行人坂教会 公式サイト ご案内

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      *最新情報*礼拝終了後は当日の音声録音を聴くことができます
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リンク・・・・・・・・・日本キリスト教団他の関連サイトへのリンク集です。

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それでは、どうぞご覧下さい。なお、以下は最近の記事です。


2017年02月28日

3月第1主日礼拝(レント第1主日)

       3月 5日(日) 午前10時30分〜11時50分
説  教 イエスの死を身にまとって=@   朝日研一朗牧師
聖  書  コリントの信徒への手紙U 4章7〜15節(p.329)
讃 美 歌  27、526、490、311、107、71、88
交読詩編  詩編103編14〜22節(p.116)

posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2017年02月27日

【風は思いのままに吹く】ヨハネ3:1〜15

聖句「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者もそのとおりである。」(3:8)

1.《風に吹かれて》 ボブ・ディランの「風に吹かれて/Blowin’ in the Wind」の歌詞は「どれだけ何々すれば、何々なのか?」という反語法で綴られています。最も単純な用法では「こんな事が許されて良いのか?」−「許されない!」という応答になりますから、結果的に60〜70年代には、プロテストソング(政治的抗議の歌)と受け止められていました。

2.《助けてくれる》 「その答えは風の中にある」とリフレイン、あるいは「折角、地上に降りて来ても、殆どの人は見ようとも知ろうともしない」との本人のコメントから、「聖霊」を暗示していると思います。「ヨハネによる福音書」では「聖霊」は「パラクレートス」と言われています。「新共同訳」では「弁護者」、「協会訳」や「新改訳」では「助け主」、正教会では「慰むる者」と言います。「弁護者」は「弁護士」みたい、「ヌシヌシ」と言うのも「牢名主」みたいです。「助けてくれる人、慰めてくれる人、励ましてくれる人」は、教会にも私たちの身の周りにも大勢います。それが「聖霊の働き」なのです。

3.《聖霊を信じる》 ニコデモはファリサイ派の教師であり、最高法院の議員でありながら、イエスさまを神の遣わした教師として慕い続けた人物です。夜に訪ねて来る場面設定は「奥義の伝授」のためです。弟子たちに先立って「聖霊の秘密」を教わるのです。聖霊は目に見えず、私たちの思いを超えた存在なので、ニコデモにも理解できません。しかし、理解する必要など無いのです。産まれた時に、私たちが「どこから来て、どこへ行くかを知らない」のと同じです。けれども、分からないなりに「霊から生まれた者」は、神さまを信じるのです。丁度   赤ん坊がお母さんを信じているのと同じです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 18:49 | 毎週の講壇から

2017年02月26日

刻印を押された人

1.スタンプラリー

去る1月30日、JR東日本が開催している「そうさ今こそ!DRAGON BALLスタンプラリー」のために、1日乗車券を使って山手線を一周して来ました。アニメ『ドラゴンボール』のファンである二男のたっての頼みです(彼も体が不自由でなければ、自分で回っていたことでしょう)。是非もありません。

方法は簡単。各駅の改札を出た所、もしくは「みどりの窓口」の中に、『ドラゴンボール』のキャラクターのスタンプ台が設置してあり、各駅のスタンプを「専用スタンプ帳」に押して行くのです。スタンプを数多く集めると、オリジナルの賞品が貰えるというイベントです。「7駅制覇」「30駅制覇」「全駅制覇」で、それぞれ賞品が貰えるのです。「全駅制覇」と言っても全65駅もあります。東は取手(とりで)、西は西荻窪、南は羽田空港第1ビル、北は赤羽まで拡がっているのです。取手に至っては、柏や我孫子の更に向こうです。さすがに行けそうにもありません。しかし、せめて心意気だけでも示そうと思い、息子のためなら「えんやこら」と山手線一周だけはすることにしたのです。

取り敢えず目黒駅から「内回り」で出発しました。各駅の改札を出て、スタンプを押してから、再び電車に乗って次の駅へと繰り返して行きました。

2.四国八十八箇所

その駅とキャラクターとの間に、何となく関連を感じさせる所もあります。例えば、「高田馬場」は「占いババ」とか、「日暮里」「西日暮里」が「人造人間17号」「人造人間18号」(双子の姉弟なのです)とか、「蒲田」が「餃子(チャオズ)」とか…。でも、殆どはテキトーな組み合わせに成っているみたいで、実は全く何も考えないところが、如何にも『ドラゴンボール』です(何しろ、その主題歌で♪「頭カラッポの方が/夢詰め込める」と歌っていたくらいですから)。

さて、山手線一周、実際にやってみると、思いの他、大変なのです。失敗も何度かありました。例えば、鶯谷で降りてみたら、そこは参加していない駅でした。駒込、巣鴨あたりに達すると、脱水症状を起こしました。目白では、スタンプを押してプラットホームに出るや丁度、列車が到着、慌てて乗ったら、池袋に戻ってしまいました。既にスタンプ押印済みの新宿に降りて、スタンプ台の前で愕然としました。

しかし、こんな馬鹿げたことでも、やり続けていると、奇妙な充足感に囚われるから不思議です。そもそも「30駅制覇」「全駅制覇」等は、最初から目指していません、つまり、賞品目的で行なっているのではありません。私の場合、純粋な動機でしています。こう成ると「四国八十八箇所」の霊場を廻る「お遍路さん」と同じような心境です。「同行二人」です。たとえ、途中で行き倒れても、仏さま…じゃなかった、イエスさまが私を天国に連れて行って下さるのです。

3.御朱印ガールズ

「四国八十八箇所」で思い出されたのが「御朱印ガール」です。最近は、若い女の子たちの間で、寺社仏閣を訪ねて、愛用の「御朱印帳」に御朱印を押して貰うのが流行しているという話です。「四国八十八箇所」に限らず、多くの寺社仏閣では、参拝した人に朱印を押してくれるのです(有料の場合が多い)。最近では、朱印や朱印帳がネットオークションでプレミアムが付いて転売される程にブームなのです。

それで、私は冗談半分に「各教会でも御朱印を作ったら、どうか?」とか「教団の諸教会7つの礼拝に出席して、朱印を押して貰ったら、オリジナルグッズが貰える」とか、しばらく、そんなアイデアを練っていたのです。

ある日、「真宗大谷派東本願寺」のHPを開けてみたら、御朱印ブーム批判が書いてありました。曰く「…回ったお寺の数だけ朱印が増えていくことは楽しみでありましょう。また、八十八箇所とか三十三所というように決められた場所をすべて回ったときには、何らかの達成感があることもわかります。でも、ちょっと待ってください。お寺とは朱印を集めるためにお参りするところなのでしょうか。それならば、一度朱印をもらえば、二度とお参りすることはないでしょう。大事なのはお参りしたことがあるかどうかではなくて、お参りして教えに出遇(であ)ったかどうかです。また、どんな教えに出遇(であ)ったかということであるはずです。…」

文字通りに「釈迦に説教」されたような気分でした。「お前は、それでもイエスの弟子なのか?」「キリスト教の牧師なのか?」と。

4.十字架のしるし

「ヨハネの黙示録」7章4節に「刻印を押された人々」14万4千人が出て来ます。「救われる人たち」には天使、もしくは聖霊によって、特別な印が付けられていると言うのです。因みに「14万4千人」とは実数ではなく「12×12000」という「象徴数」「完全数」です。大切なのは数字の解釈ではありません。救われる人たちは「刻印を押されている」というメッセージの方が重要なのです。

恐らく家畜に焼き印を押して、誰の所有かを明らかにするイメージから来ているのでしょう。「神のもの」「神の民」であるという確証です。私たちが洗礼を受け、聖餐に与り、信仰を告白し、礼拝において共に賛美して祈り、献身のしるしを奉げる、それらは全て、その「刻印」を明らかにする行為だったのです。そして、言うまでも無く、私たちにとっての刻印とは、キリスト・イエスの十字架に他なりません。それ以外にあり得ません。

牧師 朝日研一朗

【2017年3月の月報より】

posted by 行人坂教会 at 06:00 | ┣会報巻頭言など

2017年02月21日

2月第4主日礼拝

       2月26日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 風は思いのままに吹く=@音楽    朝日研一朗牧師
聖  書  ヨハネによる福音書 3章1〜15節(p.167)
讃 美 歌  27、159、490、353、475、29
交読詩編  詩編46編1〜12節(p.55)

・昼食サービス    礼拝後         階下ホール
 カレーライス:350円、テイクアウト:カレー200円、ご飯100円

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2017年02月20日

【知恵に満ちた言葉】    マタイ15:21〜28

聖句「主よ、ごもっともです。しかし、子犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」(15:27)

1.《絵文字》 先日、上野の国立科学博物館で開催された「世界遺産ラスコー展」を見に行きました。約2万年前にクロマニヨン人が洞窟に描いた絵と絵文字が再現されて展示されていました。絵文字もまた文字だとすれば…。

2.《あなたの義務》 文字と言葉には、さまざまな意味が込められています。弟子たちは、追いすがるカナンの女性を追い払うために「願いを聞いてください」とイエスに願います。「イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」とイエスの拒否の弁。それでも彼女は助けを求めます。この「助ける」は「助けを求める人の所に駆けつける」という意味があります。すると、「助けてください」には「主ならば家に来て娘を診てくださることは当然です」を意味することになります。「子どもたちのパンを取って小犬にやってはいけない」と、イエスは「パン」を分離のために用いますが、「主よ、ごもっともです。しかし、子犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです」と彼女。ユダヤ人に居住地を奪われた子孫のカナン人の女性は、加害者の側に立つイエスに、娘のために「扉を開けて欲しい」と、彼の前に立ちふさがった。イエスは彼女の信仰をたたえ、娘は癒されます。

3.《人を生かすパン》 「イエスは全ての人の主である」という、この女性の信頼は、福音は全ての人に開かれ、人を生かすパンは全ての人をつなぐものであることを示しています。上野の京成電車の看板の下に、金色のアヒルが羽ばたこうとする像があります。台座に「羽のあるいいわけほどはあひる飛ぶ」と刻まれています。この女性の信仰に励まされ、「信仰ある身のいいわけほどは我イエスに向かい飛ばん」と願います。

外谷悦夫牧師(市川三本松教会)

posted by 行人坂教会 at 19:47 | 毎週の講壇から

2017年02月14日

タイトルを新しく変えました。

「牧師の書斎から」で掲載しておりました「一点一画 one jot or one title」ですが、再び、タイトルを新しく変更させて頂きました。

旭日亭菜単」と題してお届けします。
「菜単」とは「メニュー」のことです。

posted by 行人坂教会 at 22:47 | 牧師の書斎から

旭日亭菜単 (続き)その36

  • 「人形/デュ・モーリア傑作集」(ダフネ・デュ・モーリア著、務台夏子訳、創元推理文庫)
    やはり、自分の職業柄か、全14編中、最も記憶に残るのは「いざ、父なる神に」と「天使ら、大天使らとともに」の2編です。いずれも、権力志向の強い俗物牧師、ホラウェイの物語です。金持ちや上流階級に上手に取り入る一方、自分の利益にならぬと見るや、悩む人を見捨て、貧しい人を見捨てる最悪の人間です。しかも、自分の讃美歌の歌声に酔い痴れ、自分の説教に会衆が心動かされているのを見て悦に入っているのです。同業者として嫌悪感を抱かせる半面、どこからしら共感してしまう自分が恐ろしい。ホラウェイ牧師の陰画と言えるでしょう、「メイジー」には、娼婦が「こんなに讃美歌が好きなのに、どうして教会の中へ入れて貰えないのだろう」と嘆く場面が用意されています。巻末の「笠貝」は、ヒロインの独白を通して、その本性が少しずつ明らかにされていくのですが、それはさながら、関わった人たちの栄養を吸い上げる寄生虫なのです。独白スタイルだからこそ、読者は震撼させられるのです。彼氏から届く手紙だけで、男女関係の変質を描き切る「そして手紙は冷たくなった」も斬新です。人間の内奥に渦巻く悪意を描かせたら、デュ・モーリアはシャーリイ・ジャクソンと双璧です。
  • 「『雲』の楽しみ方」(ギャヴィン・プレイター・ピニー著、桃井緑美子訳、河出文庫)
    「もしもくる日もくる日も青一色の空ばかりだったら、人生は退屈でしょう。…雲は天気の顔です。雲はみずからの気持ちを表現し、目に見えない気流の状態を教えてくれるのです。そして…雲は大自然の紡ぎ出す詩だ」。そんな風に演説してしまう著者は、「雲を愛でる会」の設立者。空の雲に目を留めようともしない青空至上主義者たちに敢然と立ち向かいます。雲の分類は、私の興味外でしたが、雲に挑んだ人たちの物語には興奮させられました。米空軍パイロット、ウィリアム・ランキン中佐は、ジェット戦闘機の故障から、止む無く積乱雲の中をパラシュート降下して奇跡的に生還します。米国の化学者ラングミュアとシェファーは「雲の種まき」と称して、人工降雨をはじめとする気象コントロールを試みます。その他、コンスタンティヌス帝が天空に目撃した神のメッセージが何であったかという分析も必読です。飛行機雲が地球温暖化の大きな要因であることも初めて知りました。しかし、何と言っても圧巻は、豪州のモーニンググローリーでのグライディングに初めて挑戦したホワイトとトンプソンです。
  • 「処刑人」(シャーリイ・ジャクソン著、市田泉訳、創元推理文庫)
    読了後「また、まんまとやられた!」と思うはずです。終盤に展開される夜の道行は『ウルトラQ』第25話「悪魔っ子」を思い出しました。催眠術を多用した結果、幽体離脱を繰り返すようになってしまった奇術団の子役、リリーの物語です。「人工的な明りが消えたあとの人工的な暗闇とは違っていた。自然の光が去っていくと同時に訪れる自然の深い闇だ」。そのように語られるのは、モノクロ映像で描く夜の情景に近いと思います。人里離れた夜の世界でありながら、どこか白昼の悪夢のような感覚が付き纏っています。幻覚にも似たエスケープが始まるのが、ヒロイン、ナタリーが実家に帰省して、自分の居場所がどこにもないことを再確認してからの展開であったということが重要です。元より女子大にも学生寮にも、彼女の居場所はありませんでした。現実の社会や人間関係から遊離していることが、彼女の幻想の病因ですが、しかし、こちらの現実がそんなに確かなものかと言えば、そうではなくて、私たちが営む生活も、色々なフィクションの上に成り立っているに過ぎないのです。ただ、そのフィクションを大多数の人間が「現実」として合意することで、辛うじて成り立っているのです。
  • 「AV出演を強要された彼女たち」(宮本節子著、ちくま新書)
    「ポルノ被害と性暴力を考える会/People Against Pornography and Sexual Violence」、略して「PAPS」の世話人と成った著者。彼女はソーシャルワーカーとして、長年活動する中から、自らの務めを、問題に直面し、困難を抱えた様々な人たちの「伴走者」と位置付けています。ここでも、スカウトの罠にはまり、AV産業の暴力的システムの中に飲み込まれ、必死で助けを求める女性たちに寄り添いながら「伴走」しています。勧誘から契約に持ち込み、雑誌グラビアや着エロ動画の撮影、遂にはAV本番に至る訳ですが、女の子が勧誘に乗ったが最後、もう後戻り出来ない手法は凄い。単なる詐欺ではなく、カルトの方法論が使われていると確信します。助けを求めて来て彼女たちが、それでも尚、スカウトやプロダクションの人を「良い人」と信じ続けている辺りも、カルトと同じです。そう言えば、私が毎月聖書研究会を担当しているYMCAの某学舎には、中国や韓国から来た留学生もいるのですが、彼らは一様に「自分らの国には、日本に来れば、AVのような世界が待っていると思い込んでいる若者が多い」と言っていました。我が国は、ポルノ映像・画像のアジア最大の発信国なのです。
  • 「詩人と狂人たち」(ギルバート・キース・チェスタートン著、南條竹則訳、創元推理文庫)
    ローマカトリック信者のチェスタートンだけに、プロテスタント教会に対する悪口が随所にちりばめられています。「鱶の餌」の元宣教師のブーン氏や、「ガブリエル・ゲイルの犯罪」のソーンダース牧師の造形などは、プロテスタント信仰の戯画化と言えましょう。それはともかく、主人公の詩人探偵ゲイルは、詩人であるが故に、狂人たち(lunatics)に対して、魂の奥深くで共鳴することで、結果的に犯罪を暴くことに成るのです。「狂人」と言うより「取り憑かれた人」と言うべきかも知れません。今なら一種の「サイコダイバー」です。その意味で、本作が国書刊行会「世界幻想文学大系」に収められていたという事実は興味深いものです。凡そ論理的な展開とは思えないので、普通の推理を期待すると戸惑うことでしょう。斯く申す私も、第2話「黄色い鳥」の結末を見た所で漸く、詩人探偵の観察力と推理力(と言うか、その個性)に順応したくらいです。楽しみ始めたのは、第6話「孔雀の家」あたりでしょうか。変人の多い探偵の中でも、その変てこ度において、かなり上位に食い込むキャラクターです。しかも、この連作集、探偵自身の恋愛小説とも成っているのですからオドロキです。
posted by 行人坂教会 at 22:44 | 牧師の書斎から

2月第3主日礼拝(礼拝交流)

       2月19日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 知恵にみちた言葉音楽 外谷悦夫牧師(市川三本松教会)
聖  書  マタイによる福音書 15章21〜31節(p.30)
讃 美 歌  27、159、490、568、484(口語訳)、29
交読詩編  詩編46編1〜12節(p.55)

讃美歌練習(3月の月歌:526番)   礼拝後     礼拝堂

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2017年02月13日

【世に遣わされている】ヨハネ17:6〜19

聖句「わたしを世にお遣わしになったように、わたしも彼らを世に遣わしました。彼らのために、わたしは自分自身をささげます。」(17:18,19)

1.《遣わされた者》 ドラマ『べっぴんさん』に出演中の「林遣都」は本名で、両親が「都に出て大事を成し遂げるように」と命名したそうです。思えば「遣わす」という文字は、日本語訳と中国語訳だけの表現です。英訳その他、ラテン語やギリシア語原典に至るまで「送る」です。しかし、単に「品物を送り付ける」のと「人を遣わす」のとでは違うという信念が感じられる語です。

2.《差出人の確認》 ギリシア語の「アポステルロー/送る」は「アポスル/使徒」という聖書独特の用語を生みました。こういう特殊な語に立ち止まりながら読んで行くのが、聖書を学ぶ醍醐味です。何が何でも速く読了すれば良いというような「通読」至上主義には疑問を覚えます。「アポステルロー」の「アポ」は「分離、出発、起源」を表わす接頭辞です。「ステルロー」だけでも「送る」という意味はあるのに、更に「アポ」が付いているのです。要するに「誰からか」ということが大切なのです。家に届いた宅急便の送り主も見ないまま開ける人はいないでしょう。お遣わしになった御方が証されているのです。

3.《遺された者ら》 イエスさまの「訣別説教」です。「共観福音書」の「ゲツセマネの祈り」に比すべき場面です。主は御自身が不在になった後の弟子たちの行く末を心配して、神の御守りを何度も祈って居られるのです。ローマカトリックの信者の永井隆が、長崎で被爆して病床に臥しながら、自身の死後の娘の姿に思いを馳せる『この子を残して』の一節が心に浮かびました。誰かが「遣わされる」時、そこに「遺されて」しまう人も出て来るのです。「アポ」には「遠く離れて、遥か彼方」の含みもありました。「世に遺された者」は「世に遣わされる者」です。しかし、キリストの愛が彼らを守っているのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 18:51 | 毎週の講壇から

2017年02月07日

2月第2主日礼拝

       2月12日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 世に遣わされている=@音楽     朝日研一朗牧師
聖  書  ヨハネによる福音書 17章6〜19節(p.202)
讃 美 歌  27、159、490、274、91、29
交読詩編  詩編46編1〜12節(p.55)

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posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内