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サマリアの女
ペンテコステに与えられた聖霊の力は、私たちの「檻」、すなわち先入観や過去のしがらみを打ち破り、新しい人へと生まれ変わらせる力です。ヨハネ4章のサマリアの女も、イエスから与えられた「命の水」により心の乾きが癒され、人生が変えられました。私た... -
礼拝説教:「命を得させてくださる方」
*カメラのマイク機材トラブルのため、この日の礼拝説教は動画がなくご迷惑をおかけします。 はじめに ― 祈りと命への感謝 キリスト教の習慣の中で、私がとても好きなのは「食前の祈り」です。大学時代、キリスト教の寮に住んでいたときのこと。高校までは... -
後ろのものを振り返らず〜ニーバーの祈り〜
人生の中で、「もうだめかもしれない」と感じたことのある方も多いのではないでしょうか。夢に向かって歩んでいるはずなのに、心が折れそうになったり、誰にも言えない悩みを抱えて苦しんだり。泣きそうで、負けそうで、消えてしまいたくなるような日もあ... -
わたしを愛しているか〜復活後のイエスの問い
イエス・キリストがペトロに三度語りかけた問い――「わたしを愛しているか」。それは、かつて三度イエスを否んだペトロに対して、愛と赦しをもって回復の言葉を与える場面でした。復活の主は、ペトロが過ちを犯したあの炭火の記憶をたどりながら、同じ炭火... -
宮きよめ〜私たちの身体は聖霊の宮〜
イエス・キリストが神殿で商人たちを追い出した「宮きよめ」の場面は、私たちが抱く「優しいイエス様」というイメージを覆す出来事かもしれません。しかしその怒りは、単なる感情ではなく、神殿が「祈りの家」から「商売の家」となっていたことに対する深... -
すべての人を照らすまことの光
「この光は、すべての人を照らして、世に来ようとしていた」――ヨハネ福音書1章9節にあるこの言葉は、どんな人生にも希望が注がれることを語っています。イエス・キリストこそ「まことの光」として、この世に来られ、私たちの暗闇を照らす存在なのです。 私... -
コーナーストーン
「家を建てる者の退けた石が、隅の親石となった」――この詩編118篇の言葉には、人生を逆転させる神の力が込められています。人から価値がないと見なされ、捨てられた存在が、実は神のご計画において最も大切な“土台の石”とされるのです。 それは、拒まれ、... -
亜麻布しかなかった〜空のお墓〜
「墓には亜麻布しかなかった」――この印象的な場面に、あなたはどんな意味を感じるでしょうか。主イエスの体はそこにはなく、残されていたのは、血と水を吸った亜麻布だけ。けれどそれは、終わりのしるしではありませんでした。むしろ、復活という新しい物... -
くじびきの衣
受難節第5主日、私たちは5本目のろうそくの火が消えるのを見ながら、イエス・キリストが歩んだ十字架の道を心に思い描きます。詩編22篇は「わが神、なぜ私をお見捨てになるのか」という叫びで始まり、神の沈黙の中での深い孤独が描かれています。この詩は...