ヘンデル「メサイア」や「諸人こぞりて」の歌詞をもとに聖書の「平和」についてのお話です。(2023年9月17日主日礼拝説教)
はじめに
「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」この言葉はクラシック音楽の最高峰といわれるヘンデルの「メサイア」 に出てきます(メサイア1部の12曲目)。メサイアとは救い主という意味です。ヘンデルのメサイアといえば「ハレルヤ」を思い出す方も多いと思いますが、こちらの曲も印象的です。
For unto us a Child is born, 私達のために子が産まれた
unto us a Son is given, 御子が私たちに与えられた
and the government shall be upon His shoulder; 権威はその方の方にあり
and His Name shall be called このように呼ばれる
Wonderful, Counsellor, 驚くべき助言者
The mighty God, 全能の神
The everlasting Father, 永遠の父、
The Prince of Peace. 平和の君
メサイア1部12曲目
この歌詞は旧約聖書イザヤ書9章冒頭は「メシア(メサイア)預言」と呼ばれる部分です。「未来には終わりなき平和が来る」という終末論的預言がみてとれます。今日は、なぜイエス・キリストが「平和の君」と呼ばれているかをご一緒にみていきましょう。
1.平和の君なるメシア
クリスマス賛美歌の定番「諸人こぞりて」の歌詞をご覧ください。
諸人こぞりて 歌えまつれ久しく待ちにし主は来ませり
諸人こぞりて1番
長い間、待っていた主救い主が、とうとう来た。みんな一緒に歌って喜ぼう!という歌詞です。
平和の君なる み子をむかえ すくいの主とぞ ほめたたえよ ほめたたえよ ほめ、ほめたたえよ
諸人こぞりて5番
では、5番の御子イエスが「平和の君」とは、どのような意味でしょうか。イザヤ書9章が書かれた時代を確認します。年表をご覧ください。
2.イザヤの時代

紀元前1003年、ダビデ王が即位しました。ミケランジェロのダビデ像などで知られているダビデ(英語名DAVID)です。統一イスラエル王国、ダビデ王朝の初代の王となったダビデは、都をイスラエルに移しました。
あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。 この者がわたしの名のために家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえに堅く据える。
サムエル記下7
ダビデの息子ソロモン王の時に全盛期となり神殿が建てられます。ただ、全盛期は衰退の始りです。ソロモンの神様への背信により、ソロモンの死後(紀元前 922年)、イスラエル王国は南北に分裂します。ダビデ王から数えてわずか三代目の王様の時のことでした。そして王国の南北分裂から約200年後、イザヤの時代には、かつての栄光に満ちたダビデ王国の面影は薄くなりました。

この時代、ユダ王国はユーフラテス川沿いから勢力を増してきた強大なアッシリア帝国の侵略にさらされていました。一方、南にもナイル川沿いに大国・エジプトがありました。大国間に挟まれた北イスラエル、南ユダは、共にゆらいでいました。国のトップも親アッシリア派と親エジプト派に分かれてクーデターがおきます。政治は腐敗し、不正な裁判が横行していました。そんな中、オレンジの北王国とその右上のシリアが、南王国を「反アッシリア同盟」に加えようとして「シリア・エフライム戦争」が紀元前734年に起きたことが、今日の聖書テキストの背景にあります。
政情が不安定で戦争や飢餓がある中、時代にイザヤが活動します。イザヤは「終りの日の預言」終末論的な預言をします。旧約聖書の「終りの日の預言」はどういうものでしょうか。
それはダビデ王家が復興してダビデの子孫の中から再び王様が救い主として現れるというものです。「今は不条理で腐敗や戦争で苦しんでいる人がたくさんいる。でも、m未来には救い主がきて、弱く貧しい人のために正義を行い、戦争のない世界を築き上げる。しかも平和の良い知らせはユダヤ民族だけでなく普遍的に全ての民族に及ぶ」というものです。
さらに自然界も、エデンの園にあった完全な調和を回復し「王の王、主の主」すなわち救い主を中心とする新しい完全な平和を実現します。その世界をイザヤ書65,66章では「新しい天、新しい地」と呼びました。
3.平和と福音
イザヤが「救い主、メサイア」を預言してから約700年後に主イエスがお産まれになりました。福音書では主イエスの誕生をメシア預言の成就として記述しています。
イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた。それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。 「ゼブルンの地とナフタリの地、 湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、 異邦人のガリラヤ、 暗闇に住む民は大きな光を見、 死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」
新約聖書マタイによる福音書4章13-16節
イエスが誕生した時、天使たちは「いと高きところに栄光が神にあるように。地の上に平和が御心にかなう人にあるように」と歌いました。
そのイエス様は「平和を実現する人々は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」と山上の垂訓で語りました。十字架の上で「父よ。彼らをお許しください。彼らは何をしているのかわからないのです。」と赦しを宣言しました。
その教えは「やられても、やり返さない」という非報復・非復讐の精神です。「敵を愛しなさい」「善によって悪に打ち勝つ」という愛の実践です。それは「自分に悪口を言うものを祝福する」という祝福を流すことへとつながっていきます。
ただ、これらのことを人間は自分の力では実現できません。誰でも、やられたらやり返したくなります。「自分が正しい」という自己義認で相手を赦せなくなる存在です。
だからこそ、私たち全てにイエス様が必要です。日々イエス様が私たちの心にとどまり、心の平和を得ることなしには平和は訪れません。
神様が私たちを愛している。それゆえ2000年前に主イエスが私たちの罪を赦すためにこの地上に来てくれた。そしてイエス・キリストが再び来てくださること(再臨)、すなわち終末の神の国の完成を待ち望んでいる、というがキリスト教の信仰告白です。
良い知らせのことを「福音」 (エウアンゲリオン)といいます。イエス・キリストが救い主として私たちの罪を赦してくれた、ということです。その「良い知らせ(GOOD NEWS)」は平和と結びついています。神と和解して平和を得た、ということです。
結論
映画「戦場のアリア」をご紹介して今日のお話を終わります。第一次世界大戦 フランス・イギリス対ドイツで血みどろの闘いをしていました。フランス北部に、フランス・イギリス・ドイツ軍がそれぞれ攻撃しあう泥沼の戦場と化していた場がありました。季節はクリスマス。ドイツ側が塹壕で「きよしこの夜」が歌われました。その声は、イギリス・フランス連合軍側の塹壕にも聞こえてきました。すると、イギリス軍の中のスコットランド人がバグパイプで同じ「きよしこの夜」を演奏し始めました。それをきっかけに融和モードになり、クリスマス・イブの一日だけ休戦する規定が取り交わされました。昨日まで撃ち合っていた敵同士が、その夜、共にサッカーをしたりお酒を酌み交わしたりした、という実話をもとにした映画です。
憎しみ合い敵対していた両者に友情が芽生える。これが福音です。以上、クリスマスの中心メッセージが平和ということをみてきました。現実の世界は悲しいことに戦争、飢餓や不条理なことがなくなりません。でも「主よ来てください」という祈りの中、終末の完成を私たちは待ち望むのです。
今年のクリスマスには、平和な気持ちの中でクリスマスを迎えられるように「主よ。平安をください」と心を整えていこうではありませんか。