2018年10月14日

キリスト教こんにゃく問答]]V「戦争について」

1.遠く離れた雷鳴

インドの名匠、サタジット・レイ監督に『遠い雷鳴』(Ashani Sanket)という映画があります。1973年の作品です。ベンガルの片田舎を舞台に、バラモンの貧しい若夫婦の生活が描かれています。バラモンはカースト最上位ですが、僧職や教職以外の仕事に就いて労働することが禁じられています。バラモンなりの不自由さがあるのです。

舞台は1942年、一見すると、戦争の影響など感じられぬ、穏やかな農村生活から始まります。しかし、米の価格が上昇して行きます。日本軍がシンガポールに進駐したために、一袋4ルピーが6ルピーに上がり、主人公ガンガの家に、隣村から同じバラモンの老人が食べ物の無心にやって来ます。バラモンの掟では無視することは許されません。

やがて日本軍がビルマに進駐し、米の価格は18ルピーにまで跳ね上がります。米屋では略奪騒動が起きます。ガンガの妻アナンガは農作業で日銭を稼ごうとします。ガンガは遠くの村まで出掛けて、妻の腕輪を売った代金で、闇米を買い求めようとしますが、果たせません。アナンガの女友だち、チェトキは米を手に入れるために、煉瓦職人に身を投げ出します。飢えは日に日に深刻になって行きます。

映画のラストでは、あの隣村のバラモンの老人が子や孫たちを引き連れて、ガンガの家に向かって歩いて来るではありませんか。アナンガは「これから私たちはどうするの?」と夫に問い掛けます。余りのことに笑ってしまいそうになりながら、ガンガは「いや何、二人が十人になるだけさ」と呟きます。すると、アナンガが「いいえ、十一人よ」と答えます。彼女の胎には新しい命が宿っていたのです。嬉しいような困ったような、複雑な表情で妻を見詰め返すガンガ…。

老人一家の行進は、真っ赤な夕焼けを背にして、何百人という集団の大行進のシルエットへと変わって行きます。そして、このような字幕が出て映画は終わります。「1943年、ベンガル地方において、五百万人が飢えと疫病のために死んだ。人間によって作られた飢饉によってである」。

ガンガとアナンガの台詞は、サタジット・レイの黒澤明に対するオマージュです。あの『羅生門』(1950年)のラスト、貧しい樵(志村喬)が捨て子を愛しそうに抱きしめながら、「おらのとこには子供が六人おる。六人育てる苦労も七人育てる苦労も一緒だ!」と呟くのです。雨が上がり、羅生門を跡にして家路へと向かう樵に、天からの光が射しています。

2.アメリカひじき

それにしても、戦火の直接及ばなかったはずの、しかも世界有数の米の生産地である、ベンガル地方で数百万人もの餓死者が出ていたという現実に、私は胸を突かれました。ベンガルはガンジス川の河口の平原地帯で、そこから数百キロ北東には、マニプル州インパールがあります。

悪名高い「インパール作戦」(1944年)では、兵站の確保が難しいまま、「援蔣ルート」遮断を戦略目的として、日本陸軍はインパール攻略戦に九万の兵を送り込みました。二万六千人の戦死者を出していますが、その半数近くが餓死、戦病死(マラリヤと赤痢)でした。何の補給も増援もなく、前線は「食うに糧なく、撃つに弾なし」という状況で、同胞の死体を食べるしか無かったと言われています。

この作戦を従軍取材した火野葦平は「前線にダイナマイトを百キロ送ったら、五十キロしかないと報告がきた。兵隊が食うのである」と記しています。佐藤幸徳中将は「軍は兵隊の骨までしゃぶる鬼畜と化しつつあり」と、大本営に対して繰り返し撤退を進言するも聞き入れられず、最終的には死刑覚悟で、師団の独断退却を実行しています。

前年の「ガダルカナルの戦い」でも、数多くの日本軍将兵が餓死、戦病死しています。部隊から離脱した挙句、飢えた兵士が人肉食を行なったことも知られています。戦争とは、即ち飢えなのです。

それは「銃後」においても同じこと。『火垂るの墓』で知られる野坂昭如の短編小説に『アメリカひじき』(1967年)があります。「玉音放送」の流れた日、米軍の飛行機から落下傘で物資が送られます。それは米人捕虜のために投下された食糧でしたが、中からは、チョコレートやガム、豆の缶詰やチーズ、ジャムや砂糖、ベーコンやハム等が出て来て、町内会の人たちは溜め息混じりに眺めつつ、その宝物を分配するのでした。主人公の俊夫の母親も宝物の分配に与りますが、一つだけ不明な食品がありました。黒い縮れた糸くずのような物です。近所のおばさんが「ひじきに似とる」と言うので、煮込み、岩塩を加えてみますが、湯が赤茶色に変わるだけで食べられたものではありません。

「アメリカのひじきはアクが強いんやわ」と母は言いますが、ひもじさ故に捨てられもせずに、何とか食べてしまいます。町内会長が「どうやら、ブラックテーいう物(紅茶の葉)らしいで」と教えてくれた時には、もう既に、どの家の「アメリカひじき」も無くなってしまっていたというエピソードです。

3.母親が子を食う

旧約聖書にも「戦争とは、即ち飢えのことだ」と思わせる場面があります。「列王記下」6章25節には「アメリカひじき」ならぬ「鳩の糞」が出て来ます。紀元前9世紀末、北王国イスラエルはアラムとの間で戦争を続けていました。アラム王がイスラエルの王都サマリアを包囲した時、折り悪くサマリアは食糧不足、忽ち住民は飢饉に陥りました。この時、「ろばの頭一つが銀80シェケル(約1キロ)、鳩の糞4分の1カブ(1カブは1リットルと少し)が5シェケルで売られるようになった」と書いてあるのです。

律法では、ろばは「食べてはならない動物」とされていました。その頭が高値で取り引きされたと言うのです。そして「鳩の糞」ですが、幾ら飢えていても鳥の糞までは食べられるものではありません。紀元1世紀のユダヤの歴史家ヨセフスは「鳩の糞」を「食塩の代用」にしたと書いていますが、これは眉唾でしょう。「鳩の糞」は「エジプト豆」のことだという説があります。

また、アラビア人が「オカヒジキ」「ミルナ/水松菜」を「雀の糞」と呼んでいることから、「鳩の糞」も野草の俗称だったのでは無いかと言われています。聖書事典によると「ベツレヘムの星」と呼ばれる植物で、この茎は生で食べると中毒を起こすが、煮るか焼くかすると食べることが出来たそうです。パレスチナの丘陵や岩場に、白い六弁の花を咲かせるので「ベツレヘムの星」と呼ばれるのですが、それが一斉に咲いて断崖を覆う様は、さながら「鳩の糞」で白く成ったように見えるとか。

日本の「オカヒジキ」は、さっ湯通しして和え物やおひたし、汁の具や炒め物に使いますが、「鳩の糞」は乾かして粉にして砕き、麦粉に混ぜて食べていたようです。勿論、サマリア包囲の状況下で糧食は尽きていますから、麦粉などはありません。

「列王記下」の物語は、この後、更に恐ろしい話に変わります。アハブ王が城壁を歩いていると、一人の女が「我が主君、王よ、救ってください!」と叫んで訴えます。彼女の話によると、女友だちが「今日はあなたの子を食べ、明日は私の子を食べましょう」と言うので、自分の子を煮て食べたのに、翌日に成ると、その女は自分の子を隠してしまったと言うのです。王はそれを聞くと悲嘆の余り自らの衣を引き裂きます。

二人の女性が一人の子どもを取り合う図は、「列王記上」3章の「ソロモンの知恵」にも見られます。同じ時に出産した遊女が、互いに「生きているのが我が子で、死んだのはお前の子だ」と主張し合って譲らない話です。「大岡政談」の「子争い」のモトネタです。しかし、それは、どちらが本当の母親であるかと、我が子を引き合う人情話です。嘘をついている母親の姿もまた、哀れを誘います。

ここでは、我が子の肉を食べてしまった母親が、今度は「あんたの子を食べる番だよ」と要求するのです。グロテスク極まりない話です。戦争は飢餓を生み、飢餓は人間を食い尽くすのです。


【会報「行人坂」No.257 2018年10月発行より】

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2018年03月25日

キリスト教こんにゃく問答]]U 「老いについて」

1.老年学

高齢化社会の到来に伴い、近年、学問の世界でも「老年学」、もしくは「老人学、加齢学」と呼ばれる研究ジャンルが盛んになりつつあります。「老いる」ということについて、心理学や社会学、生物学の見地からも研究して行こうという分野です。英語では「ジェロントロジー/gerontology」と言います。ギリシア語の「老人/ゲローン」から、ロシアの免疫学者、イリヤ・メチニコフという人が名付けました。

たまたま、ギリシア語の「ゲローン/老人」という単語を調べていたら、「ヨハネによる福音書」3章4節「年をとった者が、どうして生まれることができましょう?」という言葉に行き当たったのです。イエスさまが「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」と仰ったのに対して、ファリサイ派の議員、ニコデモが思わず反論してしまう場面です。「文語訳」では「ニコデモ言ふ『人はや老いぬれば、爭(いか)で生るる事を得んや』」と訳されていました。「人はや老いぬれば」という言い回しから、「少年老い易く學成り難し」の慣用句が思い出されます。

このイエスさまとの遣り取りから、ニコデモ自身も「老人」であったように思われます。また、ユダヤ教の「最高議会/サンへドリン」の議員であったという説明からも、彼が相応の年齢であったと推測できます。老い先短い我が身に不安を感じたからこそ、イエスさまを訪ねて、改めて命の道を問うたのではなかったかと思うのです。彼が「どうして…もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか?」と言って、執拗に食い下がったのも、イエスさまの最終的な答えが「信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得る」という御言葉だったのも、ニコデモ自身の老いと無関係ではないと思うのです。

2.来し方

「創世記」に「アブラハムもサラも多くの日を重ねて老人になっており」(18章11節)、「アブラハムは多くの日を重ねて老人になり」(24章1節)とあります。「老人になる」とは「日々を重ねる」ことなのです。「協会訳」は「年が進んで」と訳していました。ヘブル語の直訳は「日々の中を来る」ことです。日本語に「過ぎ去った歳月」を振り返って「来し方」と言うのと似ています。

次に登場する「イサクは年をとり、目がかすんで見えなくなってきた」(27章1節)と書いてあります。単なる老眼か、老人性のかすみ目か、加齢性白内障か。はたまた、緑内障、網膜症というような眼病か…。イサクの「目がかすんで見えなくなってきた」病因は不明ですが、旧約聖書で「目に光」と言ったら「生きる力、生命力」のことです。それ故「詩編」一3編4節は「わたしの神、主よ、顧みてわたしに答え/わたしの目に光を与えてください」と呼び掛けているのです。

三代目のヤコブは、息子たちに自らを「この白髪の父」(42章38節)と表現し、息子ヨセフに「死ぬ前に、どうしても会いたい」(45章28節)と言います。ヨセフとの再会を果たした場面では「わたしはもう死んでもよい。お前がまだ生きていて、お前の顔を見ることができたのだから」(46章30節)と、如何にも老父らしい言葉を発しています。ファラオの謁見に際して、年齢を尋ねられると「わたしの旅路の年月は130年です。わたしの生涯の年月は短く、苦しみ多く、わたしの先祖たちの生涯や旅路の年月には及びません」(47章9節)と答えています。老いは専ら、ヤコブ自身の台詞によって説明されています。

「出エジプト」の立役者、モーセの姿は、最期まで矍鑠(かくしゃく)たるものです。しかし、それでも、自身の老いを感じさせる言葉があります。「わたしは今日、既に120歳であり、もはや自分の務めを果たすことはできない」(「申命記」31章2節)。そこで、次のリーダーにヨシュアを任命するのです。それはともかく「昨日まで出来たことが、今日は出来なくなっている」、それこそが老いのリアルでしょう。

老いの描写が生々しいのは、「サムエル記上」の祭司エリです。真夜中の神殿で、主は祭司エリにではなく、少年サムエルに何度も呼び掛けられます。その物語の導入は、既に神殿奉仕を執行できなくなった、祭司エリの耄碌(もうろく)ぶりを描写します。「ある日、エリは自分の部屋で床に就いていた。彼は目がかすんできて、見えなくなっていた」(3章2節)。「創世記」のイサクと同じです。

あのダビデ王にも、生々しい老いの描写があります。「列王記上」1章1節「ダビデ王は多くの日を重ねて老人となり、衣を何枚着せられても暖まらなかった」。老人性の低体温症と言ったら大袈裟でしょうか。体温調節機能の低下です。そこで家臣たちが「若い処女を抱いてお休みになれば、暖かくなります」と進言します。家臣たちは領内を隈なく探して、シュネム生まれのアビシャグを夜伽用の侍女として召し抱えるのでした。ミカル、アビガイル、バト・シェバ等と女性関係も多く、自身のハレムも有していた精力絶倫のダビデ王も、アビシャグと性交することはありませんでした。

彼女の出身地名から「シュナミティズム/Shunammitism」という語が生まれました。老人が性交せずに裸の処女と添い寝をすれば若さを回復するという回春術です。少女の柔肌に接することで、若さのエキスを吸収することが出来るという迷信があったのです。川端康成の小説『眠れる美女』は、主人公の江口老人が「シュナミティズム」の「秘密くらぶ」に通い続け、裸の少女たちとの添い寝を繰り返す中で、様々な過去の記憶が去来するお話です。この小説は海外でも人気が高く、フランスとドイツとオーストラリアでも映画化され、ベルギーではオペラ化されています。

3.若返り

ダビデの回春術は、今では「エロ親爺の妄想」としか見られませんが、「アンチエイジング/Antiaging/抗老化、抗加齢」は、健康法や食事療法からサプリメントや美容整形に至るまで、現代においても、大勢の人にとって最大の関心事です。それにも飽き足らず、最近では「リジュヴネーション/Rejuvenation/若返り」等という語まで使われ始めました。アロマセラピーやハーブ等のブームも、この観念の後押しをしています。

「若返り」は古来、人間の夢の一つでした。「若返りの泉、青春の泉」の伝説は有名です。アレクサンドロス大王が家臣に命じて探させたという話もあります。丁度、秦の始皇帝(シホワン)が徐福(スーフー)に命じて蓬莱山にあるという「不老不死」の霊薬を探させたという話とソックリです。ある時代には、その泉は「ヨハネによる福音書」5章に出て来る「ベトザタの池」のことだと信じられていたのです。十字軍がエルサレム奪還を旗印に中近東に出兵した背景には、「若返りの泉」伝説も影響を与えていたのかも知れません。

そう言えば、「ヨハネによる福音書」には、繰り返し表われる「水」のモチーフがあります。1章ではヨハネの「水で授ける洗礼」があり、2章は「カナの婚礼」の場面で、主が甕の水を葡萄酒に変えられます。4章では、主が「サマリアの女」を相手に井戸端で「決して渇かない永遠の命に至る水」について語られます。そして5章が「ベトザタの池」です。6章で、主は「湖の上を歩く」のですし、7章には「生きた水の流れ」の御言葉があります。飛んで19章、十字架上で脇腹を槍で突かれた主の御体からは「血と水とが」流れ出ます。神智学者のルドルフ・シュタイナー等は、この「血と水」にこそ十字架の最大の秘儀があると強調しています。

「38年間も病気で苦しんでいる人」が癒されたのは「ベトザタの池」によってではありませんでした。イエスさまの「起き上がりなさい」という御言葉によってでした。イエスさまはニコデモに「だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない」と仰いました。「永遠の命に至る水」はキリストにあるのです。どんなに加齢と老化に抗っても、回春術や若返りの技術を使っても、私たちの肉体も脳も、魂さえも必ず朽ち果ててしまいます。キリストの霊(聖霊)によって生まれ変わるしかありません。


【会報「行人坂」No.256 2018年3月発行より】

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2017年10月29日

キリスト教こんにゃく問答]]T「儀式と時代」

1.冠婚葬祭

皆さんは「儀式」と聞いて、どんな儀式を思い浮かべるでしょうか。幼稚園・保育園には「入園式」「卒園式」があり、学校には「入学式」「卒業式」があります。会社にも「入社式」がありますが、余り「退社式」というのは聞きませんね。なぜか自治体が主催している「成人式」も忘れてはいけません。恐らく、これらの儀式は全て「冠婚葬祭」の「冠」に当たると思います。その昔、男子は「元服」の儀式に際して、文字通り衣服を改めたそうです。更に冠や烏帽子など頭に被り物をして、名前を変えたそうです。この古来の習慣から、成長の区切りを「冠」と呼び習わして来たのです。

それに続くのは「婚葬」、即ち「結婚式」と「葬式」です。

仏教には「法事」(四十九日法要、一周忌、三回忌など)という故人のための儀式(追善供養)があります。これが「祭」に当たります。先祖の祭典のことです。「祭」という語からも分かるように、本来、祭事は古神道(民間信仰)の概念でした。インド仏教では、死者は直ちに転生しますし、日本仏教では、忽ち地獄か極楽に行きますから、遺族が「供養」してやる余地など全くありません。

しかし、神道では、死者の霊(死霊)を精霊(しょうろう)、更には、カミ(祖霊、氏神)へと昇化するように、一族の者たちが三〇〜五〇年の歳月を供養して「祀り上げて」いくのです。これが「祭事」なのです。それを「ホトケ」「法事」と言い換えたのは、葬祭業に新規参入した仏教寺院の方便だったのです。

現代の日本社会にあっても、「冠婚葬祭」の内「結婚式」と「葬式」だけは、依然として大切な儀式としてイメージされているように思います。それに伴って「結婚業界」「葬式業界」の経済活動も付随して来る訳です。今でも大きな産業です。しかし「冠」と繋がっている産業は、子ども服やリクルートファッションの衣料業界、写真屋くらいしか思い当たりません。「祭」はお寺以外には、仕出し屋と墓石屋くらいでしょう。

2.形式主義

「キリスト教の儀式」と言うと、多くの人が思い浮かべるのが結婚式です。但し、近年、本物の教会で挙式する人は、殆どありません。「キリスト教式の結婚式」を選んだとしても、挙式はホテルやセレモニーホールの「チャペルウエディング」です。しかも、それを仕切っているのは、概ね「キリスト教ブライダル宣教団/Christian Bridal Mission」なる団体で、司式者、奏楽者、聖歌隊の派遣を業務としています。

近年「アマゾン」の「お坊さん便」が話題になっていますが、結婚式用の「司式者」派遣は40年くらい前から行なわれているのです。「宣教団」の「募集要項」を見ると、司式者の「応募資格」は「牧師の資格を有する方」、「仕事内容」は「日本人牧師、外国人牧師」と書いてあります。「日本人牧師」という「仕事内容」(!?)があるのですね。その下には「出演料」(!?)という項目がありました。『嗚呼!!花の応援団』ではありませんが、思わず「役者やのオー」と漏らしてしまいます。

元来、私たちの社会には、どこかしら「儀式」というものを「形だけのもの」として軽んじる風潮があるのではないでしょうか。『男はつらいよ/口笛を吹く寅次郎』では、酔っ払った住職の代理で法事に行った寅さんの、バイの口上で鍛えた口から出任せの法話に、檀家一同感心しきりというエピソードがあります。これ等は仏事の形式主義に対する皮肉も盛り込んであるように思います。

そう言えば、葬式にしろ結婚式にしろ「神式」「仏式」「キリスト教式」等と、誰もが平気で言っています。「○○式」は「○○のやり方、方式」という意味です。つまり「内実はともかく、取り敢えず形だけは…」という意味です。何を信じるにせよ、本当の信者ならば「神道の」「仏教の」「キリスト教の」と言うべきなのです。

「物々しく体裁だけを取り繕った」ことを「儀式張った」と言いますが、「儀式」を形骸化してしまう原因の一端は、何事も「右へ倣え」で従う画一主義、その場の空気を読んで迎合する順応主義にあるような気がします。少数派のクリスチャンたる私たちは、常日頃から、冠婚葬祭や日本の宗教的行事に接する度に、周囲からの同調圧力に苦しみ、「自分の姿勢態度はこれで良いのだろうか?」と悩んでいます。つまり、私たちこそ、形式主義と内容の空洞化については、最も敏感に感じ取っていると思うのです。

3.現場要請

ラテン語の「儀式」という語には、二種類あります。「リートゥス/ritus」と「カェリモーニア/caerimonia」です。英語の「リチュアル/ritual」「セレモニアル/ceremonial」です。同じ「儀式」であっても、厳密には「リチュアル」は「言葉」を、「セレモニアル」は「所作、動作」を指すと言われています。カトリック教会の「典礼定式書」は「リートゥアーレ/rituale」、「カェリモーニアーレ/caerimoniale」と言ったら「行儀作法の書」という意味です。そして、当然のことながら、あらゆる「儀式」は「言葉」と「所作」とから成り立っているのです。

私たちが最も大切にしている儀式は「礼拝」です。プロテスタント教会の「礼拝」の中には「洗礼式」と「聖餐式」という特別な儀式「聖礼典/サクラメント」が含まれます。「日本基督教団式文」には、誕(幼児洗礼式、幼児祝福式)、冠(堅信礼)、婚(婚約式、結婚式)、病(病者聖餐式)、葬(納棺式、前夜式、出棺式、葬式、火葬前式、埋葬式)、祭(記念式)等、私たちのライフサイクルに関わる儀式が並んでいます。その他、教会形成に関わる儀式(入会式、教会設立式、会堂定礎式、献堂式、牧師、役員任職式)があります。

しかし長年、牧師をしていますと、「式文」には掲載されていないような儀式を依頼されることも多々あるのです。具体的に挙げてみましょう。

「新車のお祓い」と言うと、驚かれるでしょうが、要するに、新しく自動車を購入した牧師から依頼されて「伝道のために活用されますように」「事故に遭いませんように」「ドライバーと同乗者の安全が守られますように」等の祈祷をさせて貰ったことがあります。

信徒さんの自宅新築、持ちビル新築の「定礎式」(神道の「地鎮祭」に当たる)、「上棟式」「献宅式」の依頼は珍しくありません。教会墓地の「献墓式」もありました。「定礎式」や「献墓式」の時には、木製の十字架に聖書の御言葉と祈りを書いて埋めています。

私の友人は「ペットの葬儀」を依頼されて、何度も行なっています。飼い主にとっては家族同然の存在であっても、それ以外の人にとっては、単なる犬猫に過ぎませんから、礼拝堂で挙式することが許されませんでした。しかし、最近は「ペット用の斎場、霊園」の普及により、非常にやり易くなったそうです。

「結婚式を挙げぬまま入籍して、幾星霜の父母のために、結婚式のようなものを」という子どもさんからの依頼を受けて「夫婦の契約の更新式」をしたこともあります。住宅の「悪魔祓い」もしたことがあります。聖水(死海の塩を使用)による潔めの儀式です。ローマ教会のラテン語の式文を翻訳して使用しています。

当教会に赴任して間もない頃、古い原簿を調べていたら、「死後洗礼」と記された人があるのを発見し、大変に驚いたことがあります。しかも、その話を南支区の牧師会で披露したら、居並ぶ牧師たちが怪訝な表情をする中で、ご高齢のM牧師(改革長老主義のY教会)が懐かしそうに「結構、昔は多かったのです」と返されたのには、更にビックリでした。

このように牧会の現場では、実に様々なニーズがあり、いつの時代も、牧師は古い式文を自分なりに変更したり修正したり、古今の式文を援用したりして対応しているのです。何しろ、教団の結婚式の式文なんか、未だに「妻たる者よ、主に仕えるように夫に仕えなさい。…夫は妻のかしらである」ですからね。


【会報「行人坂」No.255 2017年10月発行より】

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2017年03月26日

キリスト教こんにゃく問答]]「礼拝と労働」

1.働いて食べる

私は「働かざる者、食うべからず」と教えられて来ました。祖母や母は、この諺によって私の怠け心を戒めていました。まさか、これが聖書の言葉であったとは…(「テサロニケの信徒への手紙二」3章10節)。後年、聖書の中に発見した時の、私の驚きと言ったら、「豚に真珠」「目から鱗」に匹敵する衝撃でした。

前の「口語訳」では「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」と訳されていました。「新共同訳」では「働きたくない者は、食べてはならない」に成っています。「大正文語訳」でも「人もし働くことを欲せずば食すべからず」です。よく見ると「働かざる者/現に働いていない者」ではありません。働く意欲や意志が問題にされているのです。当然ながら、働きたくても働けない人もいるのです。

共産党のように、労働を神聖視(偶像化)しているのでもありません(実は、レーニンも「働かざる者、食うべからず」を「社会主義の実践的戒律」と称揚して居り、この聖句は「スターリン憲法」にも引用されているのですが…)。況してや、労働の成果や実績を至上とし、利益や利潤を追求しているのでもありません。そうではなくて、パウロは「怠惰な生活に陥るな」と勧めているのです。

どうやら、テサロニケには、終末思想の影響を受けて、「世の終わりは近いから、あくせく働く必要は無い」等と吹聴する輩がいたようなのです。しかし、そんな輩もまた「兄弟」であることには違いありませんから、教会として彼らに食事を与えて、世話をしていたようなのです。それでパウロは、テサロニケに滞在していた時にも、自分は「だれからもパンをただでもらって食べたりはしませんでした。むしろ、だれにも負担をかけまいと、夜昼大変苦労して、働き続けたのです」と証言しているのです。殊更に自分の労働を強調し、自慢しているようにも見えて、如何にもパウロがイヤミたらしい性格に感じられます。しかし、彼が言っているのは「お互いがお互いを祈り合い、お互いに仕え合い、共に働く中に信仰共同体は生まれる」という、ごく単純な事実です。

2.苗木を植える

パウロは「天幕造りの職人」、「テント造り」を生業にしていたと書いてあります(「使徒言行録」18章3節)。コリントやテサロニケでは、きっと、仕事をしながら宣教活動を行なっていたのでしょう。テサロニケで、パウロはヤソンという人の家に泊まっていましたが、単なる居候に成らないように、滞在費を支払っていたのでしょう。但し、先の「働き続けた」という語には「生活費を稼いだ」という意味だけではなく、「福音宣教のために活動した」という意味もあるようです。

「援助を受ける権利がわたしたちになかったからではなく、あなたがたがわたしたちに倣うように、身をもって模範を示すためでした」。原始教会の使徒たちには、「援助を受ける権利」が認められていて、信徒たちが皆で彼らを養っていたのです。働く意欲を失い、怠惰に陥った人たちがいるのを見て、パウロは「模範を示すために」「働き続けた」のです。

マルティン・ルターの名言「たとえ私が明日世界が滅びることを知ったとしても、今日なお私は私のリンゴの苗木を植えるだろう」が思い出されます。そう言えば、テレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』第19話「男の戰い」で、人類滅亡の危機が迫る中、加地リョウジが畑に水を撒いて、スイカの世話を続けていたのは、ルターの「リンゴの木」に対する庵野秀明の目配せだったのでしょう。

さて、これらのパウロの発言の背景には「十二使徒の教訓/ディダケー」があります。1世紀末から2世紀頃に、シリアで書かれたと推測される文書です。かつては新約聖書の正典と同等の価値があるとされていました。

「主の名において来るものは皆、うけ入れなさい。…来た人が旅の途上にある人ならば、できる限りの援助をしなさい。…その人が職人であってあなたがたのところにとどまることを望む場合には、その人は働いて食物を得るべきである。その人が手に職のない場合には、キリスト者であるということで無為にあなたがたと一緒に過ごすことにならないよう、あなたがたはあなたがたの洞察に従ってあらかじめ配慮しなければならない。もし彼がそのように行動することを望まないならば、その人はキリストで商売する人である。このような人たちに注意しなさい」(荒井献編『使徒教父文書』より、佐竹明訳「十二使徒の教訓」、講談社文芸文庫)。

つまり、キリスト者たる者は「無為に」時を「過ごす」ことなく「働く」者なのです。但し、信仰生活に言われる「働き」は、賃金を稼ぐこと、金儲けではありません。先の「ディダケー」で言えば、他者を「援助する」ことです。ルター風に言えば「私の苗木を植える」ことです。現実社会での成功や蓄財(「商売」)、裕福になることに対しては、むしろ、誘惑に陥らぬようにと「注意」を払っているのです。

3.聖なる務めを

こんなことを書いたのは、他でもありません、「礼拝」について考えていたからです。「礼拝」という語の、聖書的な語源は、ヘブル語の「アーバド/働く、仕事をする、勤務する」という動詞にあるからです。ここから「奉仕する」「神に仕える、礼拝する」へと拡がるのです。名詞の「アボーダー」も「仕事、職、礼拝」です。新約聖書では「礼拝」を、ギリシア語コイネーで「ラトレイア」と訳しました。本来「ラトレイア」は、労働者の働き、奴隷の奉仕、服従を表わす語だったのです。これが英語の「リタージー/liturgy」に成ると「貴いこと」という意味に成るから不思議です。

本来、古代エジプトであれ古代ギリシアであれ、労働は奴隷がすべきことと見なされていました。旧約聖書も紀元前の書物であるが故に、中には「労働は懲罰」と主張している箇所が散見されます。しかし、キリスト教信仰が中近東、アフリカ、地中海沿岸地方から北ヨーロッパへと移って行く中で、何等かの「価値の逆転」があったのです。

キリスト教信仰の普及と共に「働くことは貴いこと」に成ったのです。いや「貴いこと」という価値付けをすることによって、「働くこと」それ自体が高められて行ったのです。実際、1日に7〜8回「時禱/Horae canonicae」を行なう「聖務日課/Officium divinum」等、勤勉でなければ出来ません。「聖務日課」は、英語で「Divine office/聖なる務め」です。現代では「オフィス」は「事務所、業務施設」ですが、何を隠そう、キリスト教用語だったのです。ここにも「礼拝と労働」との繋がりが見い出せます。

イングランドとスコットランドの宗教改革は「安息日厳守主義/Sabbatarianism」を生み出します。礼拝を厳守して、日曜日には、商取引や旅行は勿論のこと、訪問や接待、スポーツ等の全てのレクレーションも禁止したのです。「聖日厳守主義」として、最近まで、日本の教会でも大切にされていました。しかし、今や「世俗の勤務/Secular office」が「聖なる務め/Divine office」より優先される時代に成ってしまいました。現代では「仕事で礼拝を欠席します」という連絡に、何の負い目もありません。

「オフィス」という語だけではありません。教会で生み出された労働価値と労働倫理は、世俗社会や企業に絡め取られ、奪われてしまったのです。奪われるだけなら未だしも、「神を神とも思わず、人を人とも思わぬ」ような利己主義を補完する材料として、悪用される結果となっているのです。

「働くことが、即ち、生きることではない」という問題提起が為されています。果たして、ハンディキャップがあって、人と同じように働けない人は生きるに値しないのでしょうか。高齢になって、以前のように働けなくなったら生きるに値しないのでしょうか。そもそも資本に仕えて働くことは、そんなに高貴なことでしょうか。非正規労働者は無残に使い捨てられ、正規雇用者も搾取された挙句に過労死させられ、グローバリズムは格差社会を招き、消費経済と営利追及は地球規模の環境破壊をもたらしています。山積する問題の大きさを見れば、資本主義が末期的症状を呈していることは、誰にとっても一目瞭然です。

そんな渦中にあって、キリスト教会は、未来の信仰共同体に相応しい労働(礼拝であり奉仕)を、独自に新しく提案する必要があるのです。


【会報「行人坂」No.254 2017年3月発行より】

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2016年10月22日

キリスト教こんにゃく問答]\「伝道と宣教」

1.霊性振起

秋になると、どこの教会でも「伝道集会」や「伝道礼拝」を開催するのが定番です。残念ながら、概ね教会の予算規模は小さいので、社会的な知名度の高い人をお招きする財力がありません。それでも、そのために献金を募って、何とか予算を確保する場合もあります。ところが、実際に著名人と交渉してみると、数年先まで日程が塞がっていたりします。私の実体験です。

どうして、不慣れな者たちが無理をして、特別な集会や礼拝を企画しなければならないのでしょうか。しかも、秋になると、各教会が一斉に似たり寄ったりのことをするものですから(バザーも同じ)、まるで競合する小規模店舗(ラーメン屋)が互いに「潰し合い」「打ち合い」をしているかのような図です。

秋になると、日本の教会が一斉に「伝道集会」「伝道礼拝」を行なうのは、米国教会の日曜学校の習慣に遡ります。19世紀の米国教会では、夏休み中に各地に分散していた子どもたちを「再結集/Rally」させる日として、九月第一主日を「ラリーデイ/Rally Day」として守ったのです。それが日本に移入されて「振起日」と訳されました。「振起日総員礼拝」「霊性振起」として、教会員全員に礼拝出席を促したのです。「伝道の秋」の始まりです。やがて1960年代には「一人が一人を♂^動」に受け継がれました。

「一人が一人を」教会へ導けば、礼拝出席は倍増するというスローガンです。「何人もの人を導け」と無茶なことを要求するのではなくて、「たった一人の人のために祈り、導け」というところが、この運動の味噌でした。しかし、今現在、この運動が跡形もないことを鑑みるに、単なるスローガンに終わってしまったようです。それに伴う精神性が欠如していたから、信仰復興運動にまで達しなかったのでしょう。

2.家庭集会

スローガンと言えば「お茶の間に福音を」というキャッチコピーも、今や懐かしい響きです。これは「家庭集会」を支えた標語でした。会員信徒の各家庭を「伝道の最前線」「前線基地」と位置付けたのです。有志会員の家庭を開放していただき、そこに牧師が「礼拝の出前」をしたのです。そうすることで、未信者の家族や近所の人たちを「信仰に導こう」としたのです。つまり、当時は「教会は敷居が高いけれども、各人の家庭ならば参加し易い」という前提があったのです。

「家庭集会」が入信のキッカケに成った人は大勢います。入信に至らないまでも、「家庭集会」での交流を懐かしく覚えている人は今も居られることでしょう。羽仁もと子の「全国友の会」(1930年〜)の「家庭集会」をモデルにしているかも知れません。また、中国共産党の弾圧下で続けられた「家の教会」運動の影響も見られます。今も福音派諸教会が熱心に取り組んでいる「セルチャーチ/Cell Church」運動もその進化形でしょう。

1990年代に、高木仁三郎が代表を務めていた民間シンクタンク「原子力資料情報室」が「反原発出前のお店」という活動をしていました。各地に講演や学習会の出前をするのです。「生活クラブ生協」は地域の班長の家庭で「班会」を開きます。これらの寄り合いにも、キリスト教会の「家庭集会」の影響を見ることが出来ます。何しろ「家庭集会」の起源は、新約聖書の時代にまで遡ることが出来るからです。

さて、「ドーナツ化現象」によって、教会周辺に居住していた会員が郊外地へ移転すると共に、「家庭集会」は各地域に伸びた教会の「ブランチ/枝」と位置付けられました。例えば、私が南大阪教会に赴任した1980年代後半には、藤井寺や東大阪はもとより、芦屋、京都、高槻、生駒まで、主任牧師と手分けして出前に行っていました。

未信者の家族(連れ合いや子どもたち)も参加するようにと、夜の時間帯に開催されることも多々あった「家庭集会」でしたが、日本基督教団の教会では、未信者の家族に信仰を強要するような感覚に違和感を抱く牧師や信徒が増える(真っ当なセンスです)と共に、家庭生活の変化から、夜の集会は次第に敬遠されるように成りました。そして、今や「他人の家庭に上がるよりも、教会に行く方が敷居が低い」と感じられる時代です。

3.福音内容

その昔「伝道」という字を「伝導」と書いた時代があったそうです。今では「伝導」と言えば、「熱伝導」「電気伝導」のように理科用語です。私が「伝道師」に成り立ての頃、ナザレン教団出身の熱心な信徒、Uさんから「昔は『教えて導いた』ので『伝導師』と書いたのですが、最近の人は『道を伝えるだけ』なので『伝道師』なのでしょうかね」と、皮肉を言われたことが思い出されます。気負ってばかりの当時は、その言葉にムカッと来たものですが、今では懐かしくも楽しい思い出です。

よく似た語に「宣教」があります。「伝道」と「宣教」、どこが違うのでしょうか。「宣教」は「ミッション/Mission」という語を翻訳したものです。元々は「派遣」という意味で、神さまから世界に遣わされた教会の「使命」を意味します。もう一つ「エヴァンジェリズム/Evangelism」という語もあります。これが所謂「伝道」です。「福音/エウァンゲリオン」の「伝達」を意味します。

比較すれば、「宣教」と言った場合には、教会の全ての働きを包括する幅広い内容を持っていますが、「伝道」と言った場合には、未信者を信徒にすることを直接目的とする働きに限定されます。「社会派」的視点を持つ教会が「宣教」を好んで使い、より「福音派」的傾向の強い教会が「伝道」を使いたがるのには、双方の指向性の違いがあるのです。

しかし、一番大切なのは「どのように伝えるか」(「宣教」を通してか、それとも「伝道」を通してか)ではなく、「伝えられるべき内容」です。それは、イエス・キリストの十字架の愛、これを措いて他にはありません。

但し「目的と方法とは、常に一致しなければならない」というのが鉄則だと思います。ヒトラー率いるナチスは「崇高なる目的のためには、路傍の花も踏み行かねばならぬ」と主張しました(ドイツの哲学者、ヘーゲルの言葉と言われています)。曰く「目標達成のためには、多少の犠牲は致し方ない」、要するに「目的のためには手段を選ばず」ということです。目的の正しさによって、手段としての悪を正当化するのです。

しかし、私たちの信仰が神の御心に適うものと成るためには、「目的と方法とは、常に一致しなければならない」のです。もしも、イエス・キリストの「愛」を証することが目的であるならば、それを伝える方法もまた「愛」でなければならないのです。イエス・キリストが目標ならば、私たちの働きもまた、イエス・キリストに倣うものでなければなりません。ベリアル(悪魔)の方法論を用いて、イエス(神)を目指すことは、それ自体が大いなる冒?と言わざるを得ません。

人を傷つけたり抑圧したりして置いて、それを「神の御旨」「福音伝道」「教会の働き」等と言うことは許されません。

キリスト教会と自称していても、マインドコントロールの手法を利用して、信徒を支配したり管理したりする教会が数多くあります。「恐怖、脅し」による強制、「愛の爆弾、愛のシャワー」による依存関係、「告白の儀式」を使った罪責感による縛り、「権威主義」に屈服させての奴隷化など、それらは、どれ一つ取ってみても、イエスさまの愛とは似ても似つかぬものばかり。暴力の一種です。

「キリスト教の普及」「信仰の証」「伝道のために」等と、大上段から言われると、反論しにくいものです。しかしながら、それらの看板が内実を伴っているかどうか、十分に吟味する必要があります。自分のことを棚に上げて批判するのは、凡そ稚拙で愚昧な行為ですから、勿論、私たちもまた、自己吟味しなければなりません。

吟味と言っても、何も難しいことはありません。「コリントの信徒への手紙I」13章1〜13節を、実際に声に出して唱えてみることです。

「伝道」「宣教」「教会形成」を掲げる時、あるいは、自分の意見を申し述べる時、他の人を批判する時、そこに果たして、イエスさまの愛はあるでしょうか。私たち自身の中に、キリストの愛は宿っているでしょうか。


【会報「行人坂」No.253 2016年10月発行より】

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2016年03月27日

キリスト教こんにゃく問答][「人の子」

1.ウイラード

子どもの頃、私は観た映画をすぐに真似する癖がありました。ある時には、ネズミを飼育して増やそうとしたものです。それは『ウイラード』(1971年)というアメリカ映画を観たせいでした。

主人公のウイラードは、ネズミをペットにする気の弱い青年でした。けれども、叔父が亡き父の会社を乗っ取ったのを機に、自宅の地下室でネズミを養殖して、数千匹の大群にします。そして遂に叔父を襲わせ、喰い殺させるのでした。以後、邪魔者を次々とネズミに襲わせます。ネズミの大群がウイラードに従っていたのは、知能の高いリーダー格のネズミ、ベンがいたからですが、やがて、そのベンがウイラードに反抗するようになり、哀れ彼もまたネズミの餌食になってしまうのでした。

早速、私は「ネズミ捕獲作戦」に取り掛かり、ネズミの飼育を始めました。愚かにもネズミに餌付けをすれば、何でも命令に従うと思い込んでいたのです。ネズミの大群を使って、小学校を襲撃させる、考えただけでワクワクしたものです。ところが、ネズミは少しも命令に従いません。それどころか、やっと捕獲した二匹のネズミは、父親に見つかり、無残にも水死させられたのです。

こうして、私の最初の襲撃計画は脆くも未遂に終わったのですが、『ウイラード』には『ベン』(1973年)という続編映画があったのです。しかも、今度は子ども向けの映画に変わってしまっていました。恐らく、私のような悪い計画を立てる子が出ないようにと配慮してのことでしょう。前作で、ウイラードを殺して下水道に逃げ込んだネズミの大群は、リーダーのベンに率いられ、スーパーマーケットを襲ったりして、街をパニックに陥れます。ところが、ある時、ベンは心臓病を患っている少年と仲良しになり…という、結局は「お涙頂戴」の物語です。

映画の主題歌「ベンのテーマ」を、少年時代(「ジャクソン5」時代)のマイケル・ジャクソンが歌っていました。当時、買ったドーナツ盤を今でも私は持っています。子ども時代の私は、きっと、それなりに気に入っていたのでしょう。

2.ベニヤミン

これら二本の「ネズミ映画」によって、私の幼心に「ベン」という名前は深く刻み込まれたのでした。「ベン」が「ベンジャミン」の愛称だということは、すぐに知りました。それよりも、むしろ私が驚いたのは、ズッと後で、それが聖書の「ベニヤミン」という名前から来ていると知った時でした。更に「ビネヤーミン」とは「ヤーミン/右手、幸福、南」の「ベーン/子」という意味であることも知ったのです。

聖書には、それこそ雨の後のキノコや竹の子のように、大勢「誰某の子」と称する人が登場します。「サウルの子ヨナタン/ヨーナーターン・ベン・シャーウール」とか「エッサイの子ダビデ/ダーヴィード・ベン・イシャーイ」とか「ダビデの子ソロモン/シェロモーン・ベン・ダーヴィード」と書いてあります。このように父名を添えて、その血筋と人物を特定することは、何もユダヤだけの伝統ではありません。「アルカイダ」の指導者、ウサーマ・ビン・ラーディンの「ビン・ラーディン」も「ラーディンの子」という意味です。

「子/ベーン」は「民」を言う場合にも使います。「イスラエルの人々」と訳されているのは「イスラエルの子ら/ベネー・イシェラーエール」です。同じ職業の人たちを総称する場合にも使います。「詠唱者たち」は「歌手の子ら/ベネー・ハムショーレリーム」と成ります。「人の子ら/ベネー・アーダーム」と言われているのは「アダムの子孫」ですから、勿論「人類」の事です。単数で「人の子/ベン・アーダーム」と言えば、個人としての「人」と成ります。これは、現代ヘブル語でも同じです。

3.人の中の人

やがて、アッシリア帝国、新バビロニア帝国、ペルシア帝国、マケドニア帝国、ローマ帝国と、次々に興亡を繰り返す「世界帝国」の搾取や支配を受ける中で、ユダヤでは、この「人の子」が「メシア/救い主」を表わす暗号名のようにして使われ始めるのです。旧約聖書の「ダニエル書」、旧約偽典の「第一エノク書」「第二エノク書」「バルクの黙示録」「第四エズラ記/エスドラの黙示録」等の黙示文学の中に、メシア「人の子」が登場するように成ります。「偽典」と言っても「紛い物」という意味ではありません。匿名の作者が「エノク」「エズラ」「バルク」等に名を借りて書いたという意味です。

圧倒的な軍事力と経済力を背景にした大帝国に、祖国の独立を奪われ、一方的に制度や文化や公用語を押し付けられて、ユダヤは信仰まで奪われそうに成っていたのです。今で言う「グローバリゼーション」「ワールドスタンダード」です。その中で「人の子/人間」という呼び名に仮託して、救い主の到来を待ち望んだのです。

それにしても、何と逆説的な語であることかと溜め息が出ます。「神の子」が「人の子」という名前で呼ばれたのです。「神の子」を言い表わすために、実際には「人間」と発話したのです。そして、新約聖書の「福音書」では、イエスさまが神から託された使命について語る時、自らを「人の子」と仰るのです。

しかしながら、もしかしたら、「真のメシア」とは「真の人」として生きられる御方のことを言うのではないでしょうか。「人の子」と聞くと、私は「いよ!男の中のオトコ!」という激励の合いの手を思い浮かべるのです。その物言いを借りると「人の中の人」として生き、「人の中の人」として死んでいかれたのが、イエスさまです。飼い葉桶に生まれ、悲しむ人と共に泣き、苦しむ人と共に悩みながら、十字架の死に至るまで、祈りの生涯を全うされました。十字架を見上げて、ローマの百人隊長が「本当に、この人は神の子だった」と呟くのは、「人の子」として生きた彼こそは、真の「神の子」だったという信仰告白なのです。

「貧しきうれい、生くるなやみ/つぶさになめし」(「讃美歌21」280番「馬槽のなかに」)イエスさまこそが「まことの神、まことの人よ、救い主よ」(「讃美歌21」248番「エッサイの根より」)と讃えられるのに相応しいのです。


【会報「行人坂」No.252 2016年3月発行より】

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2015年10月25日

キリスト教こんにゃく問答]Z「死に至る病」

1.病は気から?

ベタニア村のマルタとマリアの姉妹が使者を遣わし、イエスさまに「兄弟ラザロが重い病気を患っている」と知らせました。ところが、イエスさまは「この病気は死で終わるものではない」と応えて、その地に尚、2日間も滞在し続けるのです。その後、イエスさまがベタニアに到着した時には、ラザロは既に死んでいて「墓に葬られて既に4日も経っていた」と書いてあります。その後、イエスさまはラザロを墓から呼び戻します。

余談になりますが、ラザロこそは「元祖ゾンビ」です。19世紀ロシアの幻想文学者、レオニード・アンドレーエフは、『ラザルス』という短編小説で、復活させられたラザロが辿る怖ろしい運命を描いています。これについては『半七捕物帳』の岡本綺堂による名訳(但し、英訳からの重訳)があります。

それはともかく、イエスさまの有名な台詞「この病気は死で終わるものではない」(「文語訳」では「この病は死に至らず」)から、19世紀デンマークの哲学者、セーレン・キェルケゴールは『死に至る病』という本を書きました。「この病は死に至らず」の主の宣言が、復活の希望であるのに対して、「死に至る病」とは絶望のことです。人間にとっては、絶望こそが本当の「死に至る病」だと言うのです。

何気なく、ラテン語訳「ウルガタ聖書」を読んでいたら、「この病は死に至らず」は「インフィルミタース・ハェク・ノン・エスト・アド・モルテム/infirmitas haec non est ad mortem」と書いてありました。「病」は「インフィルミタース/infirmitas/無気力、怠惰」という語が使われていて、通常の「モルブス/morbus/病気、病状」という語ではありませんでした。これでは、まさに「病は気から」という話に成ってしまいます。ビックリ仰天しました。

そこで、ギリシア語原典を確認すると、「アステネイア」という語が使われています。その語の第一義は「無力、弱さ」、「病気」は第二義だったのです。ここでも、一般的な「病気/ノソス」という語を使っていないのです。つまり、「ウルガタ」はギリシア語原典に忠実だったのです。

2.病は神罰か?

旧約聖書では「病」に「ホーリイ」というヘブル語が使われています。「ハーラー/弱くなる、病気になる、患う」という動詞から来た語です。即ち、「病」とは、神によって「弱められること」だったのです。旧約の世界では、良い事も悪い事も全て、唯一の神に由来すると考えられていました。健康や繁栄も「神からの賜物」であると受け止められましたが、その反面、病気に罹った場合も、その人と神との関係の中に、何か良からぬ問題があったと考えられたのです。所謂「神罰」です。

具体的に律法を破ったり、犯罪まで至らずとも、道徳的な罪を犯したり、そんな場合に、神に打たれて、その人は病気に罹ると考えられていたのです。その典型とされたのが「らい病」です。

念のため申し上げますが、現在の「ハンセン病」と同一視するべきではありません。「新共同訳」では、1996年の「らい予防法」廃止に伴い、「らい病」は、差別用語として一切の使用を取り止め、以後「重い皮膚病」と訳しています(訳語変更は1997年版から)。この曖昧な語が「ハンセン病」と混同されて、患者が被った差別や迫害の歴史に配慮してのことです。

「らい病」は「ツァーラース」「メツォーラー」と言いますが、いずれも「打つ/ツァーラー」から来ていて、「打たれた者」を意味します。「神に打たれた病気」だったのです。「民数記」12章では、モーセの独裁指導体制に逆らったミリアムが罹患します。更に「ヨブ記」において、義人ヨブを絶望の淵に追い詰めるのも、「あなたが罪を犯したからこそ、災難と病気が襲って来たのではないか」という、友人たちの問いかけでした。

ともかく、神との霊的関係が破れたために病気になったと考えられたのですから、癒されるための第一条件は「悔い改め」によって、神との正しい関係を回復することでした。「悔い改めて癒される」(「イザヤ書」6章10節)のです。事実、ヒゼキヤ王は、悔い改めることで、神に赦され、「死の病」から「寿命を15年」延長されるのです(「列王記下」20章、「イザヤ書」38章)。

それに対して、どんなに友人たちがヨブに「悔い改め」を迫っても、ヨブ自身が「悔い改め」を拒み続け、神に対する異議申し立てを止めようとしなかった、そのことも忘れてはいけません。「病は神罰」説に対して、真っ向から対決しているのです。

新約聖書を信じる私たちにとっても、この問題は大切です。「この人が生まれつき目が見えないのは、誰が罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか?」という弟子たちの問いに対して、イエスさまは「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない」と断言されました。「神の業がこの人の上に現われるためである」(「ヨハネによる福音書」9章1〜4節)と。

3.癒される理由

「病は神罰」という因果論は意外と根深いのです。日本社会の通念は言うまでもありません。伝統的な日本の宗教風土の中には、呪いや祟りの信仰が強く残っています。病気や身体障碍、精神障碍、災難や不幸も全て、それによって説明されていきます。「ちゃんと先祖を祀っていない」「墓が荒れている」「何代前の先祖の殺傷因縁が今に祟っている」等と、無責任なことを言います。その口上が実証されることはありません。

そこまでではありませんが、因果論は現代のキリスト教信仰やキリスト教会の中にも、未だ根を張っています。そこには「神癒/ヒーリング」との関係があるのです。良い事も悪い事も唯一の神に由来するという立場(唯一神信仰)からすると、癒されるのも神ならば、病によって「打たれた」のも神と成るからです。

「共観福音書」では、イエスさまが「あなたの罪は赦された」と宣言して、病者や障碍者を癒していかれる御姿が描かれています。勿論、イエスさまに「神の権威」があるということを言いたいのですが、その病気や障碍は神に打たれた結果であるという、当時の人たちの信仰を反映してもいるのです。

実際、「神癒」の信仰を強調しつつ、神を善なる御方と言い続けると、多神教的傾向が生まれてしまいます。神と同等か、少し劣る程度に強力な悪魔、悪霊の勢力を設定せざるを得なくなるのです。「神癒」を行なっている教会が、同時に「悪霊祓い」も盛んになるのは、自然の摂理です。多神教的傾向が必ず出て来てしまうのです。

私が「イエスさまの御言葉は凄い!」と思うのは、むしろ、イエスさまが、あらゆる因果律(如何にも人間が説明するような)を超越しておられるからです。私たち自身を振り返ってみれば、何か不幸や災難に遭ったり、病気に罹ったり、障碍を負ったりすると、必ず「どうして、こんなことに成ったのか?」と原因を探します。勿論、現実世界の原因究明は大切ですが、その追及は一旦、社会性を失うと、単なる「犯人捜し」になり、家族の誰かを(あるいは、自分自身を)責め続けることにもなり兼ねません。

しかし、イエスさまは「神の業がこの人の上に現われるため」と言われるのです。ラザロの物語でも同じことを言われています。「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである」。何が原因なのか、誰が悪いのか、そのようなことは一切、捨象されているのです。本人が悔い改めるかどうか、それすらも問われていないのです。

私自身、神の癒しを求める一人の弱い人間に過ぎません。ヨブと違って義人ではなく、罪人として、繰り返し悔い改めなければならない人間です。しかし、私が信じているのは、条件付きの取り引きをする神仏ではなく、全ての因果律を超越するキリストだけです。


【会報「行人坂」No.251 2015年10月発行より】

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2015年03月29日

キリスト教こんにゃく問答]Y「永遠の命」

1.祝福と呪詛

「これで最期ですが、私にとっては生の始まりなのです/This is the end,for me the beginning of life」(E・ベートゲ他著、高橋祐次郎訳『ボンヘッファーの生涯より』)。英文学者の中村妙子は「これは終わりですが、私にとっては新しい生命の始まりです」と、少し意訳しています。ナチスに抵抗した牧師、ディートリヒ・ボンヘッファーの遺言として伝えられる言葉です。

バイエルンのフロッセンビュルク強制収容所で処刑される直前、彼はこの言葉を伝言として、共に抑留されていた英国人将校に託したのです。そして将校は戦後、ボンヘッファーの十数年来の友人であった、ロンドンのジョージ・ベル主教に届けたのでした。私は「永遠の命」という語を耳にする度に、この簡潔でありながら力強い、ボンヘッファーのメッセージを思い出すのです。

青年時代の私は「ジ・エンド」と聞いても、退廃的で虚無的なジム・モリスン(ザ・ドアーズ)の歌声(1967年)しか思い浮かばなかったのです。御存知ない方のために書きますと、「この絶望の地では/余りの痛々しさに恋愛も失われて/子どもたちは皆、気が狂っていく/夏の雨乞いでもするかのように」というような、呪詛じみた歌詞が延々と続きます。そうです。あの歌は、まさしく「呪い歌」だったのです。実際、ジム・モリソンは薬物の過剰摂取のため27歳の若さで死亡しています。

同じ「This is the end」という言葉で始まりながら、両者の行き先は何と違っていることでしょうか。私自身は、ボンヘッファーの言葉に出会った時、薄闇の世界に朝の陽光が射し込んだように感じました。そして、「終わり」を何として受け取るか、そこに呪いか祝福かの分岐点があると悟ったのです。

2.現世と来世

ボンヘッファーの遺言には、勿論、聖書的な根拠があります。

「俗悪で愚にもつかない作り話は退けなさい。信心のために自分を鍛えなさい。体の鍛錬も多少は役に立ちますが、信心は、この世と来るべき世での命を約束するので、すべての点で益となるからです」(「テモテへの手紙T」4章7〜8節)。

「この世での命」と「来るべき世での命」とが対比されています。これは、前の「協会訳」では「今のいのち」と「後の世のいのち」、「新改訳」では「今のいのち」と「未来のいのち」と訳されています。そして、「後の世のいのち」こそが、本来の命なのだと言われているのです。

これが新約聖書に言われる「永遠の命」なのです。「神の国を継ぐ」と言われるのも、このことに他なりません。言うまでもありませんが、聖書に言う「永遠の命」とは「不老不死」でも「アンチエイジング/抗老化医学」でもありません。

そう言えば、漢方の「長寿」と「長命」も、全く意味が異なると言われています。「長命」は単に「生き長らえている」こと、「長寿」は自律的に生活して社会参加も可能なことだそうです。いえ、その程度の違いではなく、聖書の「永遠の命」は「彼岸」の命だったのです。

「後の世のいのち」が本物の命であるとするならば、「今のいのち」には、大した価値はないのでしょうか。

イエスさまの助言を仰ごうと訪ねて来た「金持ちの男」は言いました。「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか」(「マルコによる福音書」10章17節)。ここでの問答から、当時のユダヤ教では、律法の掟を守ることが「永遠の命」を受け継ぐための条件とされていたことが伺われます。つまり、この世は試験会場、今の人生は修行、訓練期間みたいなものと考えられていたのです。ですから、せいぜい奮闘努力して、神さまのお眼鏡に叶うようにしなくてはなりません。

しかし、福音書を読んでみると、イエスさまが「救い」を言い渡されるのは、真面目に律法を守ろうとしている人たちではなく、どちらかと言えば、徴税人や娼婦、貧乏人や物乞い、病人や障碍者、子どもや外国人など、律法を守れない人たち、律法を守るどころではない人たちなのでした。何しろ、一緒に十字架に磔にされた犯罪人にまで「救い」を約束されているくらいです。どうやら、イエスさまは、今の世で悩み苦しんでいる人たちこそが一番に救われねばならないと考えておられたようです。

確かに「永遠の命」、あるいは「神の国」には、この世に対するアンチテーゼという側面があるようです。価値の転倒、立場の逆転、逆説…延いては、体制批判、世直し、社会変革、革命運動にまで通じる、終末論的なマグマが潜んでいるようです。これは、キリスト教に限らず、イスラム教や仏教、一部の教派神道まで、どんな宗教にも見られる力学です。宗教社会学としては、そういうことですが、私たちが信仰者として知りたいのは、神さまの御心の在り処です。

3.永遠と瞬間

問題は、この世で私たちが苦しんだり悩んだりすることに、何の意味があるのかということです。来世のための修行なのでしょうか。しかし、それならば、戒めを守って救いに与る、古代ユダヤ教の律法主義と何ら変わりがありません。

律法の実践を救いの条件とすると、人間が自らを「義とする」ことになります。所謂「自己義認」です。自らが神に成り代わるのです。苦しみ悩みを救いの条件とするのも、結局それの裏返しでしかありません。

大切なのは、苦しみ悩みの中にあっても尚、神さまを信じるということではないでしょうか。自分が「苦難しているが故に救われる」のではなく「苦難の中から救い出して下さる」主を信じるのです。それが神さまの憐れみ、神さまの愛です。イエス・キリストの十字架はその具現化です。私たちには、これを信じるしかないのです。

実際、私たちには、苦難の意味は分かりません。神の創造の摂理が私たちの理解を超え、想像を絶しているのと同じです。あるいは、キリストの十字架の重さを、誰も知っているとは言えないのと同じです。誰のことであっても、安易に苦難の意味を説明したりする程、愚昧なことはありません。まさしく「これは何者か。/知識もないのに、言葉を重ねて/神の経綸を暗くするとは」(「ヨブ記」38章2節)なのです。

しかし、苦難にも必ず終わりがあります。それが、人生を祝福として受け取る秘訣です。誕生と同じく臨終をも祝福として感謝することが出来るのは、終わりを「新しい生命の始まり」と信じるからです。「多くの者が地の塵の中の眠りから目覚める。/ある者は永遠の生命に入り…/目覚めた人々は大空の光のように輝き/多くの者の救いとなった人々はとこしえに星と輝く」(「ダニエル書」12章2〜3節)。

だからと言って、死を美化し、生を軽んじるのではありません。現世を否定して、来世に望みを掛けるのとも違います。その反対に、死から目を背け続ける生き方、刹那的享楽主義の追求とも違います。それは、命のバランスが崩れてしまっているのです。

そうではなく、恐らく、神さまにとっては、生も死も等価なのです。何ら変わるところが無いはずです。「闇もあなたに比べれば闇とは言えない。/夜も昼も共に光を放ち/闇も、光も、変わるところがない」(詩編139編12節)。その神さまに向かって、私たちが全身全霊で呼び掛ける、祈るところにこそ「永遠の命」への扉の鍵があると、私は信じているのです。


【会報「行人坂」No.250 2015年3月発行より】

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2014年10月23日

キリスト教こんにゃく問答]X「死者との交流」

1.死者の力?

東日本大震災によって、大勢の人たちが愛する家族を一瞬にして失いました。未だに遺体が発見されず、その喪失を死として受け止めることすら出来ない人もいるそうです。そのような大きな痛みを抱える人たちの中に、死んだ家族が訪ねて来たというような体験者が次々と現われ始めました。最初は、新聞のコラムのような小さな囲み記事で知ったことです。昨年夏には、NHKスペシャル「亡き人との再会=`被災地三度目の夏に」というドキュメンタリー番組が制作されました。

津波で家族を失くした人たちの、訥々と語られる痛切な告白が胸に迫ります。そして、ある日、果たされた「再会」の証言。それを「心霊体験」等と呼ぶことに逡巡を感じてしまう程に、有り触れた素朴な体験談でした。亡き幼な子が愛用の玩具を揺らしたとか、下駄箱のブーツの中に亡き父の墓前に供えられた花が入っていたとか、幼くして死んだ二人の子どもたちが成長した姿を見せに来てくれて「もう大丈夫だから」と言ってくれたとか…。どれもこれも日常の延長線上にあって、「不思議」とすら思えませんでした。

ただ、この体験を契機にして、生きる意欲を取り戻す人も多く、地元の精神科医は「死者の力」と呼んでいると説明していました。

2.死者の祈り

キリスト教、もしくは聖書の信仰では、余り詳しく死者のことは扱っていません。けれども、何事にも例外はあるものです。

「サムエル記上」28章には、ペリシテ軍との決戦を前にして、恐れを抱いたサウル王が死霊を呼び出すエピソードがあります。最初、サウルは祭司や預言者によってヤハウェの託宣を求めるのですが、上手く行きません。それで遂に、自分が禁止し迫害していた「口寄せの術」に頼るのです。

身分を隠したサウルは夜陰に紛れて、巫女(口寄せの女)を訪ねて、あろうことか、預言者サムエルの霊を呼び出させるのです。何とかして、サムエルの助力を得ようとしたサウル王でしたが、サムエルは生前同様に「主があなたを離れ去り、敵になられたのだ」と冷たく言い放ちます。それどころか、イスラエル軍の惨敗と王の戦死すら預言するのでした。ここでは、イスラエルでは魔術として厳しく禁じられていた「口寄せの術」を通して、ヤハウェの御心が語られるのです。

旧約聖書の信仰では、死者は神の御手から離れて行ったものと考えられていました。何しろ、旧約聖書は八割方、現世主義的な信仰なのです。神の祝福は生前において受けるものであり、病気や障碍、その他の災いを受けるのは、何等かの罪を犯した報いと信じられているのです。律法を守って正しく生きていれば、信仰者は何百歳もの長寿に恵まれ、若くして死ぬ者は悪事を働いて呪われた者なのです。たとえ、信仰と善行の報いが現世で与えられないように思われても、その祝福と恵みとは、嗣業の土地を受け継いだ子孫の上に、いつの日か華咲くと信じられていました。

まあ、そのような単純な、しかし強固な「因果応報」の信仰に対して、異論反論を唱えているのが「ヨブ記」であり「コヘレトの言葉」であった訳です。また、バビロン捕囚の現実を正面から受け止めた「イザヤ書」や「エレミヤ書」には、「因果応報」を乗り越えようとする試行錯誤が見られます。

そんな旧約と新約とを繋ぐ「旧約続編」には、死者の復活の信仰が語られています。セレウコス朝シリアからの独立運動を指揮するマカバイ家のユダが、戦死者のために、自分のゲリラ部隊の各人から金を集めて、「贖罪の献げ物」としてエルサレムに送るのです。

「それは死者の復活に思いを巡らす彼の、実に立派で高尚な行ないであった。もし彼が、戦死者の復活することを期待していなかったなら、死者のために祈るということは、余計なことであり、愚かしい行為であったろう。だが彼は、敬虔な心を抱いて眠りについた人々のために備えられている素晴らしい恵みに目を留めていた。その思いは真に宗教的、かつ敬虔なものであった。そういう訳で、彼は死者が罪から解かれるよう彼らのために贖いの生贄を献げたのである」(「マカバイ記2」12章43〜45節)。これを読むと、私は「供養」という仏教用語を思い出してしまいます。

この後「マカバイ記2」では、故人である大祭司オニア三世がユダの夢枕に立ち、驚いたことには、預言者エレミヤを紹介するのです。そして、エレミヤが彼のために「神の賜物であるこの聖なる剣を受け、これで敵を打ち破りなさい」(15章16節)と、戦勝の祈りを唱えてくれるのです。先には死者のために祈ったユダでしたが、ここでは、死者が生者の健闘を祈ってくれるのです。

3.死者に福音

これまで大勢の信徒から、牧師として質問されたテーマの一つに「死後の世界」があります。勿論、私は丹波哲郎ではないので、見て来たように語ることは出来ません。そもそも聖書それ自体が「死後の世界」を見て来たように語ったりはしないのです。そこで、牧師としても、ヴィトゲンシュタインではありませんが、「語り得ぬものについては、沈黙しなければならない」と言うのが賢明な態度なのです。

「死後の世界」について質問なさる信徒の動機は、「夫は未信者のまま逝ったのですが、天国で再会できるでしょうか?」というものでした。夫に限らず、親兄弟、子ども、身内に友人、色々な人たちと愛し合い、睦び合って生きているのが私たちです。そのような思いが去来するのは当然のことです。

今でも「救われるのはキリスト者のみ」と教えている教会は数多くあります。それを前提に「キリスト者とは洗礼を受けた者」と定義しています。ところが、熱心な信徒として働くように意図してのことでしょうか、「滅び」を強調する一方、ただ受洗しているだけではダメで、「悔い改めた者」「霊の洗礼を受けた者」「身と魂を献げた者」「賜物を教会のために活かす者」と、際限なく条件は上がって行きます。しかし、信仰や洗礼を「救いの条件」とするのは如何なものでしょう。そのために、かつては、私たちの教団でも(無理矢理の)「幼児洗礼」どころか「死後洗礼」までが行なわれていたのです。

むしろ、キリストは今も、信者であろうと未信者であろうと、正しい者であろうと正しくない者であろうと、生きている者であろうと死んだ者であろうと、等しく神の御もとへ導こうとされているのではないでしょうか。

「キリストも、罪のためにただ一度苦しまれました。正しい方が、正しくない者たちのために苦しまれたのです。あなたがたを神のもとへ導くためです。キリストは、肉では死に渡されましたが、霊では生きる者とされたのです。そして、霊においてキリストは、捕らわれていた霊たちのところへ行って宣教されました」(「ペトロの手紙1」3章18〜19節)。

「使徒信条」に告白されている「…死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり」の意味が、ここにあります。キリストは陰府においても、福音を「宣教」なさっているのです。死んだ者もまた、「霊において生きるようになるため」(同書4章6節)です。

キリストの働かれる「陰府の三日間」は、間違いなく「永遠の時」と繋がっているはずです。私たちは「キリストは生も死も司っておられる御方」と信じて、むしろ、安んじたいと思います。それこそがガツガツしない、本物の信仰です。


【会報「行人坂」No.249 2014年10月発行より】

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2014年03月23日

キリスト教こんにゃく問答]W「煉獄と地獄」

1.地獄篇

昨年でしたか、『地獄』(千葉県安房郡三芳村延命寺所蔵、白仁成昭・中村真男構成、宮次男監修、風濤社)という絵本がリバイバルヒットしました。30年前に出た絵本の復刻です。死んだ五平が生き返り、見て来た地獄の恐ろしさを語り、皆に「命を粗末にするな」「悪事を働くな」と言って聞かせる、些か説教臭い筋立てになっています。

因みに、この「地獄絵図」を所蔵する延命寺(南房総市)は、『南総里見八犬伝』のモデルとなった里見家の菩提寺だそうです。曹洞宗のお寺です。1784年(天明四年)に、江府宗庵という絵師が「地獄極楽絵図」を製作したそうです。

「天明」年間と言えば、「天明の大飢饉」(1782〜88年)です。岩木山、浅間山の相次ぐ噴火が冷害をもたらしたとされています。最近では、地球規模の視点で、アイスランドのラキ火山、グリムスヴォトン火山の噴火によって発生した塵が成層圏に達し、北半球の低温化をもたらしたことも言われるようになりました。フランス革命の原因の一つとも言われますが、この「天明の大飢饉」によって、日本では、東北地方を中心に推定2万人が餓死したと言われています。つまり、この絵巻物の地獄のリアルな描写は「大飢饉」の現実を反映したものだったのです。

三浦哲郎の『おろおろ草紙』(講談社)は、私が最も強く影響を受けた本の一冊ですが、ここには「天明の大飢饉」の際、南部藩で頻発した人肉食事件の顛末が詳しく描かれています。これには、幼少期からホラー一筋に歩んで来た私の血ですら凍りついたものです。親が子の肉を喰らい、子が親の肉を喰らいます。最後には「脳味噌の塩辛」を漬け込んでいた鬼婆まで登場します。

安房延命寺の「地獄絵図」に描かれている「なます地獄」「火あぶり地獄」「釜ゆで地獄」「針地獄」を見ていると、鬼たちが亡者たちを切り刻んでお膾(なます)にしたり、釜あげうどんにしたりしています。側では、亡者たちの体をムシャムシャ食べている鬼もいます。そして「塩辛」の樽も控えています。間違いなく「天明の大飢饉」が反映されているのです。

京都、東京、奈良の国立博物館には、有名な「餓鬼草紙」や「地獄草紙」が展示されていますが、本来は独立した絵図ではなく、12世紀に確立した「変相図」とか「六道図」といった仏教絵図の一つなのです。しかし、近世の「地獄絵図」は明らかに、現世を描いているのです。丸木位里・丸木俊夫妻の「原爆の図」「南京大虐殺の図」「アウシュビッツの図」等も、その系譜上にあるのではないでしょうか。

2.煉獄篇

生き返った五平の「地獄レポート」と同じような話が、新約聖書に載っています。「ルカによる福音書」16章19〜31節「金持ちとラザロ」の話です。死後、貧乏人のラザロは天に召されますが、反対に贅沢三昧の生活を送った金持ちは「陰府」で「炎の中で悶え苦しめ」られるのです。金持ちは、自分が貧乏人のラザロを憐れむこともなく、「遊び暮らしていた」ことを悔いて、アブラハムに言います。「未だ世に残っている兄弟たちに、何とか死後の世界のことを伝えてやりたい。そうすれば耳を傾けるでしょう」。ところが、アブラハムは冷淡に言い放ちます。「律法と預言者(聖書)に耳を傾けないのなら、たとえ死者から復活する者があっても、言うことを聞かないだろう」。

お話の発端は五平の話と似ていますが、結論が全く逆になっています。どんなに「地獄が恐ろしい」と脅しても、「死後の世界」や「来世」を説いても、そんなことで人間は悔い改めたりはしないのです。五平がお地蔵様(地蔵菩薩)の執り成しで、現世に生きて帰れたのと違って、金持ちが生き返ることは出来ません。それどころか、金持ちの度重なる懇願にもかかわらず、遺族への警告すら「やるだけ無駄」とばかりに拒絶されてしまいます。何という冷徹さでしょうか。

さて、この聖書のエピソードから「アブラハムの懐」(the bosom of Abraham)という慣用句が生まれました。貧乏人ラザロが死んだ後、「天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれた」と書いてありますが、「すぐそば」を、英語の「欽定訳/King James Version」や「現代英語版/Today’s English Version/Good News Bible」等が「アブラハムの懐」と訳しているのです。

現代では「アブラハムの懐」は「天国」と受け止められています。ところが、どういう訳か、中世には「アブラハムの懐」と言ったら「煉獄」を意味していたそうです。中世の人たちが聖書本文を読んでいないことが丸分かりですね。

さて、問題は「煉獄」です。プロテンタントの教理では完全に否定されていますが、カトリック教会では今でも信じられています。ラテン語で「Purgatorium/プールガートーリウム」と言いますが、罪の償いを果たすまで、霊魂が苦しみを受け、それによって浄化される場所を言います。「プールゴー/purgo/贖罪する」という動詞は、元々「洗浄する、掃除する」という意味ですから、私は「人間洗濯機」と呼んでいます。「天国の待合室」と言った人もいます。

そのまま「地獄流し」(『ゲゲゲの鬼太郎』か、はたまた『地獄少女』か)になるような極悪人ではなくて、小さな罪を悔い改め切れていない普通の人が行く所なのです。例えば、臨終の床で罪を告白して悔い改めたものの、地上において悔い改めの業を為し得ないので、「煉獄」に行って「浄罪の火によって清められる」(アレクサンドリアのクレメンス)と言われています。オリゲネス、アウグスティヌス、トマス・アクィナス等も「煉獄」の存在(有用性)を認めています。しかしながら、プロテスタント教会は、信仰によってのみ(Sola fide)救われる「信仰義認」ですので、当然「煉獄」の教義は否定されたのです。

カトリックの教義によれば、あの金持ちが「陰府」の「炎の中で悶え苦しんで」いるのは「煉獄」の「浄罪の火によって清められ」ていることになります。すると、やがては彼も「天国」に迎え入れられるということになる訳です。

3.陰府篇

日本では最近、仏教の門徒や神道の氏子の葬儀なのに、弔辞で「天国の誰某さん!」と呼びかけている人がいます。本当は、仏教にも神道にも「天国」はありません。しかし、驚くなかれ、旧約聖書の信仰にも、「地獄」「煉獄」はもとより「天国」すらも存在しませんでした。あるのは「陰府/シェオル」だけです。日本の記紀神話の「黄泉」と同じく地下世界(アンダーワールド)のことです。

「陰府」には、後の「地獄」や「煉獄」に通じるような刑罰的な要素は全くありません。義人も悪人も死ねば等しく「陰府」に行きます。「滅び」「墓穴」「暗黒の寝床」「希望のない世界」「塵の上の横臥」「地の深き所」等と表現されるばかりです。

ところが、後期ユダヤ教に「地獄/ゲヘナ」が登場するのです。「ゲ・ヒンノム/ヒンノムの谷」が転訛したものです。エルサレムの郊外「ヒンノムの谷」では、自分の子どもを燔祭に奉げるというような異教の人身御供が行なわれていたそうです。それを目撃した人は、まさしく「地獄だ」と思ったはずです。またしても「地獄」は現実の反映だったのです。

そして「天国」が出て来るのも、後期ユダヤ教の終末論の中からなのです。(つづく)


【会報「行人坂」No.248 2014年3月発行より】

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