
説教題:復活の希望に生きる
聖書箇所:第一コリント15:12~20
イースター、それは喜びの日です。なぜなら、主イエスが死者の中から復活したことと、私たちがいつか復活すること、その二つが分かちがたく結びついているからです。
聖書は復活について科学的な説明を加えません。ただ、イエスの復活が人々にどのような衝撃を与えたかを記します。イエスの死を見届けた弟子たちは皆で固まってガタガタ震えていました。自分たちも同じ目に合うのではないかと恐れたのです。そのような彼らが復活のイエスと出会って変えられました。迫害に遭いながらも、命がけでイエスがキリスト(救い主)であることを伝え始めたのです。殉教を簡単に美化すべきではありませんが、しかし事実として、信仰を貫いて亡くなった人々の数は現代に至るまで数えきれません。彼らもまた、イエスの復活により、死が終わりでないという確固とした希望を抱いたのです。
死は、私たちにとって避けられない現実と思われます。どれほど達観しようとしても、悟りを開こうとしても、真正面から受け止めることはできません。しかし神は、私たちの一人ひとりのことを、髪の毛の本数までご存じであるほど心に留めておられます。H・ナウエンの言葉を借りれば、私たちが神に向かう以前に、神ご自身の方から私たちに向かって叫んでいるのです。「愛する子供たちよ、わたしの心はお前の内に憩うまでは、休まることはない。私を受け入れてくれ」と。神は、愛する子である私たちが苦しんでいることに居ても立ってもおられず、天の王座を離れ、私たちのところに来てくださいました。
私たちを支配しているように思われる死、しかしその死が、イエスが再び来られる時には、最後の敵として滅ぼされます。主イエスに与えられたと同じように、新しい命と新しい肉体を神から与えられます。その希望を抱いた弟子たちは変えられました。その希望によって生かされ、嘆きと混乱の世界に力強く出て行きました。私たちも、そのような弟子の一人ではないでしょうか。
徳田信(フェリス女学院大学)