久しく待ちにし

クリスマスの足音が聴こえてきました。私たち自身、神に罪を赦された者として、隣人にも寛容になれたらと願っています。眼の前の状況が大変でも変わらない神の愛、闇の中に光があることを信じ再び来たりたまうを待ち望んでいこうではありませんか。

こちらの画像をご存知でしょうか。エル・グレコの受胎告知です。岡山県倉敷市の大原美術館に所蔵されている作品です。救世主イエス・キリストの母マリアが、男性を知らないまま神様の不思議な力でイエスを身ごもることを天使に告知された瞬間を描いた絵画です。ある日、小さな村ナザレで暮らす少女マリアの前に天使ガブリエルが現れます。「アヴェ・マリア。恵みに満ちた方」とガブリエルに声をかけられたマリアはビックリします。アヴェ・マリアとは、おめでとうマリアという意味です。鳩は聖霊の象徴です。マリアが聖霊の力で神の子を宿すということです。想像してみてください。「あなたは間もなく聖霊の力で神の子を宿します」と天使に言われたマリアは、どんな感情だったのでしょうか。

当時、未婚の妊娠は石打刑による死刑でした。この絵画ではマリアが驚いているような戸惑っているような、恐怖も混じったような表情をしています。

このエル・グレコの受胎告知の絵の特徴ですが、マリアが持っている聖書はイザヤ書7章が開かれていることです。イザヤ書7章以降のテキストは「メシア予言」と言われクリスマスと密接に関係しています。

今日は「久しく待ちにし」というタイトルで、神の約束の実現というイザヤ書7−9章の救い主の予言とクリスマスの関係を「待つ」というキーワードでみていきます。お祈りをいたします。

目次

イザヤ書の時代

イエス・キリストが生まれる約700年前、イザヤという預言者が活躍しました。

紀元前1003年、ダビデ王が即位しました。ミケランジェロのダビデ像などで知られているダビデ(英語名DAVID)です。

あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。

神様はダビデの血筋から王国が継承することを約束しました。

ダビデの息子ソロモン王の時に王国は全盛期となり神殿が建てられます。ただ、全盛期は衰退の始りです。ソロモンの神様への背信により、ソロモンの死後、紀元前 922年、イスラエル王国は南北に分裂します。ダビデ王から数えてわずか三代目の王様の時のことでした。

そして王国の南北分裂から約200年後、イザヤの時代には、かつての栄光に満ちたダビデ王国の面影は薄くなりました。紀元前734年「シリア・エフライム戦争」がに起き、アッシリアが北王国を圧迫し、722年には北王国は完全に滅びます。

イザヤは南ユダのエルサレムにいました。イザヤは王様の外交政策に提言できる書記官の立場にありました。オレンジの北王国とその右上のシリアが、ムラサキの南王国を「反アッシリア同盟」に加えようとして「シリア・エフライム戦争」が紀元前734年に起きたことが、イザヤ書7−9章のメシヤ預言の聖書テキストの時代背景にあります。イザヤがいたエルサレムのすぐ近くにアッシリアが迫ってきました。

エル・グレコの受胎告知でマリアが開いていたイザヤ書7章はインマヌエルの預言と呼ばれています。「見よ、おとめが身ごもって男の子を産みその名をインマヌエルと呼ぶ」という14節は救い主が誕生するというメシア預言です。

先程、読まれたイザヤ書9章 1節の「死の陰の地」は、詩篇23と同じ単語です。アッシリアの攻めてくる恐怖、南ユダすら滅亡するかもしれないという現実的な不安の中にいました。人々は闇の中を歩んでいました。

イザヤ書9:5「一人のみどりごがわたしたちのために生まれた。・・・その名は驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」この言葉はクラシック音楽の最高峰といわれるヘンデルの「メサイア」にも出てくる歌詞です。メサイアは、メシア救い主という意味です。

このイザヤ書が書かれた時代、アッシリアの侵略、国内の政情不安定という現実的な危機の中でも、救い主が絶対的な平和を築くというイザヤの預言が成就することを人々は待っていました。

久しくまちにし救世主

さて、時が過ぎイエス様の時代。イザヤがメシヤ預言をしてから約700年が過ぎていました。旧約聖書最後の預言者マラキを最後に、400年以上、神の沈黙が続いていました。

セレウコス朝シリアによるギリシャ化政策、その後もローマ帝国のキツイ支配が続きました。人々は、ダビデ王家が復興し救い主が来ることを何年も何年も久しく待っていました。主イエスの時代も人々は「闇の中を歩んでいました。死の陰の地に坐してしました」

「諸人こぞりて 歌えまつれ久しく待ちにし主は来ませり」という歌詞を小さい時は意味もわからずに歌っていました。

イザヤが「救い主、メサイア」を預言してから約700年後に主イエスがお産まれになりました。イエス様はベツレヘムという街で生まれました。主イエスが生まれたことを天使が告げた相手は羊飼いでした。なぜ、羊飼いのもとに天使が来たのでしょうか。

この羊飼いたちはエルサレムの神殿にささげる子羊を飼っていました。この時代、人間の罪を贖う供え物として傷のない子羊を神殿でささげる習慣がありました。イエス・キリストが私達の罪を取り除く子羊です。だから他の職業の人でなく羊飼いの前に天使が表れました。

イエスが誕生した時、天使たちは「いと高きところに栄光が神にあるように。地の上に平和が御心にかなう人にあるように」と歌いました。羊飼いたちは、私達の罪を取り除く子羊イエス・キリストに会いに行きました。

人々にとって700年前にイザヤに預言された救い主が来ることを長い間待っていて、ようやく救い主が来たという喜びでした。

クリスマスの意味

クリスマスは、イエス時代の人々だけでなく、すべての民族、すべての時代の人々にとって大いなる喜びです。なぜなら、イエス・キリストというプレゼントはどの時代に人、どの民族の人のすべての罪が赦されるからです。

この赦しに関して、一つのエピソードがあります。私が出会ったある女性牧師は小さい時から完璧主義のご家庭で育てられました。親御さんのしつけが大変厳しく、少しでもミスをすると責められ受け入れてもらえない感覚で育ったといいます。 大人になり、その方はお医者さんと結婚しました。結婚相手のご実家は大変裕福だったそうです。お連れ合いの実家に帰省した時、義父に「新車のベンツに自由に乗っていいよ」と言われ買い物に行きました。しかし彼女はドライブ中に車を見事にぶつけて事故を起こしてしまったそうです。 その女性は「すごく、怒られる」と落ち込みなかなか誤りに行けませんでした。しかし、実家の義理のお父さんに会った時「身体にケガはなかったか?」とその女性身体のことを心配してくれたそうです。 車のことを責められると思っていたこの女性は、義父の態度をとおして神様の愛がわかったそうです。 神様は私たちがどんなに失敗しても、いつでもやさしく抱きしめて無条件で赦してくれます。

イエスキリストの誕生、十字架、復活とは、神の愛と赦しそのものだったのです。

結論

教会のカレンダーは「アドベント」に入りました。アドベントとはクリスマスを待ち望む時期という意味です。毎週1本ずつ火がともる蝋燭が増えていきます。一年で一番闇の時間が長い中光を待ち望む季節です。イエス・キリストの誕生を待ち望む季節です。同時に、終末の完成を待ち望む季節です。日本キリスト教団信仰告白には「主の再び来りたまふを待ち望む」とあります。

はじめに神が天と地を創りました。完全な調和と平和がありましたた。エデンの園に命の木がありました。しかし、エデンの園でアダムとエヴァが善悪を知る木の実を食べたことで、人類が罪に陥りました。いばらとあざみが生え被造物もうめきました。しかし、主イエス・キリストがこの地上にプレゼントされるという決定的な出来事で終末がスタートしました。今も、世界を見渡せば、貧困、飢餓、争い、戦争、様々な闇がありますが、キリスト者は主イエスの再び来りたまふを待ち望んでいます。終末の完成では、黙示録にあるような新しい天、新しい地が実現します。天地創造にあったような命の木が回復し、命の水の泉から値なしに飲むことができるのを私達は待ち望みます。

地上では困難があります。闇があります。今も不完全。悲しいことがたくさんあります。自分が許された存在なのに人を裁いたり、自分でもしたくないことをしてしまいます。やられたらやりかえす。報復の連続。その中で、わたしたちはキリストに似た姿に変えられるプロセスにいます。終末の完成に向けて、少しずつ主に似た姿に変えられる中にいます。

だからこそ、不完全な私たちは、主の祈りで「御国がきますように。御心が天で行われるように地でも行われますように」と毎週祈ります。

この後歌う「久しく待ちにし」は英語タイトル「O come, O come, Emmanuel」です。

クリスマスの足音が聴こえてきました。私たち自身、神に罪を赦された者として、隣人にも寛容になれたらと願っています。眼の前の状況がどんなに大変でも変わらない神の愛、闇の中に光があることを信じます。私たちもクリスマスを待ち望み、主が再び来たりたまうを待ち望み、私達一人ひとりの人生にも神の時があると信じ、待ち望んでいこうではありませんか。

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