2012年10月23日

キリスト教こんにゃく問答]T「終末」

1.ハルマゲドン

オウム真理教が一連のテロ事件を起こす以前の話です(それでも、私たちの間では「破壊的カルト」と認知されていましたが…)。私の友人に物好きがいて、オウムが経営する定食屋が秋葉原にあると言うので、わざわざ食べに出掛けました。店内の壁にお品書きがあって、それを目で辿って行くと、「牛丼」「カツ丼」「天丼」に混じって「ハルマゲ丼」とあるではないですか。ギョッとしつつも、それを注文すると、「春巻き丼」が出て来たそうです。海鮮丼の専門店「ポセイ丼」と並ぶ駄洒落です。

現代では「ハルマゲドン」は「終末」を意味する語となっていますが、ヘブル語の「ハル・メギドーン/メギドの丘」を「黙示録」の著者がギリシア語に音写したものです。「汚れた霊どもは、ヘブライ語で『ハルマゲドン』と呼ばれる所に、王たちを集めた。」(ヨハネの黙示録一六章一六節)。神の勢力と悪魔の勢力との間で、最終決戦が行なわれる場所なのです。それ故に、「ハルマゲドン」は「世界最終戦争」を意味する語に転化するのです。しかし、「メギド」が旧約聖書の古戦場として知られていたので使われたに過ぎません。その意味では、「関ヶ原」でも「天王山」でも「五丈原」でも構わなかったのです。

因みに、「ハルマゲドン」の「H」を発音しないで、「アルマゲドン」と言うことがあります。そう言えば、昔のアメリカ映画で、アステロイド(小惑星)の接近で地球が壊滅するのを防ごうとする男たちのドラマ、『アルマゲドン』もありました。これは「ハレルヤ」を「アレルヤ」と発音する場合があるのと同じです。ギリシア文字では、語頭の母音に「気息記号」を付けて「H」の有無を示すのですが、ラテン文字に移し変えると、記号が外れてしまうからです。

2.天罰か天恵か

「セブンスデー・アドベンティスト」という教派をご存知でしょうか。日本語では「第七安息日再臨派」と訳しています。十九世紀「アメリカ生まれのキリスト教」です。日本国内にも、「セブンスデー・アドベンチスト教会」「日本アドベント・キリスト教団」等の教団がありますし、菜食主義者用の食品製造で有名な「三育フーズ」、学校法人「三育学院」、杉並区の「東京衛生病院」も同じ流れを汲んでいます。コーンフレークの発明で有名な「ケロッグ」も、「セブンスデー」の療養所の専属医師だったのです。詳しくは、ブラック・コメディ映画『ケロッグ博士』を御覧あれ。「人食いハンニバル」こと、名優アンソニー・ホプキンスがタイトルロールを演じています。

さて、「セブンスデー」の起源です。キリスト再臨論者の一人、ウィリアム・ミラーは聖書研究の結果、一八四三〜一八四四年に終末が来ることを預言しました。ところが、いつものことですが、終末は来なかったのです。ミラーの信者の中には、失望して去って行く者もいましたが、終末の到来を尚も確信する人たちが大勢残っていました。彼らは「何等かの理由で、終末は延期された」と信じ、その原因を追究しました。

あるグループは「自分たちの善行の故に、天罰としての終末が執行猶予を得たのだ」と言いました。また、別のグループは「神の教えに背き続ける社会の故に、救済である終末が延期された」と言いました。彼らは一週間の七日目、土曜日を安息日として厳守しました。「終末が来なかったのは、この律法が守られなかったからだ」と主張するのです。「終末」と「週末」、単なるワープロの変換ミスでは済ませられません。ともかく、このように終末預言が成就しなかった結果、新たなセクトが誕生したのです。

私が面白いと思うのは、終末を「天罰」と考えるか「救済」と考えるかという点です。勿論、両者に大差は無かったのでしょう。だからこそ、「セブンスデー」の人たちは一致して教団を形成したのでしょう。つまり、ごく自然に、終末は、信者にとっては「救済」、この世にとっては「天罰」と考えるのです。このような考え方は、何も「セブンスデー」に限ったことではなく、どの時代の、どのキリスト教思想にも見られるものです。いいえ、ユダヤ教やイスラム教、それどころか、仏教の末法思想にも見出せるのではないでしょうか。

しかしながら、終末が信者(何の信者であれ)にとって「救済」であるというのは、果たして、本当に自明なことなのでしょうか。私には何か信者の傲慢に思われて仕方がありません。また、自分たちだけが救われて、それが本当に「救済」と言えるのでしょうか。このように考えて、立ち止まってしまう人は「終末論」向きではありません。

3.千年王国思想

西欧キリスト教の歴史を紐解くと、紀元千年(ミレニアム)から十字軍の時代に「千年王国主義」が猛威を振るっていることが分かります。その中心人物こそ、一二世紀のイタリア人修道士、ヨアキム・ディ・フィオレです。彼は、神の歴史を「父の時代」「子の時代」「聖霊の時代」に三分します。「父の時代」とは、旧約聖書の時代、律法の原理の下に恐怖と隷属が支配する時代でした。「子の時代」は新約聖書の時代、福音が啓示された信仰の時代です。そして今や「聖霊の時代」が始まった。聖霊による直接の啓示によって、愛と喜びと自由の時代が生まれると説いたのです。

聖霊の力による変革を説くのは、二〇世紀のペンテコステ派の専売特許ではなく、その七百年前から行なわれていたのです。また、ヨアキムの説いた歴史の三段階説、「第三の王国」という考え方は、ナチス思想の背景と成ったオカルト団体「トゥーレ協会」に受け継がれ、彼らもまた自らを「第三帝国」(Der dritte Reich)と称しました。ナチスが黒魔術の代表ならば、白魔術の代表はルドルフ・シュタイナーです(シュタイナー教育の!)。実は、シュタイナー派も同名の機関紙を発行していました。

そこまで行くと飛躍し過ぎですが、ヨアキムから三百年後には、「ドイツ農民戦争」で知られるトマス・ミュンツァー、「殉教者会議」のハンス・フート等の「宗教改革急進派」が登場します。彼らの運動を支えていたのも、ヨアキムの「千年王国主義」です。世界に終末が訪れる時、偽キリスト者は全て死に絶えて、真のキリスト者のみが生き残り、神の国を建設するという訳です。聖フランチェスコの清貧の教えに立ち返ろうとした、カトリックの「フランシスコ心霊派」も、ルター派教会の教条主義に反発して生まれた、シュペーナーの「ドイツ敬虔主義」も、ヨアキムの影響下にあります。

日本風に言えば、いずれにも「世直し運動」の傾向が伺えます。現実の社会を変革して行って、一般民衆の救済、現世救済を目指すダイナミズムがあるのです。既成教会の枠から離れて、民を救うために独自の共同体を建設するのです。

宗教改革の教会の傍流とされる(いや、時に「異端」として扱われた)「宗教改革急進派」に再評価の機運が高まったのは、二十世紀に入って、「再洗礼派」の末裔であるアメリカのメノナイト教会(アーミッシュもこの一派)、フッター兄弟団の人たちが、少数派ながらも、自らの信仰に自信を取り戻して、発言を始めたからです。

ともかく、終末論には、既成の社会秩序や教会制度を転覆させるような、ダイナミクスがあります。悪くすれば、オウムのサティアンにも、ナチスにも大バケする可能性もありますが、教会共同体について考える時には、必ず押さえて置かなくてはならないポイントの一つであることは確かです。


【会報「行人坂」No.245 2012年10月21日発行より】

posted by 行人坂教会 at 12:32 | ┗こんにゃく問答

2012年02月24日

キリスト教こんにゃく問答X「聖霊」

1.蜜蜂と聖霊

私の大好きな映画の一つに、ヴィクトル・エリセ監督の1973年のスペイン映画、『ミツバチのささやき』(El Espiritu de la Colmena)があります。原題は意味不明ながら、「蜜蜂の聖霊」とでも訳すしかありません。

1940年頃、カスティーリヤ地方の寒村の公民館で、巡回映画の上映会が行なわれます。演目は、ボリス・カーロフ主演の『フランケンシュタイン』です。村人だちと一緒に、スクリーンを見入っているのは、イサベルとアナの幼い姉妹です。イサベルは小学校二年生、アナは幼稚園の年長さんくらいでしょうか。アナには今一つ、映画の展開が理解できません。夜、ベッドの中で、アナはイサベルに尋ねます。

アナ:「なぜ、怪物はあの女の子を殺したの?」

イサベル:「怪物もあの子も、殺されていないのよ」

アナ:「なぜ、分かるの?」

イサベル:「映画の中の出来事は、全て嘘だから。私、あの怪物が生きているのを見たもの」

アナ:「どこで?」

イサベル:「村はずれに隠れて住んでいるの。他の人には見えないの。夜に出歩くから」

アナ:「お化けなの?」(スペイン語で「ファンタスマ」と言っています)

イサベル:「霊なのよ」(スペイン話で「エスピリトゥ」と言っています)

アナ:「先生が話していたのと同じ?」(先生は「足し算」の教え歌の最後に、いつも「聖なる御霊にお祈りを」と付け加えます)

イサベル:「そうよ、でも、霊は体をもっていないの。だから、殺されないの」

アナ:「映画では体があったわ。腕も、足も、何もかもあったわ」

イサベル:「あれは、出歩く時の変装なのよ」

アナ:「夜しか出歩かないのに、どうやって話したの?」

イサベル:「だから、霊だって言ったでしょ。お友だちになれば、いつでもお話できるのよ。目を閉じて、彼を呼ぶの。“私はアナです”“私はアナです”って」

(以上、吉岡芳子『ミツバチのささやき』字幕翻訳・シナリオ採録を参照しつつ)

面倒臭くなったお姉ちゃんのイサベルは、妹のアナの質問に対して、行き当たりばったりの返答をしていただけなのです。でも、生真面目なアナは「霊」=「フランケンシュタイン」の存在を素直に信じてしまいます。そして、「霊」を捜し求めます。畑の農具小屋の前に大きな足跡を発見したり、小屋に潜伏していた人民戦線兵士(反フランコ派の敗残兵)にリンゴをあげたりするのです。

ベッドに入る時、幼い姉妹は、いつも晩祷(就寝の祈り)を唱えます。勿論、お祈りの締めは「父と子と聖霊の御名によって、アーメン」です。「聖霊」は「エスピリトゥ・サント」です。学校の先生が教えていた「御霊」も「エスピリトゥ・サント/聖なる霊」です。シナリオ採録を読むと、単に「エスピリトゥ」と言う場合には「精霊」と訳し分けをしています。けれども、先に引用した姉妹の対話の場面を見ても分かるように、幼い姉妹にとっては「聖霊」と「精霊」に特別な区別はありません。因みに、その流れで行くと、「ファンタスマ」は「幽霊」と訳すことが出来ます。

2.聖霊と精霊

聖書に出て来る「霊」も「聖霊」ばかりではありません。福音書には、「悪霊」に取り憑かれた人を、イエスさまが助ける話があります。その場合、「悪霊」と訳されているのは、ギリシア語の「ダイモーニオン」、「悪魔」を意味する「デーモン」の語源です。新約聖書では、「悪霊」がどこから来るのか定かではありませんが、旧約聖書には、しばしば、主なる神ヤハウェが「悪霊」を送って、人々に不幸をもたらします。士師ギデオンの子アビメレク、サウル王、アハブ王などがその犠牲者です。その場合には、「ルーアッハ‘ラァアー」というヘブル語が使われています。

「聖霊」の場合は「ルーアッハ・カドーシュ」です。しかし、そのような表現はごく稀で、「神の霊/ルーアッハ・エロヒーム」とか「主の霊/ルーアッハ・ヤハウェ」という表現が主流です。「ルーアッハ」は「風」「空気」「息」から広がって「霊」という意味にも使われるようになった語です。現代ヘブル語では、それこそ「幽霊」の意味にも使われています。

ヘブル語「ルーアッハ」の含蓄にピッタリ重なったのが、ギリシア語の「プネウマ」でした。例えば、復活を信じることが出来ないニコデモに、イエスさまが語られる、有名な教えがあります。「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである」(「ヨハネによる福音書」3章8節)。これは「風」と「霊」とが両方とも「プネウマ」であることから来た語呂合わせに成っているのです。要するに、「ルーアッハ」も「プネウマ」も「目に見えない存在」であるのです。

しかし、先の「悪霊」のように、善い働きをするものばかりではありません。そこで、パウロは神の聖霊以外のものを纏めて、「あの無力で頼りにならない支配する諸霊」(「ガラテヤの信徒への手紙」4章9節)と言っています。前の「口語訳」は「あの無力で貧弱な、もろもろの霊力」と訳しています。「諸霊」「霊力」は「ストイケイオン」というギリシア語で、「星辰」から派生して、「元素霊」を意味する語です。例えば、占星術では「黄道十二宮」を、錬金術では「地・水・風・火」の「四大元素」を表わします。

「黄道十二宮」は別名「獣帯」と言って、星占いの「星座」でお馴染みの12の徴が当てられています。それと同じように、4つの「元素/アルケー」にも、それぞれ、土の精霊グノムス、水の精霊ウンディネー、風の精霊シルフ、火の精霊サラマンドラの「四精霊」が対応しています。昔、日本では「元素」を「精霊」と訳したのです。「ストイケイオン」は英語では「エレメンタル・スピリッツ」なのです。実際には「無力で頼りにならない」のに、世の人々はそれらの影響力を信じて、支配に甘んじている。そう言って、パウロは「精霊崇拝」を批判しているのです。

そこで、新約聖書では、それら「諸霊」「精霊」と区別するために、神から来る「聖霊」を言う場合には、「プネウマ」の頭文字を大文字にして書いてあります。日本語訳では、以前は「御霊」としていました。しかし、神道の「御霊」(祖霊や英霊)と訣別するために、「新共同訳」では、苦肉の策として「“霊”」と括弧付きで訳しています。つまり、どれもこれも「目に見えない存在」ですから、区別するのが極めて困難なのです。五歳の少女と同じく、私たちにも区別し難いのです。

さて、古代のキリスト教の伝説によると、元々、蜜蜂は神の僕として天国に住んでいたのですが、「失楽園」以後、地上へ住むようになったそうです。しかも、天国への出入り自由を許されているとされています。ミラノの司教、聖アンブロジウスは蜜蜂の生態に着目して、人間もまた、勤勉に労働して典礼を守ることで、「天国の甘さ」を生み出すとしています。そして、蜜蜂を労働、自制、復活の象徴としました。そう、「蜜蜂」もまた、目に見えぬ聖霊を表現していたのです。金子みすゞの詩ではありませんが、「蜂と神様」は、キリスト教の教理上でも、ちゃんと繋がっていたのです。


【会報「行人坂」No.244 2012年2月12日発行より】


posted by 行人坂教会 at 11:45 | ┗こんにゃく問答

2011年10月24日

キリスト教こんにゃく問答\「天災と天主」

1.神はどこに?

エリ・ヴィーゼルというユダヤ系の作家をご存知でしょうか。1986年にノーペル文学賞を受賞しました。彼はアウシュヴィッツ強制収容所での自身の経験を、『夜』(La Nuit)という小説の中に書きました。その中に、こんな描写があります。

ナチス親衛隊の隊員が、二人のユダヤ人と一人の子供を、皆の見ている前で絞首刑にします。二人の男はすぐに息を引き取りましたが、子供は体重が軽いために、死の痙攣を半時間も続けていました。ヴィーゼルの後ろで、それを見ていた男が泣き叫びました。「神はどこにいるのか?神はどこにいるのか?」。それからまた、時間が経ちました。けれども、未だ子供は絞首索で苦しんでいました。また、あの男が呟きました。「一体、今、神はどこにいるのか?」。

その時、ヴィーゼルは、心の奥底から一つの声が答えるのを耳にしました。「ここに神はいる。神は絞首台のあそこで吊されているのだ」。

2.静かに囁く声

実に、重い問いかけ、実に重い応答です。問いかけにも応答にも、人間の実存が掛かっているように思います。これを読む時、併せて思い起こされるのが、「列王記上」19章にある預言者エリヤの物語です。

紀元前850年代、北王国イスラエルのアハブ王治世、預言者エリヤは、王妃イゼベルによって暗殺されそうになり、命辛々、落ち延びます。やがて、契約の山ホレブ(シナイ山)へ導かれ、そこで主なる神に直訴します。

「わたしは万軍の神、主に情熱を傾けて仕えて来ました。ところが、イスラエルの人々はあなたとの契約を捨て、祭壇を破壊し、預言者たちを剣にかけて殺したのです。わたし一人だけが残り、彼らはこのわたしの命をも奪おうとねらっています」。

その後、主がエリヤに御自身を啓示されます。「見よ。そのとき主が通り過ぎて行かれた。主の御前には非常に激しい風が起こり、山を裂き、岩を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風の後に地震が起こった。しかし、地震の中にも主はおられなかった。地震の後に火が起こった。しかし、火の中にも主はおられなかった。火の後に、静かにささやく声が聞こえた」。

神は地震の中にはおられないのです。嵐の中にも、原発の火災や水素爆発の中にもおられないのです。それらはどれも大惨事で、大勢の命を一瞬にして奪ったり、町や村を壊滅させたり、環境(人体をも含む)を汚染したりして、大変な被害を与えます。昔の日本人は「崇り神」「荒ぶる神」として、これを恐れて来ました。そのことには、旧約の民も変わりがありません。神の下される天罰としての三大災害は、「飢饉」「外敵の襲来」「疫病」なのです(「サムエル記上」24章13節以下)。

天災であれ人災であれ、自然災害であれ人為的な事故であれ、とてつもなく不幸な事が起こるのは、神の審判、天罰と考えたのです。確かに、そういう物の見方は、旧約聖書の中にも、根深く残ってはいます。今、エリヤ自身が直面しているのは、王権による弾圧と迫害と脅迫、暗殺の魔手、民からも見捨てられた絶望と孤独です。災害ではありませんが、大変に破滅的な状態であることは同じです。

エリヤの重苦しい問いに対して、災いをもたらすために神があるのではないと応えておられのです。あるいは、神の御心は地震や嵐や火災の中にあるのではない、と。聖書の神はその御心を、御自身の存在を、大きな災いの後に「静かにささやく声」として表現しておられるのです。

3.不愉快な質問

山浦玄嗣さんと言えば、新約聖書をギリシア語原典から「ケセン語」(岩手県気仙地方の方言)に翻訳した、カトリック信徒の医師です。彼自身も、今回の震災では被災なさったようです。彼の言葉をご紹介します。

「津波の後、東京からいろいろなジャーナリストたちが来て、不愉快な質問をしましたね。つまり人の信仰を根底から覆そうとするような質問。お前はキリスト教徒で神様を信じているそうだけれども、こんな災害に遭ってもなお信じるのか、と。旧約聖書に登場するヨブに対するあのいじめと同じような質問ですよ」。

「当たり前だ、と言ったんです。地球の歴史はこういうものなんだ、と。…一度に何万人も死ぬから皆腰を抜かすのですが、よく考えると人生は災害の連続です。…災害は非常に不条理にも見えるのだけれど、長い目で見ると、そのお陰で、前の時代では出来損ないとしか思われないようなものが次世代を造って、生物も人類も進歩していく。ですから災害を呪ったり、なんで神様は私たちを救ってくれないのか、という問いは見当外れもいいところだと思います」。

大変に長い引用になりました(カトリック教会の信徒雑誌『あけぼの』9月号の特集対談『今、生きてて良かったと思えれば…』から)。しかも、『キリスト新聞』の紹介文からの孫引きなので、お恥ずかしい限りですが、是非とも紹介したかったのです。『フランシーヌの場合』で有名な歌手の新谷のり子(カトリック信徒)との対談の中での言葉です。

何故、このような悲惨があるのか。それは、その悲惨を身に負わされた者だけが問うことの許される言葉なのです。何の傷も損害も受けていない他所の人、況してや、ジャーナリスト如きが軽々しく語るべき言葉ではないのです。それこそ、ヴィーゼルの後ろに立っていた男のように、自らの死を願う程に追い詰められたエリヤのように、自らの胸を打ち叩き、泣き叫びながら尋ねるべき言葉なのです。

4.神も仏も無い

悲惨な状態に遭って、日本人が悲憤慷慨する時の慣用句の一つ、それが「神も仏も無い」です。芝居などで役者が「神も仏もあるものか!」と叫んだりします。恐らく、この表現そのものが「神仏混淆」「神仏習合」の成果なのです。土着の神道的信仰に、渡来の仏教信仰を接ぎ木するための「神仏同体説」に基づいて、両者を折衷したのです。

ブッダの教えからすれば、この世に「神も仏も無い」のは当然のことです。この世は有限で相対的(一切皆苦)であり、人は必ず死ぬ(諸行無常)のですし、この宇宙には何等永続すべき実体は無い(諸法無我)からです。その現実を直視し、「我執」を捨て去り、「煩悩」が消えた時、静かな境地が得られる(涅槃寂静)というのが、仏教の根本思想です。その意味で「神も仏も無い」のです。

イエスさまもまた、十字架の上で「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫んで、息を引き取られました。その意味では、全く「神も仏も無い」のです。恐らく、この経験を過ぎ越さなくては、本当に神さまと出会うことは出来ないのでしょう。ですから、「神も仏も無い」は、英語に言う「カタストロフ」(悲劇的結末)ではなく、ラテン語の「カタストロファ」(変遷、運命の転換」として受け止められるべきでしょう。回心と再出発の言葉なのです。

ボンヘッファーは言います。「われわれと共にいる神とは、われわれを見すてる神なのだ。神という作業仮説なしにこの世で生きるようにさせる神こそ、われわれが絶えずその前に立っているところの神なのだ。神の前で、神と共に、われわれは神なしに生きる。…神はこの世においては無力で弱い。そしてまさにそのようにして、ただそのようにしてのみ、彼はわれわれのもとにおり、またわれわれを助けるのである。キリストの助けは彼の全能によってではなく、彼の弱さと苦難による。」(E・ベートゲ編、村上伸訳、ボンヘッファー獄中書簡集『抵抗と信従』より)

大きな災難や不幸に付け込んで、これを「伝道の好機」「布教のチャンス」として利用する宗教団体も数多くあります。また、自分が痛くも痒くもない所から、芝居がかった悲憤慷慨のポーズで、「お前の神はどこにあるのか」と冷笑する人々も数多くあります。まさに「我が仇人は/囲み立ち/我に向かいて/『汝が神は/いずこにある』と/罵れば/涙ぞ常に/糧なりし」(旧『讃美歌』322番)です。両者はコインの両面なのです。

このように申し上げれば、私たちの立ち位置は、自ずと明らかになるでしょう。私たちは「神も仏も無い」現実を生きていかなくてはならないのです。但し、私たちの前には、キリストがいらっしゃるのです。いや、むしろ、そこにこそ、十字架のキリストと共に生きる道が開かれている、と言うべきでしょうか。


【会報「行人坂」No.243 2011年10月23日発行より】

posted by 行人坂教会 at 19:25 | ┗こんにゃく問答

2011年03月30日

キリスト教こんにゃく問答[「神の子」

1.実子と養子

「新共同訳」では無くなりましたが、以前の「協会訳」には「子たる身分」という訳語がありました。「ヒュイオテシア」というギリシア語です。パウロ書簡の中では、繰り返し、独り子イエスをさえ惜しまぬ神さまの愛によって、私たちは「子たる身分」にされたと言われています。

「新共同訳」では「神の子にする」という風に動詞形で訳されるようになりました。しかしながら、「ヒュイオテシア」は「養子縁組」を意味する、ローマの法律用語なのです。イエスさまが「神の子である」と言っている場面では、別の語「ヒュイオーテス」が使われています。つまり、用語を変えて厳密に区別されていたのです。

同じ「子」(ヒュイオス)でも、「実子」と「養子」とでは違う。そう言いたいのでしょうか。なるほど、(日本社会と同じように)血縁を重んじる旧約聖書の世界では、養子縁組の例は数える程しかありません。モルデガイがエステルを養女にした記事くらいしか思い浮かびません(しかも、この両者には血縁があります)。

しかし、古代アッシリア、バビロニア、エジプトやローマでも、養子縁組は広く行なわれていました。ファラオの王女がモーセを養子にする逸話が「出エジプト記」にあります。小説と映画で有名な『ベン・ハー』では、主人公ユダ・べン・ハーがローマの軍司令官クインタス・アリウスの養子に迎えられます。それらの物語には、実の親子以上の「絆」の意味が表現されているように思われてなりません。

キリストの十字架によって罪を赦され、罪人たる私たちも款われたという信仰告白、この告白を通して初めて、私たちはキリスト者とされるのです。それは「救いの条件」というような事柄ではなく、「神と民」という関係性の中に、自らを位置付けるためのプロセスなのです。それは丁度、養子縁組に際して、証人を前にして、公式に、養子が両親の下に引き取られる手続きを思わせるのです。このように、パウロが使った用語一つの中にも、「ユダヤ民族のためのユダヤ教」から「諸民族のためのキリスト教」へと転換しようとする積極的な意識を伺うことが出来るのです。

因みに、英語では、実子養子の区別なく「子であること」は「サンシップ」です。「友情/フレンドシップ」「共同経営/パートナーシップ」「指導力/リーダーシップ」「運動家精神/スポーツマンシップ」等と同じく、共に一つの「舟」に乗っているのです。

2.神の子と人の子

古代エジプトでは、ファラオ(ヘブル語の発音では「パロ」)は「神の子」と言われていました。それは名付けにも表われています。「ラメセス」は「太陽神ラーの子」、「トトメス」は「知恵の神トトの子」です。「メス」とか「メセス」が「…の子」なのです。「モーセ」の名前も、この「メス」が語源だと言われています。新約時代には、ローマ帝国の皇帝も「ディヴィ・フィリウス/神の子」と呼ばれていました。多かれ少なかれ、古代の権力者たち、支配者たちは自らを「現人神」と位置付けていました。

そのような王権に対する反発もあってでしょうか、旧約聖書では「神の子」という語は殆ど使用されていないのです。ユダヤ教徒にとっては、異教の臭いを醸し出す語だったのでしょう。あるいは、身辺に、そのように自称する者がいるとしたら、常軌を逸した異端者でしか無かったのでしょう。従って、メシアの称号として用いられるのは、専ら「人の子」の方なのです。

新約聖書においても、事情は基本的に変わりません。「人の子」が「共観福音書」に69回、「ヨハネ福音書」に12回も頻出するのに比べれば、「神の子」の使用頻度は低いと言わざるを得ません。しかも、「共観福音書」では、イエスさまは御自身を「人の子」と呼ぶことはあっても、決して「神の子」とは言われないのです。

イエスさまを「神の子」と呼ぶのは、誘惑する悪魔、汚れた霊、悪霊、「信仰の薄い」弟子たち、ペトロ、十字架の見物客、祭司長・律法学者・長老たち、そして、ローマの百人隊長なのです。ペトロの「信仰告白」が、その直後にお叱りを受ける程度の薄っぺらなものであることは周知の事実です。従って、百人隊長の「告白」だけが「真実の言葉」として評価されているのです。唯一、ユダヤ教の伝統から外れた百人隊長の「神の子」告白が承認されているのです。

「神の子」は、「人の子」に比べれば、第二次的な用語と思われます。キリスト教信仰を受け入れて、「イエスをキリスト」と告白した結果として、この称号が意味を持つのです。キリスト教信仰の確立と共に、「神の子」の称号が、漸く市民権を得るように成ったのです。

3.先在のキリスト

しかしながら、この「神の子」の称号にも、「養子論」と「先在論」があるのです。「肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです」(ローマの信徒への手紙1章4節)。これは、あたかも「養子縁組」を思わせる表現です。復活によって初めて、「神の子」とされたかのような印象を受けます。キリスト「養子論」は、王や皇帝が神として扱われる「神化/アポテオーシス」を想起させます。それで次第に、この考えは廃れて行ったのです。

それに対して、神さまが「実子」であるイエスさまを地上にお遣わしになったというのが「先在論」です。「罪を取り除くために御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り」(ローマ8章3節)、「神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。それは…わたしたちを神の子となさるためでした」(ガラテヤの信徒への手紙4章4〜5節)、「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである」(ヨハネによる福音書1章18節)。

天地創造以前から、神さまと共にあった御子が、地上に遣わされ、また天に帰られて、世を支配しておられる。この「キリストの先在」という考え方が、今でこそ主流に成っていますが、キリスト教信仰が生まれた時代には、色々な考え方があったのです。


【会報「行人坂」No.242 2011年3月27日発行より】

posted by 行人坂教会 at 16:24 | ┗こんにゃく問答

2010年10月17日

こんにゃく問答Z 「メシア」

1.救世主

ふと考えてみると、私たちは「救世主」等という日本語を、余り使うことがありません。礼拝の時においても、日常生活の中でも、意外なくらいに「救世主」等とは言いません。牧師として、キリストの救いについてのメッセージを語る務めに就いている私自身にしてからが、殆ど使ったことがないのです。そう言えば、マンガやアニメで有名な『北斗の拳』には「世紀末救世主伝説」という仰々しい副題が添えられていたなと、思い出すのが関の山でした。実際に、私たちがお祈りや信仰の対話の中で使っているのは、「主イエスさま」とか「キリスト・イエス」とかです。

「救世主」は「メシア」という語に当てられた訳語です。「メシア」はヘブル語の「油注がれた者」です。イスラエルの王が任職の際に、油を頭から注がれた儀式から来ています。以前の聖書では「受膏者」という訳語もありました。私はこの文字を見る度に、こめかみに絆創膏を貼ったお婆さんを思い出して、片腹を痛くしたものでした。ともかく、この「メシア」のギリシア語訳が「キリスト」です。私たち、何しろ「キリスト教徒」ですから、当然「キリスト」という語に対しては、人並み以上に親近感を抱いているのですが、改まって「救世主」と言われると、却って「ご浄霊」で御馴染み「世界救世教」を思い出してしまう有様です。

戯れにインターネットに「救世主」と打ち込んでみると、出るわ、出るわ、世の中には、こんなに数多くの「救世主」があったかと驚きます。先ずは定番、キリスト教の「救世主」、新興宗教の「救世主」、怪しいオカルト系の「救世主」が飛び出します。続いて、「マネーの救世主」「印刷会社さんの救世主」「占い館救世主」「保険救世主」「飲み処救世主」「あなたも『ハロプロ』の救世主に」・・・。

何より驚いたのは、民主党の鳩山由紀夫元首相のホームページです。「救世主」という文字が浮かび上がり、アニメが始まるのです。スーパーマンの格好をした鳩山が荒廃した都市に降り立ちます。そこに「エージェント小泉」という名札を付けた「悪の怪人」が登場して迎撃しますが、鳩山がこれを難なく撃退、「友愛」の枝葉をくわえた鳩と成って、空高く飛んで行きます。どうやら、これは映画『マトリックス』のパロディのようです。

2.救い主

残念ながら、日本社会では既に、このように胡散臭い使われ方をしている語なのです。この語が余りにも人口に膾炙したが故に、教会で使われなくなったのか、それとも、教会で使われなかったから、この語が堕落したのか、それは私にも分かりません。しかし、私たちが「救世主」という語を積極的に使わないのも道理かと思いました。

聖書に目を転じてみましょう。前の口語訳である「協会訳」でも、福音派の教会で使われている「新改訳」でも、「新共同訳」でも、一貫して「救い主」という日本語が使われています。昔の「文語訳」ですら「救主」に「すくひぬし」とルビが振ってあります。「救世主」という語を使っているのは、私の調べたところ、難解な漢字熟語の専門用語を多用する日本正教会(ハリストス教会)くらいでした。

つまり、イエスさまは「何を、あるいは誰を、救うためにいらっしやったか」ということなのですが、「救い主」という語は、敢えて、その点を限定しない訳語なのです。他方、「救世主」と言えば、「世を救うため」と言い切ってしまっているのです。しかるに、折角、そのように明言しているにもかかわらず、「マネー」や「ハロプロ」の「救世主」等と不正使用されてしまうのですから、「救世主」としては不本意極まりないことでしょう。

目的語が曖昧な「救い主」という語が、私自身は大好きです。他にも、「聖霊」を指す「助け主」「慰め主」という語もありましたが、こちらは、「新共同訳」で「弁護者」等という味も素っ気もない訳語に変えられてしまいました。これでは、どこかの法律相談事務所に行って、依頼料をお支払いしなくてはいけないような気分です。

さて、なぜ目的語が明確ではないのが良いのでしょうか。それは私が日本語を母語として育った人間だからなのでしょう。「世」等という余計な文字が付いていない分、一瞬にして、これこそ「私を救って下さる主」なのだと、勝手に脳細胞が指示するのです。そして、その直感はあながち間違ってはいないのです。その事実に出会って、懺悔の涙と共に、感謝と讃美が生まれる、それがキリスト教信仰というものなのです。

3.私の主

神学部に入学した早々の失敗談です。私の同級生には、牧師の息子や教会高校生会の生え抜きのような「教会青年」が数多くいました。彼らは「文献批判的な」聖書の読解とその方法こそが、神学することだと、入学当初から知っていたのです。ところが、私と来たら、高校時代、悪魔学やオカルトの本ばかりに耽溺していて、聖書学のことは何も知りませんでした。何か魔法の呪文でも教えてくれるのではないかと勘違いして、神学部に入ってしまっていたのです。従って、ドイツの新約聖書学者ブルトマンによる「史的イエス研究」とか「非神話化理論」を捲くし立てる同級生の議論にも、全く付いていくことが出来ませんでした。

「史的イエス」とは、新約聖書本文を批判的に分析することにより、歴史に生きて実在したイエスという人物、もしくは、その弟子たちの生活と実存、思想と信仰とを炙り出す研究です。その手続きとして「非神話化」、当時の神話的世界像を削ぎ落として、尚、現代に通じる宣教の真理を探るという作業を行なう訳です。

神学について全く無知であった当時の私には、「史的イエス」と聞いても、「詩的イエス」か「私的イエス」という語しか浮かんで来ませんでした。恐らく、仏文科に行って、マラルメでも専攻するべきだったのでしょう。「非神話化」と言われても、当時、フレイザーの『金枝篇」を愛読していた私は「神話の持つダイナミズムこそ真実だ」と力説してしまう有様です,これでは、話が噛み合うはずもありません、。

このように、18歳の時の「恥ずかしい初体験」を告白したのは他でもありません(失敗したコミュニケーションは、いつどんな場合にも恥ずかしいものです)。そんなにして「史的イエス」を追求しなくても、「私的イエス」「私のイエス」を探し求めて行くことでも、基本的に間違ってはいなかったという確信が、今あるからです

勿論、「現代」に対して責任を負う牧師ですから、今更、古代や中世と同じような聖書の読み方をして良いはずはありません。例えば、聖書の性差別や民族差別に対して無自覚では困ります。逐語霊感説の立場で読むことに拘る余り、テキストの矛盾を勝手に整合化してはいけません、あるいは、この二千年間にキリスト教界が犯して来た(そして、今現在も引き継がれているであろう)数多くの罪悪に対して目を閉ざしてしまうことも、罪過の上塗りでしかありません。

そのためには、やはり、何としても「文献批判的に」聖書を読まなくてはなりません。しかしながら、聖書を書き残した人たちがそうであるように、また、聖書の中に描かれた人たちがそうであるように、今現在、聖書を読む私たちもまた、救いを求める一人の人間、神の憐れみと赦しを必要とする人間であることもまた、紛れもない事実なのです。私の言う「私的イエス/私のイエス」とは、勝手に「私が思い描いた」イエスのイメージという意味ではありません。「私を救って下さる」であろうイエスさまなのです。その御方の御心を探り求めることが、私たちの礼拝であり、信仰生活であろうと思うのです。イエスさまは何と思っていらっしゃるだろうか、イエスさまとはどんな御方なのだろうか、本当のところ、それは誰にも分からないのです。分からないからこそ、どこまでも尋ね求めて行くのです。

それこそが信仰者の一生です。そして、そんな道中にこそ、イエスさまが共に歩んで下さる御姿を垣間見るのではないでしょうか


【会報「行人坂」No.241 2010年10月17日発行より】

posted by 行人坂教会 at 17:59 | ┗こんにゃく問答

2010年03月28日

キリスト教こんにゃく問答Y 「十字架のキリスト」

1.神の子が死んだ

私たち、キリスト信者にとって一番大切なのが「キリスト」です。問題は、それでは実際に「どのようなキリストを、私たちの主と告白するのか」ということです。パウロは繰り返し「私が告白するのは十字架のキリストだけだ」と述べています。

「わたしたちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが…」(第1コリント1章23節)、「わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていた…」(同2章2節)。

「十字架のキリスト」、この言葉が意味しているのは、神の子が死んだ、救い主である御方が殺されてしまったという大きな「逆説」です。本来ならば、キリストは死なないのです。祭司長や律法学者、長老たち、見物人、一緒に十字架に磔にされた強盗までもが罵ったように、神の子ならば、十字架の上で死ぬはずはないのです。しかるに、我らがイエスさまは、ユダヤ人が「呪い」として特に忌み嫌う十字架の上で、絶望の叫びを上げて息絶えるのです。これがキリストであるはずはありません。

2.最初の信仰告白

ところが、何たることでしょうか。その一部始終を見詰めていたローマ軍の百人隊長が、「本当に、この人は神の子だった」と呟くのです。史上初の信仰告白は、ユダヤ人ではなく異邦人、弟子たちの誰でもなく見ず知らずの赤の他人、しかも、磔刑を現場で陣頭指揮した責任者、そんな人物の口から発せられたのです。この事を「共観福音書」(マタイ、マルコ、ルカ)が揃って証しています。

更に言うなら、復活した「栄光のキリスト」を仰ぎ見て「この人こそ神の子」と告白したのではありません。十字架の上に血まみれになって凄惨な最期を遂げた、イエスの生々しい姿を間近に見て、「この人こそ…」と言うのです。

ここに「共観福音書」のメッセージが込められているのです。それは、パウロが言うように、誰の目にも鮮やかな「栄光のキリスト」ではなくて、誰もが目を背ける「十字架につけられたキリスト」を敢えて告白すること、これこそが、本当のキリスト信仰なのだというメッセージなのです。

旧約聖書の信仰、律法を重んじるユダヤ人には、それが出来ませんでした。つまり、この信仰は旧約以来の伝続からは完全に断絶しているということです。イエスさまと寝食を共にした弟子たちにも、それは出来ませんでした。つまり、この信仰は人間関係(信頼や友愛)の中から生まれたものでもないということです。

旧約以来の信仰の伝統も、人間的な深い繋がりも何もない、全く断絶した所に生まれた飛躍こそが、この信仰告白なのです。そして、これらの福音書が編纂されるズッと以前に、それを宣べ伝えて行ったのがパウロという人だったのです。

パウロがコリントの町に宣教に来だのは紀元50年頃、「コリントの信徒への手紙T」が書かれたのは、パウロのエフェソ滞在時、紀元55年頃と言われています。最も早くに編纂された「マルコによる福音書」ですら、その成立は紀元65〜70年と推定されています。むしろ、パウロの強調する「十字架のキリスト」が、各地の教会の信徒の心に受け止められ、その影響下に「共観福音書」は成立したと見るべきでしょう。

3.逆説と矛盾の間

一見すると似ているようですが、「逆説」は「矛盾」とは違います。キリストなのに十字架の上に死んだという信仰を、ユダヤ教徒ならば「矛盾」(concradiction)として退けるでしょう。「キリスト」と「十字架」、二つの命題は互いに相反するからです。しかし、私たちはそれを「逆説」(paradox)として受け止めるのです。常識や論理を振り回すだけでは決して達することの出来ない「真理」がある。それが「逆説」です。

「十字架につけられたキリスト」は、その「逆説」の最たるものです。ユダヤ教の伝統からすれば「躓き」でしかなく、ヘレニズムの知性や教養から見ても「愚か」としか映りません。しかし、何人であろうと、その受難(passio)の有様に深く心打たれた(passionalis)人にとっては、「十字架のイエス」こそが本当のキリストなのです。私だちと共に苦しみの世を歩み、私たちのために十字架の上に死なれたキリスト、それ以外のキリスト等は宣べ伝えようとは思わないのです。

西南学院大学の青野大潮教授(新約聖書学)は、この「逆説」を説明するために、よく「片足のエース」の話をされていました。

第48回全国高等学校野球選手権、夏の「甲子園」、福岡県地区予選で「片足のエース」として評判になった島石正美投手を覚えて居られるでしょうか。彼は小児麻疹で右足の自由が利かないというハンデを背負っていました。しかし、彼の速球とチームワークによって、ついに地区代表決定戦にまで勝ち進みます。ところが、相手チームも必死です。ピッチャーが足が不自由なのを承知で、バント攻撃に打って出たのです。満場の観客からは相手チームに「卑怯者!」「恥を知れ!」と非難轟々です。結局、健闘したものの、島石投手のチームは敗れ去りました。

その試合後、継続して「片足のエース」を取材して来た朝日新聞の記者が、島石投手を慰めようと訪ねて来ました。しかし、彼はこれまで見たこともないような晴れやかな表情をしています。「悔しくはないのか!?」と尋ねる記者に、彼は笑顔で答えたということです。「悔しくはありません。初めて一人前の投手として扱って貰つたのですから」。

これが「逆説」ということです。

4.罪から贖われる

十字架の上で凄惨な最期を遂げたイエス、「神よ、見捨て給うたか!」と断末魔の叫びを上げて息絶えたイエス、「呪いの木」に掛けられて汚れた骸と成り果てたイエス、罪人として強盗や追い剥ぎと一緒に処刑されたイエス、神がお助けになるどころか、弟子たちからも見捨てられたイエス、自分のためには何の奇跡も起こせなかったイエス、鞭打たれ、唾され、釘付けされた惨めなイエス…。

実に、このイエスこそがキリストであったと言うのです。私たち、人間の深い罪を贖うために、私たちに成り代わって、十字架の上に死なれた。そして、神と私だちとを和解させられた。具体的には、私たちの罪を清算して、御前に立つ者として下さった。つまり、罪から救い出して下さった。

これを「贖罪/あがない」と言います。ヘブル語で「キップーリーム」、ギリシア語で「アポルトローシス」と言いますが、いずれの場合も、代金を払って奴隷を買い取ることを意味します。日本風に言えば「身請け」です。

勿論、宗教的に「罪からの解放」として理解されていますが、奴隷や遊女、借金に追われる人、心身の病気や障碍を負った人、弾圧され搾取される人、差別や虐待を受ける人にとっては、「解放」の意味はストレートです。しかも、十字架の受難を生きられた御方であればこそ、これらの苦しみ痛みを実際に知っていて下さるのです(ヘブライ2章18節)。

さて、これらの教説は、パウロが発明したアクロバティックな「逆説」なのでしょうか。単なる「教説」ではなく、もはや「信仰」としか、私には言いようがありません。圧倒的なパッションを私は感じるのです。それは「十字架の下で打ち震える百人隊長」の姿に象徴されているものです。それまで長い年月、隠されていた真実に出会った時の身の震えとでも言いましょうか。

そうです。キリストの贖罪の動機は、まさに「愛」ということでした。この事実に気付いて、これに触れた瞬間に、私たちの論理や人間的な説明は「十字架のキリスト」の前に脆くも崩れるのです。これが十字架を見るという信仰の体験なのです。


【会報「行人坂」No.240 2010年3月28日発行より】

posted by 行人坂教会 at 12:15 | ┗こんにゃく問答

2009年03月29日

キリスト教こんにゃく問答X 「三位一体の神」 

1. 怪しげな教理

前任の琴似中央通教会に、Nさんという男性の求道者がおられました。教会の会員であった、お連れ合いが天に召されてから、毎週、殆ど休むことなく礼拝に通い続けて、既に十数年の歳月が経っていました。「女房に会いに来ているようなもんなんです」「神さまを礼拝するというより、これが無ければ一週間が始まらない、儀式みたいなもんです」等と、ご本人は言いますが、牧師の説教は逃さず聴いて、礼拝後に厳しい質問を仕掛けて来るような人でした。生半可な信者より、真面目に休まず礼拝に出席しておられました。また、それがご本人の自慢でもありました。頑固さと茶目っ気を併せ持ったご老人でした。

しばしば洗礼を勧めましたが、「『三位一体』というのが、私には分からないんだ」と言って、固辞されます。「神さまなら分かる。自然に、私の口からは『神さま』という呼び掛けが出て来る。でも、『三位一体』とか言われると、『何だい、そりゃあ』『怪しいなあ』と思う。」理屈(教理)として理解できても、実感として受け止められないのです。

「三位一体」については、私自身も、現代という時代にも通用する意味づけ、理屈(妥当性)を考えていました。例えば、「父なる神、子なるイエス、母なる聖霊」で「父、御子、御母」等というスローガンも編み出しました。プロテンタント教会の信仰では、とかく父性が強調され、母性や女性性が薄いように感じられたので、聖霊の位置づけとして相応しいと思い、我ながら上出来と自惚れていたのです。それを「何だい、そりゃあ」「怪しいなあ」と一喝されてしまったのです。

2.正統派と異端

怪しいのは、所詮、それが人間の作った理屈と感じられるからです。つまり、キリスト教の教理史(教えの内容を理論的に纏めていった歴史)の中では、「三位一体」は、必ずクリアしなければならない条件に成っているのです。聖書の証する神は「父・子・聖霊」という「三つの位相(ペルソナ)と一つの実体(スブスタンティア)において存在する」。紀元3世紀にテルトゥリアヌスが唱え、アウグスティヌスが受け継いだ信仰のテーゼです。やはり、テルトゥリアヌスも「根と木と実」「泉と河と流れ」に例えたりして、懸命に説明しています。

ともかく、325年の「ニケア信条」以来、この三位一体説を押さえることが、正統派信仰の条件とされたのです。「ニケア信条」そのものは「讃美歌21」の93−4番に掲載されていますので、ご覧置き下さい。カトリック(西方教会)も、ハリストス(東方教会)は勿論のこと、その後に枝分かれしたプロテンタント諸派も、この「ニケア信条」を受け入れることで、自らを正統派信仰と位置づけているのです。つまり、三位一体説を押さえていない信仰は「異端」であるということです。

事実、ニケア会議では、三位一体説を支持しないアリウス派は破門されました。その約百年後には、キリストの神性を絶対としなかったために、ネストリオス派が追放されました。このネストリオス派がベルシアから中国に達して「景教」となり、日本に渡って、京都に「太秦寺」を建てたという訳です。

実際には、毎日の暮らしの中で、特別に、私たちが三位一体の神を実感することはありません。せいぜい、祈りの際に、「天の父なる神さま」の呼びかけで祈り始めて、「この祈りを、イエスさまのお名前を通して」と締め括る程度のことでしょう。

しかしながら、古代からの呪縛みたいなものでしょうか。三位一体説を押さえているのが正統派の教会なのだという、一種の強迫観念のようなものが、脈々と受け継がれているのです。例えば、英国では、三位一体を否定する者を死刑にすることを定めた法律が、1813年まで残っていたくらいです。三位一体の教理を否定して、神の単一性(ユニティ)を主張する「ユニテリアン」という教派が生まれたのは、比較的、最近のことなのです。

3.信仰は人生だ

数年後、Nさんは洗礼を受けられました。受洗志願者のための「キリスト教入門講座」の中で、改めて「やっぱり、三位一体がわかんないんだよね」と尋ねられましたが、私も「本当のことを言うと、私も、よく分からないんですよね」と応じました。

そうなのです。何もかも分からないと、洗礼を受けられない訳ではありません。牧師をやっていても、何十年も信仰生活を続けていても、相変わらず、分からないことは一杯あるのです。理屈では分かっても、実感として分からない。腑に落ちないこと、得心の行かないことは、幾らでもあるのです。

「私も分かりません」という正直な返答に、Nさんは安心して洗礼を受けられたのです。三位一体は分からなくても、クリスチャンに成ることが出来るのです。信仰生活は出来るのです。教会生活を続けて行くことは、毎週毎週、一緒に悩んだり、迷ったり、また、新たに気づいたり、学んだりしていくことです。教本を頭に入れて、試験に合格して、免許を取るのとは違うのです。

この当たり前のことを思い起こすために、私たちは、随分と遠回りをします。でも、人生においては、目的地に向かって直線の最短距離をフルスピードで進むのが重要なことではありません。回り道や寄り道をしながら、のんびり歩いて行くのが人生です。そこに、人との出会いがあるのです。Nさんは、二年前に、お連れ合いの待っている天に召されました。きっと、直接、神さまに「三位一体は、よく分からない」と質問なさったことでしょう。そして、私は「三位一体」という語を使う度に、彼のことを思い出すのです。


【会報「行人坂」No.238 2009年3月29日発行より】

posted by 行人坂教会 at 07:41 | ┗こんにゃく問答

2008年08月24日

キリスト教こんにゃく問答W「全能の神」

1.大惨事

大地震に襲われた中国四川省の惨状を伝えるニュース番組を見ました。瓦礫の中から助けられた人、もう既に死んでいた人、子供を失って泣き叫ぶ母親たち、生活基盤を無くして途方に暮れる大勢の人たち…。何も語るべき言葉がありません。ただ、神さまにお祈りするばかりです。

1993年、「北海道南西沖地震」の際、津波の直撃を受けて、奥尻島の漁村は壊滅しました。地震の僅か五分後に津波が村を襲いました。一瞬にして、数百軒の家屋が消失し、数百人の人命が失われたのです。

この大惨事から一週間ばかり経った頃でしょうか。この奥尻島に、ハンドマイクを手にした宗教団体が乗り込んで来て、「これは神の罰である。悔い改めなさい」と叫んで、伝道活動を始めました。当然ながら、村の人々から石を投げられ、追い払われたそうです。その場にいたなら、私も迷うことなく石を投げたことでしょう。

この団体はキリスト教系のカルト「愛の家族」でした。「アッセンブリ・オブ・ゴッド」の牧師が「神の子たち」というグループを作って独立し、それが「愛の家族」と改名したのです。因みに、現在では、単に「ファミリー」と名乗っています。

日本基督教団北海教区も、地震後に対策委員会を設置して、現地入りをしました。奥尻に教団の教会があった訳ではありません。しかし、無為無策でいる訳には参りません。何度も島に渡り、数年にわたって、地元の人たちと交流し、定期的に必要な援助を続けました。その結果、ある時、すっかり打ち解けた漁師の一人が「あんたらは、あの連中とは本当に違うんだね。よく分かったよ」と口にされたそうです。

2.大地震

1995年、「阪神淡路大震災」発生の直後から、私の後輩のYは現地入りして、救援活動を始めました。当時、同志社大学の学生だった彼は、障碍者の生活援助ボランティアをするグループに属していました。所謂「健常者」でも大変な事態です。身心に障碍があれば、危険な場所から自力で脱出することも困難です。

そんな状況の中に飛び込んで行って、働いたのですが、その中で、何度も何度も、思わず天を仰いで泣き叫びたくなる場面に、彼は遭遇しました。家族が埋まっている瓦礫の前に立ち尽くしている人たち、毎朝、震災の時刻に発作を起こす避難所の子供たち、医療環境が整わず亡くなっていく高齢者たち、どこにも行き場のない障碍者たち…。

その度に「神さま、この人が何で、こんな酷い目に遭わんといかんのですか!」と、心の中で呟き続けていたのです。そして、ある時、彼はこんな風に悟ったそうです。「もしかしたら、神さまって、無力なんじゃないか」と。この震災の体験を経て、彼は神学部で勉強を再開して、現在は牧師になっているのです。

私の前任教会で「阪神淡路大震災」のことを学ぶために、そのY牧師に来て、体験を語って貰ったことがありました。しかし、この証しを聞き終えて、ある教会員の姉妹が私の所に抗議に来ました。憤懣やる方なしという顔つきで、「あの牧師の言っていることは間違っている。『神が無力だ』なんて。神さまは全知全能のはずです!」と告発されたのです。ホーリネス系の単立教会で信仰を育まれた人でした。「イエスさまも十字架の上で、全くの無力だったんじゃありませんか。大きな災害や惨事を前にして、私たちが無力感に打ちのめされている時、イエスさまも私たちと一緒に立ち尽くして居られる、私たちの悲しみを知っていて下さるのじゃないんですか。Yさんは『全能の主』ではなく、『無力の主』に出会われたから、牧師になられた。凄いことではないですか」と、私は申し上げました。

しかし、彼女は納得が行かなかったようで、何年かして別の教会へと転出されてしまいました。「全知全能」という教義のお題目が怪しくなっただけで、不安を感じられるようになったのでしょう。

3.全能者

「神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。」(マタイによる福音書3章9節)、「神にできないことは何一つない。」、(ルカによる福音書1章37節)等と、神の全能を思わせる聖句もあります。そして、神御自身も「わたしは全能の神である。」 (創世記17章1節)と自己紹介して居られます。

しかし、もしも、神が全能であるとすれば、神が与かり知らないことも、神が関わっていないことも何一つ無いということです。極論を言えば、中国四川省に大地震を起こし、ミャンマーに大型サイクロンをもたらして、何万人もの人間を殺したのは、御心(神罰)ということになります。奥尻島の「愛の家族」の言動からも遠からずです。

反対に、神は善なのであるから、それは悪魔の責任とします。すると、悪魔を神に括抗する勢力と認めることになり、忽ち「二元論」に陥ってしまいます。悪魔は神にも比する力の持ち主となり、もはや神は全知でも全能でもなくなります。このように、神の「全知全能」という観念そのものが「二重拘束」を抱えているのです。いずれにせよ、論理的に破綻してしまうのです。

ヴィトゲンシュタインの「語り得ぬものについては、沈黙しなければならない」という有名なテーゼ(「論理哲学論考」)を出すしかありません。むしろ、自らにこそ問い掛けるべきではないでしょうか。全知でも全能でもない私たちが「全知全能の神」等と、神を定義すること自体が冒涜なのです。無力な人間である私たちが語り得るのは「無力な神」「無力な者と等しく、自らへりくだり給うた神」だけなのです。

因みに、ヘブル語の「全能」は「エル・シャツダイ/全能の神」の「シャツダイ」ですが、その元々の意味は不明です。族長たちに嗣業を約束をなさる場面の自己紹介に多いので、便宜的に「全能の」と訳しているだけです。もう一つの 「アヴィル/勇者」も「全能者」と訳されますが、単に「強い」という意味に過ぎません。その「強い」も、私たちが考えるような「強さ」 ではないと思います。子供たちがカードゲームでランキングするような「強さ」ではありません。「神の弱さは人よりも強い」 (コリントの信徒への手紙T1章25節)と言われるような「弱さと強さ」 です。

結局、聖書をもってしても「全能」の内実は少しも明らかではないのです。しかし、私は思います。自らの強い立場に汲々としがみ付くのが「全能」ではないでしょう。むしろ、時には、自らを無力なものとすることをも恐れない、そんな神さまなのではないでしょうか。


【会報「行人坂」No.237 2008年8月24日発行より】

posted by 行人坂教会 at 07:10 | ┗こんにゃく問答

2008年02月03日

キリスト教こんにゃく問答V「一神教」

1.一神教vs.多神教?

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、ただ一人の神を信じる宗教、「一神教」「唯一神教」と言われています。けれども、そのようにカテゴライズすることは、本当に正しいことなのでしょうか。一神教と多神教との対立図式の中で、人間の文明や歴史を捉えることは、とても明快に見えて、実際には単純化し過ぎてはいないでしょうか。

日本の多くの「知識人」と言われる人たちは、「一神教は、ただ一人の神を信じるが故に、異なる価値観や考え方に対して不寛容であり、自分たちの信念を押し付けて来るために、対立や衝突を避けることが出来ない」と考えています。そして、そのような発言を通念や常識として学習した一般の人たちは、キリスト教に対して、そのままの偏見と先入観をもって接することになるのです。具体的に、そのような発言を挙げましょう。宗教哲学者の山折哲雄は『世界大百科事典』(平凡社)で「一神教」を以下のように説明しています。「一神教は一般に神と人間のあいだの断絶を強調するが、それは一神教の起源が砂漠に関係があることによるとされている。自然的景観の荒涼たる砂漠では、地上から超絶する天上の神が祈願の対象とされたからである。この砂漠の一神教は農耕社会に基盤を有する多神教と対比されるが、しかし歴史的には農耕文化との接触によって偶像崇拝や多神教的な要素をとり入れていった。たとえばカトリック教会やギリシア正教会がそうである。なお日本では、近世以降流入したキリスト教の信徒(キリシタン)は、多神教的風土の厚い壁にはばまれて、人口の1%を超えることがなかった。」

山折氏の文章には、基本的な事実誤認があります。例えば、1590年には、日本のキリシタン信徒数は数十万人に達したという記録があります。旧約聖書を少しでも読んだことのある人なら誰でも分かる事ですが、最初から「一神教」等というものがあった訳ではありません。そして、ムハンマド(モハメット)がイスラム教を創唱する以前は、アラビア半島は砂漠でありながら、何千年もの間、全くの多神教社会でした。しかし、そんなことよりも何よりも、「砂漠の一神教」対「農耕社会の多神教」という考えが余りにも図式的に過ぎるのです。

2.悪いのは一神教?

 もう一つ、よく耳にするのは、「現代文明は一神教によって生み出されたものである。従って、現代世界を覆う諸問題の多くは一神教が原因である。日本のような多神教的な文明こそが、一神教的な限界を乗り越えて、問題解決に貢献することが出来る」という考えです。まさに、「砂漠の一神教」が「地球環境の砂漠化」の直接原因であるかの如きの論調です。

 塩野七生と言えば、「ローマ人の物語」がベストセラーになりましたが、彼女は「東亜日報」のインタビューの中で、次のような話を展開しています。

「ローマの特徴は『自由』と『寛容』だ。これは多神教から出た。ローマ人たちは征服された民族の神であれ、すべて自分たちの神として祀り、ローマの神は30万にのぼった。いっぼう、一神教は自分の宗教だけが正しく、他人の宗教は誤っているという考えに基いている。」

更に、彼女は「イスラム教原理主義」が猛威を振るう現代を「一神教の恐怖」に重ね合わせていきます。要するに、一神教は排他的・独善的・好戦的・自然破壊的であり、それに対して、多神教は包括的・協調的・友好的・自然共生的であるというお話です。山折、塩野のみならず、「バカの壁」がベストセラーになった養老孟司も、彼らと同じような論陣を張っています。

彼らの話を綜合すると、キリスト教の中でも、カトリックやハリストスは「偶像崇拝」のような多神教要素を持っているから、未だしも寛容であるらしい。どうやら、聖母子像や聖人像、イコンのことを言っているらしいのです。神父さんや司祭さんが聞いたら、ブッ飛ぶような話ですが、言外に悪者扱いされてるのはプロテンタントであるようです。恐らく、彼らの頭の中では、ブッシュ政権を支えるアメリカの右派キリスト教徒が、具体的な「悪者」としてイメージされているのでしょう。

確かに、アメリカや韓国には「ファンダメンタリスト」と呼ばれる人々が数多くいます。「逐語霊感説」と言って、聖書の言葉は一言一句に至るまで、聖霊によって書かれたと信じています。そこで、ダーウィンの進化論を否定して、「創世記」の創造を歴史として捉えたりすることになる訳です。これらファンダメンタリストの「迷妄ぶり」は、彼らの格好の標的になっているのです。養老孟司の言うところの「バカ」です。

3.型破りな信仰者

 彼らの意見や論評が偏見と先入観に満ちているとしても、それでも尚、そこから、現代に生きるキリスト者である、私たちに対する問いかけを読み取る努力も大切でしょう。果たして、キリスト教は、高校の「世界史」の教科書が言うように「一神教」なのでしょうか。キリスト教は、そんなにも排他的で独善的なのでしょうか。私たちは、そんなにも好戦的で自然破壊的なのでしょうか。

少なくとも、私はそうは思いません。私が信じるキリスト教信仰を、彼らが規定する「一神教」として、私自身は決して認めません。私のキリスト教は「砂漠の宗教」ではありません。それは、私自身の魂が日本の山々の中で育ったからです。従って、私の魂によって受け止められたキリスト教は、もはや「砂漠の宗教」等ではあり得ないのです。私のキリスト教の中には、私が幼い日に遊んだ寺や墓場、相撲を取った神社の境内、お地蔵さん、道祖神などの風景が含まれています。水木しげるの妖怪や成田亨の怪獣なども含まれています。砂漠というイメージに対しても、一種の異国趣味的な憧れを抱いていますが(映画「アラビアのロレンス」のような)、実際に砂漠に住みたいと思ったことはありません。

しかしながら、キリスト教徒が現世で信仰を追求する中にあって、信仰と不寛容との間で大いに揺れたことも歴史的な事実です。十字軍や宗教戦争があり、異端審問や魔女裁判があり、宗教改革と反宗教改革があり、植民地主義と世界宣教が密接に絡み合った時代もありました。その中で、私は、プロテンタントが「異端」や「魔女」として殺された人々の流れを汲んでいるという密かな自負心を持っています。

聖書の中にあっても、寛容と不寛容とが交互に姿を現わします。主なる神が「どうして私が、アッシリアの都ニネベを惜しまずにいられようか」と語り掛ける「ヨナ書」の直後に、「アッシリアもエジプトも、イスラエルに敵対した国々は全て滅びる」と預言する「ミカ書」が控えているのです。「約束の土地から先住民を根絶やしにせよ」と書いてある、その直後には、「寄留の外国人や奴隷が休めるように、主は安息日を備えられた」と書いてあるのです。聖書もまた、一枚岩ではないのです。

「キリスト教徒が不寛容」なのではなく、「キリスト教徒の中にも不寛容な人がいる」ということに過ぎません。仏教の門徒の軒にも、神道の氏子の中にも、クリスチャンの中にも、不寛容な人も寛容な人もいるのです。スリランカ仏教の過激派はテロを行ないます。神道は未だに戦前の国家神道主導による戦争について沈黙したままです。キリスト教会も仏教界も戦争協力を惜しまなかったことについては、全く同じです。

「クリスチャンはこういう人」とか、人を何かのカテゴリーに押し込めるのはいけないと思うのです。部落差別や外国人差別、性差別や世代差別も、本当は多様な人間の個性を、型に押し込めるところから始まるのです。その意味では、私たちは「型に嵌まったクリスチャン」ではなくて、「型破りなクリスチャン」を目指そうではありませんか。「型破りな人間」でありたいと思います。


【会報「行人坂」No.236 2008年2月3日発行より】

posted by 行人坂教会 at 07:18 | ┗こんにゃく問答

2007年09月23日

キリスト教こんにゃく問答U「神観」

1.神は愛…とは限らない

川端純四郎さんと言えば、長年、東北学院大学で教鞭を執られたキリスト教神学者、また、バッハ研究家としても有名です。東北学院を定年退職された今も、仙台北教会のオルガニストとして奉仕をなさっています。その川端先生から、彼が若き日に、ドイツに留学した時のエピソードを伺ったことがあります。非常に印象深いので、皆さんにもご紹介したいと思いました。

川端先生がドイツに留学なさったばかりの頃、同級生から教授、牧師、教会や町の人たちに至るまで、出会った信徒たちに片っ端から訊いて回ったそうです。「あなたにとって、神は何であるか?」と。日本人信徒ならば十中八九、「神は愛なり」と答えるでしょう。けれども、ドイツ人信徒は大半が「神は義である」 と答えたそうです。

どちらが正しいかという話ではありません。これは国民性の違いなのです。なるほど、聖書には「神は愛」とも「神は義」とも書いてあります。他にも「聖」や「力」、「言葉」や「光」や「霊」とも書いてあります。しかし、一般的に、日本人は「神は愛」と言い、ドイツ人は「神は義」と言うのです。

聖書の告知する同じ神であっても、同じクリスチャンであっても、日本人とドイツ人とでは、こんなにも神に対するイメージが違っているのです。きっと、私たちのメンタリティーの中には、「観音様のような慈愛に満ちた存在こそが神である」 という、イメージの方程式のようなものがあるのです。そう言えば、私たちがイメージするイエスさまのお顔も、限りなく優しいイメージです。古代教会のイコンに描かれている鬼神のような(仁王さんのような) 形相をしたイエス像を見て、違和感を抱くのは、私だけではないでしょう。

2.信仰の受容と土着化

 アメリカやヨーロッパの宣教師を通じて、私たち日本人がキリスト教信仰を受け取って、120年余が経過しました。その一世紀にも及ぶ期間に、日本の教会によって育まれた神観が「愛の神」としての「聖書の神」だったのです。宣教師が運んで来たものは、所詮「欧米化したキリスト教」に過ぎませんから、それが日本的な展開をすることは当然の成り行きでした。

そうなった理由の一つに、日本の信徒が牧師たちから、旧約聖書を省いて、新約聖書を中心に読むように教育を受けて来た事実もあるかも知れません。一例を挙げると、随分前に天に召された信徒で、よく教会のために奉仕をされた古河さんという方がいました。弟さんも教団の教会で牧師をしていらっしゃって、根っからのクリスチャン・ホームに育たれた人です。その人が「恥ずかしながら、私は旧約聖書は、ただの1ページも読んだことがないのです」と告白されたことがありました。

戦前の牧師たちは、教会でも神学校でも、専ら新約聖書だけを学ばされたようです。従って、牧師になっても、信徒に旧約聖書を教えることは滅多にありませんでした。この傾向は戦後もしばらくは変わらなかったようです。言わば、牧師の短期養成、信徒の早期入信を促がすため、旧約聖書は端折られていたのです。

ごく近年まで、日本のキリスト教が比較的リベラルで、聖書を一字一句、文字通りに信じる「逐語霊感説」や「ファンダメンタリズム」「原理主義」が影響力を持たなかったのは、旧約聖書を切り捨てた結果だったのかも知れません。新約聖書の場合には、字句そのままを信じても、それ程、周囲との分裂や亀裂を生み出すことはないでしょう。しかし、旧約聖書を逐語的に信じていけば、生物学も歴史学も考古学も否定していかなくてはなりません。もしも、膨大な分量の旧約を短い新約と等価と見なせば、それだけでも、イエス・キリストの生涯と十字架の位置は縮小されていくことでしょう。

ブッシュ大統領がアフガン戦争やイラク戦争の根拠に使用したのも旧約聖書でした。「聖戦」の動機づけに引用するのに便利なのです。そういう状況の中で、非戦という立場から、井上洋治神父が「いっそ、旧約聖書をキリスト教の正典から外そう」という大胆な提言をしたのでした。些か皮肉なことですが、「旧約聖書は読まなくてもよい」という戦前の牧師たちの教えは、ある意味では、見識と言えるかも知れません。

3.神の名前は色々ある

実は、旧約聖書に「主」と訳されているのは、「ヤハウェ」という神の名前です。「神」と訳されているのは、「エール」、もしくは「エロヒーム」という神の名前です。

他にも、「いと高き神」と訳されている「エル・エルヨーン」(創世記14章18〜22節)、「全能の神」と訳されている「エル・シャダイ」(創世記17章1節、49章25節)、「永遠の神」と訳されている「エル・オーラム」(創世記21章33節)等も、本来は、それぞれ別の神の名前だったようです。「エル・シャダイ」はエルサレムの、「エル・オーラム」はベエル・シェバの地域神だったようです。そう言えば、「士師記」9章46節には「エル・べリット」(契約の神)という、シケム人の神の名前が出て来ます。

預言者エリヤの時代に、イスラエルのヤハウェ信仰と対決することになる、カナンの土着神「バアル」も、元々は「主」という意味です。バアルの性質は旧約聖書の「主/ヤハウェ」 の描写にも影響を与えているようです。

よく「聖書の信仰は一神教だ」と言いますが、聖書学的には、それは大きな間違いです。名前が色々あるということは、人種や部族、地域や習慣によって、神観が違っていたということです。そして、神の名前を発音することは、それ自体が信仰告白です。私たちがよく知っている、最も短い信仰告白は「イエス・キリスト」です。これは「イエスこそ、キリスト(救い主)である」という意味です。「神は愛なり」を掲げて「愛の神」をこそ、聖書の証する神と信仰告白する、日本的なキリスト教の展開は、世界全体から見れば、少数派なのかも知れません。しかし、そうであれば、尚のこと、価値あるものだと思います。但し、私たちの信仰が普遍的なものだと思い込んではいけません。多分、そうではないキリスト教も一杯あるのです。


【会報「行人坂」No.235 2007年9月23日発行より】

posted by 行人坂教会 at 07:10 | ┗こんにゃく問答