くことがありませんでした。街から消えた訳ではありません。時折り道路で見かけると、相手の方でもジッと見ていますから、私も必ず声をかけて挨拶をします。「最近、教会に来ていないね」等と問うてみますが、何分、相手は猫ですから、詳しい近況報告はしてくれません。しかし、彼らには彼らなりに、教会から遠ざかる理由があったのです。いつの頃からか、別の動物が教会の中庭を縄張りにするように成っていたのです。

3.食べられる猫

去る6月20日朝、2階の寝室のカーテンを開けてビックリ。ベランダにウンコの山盛りがあり、その中に多数の種が混じっています。間違いなく、庭の枇杷の実です。私も血迷って最初は猫かとも考えましたが、猫はフルーツを食べません。とすれば、残る可能性は「ハクビシン」しかありません。

その夜8時頃でしたか、土曜日恒例の『男はつらいよ』をBSで観ていた時です。木の枝がザワザワと揺れる音が盛んにするではありませんか。懐中電灯を手に庭に出てみますと、枇杷の木の枝にハクビシンが3匹、枇杷の実をムシャムシャと嬉しそうに齧っています。懐中電灯で照らすと、目が白く光ります。

「ハクビシン/白鼻芯、白鼻心」は、かなり古くから日本に入って来た外来種です。イタチに似て、細長い体と尻尾を持っていますが、ネコ目ジャコウネコ科です。ラテン語の学名は「Paguma Larvata/パグマ・ラールヴァータ」、「larua/ラールア」が「仮面」ですから、「仮面を被ったようなパグマ(マレー語で「木登り犬」とか)」です。「仮面」とは、額から鼻に抜ける白い筋の特徴を言います。英名は「Masked Palm Civet/マスクド・パーム・シヴィト」、「シヴィト」は「麝香」です。「palm cat/パーム・キャット」が「ジャコウネコ」です。やはり「マスクド/仮面の」と付きます。

東京23区内には、ハクビシンが千頭以上生息しているそうです。現在のところ、ハクビシンは「外来種」扱いではなく「野生動物」扱いに成っていますので、駆除殺傷することは禁じられています。残念です。その肉はとても美味だとされていますので、私としては、少し食べてみたいと思っていたのです。中華料理では、臭みを除くため、ニンニクと醤油で味付けして、梨と一緒に煮込んで「梨片果子狸」という料理にするそうです。「果子狸」がハクビシンの中国名「クオツーリー」です。

同志社の神学部の学寮であった「此春寮」では、戦後の食糧難の時代、よく寮生たちが赤犬を捕まえて来ては、鍋にして食べていたそうです。そんな時代の先輩たちに「猫は食べましたか?」と尋ねると、「猫の身は油ばかり多くて食べられた物では無かった」「フライパンにヘバリ付いた猫の油が取れなかった」と証言してくれました。

果実を大量に食べているハクビシンならば、さぞかし美味しいことでしょう。愛猫家の皆さんも、あのイタチとタヌキの中間みたいな奴なら許して下さるのではないでしょうか。

牧師 朝日研一朗

【2015年7月の月報より】

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2015年05月31日

親不孝物語

1.重ねた不義理

6月14日、父の「二十五回忌法要」のために実家に帰る予定です。恐らく、実家に帰るのは11年ぶりです。長男二男が共に未だ幼くて、トノサマガエルやシマヘビを捕まえようと、田んぼの畦道を走り回った記憶があります。母に会うのも6年ぶりです。二男が入院中に、上京して家事を助けてくれた時が最後です。指折り数えて、何という親不孝者かと、我ながら驚きます。

これだけ長く不義理をしていると、家族や親族から「あんた、誰?」と冷たくあしらわれても文句は言えません。白いお面こそ着けていませんが、『犬神家の一族』の「佐清(すけきよ)」状態であることは想像に難くありません。いっそ「佐清」の白いお面を被って帰省しようかとも考えましたが、新幹線に乗る前に(品川駅の段階で)「不審者」として職務質問の対象になるのが関の山ですね。

ともかく「親不孝」「親への不義理」というのは、それだけで「十戒」の第5戒に違反している訳です。「あなたの父母を敬え。そうすれば、あなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることが出来る」(出エジプト記20章12節)。「敬う、尊敬する」と訳されたヘブル語「キベード」は「カーベード/重い」「コーベド/重さ」から派生した語です。「神の権威を重んじる」ことなのです。死んだ者としての取り扱い(祖先崇拝)や年老いて衰弱した者への配慮(憐憫)とは無縁なのです。むしろ「汝らの父母に祝福の基あり」と、律法は教えてくれているのです。つまり、不義理を重ねた挙句に、私が実家に帰るのを重苦しく感じるのも、神さまの与えて下さる重さに違いありません。

2.見知らぬ家族

そんなことを思い浮かべていると、往年のフランス映画2本が思い出されました。1960年の『かくも長き不在』(Une aussi longue absence)、そして、1982年の『マルタン・ゲールの帰還』(Le retour de Martin Guerre)です。

前者は御覧になっている方も多いでしょう。カンヌ映画祭のグランプリ(パルム・ドール)作品です。パリの下町で飲み屋を営む未亡人(アリダ・ヴァリ)が、記憶喪失の浮浪者(ジョルジュ・ウィルソン)に出会います。彼はどことなく、戦時中に行方不明になったままの夫の面影と重なるのですが…。マルグリット・デュラスがシナリオに参加していて、アラン・レネが編集を手掛けています。観終わった後、スポンジを天麩羅にして飲み込んだような、憂鬱な気分に浸れること請け合いです。

後者は、16世紀のフランスの小村を舞台に、突然、現われた男(ジェラール・ドパルデュー)が「マルタン・ゲール」と名乗るのですが、マルタンの妻(ナタリー・バイ)は夫の変貌振りに困惑するという物語です。かつては神経質で人付き合いの悪かった夫が、今は気さくで家族思いの働き者に変わっていたのです。ところが、やがて本物のマルタン・ゲールが、戦死したはずの戦場から帰って来たのです。この話を、アメリカの南北戦争に舞台を移してリメークした映画が、リチャード・ギアとジョディ・フォスター共演、1993年の作品『ジャック・サマースビー』(Sommersby)です。

この事件は、当時の裁判記録が残っていて、それに取材した中世史研究書『マルタン・ゲールの帰還/16世紀フランスの偽亭主事件』(ナタリー・Z・デーヴィス著、成瀬駒男訳、1985年、平凡社)が有名です。

そう言えば、安部公房の『他人の顔』という名作もありました。これらは皆、夫婦の話ですが、親子や兄弟姉妹でもあり得る話です。実際、中国残留孤児の帰還運動が盛んだった時には、肉親の再会と思っていたら、DNA鑑定などで後から別人であることが判明したというような話が幾つもあったように思います。そもそも、戦中戦後に還って来た戦死者の遺骨などは本人の物であるかどうかも、甚だ怪しかった訳です。

3.親不孝大通り

なぜでしょうか、日本各地に「親不孝通り」と称する飲み屋街があります。横浜の曙町、博多の天神が有名ですが、東京でも洲崎大門と吉原大門とを繋ぐ「大門通り」を「親不孝通り」と呼んだ時代があったそうです。「遊郭から遊郭へ」ですから、文字通りの「親不孝」です。調べてみると、大阪では近畿大学の近所(長瀬駅前)に、名古屋では名古屋駅裏(太閤口)に「親不孝通り」と称する場所があったそうです。最近では「親富孝通り」等と、別の文字を当てて表記する場合があります。

重ねて、映画の話で恐縮ですが、私の大好きな増村保造監督の1958年作品にも『親不孝通り』というのがありました。「アプレ」だか「太陽族」だか(どっちにしても古い)の若者たちが主人公なので、舞台は洲崎でも吉原でもなく、銀座に成っています。川口浩、桂木洋子、野添ひとみ、船越英二というメインキャストを見ても、古色蒼然としています。何しろ、今や桂木を除いて3人とも物故者です。

因みに、1945年の『天井桟敷の人々』(Les enfants du paradis)の第1部は「犯罪大通り」(Le boulevard du crime)でした。1840年代のパリでは、下町の「ブールヴァール・デュ・タンプル/le boulevard du Temple」が「犯罪大通り」の名前で呼ばれていたそうです。「親不孝通り」が駅裏の飲み屋街、裏路地の後ろ暗いイメージなのに、「大通り/ブールヴァール」とは、何と祝祭的なのでしょうか。かの映画にも登場する、実在の犯罪者にして詩人、ピエール・ラスネールは、今では「ムッシュ・ラスネール」というフランスのニット専門の服飾ブランドに名を残しています。締めに、ラスネールの名台詞をどうぞ。「危ないねぇ。気をつけることです。振り返ると、過去は狂犬のように噛み付いて来ますぞ」。

牧師 朝日研一朗

【2015年6月の月報より】

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2015年04月27日

水もれ教会

1.教会が伏魔殿?

その昔、石立鉄男主演の『水もれ甲介』というホームドラマがありました。「水もれ」の題名からもお察しの通り、主人公は水道屋です。調べてみたら、1974年のドラマでした。もう40年以上もの歳月が経っていたのです。妹役の村地弘美が可愛くて、それを目当てに見ていたものです。「龍角散トローチ」の「…と日記には書いておこう」のCMで、セーラー服の女子高生を演じていた女の子です。

私が『水もれ甲介』を思い出したのは、最近、我らが行人坂教会もまた、水道屋のお世話になっていたからです。昨年の暮れから、急激に水道料金が上がり始めたのです。水道メーターを見ると、誰も水道を出していないのに、カウンターが動いているのです。数年前にも、そんな事が起こったのですが、今回は半端ではありませんでした。2ヶ月で4万円もの水道料金の請求書が届くようになったのです。

早速、会堂委員会に業者を手配して頂き、漏水箇所の捜索が始まりました。ところが、全く特定できません。何しろ、教会の地下に埋設されている水道管は、腐食して漏水するのも道理と思われるような大昔の「鉄管」なのです。しかも、会堂建築当時に水道管敷設を請け負った業者が悪いのか何なのか、水道管は迷路のように複雑に枝分かれしており、図面とも違っています。数年前、目黒区による水道管入れ替え工事が入った時には、教会の水道管から盗水目的と思しき水道管の残骸が出現したくらいです。

歴代の会堂委員長からも「行人坂教会の地下は伏魔殿」と言われている程なのです。それにしても「教会の地下が伏魔殿」等とは洒落になりません。悪魔学の好きな牧師としては、そのフレーズを耳にしただけで、ウハウハと嬉しくなってしまうのですが、隔月で届く水道料金請求書を見れば、恐らく、悪魔も尻尾を巻いて逃げ出したくなることでしょう。

2.ここに泉あり!

漏水箇所を特定できないとは言え、このまま放置することも出来ません。何しろ水道料金が何万円単位です。しかし、地下を掘り起こして、水道施設を総入れ替えする訳にも参りません。そこで会堂委員会は、地下の古い鉄管を不使用にして、新たな水道管(塩ビ管)を敷設して、そこに水道を通す計画を立てました。2つの業者に見積もりを立てさせていましたが、百万円以上の工事費が見込まれていました。

そんな折の出来事でした。3月末から、バリアフリーの入浴設備「ヨナ」の前のウッドデッキに立つと、ポッチャン、ポッチャンと水滴の音が響いているのです。妻が「例の漏水箇所ではないか」と言うので、4月12日、会堂委員長と共にウッドデッキの隙間から地面を覗くと、何と、泉が湧き出しているではありませんか。澄み切った湧水の周りでは、砂粒がダンスを繰り広げています。まさしく『ここに泉あり』です。

4月15日、ウッドデッキを外すと、その下には、美しい泉があり、その50センチ地下から「塩ビ管」の漏水が発見されました。どうやら、20年程前に、会堂から牧師館へと給水するために敷設した物らしい。原因は不明ですが、「塩ビ管」が破損し、最初は地底に広がっていた水が、何ヶ月かを費やして、地上にも泉となって湧き上がり、その溢れた水が旧幼稚園の側溝に滴り落ちて鳴っていたのです。

「伏魔殿」と言われていましたが、教会の聖堂から湧き溢れているのですから、本当は「聖なる泉」かも知れません。思わず、ザ・ピーナッツの「聖なる泉」(『モスラ対ゴジラ』の挿入歌)を、♪「Na Intindihan mo ba/Mayrou doan maganda balon/Punta,ka lang dit」と思わず詠唱してしまった程です(哀しい「特撮オタク」の習性)。水曜祈祷会に見えていた婦人のお一人は、清浄なる泉の滾々(こんこん)と湧き出る様を見て、「まるで、ルルドの泉みたいねぇ」と感想を漏らしておられました。

3.黄泉帰りの日に

本当に、これが自然に湧き出た清水であったなら、あるいは「ルルドの泉」のように「霊験新たか」と評判を呼んだかも知れません。ジェニファー・ジョーンズ主演の『聖処女』(ルルドの泉の啓示を受けたベルナデットの物語)、イングマル・ベルイマンの『処女の泉』が思い出されました。そう言えば、ブルー・コメッツの「マリアの泉」という歌もありました。すっかり、泉のイメージに魅了された私が、斯く斯くと妻に喋ると、「誰か病気の人が治るとかしないと、ダメよ」と瞬殺されてしまいました。

しかしながら、「泉」は「黄泉/ヨミ」にも通じています。「黄泉」とは「地下の泉」ですから、そこから地下の「死者の世界」を言うようになったのです。死後の世界を「黄泉」と表記するのは、漢民族の陰陽五行説に由来しています。「黄」は色ではなく「土」という意味なのです。ともかく、地下世界に、もう1つの「水の世界」があるらしいのです。これは旧約聖書にも共通する、古代人特有の世界観です。

その「黄泉」から帰って来るので「黄泉帰り/蘇えり」と言うのです。大学時代の夏休み明け、私が山陰線に乗って実家から戻って来たのを、国文科の友人が「まさに『黄泉帰り』だね。『根の国』から帰って来たのだから」と言って迎えてくれたことがありました。その時に初めて、自分の郷里が「根の国」の入り口だということを意識させられたのです。まあ、確かに、酒吞童子の大江山、夜久姫の名を残す夜久野高原など、「まつろわぬ民」(大和朝廷に服属しなかった土豪たち)と繋がる世界ではありました。

それにしても、今回の水道管の漏水と言い、数年前には集中豪雨の度に起こった雨漏りと言い、建築から53年を経て、さすがの行人坂教会の建物も、あちらこちらから「異界」が顔を覗かせるようになって来ました。妖怪マニアとしては嬉しい限りです。

牧師 朝日研一朗

【2015年5月の月報より】

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2015年03月29日

呪いの連鎖を断て!

昨年、ボカロ曲『塵塵呪詛/チリチリジュソ』(作詞作曲:きくお)が、一部の好事家の間で評判を呼びました。バリ島のガムラン音楽を思わせる旋律で、呪文のような謎めいた歌詞が印象的でした。「僕らの終わりは世界の終わり/世界の終わりはみんなの終わり/きみの始まりは誰かの代わり/誰かの終わりが僕らの代わり…」。

「ボカロ」とは「ボーカロイド/VOCALOID」、ヤマハが開発した音声合成装置ですから人間の声ではありません。「初音ミク」という名前で知られる、ツインテール(二つ結ひ髪)の美少女キャラが有名ですね。『塵塵呪詛』にも、この「初音ミク」をフューチャーしたバージョンがあります。

意味不明の歌詞ですが、要するに、チェーンメール系の呪い歌です。古風な言い方をすれば「不幸の手紙」ということです。命のないボーカロイドが、命を実感することの少ない若者たちを、再び呪いの世界へと引き入れようとしているかように、私には思われました。私の取り越し苦労なら良いのですが…。いや、むしろ、このどうしようもない世界に呪縛されて生きる現代人の閉塞感、厭世的な気分を歌っているのでしょうか。

私たちの国には、未だ民主主義もあるし、憲法で保障された人権もあるし、選挙権もあります。平和をつくるために働く人たち、社会貢献をしようと意欲を持った人たちも大勢いるはずです。世の中をより良くして行くための手立ては未だ残されているはずなのですが、なぜか、そういう方向には行かず、色々なことが空回りした挙句に、悪循環に陥っているように思われてなりません。

聖書には「呪い」という語が数多く出て来ます。「祝福」と同じくらい「呪い」も出て来るのです。神さまとの関係の仕方、向き合い方の如何によって、人間は祝福の内に入れられたり、呪いの内に囚われたりするのです。「わたしは命と死、及び祝福と呪いをあなたの前に置いた。あなたは命を選ばなければならない」(協会訳「申命記」三〇章一九節)と言われているように、神に従うべきかどうかを、人は自ら決定し、命と祝福を受け取るように、神さまから促されているのです。

「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」と、村上龍は『希望の国のエクソダス』(二〇〇〇年)の登場人物に語らせていました。あれから既に十五年が経過し、益々、私たちの社会は希望を見出せなくなっているようです。何度も私たちは「ボタンの掛け違え」を繰り返しているのではないでしょうか。

戦後しばらく「逆コース」という語が使われていました。戦後の民主主義、非軍事の歩みに逆行する政策を、為政者が打ち出す度に「逆コース」と批判されたものです。最近、それどころか、この国が高速道路を「逆走」をしているように、私は感じます。政治経済だけではなく、全てにおいて、そのように思われます。私の錯覚であって欲しいものです。

【会報「行人坂」No.250 2015年3月発行より】

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2015年03月24日

杏の花が咲きました

1.花も実もある

行人坂教会の小さな中庭には、杏の樹と枇杷の樹があります。毎年3月下旬に入ると、薄紅色の花が一斉に咲いて、春が来たことを知らせてくれます。ヒヨドリ、ホオジロ、シジュウカラ、カワラヒワ等の野鳥たちが、どこからともなくやって来て、枝から枝へと飛び跳ねながら、花の芽をついばんで行きます。風が吹くと、淡い紅色の小さな花びらを一斉に舞い散らせます。

その佇まいを目にすると、「花より団子」の私ですら、何とも知れず幸せな気持ちになります。桜などとは違って、杏は「花も実もある」樹なのです。小学校時代、登下校路に面した家に枇杷が枝を伸ばしている庭があり、よく枇杷を失敬して食べたものです。そんな訳で、枇杷の樹には馴染みがあったのですが、杏の樹は行人坂教会に赴任して初めて、親しく接するようになりました。

赴任したばかりの年は、我が家の子どもたちも幼く(長男が小学校2年生、二男が幼稚園年中組)、未だ元気でしたので、よく二人して、猿のようになって、杏の樹に登って遊んでいました。その時の写真は、貴重に思われ、今でもリビングの写真立てに飾ってあります。凡そ、樹木にも草花にも無関心な私ですが、その写真を見ている内に、あの杏の樹には深い愛着を抱くようになったのかも知れません。

2.アルメニアン

アンズの学名は「Prunus armeniaca/アルメニアのプルーン」と言います。「プルーン」ですから「李/スモモ」です。イギリスでは「アプリコット」と言い、日本では「唐桃」とも言います。何でもアーモンドの近種でもあるそうで、そう言えば、アーモンドも漢字で「扁桃」と書きます。「扁桃腺」の「扁桃」です。

「アーモンド」と言えば、「エレミヤ書」1章「エレミヤの召命」が思い出されます。主なる神がエレミヤに問い掛けます。「エレミヤよ、何が見えるか」。エレミヤは答えます。「アーモンドの枝が見えます」。ヘブル語で「アーモンド」が「シャーケード」、その語に「見張る者、目覚める者」の「シャーカド」を掛けた洒落なのですが、それはアーモンドの純白の花が百花に先駆けて咲くからなのです。

杏は聖書には出て来ませんが、アーモンドの親戚ですから、行人坂教会には、かの樹が目覚めていて、私たちに春の訪れ(イースターが近付いていること)を教えてくれるのです。「あなたがたはまだ眠っている。休んでいる。時が近づいた」(マタイによる福音書26章45節)と言って「立て、行こう」と促しているのです。

杏の原産地は、ヒマラヤの西部からウズベキスタンのフェルガナ盆地とされています。しかし、古代の地中海世界に暮らす人たちにとっては、杏は「アルメニア」原産と思われていたようです。きっと、そこからもたらされたのでしょう。アルメニアは、聖書にも「アララト/Ararat」という地名で出て来ます。「創世記」8章で、ノアの箱舟が漂着した山として、「列王記下」37章と「イザヤ書」37章では、アッシリア王センナケリブを暗殺した2人の王子の逃亡先として、「エレミヤ書」51章では、新バビロニア帝国滅亡の原因を作る王国の1つとして、その名前が挙げられています。

アルメニアは、十二使徒の1人、バルトロマイが伝道し殉教した土地とされており、紀元3世紀初頭には、世界で初めてキリスト教を国教にしています。つまり、世界最古の「キリスト教国」なのです。昔から「ユダヤ人が3人束になってかかっても、1人のアルメニア人には敵わない」と言われるくらい商売上手だと言われています。

因みに、2005年版『キング・コング』、2011〜2014年版『猿の惑星』シリーズのシーザー、『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズ及び『ホビットの冒険』のゴラム(ゴクリ)、更には、2014年版『GODZILLA/ゴジラ』を、モーションキャプチャで演じている、アンディ・サーキスはアルメニア人です。世界広しと言えども、東西怪獣横綱、キング・コングとゴジラの両方を演じた人は中島春雄とサーキスしかいません。

3.杏にも仁あり

中国では「医者」、特に「名医」を「杏林」と言うのだそうです。何でも、三国時代(紀元3世紀)、呉の董奉(ドンフェン)は、患者から治療費を取る代わりに、家の周りに杏の苗木を植えさせたそうです。重病が治った人は5本、軽い病の人は1本との条件でした。数年後には、董奉の家の周りには「杏林」が出来ていたそうです。

その「杏林」が大量の実りをもたらした時、杏の実を求める人が訪ねて来るようになりました。すると、董奉は「お金は要らないので、同じ重さの穀物と交換します」と申し出たそうです。こうして大量の穀物を蓄えると、彼は「食べ物に困った人は、無料で穀物を分けますから、取りに来なさい」と言って、生活困窮者を助けたそうです。人々は董奉の徳を称えて、名医を「杏林」と呼ぶようになったとのことです。

それで「杏林大学」とか「杏林製薬」等というネーミングがあったのです。けれども、無料で診療してくれる医者はいませんし、無償で薬を処方してくれる製薬会社もありません。医療費の患者負担額が増えて、加齢と共に通院回数や薬の量も増えて、反比例して年金は減らされた上に、消費税と物価だけは上がって、家計のやり繰りに悩む庶民にとっては、飽く迄も「アプリコット・フォレスト」の故事は夢の話です。

そう言えば、梅干の種と同じく、アンズの種の中にも肉があって、苦味のある種類は「杏仁(きょうにん)」という生薬の原料だそうです。甘味のある種類は「甜杏仁(てんきょうにん)」と言って、中華料理のデザート「杏仁豆腐」の材料になるそうです。

牧師 朝日研一朗

【2015年4月の月報より】

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