行人坂教会 公式サイト ご案内

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行人坂教会について・・・当教会の歴史・沿革についてご紹介します。
 礼拝・集会の案内・・・当教会で行っている礼拝と集会のご案内です。
 教会へのアクセス・・・当教会への交通、付近の地図、連絡先です。
牧師ご挨拶・・・・・・・当教会牧師のご紹介で、本人のプロフィールもあります。
牧師の書斎から・・・・・当教会牧師のメッセージ、記事を集めています。
 会報巻頭言など・・・・当教会会報「行人坂」に掲載された牧師のメッセージ集です。
 こんにゃく問答・・・・同じく、会報「行人坂」に掲載された教理問答集です。
教会からのお知らせ・・・各種イベント(イースター、クリスマス諸行事、バザーなど)のご案内です。
毎週の礼拝案内・・・・・毎週の主日礼拝のご案内(概要)があります。
      *最新情報*礼拝終了後は当日の音声録音を聴くことができます
毎週の講壇から・・・・・毎週の主日礼拝での説教の要約をまとめてあります。
教会アルバム・・・・・・当教会で過去開催された行事の写真集です。
オリジナル賛美歌など・・当教会の会員有志が作成したオリジナル賛美歌をご紹介します。
リンク・・・・・・・・・日本キリスト教団他の関連サイトへのリンク集です。

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それでは、どうぞご覧下さい。なお、以下は最近の記事です。


2019年09月17日

9月第4主日礼拝

       9月22日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 その一匹を見つけ出すために=@  朝日研一朗牧師
聖  書  ルカによる福音書 15章1〜7節(p.138)
讃 美 歌  27、182、490、98、120、24
交読詩編  詩編92編1〜16節(p.106)

・讃美歌練習(10月の月歌:95番)   礼拝後    礼拝堂

posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2019年09月16日

それは主を求める人【詩編 24:3〜6】

聖句「主はそのような人を祝福し/救いの神は恵みをお与えになる。/それは主を求める人/ヤコブの神よ、御顔を尋ね求める人。」(24:5,6)

1.《祈りを育てる》 昨年「日大フェニックス反則タックル事件」で被害を受けて注目された関西学院大学ファイターズですが、試合10分前には、顧問の前島宗甫牧師が聖書を解き明かし、選手、コーチ、スタッフ全員が祈るのだそうです。「人間が人間に値する者に育って行く、それを求めるのが祈りだ」と書いて居られました。祈りは人の成長を促し、祈りも成長して深められて行くのです。

2.《紳士たること》 入部の際、新入部員は監督から「どんな人間に成りたいのか?」と問われるそうです。理念なき成長は拡大路線の暴走に過ぎません。東京五輪の際、日本サッカーを指導したD・クラマーは「サッカーは少年を大人にし、大人を紳士にする」との名言を残しています。札幌農学校に招聘されたW・S・クラークが、事細かい学校の規則を廃棄して「紳士たれ」と訴えたことを思い出させます。自分の判断基準や行動規範を、誰かや何か(たとえ聖書であっても)に委ね切ってしまっては自律性の放棄です。自分で判断して自分で行動する、そのようにして生きるのが、紳士淑女の道なのです。

3.《同じ舟の仲間》 神殿の参拝者(巡礼)に対して、検問に立つ祭司が問い掛ける「信仰問答」です。「潔白な手と清い心」は行動とそれに伴う理念です。中身の無い空っぽのものに熱狂したり、欺瞞に誓いを立てる(日大フェニックス)べきではありません。命令や指図に無分別に従うのは空疎です。「主を求める」には「聖書を解釈する」、「御顔を尋ね求める」には日毎の糧の如く「必要とする」の含みがあります。そして最も重要なのは「主を求める仲間」と言われていることです。独りでは祈りは成長しません。共に祈る仲間、同じ舟に乗って生きること(メンバーシップ)が、何よりも大切なのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 19:52 | 毎週の講壇から

2019年09月10日

9月第3主日礼拝

       9月15日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 それは主を求める人=@音楽     朝日研一朗牧師
聖  書  詩編 24編3〜6節(p.855)
讃 美 歌  27、182、490、137、123、24
交読詩編  詩編92編1〜16節(p.106)

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2019年09月09日

あの虹の彼方に【創世記9:9〜17】

聖句「雲の中に虹が現われると、わたしはそれを見て、神と地上のすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた永遠の契約に心を留める。」(9:16)

1.《虹の彼方に》 『オズの魔法使』(1939年)の主題歌です。竜巻で魔法の国に飛ばされたドロシーが、ライオンとカカシとブリキ人形をお供に冒険に旅立ちます。「幸せの国」は「どこかにある素晴らしい場所」ではなくて、自分の身の周りにあったという物語です。作詞者E・Y・ハーバーグは正統派ユダヤ教徒の家庭に育ちました。当然「創世記」の虹が彼の念頭にあったはずです。

2.《虹と十字架》 ヘブライ語の「虹」は「ケシェト」、女性形です。エジプト神話では、虹はイシスの7枚のショールです。バビロニア神話では、イシュタルの首飾りです。天の神エアが地上を滅ぼそうとした時、イシュタルは虹の通路を閉ざして食い止めます。「創世記」もまた、イシスやイシュタルの母心を継いでいるのです。「ケシェト」は「弓」です。虹の弓が天に向かって矢を射掛けようとしています。エアの電光(罪人を射る虹の弓矢)よろしく、地を滅ぼした神が「もう二度と滅ぼさない」と誓って、今度は矢の向きを御自身に向けられたのです。丁度『るろうに剣心』の「逆刃刀」のようなものです。

3.《虹の架け橋》 人間の罪によってもたらされる苦難を、神御自身が引き受けられたのが十字架です。「虹の契約」は「十字架の契約」と同じです。「心に留め」思い起こすのは、神御自身です。この契約に生きようと志を新たにされているのです。私たちが十字架に接する時、果たして、そんな強い気持ちで臨んでいるでしょうか。「カタ・ウパニシャッド」は「天国への虹の橋を渡るのは、剃刀の刃を渡る程に難しい」と言います。十字架も、私たちに命の道を問い掛ける「弓/虹」のようなものです。折角の「広々とした道」を「狭い門」「剃刀の刃」のように薄っぺらにしているのは、私たち自身なのかも知れません。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 20:53 | 毎週の講壇から

2019年09月08日

バザーのための手作り会

教会バザーの準備が始まっています。

今日はバザーのための手作り会でステンシルをしました。

手作り会でステンシル
posted by 行人坂教会 at 17:47 | 教会アルバム

2019年09月03日

9月第2主日礼拝

       9月 8日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 あの虹の彼方に=@音楽       朝日研一朗牧師
聖  書  創世記 9章9〜17節(p.11)
讃 美 歌  27、182、490、363、425、24
交読詩編  詩編92編1〜16節(p.106)

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2019年09月02日

わたしがあなたを背負った【イザヤ46:1〜4】

聖句「わたしはあなたたちの…/白髪になるまで、背負って行こう。/わたしはあなたたちを造った。/わたしが担い、背負い、救い出す。」(46:4)

1.《ベビー用品》 赤ちゃん籠やチャイルドシートに変形するベビーカー(一体型モビリティ)を見て、ベビー用品の進化に驚きました。イスラエル製でした。同国製のベビースリング(抱っこ紐)やベビーラップ(お包み)も優れ物です。対面抱き、前向き抱き、横抱き、腰抱き、おんぶの5つの抱き方が出来ます。

2.《抱き方色々》 民族や文化によって赤ん坊の抱き方も異なります。旧約聖書を読むと、赤ん坊の抱き方も一様ではありません。「乳母が乳飲み子を抱くように彼らを胸(懐)に抱き」(民数記11章)は授乳の対面抱き、「抱いて運ばれ」(イザヤ書66章)は腰抱き、「あなたの娘たちを肩に背負って」(イザヤ書49章)は肩車です。肩車は「見失った羊」の譬え話と同じく大きな喜びの表現です。しかも、抱いているのは実の親に限りません。乳母(モーセ)、養父母(異国の王)だったりします。血の繋がりに関係なく、愛情と信頼を持って子育てする姿が描かれています。「担う、背負う」は「上げられる、運ばれる」という語です。

3.《砂上の足跡》 米国には「足跡」という有名な詩があります。詩の殿堂入りを果たした時、作者は誰かの論争が起こり、3名の女性に絞られました。「作者不詳」のまま、教会を中心に静かに浸透して、他者の口を通して再会した不思議な逸話も付け加わりました。しかし、本当の作者は聖書でしょう。「神があなたを背負った」という閃きのような思いは、何千年も前から受け継がれて来ました。ミケランジェロの「ロンダニーニのピエタ」は、十字架から取り降ろされたイエスさまの遺体を母マリアが起こしていますが、まるでイエスさまが老母を背負っているように見えるのです。ミケランジェロの真骨頂です。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 19:52 | 毎週の講壇から

2019年08月27日

9月第1主日礼拝

       9月 1日(日) 午前10時30分〜11時50分
説  教 わたしがあなたを背負った=@音楽  朝日研一朗牧師
聖  書  イザヤ書 46章1〜4節(p.1137)
讃 美 歌  27、182、490、526、206、71、24
交読詩編  詩編92編1〜16節(p.106)

・青空カフェ       礼拝後     会堂バルコニー

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2019年08月26日

たとえ小さな信仰でも【マタイ8:23〜27】

聖句「イエスは言われた。『なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ。』 そして、起き上がって風と湖とをお叱りになると、すっかり凪になった。」(8:26)

1.《海原と大嵐》 公園の貸しボートですら、何かの拍子に揺れると驚きます。況してガリラヤ湖は霞ヶ浦ほどもあり、地元民からは「ガリラヤの海」と呼ばれていました。ギリシア語聖書では、ガリラヤ湖も紅海や地中海と同様に「タラッサ/海」と呼ばれているのです。周囲を山々に囲まれて、擂り鉢の底のように成っているため、山から湖面に突然の突風が吹き降ろすことがあるようです。

2.《眠るイエス》 イエスさまは乗り込んだ舟の中で、漕ぎ手が尻に敷く座布団を枕に(マルコ4章38節)、安らかに眠り込んでしまいます。「人の子には枕する所もない」と仰るような大変さでしたが、信頼できる弟子たちだけを乗せた舟の上で、すっかり安心なさったのではないでしょうか。ここには、押し寄せる群衆も悩み苦しむ人も、敵対するファリサイ律法学者もいません。「激しい嵐」も何のその、全てを神に委ねて居られるイエスさまにとっては、自然の猛威も神の御手の中ですから、何の心配も要らなかったのでしょう。

3.《小さな信仰》 イエスさまは「風と湖とをお叱りに」なったので、怯える弟子たちを叱責なさった訳ではありません。弟子たちの不信仰を批判して居られるのでもありません。「信仰の薄い者たち/オリゴピストイ」は「小さい、少ない/オリゴス」と「信仰/ピスティス」の合成語です。たとえ小さく薄くても、信仰が無い訳ではありません。主は弟子たちに全幅の信頼を置いて安眠して居られたのです。弟子たちも「主よ救い給え」と叫びました。何より、イエスさまと同じ小舟に乗り込んでいるのです。臆病で小心かも知れませんが、これが信仰なのです。主は「小さな信仰」に目を留められるのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 20:55 | 毎週の講壇から

2019年08月25日

夜の効果 Effet de nuit

1.世界三大夜景

一昔前には「百万ドルの夜景」という謳い文句がありました。調べてみると、1953年に、神戸の夜景を眺めた某電力会社の幹部が「六甲山から見た神戸の電灯の電気代」から捻出したキャッチフレーズだそうです。確かに、66年後の今なら「百万ドル」ではなく「1千万ドル」くらいには成るでしょう。

いつ誰が言い始めたのかは知りませんが、「世界三大夜景」は「香港、函館、ナポリ」だそうです。共通するのは海に面した港町であることです。先程の神戸もそうですが、やはり、夜景は暗い海とのコントラストによって映えるようです。「暗い海」と言いましたが、少し違いますね。その暗い海面に夜景が反射するから美しいのです。更には、灯台の光、停泊する船舶の光も寄与しているかも知れません。

数年前に「夜景コンベンションビューロー」と称する日本の一般社団法人が、「夜景サミット2012 in長崎」というイベントを長崎市内で開催したそうです。そこで「世界新三大夜景」に「香港、長崎、モナコ」を選んだらしい。函館はどこに行ったのでしょうか。北海道に住んでいた者としては、函館の凋落ぶりが気になります。「夜景鑑定士3500人のアンケートの結果」だと言いますが、「夜景鑑定士」等という肩書きに驚かされます。

私は九州にも暮らしていたことがあり、それなりに愛着を持っています。しかし、長崎で開催されたイベントで「長崎」が選ばれている等、当初から織り込み済みの企画だったとしか思われません。横浜や神戸の人たちからしたら噴飯物です。かつては「ナポリを見てから死ね/Vedi Napoli,e poi muori」とまで言われたのに、同じ地中海沿岸でも「モナコ」に変わっているのは何故でしょう。今も昔も「香港」がその地位を譲らないことも興味深いことではあります。

2.宵闇の前髪奴

休暇を利用して京都に二泊三日したのですが、夜に成ると真っ暗なのに驚かされました。私は田舎(但馬地方)の生まれ育ちなので、夜の暗さには慣れているつもりでした。しかし、東京都内の暮らしが長くなったせいでしょうか、久しぶりに見た京都の夜の暗さに感動してしまったのです。「夜景」等という華やかなものではありません。ただ暗いのです。街が闇の中に沈んでいるのです。

宿泊先のホテルは五条でした。童謡「牛若丸」に♪「京の五条の橋の上/大のおとこの弁慶は/長い薙刀ふり上げて/牛若めがけて斬りかかる」と歌われている東西の大路です。平安の昔からあるのです。でも、歩いている私たちも闇に包まれているのです。夜に営業しているお店も数少なく、街灯も疎(まば)らです。

薄暗い大路に1軒、煌々と照明の輝くお店があります。24時間スーパー「FRESCO」でした。地元住民から、私たちのような観光客、外国人旅行者までもが、あたかも誘蛾灯に誘(おび)き寄せられたように押し合い圧し合いしています。

そこに幼児を抱いた若夫婦がいたのですが、その幼児の髪形が凄かった。私も実物を見たのは初めてです。その子は江戸時代の「前髪奴(まえがみやっこ)」だったのです。いや、それは正確ではありません。普通「前髪奴」と言えば、額上の前髪だけを残して、他の部分を剃り上げた髪形ですが、もっと凝った髪形でした。前髪のみならず、頭頂部を残す「芥子(けし)」、耳の上を残す「奴(やっこ)」、後頭部を残す「盆の窪」、この4つの組み合わせだったのです。さすがに「金太郎」のような腹掛け(腹当て)までは着けていませんでしたが(浴衣を着ていました)、その存在感に圧倒されました。

大路の暗闇に浮かぶ小さな子どもの髪形で、一瞬にして、江戸時代に吹き飛ばされたような気分に成りました。小さな丁髷(ちょんまげ)を結った子を「とんぼ」と言うのは知っていますが、他にも「あぶ」とか「はち」とかあったようで、一体どんな髪形だったのでしょうか。御存知の方は教えて頂けませんでしょうか。

3.夜の効果は光

京都の24時間スーパーの情景は深夜の話ではありません。午後8時か9時かの話です。東京なら宵の口です。東京に戻ると、夜もまた昼のように明るく照らされている現実を、改めて感じさせられました。何と大量の光を浴びていることでしょう。通りを1本入った住宅街の路地でも、京都の大路より明るいのです。

「ベルギー象徴派/Symbolisme en Belgique」に分類される画家に、ウィリアム・ドゥグーヴ・ド・ヌンク(William Degouve de Nuncques,1867−1935)という人がいます。「夜の天使たち」「運河」「ヴェネチアの中庭」「夜のブリュージュ」等、人足絶えた夜の風景ばかりを描く画家です。私が特に好きなのは「夜の効果」という作品です。薄い青を基調に描かれた夜の田園風景なのですが、所々の民家の窓から明かりが漏れています。窓の光が夜の深さを表わしているのです。

私たちは、過剰なまでの人工の光に照らされる暮らしに慣れて、光の意味や価値を見失ってしまっているのかも知れません。新約聖書では「神は光であり」(「ヨハネの手紙T」1章5節)、神は「光の源である御父」(「ヤコブの手紙」1章17節)と言われています。受肉によって「言/ロゴス」は「世の光」と成られました(「ヨハネによる福音書」8章12節)。キリストは「まことの光」(1章9節)と証されています。パウロの回心が「天からの光」によるものだったこと(「使徒言行録」9章3節)も忘れてはいけません。

「光/フォース」の感覚を取り戻すために、私たちは今一度、「闇/スコトス」を認識する感覚をも研ぎ澄ます必要があるのかも知れません。

牧師 朝日研一朗

【2019年9月の月報より】

posted by 行人坂教会 at 06:00 | ┣会報巻頭言など