行人坂教会 公式サイト ご案内

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牧師ご挨拶・・・・・・・当教会牧師のご紹介で、本人のプロフィールもあります。
牧師の書斎から・・・・・当教会牧師のメッセージ、記事を集めています。
 会報巻頭言など・・・・当教会会報「行人坂」に掲載された牧師のメッセージ集です。
 こんにゃく問答・・・・同じく、会報「行人坂」に掲載された教理問答集です。
教会からのお知らせ・・・各種イベント(イースター、クリスマス諸行事、バザーなど)のご案内です。
毎週の礼拝案内・・・・・毎週の主日礼拝のご案内(概要)があります。
      *最新情報*礼拝終了後は当日の音声録音を聴くことができます
毎週の講壇から・・・・・毎週の主日礼拝での説教の要約をまとめてあります。
教会アルバム・・・・・・当教会で過去開催された行事の写真集です。
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リンク・・・・・・・・・日本キリスト教団他の関連サイトへのリンク集です。

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それでは、どうぞご覧下さい。なお、以下は最近の記事です。


2019年04月15日

子ろばに乗って【マタイ21:1〜11】

聖句「弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにし、ろばと子ろばを引いて来て、その上に服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。」(21:6,7)

1.《ロバは珍獣》 昭和30年代には「ロバのパン屋」の移動販売が一世を風靡しましたが、馬車を牽いていたのはポニーでした。ロバの来日は飛鳥時代に遡りますが、日本で飼育が拡がることはなく、今も珍獣のままです。日本国内のロバは約2百頭です。馬7万頭、山羊2万頭、羊1万7千頭と比べて少な過ぎます。世界中で飼育されているロバが、どうして日本に定着しなかったのでしょう。

2.《ロバは聖獣》 美術の世界では、降誕場面にもエジプトへの逃避の場面にも、傍らにロバの姿が描かれています。聖書的な根拠は「イザヤ書」1章3節です。ロバは、降誕前から、降誕の時にも、降誕後も主と共にいたのです。そして飼い葉桶と十字架は繋がっていて、イエスさまのエルサレム入城に際して再びロバが登場するのです。イエスさまの一行は、エリコからエルサレムまで25キロの距離を歩いて来ましたが、残り1.5キロのベトファゲに来た時、イエスさまがロバを所望されます。入城に際してロバが必要だと思われたのです。

3.《母子のロバ》 メシアはロバに乗ってエルサレムに入るという預言を成就されるためでした。謂わば「メシアの自覚」です。但し、御自分を立派に輝かしく見せよう等という自己演出のためではありません。この時ハッキリと、イエスさまが十字架の死を覚悟されたのではないでしょうか。「マタイによる福音書」では、母ロバと子ロバの2頭が連れて来られるのですが、ギリシア語原文を細かく読むと、どうやら2頭に交互に乗って行かれたようです。「子ロバ」と言っても「4歳以下の雄」という意味です。母子のロバが仲良く奉仕したことに意味があるのかも知れません。この道がゴルゴタに続くことを、弟子たちも群集も知りませんでした。しかし、主の道をロバは知っていたのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 21:53 | 毎週の講壇から

2019年04月14日

朝日牧師の書評

「信徒の友」5月号に朝日牧師が書評を執筆しています。

「信徒の友」5月号
posted by 行人坂教会 at 15:26 | 教会からのお知らせ

2019年04月09日

4月第2主日礼拝(棕梠の主日)

       4月14日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 子ろばに乗って=@音楽       朝日研一朗牧師
聖  書  マタイによる福音書 21章1〜11節(p.39)
讃 美 歌  27、335、490、308、296(4〜6)、26
交読詩編  詩編23編1〜6節(p.29)

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2019年04月08日

その人たちの信仰を見る【マルコ2:1〜12】

聖句「イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、『子よ、あなたの罪は赦される』と言われた。」(2:5)

1.《パラリンピック》 英語の「下半身の麻痺した人/パラブリージア」とオリンピックの合成語です。「手術よりもスポーツ」を合言葉にして、英国の病院の競技会から始まりました。ランナーには伴走者、ボッチャには介助者が付くことで障碍や麻痺を持った人も競技をすることが出来るのです。障碍があっても、精神と魂と肉体の力によって、そこから出発して動くことが出来るのです。

2.《体の麻痺した人》 脳卒中の後遺症による麻痺を、昔の人は「中風、中気」と呼びました。「邪気、悪い風に中(あた)った」のが原因と考えたのです。ここで「中風の人」と訳されているのが「パラリュティコス/身体麻痺の、身体不随の人」です。一昔前は「脳卒中は老人の病気」という固定観念があり、聖書事典には「若年性脊髄炎、もしくは脊柱カリエスによる麻痺であろう」と解説されていました。しかし近年では、若年層の脳梗塞や脳出血も事例が多く、医学の常識も入れ替わりました。病因の追究よりも大切なのは「生きること」です。

3.《精神と魂を救う》 イエスさまは先ず「罪の赦し」を宣言されます。当時の人たちは、病因は本人や家族の罪にあると考えていたからです。肉体を癒される前に、精神と魂を癒されたのです。そんな主の御言葉に神学的思弁を費やす律法学者たちとは対照的に、家の屋根を剥がして天井から吊り下げてまで、患者をイエスの御もとに連れて行こうとする人たちがいます。指一本動かさず、座ったままの律法学者を尻目に、主は「彼らの信仰を見た」と書かれています。私たちは4人の奮闘に目を奪われて、患者本人のことを忘れがちです。しかし、御もとに行くことを望んだのは「体の麻痺した人」本人です。4人はサポーターでした。主が御覧になったのは、その中心にいる患者その人です。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 21:57 | 毎週の講壇から

2019年04月02日

4月第1主日礼拝(レント第5主日礼拝)

       4月 7日(日) 午前10時30分〜11時50分
説  教 その人たちの信仰を見る=@音楽   朝日研一朗牧師
聖  書  マルコによる福音書 2章1〜12節(p.63)
讃 美 歌  27、335、490、417、296(1〜3)、76、26
交読詩編  詩編23編1〜6節(p.29)

・青空カフェ      礼拝後      玄関バルコニー

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2019年04月01日

息の長い生き方をしよう【出エジプト記6:2〜9】

聖句「モーセはそのとおりイスラエルの人々に語ったが、彼らは厳しい重労働のため意欲を失って、モーセの言うことを聞こうとはしなかった。」(6:9)

1.《ブッチャー》 プロレスで悪名を馳せたブッチャーの現役引退セレモニーが行なわれました。「スーダン出身の黒い呪術師」の触れ込みで、アラビア風の衣装で入場、凶器攻撃や毒針エルボーでリングを鮮血に染めたものです。リング名の「アブドーラ」は「アブド/しもべ」+「アッラー」、イスラム教徒の名前の定番です。旧約聖書にも「主のしもべ/アブデー」が何回も出て来ます。

2.《奴隷の労働》 勿論「奴隷」という悪い意味もあります。「厳しい重労働」と訳されているのは「過酷な奴隷状態」です。労働そのものもエジプト人の厭う3K労働をさせられていたのですが、それ以上に、自らの意志や意欲を奪われた奴隷労働の方が残酷なのです。ピラミッド等の巨大建造物建設に駆り出されたという情景は、絵画や映画の作ったフィクションです。しかし、エジプト人の監督に打たれて労働をさせられていたのです。日本の植民者も旧満州国で満人の召使を「躾」と称して叩いたり打ったりして使っていたと聞いています。

3.《神の深呼吸》 モーセはファラオに民の出国を要請しますが、逆ギレしたファラオは更に重い労働を課して「この怠け者が!」と罵ります。モーセは解放の幻、約束の土地の幻も語りますが、民は耳を貸しません。奴隷労働は、働く者たちから魂を半分奪い取ること(シモーヌ・ヴェイユ)なのです。「意欲を失って」は「息が短くなる、魂が削られる」の意味です。モーセは同胞の「息を長く」する必要があったのです。それがエジプトに対する「十の災厄」だったのかも知れません。「しもべ」は「他の誰かのために働く人」のことです。奴隷になることは魂を半分奪われることです。私たちは奴隷にならず、神さまのために仕えて参りましょう。それが魂を取り返す唯一の道なのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 20:54 | 毎週の講壇から

2019年03月31日

死者に永遠の安息を

1.生ける死者

レント(受難節)からイースター(復活日)に掛けての季節、毎年、私は「復活」とは何だろうかと思いを巡らせます。言うまでも無く、キリスト教信者が目標にしている「復活」とは「キリストの復活の命に与(あずか)る」ことです。つまり「主にある復活」「主による復活」です。逆を言うなら「主によらない復活」「主と共には無い復活」という邪道も存在する訳です。凡そ、ホラー小説、ホラー映画の真骨頂は、ここにあります。

ロシアの作家、レオニード・アンドレーフの『ラザルス』は、「ヨハネによる福音書」11章で、キリストによって墓から呼び戻されたラザロが辿る、恐怖の人生を描いた物語です。再生したラザロの体からは死臭が消えず、死の世界を見た目は虚無に満ちています。最初は、歓迎していたベタニア村の住民も、次第に彼を避けるようになり、遂にはマリア、マルタの姉妹からも見捨てられて、各地をさ迷い歩きます。やがて「死者の中から甦った男」という評判を聞き付けたローマ皇帝に召喚されますが、正面から彼の目に見入ってしまった皇帝は恐怖の余り、ラザロの両眼を抉り出して放逐するのです。

物語の幕切れ、沈み行く夕陽を追うようにして、両の手を前に伸ばして、盲目のラザロが荒野を歩いて行く姿は、そのまま「ゾンビ」「生ける死者」です。『ラザルス』(1918年)が「世界最初のゾンビ小説」と呼ばれる所以です。

この小説の中では、ラザルス(ラザロ)は不信者(キリストを信じない者)として描かれています。キリストによって復活させられたにも拘わらず、彼自身は信仰の無い者だったが故に「主によらない復活」だったのです。即ち「生ける死者」と成った訳です。

2.恐怖の復活

「モダンホラー」における同趣旨の作品として、すぐに思い出されるのが、スティーヴン・キングの『ペット・セマタリー』(1983年)です。田舎町に引っ越して来た若い医師の家族が主人公です。ルイスとレイチェルの若夫婦に、幼い娘アイリーン、生まれたばかりの息子ゲージの幸せな4人家族です。

けれども、ある日、可愛がっていた猫が交通事故で死んでしまいます。幼い娘に猫の死を伝えられないルイスは、隣人のジャドに勧められるまま、裏山の「ペット霊園」に埋葬します。すると、翌朝、死んだはずの愛猫が帰って来たのです。但し、猫は腐臭を発してヒョコヒョコ歩く、別の凶暴な「何か」に変わり果てていました。呪いの力を借りて、人間が死者を復活させようとすると、恐ろしい事が起こるのです。

この話が本当に恐ろしくなるのは、この後です。今度は息子のゲージがタンクローリーに轢かれて死んでしまうのです。ルイスはジャドの制止を振り切って、息子の死体を抱きかかえて裏山に向かうのですが…。この後の展開はご想像にお任せします。

キングの小説がホラーなのは、愛猫や愛児が化け物に成って襲い掛かって来るからではありません(それも結構、怖いけど…)。それ以上に、愛する子どもを亡くしてしまう事があり得るという、世界の現実に対する恐怖です。こんなに恐ろしい事は他に無いのです。愛するが故の恐怖です。深く愛するが故に、その人の命が突然に奪われる事は、耐え難い恐怖なのです。だから、本当の恐怖は悲しみに彩られているのです。

ウィリアム・ワイマーク・ジェイコブスの短編『猿の手』(1902年)は、持ち主の願いを3つ叶えてくれるという「猿の手」のミイラが巻き起こす恐怖を描いています。老夫妻が「死んだ息子を生き返らせてくれ!」と「猿の手」に願ったために、深夜、死んだ息子が帰って来るのです。激しく玄関のドアをノックする音、半狂乱に成って息子を出迎えに走る妻…。小学生の時に読んだのですが、思い出すだけで、今も身の毛が弥立ちます。「猿の手」の教訓は「定められた運命を無理に変えようとすれば災いが伴う」という事です。

ホラー小説の古典、メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』(1818年)においても「人間の手による復活」が描かれます。医学生、ヴィクター・フランケンシュタインが死体を繋ぎ合わせて蘇生実験を繰り返した挙句、「怪物」を生み出してしまうのは、母の病死が契機です。「神の摂理に反する科学による創造」として語られる事が多いのですが、死体が材料に成っている事を考えると、むしろ「主によらない復活」がテーマでは無いでしょうか。

このように、キリストによらぬ復活の試みは悉(ことごと)く失敗するのです。人間の科学や呪術の力による復活は、神の御業の醜悪極まりないパロディに成り果ているのです。

3.アドベント

今のところ、私たちが死者に対して出来る事は、神に祈る事だけです。日本では「レクイエム」が「鎮魂歌」と訳される場合がありますが、その訳語は正しくありません。「レクイエム」とは「死者のためのミサ曲/Missa pro defunctis」の入祭唱の最初の言葉「Requiem aeternam dona eis,Donine:/主よ、永遠の安息を彼らにお与えください」「et lux perpetua luceat eis./そして永久の光が彼らを照らしますように」から来ています。荒ぶる「魂を鎮める」のではなく「永遠の平安、休息」を願っているのです。

レクイエムの最後は「楽園歌」です。これは出棺の際に歌われました。「楽園へ/天使たちがあなたを導いてくださいますように/…天使の合唱隊はあなたを迎え/かつて貧しかったラザロと共に/永遠の平安を得る事が出来ますように」。

愛する者の死は、私たちにとって大きな悲しみです。しかし、私たちが求めるのは「主による復活」である事を忘れてはなりません。その時が来るまでは、今は亡き愛する人の「安息」をこそ祈るべきです。私たちも静かに信頼して、イエスさまの「再臨/Adventus」の時を待ちましょう。「復活」を待ち望む事もまた「アドベント」なのです。

牧師 朝日研一朗

【2019年4月の月報より】

posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2019年03月26日

3月第5主日礼拝(レント第4主日礼拝)

       3月31日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 息の長い生き方をしよう=@音楽   朝日研一朗牧師
聖  書  出エジプト記 6章2〜9節(p.101)
讃 美 歌  27、23、490、527、310、25
交読詩編  詩編24編1〜10節(p.29)

・定期教会総会     正午〜午後3時      階下ホール

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posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2019年03月25日

罪は戸口で待ち伏せる【創世記4:1〜16】

聖句「正しくないなら、罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない。」(4:7)

1.《町田樹選手》 2014年のフィギュアスケート世界選手権で、町田選手は「エデンの東」の演技で自己最高得点を弾き出しました。大会終了後の記者会見で、彼は「ティムシェル/汝、治むる事を能ふ」を「自分の運命は自分で切り拓く」と解釈したと言って話題になりました。「ティムシェル」はヘブライ語で、スタインベックの原作『エデンの東』のキーワードです。

2.《エデンの東》 前半はアダム・トラスクの「受難物語」です。出生直後に母を亡くし、暴君の父や気性の荒い異母弟に振り回され、キャシーとの結婚も破局を迎えます。彼女は美人で聡明ですが、その魂は歪んでいて、アダムの弟を誘惑して双子を出産、しかも、その子たちを捨てて出奔するのです。そんな中、アダムは親友サミュエル、中国人の使用人リーと共に聖書の学びを続け、「カインとアベル」の物語から人間の原罪について考えます。リーは、人間には罪を治めることが出来る、選びの可能性が与えられていると教えるのでした。

3.《戸口に罪が》 ジェームズ・ディーン主演の映画『エデンの東』は、その後日譚です。成長したアダムの息子たちの確執が「カインとアベル」の物語を下敷きにして描かれるのです。愛されない者が抱く怒りが復讐心を呼び、その復讐心が罪をもたらすのです。「創世記」4章には、神がカインの献げ物を選ばれなかった理由は明記されていません。私たちの人生も、そのような謎に満ちているのです。聖書は私たちに謎を提示するのであって、答えを与えてくれるのではありません。むしろ、謎に直面した時、そこに岐路が生まれるのです。神、人、世の中を恨んで生きるのか、それとも出来る限り前向きに生きようとするのか…。私たちを罪の呪縛から解き放つのが、イエスさまの十字架です。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 20:45 | 毎週の講壇から

2019年03月20日

CSわいわいタイムの作品

2月の日曜日朝、教会に集まって来た子どもたちと雪を作りました。 (粉に水を混ぜ雪を作る実験玩具です)

雪だるまフィギアに目と口を書き、瓶に詰めてちょっとした雪の世界。

雪だるま
posted by 行人坂教会 at 10:16 | 毎週の礼拝案内