行人坂教会 公式サイト ご案内

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牧師ご挨拶・・・・・・・当教会牧師のご紹介で、本人のプロフィールもあります。
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 会報巻頭言など・・・・当教会会報「行人坂」に掲載された牧師のメッセージ集です。
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教会からのお知らせ・・・各種イベント(イースター、クリスマス諸行事、バザーなど)のご案内です。
毎週の礼拝案内・・・・・毎週の主日礼拝のご案内(概要)があります。
      *最新情報*礼拝終了後は当日の音声録音を聴くことができます
毎週の講壇から・・・・・毎週の主日礼拝での説教の要約をまとめてあります。
教会アルバム・・・・・・当教会で過去開催された行事の写真集です。
オリジナル賛美歌など・・当教会の会員有志が作成したオリジナル賛美歌をご紹介します。
リンク・・・・・・・・・日本キリスト教団他の関連サイトへのリンク集です。

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それでは、どうぞご覧下さい。なお、以下は最近の記事です。


2018年01月16日

1月第3主日礼拝

       1月21日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 豊かに暮らす道=@      朝日研一朗牧師
聖  書  フィリピの信徒への手紙 4章10〜14節(p.366)
讃 美 歌  27、191、490、485、536、25
交読詩編  詩編72編1〜7節(p.81)

posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2018年01月15日

祈りがあなたを解き放つ【マタイ6:5〜15】

聖句「祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。」(6:5)

1.《ギリシア劇》 古代ギリシア演劇と言われても、私たちにとって馴染み深いものではありません。しかし、オーケストラ、シアター、シーン、コーラス、コメディ、トラジディ、パントマイム、ソックス等、ギリシア演劇に由来する用語は今も生きています。イエスさまの仰る「偽善者/ヒュポクリテース」もギリシア演劇の「役者」を意味する語です。仮面を被って所作をするのです。

2.《偽善者仮面》 古代ギリシア演劇では、舞台に立つ役者は二、三人に限定されていましたから、交替で仮面を取り替えながら演じました。役柄の性別や年齢や地位に合わせて仮面(プロソーポン)を被ったのです。この仮面をラテン語では「ペルソナ」と言います。『シン・ゴジラ』のゴジラの動きを演じたのは、狂言師の野村萬斎です。樋口真嗣監督によると、野村がお面を被った瞬間に「もう人では無くなっていた」そうです。同じく、仮面を被ることで、その役柄が役者に憑依するのです。聖書の「偽善者/役者」は、この社会の役割や立場、人の評価や自意識によって、素面の自分を見失ってしまった人たちのことです。

3.《解放の祈り》 現代においては、このイエスさまの御言葉は浅薄な「偽善者批判」の道具としてではなく、自己吟味のために読むべきです。私たちは、神さまの望まれる生き方をしているでしょうか。マザー・テレサが「解放」という祈りを残してくれました。愛され、評価され、認められたいという思い、見下されたり忘れられたり非難中傷されたりする恐れからの解放を祈ると共に、人間的な弱さを正直に告白しています。イエスさまは「役者じゃないんだから、仮面を被ったまま、お祈りしちゃダメだよ」と教えて下さっているのです。祈る時、人に向かって祈るのではなく、心を神さまに向けているでしょうか。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 19:53 | 毎週の講壇から

2018年01月09日

1月第2主日礼拝

       1月14日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 祈りがあなたを解き放つ音楽    朝日研一朗牧師
聖  書  マタイによる福音書 6章5〜15節(p.9)
讃 美 歌  27、191、490、136、204、25
交読詩編  詩編72編1〜7節(p.81)

・青空カフェ      礼拝後        バルコニー

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2018年01月08日

折が良くても悪くても【Uテモテ4:1〜5】

聖句「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。」(4:2)

1.《牧師館殺人事件》 アガサ・クリスティの「ミス・マープル物」第1作ですが、この推理小説の御蔭で、牧師は中世ヨーロッパの荘園領主のような屋敷に住んでいるかのような印象を与えてしまいました。日本の牧師の住まいの現実は「牧師宿舎」と呼ぶのが相応しいと思います。因みに『牧師館殺人事件』の翻訳者の1人には、牧師の子として生まれ育った中村妙子も居られます。

2.《都合の良し悪し》 所謂「牧師館」に訪ねて来られる人の中には、所用の会員や教友のみならず、飛び込みの相談者もあります。牧師も生活者ですから、都合の悪い時もあります。その時、脳裏を掠めるのは「どんな場合にも」「良き音ずれをもたらす者」として「自分の務めを果たしなさい」と勧める、この聖書の段落です。これまでは専ら、私の側の「都合の良し悪し」や「便不便」に関係なく「福音を宣べ伝えなさい」という内省的な勧めとして語られて来ましたが、それは余りに限定的ではないでしょうか。「折」と訳された「カイロス/時」は、量的な時間(クロノス)ではなく、神が与えられるチャンスです。

3.《時代と共にある》 時計の針が文字盤に刻む時ではなく、私たちの魂に刻まれた時なのです。故に永遠と繋がる「霊的な時間」でもあるのです。但し、聖書の神は、人間の歴史に生きて働かれます。この時代と無関係ではありません。私たちが生きる時代も、神からチャレンジとして与えられたものです。「御言葉」はキリスト・イエス、「励みなさい」は「傍らに立つ、先頭に立つ、歩み寄る」です。悩む人の側に立つ主の御姿、時代の先頭に立ち、時代状況に歩み寄るのです。勿論、時流に上手く乗るとか、時代に迎合するとかの意味ではありません。時に誤りを指摘したり、時に慰め励ます。これが私たちの役割です。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 18:54 | 毎週の講壇から

2018年01月02日

1月第1主日礼拝(2018年新年礼拝)

       1月 7日(日) 午前10時30分〜11時50分
説  教 折が良くても悪くても=@音楽    朝日研一朗牧師
聖  書  テモテの手紙U 4章1〜 5節(p.394)
讃 美 歌  27、191、490、564、461、71、25
交読詩編  詩編72編1〜7節(p.81)

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posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2018年01月01日

向こう岸に渡ろう【マルコ4:35〜41】

聖句「その日の夕方になって、イエスは、『向こう岸に渡ろう』と弟子たちに言われた。」(4:35)

1.《降誕節の主日》 本日が正真正銘の「クリスマスの主日礼拝」です。プロテスタント教会では何よりも「主日礼拝」を重んじるので、ローマカトリック教会が12月24日から25日にかけて、徹夜のミサをするような習慣がありません。「特定の日」を重んじるのではなく、毎日を神さまからのプレゼントとして感謝して受け、その上で、週に一度、日曜日を主に奉げているのです。

2.《冬至は年越し》 3世紀初め、アレキサンドリアのクレメンスが、キリスト降誕日を5月20日と推測した記録が最古の記録です。4世紀初めには、キリスト教が公認されたローマを中心にして、12月25日のクリスマスが祝われるようになりました。ミトラ教の太陽神の誕生日、農耕神サトゥルナリア祭、豊穣の女神フレイアに犠牲を奉げる北欧のユール等の信仰や風習が流れ込んでいます。クリスマスは文字通りクリスチャンだけのものではないのです。中国の二十四節気では、冬至は陰気から陽気に転ずる変わり目です。季節の変化、年の変わり目に、皆で集まり、姿勢を正して、神に感謝を奉げるのです。

3.《私の向こう岸》 イエスさまは事も無げに「向こう岸に渡ろう」と仰いますが、弟子たちにとっては「向こう岸/ペラーン」は「限界、境界、果て/ペラス」を意味しました。荒れ狂う湖は、弟子たちの不安な心中そのものです。実際、向こう岸は、豚を食べるギリシア人の植民都市、ゲラサ人の地方で、墓から悪霊に取り憑かれた人も出て来ます。住井すゑの『橋のない川』の「川向こう」です。差別する者とされる者との間に広く深い川が横たわっているのです。イエスさまは、そこに橋を架けよう、そこと舟で行き来しようとされるのです。決して楽なことではありません。でも、古い自分を脱ぎ捨てて、自分が引いた境界線を乗り越えるのです。私たちの舟には、主が共に居られるのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 18:00 | 毎週の講壇から

2017年12月31日

奇妙なオルガン

1.天馬博士のオルガン

『鉄腕アトム』と言えば、手塚治虫の原作もさることながら、1963〜1966年(昭和38〜41年)に、フジテレビ系列で放映された日本初の国産アニメ(虫プロダクション)が有名です。動きがリアルで丁寧な(ディズニーや東映動画に代表される)フルアニメーションに対して、制作費と製作時間を削減するための、リミテッドアニメーション(フィルム3コマにつき1枚の動画)、バンクシステム(同じセル画の使い回し)を確立した「ジャパニメーション」草創期の作品です。

記念すべき第1話「アトム誕生」の放映は1月1日でした。また、第2話「フランケン」、第3話「火星探検」までは、手塚自身が演出を担当しています。並々ならぬ意気込みが伺えます。

第1話「アトム誕生」では、交通事故で独り息子の「飛雄」を失った天馬博士が、人間型のロボットを発明し、息子の名前を採って「トビオ」と命名します。人間と同じように細やかな感情まで持っている「トビオ」でしたが、天馬博士は次第に、人間のように成長しないトビオに苛立ちを感じるようになり、結局、サーカス団に売り飛ばしてしまうのです。「鉄腕アトム」と命名するのは、サーカス団の団長(ハム・エッグ)なのです。アトムはローマの剣闘士さながら、残酷な「ロボット対戦」をさせられるのですが…。

ところで、天馬博士が「トビオ」=「アトム」を完成させる場面ですが、彼が操作する機械は、明らかにパイプオルガンをイメージしています。但し、そこで響き渡るのはベートーヴェンの「運命」第1楽章の有名な旋律です。

2.オペラ座のオルガン

手塚治虫が映画、とりわけSF映画と怪奇映画に造詣が深かったことは有名です。「アトム誕生」の場面は、ユニヴァーサルの『フランケンシュタイン』(1931年)や『フランケンシュタインの花嫁』(1935年)、『フランケンシュタインの復活』(1939年)を思い出さない訳には参りません。あるいは、フリッツ・ラングの『メトロポリス』(1926年)におけるアンドロイド「マリア」創造の場面も思い出されます。

それにしても、天馬博士のオペレーションがオルガンであるのは、一体、どこから来ているのでしょうか。私がすぐに思い出したのは『バーバレラ』(1968年)です。デュラン・デュラン博士が自身の発明による「オルガニズム拷問マシン」(凄い洒落)に、バーバレラを入れて、パイプオルガン演奏よろしく自ら操作していました。

近くは『パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト』(2006年)があります。蛸のような顔をした悪霊、デイヴィ・ジョーンズが海賊船「フライング・ダッチマン号」(彷徨える阿蘭陀人!)の中で、両手のみならず、顎から垂れ下がる触手をも使って、パイプオルガンを弾いていました。海賊船の船内にパイプオルガンとは笑えるではありませんか。ともかく、怪奇趣味にはオルガンがよく似合うのです。

恐らく、その原点は『オペラの怪人』=『オペラ座の怪人』(1925年)でしょう。自分が溺愛する無名の新人、クリスティーヌを主役にするために、ファントム(「怪人、幽霊」)と呼ばれるエリックが暗躍する物語です。エリックはクリスティーヌに恋する余り、彼女を誘拐して、ガルニエ宮地下の秘密の部屋に監禁して、自分を愛するように迫ります。しかし、クリスティーヌは、エリックが一心にパイプオルガンを弾いている最中、仮面を剝ぎ取ってしまいます。そこから表われた彼の醜い素顔は…。

ガストン・ルルーの原作は知りませんが、この映画のエリックはオペラ座のオルガニストだったという設定です。それで、このサイレント(無声)映画を上映して、パイプオルガンの即興演奏を入れたリサイタルが行なわれたりしているのです。

3.パスカルのオルガン

17世紀フランスの思想家、ブレーズ・パスカルは『パンセ』の中で、人間を「奇妙なオルガン」に譬えています。

「気まぐれ。――人は普通のオルガンを弾くつもりで、人間に接する。なるほど人間はオルガンではあるが、奇妙な、変わりやすい、移り気なオルガンである。そのパイプは音階の順に並んでいない。普通のオルガンしか弾けない人は、この諧音では音を出すことができない。鍵盤がどこにあるかを知らなければならない。」(松浪信三郎訳、河出書房新社)。

最後の「鍵盤/touches」という語は、草稿に欠落して居り、多くの版本がこれを採用していますが、全く確定していません。パスカル自身、モンテーニュの『随想録』に触発されているらしいのですが、『随想録』には、以下の如き同趣旨の発言があります。曰く「1つのペダル(marche)を踏んだ者は、すべてに触れたも同然である。それは極めて協和的な音の調和であり、決して調子外れになることがない」。従って「鍵盤」ではなく「ペダル/marche」という語を補う本も出て来ています。

突然に「なるほど人間はオルガンであるが…」等と言われても、私たちは狐に摘まれたような気分に成りますが、以前にも申し上げた通り、「オルガン」のラテン語「organum/オルガヌム」とは「道具、楽器」であり、「器官、臓器」の意味にも派生しているのです。ですから「なるほど人間はオルガン」なのです。

「気まぐれ」という訳語も「一定しない事」とする訳者もいます。人間というものは難しい。人間付き合いは難しい。人に接してみると、人によって反応もまちまちで、その日の機嫌や健康状態、天候や気候によっても変わり易く、安定していないのです。だから、この人間というオルガンでは和音を奏でられない。そのようにパスカルは言っているようです。

牧師 朝日研一朗

【2018年1月の月報より】

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2017年12月26日

12月第5主日礼拝(2017年歳晩礼拝)

      12月31日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 向こう岸に渡ろう=@音楽      朝日研一朗牧師
聖  書  マルコによる福音書 4章35〜41節(p.68)
讃 美 歌  27、245、490、357、456、24
交読詩編  詩編19編8〜15節(p.25)

・・・当日の音声録音を聴く
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2017年12月25日

見上げてごらん夜の星を【ルカ2:8〜20】

聖句「羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。」(2:20)

1.《バイスタンダー》 救命医療と看護の用語です。誰かが急病になったり、事故や災難に見舞われた時「偶然、その場に居合わせた人」のことです。発見から通報、応急の救命処置など、その役割の重要さが改めて注目されています。北米には「善きサマリア人法」の制定された自治体も多く、その場に居合わせた誰でもが「バイスタンダー」として行動できるように促されています。

2.《クリスマス招待》 羊飼いたちは、クリスマスのバイスタンダーでした。マリアとヨセフは、キリストが人として生まれるために必要条件として選ばれた存在でした。また、占星術の学者たちも事前にキリスト降誕を予測して、遙々何千キロも旅して来た人たちです。明確な目的意識や旅行計画があって初めて、御子のいる場所へと辿り着くことが出来たのです。そんな中にあって、羊飼いたちこそが「偶然、その場に居合わせた」存在なのです。それまでイエスの家族とは何の接点も無かった人たちが、野宿して寝ずの番をしていたために、主の栄光を仰ぎ、天使に招待されて、降誕の場面へと導かれて行ったのです。

3.《召し出された人》 占星術の学者たちは「拝みに来た」のですから、一種の巡礼です。羊飼いたちが招かれたのはどうしてでしょうか。羊飼いたちは都市や貴族に憧れることも羨むこともなく、与えられた務めに満足していたからだと、ルターは説明しています。素朴な彼らは礼拝に行ったのではなく、とにかく行って見て、人々に知らせたのです。人との出会いも、出来事との出会いも、先ず自分が行って見ることから始まります。その結果として、彼らはクリスマスの証人と成り、神を「あがめ、賛美しながら帰って行った」のです。こうして賛美は私たちの生活に入り込み、終わることなく続くのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 19:50 | 毎週の講壇から