行人坂教会 公式サイト ご案内

当サイトの内容は左記の「メニュー」からご覧になれます。


はじめに・・・・・・・・当教会からのご挨拶があります。
行人坂教会について・・・当教会の歴史・沿革についてご紹介します。
 礼拝・集会の案内・・・当教会で行っている礼拝と集会のご案内です。
 教会へのアクセス・・・当教会への交通、付近の地図、連絡先です。
牧師ご挨拶・・・・・・・当教会牧師のご紹介で、本人のプロフィールもあります。
牧師の書斎から・・・・・当教会牧師のメッセージ、記事を集めています。
 会報巻頭言など・・・・当教会会報「行人坂」に掲載された牧師のメッセージ集です。
 こんにゃく問答・・・・同じく、会報「行人坂」に掲載された教理問答集です。
教会からのお知らせ・・・各種イベント(イースター、クリスマス諸行事、バザーなど)のご案内です。
毎週の礼拝案内・・・・・毎週の主日礼拝のご案内(概要)があります。
      *最新情報*礼拝終了後は当日の音声録音を聴くことができます
毎週の講壇から・・・・・毎週の主日礼拝での説教の要約をまとめてあります。
教会アルバム・・・・・・当教会で過去開催された行事の写真集です。
オリジナル賛美歌など・・当教会の会員有志が作成したオリジナル賛美歌をご紹介します。
リンク・・・・・・・・・日本キリスト教団他の関連サイトへのリンク集です。

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それでは、どうぞご覧下さい。なお、以下は最近の記事です。


行人坂教会からのお知らせ


2017年8月中、毎週水曜日の「聖書と祈りの集い」は午前の部・午後の部共に休会です。



2017年08月15日

8月第3主日礼拝

       8月20日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 生きるにも死ぬにも=@ 三吉信彦牧師(好善社代表理事)
聖  書  フィリピの信徒への手紙 1章15〜26節(p.361)
讃 美 歌  27、554、490、196、419、28
交読詩編  詩編57編7〜12節(p.66)

・ホサナ広場映画上映会    午後1時        礼拝堂
 映画:『母と暮らせば』(松竹/130分) 山田洋次監督作品
 (吉永小百合、二宮和也、黒木華、浅野忠信、他出演)

posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2017年08月14日

神が私と共におられる【出エジプト3:1〜15】

出エジプト記3章の、モーセの召命です。モーセは神と直接対面し、対話した人です。神に直面して重要な任務を与えられ、さまざまな困難に耐えてイスラエル民族のエジプト脱出を成功させ、イスラエルの信仰の基礎を築いたモーセは、イスラエルの歴史の中でもっとも偉大な人といっていいでしょう。そのモーセが神に召しだされる物語です。モーセはエジプトの寄留者の子どもでした。ある日、エジプト人がヘブライ人を打っているのを見て、エジプト人を逆に打ち殺してしまいます。ミディアンに逃亡し、祭司の娘ツィポラと結婚して羊飼いとなります。その羊たちを連れて、神の山ホレブにきたところで、神との最初の出会いが起こりました。燃え尽きない不思議な柴の火を見たモーセが近づくと、神が声をかけられました。「モーセよ、ここに近づいてはならない。足から履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから。」履物を脱ぐのは、しもべのしるしであり、聖所に入るときの習慣であり、謙遜を示すことでもあります。神は続けて「わたしはあなたの父の神である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」と言われました。神は続けてご計画を述べられます。エジプト人のもとで働いているイスラエルの人々が重労働で苦しんでいるのを見、彼らが苦しみに叫んでいるのを聞いたので、エジプトへ降って行って救い出そうと決めたと言われます。そのためにあなたを遣わすというのが神の命令でした。しかしモーセは、神の命令に素直に従いません。「わたしは何者でしょう。どうして、ファラオのもとに行き、しかもイスラエルの人々をエジプトから導き出さねばならないのですか。」彼は神の与えられる任務の重大性と、それに伴う数々の困難を思って、当惑したでしょう。使命の大きさに対して、現在の彼は、あまりにも小さな存在でした。モーセの訴えに神はどう応えられたでしょうか。「わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである。」「あなたは自分にどんな力があるかと心配する必要はない。わたしは必ずあなたと共にいる。わたしが共にいることこそ、あなたの力なのだ。」神が「わたしは必ずあなたと共にいる」と言われた一言で、モーセは納得しました。モーセは、重ねて問います。「・・・イスラエルの人々が『その名は一体何か』と問うとき、彼らに何と答えるべきでしょうか。」神は「わたしはある。『わたしはある』という方がわたしをあなたがたに遣わされたのだ」と言いなさい。」神が直接、「わたしは必ずあなたと共にいる」と言われたら、どんなに安心なことでしょうか。私たちはみな、神様に呼ばれてキリスト者になったのは確かなことですから、お呼びになった方は、必ずいつも傍らにいてくださることを信じて感謝して歩みたいと思います。

柳下 仁牧師

posted by 行人坂教会 at 19:52 | 毎週の講壇から

2017年08月12日

旭日亭菜単(続き)その40

  • 「ブラウン神父の不信」(ギルバート・キース・チェスタトン著、中村保男訳、創元推理文庫)
    「神父の不信(incredulity)」という逆説が、この短編集のモチーフです。合理主義、科学実証主義、唯物主義、無神論などを標榜する御仁が、いとも容易く呪いやオカルト、奇跡やお告げ、迷信や亡霊に引っ掛かって右往左往する中、独りブラウン神父が冷静な推理によって事件の真犯人と真相を暴いて行くのです。「天の矢」「翼のある剣」「ムーン・クレサントの奇跡」「ダーナウェイ家の呪い」と、密室殺人を扱ったものが多く、ディクスン・カーの先駆となっています。勿論、神父の説教も健在です。「本物の神秘家は神秘を隠さない。それをあまねく啓(ひら)くのです。真っ昼間の太陽のもとにそれを高くかかげる。みんながそれを見る。それでもなおそれは神秘なのです」。「人が神を信じなくなると、その第一の影響として、常識をなくし、物事をあるがままに見ることができなくなる」。「聖職者の仕事は、祝福と呪いだという事実をお忘れですな」。「わたしは奇跡を信じておる。…奇跡がほしければ、どこにさがしにいったらよいか、それをわたしは承知しておる」。「あらゆるものは神のお恵みです。とりわけ、理性や想像力など精神の偉大な能力ほど神のおかげなのです。こういったものはそれ自体としては善なるもので、たとえそれがゆがめられた場合にもその源を忘れてはならんのです」。「パドアの聖アントニオもユーモラスにこう言ってますよ―ノアの洪水に生きのこるのは魚だけ、とね」。
  • 「戦国の軍隊」(西股総生著、角川ソフィア文庫)
    著者はNHK大河『真田丸』の軍事考証を担当した城郭研究者。戦後日本の歴史学が論じようとして来なかった「軍事」の問題に取り組んでいます。そこから、旧来、戦国時代についての「常識」が覆され、結果として、私たちの先入観や固定観念が見事に氷解して行くのは快い程に見事です。戦国の軍隊は隊列を組まない。小田原合戦に秀吉は苦戦。戦国時代の戦は農繁期も農閑期も無関係。足軽は非正規雇用の傭兵部隊。雑兵はバイトの輜重隊(輸送部隊)。織豊勢力の強さは鉄炮にあるのではなく「業務拡張中により年中募集広告の出ている会社のようなもの」だったから…等々、目から鱗でした。この本の面白さは、事例の挙げ方の妙にあります。南雲中将と長尾景虎の反転の意味に始まり、西洋のマスケット銃一斉射撃発展史と長篠の鉄炮三段撃ち神話を語ります。スイスの長槍(パイク)部隊と足軽の長柄隊、三十年戦争の傭兵隊長ヴァレンシュタインと足軽大将、薙刀とハルベルトの共通性。アイゼンハワーの「戦争は兵站」という視点から戦国の軍隊を見直します。漸く「あとがき」で開陳されるのですが、その論考には、現代日本を取り巻く国際状況、社会問題に対する確かな視点も盛り込まれています。「北の脅威論」や「領土問題」等のデマゴーグに対して、説得力のある有効な反論を提出できないのは、「軍事を論じてこなかった戦後歴史学の無残な敗北」と厳しく指摘しています。
  • 「ぼくが死んだ日」(キャンデス・フレミング著、三辺律子訳、創元推理文庫)
    少女の幽霊に導かれ、「子ども専用墓地」に入り込んだ少年マイクは、そこで9人の幽霊から「私が死んだ日」の話を聴かされることになります。マイクを墓地に導いた少女の名はキャロルアン、映画『ポルターガイスト』の末娘の役名であり、実際の子役が幼くして事故死してしまいましたね。@サイコパスの転校生に濡れ衣を着せられ殺されたジーナ、A棺桶荒らしが災いして、古代シュメールの呪文で殺されたジョニー、B心霊スポット探検が災いして、ガーゴイルに殺されたスコット、C妹が通販で買ったモンスターに食い殺されたデイヴィッド、D美人の姉に嫉妬する余り「悪の鏡」に吸い込まれたエヴリン、E「猿の手」の呪いで恋人を失った悲嘆の中で死んだリリー、F悪霊憑きの暴走カーと共に地獄に落とされたリッチー、G「没入癖」から精神に異常を来たし無残に殺されるエドガー、H叔母の隠匿する金貨を失敬しようとしてゴミ屋敷で焼け死ぬトレイシー、それぞれに異常な死に方(殺され方)をします。小学校の推薦図書には、毒が強過ぎるかも知れませんが、これはこれで児童文学の一種かも知れません。
  • 「HUNTER×HUNTER」第34巻「死闘」(冨樫義博作、集英社)
    これが噂に聞いていたヒソカVSクロロ団長の「死闘」ですか。両雄に華を持たせて、半端に引き分け(痛み分け?)にするのではなく、一方が他者を殺すという勝敗の決着を与えたのは潔いと思います。前の33巻が推理サスペンスで、文字情報の夥しさに辟易しただけに、巻頭からアクションの連続で「やっとマンガらしくなった」と思いました。それでも、クロロの念能力の説明はクドイ。もっと簡潔にすることが出来るはずです。旅団員2名が大した見せ場もなく、呆気なく瞬殺されてしまうのも腑に落ちません。「幻影旅団編」での扱いに比べて、如何にもお粗末です。「暗黒大陸編」に移った段階で、作者が関心と愛着を失った結果、モブキャラ扱いされてしまった訳です。登場人物を矢鱈に増やした挙句、古いキャラを切り捨てる作者の薄情さに苛立ちを覚えます。もっと丁寧な殺し方は無かったのでしょうか。そもそも物語が入れ子型の四重構造になっていて、こんなに複雑にするから収拾できなくなるのでは無いでしょうか。「ジャンプ」らしく、少しシンプルにした方が良いです。
  • 「東京自叙伝」(奥泉光著、集英社文庫)
    東京の地霊(ゲニウス・ロキ)が憑依した6人の人物の人生を通して、幕末からフクシマ原発事故までの東京と日本の歴史を回顧する、一種の大河小説です。しかし、今の若い人たちが読み易いように、1項目が1〜3ページに細かく区分されて纏められています。御丁寧に各項目には表題まで付けられています。要するに「日本史」の教科書の体裁なのです。大雑把に数えてみると、幕末明治サムライ篇24、大正昭和陸軍篇51、焼け跡実録ヤクザ篇35、高度経済成長篇73、バブル経済風雲篇55、原発派遣労働者篇31でした(数え間違っていたら御免なさい)。但し、一貫して語り手は「あれは私だ」「あれを作ったのは私だ」「あの犯人は実は私だ」「あれを始めたのは私だ」と語り続けます。そう言えば、東京には、そういう語り口の人(騙り)が、実に大勢いるように思います。まさに東京人の特徴です。福島原発立地点は東京の「飛び地」なのであって、あそこは東京、従って東京が被曝しているのと同じという論法には感心しました。つまり。日本近現代史の到達点として、フクシマのメルトダウンがあるという展開です。東京の地霊が東京人、及び日本社会の滅亡を空想するのは、荒俣宏の『帝都物語』のパロディでしょう(平将門も出て来ますしね)。
posted by 行人坂教会 at 13:54 | 牧師の書斎から

2017年08月08日

8月第2主日礼拝

       8月13日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 神が私と共におられる=@音楽    柳下 仁 牧師
聖  書  出エジプト記 3章1〜15節(p.96)
讃 美 歌  27、554、490、16、419、28
交読詩編  詩編57編7〜12節(p.66)

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2017年08月07日

負けるが勝ち【ヨハネ16:25〜33】

聖句「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」(16:33)

1.《競争原理》 私たちは「競争社会」に生きています。英語の「コンペティション」を「競争」と訳したのは福澤諭吉だそうですが、スポーツやクラシック音楽の世界の熾烈な上位争いこそ「コンペ」の代表です。勝つために手段を選ばぬ姿勢はドーピングなど不正の温床です。実に「競争原理」は虚構でしかなく、世界に災厄をもたらし、社会を歪め、人間の魂を責め苛んでいるのです。

2.《淘汰圧力》 身の周りに「競争原理」の信奉者は大勢います。口を揃えて「弱肉強食こそが自然の摂理」と言いますが、強者が生き残るのではなく、環境に適応したものが生き残るのです。戦争指導者たちは「自存自衛の戦い」を主張し、最前線に立たされる兵士たちも、生き残りを賭けて敵兵を殺さねばなりません。企業や商店も生き残りを賭けて競争しています。教会ですらも「伝道」「宣教」を優先する余りに、信者に「淘汰圧力」を掛けて、意識的に「競争原理」を採り入れる場合があります。その方が効率よく組織は機能するのです。しかし、それが本当の教会でしょうか。イエスさまは疑義を呈されます。

3.《勝利宣言》 イエスさまは「私は既に世に勝っている」と仰いました。主は「この世の中で勝利」したのではなく、「競争原理」が支配する「この世に勝利」されたのです。だからこそ「イエスの名によって祈れ」と言われているのです。私たちも自身の成功や勝利を祈らないでは居られません。しかし、永遠に勝ち続ける人間も団体も、国家も民族も存在しません。敗北と挫折と死の中に打ち沈む日が必ず来るのです。しかし、イエスさまは勝者敗者の別なく、「この世に勝利」された主です。「勇気を出しなさい」は「タルソス/冒険心、確信」です。未だ見ぬ世界を目指すのが冒険、見ずして信ずるのが確信です。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 19:53 | 毎週の講壇から

2017年08月01日

8月第1主日礼拝(平和聖日)

       8月 6日(日) 午前10時30分〜11時50分
説  教 負けるが勝ち=@音楽        朝日研一朗牧師
聖  書  ヨハネによる福音書 16章25〜33節(p.201)
讃 美 歌  27、554、490、481、377、77、28
交読詩編  詩編57編7〜12節(p.66)

・みんなで会堂掃除     礼拝後     礼拝堂、階下ホール

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2017年07月31日

網と舟と父親を残して【マタイ4:18〜22】

聖句「イエスは、『わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう』と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。」(4:19,20)

1.《付いて来るかい》 町内会の夏祭りでは露天商の夜店が立ち並びます。小学校の低学年の頃、日暮れ前から会場で遊んでいた私は、たこ焼きの屋台の準備を手伝ったことがあります。ご褒美に最初に焼けた物を貰ったのですが、おじさんから「一緒に来るかい?」と言われたのでした。以後しばらく、各地を移動しながら露天商を営む自分の姿を妄想するのがマイブームでした。

2.《袖の触れ合うも》 イエスさまが「4人の漁師を弟子にする」場面ですが、如何にも行き当たりばったりに思われます。投網漁をしているペトロとアンデレの兄弟に唐突に「私に付いて来なさい」では付いて行けません。普通に考えれば先ず「豊漁か?」「景気はどうか?」と世間話から始まり、彼らの抱える生活苦や将来の不安が開陳され、主が福音を説かれた後に、この招きの言葉があるべしです。幾ら何でも出会い頭に「私に付いて来なさい」では「ハーメルンの笛吹き男」に操られてる子どもたちと同じです。その点「ルカによる福音書」は挿話の順番を入れ替えることで、誰もが納得できるように再構成しています。

3.《有無を言わさず》 改めて「マタイによる福音書」に目を転じると、ドラマ展開のプロセスに何の関心も抱いていません。イエスさまが「さあ来い、俺の後ろに」と言い、弟子たちが付いて行ったという暴力的展開です。喧嘩上等のヤンキーのノリなのです。ヤコブとヨハネの兄弟は、網だけではなく、持ち舟も父親も船子も捨て去ります。非常識とも不人情とも思われますが、信仰の決断を迫られる時には、常識や人情を捨てても良いのです。仕事や生活(網と舟)、家族(父親)を何よりも大切にしていますが、それは永遠でも究極でも無いのです。いつか、主の召命に応えてお別れする時が来るのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 19:54 | 毎週の講壇から

麺@ワーク

7月30日(日)、礼拝後の“麺@ワーク”です。

みんなで美味しい冷や汁とお素麺を頂き、楽しくペンキ塗りをしました。

麺@ワーク
posted by 行人坂教会 at 10:11 | 教会アルバム

2017年07月30日

バイブル・ゴースト・ストーリー

1.怪談会

夏と言えば、怪談です。幕末から明治期に掛けては、江戸の庶民は「怪談噺」を聴くために、挙って寄席に通ったのです。幕末の初代林家正蔵(1781―1842)が「怪談噺」の元祖とされていますが、「怪談噺」と言えば、やはり、初代三遊亭圓朝(1839―1900)でしょう。『牡丹燈籠』『真景累ヶ淵』『怪談乳房榎』は圓朝の創作です。また「グリム童話」の『死神の名付け親』を翻案した『死神』は今も上演されることの多い人気演目です。圓朝は稀代の幽霊画コレクターでもありました。

怖い話を聴くと、自然と汗も引くというので、明治時代には、有名無名の語り手たちが集まって「百物語」をする「怪談会(かいだんえ)」が盛んに催されました。泉鏡花が呼び掛け人になって、柳田國男や田中貢太郎、小山内薫、柳川春葉などが取って置きの逸話を披露し合っていたのです。このような「怪談会」は、今でも日本各地で夏の風物詩として開催されていて、大変に人気があります。

ネットのイベント情報を調べてみると、東京四谷は勝興寺、福島は本法寺、高崎は少林山達磨寺と、会の性質上、お寺を会場に開催されることが多いようです。やはり、お墓の近くが盛り上がるのでしょうか。しかし、意外にも京都の「怪談会」は五条間之町(あいのまち)、「甚松庵(じんまつあん)」という「抹茶体験セミナー」等をやっているお店が会場になっていました。京都は寺が多過ぎて、敢えて外したのでしょうか。それとも、参加者の間口を広げるための企画なのでしょうか。感心しました。

2.幽霊譚

聖書にも「幽霊」という語が出て来ます。すぐに思い浮かぶのが、イエスさまが「湖の上を歩く」エピソードです(「マタイによる福音書」14章22〜33節、「マルコによる福音書」6章45〜52節)。

イエスさまは、弟子たちを舟に乗せ、ガリラヤ湖を渡るように送り出します。御自身は独り山に登って祈っています。しかし、弟子たちの乗った舟は逆風に悩まされて、岸に着けないで難儀しています。夜も明けようかという薄明の中を、人影が湖上を歩いて、こちらに近付いて来るではありませんか。弟子たちは恐怖の余りパニックになり、「幽霊だ!」と叫びます。ギリシア語原典には「ファンタスマ」と書いてあります。ラテン語でも英語でも「Phantasma」は「幽霊」の事です。

勿論、弟子たちが「幽霊」と思ったのはイエスさまでした。イエスさまは「安心しなさい。私だ。恐れる事はない」と語り掛け、溺れそうになったペトロには「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と叱り、弟子たちは「本当に、あなたは神の子です」と讃えるのでした。それが聖書の本筋なのです。

しかしながら、このエピソードには、やはり、どこか怪談(と言って悪ければ、怪異譚)の趣きがあるのも事実です。皆さんも自分に当て嵌めて想像してみて下さい。海辺や湖で夜釣りをした経験があれば、真っ暗な水底の恐ろしさを身に沁みて感じるはずです。それどころか、弟子たちの場合には、陸地に辿り着けぬまま、ボートの上にあり、風が出て波立っています。そんな時、こちらに向かって、黒い人影が湖上を近付いて来ます。かなり、ヤバイです。私などは恐怖の余りに失禁してしまうかも知れません。

3.口寄せ

旧約聖書で幽霊譚を「1つ挙げろ」と言われれば、何を措いても「サムエルの亡霊」でしょう。「サムエル記上」28章の物語です。紀元前1000年、イスラエルの王サウルはペリシテ軍との最終決戦を前にして、大きな不安を覚えます。既にサウル王は主なる神ヤハウェから見限られていたために、託宣によっても夢によっても「ウリムとトンミム」(祭司の使う占いの道具)によっても、ヤハウェは何も応えて下さいません。

思い余ったサウルは、夜に兵を2人だけ従え、陣を抜け出して、エン・ドルに住む「口寄せの女」を訪ねるのでした。かつて口寄せ女と魔術師を追放したのはサウル王でしたが、皮肉にも今や王自身が口寄せ女の力を借りようとしているのです。しかも、陰府から呼び出す相手は、何と預言者サムエルだったのです。若き日に自分を指導してくれたサムエルに「為すべき事を教えて下さい」と、サウル王は泣き付きます。しかし、サムエルの預言は厳しいものでした。サウルの軍勢は敵軍に破れ、王も王子たちも殺され、イスラエル王国はダビデのものになると言うのです。それを聴くや、サウル王は忽ち地面に倒れ伏すのでした。

口寄せを行なう巫女と言えば、日本では、恐山のイタコ、琉球のユタが有名です。朝鮮半島にはムーダン(巫堂)がいます。こちらは政治にも介入するので厄介です。最近では、朴槿恵(パク・クネ)大統領失脚の原因となった崔順実(チェ・スンシル)もムーダンです。古くは、李氏朝鮮第26代王高宗(ゴジョン)の妃、日本人によって暗殺された閔妃(ミンビ)もムーダンで、莫大な国費を呪術のために浪費したとされています。

欧米でも「チャネリング/Channeling」と言って、より高次な霊的存在、即ち神や聖霊、天使や精霊、死者や宇宙人と直接交流(交信)する宗教(及び疑似科学)が引きも切らず存在しています。「幸福の科学」の大川隆法が、仏陀やイエス・キリストや宇宙人の「霊言」を語ると称しているのも、この流れを汲んでいます。

それにしても「より高次な存在と交信した」等と称して悦に入っているのは、如何にも愚かしいことではないでしょうか。イエスさまが、庶民の悲しみの声、苦しみの叫びに耳を傾けて居られたことを忘れてはなりません。「群集を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れ」まれた(「マルコによる福音書」6章34節)と書いてある通りです。

牧師 朝日研一朗

【2017年8月の月報より】

posted by 行人坂教会 at 06:00 | ┣会報巻頭言など

2017年07月25日

7月第5主日礼拝

       7月30日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 網と舟と父親を残して=@音楽    朝日研一朗牧師
聖  書  マタイによる福音書 4章18〜22節(p.5)
讃 美 歌  27、128、490、52、513、26
交読詩編  詩編143編1〜6節(p.160)

・麺@ワークT      礼拝後      階下ホールに集合
焼きソバを頂いた後、礼拝堂玄関、記念室の扉の補修、塗り直しをします。

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内