2013年07月26日

ゲリラ豪雨

1.前方の視界

南九州に暮らしていた頃、台風と集中豪雨は珍しくありませんでした。珍しくないとは言え、実際には、毎年やって来る台風の猛威は凄まじいものでした。集中豪雨も、私のような本州から来た者にとっては、あたかも「熱帯のスコール」のように思われました。地元の人が大抵、裸足に草履なのは、大雨が降って膝まで水に浸かっても平気だからです。

南九州では、自動車を運転していて、思わず低速運転せざるを得ないような、大雨も何度か経験しました。けれども、運転に支障を感じる程の集中豪雨を体験したのは、意外なことに、九州時代ではありません。

忘れ難い集中豪雨の思い出、その1回目は、但馬の実家へ里帰りの途中、中国自動車道の吉川JCTの辺りでした。もう1回は、軽井沢の東日本ユースキャンプに行く途中、上信越自動車道の藤岡JCTの辺りでした。いずれの場合も、余りの豪雨のために前方の視界が遮られて、高速道路であるにも拘わらず、30〜20キロまで減速せざるを得ませんでした。前方が見えないままの運転くらい、恐ろしいことはありません。

そう言えば、映画の『ザ・フォッグ』『ミスト』も斯くやと思うような濃霧に突入したことも何度かありました。北海道時代には、猛烈な地吹雪のために、フロントガラスの向こうが「ホワイトアウト」ということがありました。

2.豪雨と落雷

去る7月23日の「ゲリラ豪雨」にも驚かされました。翌日のニュースでも採り上げられていたので、御覧になった方も多いでしょう。目黒川が氾濫の寸前まで行きました。1時間に百ミリの集中豪雨が続き、水位が急上昇しました。沿岸地域では、サイレンが鳴り響きました。水位上昇が護岸から2.5メートルに達すると、自動的に警報機のサイレンが鳴るようになっているのです。

ネットの投稿写真で見ると、下流の五反田大橋は橋桁近くまで水が来ていました。どうやら、行人坂教会の辺りの目黒川も、氾濫まで残り2メートルというところだったようです。目黒川は氾濫せずとも、降水量の多さに道路の排水が追い付かず、山手通は(場所によっては)脹脛(ふくらはぎ)まで水嵩が来て、マンホールの蓋が浮いていたそうです。その結果、大鳥神社前交差点のアンダーパスは水没し、山手通は大渋滞となりました。

何でも目黒区民センターの近所の一般家庭では、トイレから下水が逆流して噴き出したそうです。やはり、川の近くだからでしょうか。川が氾濫する以前に、川に流している排水道に水が溢れてしまったのでしょう。

目黒川とは無関係ですが、ネットには、世田谷区の駒沢大学のキャンパスが水没した投稿写真、五反田や目黒中町の冠水した道路の写真もありました。恐らく、これらの地域は窪地に成っていて、周辺の地域から水が流れ込んで来たのではないでしょうか。

落雷も凄かったようです。目黒清掃工場の避雷針には、あの日だけで、3発もの雷が落ちたそうです。東急池上線は停電、エスカレーターもエレベーターも動かなくなりました。車椅子の子供を抱える家庭としては、そういう出来事がとても恐ろしく感じられます。また、東急東横線の学芸大学駅は雨漏りのために、パニック状態に成ったと言います。

3.菅原道真公

いつまでも鳴り止まない雷鳴を聞きながら、私は「清涼殿落雷事件」を思い出していました。旧約聖書の神、ヤハウェも「栄光の神の雷鳴は轟く」と、その御声が雷鳴に喩えられています(詩編29編3〜10節)。昔の人が天の雷光、雷鳴、落雷をどれだけ恐れていたか、よく分かります。

「天神様」「学問の神様」として知られる菅原道真ですが、その実体は「祟り神」であり、「雷神」として畏怖されているのです。菅原道真は幼少期から詩歌の才に秀で、官僚と成っても業績を重ね、朝廷随一の天才と言われ、宇多(うだ)天皇の寵愛を受けて右大臣にまで出世したのです。ところが、時の左大臣、藤原時平に妬まれて、讒言を受け、大宰府に左遷され、失意の内に僻地の九州で亡くなります。

ところが、その死後、彼は日本宗教史上、最大最強の怨霊と成って(夢枕獏の『陰陽師』にも登場しますね)、朝廷に祟りをもたらします。時平はじめ、その子孫を次々に病死させ、遂には御所の清涼殿に雷を落として、政府要人を皆殺しにしてしまいました。特に、左遷に直接関与した藤原清貫(きよつら)等は、落雷の直撃を受けて、丸焦げに成った上に、胸が裂けて、内臓が溢れ出ていたと言われています。

これが、930年の「清涼殿落雷事件」です。それは「延長8年6月26日」、現在の暦で言えば、7月24日のことでした。奇しくも、あの「ゲリラ豪雨」と1日違いだったのです。丁度、24日の「聖書と祈りの集い」のテキストは「ヨブ記」26章でした。「神について私たちの聞き得ることは何と僅かなことか/その雷鳴の力強さを誰が悟り得よう」の註解で、私は菅公の「清涼殿落雷事件」の話をしたのです。聖研の準備をするのは前週の水曜日ですから、私にも少し「預言する霊」が与えられたようです。

神道では「魂鎮め」と言って、「怨霊」を慰撫し、「英霊」や「神」へと祭り上げます。故に「鎮魂」と言います。生者に祟らないように鎮めるのです。しかし、キリスト教の「レクイエム」は「死者が生前に犯した罪が、神の慈悲によって赦され、永遠の安息が与えられるように祈る」ものです。「死者のためのミサ/Missa pro defunctis」の冒頭の句「主よ、彼らに永遠の安息を与え、彼らを絶えざる光をもて照らし給え/Requiem aeternam dona eis,Domine: et lux perpetua luceat eis」から来ているのです。有難くて涙が出ます。

牧師 朝日研一朗

【2013年8月の月報より】

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2013年06月29日

ご自宅で礼拝を

1.放談会から

行人坂教会では、毎年1月に「役員放談会」というものを開催しています。クリスマスの諸行事が終わり、新年度定期総会の準備に忙しくなる前に、牧師と役員が集って、文字通り「放談」をするのです。「放談」ですから「無責任な思い付き」を出し合うのです。

私の着任後しばらくは、もう少し真面目に「役員懇談会」等と称していました。この機会に、日頃の役員会では、報告と協議事項に追われて、話題に出来ないことを懇談しよう。あるいは、新年度の「牧会方針案」に、牧師だけではなく役員のアイデアも盛り込もう。そんなことを考えて始めたものです。

その後、余り真面目にやっていたのでは、ダイナミックな意見、自由で生き生きとした意見が出ないと気付き、「懇談会」ではなく「放談会」と名称変更したのです。因みに、定期総会後、つまり、役員改選後の5月の「懇談会」は「懇談会」のままにして置いたのですが、これも新年度は、遂に「放談会」と化してしまいました。

2.瓢箪から駒

さて、1月の「放談会」で出された意見の中から、一気に具体化しつつあるのが、電話回線を利用した「礼拝音声配信サービス」です。

「放談会」の席上、ある役員が「今は礼拝に通うことが出来ているが、将来、高齢になったり、病床に就いたら、礼拝できなくなるのか」と問題提起をなさったことが発端でした。そこで思い出されたのが「多回線音声応答装置・サービスホン」の存在でした。教会の指定番号に電話を掛けるだけで、その日その時に行われている礼拝の実況が聴けるのです。昔、私が伝道師、副牧師として在任した南大阪教会が、逸早く、そのシステムを導入していました。南大阪教会では「福音コール」という愛称を付けていました。システム導入に取り組んだ岩橋常久牧師は、既に横浜の紅葉坂教会に転任なさっていましたが、早速お電話をして、資料をドッサリお送り頂き、翌々月の役員会に諮ることが出来ました。その際に、設置に向けて取り組むことが決定されました。

4月14日には、実際に運用なさっている教会から話を伺おうということで、2名の前役員と共に、中渋谷教会に赴き、M長老から詳しく運用のノウハウを教わりました。その中渋谷教会の事例を紹介した『教団新報』の記事(2008年3月1日号)から、以下、引用してみたいと思います。

「電話回線で礼拝が守れることで高齢者は安心して老いることができる。自宅にいる限り礼拝を守ることができるということが大きな力になっている。電話機の進化もそれに一役買っている。電話のオンフック機能の普及によって、ずっと受話器を支えていなくても、礼拝を聞くことができるようになった。」

「オンフック機能」とは「スピーカー機能」のことです。しかも、この記事が掲載された5年前から電話機の機能は更に向上し、子機でも可能になっています。子機を利用すれば、ベッドの傍らに置いて、礼拝を聞くことが出来ます。最近では携帯電話(セルラー)の普及も著しく、高齢者でも携帯電話を利用されている方は大勢おられます。さすれば、「自宅にいる限り」という制約すら、絶対では無くなっているのです(但し、病院と特定の施設、公共交通機関では、携帯電話の使用は控えなくてはなりません)。

しかも、各自の利用料(自己負担額)は1回の礼拝につき、(東京24区内の場合)180〜250円が電話料金に加算される程度のことです。そう、礼拝に通う電車賃、バス料金くらいの値段なのです。

3.本物の礼拝

ご高齢のため、その他の理由のため、今現在、長期間にわたって、礼拝をお休みになっている会員の10家庭に、アンケートを取って、ご利用を促す予定です。このシステムを導入するために、取り敢えず6つの専用回線を設置します。利用希望者が大勢おられれば、12回線に増設することも考えています。

設置の初期費用に46万円余を支出します。設置すれば、月額利用料として1万1千円余を、教会は毎月負担して行くことになります。しかし、お金の問題以上に大切な課題があります。それは、最初にあった問題提起です。「高齢になって通えなくなったら、礼拝に参加できなくなる」という現状を放置して、無策のまま、手を拱(こまね)いているのは、教会の在り方として善くないという認識です。

私自身も、その時その場に共にいるのが「本物の礼拝」で、映像や音声を流しても「本物の礼拝」ではないと思い込んでいました。そのように教え込まれて来たからです。しかし、「礼拝に参加したい」「礼拝を聞きたい」、それも「他でもない、行人坂教会の礼拝を!!」という切なる願いを、信仰の先輩たちが持っておられたと思い至った時に、今まで自分は何と無為無策であったかと、大いに反省した次第です。

行人坂教会の礼拝に思いを寄せながら、天国に召されて行った、姉妹兄弟たちのお顔が思い浮かびます。しかし、今からでも遅くはありません。1年後、数年後に、通えなくなるかも知れない信仰の友たちのためにも、早急に設置に踏み切ろうと、6月役員会は決断したのです。最初の利用者が、たとえ誰もいなくても、設置しようと決定したのです。

その昔、『ティファニーで朝食を』という題名の映画がありました。そもそも、高級宝飾店のティファニーに食堂はないのですが、あたかも「ティファニーで朝食を食べるような身分」というヒロインの憧れを表現したのです。私たちが願い求めているのは、そんな贅沢なことではありません。ただ「自宅で行人坂教会の礼拝を」、それだけのことなのです。

牧師 朝日研一朗

【2013年7月の月報より】

posted by 行人坂教会 at 18:13 | ┣会報巻頭言など

2013年05月26日

アナログの価値

1.惜別の思い

私の頭の中はアナログで、今でも中古レコード店に出入りして、昔のレコードを漁っています。子供が大病をした後、理由は分かりませんが、何か潮が引くようにしてCDを買うのを止めてしまいました。その後、東京YMCA山手学舎の聖書研究を担当することになり、高田馬場に行くようになりました。高田馬場は学生街ですから、古本屋や中古レコード店や名画座が生き残っています(但し、昔ながらの喫茶店は既に滅亡していました)。それで、またもや、レコードを買うようになったのです。

高田馬場のレコード店で、ナナ・ムスクーリ、オルネラ・ヴァノーニ、ガル・コスタ、ジャニス・イアン、マリ・ウィルソン、タミー・ウィネット、アン・マレー、マルレーネ・ディートリッヒ、マリー・ラフォレ、リンダ・ルイス、ダイアナ・ロス等のLPレコードを、5百円から千円前後で手に入れました。イヴ・モンタンやバルバラ(これは妻の趣味ですが)も買いました。ターンテーブルに乗せて聴くのは面倒臭いのですが、やはり、女性歌手のレコードを聴く楽しみはジャケットにあります。

山手学舎の舎生(18〜25歳の大学生)は、私が買って来るのがレコードだと聞いて、「写真集だと思っていました」と驚いていました。彼らにとっては、生まれた時からCDがあって、そのCDも消費される物です。今や楽曲をPC(パソコン)やモバイル(携帯電話とか)にダウンロードするのが当たり前です。音楽媒体も映像媒体も、いつでも引き出せるのですから、品物として購入して、狭い部屋を更に狭くする必要は全くありません。

そんな時代ですから、今年の4月、JR高田馬場駅前のCDショップ「ムトウ楽器店」(創業89年の老舗レコード店)が閉店してしまいました。私は自分のためにCDを買わなくなっていましたが、子どものために『ドラゴンボール』や『HUNTER×HUNTER』のCDを、妻のためにアリス=紗良・オットの『展覧会の絵』や『ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ集』のCDを、「ムトウ」で買ったものです。クラシック・コーナーが中2階にあって、何か格調高い感じがしたものです。

2.中性子爆弾

私の後輩にFという男がいて、北海道で牧師をしています。大学時代には、彼から私は、ジョン・メイオールやクリーム等のブリティッシュ・ロックの魅力を教えて貰ったのですが、なぜか今はクラシックのLPレコードだけをコレクションしているのです。何年か前に、その男が上京した時、蒲田教会のH牧師と一緒に歓迎飲み会をしました。その席上、彼は、こんな風に薀蓄を垂れていました。

「もしも、地球上のどこかで戦争が起こって、その戦争で中性子爆弾が使われたら、CDやDVDやPCに記録されたデータなんかは、全て飛んでしまうの。だから、結局、最後まで音楽を聴くことが出来るのはレコードなの」。

発売当時「半永久的」と謳われていたにも拘わらず、10年、20年経つ内にCDの音質も劣化するという悲しい事実に直面して、私も愕然としていたものですから、この時は「そうだ、そうだ!」と言って、彼の自論を支持したのでした。科学的な説明は忘れましたが、事実、そのように成るのだということで、納得できるものでした。

ところが、後になって、よくよく考えてみると、中性子爆弾が爆発して、大気圏内のPCデータが全て飛んでしまうのであれば、私たちが使っているオーディオセット(アンプやターンテーブル)だって、やはり、ガラクタ同然に成るはずなのです。1980年代以後、マイコン(マイクロコンピュータ)の組み込まれていない機械など、恐らく、ただの1つも存在しません。結局、レコードのデータは飛ばなくても、それを聴くための道具は存在しなくなるのです(1970年代以前のオーディオセットをお持ちの方は別です)。

たとえ、皆さんが、自分はコンピュータ等と無縁の生活と思っておられるとしても、家庭電化製品には全てマイコンが入っています。テレビ、DVDデッキ、エアコン、電子レンジ、炊飯電子ジャー、ミキサー、攪拌器、冷蔵庫、電話器、ウォシュレット型の便器、温水器型の風呂、ドライヤー、電気こたつ、電気毛布、ガスストーブ、扇風機、デジカメ、自動車…。居間から台所、寝室、外出と移動しながら、見渡してみました。全滅です。

3.電話で礼拝

今年の1月末から、行人坂教会のHP(ホームページ)でも、礼拝の音声を聴くことが出来るようになりました。毎週、「前奏」から祝祷の後の短い「後奏」までがアップされています。「説教」だけ聴いてみようと思えば、そのポイントまで飛ばすことも出来ます。しかし、若い世代と違って、高齢者の場合、PCを持っている人は余りありません。残念ながら、このようなサービスも、高齢のために礼拝に集うことの難しい人たちにとっては、それ程に有益ではありません。

お宅にプッシュホンがあれば、礼拝時に教会と電話で繋いで、スピーカーボタンを押すだけで、礼拝を聴くことの出来る「多回線音声応答装置・サービスホン」の設置に向けて、現在、教会はシステムの導入を進めています。聞くところによると、利用者(自宅で礼拝を聴く人)の負担は、1時間半2百円か3百円だそうです。

いずれは「スカイプ」を利用する時代も来るのでしょう。しかし、今、礼拝を必要としている高齢者や長期自宅療養者が簡単に利用できるシステムの導入が、何より求められています。丁度、今でもカセットテープで音楽を聴く人がいるのと同じように。誰もが持っている家電で、ボタン1つで、自宅にいながらにして、礼拝に参加することが出来るのです。

近々、申し込みの希望を取りたいと思います。どうぞ、お知らせ下さいますように。

牧師 朝日研一朗

【2013年6月の月報より】

posted by 行人坂教会 at 08:48 | ┣会報巻頭言など

2013年04月28日

連続テレビ小説

1.あまちゃん?

先日、淡路島で地震があり、心配になって兵庫県の実家の母に電話をしました。「但馬は何でも無かった」との報告に安堵しました。なぜか、話題はNHK「連続テレビ小説」の『あまちゃん』の話になり、ヒロインの天野アキを演じる能年玲奈が隣町の神崎町出身であることを教わりました。所謂「平成の大合併」で、現在は「神崎郡神河町」と成りましたが、以前は「神崎郡神崎町」で、私の高校の同級生にも、この町から通っている子は大勢いました。残念ながら、当時、能年ちゃん程の可愛い子はいませんでしたが…。

ついでに、母は「『八重の桜』を毎週見ている」という話をしました。余り「大河ドラマ」に関心の無さそうな母が見ている理由は、山本八重(綾瀬はるか)の最初の夫に成る川崎尚之助(長谷川博己)が但馬出石藩の出身だからなのです。母は城下町出石の出身で、それを今でも大切にしているのです。それから、母は「あんたの母校、同志社の新島襄さんも出て来るしな」と付け加えたものでした。

人が連続ドラマを見るのには色々な動機付けがあるのです。但し、母は『あまちゃん』は見ていません。「朝の忙しい時間に足を取られるから」というのが理由でした。そんな母も、私たち夫婦が北海道に住んでいた頃には、「毎朝、『すずらん』を見て、あんたたちのことを思い出している」と言っていたのですが…。きっと、見なくなるのにも色々な理由があるのでしょう。

2.最近の連ドラ

そう言えば、この何年か、再び「連続テレビ小説」を見るようになっていました。思い返せば、二男が『ゲゲゲの女房』を楽しみに見るように成ってからでした。その前の『ウェルかめ』等は全く見た覚えがありません。ところが、大病をして生還した二男が小学校に復学する時、彼が大好きだった水木しげる翁(『ゲゲゲの鬼太郎』)の力を借りたのでした。二男は『ゲゲゲの女房』を見終わってから、のんびり登校したものです。『ゲゲゲの女房』の脚本家は山本むつみ、『八重の桜』のホンを書いている人です。

その後の『てっぱん』は殆ど見ませんでした。尾道は私の好きな町ですが、時折、見るとはなしに見ていると、理解と常識を絶する展開があり(例えば、京野ことみのエピソードとか)、呆れたことを覚えています。

次の『おひさま』の世界は、もはや妻の独壇場と言っても構いません。先日もBSで再放送していましたが、特に後半、ヒロインの連れ合いに成る高良健吾の出演以後は、妻は欠かさず見ていました。岡田惠和の脚本もよく出来ていて、東日本大震災の影響が意識下にあるようで、何度も貰い泣きしそうになりました。

やはり、圧巻は『カーネーション』です。妻の「面白い」という勧めによって、私が真剣に見始めたのは、ヒロインが「紳士服ロイヤル」(団時朗が店主)に務め始めた辺りからなのですが、尾野真千子の迫力、小原家の面々の上手さ、人間の心の襞を嘗め回すようなジットリコッテリした脚本(渡辺あや)に圧倒されてしまいました。濱田マリなんて、40歳代前半で、あんな老け役演ってしまって、どうなるのだろうと、老婆心ながら心配しました。晩年の夏木マリに変わってからも面白かったです。『カーネーション』を見る度に、グッと来ているものですから、「お父さんは泣き上戸」と子供に言われる始末でした。

『梅ちゃん先生』(尾崎将也脚本)は、ヒロインが診療所を開業して、結婚した辺りで、見なくなってしまいました。全体としてホンも出演者も薄っぺらな印象でした。『純と愛』(遊川和彦脚本)は、第3部の「宮古編」まで耐えましたが、とうとう最後の1週間で堪忍袋の緒が切れて、見るのを止めてしまいました。この脚本家、介護の問題とか採り上げるのは結構だけれども、余りにも安直で、思慮が足りなくて、愛想が尽きました。出演陣も『梅ちゃん』以上に下手糞な人を集めていました(除く:余貴美子)。

今までの所、『あまちゃん』は絶好調です。「さすがはクドカン!!」(脚本は宮藤官九郎)と溜め息の出るような、キャラクター群と台詞回しです。今週、漸く気付いたのですが、この物語、近未来ならぬ「2008年」という「近過去」なのです。やがて「2011年3月11日」が来るのです。脚本の中に、予めセットされているのです。そう考えると、さしものクドカンも自爆するような気がして、些か心配になって参ります。

3.連ドラの法則

子供の時には、家族と一緒に『藍より青く』『鳩子の海』『雲のじゅうたん』等を見ていました。『マー姉ちゃん』くらいまでは、実家で暮らしていました。実家を出て行けば、「連ドラ」は見なくなるものなのですね。

断片的ながら、再び「連ドラ」を見たのは、『澪つくし』と『はね駒』です。南大阪教会の事務室にテレビが置いてあったのです。そこで出前の丼物を食べながら、事務のUさんやTさんと一緒に見ていたものです。不思議なもので、事務員さんのいる教会を出ると、また見なくなるものなのですね。

また飛んで、三度「連ドラ」に復帰したのは『やんちゃくれ』からです。結婚して、家庭生活が整えられて、見るようになるのです。『すずらん』『あすか』『私の青空』『オードリー』…。しかし、長男が生まれ、二男が生まれて、男の子2人に手が掛かるようになって、見る余裕が無くなってしまいました。『ちゅらさん』と『ほんまもん』辺りで打ち止めです。その後、舞台が九州と言うことで、例外的に『わかば』(宮崎県日南市)と『風のハルカ』(大分県湯布院町)を見た記憶があります。

この何年か、子供が成長して、また見始めました。以上、不思議な「連ドラ」の法則です。

牧師 朝日研一朗

【2013年5月の月報より】


posted by 行人坂教会 at 06:34 | ┣会報巻頭言など

2013年03月31日

ナラティヴム

1.読み聞かせ

2009年4月初め、二男が突然、小児脳梗塞(脳幹梗塞)という病気を発症し、生死の境を彷徨いました。意識を取り戻したものの、重い四肢麻痺と構音障碍が残りました。2ヶ月の急性期入院と半年間のリハビリ入院期間が終了し、車椅子ながらも下目黒小学校に復帰することが出来たのは、3学期に成ってからでした。寒い季節でもあり、後遺症や免疫力の低下もあったのでしょう。2日登校しては1日休むというような学校生活でした。

朝に私が二男を送り、午後に妻が迎えに行くという毎日が始まりました。そんな時、私たち夫婦は、PTAの方から「読み聞かせ」のボランティアに誘われました。月1回、ほんの10分程の「朝の会」のことです。2011年の2学期から始めたのだったと記憶しています。何しろ慌しい朝の時間です。始めた当初は、完全に失念してしまっていて、夫婦して穴を開けるという大失態を演じたことがあります(突然の欠席にも対応できるように、区民ボランティアのベテランさんがサポートして下さっているのですが…)。

この失敗を反省して以来、基本的には、私が参加し、妻は1年1回か2回くらいの特別出演に成っています。私が「読み聞かせ」をしようと思った契機は、二男が愛して止まぬ下目黒小学校の、その子どもたちに、何か関わりを持ちたいと思ったからです。保護者の、しかも、お父さんの「読み聞かせ」は珍しがられたようで、現在、下目黒小学校のHPにも写真がアップされています(2013年3月10日付け3年生のページ「今年度最後の読み聞かせ」)。

2.語りと騙り

@長谷川集平:『トリゴラス』(文研出版)、Aマイケル・ローゼン作・クエンティン・ブレーク絵:『悲しい本』(あかね書房)、B長谷川集平:『はせがわくんきらいや』(ブッキング)、Cキティ・クローザー:『ちいさな死神くん』(講談社)、Dエヴァ・シュヴァンクマイエローヴァー:『オテサーネク』(水声社)、E長谷川集平:『すいみんぶそく』(童心社)、F宮部みゆき作・吉田尚令絵:『悪い本』(岩崎書店)、Gかのこ作・米倉斉加年絵『トトとタロー』(アートン)、H皆川博子作・宇野亜喜良絵:『マイマイとナイナイ』(岩崎書店)、Iアーサー・ビナード作・ベン・シャーン絵:『ここが家だ/ベン・シャーンの第五福竜丸』(集英社)、J八百板洋子作・齋藤芽生絵:『吸血鬼のおはなし』(福音館書店)、K本橋成一:『チェルノブイリからの風』(影書房)、L鳥山明:『てんしのトッチオ』(集英社)、M杉山亮作・竹内通雅絵『きんたろう』(小学館)、N京極夏彦作・町田尚子絵:『いるのいないの』(岩崎書店)…。順番は適当ですが、これまで採り上げた本です。

こうして並べてみると、ACEは典型的な「死の教育/デス・エデュケーション」です。Bは森永砒素ミルク中毒、Iは第五福竜丸の被曝、Kはチェルノブイリ原発事故を扱った社会的なテーマの作品です。@は怪獣、Dは人喰い樹、Fは心の闇、Hは体の中にいる他者、Jは吸血鬼、Nは家に憑依した霊と、恐怖と怪奇と不安をテーマにしています。Gは全く分類不能です。LとMだけが辛うじて痛快な作品です。

実は、私は「読み聞かせ」という語が余り好きではありません。「聞かせ」という部分に、何か押し付けがましさと言うか、強制力を感じてしまうのです。それで、私自身は「語り」と呼んでいます。文化人類学や旧約聖書学、古典文献学や言語学では「ナラティヴム/Narativum」と言われる部分を担当していると、自分では心得ています。勿論「語り」は「騙り」に通じてもいます。けれども、それだからと言って、即ち「嘘」等という訳ではありません。フィクションの中にもリアリズムがあり、ファンタジーの中にも現実世界が反映されて居り、嘘八百の戯作の中にも真実が込められているのです。

3.愛を叫ぶ獣

私が「語り=騙り」に拘っているのは、思い返してみると、子ども時代に見たテレビドラマの影響かも知れません。『アウターリミッツ』『宇宙大作戦』『未知の世界/ミステリーゾーン』『悪魔の異形』『プリズナーNo.6』『四次元への招待』『ヒッチコック劇場』『オーソン・ウェルズ劇場』等の米英ドラマ、円谷プロ製作の『ウルトラQ』『怪奇大作戦』『恐怖劇場アンバランス』も忘れる事は出来ません。

例えば、『アウターリミッツ』にはハーラン・エリスン(『世界の中心で愛を叫んだけもの』)が、『ミステリーゾーン』にはリチャード・マシスン(『地球最後の男』『ある日どこかで』)が台本が書いた作品もあったのです。幼少時に、これらの作品に触れた御蔭で、私は自ら命を絶つこともせずに、投げ槍になることも無く、今も生きるを得ているのです。

今の子どもたちが、それに匹敵する「語り」に出会っているか、それは知りません。『世にも奇妙な物語』『本当にあった怖い話』『トリハダ』等の現代のショートショートが、果たして、私たちが生きる力を得た程に、今の子どもたちに与えてくれるのか、私には分かりません。時代状況も、子どもを取り巻く環境も違うからです。しかし、私は、かつて私が受けたように、子どもたちに語ろうと思います。

ハーラン・エリスンやリチャード・マシスンには遠く及びませんし、金城哲夫や市川森一や上原正三に比ぶべくもありませんが、「子どもたちに、生きる力を届けたい」という、その心意気だけは失わないで、子どもに向かって「語り」を続けていきたいと思っているのです。その意味では、小学校の「読み聞かせ」も、教会学校の「子どもの礼拝」のメッセージも、私にとっては同じなのです。

世界に対する違和感だったり、居心地の悪さだったり、漠然とした不安だったり、そういうものが、結局、最後の最後には「生きる力」に成って行くのです。なぜなら、私たちがこの世に生きるということは、まさしく、そういうことに他ならないからです。

牧師 朝日研一朗

【2013年4月の月報より】

posted by 行人坂教会 at 07:37 | ┣会報巻頭言など

2013年03月24日

トンネル脱出法

行人坂教会創立の年、1903年2月に、どんな出来事があったのか調べてみたら、「中央本線笹子トンネル開通」と書いてあって、一瞬ドキッとしました。勿論、鉄道線路ですから、先の崩落事故とは関係がありません。それでも、驚きました。

スイスの作家に、フリードリヒ・デュレンマット(1921〜90年)という人がいて、「トンネル」という短編があります(カフェ光文社古典新訳文庫『失脚/巫女の死/デュレンマット傑作選』)。親の脛をかじって大学に通っている肥満児が、週末をバーゼルの自宅で過ごそうと、夕刻の満員列車に乗り込みます。

葉巻に火をつけようと思ったら、運悪く列車がトンネルに入ります。トンネルから出たらと辛抱しているのですが、少しもトンネルを抜けません。その内に「バーゼル行きの線に、こんな長いトンネルはなかったはずだ」「きっと、列車を間違ったのだ」と焦ります。けれども、他の乗客も検札も「これは、バーゼル、ジュネーヴ行き」と頓着がありません。やがて、彼は一人の車掌を捕まえて、漸く「このトンネルの長さは異常だ」と納得させます。

肥満児と車掌は危険を冒して、機関室まで辿り着きます。ところが、そこには運転士の姿はありません。列車は運転士無人のまま暴走していたのです。二人は汗水たらして努力してみますが、列車は全く制御不能です。止まりません。しかも、トンネルは次第に地の奥底に向かって下降して行くようなのです。

ここで車掌が告白します。「実は、運転士と助手は既に飛び降りていた」と。彼は目視していながらも、余りの異常な事態に、何もしないでやり過ごしていたのです。意を決した車掌は、客車に戻って、恐らく、今はパニック状態に陥っているであろう、乗客の面倒を見に行くと申し述べます。最後に、職業倫理を発揮したのです。ところが、肥満児は機関室の床に座り込んだまま動こうとしません。彼は「何もしなくていいんです」と呟きました。

翻訳者(増本浩子)による解説によると、デュレンマットの最初の草稿では「神が私たちを落下させたのだから、私たちは神のもとへと突き進んで行くだけです」という言葉で終わっていたそうです。まるで、黒澤明の『暴走機関車』のようですが、列車が真っ暗なトンネルの中を走り続けているというイメージは、むしろ、テレビの空想科学ドラマ『ウルトラQ』第10話「地底超特急西へ」に近いかも知れません。また、黒澤は「暴走機関車」に核戦争のイメージを付与したようですが、デュレンマットは、第二次世界大戦の戦火を、スイスという「檻」の中から、何も出来ないまま目撃しなければならなかったそうです。それで、デュレンマットは牧師の息子でありながら、信仰を失ってしまったそうなのです。

日本社会は「長いトンネルに入ったままだ」「出口のないトンネル」等と言われます。トンネルやスランプを考える時、車掌の生き方も肥満児の生き方もあると思うのです。せめて同じ列車に乗っている者は、誰かを悪者にしないで、お互いの道を認め合うしかありません。

【会報「行人坂」No.246 2013年3月24日発行より】

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2013年02月23日

レプトン銅貨をささげよう

1.寡婦の献金

福音書の中に「やもめの献金」というエピソードがあります。「マルコによる福音書」12章41〜44節、「ルカによる福音書」21章1〜4節に「並行記事」があります。どちらも僅か4節しかない短い記事です。

イエスが神殿の片隅に座って、人々が賽銭箱に献金を入れる様子を御覧になっています。日本の初詣の賽銭と同じで、お金持ちは沢山入れています。しかし、イエスさまが目を留められたのは、1人の貧しい寡婦でした。女性が父や夫の「所有物」と見なされていた時代です。社会福祉も何も整備されていない2千年前です。一家の働き手を失った未亡人は、親族の哀れみに縋(すが)る以外には、ジャン=フランソワ・ミレーが描いたように「落穂拾い」でもするしかありません。

そんな極貧の中にある寡婦が「レプトン銅貨」2枚を賽銭箱に入れるのを、イエスさまは見て居られました。「レプトン銅貨」2枚で買えるのは「小麦粉1掴み」だったと言われています。それは、当時のユダヤ社会で「1日の命を繋ぐ最低量の食糧」とされた表現です。日本なら、差し詰め「ご飯1膳」と言ったところでしょうか。仮に5キロ米が2千円とすると、1膳36円です。

その寡婦を見て、イエスさまは弟子たちに言われました。「はっきり言って置く。この貧しい寡婦は、賽銭箱に入れている人の中で、誰よりも沢山入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物を全て、生活費を全部入れたからである」。

2.礼拝の献金

今更、言うまでもありませんが、プロテンタント教会は、私たちの献金によって成り立っています。そして、大雑把に分けると、献金は2種類から成っています。1つは、礼拝の中で奉げられる「礼拝献金」です。これは礼拝の席上で集められるので「席上献金」とも言われます。

もう1つは「月定献金」「特別献金」「季節献金」等の献金です。「月定献金」は、年間を通して、教会活動を支えるために自分の収入の中から一定の金額を奉げていくものです。これは、信徒である私が神さまと交わす約束という意味で「約定献金」とも言われます。「特別献金」は、誕生日や受洗日、結婚記念日、召天記念日、その他、個人的な感謝や祈念のために奉げられるものです。「季節献金」は「クリスマス献金」「イースター献金」「夏期献金」です。「季節献金」だけは、毎回、目標額が設定されていますから、その目標額到達のために、自らが奉げるのみならず、「目標が達成されますように」と祈りを合わせていくのです。以上、「月定」「特別」「季節」の、3種類の献金は、専用の袋に入れて、個人名を記して奉げるので、昔から教会では「袋献金」と総称されています。

要するに、献金には「礼拝献金/席上献金」と「袋献金」の2種類があるのです。そして「礼拝献金/席上献金」は完全に匿名の献金であり、「袋献金」は教会会計が領収すると、奉げた個人に対して受け取り書が発行されます。会員に対しては袋に会計印が押されて返却され、非会員に対しては領収書を郵送しています。

勿論、何事にも例外はあり、匿名で「クリスマス献金」や「イースター献金」を奉げる人もあります。「袋献金」は基本的に会員の務めですが、非会員でも「クリスマス献金」や「イースター献金」、あるいは「特別献金」を奉げて下さることは少なくありません。

さて、「礼拝献金/席上献金」は、その日に礼拝に出席した者が、大人も子供も、会員も非会員も、信者も未信者も、一緒に奉げる献金です。そして、礼拝学では「献金こそは礼拝のクライマックスである」と言われています。なぜなら、「献金」とは「奉献」であり、「奉献」とは、神の召しと恵みに対して「これは私たちの献身のしるしです。清めてお受け取り下さい」と、自らを差し出して行く応答の儀式だからです。

3.匿名の献金

私が行人坂教会に赴任して、7年目が終わろうとしています。その間、ズッと気になっていることがありました。この機会に書き記します。「礼拝献金/席上献金」と「袋献金」とは全く異なる種類の献金であるということが、理解されていないように思うのです。

多くの教会では、受付台に南京錠付きの木製の箱が置いてあり、礼拝に出席する会員は、そこに予め「袋献金」を入れて行きます。勿論、礼拝のクライマックスである「奉献の祈り」の際には、献金当番が集約した「席上献金」と共に、聖餐台の前に運ばれて来て、それもまた「献身のしるし」として、神さまに奉げられるのです。本当に徹底して、献金の意義を明確にして行くためには、そのようにしたら良いかも知れません。ただ、行人坂には行人坂の伝統があり、会員の皆さんの意見も聞く必要があるでしょう。

ここで私が申し上げたいのは、1つだけです。「袋献金」を出しても、それによって「礼拝献金/席上献金」を奉げたことにはならないということです。「袋献金」は個人の献げ物ですが、「礼拝献金/席上献金」は会衆の献げ物です。

こんな不況の時代です。年金も減らされる一方で、誰もが経済的に疲弊しています。遠方から交通費を使って来ている人もいらっしゃいます。無理を言うつもりは毛頭ありません。「レプトン銅貨」で良いのです。「袋献金」とは別に、それを一緒に奉げて頂きたいのです。「礼拝献金/席上献金」は「匿名の献金」です。そこに名前はありません。誰に気兼ねする必要も、体裁や立場を考える必要もありません。名前の書いていない献金であっても、そこに込められた祈りを、イエスさまは見詰めて居られます。寡婦の祈りと「レプトン銅貨」36円を加えて、私たちの「献身のしるし」を確かなものとして参りましょう。

牧師 朝日研一朗

【2013年3月の月報より】

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2013年01月26日

幻の映像作家と京橋教会

1.京橋教会

私たちの行人坂教会は、2月第1主日をもって、創立110周年記念の年度に入ります。丁度、そんな折、牧師のもとに、ある問い合わせの電話がありました。それは、行人坂教会の前身である日本組合京橋基督教会時代についての事柄でした。お電話の主は、佐藤洋さんと仰る(高良健吾似の)青年で、現在、早稲田大学大学院文学研究科博士課程後期で、映画史を研究している方でした。

行人坂教会の初代牧師は、二宮邦次郎先生です。現在の牧師館の玄関にも「二宮邦次郎牧師記念牧師館」とプレートが貼ってある通りです。二宮牧師は同志社に学び、新島襄から洗礼を受け、郷里の備中高梁でキリスト教の伝道します。これが現在の高梁教会の基礎と成っています。更に瀬戸内海を渡って、今治、松山で伝道に活躍されました。松山教会と松山女学校(松山東雲学園)の設立にも寄与されています。その後、意を決して上京し、京橋教会の設立に尽力されたのです。

その京橋教会の草創期、二宮牧師を助けて、教会形成に協力なさったのが、松岡鎮枝姉です。鎮枝姉は、幼くして息子さんを亡くされたことを契機に、1903年、洗礼を受けて居られます。以後、ご自宅を開放して、木曜日の夜に聖書研究会を開催して居られたそうです。かの社会事業家、留岡幸助牧師(監獄制度の改革者、報徳主義者)とも幼馴染で、京橋教会が報徳銀行の土地建物を購入する場面でも、鎮枝姉が留岡牧師(当時、霊南坂教会)に相談しながら事を進めていたそうです。

その鎮枝姉の家庭で行なわれていた聖書研究会に出席していた人物の一人に、能勢克男という人物がいました。この能勢克男こそが、佐藤さんが研究している映画史のテーマなのだそうです。

2.能勢克男

能勢克男(1894−1979)は、同志社大学法学部の教授、弁護士という肩書きに留まらず、京都家庭消費者組合(現在の京都生活協同組合)の設立者、週刊誌『土曜日』の発行責任者を務めて、治安維持法で投獄までされている、戦前の日本を代表するリベラル知識人です。戦後は、夕刊京都新聞社(現在の京都新聞)を設立し、編集局長を務めています。更には、「松川事件」(米占領下で起こった奇怪な事件の1つ)では、弁護団に参加して、冤罪の容疑者を救うために活躍しています。

これだけでも凄い人なのですが、能勢は映画作家でもあったのです。琵琶湖から京都市内の疎水を辿る『疎水、流れに沿って』(1934年)、モガの最先端とされたバスガールの日常を追った『飛んでゐる處女』(1935年)、「土曜日」同人のピクニックを撮影した『土曜日の一周年』(1937年)等の、8ミリによるドキュメンタリー映画を撮っているのです。

1989年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で、『疎水』が上映されて、大反響を呼んで以来、「幻の映像作家」として再評価されているのです。上映会が行なわれたり、DVD『ファシズムと文化新聞「土曜日」の時代/1930年代能勢克男映像作品集』(六花出版)が発売されたりしています。

この能勢克男が松岡鎮枝姉の甥に当たるのだそうです。東京帝国大学に入学した1915年以後、松岡家の木曜日の会に出席していたらしいのです。出席者の中には、能勢の親友、田中耕太郎もいたのです。田中は、戦後の第1次吉田内閣の文部大臣、日本国憲法に署名した一人です。その後、最高裁長官を任じられ、「砂川事件」の判決では「統治行為論」という玉虫色の判決を下したことでも有名です。

佐藤洋さんは、能勢克男が松岡家の聖書研究会に大きな影響を受けたのではないかと推察されているのです。以下、佐藤さんのお便りです。「数年間の研究で、能勢克男の思想的原動力として、キリスト教の影響が生涯大きかったことは、実証されてまいりましたが、そのディティールを考えていくと、多感な学生時代に、京橋教会、木曜の集まりで受けた影響が、とても大きかったのではないかと、僕は考えています。」

3.苗床教会

「能勢さんの映画運動は、とても特異なものでした。自分で8ミリカメラをもって、仲間たちとつくったドキュメンタリー映画が、まず表現として、とてもすぐれています。そして、観客の集まり(消費組合)を京都映画クラブとしてつくりだします。京都映画クラブは、撮影所の見学会をしたり、入場料金の割引をしたり、合評会をしたりで、先駆的な観客団体でした。僕はずっと、どうして能勢さんは、こんなに特別ですばらしいことができたのだろうか?と考えてまいりました。」

佐藤さんから頂いたお便りを読みながら、私も学生時代に「京都映画サークル協議会」という団体に所属していて、岩波ホール系の映画や昔の埋もれた名作を観たことを思い出しました。そう言えば、会場になっていたのは、いつも「勤労会館」だったのですが、能勢の「京都映画クラブ」と何か繋がりがあるのでしょうか。

そんな個人的な思い出はともかく、創立110周年の記念年が幕開けしようとする時期に、京橋教会草創期についての問い合わせを受け、当時の「月報」「会報」「前進」「あけぼの」「二宮邦次郎先生の面影」等の文献を閲覧させて貰いたいという申し出のあったことに、不思議な御導きのようなものを感じないではいられませんでした。

早速、教会資料委員会に本件を依頼して、佐藤さんが資料を閲覧し、研究に協力して頂けるようお願いしました。京橋教会=行人坂教会は、キリスト教信仰の普及伝道のみならず、日本の思想史・文化史にも大きく貢献した点が実証されるとしたら素晴らしいことです。

牧師 朝日研一朗

【2013年2月の月報より】

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2013年01月01日

教会の天使に告ぐ

1.故木村知己牧師

行人坂教会は、2013年2月8日に、創立110周年記念日を迎えようとしています。それを受けて、2月第1主日には「創立110周年記念礼拝」を執り行ないます。京都から木村良己牧師(同志社中学校・高等学校校長)をお迎えして、礼拝の講壇を担当して頂きます。そう成るまでの経緯をお話します。

当初、当教会の7代目牧師を務められた、木村知己先生(1957〜81年在任)をお迎えする予定でした。しかしながら、木村先生は、2012年1月に胃癌が発見され、余命宣告まで受けられました。それでも、治験薬の効果でしょうか、半年後には小康を得られ、浅墓な私は「この分なら、意外に長らえて、創立記念礼拝に来て頂けるかも…」等と、身勝手な期待に胸を膨らませていたのでした。

実は、木村先生自身も、かなり末期まで、再び行人坂教会の講壇に立って、「御言葉の役者」(「えきしゃ」と読みます)を務めたい、それをもって御自身の牧師人生の総括としたい、あるいは、行人坂教会と和解をした上で恩讐の彼方へと旅立ちたいと、心底、願っておられたのでした。先生のことですから、無論、その思いは単なる感傷ではなく、御自身の神学に裏付けされたものであったはずです。

木村先生に成り代わって説明する神学を、私は持ち合わせていません。けれども、お気持ちだけは痛い程に分かりましたので、「何とかして、木村先生を行人坂教会の講壇にお迎えすることが出来ますように」と祈り続けていました。それは、和解と許し合い、過去の自己受容こそが、行人坂教会にとっても必要な事柄であると思われたからです。

2.教会の運命分析

昔、拾い読みした心理学の本(荻野恒一著『現象学と精神科学』)の中に、ハンガリーの精神分析学者、レオポルド・ゾンディという人の話が紹介されていました。ゾンディは、幾つかの家系を調査した結果、数代前の先祖と同じような運命を辿る子孫がいることを発見し、それを「先祖無意識」と命名しました。そこから、ゾンディは「運命分析」とか「家霊分析」等というトンデモ研究を始めます。

ゾンディの刺激的な研究は未完成な上に、現在では、破壊的なカルト宗教団体(統一協会)や怪しげなオカルト団体も、自分たちに都合よく引用して悪用していますので、十分に注意が必要です。しかし、昔ならば「因果」等と言って表現されたものが、人間の深層心理に関わるものとして分析される、その手法自体は科学的なのです。彼の師匠であるジクムント・フロイトが、「個人」の深層心理を研究したことを、ゾンディは「家系」レベルに置き換えたということです。

さて、私が話題にしているのは、この行人坂教会のことです。時代と共に、教会の置かれた状況は異なり、教会形成の担い手も違っていますが、教会にも「家霊」のようなものがあるのではなかろうかと思うのです。「ヨハネの黙示録」の著者、パトモスのヨハネならば、差し詰め「行人坂にある教会の天使」という表現をするかも知れません。その教会の歩みにおいて、何度も繰り返されるパターンです。行人坂教会について言えば、教会も牧師も双方共に傷付いて、別れて行くパターンです。

この数十年に限っても、このパターンは、木村知己牧師のみならず、伊藤義清牧師(1982〜95年在任)、小川義雄牧師(1996〜2005年在任)と繰り返されています。勿論、傷付いて去って行くのは、牧師とその家族だけではありません。教会形成の主力と成って労していた信徒たちも離れて行きます。教会のトラブルに疲れ果て、「転出」したり、「別帳」と成ったりするのです。更には、その都度、教会は「無牧師」と成り、多くの会員は心細い思いで過ごさなくてはなりません。

第3代目の牧師、吉田隆吉先生(1937〜42年在任)は突然の辞任を表明し、多くの会員の必死の慰留にも拘わらず、京都教会へ転任してしまいました。生前、木村先生は「それが行人坂のトラウマに成っているのかも知れない」と話しておられました。その後は、定家都志男牧師が3年、三井久牧師も3年、塚原要牧師が4年という短い在任期間で辞任されています。定家牧師時代は、戦争末期から敗戦にかけての一番困難な時代でしたから、何とも言えませんが、三井牧師、塚原牧師は、到底、戦後の「キリスト教ブーム」「伝道の黄金時代」とは思われぬような、余りにも短すぎるサイクルです。

3.呪いを祝福へと

「行人坂教会には京橋教会時代から延べ16年間おつとめしたが、随分苦労が多かった。牧師としての職務はいいが、教会から月給を貰って働くのは実にいやだと思うことが多かった。会員にはいろいろな人種がいて、牧師を雇っている積りで、実に失敬なごう慢な人間もあったことを思い出し、今も腹が立ってならぬことがある。」

第2代目の牧師、高橋皐三先生(1920〜36年在任)による『思い出の記/子供たちに話した父の一生』(キリスト新聞社)からの一節です。行人坂教会の前身である京橋教会の会堂は、1923年9月1日の関東大震災で焼失します。その後、目黒に会堂建築を果たすまでの2年余を、数軒の会員宅を会場にして礼拝を守られたのです。この最も困難な時代を牧会されて、信徒と苦楽を共に分かち合われたであろう高橋牧師にして、このような文章を書き残しておられるのです。

そう言えば、行人坂教会の創立110周年は、関東大震災による会堂焼失から数えて、90年の節目の年でもあるのです。負のスパイラルを断ち切ると言うか、イエスさまが仰ったように「呪い」を「祝福」と変えて、「神の業が現われる」ようにしなくてはなりません。

牧師 朝日研一朗

【2013年1月の月報より】

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2012年12月01日

本当のクリスマス

1.乏しいクリスマス

私は今、ある年のクリスマスを思い出しています。私が洗礼を受けた母教会は、上賀茂伝道所(現・京都上賀茂教会)と言います。日曜日に深田未来生・ローラ御夫妻のお宅を開放して頂き、礼拝を行なっていました。お二人はUMC(United Methodist Church)の派遣した宣教師でもあって、その住居もUMCの所有でした。

その当時、ローラさんは京都YWCAのリーダーとして活躍されていて、経済格差の問題や飢餓の問題、女性を取り巻く問題、在日外国人の人権問題、環境問題などに携わっておられました。ある年のアドベント、彼女が「『乏しいクリスマス』を行なってはどうか」という提案を為さったのでした。どの教会でも(これは教会に限ったことではありませんが)、クリスマスと言えば、御馳走を用意してお祭り騒ぎです。時には、敢えて、慎ましい糧を分かち合う「乏しいクリスマス」の愛餐を行なって、貧困に悩む地域や人々を覚えてはどうか…。そのような話でした。

彼女の提案を受けて、実際に私たちは(本音は渋々ながら)「乏しいクリスマス」を開催したのでした。例年、イヴの夕礼拝後の愛餐に集まる豪勢な持ち寄りを「今年はやりません」とお断りした上で、教友に御案内申し上げました。すると、参加者が通常の日曜礼拝並みに少なく、閑散として寂しい限りでした。

こうして、結局「乏しいクリスマス」は1年限りのことと成ったのですが、それが今、私には、忘れ難いクリスマスとして思い出されるのです。あの時は「ええ、どうして、わざわざ御馳走のチャンスを潰すのさ」と反発していたのですが、今は「あの実験をもっと積極的に応援するべきだったのではないか」と後悔しているのです。

2.陳腐なクリスマス

当時、1980年代の前半で、未だ「バブル期」には入っていませんでした。しかし、もう数年を経過すれば、バブルは絶頂期に達し、山下達郎の大ヒット曲『クリスマス・イブ』に代表されるような、若者たちのクリスマスイメージ(クリスマスイヴは恋人と過ごす)が支配的に成ります。

あの時代、日本社会において、クリスマスのイメージは確実にリッチでお洒落な方向に向かっていました。いいえ、戦後社会が一貫して目指して来たものが遂に現出しつつあったのです。クリスマスイヴに、プレッピー(金持ちのボンボンの私立大学生)が恋人を誘って、予約したレストランに連れて行って、アクセサリーかプラチナの指輪か何かをプレゼントする…。このように書くと、如何にも陳腐に思われますが、今も街中に、美しいクリスマスのイルミネーションとして、それと同質の陳腐さが溢れています。

恐らく、私たち日本人が、キリスト教に含まれる数多の要素の中で、クリスマスに飛び付いたのは、そもそもが異教起源の祭りだからでしょう。言うまでも無く、クリスマスは、ミトラ教やドルイド教、北欧のユール祭、ローマの冬至祭、ゲルマンのオーディンの収穫感謝祭、ドナールの聖木祭などのハイブリッド(雑種)です。

異教的な要素が濃いから、クリスマスはダメだとは、私は思いません。そもそも「イエスの降誕」の記事からして、「東方の三博士」の登場によって、イエスさまが「異教徒の救い主」「異邦人の救い主」であることが言われているからです。「異邦人が…大きな光を見る」(マタイによる福音書4章15〜16節)ことこそ、福音の醍醐味です。クリスマスの夜に、正統的なユダヤ教徒の枠外にいる人たち(ベドウィンと異教徒の学者)が飼い葉桶に集められたのです。その意味では、現在のクリスマスも同じです。教会という狭い枠を超えた祭りなのです。従って、クリスマスを非キリスト教徒がお祝いしてくれることに対して、私は、神さまの深い御経綸を見る思いです。

そうは言っても、クリスマスが余りにもコマーシャルベースに(商業路線で)流されることに対しては、陳腐な印象を受けてしまいます。世間を批判して済む問題ではありません。キリスト教会の中にも、この時とばかりに華美に走る傾向があります。表参道にも見劣りしないイルミネーション、横浜港に負けないクリスマスツリーを…と、考えてはイケナイのです。何も「ヘロデの宮殿」に対抗する必要はありません。

3.教会のクリスマス

「乏しいクリスマス」を企画した時、ローラさんから、わざわざ、クリスマスに断食を行なうキリスト教のグループもあることを聞きました。確かに、そういう迎え方もあるのでしょう。「3.11」後の日本社会において、そのような信仰告白、神へのアプローチの仕方も必要かも知れません。けれども、クリスマスを楽しみにしている子どもを見ていると、無理強いは出来ません。そこまで追求すると偏屈に成ってしまいそうな気もします。むしろ、身の丈に合ったクリスマスをしましょう。

そこそこに質素に、明るく楽しい中にも、慎ましさを表現していきたいと思うのです。世間が華美に走るならば、そんなものと競合しないで、こちらは控え目なクリスマスを作ったら良いのです。それが教会らしいクリスマスでは無いでしょうか。もっと派手なクリスマスは、他に幾らでもあります。それを知っていて尚、キリスト教会のイヴ礼拝に来てくれる人がいます。多分、求めておられるのは「本当のクリスマス」です。

「本当のクリスマス」とは、キリスト信者が粛々と行なっている礼拝のことに他なりません。大きな仕掛けは要らないのです。近所の人たちも未信者の人たちも、イヴの夜には、キリスト信者に混ぜて貰って、ほんのちょっとだけ、神さまにお祈りしてみたいのです。それだけなのです。それで十分なのです。有り難い、感謝すべき話ではありませんか。

牧師 朝日研一朗

【2012年12月の月報より】

posted by 行人坂教会 at 16:03 | ┣会報巻頭言など