行人坂教会 公式サイト ご案内

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 教会へのアクセス・・・当教会への交通、付近の地図、連絡先です。
牧師ご挨拶・・・・・・・当教会牧師のご紹介で、本人のプロフィールもあります。
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毎週の礼拝案内・・・・・毎週の主日礼拝のご案内(概要)があります。
      *最新情報*礼拝終了後は当日の音声録音を聴くことができます
毎週の講壇から・・・・・毎週の主日礼拝での説教の要約をまとめてあります。
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オリジナル賛美歌など・・当教会の会員有志が作成したオリジナル賛美歌をご紹介します。
リンク・・・・・・・・・日本キリスト教団他の関連サイトへのリンク集です。

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それでは、どうぞご覧下さい。なお、以下は最近の記事です。


2016年05月31日

6月第1主日礼拝

       6月 5日(日) 午前10時30分〜11時50分
説  教 捨て石が親石になる=@      朝日研一朗牧師
聖  書  使徒言行録 4章5〜22節(p.219)
賛 美 歌  27、22、490、295、474、73、28
交読詩編   16編1〜11節(p20)

posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2016年05月30日

誰もが招かれている【使徒言行録2:36〜42】

聖句「この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいる全ての人にも…誰にでも、与えられているものなのです。」(2:39)

1.《行列ぎらい》 最近の話題に、東京都美術館の「若沖展」入館に3〜4時間待ちの長蛇の行列がありました。テレビには「行列のできる法律相談所」という長寿番組があり、最近では、人気店のことが「行列店」「並ぶ店」等と表現されます。私たちは世間の話題に遅れまいと、過敏に成って、メディアに操作され易く成っているのではないでしょうか。付和雷同を自戒すべきです。

2.《ゆとり教会》 私は田舎者で、根っからの「行列ぎらい」ですから、いつも「混雑」ではなく「ゆとり」を探して生きて来ました。現代の日本社会からは急速に「ゆとり」が失われています。「ゆとり」は「ゆたけき」、その意味は「豊」ではなく「寛」にあると考えます。単に時間に余裕が無いのではなく、不寛容に成っているのです。教会の「ゆとり」は霊的な「ゆとり」、貪欲ではなく無欲を、競争ではなく共存を、自慢ではなく謙遜を求めるべきです。私たち自身は貪欲で競争に取り憑かれていて、自慢たらしいケチ臭い存在ですが、神さまの愛は大きく広く深いのです。イエスさまが「ゆとり」を保証するのです。

3.《プレゼント》 ペトロの福音告知を聞いた人たちは「心を突き刺され」て、「私たちは何をすべきか?」と問い掛けます。私たちにも「関係ある」と感じること、「何かしたい」という素直な気持ちが大切です。そこで「悔い改め」「キリストの名による洗礼」「罪の赦し」が挙げられるのですが、実は「使徒言行録」の中では、3つとも神の「賜物」なのです。「条件」ではなく「聖霊の賜物」として「誰にでも、与えられているもの」なのです。「多ければ多いだけ」与えられるのです。教会は、その3つを条件として読もうとします。「聖霊の賜物」も「主の招き」も条件として訳してあります。ケチ臭い話です。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 17:24 | 毎週の講壇から

2016年05月29日

東京YMCA山手学舎

1.山手学舎

私は月に1回、高田馬場に通っています。東京YMCA山手学舎に行き、その舎生さんたちと聖書研究会をしているのです。昨年秋に留学生が1名途中入舎しました。この春6名が退舎して、3名が新入舎しました。それで差し引き現在、舎生は12名です。ここで、ザッと12人の紹介をして置きましょう。

早稲田大学商学部4年生のM君(宮崎市出身)、さすが、彼の作った「チキン南蛮」は絶品でした。東京大学法学部4年生のS君(桐生市出身)は頭脳明晰な人ですが、ここに来て、実存的な悩みを抱えています。立教大学経済学部3年生のF君(北海道八雲町出身)は、元高校球児のスポーツマンです。東京大学文学部3年生のK君(豊島区出身)は官僚を目指していますが、時折り見せるズッコケぶりが憎めません。東京農業大学国際食糧情報学部2年生のF君(志木市出身)はバスケットボール選手、『黒子のバスケ』の「敵キャラ」に出て来そうな体格の持ち主です。東京理科大学理学部2年生のI君(新潟市出身)は、数学科なのに、小説を書くのが趣味の文学青年です。駒澤大学経済学部2年生のN君(苫小牧市出身)は、アニメ『銀魂』のファンで、不思議な個性の持ち主です。早稲田大学法学部1年生(日大を退学して入り直した)のK君(長野市出身)は、政治家の事務所でバイトをしていて、将来、自分も政界に関わりを持ちたいと思っています。

昨年秋に入舎したのが、早稲田大学大学院創造理工学研究科1年生のY君(四川省出身)です。十把一絡げに「中国人は…」等と言ってはダメです。非常に奥床しい性格の人です。そして春に、早稲田大学文学部3年生のM君(下関市出身)、早稲田大学基礎理工学部1年生のK君(三島市出身)とY君(和歌山市出身)が加わりました。

2.聖書研究

改めて確認してみると、私が山手学舎の聖書研究を担当するようになったのは2011年度からでした。月1回(と言っても、夏休みや年度替りがあって、実際には年に9回程度ですが)の聖書研究に通い、加えて、入舎式と退舎式の礼拝説教を担当させて頂いています。当教会のKさんから依頼されてのことでした。Kさん自身も山手学舎の出身であり、現在「山手学舎OB会・後援会」の中心メンバーです。

依頼を受けたのは丁度、二男が肢体不自由児と成って間も無くの頃でした。当時、私自身の気分としては、夜に外出するのも億劫だったのです。ところが、妻が「外に出て、若い人たちと接した方が良いよ!」と背中を押してくれたのです。こうして仕方なく始めた務めでしたが、少しずつ学舎に行くのが楽しみに成って来ました。

1つには、高田馬場という街の魅力もあります。早稲田界隈には、今でも古書店が並んでいます。例えば、ある日のコース。タレントの郷ひろしさんが店主を務める、中古レコード屋「レコーズ・ハリー」で、60〜90年代の歌謡曲やポップスの盤を漁りながらお喋りをし、もう1軒の中古レコード店「タイム」にも立ち寄ります(残念ながら、この春に閉店)。「早稲田松竹」の2本立て興行のポスターを眺めながら、「元祖仲屋むげん堂」でインド&ネパール雑貨を物色、時間調整のために日本茶専門喫茶「茶々工房」で「ほうじチャイ」を飲みます。忽ち気分は学生時代にタイムリープです。

このような趣味的なモチベーションもありますが、勿論、それだけではありません。地方から上京して来て、経済的にも厳しい中で、学業とアルバイトに精を出している学生たちに対して、次第に、私は強いシンパシーを抱くようになりました。

親元を離れて都会で暮らす心細さ、仕送りやバイト料で繋ぐ綱渡りのような生活、将来への夢と希望、不安と迷い…。自分もまた、かつて同じだったからです。そんな学生たちに寄宿舎(安心して暮らせる場)を提供しているのが、東京YMCA山手学舎なのです。それと同じように、聖書研究の場も「精神的な宿り木」に成れたらと思っています。聖書には「生きるためのヒント」や「隠れスイッチ」が色々あるからです。聖書が思い込みや社会通念、固定観念を突き崩してくれたり、価値の逆転や発想の転換を促してくれたり、大切な何かに気付かせてくれたり、そんなことが一杯あるのです。

3.反時代的

何しろ、イマドキ2人1部屋です。「日直」の務めや「舎懇」というミーティングもあり、その上、「聖研」もあるのです。舎生の多くは夏休みに成ると、強制ではありませんが、石巻にボランティアに行ったり、YMCAキャンプのリーダーとして奉仕したりしています。山手センターのバザーでは、カレーを調理販売しています。

奉仕活動が日常的にあるのです。これは、全くイマドキではありません。

イマドキの学生さんは、自宅から通うかワンルームマンションに暮らしています。個室の中で、社会や他人と関わりを持たないで、孤立していることが、暮らしの前提に成っています。しかし、これは「暮らし」とは言えません。ペットショップのケージに入っている子犬や子猫と同じ眺めです。ところが、学舎では、同室者が話し掛けてくるし、お互いに気遣いも必要だし、夜には、鬱陶しい同室者の鼾や寝言や歯軋りが聞こえて来たりもするのです。でも、ここから「共に生きる」事が始まるのです。

当番ならば、他人のゴミも一緒に出したり、共用スペースである食堂やトイレや風呂を掃除したりしなければなりません。しかし、それが「暮らし」なのです。この「暮らし」の経験がその後の人生の原点に成って行くのです。山手学舎のOBたちが数十年の時を経ても、交流を続けていることを見れば、それは明白です。「時代」は「暮らし」の実感を喪失させ、人との関わりを断ち切る方向へと進んでいます。従って「反時代的」は最大の賛辞です。

牧師 朝日研一朗

【2016年6月の月報より】

posted by 行人坂教会 at 06:00 | ┣会報巻頭言など

2016年05月25日

タイトルが新しく変わりました。

「牧師の書斎から」で掲載しておりました「幽径耽読」ですが、このたびタイトルを新しく変更させて頂きました。


一点一画 one jot or one title」です。


「すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。」(マタイによる福音書5章18節)と言われています。「一点」は「1つのイオータ」、ギリシア文字「イオータ」(英語のアルファベットの「i」に当たる)は、ヘブル語では「ヨッド、ヨード」、一番小さな文字なのです。「一画」は「1つの小さな角」、ヘブル文字の「ダレット、ダーレス」(英語の「d」に当たる)は、まさしく「一画」という形をしています。

この世が終わる、その日まで、本を読む楽しみを大切にしたいと思いました。


・・・というのがその由来です。


posted by 行人坂教会 at 13:37 | 牧師の書斎から

一点一画 one jot or one title その31

  • 「日影丈吉傑作館」(日影丈吉著、河出文庫)
    目黒の住人としては、「呪いの家」を描いた「ひこばえ」を第一に挙げない訳には参りま せん。「G坂の方からM通に出て芝公園を抜け都心に出る道」「M通にむかう正面に、い つもあらわれるのがその家だった」とあります。この家は「瓦斯会社の出張所」で、結 局、住人一家の命を吸い尽くしてしまうのです。年譜によれば、日影は1951年に目黒 の西小山と不動前に住んでいた時期があったとの由。どの辺りの話なのか調べてみたく なりました。「泥汽車」は、日本に類い稀なるファンタジー小説。開発のために消え去る 自然が少年に一瞬の美を見せてくれます。「東天紅」は横溝正史風の陰湿なミステリーと 思わせて、一夜明けて、東京者の抱える怠惰と虚無を白日の下に晒します。「吉備津の釜」 は曰く言い難い危うさに溢れているものの、『剃刀の刃』的に九死に一生を得て幕を閉じ ます。事業に失敗した男が再起を賭けた紹介状を手に行く先は…。単なるホラー、単な るミステリー、単なるファンタジーに終わらないのが最大の魅力です。
  • 「クアトロ・ラガッツィ/天正少年使節と世界帝国」上下(若桑みどり著、集英社文庫)
    読了後しばし、表紙カバーの狩野内膳と光信の「南蛮屏風」を眺めたことです。著者が 美術史家であるからでしょうか。私の脳裏に浮かび上がった絵図は、16世紀に生きた人 物群像のパノラマでした。ルネサンスの華咲くヨーロッパに渡った4人の少年たち(伊 東マンショ、千々石ミゲル、原マルティーノ、中浦ジュリアン)、彼らを送り出したイエ ズス会のヴァリニャーノ、メスキータ、通訳のジョアン・ロドリゲスやフロイス、3人の キリシタン大名(大友宗麟、大村忠純、有馬晴信)がいます。日本の権力者たち(信長、 秀吉、家康に正親町天皇や足利義昭)、欧州の権力者たち(スペイン王フェリペ2世、教 皇グレゴリオ13世、シスト5世)、息を呑むほどカッコ良い高山右近や黒田孝高、転び バテレンのファビアン、フェレイラも忘れ難い。カトリック信仰を布教した者、通商貿 易した者、キリシタンを守護した者、迫害した者、棄教した者、殉教した者、有名無名 を問わず、紹介される歴史上の人物を血の通った人間として描き切った力量に脱帽です。 「西洋文明に接した日本の知識人の態度はふたつしかない。全力で相手にくらいつきマ スターするか。自分が第一者でいられる日本に回帰するか。第三の道は、おそらく西と 東のあいだに橋を架けることである。しかし、そのためには、その双方を学ばなければ ならない」。21世紀に生きる日本人キリスト者としては、否応も無く「第三の道」を選 ばざるを得ません。
  • 「アド・アストラ/スキピオとハンニバル」第9巻(カガノミハチ作、集英社)
    マルケルス麾下、スキピオはシラクサ陥落に大きな功績を上げたことで、インペリウム (指揮権)を授けられ、ヒスパニアに遠征、ハンニバル軍の根拠地と成っていたカルタ ゴ・ノヴァ(現在のカルタヘナ)を奪還します。うーん。シラクサ攻略戦に燃えないのは、 岩明均の『ヘウレーカ』があったせいかと思っていたのですが、カルタゴ・ノヴァ攻略戦 にも乗り切れません。後に、スキピオが同盟を結ぶヌミディアのマシニッサが登場した のが嬉しかったくらいでしょうか。
  • 「怪奇文学大山脈V/西洋近代名作選【諸雑誌氾濫篇】」(荒俣宏編纂、東京創元社)
    英米独のパルプ・マガジンと仏グラン・ギニョル劇からの選集です。中東クルディスタン を舞台にした「悪魔の娘」(E・ホフマン・プライス)がアクションあり、ファンタジーあ り、エロチシズムありの文句なしの傑作。絞首人とジプシー女の駆け引きを描いた「死 を売る男」(R・L・ベレム)は「ロジャー・コーマン・プロ作品」の味わいです。エコロジ ー系SFの先駆のような「アシュトルトの樹林」(J・バカン)は、ロバート・ヤングの小 品と似ています。特筆すべきは「不屈の敵」(W・C・モロー)です。傲慢なインド人藩主 に両手両足を切断されたマレー人が、驚くべき執念と方法で復讐を果たします。奴隷船 の船長がアフリカの女奴隷に呪いを掛けられる「唇」(H・S・ホワイトヘッド)も同系列 でしょう。圧巻は「最後の拷問」(A・ド・ロルド&E・モレル)です。義和団事件の渦中、 仏領事館に立て籠もった人々の恐怖を描いた作品ですが、ショッキングな結末に震えが 来ます。これらの諸作に散見されるのは、西洋人が搾取し続けているアジア人、アフリ カ人に対する嫌悪感と罪悪感です。現代欧米社会を覆っている、イスラムに対する恐怖 感(イスラモフォビア)を見ても、基本的な構図は変わっていないようです。
  • 「改訂・雨月物語」(上田秋成著、鵜月洋訳、角川ソフィア文庫)
    「浅茅が宿」や「蛇性の淫」は、私としては、溝口健二の映画の刷り込みから逃れられ ません。それでも「蛇性」には「道成寺」が登場して驚きました。この辺りの妙味は、 実際に読んでみなければ分かりません。西行法師が崇徳上皇の怨霊と対峙する「白峯」、 良妻翻り死霊と化して、夫と愛人に祟る「吉備津の釜」が素晴らしい。その「吉備津」 のヒロイン、磯良は、やはり、貴志祐介の『十三番目の人格/ISOLA』の元ネタなので しょうね。「青頭巾」は、溺愛する稚児に死なれた住職が屍姦の果てに、その肉を喰らい、 食人鬼と成り果てて村人を襲う話。これが一番ホラーの味わいです。高野山で一夜の野 宿と洒落込んだ旅の親子が、亡霊の大名行列に遭遇して、句を詠まされる「仏法僧」は、 黒澤明の『夢』の「狐の嫁入り」を思い出させます。
posted by 行人坂教会 at 13:35 | 牧師の書斎から

2016年05月24日

5月第5主日礼拝

       5月29日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 誰もが招かれている=@音楽     朝日研一朗牧師
聖  書  使徒言行録 2章36〜42節(p.216)
賛 美 歌  27、224、490、211、397、26
交読詩篇  104編24〜35節(p.118)

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2016年05月23日

聖なる 聖なる 聖なる主よ【イザヤ6:1〜5】

聖句「彼らは互いに呼び交わし、唱えた。『聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。主の栄光は、地を全て覆う。』」(6:3)

1.《ハリウッド》 東和商事の宣伝部長だった筈見恒夫は「神聖ガルボ帝国」というコピーを作り、女優グレタ・ガルボの近寄り難い美貌を表現しました。「ハリウッド」は「柊林」なのに、「聖林」と漢字を当てたのは明らかな誤訳です。中国人は「好莱塢」「荷里活」と音写します。しかし、戦前の日本人にとって近寄り難い世界という思い故に「聖林」が普及したのでしょう。

2.《聖なるは神》 「聖性」は「分離、聖別」を要求します。聖と俗の領域を区別するのです。神社の境内は聖域なので、本来の仕来たりでは、斎戒沐浴して参拝しなくてはなりません。神殿や寺院、聖堂が山の上にあったり、天に伸びる大伽藍を有していたり、階段を上ったり、お香が焚かれていたりするのも「自己聖化」のための装置なのです。しかし、イエスさまは、当時「汚れた者」とされていた人たちとも盛んに交流し食事を共にされました。聖性を表現しようとする気持ちは分かりますが、人の作ったものは、どこまで行っても聖ではありません。「自己聖化」は欺瞞です。真に聖なるは神さまだけです。

3.《救いたまえ》 「聖なる、聖なる、聖なるかな」は「三聖唱」「聖三祝文」と言われ、三位一体の啓示が完了したことを記念して歌われました。「イザヤ書」6章「セラフィムの唱和」から採られた賛美です。紀元5世紀初め、大地震と余震に悩む市民が十字架行進をすると、少年が天に上げられて、天上でその続きを聴きました。地上に戻った少年の証言から、主のエルサレム入城の際の賛美「ホサナ」を歌うように、主教は指示しました。すると余震が治まったそうです。人間の造った神殿などは「揺れ動き」ます。その時、私たちが神に向かって言うべきことは「ホサナ/救い給え!」の一言だけです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 17:48 | 毎週の講壇から

2016年05月22日

母の日の青空カフェ

母の日の礼拝後に開かれた青空カフェの様子です。

青空カフェの様子
posted by 行人坂教会 at 17:31 | 教会アルバム

2016年05月17日

5月第4主日礼拝(三位一体主日)

       5月22日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 聖なる 聖なる 聖なる主よ=@音楽  朝日研一朗牧師
聖  書  イザヤ書 6章1〜5節(p.1069)
賛 美 歌  27、224、490、353、351、26
交読詩篇  104編24〜35節(p.118)

・讃美歌練習(6月の月歌:22番)    礼拝後       礼拝堂
・昼食サービス(カレーライス:350円)  讃美歌練習後    階下ホール

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2016年05月16日

酔っているのではない【使徒言行録2:1〜16】

聖句「今は朝の9時ですから、この人たちは、あなたがたの考えているように、酒に酔っているのではありません。」(2:15)

1.《ペンテコステ》 キリスト教の三大祝日でありながら、日本では、クリスマスやイースターに比べて、格段に認知度が低いです。世間はともかく、ペンテコステ派の教会を除けば、教会の信徒からも、この日が重視されていないことが問題です。しかしながら、ペンテコステは、クリスマスが祝われるように成る150年も前から、教会で大切に守られて来た祭りです。日本人最初の受洗者(1548年)の記録もペンテコステでした。

2.《聖書とワイン》 世間からは「クリスチャンは禁酒禁煙」のレッテルを貼られていますが、酒を嗜む信徒は珍しくありません。また、聖書からワインを取り除いてしまったら、主の生涯や譬話が成り立たなくなってしまいます。聖書の人たちはワインを水割りして常飲していましたし、ワイン以外にも、大麦ビール、シードル、蜂蜜入りワイン、棗椰子酒がありました。聖書は「禁酒」を勧めてもいません。「酒に酔い痴れてはなりません。それは身を持ち崩す元です」(エフェソの信徒への手紙5章18節)と書いてあるのです。

3.《満たされた人》 「聖霊降臨」の場面では、弟子たちが「他国語」「多言語」で証をしたとされる部分(4〜11節)と「異言」を語ったと思しき部分(12〜13節)とが混在しています。ペンテコステ派では「異言」を語る人を「聖霊に満たされた人」と言います。ペトロもまた「酔っているのではない」と主張しますが、それだけ「酒に酔っている」ように見えたのです。「エフェソ書」の勧めも、その類似を言います。つまり、主の霊に満たされて、弟子たちは「酔っている」かのように、喜びに満ち溢れたのです。酒に「酔っていた」のではなく、霊に「満たされていた」のです。似ているけど違うのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 18:48 | 毎週の講壇から