行人坂教会 公式サイト ご案内

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行人坂教会について・・・当教会の歴史・沿革についてご紹介します。
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 教会へのアクセス・・・当教会への交通、付近の地図、連絡先です。
牧師ご挨拶・・・・・・・当教会牧師のご紹介で、本人のプロフィールもあります。
牧師の書斎から・・・・・当教会牧師のメッセージ、記事を集めています。
 会報巻頭言など・・・・当教会会報「行人坂」に掲載された牧師のメッセージ集です。
 こんにゃく問答・・・・同じく、会報「行人坂」に掲載された教理問答集です。
教会からのお知らせ・・・各種イベント(イースター、クリスマス諸行事、バザーなど)のご案内です。
毎週の礼拝案内・・・・・毎週の主日礼拝のご案内(概要)があります。
      *最新情報*礼拝終了後は当日の音声録音を聴くことができます
毎週の講壇から・・・・・毎週の主日礼拝での説教の要約をまとめてあります。
教会アルバム・・・・・・当教会で過去開催された行事の写真集です。
オリジナル賛美歌など・・当教会の会員有志が作成したオリジナル賛美歌をご紹介します。
リンク・・・・・・・・・日本キリスト教団他の関連サイトへのリンク集です。

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それでは、どうぞご覧下さい。なお、以下は最近の記事です。


2019年教会バザー、特別礼拝、クリスマスコンサート、クリスマスイヴ賛美礼拝のご案内

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2019年10月15日

10月第3主日礼拝(信徒伝道週間、教育週間)

      10月20日(日) 午前10時30分〜11時40分
信徒奨励 ともにある時間、ひとりで行く時間 =@ 佐治 恵
聖  書  コリントの信徒への手紙T 12章1〜11節(p.315)
讃 美 歌  27、95、490、406、377、25
交読詩編  詩編73編21〜28節(p.84)

・教会案内      正午〜午後0時30分    礼拝堂
教会バザー    午後0時30分〜3時    階下ホール

posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2019年10月08日

10月第2主日礼拝(神学校日、伝道献身者奨励日)

      10月13日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 愛が冷え切った世界で=@音楽    朝日研一朗牧師
聖  書  マタイによる福音書 24章1〜14節(p.47)
讃 美 歌  27、95、490、398、483、25
交読詩編  詩編73編21〜28節(p.84)


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2019年10月07日

まだ席がありますか?【ルカ14:15〜24】

聖句「『…まだ席があります』と言うと、主人は言った。『通りや小道に出て行き、無理にでも人々を連れて来て、この家をいっぱいにしてくれ。…』」(14:22,23)

1.《聖書と血糖》 家庭医から血糖値の高さを指摘されます。聖餐式に使用する葡萄液が甘いものですから、イエスさまの血糖値も気になります。古代から糖尿病はあったそうですから、大酒飲みのイエスさまも、ヘロデ親子や大祭司も糖尿病の可能性があります。古代ローマ人は1日4食でしたから、ピラトも糖尿病だったかも知れません。誰も彼も糖尿病にしたく成るのです。

2.《午餐と晩餐》 古代ユダヤ人は朝夕の1日2食でした。「列王記」の預言者エリヤや「出エジプト記」の鶉とマナからも分かります。ところが、14章12節には「昼食や夕食の会」とあります。英訳聖書は「ディナー」と「サパー」に訳し分けられることが多いです。「ディナー」は時間帯ではなく、その日のメインの食事「正餐」を意味します。「サパー」は「スープを啜(すす)る」から派生した語で、床に入る前の簡単な食事でしたが、照明の発達と共に豪華に成ったのです。ギリシア語の「デイプノン/晩餐」には「御馳走を食べる」の含みがあります。イエスさまの譬え話「大宴会」は「デイプノン・メガ」なのです。

3.《神の招待状》 ある主人が盛大な宴会を催し、予め招待して置いた客たちに、改めて召使いを遣わして案内しますが、招待客は「畑を買った、牛を買った、嫁を買った」と理由を付けてドタキャンするのです。自らの所有と経済活動を優先しているのです。この無礼なドタキャンに対して「神の怒り」は、恐らく生涯を通して、畑も牛も嫁も得ることがない、生活困窮者を招くという方向に転換します。「町の大通り/広場」「路地/巷」から更には「通り/田舎の畦道」「小道/生垣、垣根」まで召使いたちは、客を捜して巡ります。私たちは、そのような神の必死の招きを決して疎(おろそ)かにしてはなりません。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 19:51 | 毎週の礼拝案内

2019年10月01日

10月第1主日礼拝(世界聖餐日、世界宣教の日)

      10月 6日(日) 午前10時30分〜11時50分
説  教 まだ席がありますか?=@音楽    朝日研一朗牧師
聖  書  ルカによる福音書 14章15〜24節(p.137)
讃 美 歌  27、95、369、375、72、25
交読詩編  詩編73編21〜28節(p.84)

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2019年09月30日

今日までそして明日から【マタイ6:25〜34】

聖句「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」(6:34)

1.《明日は別の日》 映画『風と共に去りぬ』の幕切れのヒロインの台詞「明日は別の日」は様々に訳されて来ました。「明日は明日の風が吹く」「明日は明日の陽が照る」「明日に望みを託して」「私には明日がある」「望みはある、また明日が来るのだから」等々…。イエスさまの上記の御言葉と、古代ローマの詩人ホラティウスの「今日の禍は今日にて足れり」が世俗化したものと思います。

2.《思い悩みの種》 歌謡曲にも「明日がある」「明日はきっといい日になる」と歌われ、明日は希望の象徴です。しかし、御言葉を改めて読み直すと、今日には今日の思い悩みがあったように、明日には明日の思い悩みがあるのです。それ故に先取りする必要はないのです。「苦労/カキア」は「悪、不幸、災い」です。生きていれば、どこまでも付き纏うのです。現代人は、人生に付きものの苦労から目を背けるために、「何を食べようか」「何を飲もうか」「何を着ようか」が幸せであるかのように擦り替えたのでは無いでしょうか。しかし、それがまた、新たな「思い悩みの種」に成っているのですから厄介です。

3.《満ちて来る光》 イエスさまが希望を託すように仰るのは「明日」ではなく、「神の国と神の義」です。「明日の苦労」を背負うのは取り越し苦労、「今日の苦労」を持ち越すのは「持ち越し苦労」です。苦労に対しても「足れり」と断念するべきです。太陰暦の古代ユダヤでは、1日の始まりは日没でした。キリスト教の暦もこれを受け継いでいます。闇で始まり、やがて光に満ちて来るのです。今日の「苦労」は「黄昏」と共に闇に包まれて忘れ去られます。そして、信仰者である私たちは本当の明日、「復活の朝」を目指して生きて行くのです。遥か先にある真の光に満ちた世界が、私たちを待っているのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 20:55 | 毎週の講壇から

2019年09月29日

未来の子どもの家

1.家が火事

「私たちの家が燃えています。私はその事を伝えるために、ここに来ました。私たちの家が燃えているのです/Our house is on fire. I am here to say, our house is on fire」。

胸を突くような、この衝撃的な言葉は、16歳のスウェーデン人少女、グレタ・トゥーンベリ(Greta Thunberg)が、今年の1月に開催された「ダボス会議」(世界経済フォーラム年次総会)で訴えたメッセージです。

彼女は前年2018年から、スウェーデン議会の前で「気候変動問題のための学校ストライキ/SKOLSTREJK FÖR KLIMATET」と書いたプラカードを掲げて座り込みを行ないました。彼女の真っ直ぐな姿勢と主張に賛同した学生たちは、彼女と共に毎週金曜日に、学校を休んで座り込みを始めました。ネットやマスコミを通して、運動は世界中の若者に拡がりました。因みに、プラカードは、今や彼女のトレードマークに成っています(NY国連前で開かれた若者たちの集会でも、手にしていました)。

9月23日の国連地球温暖化対策サミットでは、世界中の政治指導者たちに向かって、「あなたたちは経済成長の話しかしていない」「あなたたちは私たちを裏切っている」「未来の世代の目があなたがたに注がれている」「もしも、あなたがたが私たちを裏切るなら、絶対に許さない」と怒りの演説を行ないました。

サミット出席のために、彼女は飛行機ではなく、太陽光パネル付きの競技用ヨットに乗って、15日間かけて大西洋を横断してNYに上陸しました。それから、彼女がアスペルガー症候群、注意欠陥・多動性障害、強迫性障害その他である事も話題になっています。

2.家と世界

そこでまた、冒頭に挙げた彼女の言葉に戻りますが、これこそは、まさしく旧約聖書の預言者のレトリックでは無いかと思ったのでした。御存知のように、旧約聖書で「ダビデの家/ベース・ダーヴィド」と言う場合は「ダビデ王朝」を、「ヤコブの家/ベース・ヤァコブ」「イスラエルの家/ベース・イシュラーエール」と言う場合には「ユダヤ民族全体」を指します。「家/ベース」は「ハウス」の事ですが、単に「建物、家屋」に留まらず、「家族、暮らし」をも意味します。

この「ベース」というヘブライ語が、ギリシア語に翻訳されると(七十人訳聖書、新約聖書)、「オイキア、オイコス」という語と成ります。ギリシア語の「家/オイキア、オイコス」は「オイケオー/住まう、暮らす」という動詞から来ているのです。そして面白い事には、この「オイケオー」の女性形の受身を現在分詞にした語「オイクーメネー」は「世界」という意味に成るのです。

キリスト教界では、しばしば「超教派の集会/教派を超えて集まる事」を「エキュメニカル/Ecumenical」と言います(大きな誤解をもたらす使用法だと思います)。先のギリシア語「オイクーメネー」がラテン語化して「オエクメンティクス/oecùmenticus/全世界の、普遍的な」「全キリスト教会挙げての」という意味に成りました。これが英語の「エキュメニカル」の語源です。

つまり、単に「spura-/教派を超えている」とか「non-/非教派的、没教派的である」とか「inter-denominational/諸教派相互の」という程度のニュアンスで使っていると、語の持つ本来の志を著しく貶める事に成るのです。「世界」を忘れてはならないのです。「エキュメニカル」という語を使う場合には、常に「世界」を視野に入れる必要があるのです。それ故「エキュメニカル・ムーブメント/Ecumenical Movement」は「世界教会運動」と訳されているのです。平和や核廃絶、環境保全などの課題に、世界の教会が連携して取り組む場合に「エキュメニカル」という語は使われるべきなのです。

3.星を継ぐ

キリスト教諸教派の「エキュメニカル運動」は、折角、20世紀に盛り上がったのですが、残念ながら21世紀に入ってから頓挫しています。ローマカトリック、聖公会、ルーテル教会、東方正教会など各々の教派の中が「保守派」と「リベラル派」に分裂してしまっているのです。勿論、その他のプロテスタント諸教派も同様の状態です。

現代的な課題が余りにも膨大で多岐に渡るためでしょうか、思考停止したり、伝統主義に回帰したり、内向きに成ったりしているのです。この世的な団体の常として、やはり「世界」を取り巻く問題などよりも、自分たちの教団の維持運営、拡大成長の優先順位が高いのでしょう(「あなたたちは経済成長の話しかしていない」)。

ローマカトリックなら「解放の神学」の取り扱い、聖公会なら女性司祭問題、北米のプロテスタントなら中絶や同性愛を認めるかどうか等、意見対立ばかりが際立ってしまったのです。先の地球温暖化問題でも、原理主義的傾向の強いプロテスタントはトランプ大統領の支持基盤の1つですが、彼らの中には、天地創造の際に、神が人に「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ」「すべて支配せよ」(「創世記」1章28節)と仰ったのだから、「地球温暖化も悪くない」等と、自分勝手な論理を振り回す宗教指導者がいるくらいです。「創世記」2章で、人が罪を犯して、楽園を追放された事については、彼らは何と考えるのでしょうか(笑)。環境破壊を「原罪」とは考えないのでしょうか。

♪「地球という星は/未来の子どもの家/いつまでも共に住む/道を示してください。」(「讃美歌21」426番)。英国の合同改革派教会の牧師、ブライアン・レン(Brian Wren)作詞による、キリスト者の立場から環境問題を歌う讃美歌です。「地球」が「未来の子どもの家」であるとすると、もうこれ以上、私たちが破壊する事は決して許されません。

牧師 朝日研一朗

【2019年10月の月報より】

posted by 行人坂教会 at 06:00 | ┣会報巻頭言など

2019年09月24日

9月第5主日礼拝

       9月29日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 今日までそして明日から音楽    朝日研一朗牧師
聖  書  マタイによる福音書 6章25〜34節(p.10)
讃 美 歌  27、182、490、423、360、24
交読詩編  詩編92編1〜16節(p.106)


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posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2019年09月23日

その一匹を見つけ出すために【ルカ15:1〜7】

聖句「その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。」(15:4)

1.《九十九人の壁!》 岡村隆史と矢部浩之のお笑いコンビ名「ナインティナイン」は、ブレイクダンスの究極難度の技から来ています。クイズ番組「超逆境クイズバトル!! 99人の壁」は、1人だけ選ばれたチャレンジャーに対して、99人のブロッカーが早押しをして、回答を阻止する展開です。「1対99」の対立構図なのです。「99」は絶対多数、圧倒的な多数を意味します。

2.《分かち合う喜び》 私たちの社会では、大抵の人が多数派に属すことを心掛けています。しかし、多数派であるから正しい側にいるとは限りません。しかも、多数派と少数派の問題は、実際には「数」ではなく、「力関係」の問題です。数が多くでも、支配者側、権力者側によって力を奪われて弱められている人たちがあるのです。「エンパワメント/湧活」は、弱い立場に置かれた人に力を付与することで、地位向上、閉塞状態の打破、社会全体の活力を促す改革の提案です。私たちの活力の源は「喜び」です。イエスさまの譬え話の根幹に置かれているのも喜びの感情です。しかも、その喜びは共有されるべきなのです。

3.《その一匹のため》 この社会では「たった1匹のために99匹を置いて行くか?」と問われれば、答えはNOです。全体のためには1匹の犠牲は止む無しです。ところが、イエスさまの天国では、その論理は通用しません。百匹という所有資産の話が「その1匹」と言われた瞬間に、掛け替えの無い人(愛の問題)に変わっているのです。その他の全てを犠牲にしてでも、オンリーユーのあなたを捜し求める、それが愛なのです。ファリサイ派は徴税人に「罪人」のレッテル貼りをして、人とは見ませんでしたが、イエスさまは、彼ら1人1人を「神の独り子」と見て居られたのです。それが「天の喜び」です。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 20:53 | 毎週の講壇から

2019年09月17日

9月第4主日礼拝

       9月22日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 その一匹を見つけ出すために音楽  朝日研一朗牧師
聖  書  ルカによる福音書 15章1〜7節(p.138)
讃 美 歌  27、182、490、98、120、24
交読詩編  詩編92編1〜16節(p.106)

・讃美歌練習(10月の月歌:95番)   礼拝後    礼拝堂

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posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2019年09月16日

それは主を求める人【詩編 24:3〜6】

聖句「主はそのような人を祝福し/救いの神は恵みをお与えになる。/それは主を求める人/ヤコブの神よ、御顔を尋ね求める人。」(24:5,6)

1.《祈りを育てる》 昨年「日大フェニックス反則タックル事件」で被害を受けて注目された関西学院大学ファイターズですが、試合10分前には、顧問の前島宗甫牧師が聖書を解き明かし、選手、コーチ、スタッフ全員が祈るのだそうです。「人間が人間に値する者に育って行く、それを求めるのが祈りだ」と書いて居られました。祈りは人の成長を促し、祈りも成長して深められて行くのです。

2.《紳士たること》 入部の際、新入部員は監督から「どんな人間に成りたいのか?」と問われるそうです。理念なき成長は拡大路線の暴走に過ぎません。東京五輪の際、日本サッカーを指導したD・クラマーは「サッカーは少年を大人にし、大人を紳士にする」との名言を残しています。札幌農学校に招聘されたW・S・クラークが、事細かい学校の規則を廃棄して「紳士たれ」と訴えたことを思い出させます。自分の判断基準や行動規範を、誰かや何か(たとえ聖書であっても)に委ね切ってしまっては自律性の放棄です。自分で判断して自分で行動する、そのようにして生きるのが、紳士淑女の道なのです。

3.《同じ舟の仲間》 神殿の参拝者(巡礼)に対して、検問に立つ祭司が問い掛ける「信仰問答」です。「潔白な手と清い心」は行動とそれに伴う理念です。中身の無い空っぽのものに熱狂したり、欺瞞に誓いを立てる(日大フェニックス)べきではありません。命令や指図に無分別に従うのは空疎です。「主を求める」には「聖書を解釈する」、「御顔を尋ね求める」には日毎の糧の如く「必要とする」の含みがあります。そして最も重要なのは「主を求める仲間」と言われていることです。独りでは祈りは成長しません。共に祈る仲間、同じ舟に乗って生きること(メンバーシップ)が、何よりも大切なのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 19:52 | 毎週の講壇から