墓穴を掘ったハマン〜エステル記のどんでん返し

旧約聖書「エステル記」には「神」という単語が一回も出てきません。ただ偶然におもえる出来事の背後に神様のみわざが働いています。王様の一人目のお妃さまが王様に逆らったことでのエステルの選び、モルデカイが王様への謀反の情報を手に入れたこと、王様がたまたま眠れなくて読んでいた記録にモルデカイの記録があったこと、王様が褒美の相談をしたこと…。神の時に、パズルのピースが不思議と組みあわされて鮮やかな逆転劇がおき、民族の滅亡を防ぎました。

このエステル記のストーリーでは聖書全体に表れる神の計画が、凝縮されているようの思えます。それは「策士、策におぼれる」という点に表れています。ハマンは、モルデカイを殺すため、20メートル以上の高さの柱を立てさせ、全ユダヤ人を滅ぼそうとしました。しかし、ハマンがモルデカイを処刑するために準備した柱にハマン自らかけられ、殺されました。ハマンが墓穴を掘ったのです。

新約聖書では、悪魔が救い主であるイエス・キリストを謀略によって陥れ、全人類を滅ぼそうとしました。しかし、十字架で死刑に処せされたイエスは3日目に復活し、逆に死と罪が滅ぼされることになりました。そしてキリストは高く上げられ、全ての名にまさる栄光が与えられ全人類の救いの計画が成就されました。悪魔が墓穴を掘ったのです。エステル記には福音の型があります。「イエス様が十字架でいっけん敗北したようにみえたが、罪と死に勝利し大逆転した」ということです。

人生はドラマです。神様が監督、私たち一人一人が主人公のドラマです。「この出来事、その過去は、この時のためにこそあった」という不思議なことがあります。神のなさることは時にかなって美しい。私たちの今までの歩みを振り返る時に、偶然の出会いや置かれた場所、経験した試練…。それらが「この時のためだった」となる希望があると私も信じています。

2023年5月14日 行人坂教会 日曜礼拝 関 智征(関智征)

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