行人坂教会 公式サイト ご案内

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行人坂教会について・・・当教会の歴史・沿革についてご紹介します。
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 教会へのアクセス・・・当教会への交通、付近の地図、連絡先です。
牧師ご挨拶・・・・・・・当教会牧師のご紹介で、本人のプロフィールもあります。
牧師の書斎から・・・・・当教会牧師のメッセージ、記事を集めています。
 会報巻頭言など・・・・当教会会報「行人坂」に掲載された牧師のメッセージ集です。
 こんにゃく問答・・・・同じく、会報「行人坂」に掲載された教理問答集です。
教会からのお知らせ・・・各種イベント(イースター、クリスマス諸行事、バザーなど)のご案内です。
毎週の礼拝案内・・・・・毎週の主日礼拝のご案内(概要)があります。
      *最新情報*礼拝終了後は当日の音声録音を聴くことができます
毎週の講壇から・・・・・毎週の主日礼拝での説教の要約をまとめてあります。
教会アルバム・・・・・・当教会で過去開催された行事の写真集です。
オリジナル賛美歌など・・当教会の会員有志が作成したオリジナル賛美歌をご紹介します。
リンク・・・・・・・・・日本キリスト教団他の関連サイトへのリンク集です。

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それでは、どうぞご覧下さい。なお、以下は最近の記事です。


2019年01月15日

1月第3主日礼拝

       1月20日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 どうぞこのまま=@        朝日研一朗牧師
聖  書  マタイによる福音書 3章13〜17節(p.4)
讃 美 歌  27、366、490、67、277、89
交読詩編  詩編100編1〜5節(p.113)

posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2019年01月14日

終末のドレスコード【マタイ22:1〜14】

聖句「婚礼の礼服を着ていない者が一人いた。王は、『友よ、どうして礼服を着ないでここに入って来たのか』と言った。」(22:11,12)

1.《晴れ着の礼拝》 英米には「サンデーベスト」という語があります。日曜日に自分なりの最上の装いをして礼拝に行くのです。毎日が「晴れ着状態」の貴族や金持ちは論外。週日は労働に汗を流している人たちならではの習慣です。宗教改革後の教会が「市民の教会」へと大きく舵を切った結果です。米国移民にとっては、民族や教派のアイデンティティを表現することでもあったのです。

2.《普段着の礼拝》 現代の教会は、むしろ週日と同じ「カジュアル派」です。牧師も特別な儀式にしかガウンを着用しません。ジュネーヴ・ガウンは、その名の通り、カトリックの神父の黒服キャソックに対抗して、長老派が作ったものです。聖公会やメソジスト、ルーテル等はキャソックの詰襟の部分だけを使うことで、牧師であることを示しています。私の友人は、牧師も信徒の1人でありたい、礼拝も日常生活と地続きでありたいと考えて「普段着の礼拝」を続けています。彼自身が鬱病を発症して、指導者のポーズに疲れ果てたというのが発端でした。

3.《婚礼服の着用》 婚宴に招かれていながら出席を拒否して、王を王とも思わぬ乱暴狼藉の故に滅ぼされる客は、旧約の民を表わします。次に、王は家来に命じて大通りから「悪人でも善人でも」婚宴に連れて来させるのです。これは新約の民である教会を意味します。人間的な価値基準や判断材料ではないのです。教会もまた、終末に裁かれなくてはなりません。「礼服/婚礼の服」は、招待客の全員に入り口で手渡される法被のような上着です。無条件の恵みです。イエスさまの御蔭で、私も神の子とされているとの信仰です。これを自分から脱いだり、軽んじたりしない限り、神は私たちを見捨てられません。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 20:54 | 毎週の講壇から

2019年01月08日

1月第2主日礼拝

       1月13日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 終末のドレスコード=@音楽     朝日研一朗牧師
聖  書  マタイによる福音書 22章1〜14節(p.42)
讃 美 歌  27、366、490、576、75、89
交読詩編  詩編100編1〜5節(p.113)

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2019年01月07日

神さまの宝物【申命記7:6〜8】

聖句「あなたの神、主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び、御自分の宝の民とされた。…ただ、あなたに対する主の愛のゆえに…」(7:6,8)

1.《七福神と宝船》 新年の寺も「七福神」詣でに参る人で賑わいます。しかし本来は、除夜に際して、船の絵を床に敷いて眠り、翌朝、川に流して穢れを祓う儀式でした。「宝船」に乗った「七福神」は、私たちの願う「幸福」が「宝」(個人的な富の集約、経済的成功)であるという告白です。誰でも自らの幸福を追求する権利がありますが、もう少し社会全体の幸せを願うべきです。

2.《主なる神の宝》 他の翻訳聖書が「選ばれた民」と訳している中、日本語訳聖書は、伝統的に「宝の民」という直訳的表現を大切にして来ました。何を「宝」とするか、聖書の「価値観」の表明として重視しているのです。神さまが「所有」なさったことによる「付加価値」なのです。パウロの「コリントの信徒への手紙T」1章の召命観(選びの不思議)にも通じますが、「申命記」には「主の愛の故に」と強調されています。「宝」とは「愛」のことなのです。イエスさまも「あなたの宝のある所に、あなたの心もある」と仰っています。

3.《宝を守る闘い》 ドイツの中西部にビーレフェルトという町があり、その中心に、障碍の有無に関わりなく、何の隔てもなく、人々が共生する「ベーテル」という共同体があります。19世紀後半に、ボーデルシュヴィンクという牧師が呼び掛けて始まり、百年以上を掛けて街創りをしています。ナチスの障碍者抹殺部隊が来た時にも、街の人たちが「ここにいる人たちは、私たちの宝です。神の宝です」と、身を挺して守り切ったのです。神と格闘して障碍者に成ったヤコブは「イスラエル/神と闘う」の名前を授かりました。「宝」を守るために、真の宝が何であるか証しするために、神は闘い給うのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 19:52 | 毎週の講壇から

旭日亭菜単(続き)その49

  • 「黒いアリバイ」(ウィリアム・アイリッシュ著、稲葉明雄訳、創元推理文庫)
    この小説には、7人の魅力的な女性が登場します。流れて来た南米で一躍スター女優に成ったキキ、夜更けに母親から雑貨屋にお遣いに行かされる少女テレサ、霊園で恋人と逢引きしようとして果たせない令嬢コンチータ、酒場でコンパニオン紛いで稼いでいる「夜の姫君」クロクロ、米国の農機具販売会社の秘書で、久しぶりの休暇で羽根を伸ばしているサリイ、そして親友の仇を討つために捜査に協力するマージョリイ。どの女性も生き生きと描かれていて、その都度、読者は彼女たちに寄り添いながら読み進む(夜の道を歩き進む)ことになります。アイリッシュが老母と二人暮らしで、終生、女性と無縁だったとはビックリです。いや、生々しい女性関係が無かったからこそ、私たち(男性読者)の共感できるヒロインたちを産み出すことが出来たのかも知れません。
  • 「北欧神話物語」(キーヴン・クロスリイ=ホランド著、山室静・米原まり子訳、青土社)
    アニメ『進撃の巨人』が大好きな二男に「霧の巨人ユミル」による天地創造の場面を読んで聞かせたら興奮していました。オーディンら「アース神族」が「岩の巨人」に、アースガルドの城壁を建築させる物語も『進撃』を思い出させます。勿論、マーベルの『マイティ・ソー』でお馴染み、雷神トールや変身の神ロキも登場します。彼ら「アース神族」と相容れぬ関係にあるのが巨人族、小人族ですが、単なる敵対関係と言い切れる程に単純ではありません。巨人と知恵を競い合ったり、騙まし討ちにしたり、小人に宝飾品を作らせた挙句に奪い取ったりと、「アース神族」も思い付きや一時の欲望のままに行動し、自らの激情や憤怒を制御できません。無敵なはずのトールがウトガルドの巨人王から散々に侮辱される物語(ウトガルドへのトールの遠征)、ロキが小人のアンドヴァリから、黄金の山と指輪(「ニーベルングの指輪」の原点!)を奪い取り、呪いと共に巨人族に渡す物語(オッタルの賠償金)等、とても興味深い。それにしても、千年以上も昔に、どうしてロキのような屈折したキャラクターが生まれたのか不思議で成りません。
  • 「みんな彗星を見ていた/私的キリシタン探訪記」(星野博美著、文春文庫)
    国際都市香港で過ごした学生時代、自分の先祖のルーツを遡る紀行本など、著者の過去と生活の中にある「生の実感」みたいなものが、執筆の大きな動機に成っています。だから、彼女にとって「キリシタン」の時代に思いを向けることは、先ずリュートの演奏を学ぶことだったりします。島原半島を訪ねて、疲れ果ててしまう辺りの描写などは、こっちまで一緒に腹が減ったり体が冷え切ってしまいそうに成ったりします。周囲「巻き込み」型の執筆スタイルであることが想像されます。若松英輔が「解説」で「作者がキリスト者ではない」ことを評価して居られましたが、そのような評価の仕方自体がナンセンスだと思います。原城で「憑霊」したのと同じように、少なくとも本紀行文中においては、彼女の魂はカトリックに帰依すること著しく、その分、プロテスタントに対するアレルギー症状まで表われているのです。例えば、原城に大砲を打ち込んだオランダ船の出所、フランドルのリュート曲は演奏したくないとか、プロテスタント系の母校(国際基督教大学ですか)では、基本的なキリスト教の知識も教えてくれなかったとか…。秀吉、家康以上に敵対視している感じが読み取れるのです(笑)。それを差し引いても、気付きの発光に満ち溢れた本であることは認めなくてはなりません。当時の宣教師たちにとって、日本は数少ない「殉教」することの出来る地であったこと、宣教師たちの記録は「列福、列聖」の手続き上多く残されているものの、鎖国時代の日本人殉教者たちの記録は存在しない、それでも彼らの歴史は存在していること。胸打たれる考察です。
  • 「西部劇を極める事典」(芦原伸著、山と渓谷社/天夢人)
    前作『西部劇を読む事典』は、文字通り「事典」の体裁を採っていましたが、こちらは、クリント・イーストウッド、ジョン・フォード、カウボーイ御三家(ランドルフ・スコット、ジョエル・マクリー、オーディ・マーフィ)の作家論、役者論が大半を占めています。それでも6章の「ワイルド・ウェスト雑学事典」や「西部開拓史」年表などは、ありそうでいて、意外に無かったもので(少なくとも日本語では)、西部劇愛好家たる著者の面目躍如です。往年の名作『シェーン』が、チミノの『天国の門』と同じ「ジョンソン郡戦争」に関係する作品であること、「アメリカが新しい農業国として立ち上がる決意を表明した映画だった」こと等、目から鱗です。やはりと言うべきか、最も読み応えがあるのは、3章の「ジョン・フォードから学んだこと」です。どんなジャンルの、どんな作家に対する論評であれ、愛情と敬意に溢れた文章に接するのは気持ち良いものです。
  • 「時をとめた少女」(ロバート・F・ヤング著、小尾芙佐他訳、ハヤカワ文庫)
    幾分、揶揄を込めて「叙情SF」等と言われるヤングですが、思いの他、辛辣だったりします。ヤングには、確かに女性崇拝、少女趣味の性質があるのです。表題作などは、まさに直球ド真ん中「ボーイ・ミーツ・ガール」です。しかしながら「花崗岩の女神」等は、女性の形をした異星の山脈に挑む登山家の話で、旧約聖書の「雅歌」が繰り返し引用されるように、遣る瀬無い思いは募り、その挙句に女神崇拝、女性に裏切られた思い等が交じり合って、ここまで来ると、まさに「極北」です。「自分の女神に思いもよらなかった汚点があると知った者は、いったいどうするのだろう? 自分の真の恋人が淫婦だとわかった時、いったいどうするのだろう?」。巻末の「赤い小さな学校」も恐ろしい物語です。幸せな幼年時代の思い出を辿りながら、養父母の下を脱走して、「故郷」への旅を続けて来た少年が出会ったのは何だったでしょうか。憧れの女教師の本当の姿は…。
posted by 行人坂教会 at 17:42 | 牧師の書斎から

2019年01月01日

1月第1主日礼拝(新年礼拝、公現日)

       1月 6日(日) 午前10時30分〜11時50分
説  教  神さまの宝物 =@音楽       朝日研一朗牧師
聖  書  申命記 7章6〜8節(p.292)
讃 美 歌  27、366、490、399、354、73、89
交読詩編  詩編100編1〜5節(p.113)

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2018年12月31日

主の恵みの年と告白しよう【イザヤ 61:1〜4】

聖句「主が恵みをお与えになる年/わたしたちの神が報復される日を告知して/嘆いている人々を慰め…」(61:2)

1.《改元の年》 天皇の代替わりに伴い、2019年4月末日をもって元号が変えられます。明治天皇崩御の際に乃木希典夫妻が殉死したのは有名ですが、昭和天皇崩御の際にも全国で約10人が殉死しています。私たちが使っている年号は、私たちの時を支配するのは誰なのかという表明、謂わば信仰告白なのです。従って天皇崩御に際して殉死するのは、ごく真っ当なことなのです。

2.《紀元と暦》 イスラームはマディーナ遷都を紀元とする「ヒジュラ」、ユダヤ教徒は天地創造を紀元とする「ハルアハーイブリ」、仏教徒は「仏滅紀元」という暦を使っています。北朝鮮では全日成の誕生日を紀元とする「主体暦」を使っていて、私たちから見ると如何にも滑稽ですが、日本の皇国史観も神武天皇の即位を紀元とする「皇紀」を使っています。キリスト者は公式には元号を使いません。「西暦」と言われるのは「キリスト暦」です。実際の御降誕とは数年の誤差が生じているようですが、クリスマスを12月24〜25日にお祝いするのと同様に、教会暦として用いる分には、何の問題もありません。

3.《恵みの年》 「ルカによる福音書」4章のイエスさまの「公生涯」の始まりとして「イザヤ書」の預言が引用されています。この「主の恵みの年」という語から「紀元後」を意味する「AD/Anno Domini」が生まれました。「恵み」という語は「七十人訳」において付け加えられました。敵に対する「復讐」を思わす語も「七十人訳」の段階で「悲しむ者たちに主が報いられる」と読み替えられています。キリスト者は旧約聖書を、そのまま鵜呑みにするべきではありません。主の御言葉である聖書は生きていて、イエス・キリストの出現と宣教によって、全ての人への福音へと作り変えられているのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 13:52 | 毎週の講壇から

2018年12月30日

新しい時をめざし

1.大アルカナ

荒木飛呂彦の人気マンガ『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズには、ディオ・ブランドーという強烈な悪役が登場します。彼は己の野望を遂げるために、自ら「石仮面」を被り、吸血鬼と成る道を選びます。更には、魔女エンヤ婆によって「スタンド/Stand/幽波紋」と呼ばれる超能力を手に入れるのでした。「スタンド」とは、能力者(術者)が自由に操ることの出来る守護霊のような存在です。

第3部では「DIO」という名前で、大勢の「スタンド使い」を手下に加えて、世界を支配しようとしています。このDIOが操るのが「世界(ザ・ワールド)」というスタンドです。時間を停止させた上で、敵を自由に攻撃する事が出来るのです。そして、DIOがスタンドを発動させる時、「『世界(ザ・ワールド)』ッ! 時よ止まれ!」と叫びます。そして、彼が「時は動き出す」と呟いた時には、既に敵は死んでいる訳です。

「世界/ザ・ワールド」とは、タロットカードの「大アルカナ」第22番目のカードです。カード番号は0から始まりますので、「]]T」と表示されていますが、実際には22番目なのです。「大アルカナ」はヘブライ語のアルファベット22文字に対応するとされています。最終カードですから「ターウ」に該当します。「成就、完成、総合、完璧」等の意味があります。ギリシア語なら「オメガ/Ω」(「わたしはアルファであり、オメガである」)、英語なら「ゼット/Z」(『ウルトラマン』の「ゼットン」、『マジンガーZ』、『ドラゴンボールZ』、『ワールド・ウォーZ』)です。

2.時よ止まれ

「時よ止まれ!」という宣言は、恐らく、ゲーテの戯曲『ファウスト』の禁句から来ているのでしょう。この世に絶望したファウストの前に、悪魔メフィストフェレスが現われて、契約を交わします。

(メフィストフェレス)「どうです、手を打ちませんか。/御契約をなさいませんか、あなたがこの世にある限りは/わたしの術でたんと面白い目を見せて差し上げます。/まだ人間が見たこともないような面白いものをね」。(ファウスト)「己がある刹那に向かって、『とまれ/お前は本当に美しい』といったら/己はお前に存分に料理されていい。/己はよろこんで滅んで行く。/そうしたら葬式の鐘が鳴るがいい/その時は君の奉公も終るのだ。/時計が停り、針も落ちるがいい。/己のすべては終るのだ」(高橋義孝訳)。

「とまれ、お前は本当に美しい/Verweile doch! Du bist so schön」。「この瞬間よ止まれ、汝は如何にも美しい」とか「時よ止まれ、君は美しい」等、訳し方は色々ですが、要するに「それを言っちゃあ、おしめぇよ」です。禁じ手だけに強烈な力のある呪文(ファウストにとっては自己呪詛)と成っているのです。

さて、マンガの世界と違って、私たちには「時を止める」ことは出来ません。旧約聖書の「列王記下」20章(もしくは「イザヤ書」38章の並行記事)には、神さまが「日時計に落ちた影を、十度後戻りさせ」て、つまり、時を巻き戻して、ヒゼキヤ王の病を癒して寿命を延ばす徴としたというエピソードがあります。しかし、神ならぬ人の身である私たちには、勿論、時間を巻き戻すことも出来ません。

しかし、一つだけ出来ることがあります。新しく出発することです。元日に新年の抱負を語り合ったり、その決意を書初めにしたりするのも、再出発のチャンスとするためです。初夢にその年の運勢が表われると言ってみたり、初詣に行った人たちが御神籤を引いてみたりするのも、仕切り直しでしょうか。日本で「正月三が日」を休んでいるのは、仕事を休むことで、象徴的に「時を止める」宗教的な儀礼なのかも知れません。

3.新しい時を

古今東西、新年は大きな節目とされて来ましたが、毎日を新しい日として受け止めることも出来ると思います。例えば、古代エジプトでは、1日は夜明けと共に始まるとされていました。日本と同じです。ところが、メソポタミアでは、1日は夕方から始まったのです。ギリシアでは、1日は日没から日没までとされていました。ローマでは、現在と同じく夜半から1日の時間経過を考えていました。このように国や文化、宗教によって「始まり」の感覚は違うのです。

旧約聖書でも幾つかの文脈では、1日が朝から始まったとする表現があります。しかしながら、比較的後期の文書では、1日は日没から日没までとしているのです。そして、ユダヤ教では1日を日没から考えるように成りました。旧約聖書の中ですら、異なる考え方があったということです。

ともかく、毎日毎日を新しく生きることが望ましいのですが、残念ながら「日日是好日」として「日々新たにされて」生きるのは、案外と難しいことなのです。

そこで1週間ごとに「新たにされて」出発しようというのが「主日礼拝」を守る習慣です。古代のクリスチャンたちは「週の初めの日」を「主の日/キュリアケー・ヘメラ、ヘーメラ・トゥ・キュリオゥ」として守りました。ラテン語で「Dies Domini/ディエース・ドミニ」と言いました。フランス語の「ディマーンシュ/dimanche」もイタリア語の「ドメニカ/doménica」もスペイン語の「ドミンゴ/domingo」も「ドミヌス/Dominus/主」という語が起源です。日曜日ごとに復活の主を礼拝し、日々の罪を赦され、思い煩いを取り払われ、イエスさまの慰めと励ましを頂いて、再出発することが出来るのです。

現代人は肉体の健康や美容にばかり目を奪われて、魂の健康と美容は疎かにしているように思います。新しい年、主日を守る生活をすることで、内面から輝こうではありませんか。

牧師 朝日研一朗

【2019年1月の月報より】

posted by 行人坂教会 at 06:00 | ┣会報巻頭言など

2018年12月25日

12月第5主日礼拝(2018年歳晩礼拝)

      12月30日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 主の恵みの年と告白しよう=@音楽  朝日研一朗牧師
聖  書  イザヤ書 61章1〜4節(p.1162)
讃 美 歌  27、233、490、431、266、88
交読詩編  詩編25編1〜11節(p.30)

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2018年12月24日

2018クリスマスイヴ礼拝

20181224クリスマスイヴ礼拝
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