涙と共に種を蒔く人は 喜び歌いながら刈り取ろう
種抱えて泣きながら出かけ 束を抱えて 喜びの歌い帰るだろう
詩編126編
このことばを好きな聖書の言葉として挙げる方もいらっしゃいます。今、苦しみの只中にあり、涙にくれている人にとって、 「あなたの涙はやがて喜びの歌に変えられるだろう」というのは、大きな慰めであり、希望です。今日は、この詩が書かれていた時代的な文脈に注目しながら、詩編126編の作者の声に耳を傾けていきましょう。
ミレーの絵『種を蒔く人』は、岩波書店のロゴマークにもなった絵画です。一般的に新約聖書「イエス様の種まきのたとえ話」をモチーフにしつつ、ミレーの時代の農民の貧しさ、苦労を描いた絵と言われています。ただ、この絵画を観ていると新約聖書の「種まきのたとえ」だけでなく、詩編126の状況にも重なるも感じます。「自分の力ではどうしようもない絶望した状況の悲哀」です。
新潟の実家の庭で、私が小さい時に両親が家庭菜園をしていました。さくらんぼが、鳥に食べられたりしました。大人になって私も友達が借りている都内の家庭菜園で少しだけ野菜づくりに挑戦しましたが、見事に挫折しました。今年の夏もかなり厳しい暑さが続いていますが、畑をやっている友達が、「スイカが干からびた」と言ってました。異常な日照りで穀物がだめになったりしているようです。そうはいっても、水や気候に恵まれた日本は、概して農業にむいているそうです。
一方、詩編が書かれた時代の西アジアでの農業はさぞ大変だったと思います。パレスチナ地方では夏の乾季の間は、東からくる熱風 によって大地は乾燥して干上がっているそうです。秋になり、そこに恵みの雨が降 ってから、人々は種まきを始めます。雨の降らない干ばつは、昔からパレスチナの人々が恐れていたことでした。旧約聖書の中にも、干ばつで 干上がった大地に雨ごいをする物語が記されています(列王記上 18 章)。
たびたびの干ばつに襲われていたパレスチナの人々にとっては、種まきの時も、心配や気苦労が絶えなかったのかもしれません。「本当にこのまま雨は降ってくれるだ ろうか」という状況で、「涙と共に種を蒔く」という表現は実感の伴ったものだったと思います。
バビロン捕囚という時代背景
では、この詩が作られた時代とはどんな状況があったのでしょうか。この詩編の背景には「バビロン捕囚」があります。紀元前586年、南ユダがバビロニア帝国ネブカデネザル王によって滅ぼされ、エルサレムの民の主だった人たちは捕らわれの民とされました。この絵はエルサレムからイスラエルの人々が何百キロメートルも離れたバビロニアに連れて行かれる絵です。イスラエルの王は目をえぐり出されます。エルサレムの神殿は廃墟となり、神殿の中の財宝はバビロニアに持っていかれてしまいます。
バビロンの支配政策は強引なものでした。相手国の自治を認めない、宗教、文化を認めない。力によって恐怖心を植え付けて抑え込む政策です。そんなキツイ支配のバビロンによってエルサレムから何百キロメートルも歩いて異国の地バビロンに人々は捕囚されました。
その後、エルサレム神殿崩壊から10年、20年、30年と経っていきましたが、バビロン捕囚から解放される見込みが見えてきません。神殿を直接知っている世代もどんどん少なくなってました。ただ、おじいちゃん、おばあちゃんから親から聞いていた都エルサレムに帰りたい。民族の精神的支柱だった神殿の場で礼拝したい。人々はバビロンの支配のもと、遠く離れた異国の地で宗教弾圧を受けながらも、民族の再興、エルサレムへの帰還を涙をもって祈っていました。
しかし、紀元前538年に、新興国ペルシャの王クロスという王様が、バビロンを滅ぼし捕囚から解放されました。586年からバビロン捕囚から約50年後の紀元前538年にようやく、待望のエレサレムに戻ることが許されました。しかも、それは突然でした。
1節で「夢を見ているようであった」とあります。圧倒的な強さを誇ったバビロンが、新興国であるペルシャ、メディアの連合国によりあっという間に滅ぼされたことは、バビロンに長年抑圧されてきたイスラエルの民には、夢をみるような出来事でした。
クロス王はユダヤ人にエルサレムの町に帰ることを許します。詩編126編は「帰りたくて帰りたくてしかたなかったエルサレムにようやく帰ることができる」その喜びを歌った詩と考えられます。
この歴史的状況を踏まえると、「涙と共に」ということばがさらに浮き出てきます。「バビロンに出て行くときは涙しかなかった。自分たちの罪、恥、失敗のゆえにバビロンに捕囚された失望の日々、異国の民の間でさまよった屈辱的な年月。でも、ついに民族復興の時がきた。喜びをもってエルサレムにようやく帰ることができる」ということです。
ペルシアの属国への政策は、バビロンのような厳しい支配政策でなく、属国の自治を認めるものでした。相手の民族の宗教、文化を尊重する寛容政策でした。クロス王は弾圧をするのでなく被支配民族と信頼、協力することによって、新しい帝国を立てあげようとしました。
クロス王はイスラエルの神を信じていたわけではありません。ただ「信教の自由を認めたほうが属国の支配コストが低くなる」という戦略のもと、神殿再建のための資材すらクロス王はイスラエルの人に援助しました。神が異教徒の王クロスさえも使って政局を動かし人々はエルサレムに帰ることができました。
「バビロン捕囚」は偶像礼拝や高慢などイスラエルの民の罪、失敗の結果でした。ただバビロン捕囚という涙の経験、失敗の経験をとおしてイスラエルの民は神様から学びました。何よりも神様はイスラエルの民を愛しておられたので、神に仕える民としてふさわしく整えられた時に、突然、涙が喜びに変わる捕囚からの解放が訪れました。
バビロン捕囚という最悪としか思えない悲惨な出来事をとおしても、神様は計画をもっていました。それは捕囚から戻ったあと500年の時を経て、それは救い主イエスの誕生へとつながっていきます。
以上、イスラエルの民はバビロン捕囚という囚われからも解放されたのと同じように、私たちがいかに失敗しようと、罪をおかしても「神の愛」は罪を砕き、私たちを買い戻してくれることをみてきました。
一粒の麦イエス
私たちの人生も、また涙と共に種をまく時があります。「なぜ、こんなことが」という答えの出ない試練にあう時もあります。なかなか解決しない問題があります。思い通りにならないことも誰でもあるのではないでしょうか。
また自分の至らなさや弱さゆえに、誘惑に負けたり大きな失敗をする時もあります。ありがままの心で生きられぬ弱さを誰かのせいにして過ごしています。
過去に囚われたり、自分を傷つけた人の言動に囚われたり、心の捕囚状態になってしまうのが私たちです。だからこそ、囚われから解放してくださるイエス様が私たちには必要です。
イエス様ご自身が、涙とともに地上の生涯を歩まれました。
「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば多くの実を結ぶ」
ヨハネ12:24
父なる神様は、私たちを愛しているがゆえにイエス様という種を私たちにまいてくださいました。そして全能の父なる神により主イエスは復活させられました。
イエス・キリストの十字架の死は、永遠の命の世界につながる死、豊かな命の実をもたらす死であり、多くの収穫をもたらす死です。
2023年12月24日のクリスマス礼拝で、行人坂教会ではクリスチャンになる儀式である「洗礼式」が予定されています。洗礼とは「死と罪の囚われ」から自由になることです。
洗礼とは恐れの霊でなく、神の子の霊をいただくことです。過去、他人などへの囚われの鎖から解き放れて、新しい自分に生まれ変わることです。これまでひとりぼっちで苦労して涙してきたが、これからは神さまがいつも一緒にいてくださり、一緒に涙を流してくださるようになることです。
もちろん洗礼後も日々の生活の営みの中でトラブルや悩みは続いていきます。腹立たしいこと、辛いこともあります。しかし、どんなに絶望しても、苦難は 絶望には終わりません。その苦難をも神様は益として、いつの日か希望を見出すことができます。そして、主イエスが再び来ることで実現するやがてくる新しい天、新しい地では完全な喜びに変わる。神は涙をことごとく拭ってくださる、という希望があります。
神の時を待つ
イスラエルの民は、バビロン捕囚という大きな試練をとおして学び成長していきました。同じように、私たちも、痛み、困難、苦しみをとおして成長する、何かに気づかされることがあります。その意味で苦難も何かを学ぶための神様からの贈り物とさえ捉えることができるかもしれません。
国内でも地震、台風、水害など予期せぬことがあります。ハワイマウイ島の火事では現地の人の困難が報道されています。突然、起こる不条理に思えるような出来事があります。また、側から見れば幸せそうだったりうまくいっているような人でも、悩んだり痛みを抱えていたりします。
皆さんの中でも、種をまいても、なかなか実を結ぶことができずに忍耐を強いられる方もいるかもしれません。何かを失った痛みや挫折、悔しい思い、悲しみや不安に暮れる中におられるかもしれません。ある意味、それが生きるということなのだ。それでも生きていくということかもしれません。
しかし、同時に生きていくのは悲しいことばかりではない。
「神のなさることはすべてときにかなって美しい。」
神さまが人生を導いてくださるので、涙の中でも前を向いて歩き続けます。忍耐して待ち続けていく中で涙が「喜びの歌」に変わります。この喜びの歌を頼りに、私たちも希望をもって涙の中でも種をまきつづけようではありませんか。