行人坂教会 公式サイト ご案内

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      *最新情報*礼拝終了後は当日の音声録音を聴くことができます
毎週の講壇から・・・・・毎週の主日礼拝での説教の要約をまとめてあります。
教会アルバム・・・・・・当教会で過去開催された行事の写真集です。
オリジナル賛美歌など・・当教会の会員有志が作成したオリジナル賛美歌をご紹介します。
リンク・・・・・・・・・日本キリスト教団他の関連サイトへのリンク集です。

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それでは、どうぞご覧下さい。なお、以下は最近の記事です。


2016年09月27日

10月第1主日礼拝 

      10月 2日(日) 午前10時30分〜11時50分
説  教 天使のパン=@          朝日研一朗牧師
聖  書  詩編 78編23〜29節(p.914)
賛 美 歌  27、123、490、376、467、77、89
交読詩篇   詩編130編1〜8節(p.149)

posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2016年09月26日

【アドリア海で朝食を】使徒言行録 27:27〜38

聖句「…パウロは、一同の前でパンを取って神に感謝の祈りをささげてから、それを裂いて食べ始めた。そこで、一同も元気づいて食事をした。」(27:35,36)

1.《最後の航海》 パウロは十二使徒以外で唯一「使徒」と呼ばれる人物ですが、それは彼が「異邦人の使徒」と成ったからです。国外の異邦人にキリストの教えを伝え、3回の伝道旅行で移動した距離は8千数百キロに及びます。その後、ユダヤ教徒からの告訴を受けたパウロは、皇帝に上訴してローマに移送されることになりました。その行程表が詳しく記述してあります。

2.《アドリア海》 9月末の地中海は荒れるので、古代人は航海を中止したものです。しかし、パウロの乗せられた船は、船主や船長、ローマ軍との利害が絡んでいたのか、無理な出航をした挙句に漂流してしまいます。クレタ島を出た後、暴風に遭い、リビア沖に流され、更に14日目にはアドリア海に流されていたということです。アドリア海は『紅の豚』の舞台ですが、その直後にマルタ島に漂着するところを見ると、どうやら当時はイオニア海も含めて「アドリア海」と言っていたようです。乗客の安全を無視した危険な航海、乗客を置き去りにして逃げ出す船員の描写など、現代の海難事故を髣髴とさせます。

3.《元気を出す》 不安と船酔いのため2週間も何も食べていなかった乗客乗員に向かって、パウロは「朝の食事をしましょう」と促します。カポーティの『ティファニーで朝食を』のホリーは「たとえティファニーで朝御飯を食べる金持ちに成ったとしても、私は私のままでいたい」と自らの生活信条を語りました。朝食には、私たちの生活信条、自身の生き方、家庭の在り方(崩れ方)がどうしようもなく表われてしまいます。遭難者たちが共に朝食を食べる場面は「聖餐」と重ねられています。彼らは「元気づく」のです。今日も神さまから頂いた1日、賜った命です。神の御守りを信じて祈りましょう。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 18:48 | 毎週の講壇から

2016年09月25日

第2回麺@ワーク

今年度2回目の麺@ワークをしました。今回の麺はうどんでした。温かいうどんに好きな具をのせていただきました。

20160925麺@ワークでうどんを盛り付ける

20160925麺@ワークでうどんを食べる

その後、庭の草抜きをしました。高い屋根に登って電球の交換をしたかたもいます。

20160925麺@ワークで草抜き
posted by 行人坂教会 at 20:45 | 教会アルバム

雨のあとは上天気

1.ロングレイン

先日、テレビの天気予報を見ていたら、アナウンサーが「梅雨前線は…」と口走ってしまいました。咄嗟に私は「それを言うなら、秋雨前線でしょう」と、テレビに向かって反論しましたが、当然、向こうは聞いてくれていない訳で、そのまま天気予報のコーナーは終了しました。しかも、この失言にスタジオでは誰も気付かず、視聴者からの反応も無かったようで、訂正されることはありませんでした。

その後、雨音を聞く度に、私は「そうかあ、梅雨前線なんだ」と独りごちています。そう言われたら、そんな気がして来るのでした。事実、今年の秋は梅雨と見紛うばかりに雨の日が続いているのでした。この文章を書いている今は、所謂「シルバーウィーク」ですが、週日ズッと「雨のち曇り」「曇りのち雨」という予報です。

残念ながら、湿気嫌いな私にとって「雨音はショパンの調べ」ではありません。ただ鬱陶しいだけです。そんな雨音を聞きながら塞ぎ込んでいると、昔読んだレイ・ブラッドベリの短編に「長雨」(Long Rain)という恐ろしい小説があったことを思い出しました。彼の短編集『ウは宇宙船のウ』(R Is for Rocket)の中の一編です。

2.雨降りやまず

宇宙船が不時着した惑星はジャングルに覆われていて、引っ切り無しに雨が降り続いています。生き残った4人の宇宙飛行士たちは、植民者の作った「太陽ドーム」(人工太陽が設置されている)を目指して、ジャングルの中を歩き続けているのです。疲労と雨のせいで、彼らの顔は真っ白になり、制服はカビが生えて緑かがっています。

「太陽ドーム」に着いたかと思えば、それは自分たちの宇宙船でした。ジャングルの中を歩き回った挙句、戻って来てしまったのです。死んだ乗組員の口からはキノコが生えて、胞子を飛ばしています。食糧も尽き掛けています。漸く辿り着いた「太陽ドーム」は異星人の攻撃を受けて廃墟と化していました。やがて「電気嵐」に襲われて1人が焼死、絶望の余り乱心した1人が立ったまま(!)溺死、1人がピストル自殺します。

実は、1962年に出版された短編なので、舞台は「金星」という設定に成っているのです。現代の天文学からすれば、金星が「雨の降り止んだことのない」惑星だなんて、全くのデタラメです。その後、二酸化硫黄の雲から硫酸の雨が降っている惑星として、金星を描くSFも随分とありましたが、その硫酸の雨でさえも地上には届いていないことが、現代では明らかに成っています。実際の金星は二酸化炭素の濃度が異常に高く、その温室効果のため、地表の温度は4〜5百度もあるそうです。

そう考えると、ブラッドベリの「雨の降り止んだことのない」惑星という設定は、SF的奇想であり、怖いながらも、どこかしらロマンチックな趣きすら感じさせるのです。そう言えば、瀬川瑛子の演歌にも「雨降りやまず」というのがありました。渡哲也にも同名別曲がありました。

「金星では雨の降りやんだことなんてありませんよ。ただもう、いつまでもいつまでも降り続いているんです。金星にきて10年になりますが、1分、いや1秒でも、雨がざあざあ降っていないのを見たことがありませんね」(大西尹明訳、創元推理文庫)

3.俄かでない雨

聖書の舞台、パレスチナ地方では「雨は冬」と相場が決まっています。地中海式気候のパレスチナの1年は、夏の「乾季」と冬の「雨季」とに分かれています。乾季には一滴の雨も降りません。雨季は11月初めから3月までだそうで、湿った西風が雨を運んで来るそうです。しかも、雨季の降雨だけが大地を潤してくれる水分ですから、農民にとっては、それこそ「天の恵み」であって、これが少ないようだと旱魃と成って、飢饉の原因にも成り兼ねません。ですから、秋の収穫祭である「仮庵祭」(秋分の日に近い満月から1週間行なわれる)の最終日には、雨乞いの祈りが厳かに奉げられたそうです。

雨季の雨も3つに分類されています。

「申命記」11章13〜14節「もし私が今日あなたたちに命じる戒めに、あなたたちがひたすら聞き従い、あなたたちの神、主を愛し、心を尽くし、魂を尽くして仕えるならば、私は、その季節季節に、あなたたちの土地に、秋の雨と春の雨を降らせる。あなたには穀物、新しい葡萄酒、オリーブ油の収穫がある」。

本来、聖書の世界には「春秋」という季節の観念は存在しません。「秋の雨」と意訳されているのが「イオーレー/前の雨」、10月末から11月に掛けて、乾季の終了と共に降り始め、土地を潤して耕作可能な土地に戻してくれる雨です。「春の雨」と意訳されているのが「マレコーシュ/後の雨」、3〜4月に降り、夏の作物を成長させて、穀物を実らせるので「祝福の雨」とされています。

この2つの間に「冬の雨」があります。「私たちは主を知ろう/切に主を知ることを求めよう/主は明日の光のように必ず現われ出で/冬の雨のように、私たちに臨み/春の雨のように地を潤される」(日本聖書協会訳)。「冬の雨」は、12月中旬から2月末に降る長雨です。大量に降ることで井戸や水槽の水が満たされるのです。地元住民は雨樋を設置して、この雨水を水槽に貯えて置くそうです。

この「冬の雨/ゲシェム」は、ただ単に「雨」という意味なのです。俄かでは無い、本降りの「雨」を言うのです。「新共同訳」では「降り注ぐ雨のように」と訳していますが、これが直訳の感覚に近いかも知れません。「ゲシェム・ショーテープ/続けざまの雨」と言えば「豪雨」、「ヤーラド・ゲシェム」と言えば「雨が降る」と成ります。

牧師 朝日研一朗

【2016年10月の月報より】

posted by 行人坂教会 at 06:00 | ┣会報巻頭言など

2016年09月20日

9月第4主日礼拝

       9月25日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 アドリア海で朝食を=@音楽     朝日研一朗牧師
聖  書  使徒言行録 27章27〜38節(p.269)
賛 美 歌  27、116、490、447、425、89
交読詩篇  詩編23編1〜6節(p.29)

・讃美歌練習(10月の月歌:123番)   礼拝後      礼拝堂
・麺@ワーク(第2回)     昼食後〜午後2時  階下ホール集合
 お昼ご飯を頂いて、手分けして庭の草抜き、階段壁のペンキ塗りをします。

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2016年09月19日

【異教徒の間に生きる】Tペトロ2:11〜17

聖句「異教徒の間で立派に生活しなさい。そうすれば、彼らはあなたがたを悪人呼ばわりしてはいても、…訪れの日に神をあがめるようになります。」(2:12)

1.《カルトの子》 村上春樹の小説『1Q84』には、カルト教団の中で成長したヒロインたちが登場します。「エホバの証人」や「ヤマギシ会」がモデルに成っています。親が入信することで、その子たちも否応無くカルトの世界に引き込まれ、少なからぬ影響を受けてしまうのです。長じてからも、そのトラウマに苦しめられている人たちが大勢いるのです。

2.《コミューン》 元来「カルト」とは「祭儀」で、悪い意味はありませんが、現在では、当人の人格や家庭、社会生活を破壊する団体の意味で使われています。同じく「コミューン」も「共同」の意味で、カトリックの「教区」を基にした地方自治の最小単位だったのです。やがて、社会主義者たちの集団農場を指して用いられ、現在では、カルト信者が社会から隔絶して、自分たちだけの「楽園」を形成する場合に使われます。プロテスタント教会の中にも、多少「コミューン」的要素は残っていますが、むしろ、聖書は信者の社会生活を優先して「異邦人の間で立派に生活しなさい」と勧めています。

3.《異教徒の間》 これまで「異邦人」という訳語を「異教徒」と変えたことは、日本社会に暮らす私たちにとって大きな意味があります。家族の中ですら「異教徒の間」にあるのです。当時の信徒は「悪者呼ばわり」されて、偏見や中傷を受けていましたが、だからこそ「立派な(美しく魅力的な)行ない」を見て貰いなさいと言うのです。しかも「周囲の見る目が変わる」等と安請け合いはしません。たとえ異教徒であっても、全ての人を敬っているので、他者を変えることは、神さまにお委ねしているのです。私たちは、社会や家庭を投げ出したりしないで、「異教徒と共に生きる」信仰の闘いを続けて参りましょう。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 18:49 | 毎週の礼拝案内

2016年09月16日

2016年09月13日

9月第3主日礼拝

       9月18日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 異教徒の間に生きる音楽      朝日研一朗牧師
聖  書  ペトロの手紙T 2章11〜17節(p.430)
賛 美 歌  27、116、490、393、55、89
交読詩篇  詩編23編1〜6節(p.29)

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2016年09月12日

【この世に打ち勝つ】Tヨハネ5:1〜5

聖句「神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。」(5:4)

1.《運動靴会社》 オリンピックやワールドカップは、スポーツシューズのブランドにとっても、絶好のPRチャンスです。映画『炎のランナー』で知られるエイブラハムズとリデルが、パリ五輪で使用したのはリーボックでした。近年、著しく知名度を上げたのがナイキです。元々はオニツカタイガーの米国販売代理店だったのですが、今や世界的なブランドを確立しました。

2.《勝利の女神》 ナイキはギリシア神話のニーケーです。スポーツ中継などで「勝利の女神が微笑んだ」と言われるのはニーケーのことです。ゼウスやアテナの命に従って、一方に肩入れして、勝利をもたらすのですが、神々が決め兼ねる時には、中空を飛びながら様子を伺っていると言います。ローマ神話ではウィクトーリア、ラテン語の「勝利」です。同じくニーケーもギリシア語の「勝利」です。「初めに言葉があった」のです。「勝利」の語が擬人化されて、美女の姿で描かれるようになったのです。4〜5節には、ニーケーが4回も登場します。「世に打ち勝つ勝利」等は同語反復の典型です。

《打ち勝つ愛》 私たちが生きている社会は競争原理が支配しています。競争が向上を促す場合もありますが、凡そ道を外れた競争も多いのです。国威発揚合戦や軍拡競争など愚の骨頂です。省みれば、私たち自身も下らないことを自慢し合っています。教会までが競い合っているのです。「世に打ち勝つ」のではなくて「世に順応して成功する」ことを求めているのです。「神の掟」、聖書の「言い付け」は「あなたがたは競い合うのではなく、愛し合いなさい」です。「イエスこそ我が救い」と告白した者は、辱め合ったり貶め合ったりするのではなく、神を愛し、人を愛するのです。それが「世に打ち勝つ勝利」です。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 18:48 | 毎週の講壇から

2016年09月08日

一点一画 one jot or one title(続き)その33

  • 「ゴールデンカムイ」第4〜8巻(野田サトル作、集英社)
    やはり、昔のアメリカ西部劇『悪の花園』『マッケンナの黄金』辺りが発想の原点かも知 れません。殺伐とした画調と陰惨な物語ながら、アシリパさんとの交流、厳しくも豊か な北海道の自然に身を置く中で、日露戦争の帰還兵が人間性を回復して行くプロセスこ そが、この作品の真骨頂と思っていました。ところが、売れた作品の常とは言え、物語 に絡むキャラが急増、その上、サブキャラをメインに据えたスピンオフ的挿話も加えて、 破綻ギリギリです。笑顔の快楽殺人犯、女装趣味の拷問人、同性愛のヤクザ、人皮を扱 うサイコ剥製屋など、脇のキャラをビザール仕立てにしたのもヤリ過ぎの感あり。6巻 の茨戸(札幌に10年住んでいた私には懐かしい!)における土方歳三・永倉新八コン ビの大立ち回り(黒澤の『用心棒』、ハメットの『血の収穫』)では、画が極端に乱雑に 成っていて、思わず「もう読むの止めようかな」という気分でした。しかし、8巻に、 元マタギ谷垣の「カネ餅」のエピソードがあり、文字通り「モチ直し」ました。
  • 「襲撃者の夜」(ジャック・ケッチャム著、金子浩訳、扶桑社ミステリー文庫)
    何年か前、父の日に長男がプレゼントしてくれたケッチャムの「食人族シリーズ」。前作 『オフシーズン』に辟易して放置してあったのですが、狩猟と料理法が描かれた『ゴー ルデンカムイ』を読んだせいでしょう、つい手に取って、一気に読んでしまいました。 さすがに前作ほどの衝撃はありません。但し、食人一家が缶詰の蓋で作ったらしい金属 の「入れ歯」を装着して、カチカチやりながら、ヒロインのクレアに迫って来る辺り、 彼女の内腿の肉を食いちぎる辺りの描写は堪らないものがあります。『バーバレラ』の噛 み付き機械人形のハード版みたい。クレアは父親の影響で、60〜70年代のニューシネマ のファンなのです。しかも、黒澤明の言葉「芸術家であるということは、目をそむけな いことなんだ」(恐らく、自伝『蝦蟇の油』に出て来る黒澤のドストエフスキー評でしょ う)を思い出して、そこから反撃に打って出るのです。ケッチャム自身の映画の趣味が 反映されているのでしょうが、私たちには、ニューシネマと黒澤は結び付きませんから、 アメリカの映画ファンならではの現象でしょう。
  • 「ゴールデンカムイ」第1〜3巻(野田サトル作、集英社)
    ある日、長男が第1巻をポンッと渡して、「お父さん、続き買ってよ」と言うのです。映 画『二百三高地』、和月伸宏の『るろうに剣心』、安彦良和の『王道の狗』等も思い出し ましたが、何と言っても、このマンガの魅力は、主人公の「不死身の杉元」とコンビを 組むアイヌの少女アシリパさんでしょう。彼女の口と技を通して、アイヌの狩猟、サバ イバル術、食生活、暮らしと信仰、自然観と人間観が語られると、少しもイヤミではな いのです。作者は萱野茂や更科源蔵その他、アイヌ関係の資料をよく咀嚼しています。 「手塚治虫文化賞マンガ大賞受賞」の帯を見て、手塚がアイヌとシサム(和人)の戦い を描いた『シュマリ』を思い出さない訳には参りません。随分叩かれましたからね。そ れを思うと今昔の感があります。
  • 「死の鳥」(ハーラン・エリスン著、伊藤典夫訳、ハヤカワ文庫)
    『世界の中心で愛を叫んだけもの』で有名なエリスンのアンソロジーというので、期待 して読みました。ただ、残念ながら、表題作と「ランゲルハンス島沖を漂流中」は長っ たらしいばかりで、少しも面白くありませんでした。反抗的ユダヤ作家らしく、ユダヤ・ キリスト教的物語に敢えて背を向けて、オルタナ、カウンターカルチャーを決め込んで いるのですが、力み過ぎて、読者(特に異教世界に暮らす私たち)にとっては退屈なだ けです。それに比べると、「おれには口がない、それでもおれは叫ぶ」は「世界の中心」 を思い出させる暴力的筆致が痛快です。ラスヴェガスが舞台の「プリティ・マギー・マネ ーアイズ」、ニューヨークが舞台の「鞭打たれた犬たちのうめき」「ソフト・モンキー」は 切れ味鋭いナイフの閃光です。残忍で酷薄でありながらも、作中何度か挙げられる40 年代のアメリカ犯罪映画の残り香みたいな品の良さもあります。私としては「ジェフテ ィは五つ」をお薦めします。5歳で成長が止まっている坊やの話と言えば、ギュンター・ グラスの『ブリキの太鼓』みたいな寓話かと思われるでしょう。でも、ここにあるのは 「歴史」についての考察ではなく、「時間」についての批評です。現在というものは、過 去の存在に対して凶暴に襲い掛かって来るのです。とても哀切な短編です。
  • 「ピンク映画史/欲望のむきだし」(二階堂卓也著、彩流社)
    著者は『マカロニアクション大全』『剣とサンダルの挽歌』等において、イタリアB級C 級映画の勃興と凋落を年代記風に綴っていました。それは彼自身の青春と重ね合わされ て、見事な挽歌、鎮魂歌となっていました。本書においても同じです。映画作品を論ず るに、「品格」だの「作家性」「芸術性」だのといった、立派そうに見えて、その実は怪 しげな観念は一切持ち出さず、徹底して「楽しめたかどうか」で語っていく姿勢に、改 めて感服しました。従って、ここでは向井寛、小森白、関孝二、小川欽也、木俣堯喬、 渡辺護などについて多くが語られています。私が青年時代に観ていた若松孝二、中村幻 児、高橋伴明、和泉聖治などの作家性の強い人たちの諸作は「ピンク」の本流として扱 われてはいません。それにしても、信じ難い低予算と短い製作日数で多作を強いられた スタッフとキャストの映画愛には頭が下がります。しかも、どんなに頑張ってみても、 真っ当に評価されることのない、まさに「名誉と栄光のためでなく」「殉教」とも言うべ き世界です。
  • 「バイエルの謎/日本文化になったピアノ教則本」(安田寛著、新潮文庫)
    もう20年以上前だと思いますが、牧師仲間が興奮した口調で一読を勧めてくれたのが、 この著者の『唱歌と十字架/明治音楽事始め』でした。うちの教会のKさんは音楽CD 制作会社に勤めていて、昨年、安田氏の講演会を開いておられました。日本人の音楽教 育の基礎となった「バイエル」とは何者かと、探索と思索の旅を続けるプロセス、そし て辿り着く結論は『唱歌と十字架』に似ています。著者はグーグル検索エンジンの凄さ を前にして「研究者の旅は終わった」と溜め息をつきつつも、以下のように叫ばざるを 得ないのです。「大切なのはこの長い時間に満たされた『遠方』である。クリックではす べてが近すぎる。時間による成熟が期待できない。空間を超える異郷感が得られない。 人間は時間的にも空間的にも遠くにあるものに惹かれる。そこに想いが生まれる」。星野 道夫の『旅する木』に出て来るシェルパの言葉を思い出します。
posted by 行人坂教会 at 11:56 | 牧師の書斎から