「聖書に出てくる登場人物は、清い完璧な人ばかりだと思ってました」と行人坂教会に来てくれた学生の方が言っていました。しかし、聖書の中には平凡な人間が失敗したり欲をかく姿が、繰り返し描かれています。今日は、ソロモンという王様に注目し、聖書を「失敗」という切り口で取り上げます。そして、大昔の失敗例から、私たちが何を学ぶことができるか、探っていきます。
1. ソロモンの栄華
「祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。 娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす」で始まる平家物語は、成功し驕り高ぶった平家が落ちていく様子が描かれています。平家は、平忠盛が繁栄の土台を作り、清盛が全盛を誇りながらも「平家にあらずば人にあらず」の慢心が平家に広がり、全盛期からわずか数年後、次の代で一族は分裂・崩壊してしまいました。
「奢る者が久しからず。ただ春の夜の夢の如し。たけきものもついには滅びぬ ひとえに風の前の塵(ちり)に同じ」
「1代目が苦労して築き上げたものを2代目が発展させ3代目が滅ぼす」ことは、現代の組織でもみられることです。それは既に3千年前の旧約聖書の世界にもありました。
ダビデ王家2代目ソロモンは、イスラエル史上もっとも栄華を極めた王でした。「あなたの先に、あなたのような者はなかった。また、あなたの後にあなたのような者も起こらなかった」とイスラエルの神から祝福された人物です。
このソロモンは、王になった当初、夢の中で神と会話をします。神様はソロモン王を祝福して「あなたに何を与えようか、なにか望みはないか?」と言われます。この時ソロモンは、富や長寿や名声でなく、物事を見極める判断力、民の訴えを正しく聞き分ける智慧(ちえ)を求めました。「私は父ダビデに比べて、取るに足りない若輩者で、どのように王としてふるまうべきか知りません」「どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心を与えてください」
神は「よくぞ言った!」と、謙虚なソロモンの祈りに応えます。「あなたは自分のために富も長寿も敵の命も求めないで訴えを正しく聞き分ける知恵を求めた。」神様は、ソロモン王に、智慧の心と判断力ばかりか、富と誉れも与えられました。イスラエルは、領土も拡大し、ユーフラテス川からペリシテ人の地方、さらにエジプトの国境に至るまで、すべての国を支配しました。
また、銅の精錬や土木、建築など、当時の最先端の技術で産業を発展させ、貿易立国として繁栄します。軍隊や行政システムなどの組織も整備されます。今で言う特許のような最新技術を学ぶために、そしてイスラエルの繁栄とソロモンの智慧を見るため、諸国の王や民が遠くからエルサレムを訪れます。
ソロモンの知恵の深さを示す一つのエピソードがあります。ある家に共同生活をしていた女性が、ほとんど同時に子供を産みました。しかし残念ながら生まれてすぐに一人の子が死んでしまいまいた。
「生きているほうが私のほうよ」
「嘘言わないで!死んだのがあなたの子、生きているこの子が私の子よ!」
争いは決着がつかず、ソロモン王の裁判を受けることになりました。ソロモンは二人の申立を聴いて言いました。「では、生きている子を2つに切り裂いて、半分ずつ持ち帰るがよい」
この判決を聴いて、1人の女声が「どうか、それだけはおやめください。私が間違っておりました。子供を殺すことだけはおやめください。あの女性に赤ちゃんを渡してください!」
それを聴いてソロモンは「そうか。子供の死をおそれたあなたが本当の母親だ。母親の愛情をもつものだ。この女性に赤ちゃんを与えよ」と命じました。大岡越前守の大岡裁きに似ているなぁと感じた方もいるかもしれませんが元祖は聖書のソロモン裁きです。
ソロモンの最大の業績は、神殿を作ったことです。先代ダビデ王も、若い日より神殿を立てる志を抱いてきました。しかし、ダビデは戦いに明け暮れ、人々の血を流してきたので、神様はダビデに神殿建築をお許しになりませんでした。
エジプトを脱出した後、幕屋という移動式のテントで礼拝していたイスラエル民族にとって、神殿を作ることは民族の悲願でした。ソロモンは、父ダビデが準備した資金や資材をもとに、この神殿建築を7年の歳月をかけて成し遂げます。幅10メートル、高さ15メートル、奥行き30メートルの立派な神殿は、要所要所が金銀財宝できらびやかに飾られていました。ソロモンの時代は、まさにイスラエルの絶頂期でした。
2. 絶頂の時は、衰退の始まり
しかし、飛ぶ鳥を落とす勢いの時に、既に凋落(ちょうらく)の萌芽(ほうが)がありました。ソロモンは、神殿や宮殿などの建築事業のため、人々に過度の労役と税金を課しました。その結果、表面化しないものの、人々の不満がありました。
また、ソロモン王は、近隣の民族から妻をめとり、王妃700名、側室300名を抱えていました。周りの国との政略結婚は、紀元前10世紀の中東でもしばしば行われていました。彼女たちは、シドン人の女神アシュタロテ、モアブの神ケモシュ、アンモン人の神モレクなど異教の神を信仰していました。
女性の頼みだと断れなかったのか。あるいは神殿建築という大事業を成し遂げ心にぽっかり穴が空いたのか…。ソロモン王は晩年、異教の神のための高台を築き、礼拝することを許します。しかも、ソロモン自身も女性の誘いにのって、偶像礼拝をしてしまいました。ソロモンの心はイスラエルの神から異教の神への偶像礼拝に移ります。
偶像礼拝こそ、もっともイスラエルの神が忌み嫌っていたものです。ソロモンは、ただちに王の座を失ってもおかしくない状態でした。ただ、先代ダビデの信仰に免じて、かろうじて王権を保つことが許されていました。
「あなたが生きている間は、父ダビデのゆえに、王国を裂いて取り上げないが、あなたの息子の時代には、その手から王国を取り上げる」と言われたとおりです。(列王記上11章)
王に就いたとき、ソロモンは、へりくだり神の智慧に満ちていました。しかし、いつの間にか神から離れてしまいました。彼自身は、王国の傾斜を見るよりも先に命が尽きます。ソロモン自身が蒔いた悪い種は、次の世代が刈り取ることになります。
ソロモンの子レハブアム王は、自分の祖父にあたるダビデが苦労している姿を知りませんでした。レハブアムは、労役で疲弊している民の心に寄り添うことをせず、先代ソロモンの時から仕える長老の声も無視し、無茶な執政を行います。
王国に内在していた不満が一気に噴出し、ダビデ王家はB.C.926年3代目レハブアムの時に分裂します。ソロモンが死んで、わずか数年後のことです。ようやく安住の地を得て、栄華を極めたイスラエルは、この後、厳しい運命をたどります。BC722年に北イスラエルはアッシリアに滅ぼされます。失われた10部族というのは北イスラエルの滅亡の時の出来事です。南ユダもバビロニアにBC586年に滅ぼされます。
1代目が苦労して羊飼いから身を起こして道を切り開き、2代目は栄華を極めると同時に、破滅の種も蒔く。そして、3代目が衰退、分裂へと導く。これがダビデ王朝でした。
3. 警告あれど、気付かず
「人生には、上り坂、下り坂、まさかという坂がある」と言われます。ソロモン王自身は、まさか自分の次の代で王国が分裂するとは思っていなかったのではないでしょうか。
ただ、神からの警告は出ていました。そもそも、モーセの律法(トーラー)には、「異邦人と結婚してはならない。偶像礼拝に染まり、主の怒りの対象となって、イスラエルを滅ぼすから(申命記7章)」とありました。ソロモンは、この律法を知っていました。
また、神殿の完成前も完成した後も、「わが子ソロモンよ。今あなたの父の神を知りなさい。まったき心と喜ばしい心をもって主に仕えなさい。あなたが主を捨てるなら、主はあなたを永遠に捨てられる」「もし、わたしのおきてを守れず、ほかの神々に仕え、これを拝むなら、イスラエルを断つ」と神は釘を刺します。
ソロモンが偶像礼拝に惑わされたとき、主は2度もソロモンに現れ、「ほかの神々に従ってはならない」と戒められました。しかし、ソロモンは主の戒めを守りませんでした。(列王記上11章9節)
警告やサインが出ていても、上り調子の時は、なかなか気が付くことができないのが私たち人間です。ソロモン王は周りの嫉妬に気が付かなかった可能性もあります。あるいは、特別扱いされている中で、「偶像礼拝しても、私は主に愛されているし、許されるだろう」と思っていたかもしれません。
いずれにせよ、ソロモンは、年を重ねてから、イスラエルの為政者にあるまじき偶像礼拝と放縦によって、晩節を汚してしまいました。
結論
現代でも、若い時に才気にあふれていたのに、慢心から身を滅ぼしたり、引導を渡されたりするリーダーは数知れません。「自分の力で、何でもやっている」「自分が正しい」と自分を助けてくれる人たちへの感謝の思いを忘れる。成功体験に縛られ「自分は何でも知っている」と錯覚して、状況の変化が見えなくなる。「自分は何をやっても許されるだろう」と脇が甘くなる…。このように、権力や名声を得る中で高ぶってしまうのは、古今東西、変わらない私たち人間の弱さのようです。
知恵の人ソロモンですらダーク・サイドにおちていきました。同じように、私たちもしばしば失敗をします。いつでも正しい人なんていません。そして正しいことをしたいと思っても、自分の力ではできないのが私たちです。だからこそ私達にはキリストが必要なのではないでしょうか。
私達の至らなさ、弱さ、我の強さ…。そのためにイエス・キリストが私達のかわりに十字架にかかり、私達の的外れを赦してくださいました。そして私たちを律法の呪いから贖いだしてくださいました。ここに救いがあります。恵みがあります。神の愛があります。失敗だらけ、挫折だらけの私たちを受け入れてくださる神様。私たちを造り私たちの罪を赦してくださった神様、すべてのことを相働かせて益にしてくださる神様に信頼して、喜びと希望をもって、前に向かって進んでいこうではありませんか。
行人坂教会 2023年7月9日 関智征 (聖書箇所:列王記上11:1−13)