行人坂教会 公式サイト ご案内

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行人坂教会について・・・当教会の歴史・沿革についてご紹介します。
 礼拝・集会の案内・・・当教会で行っている礼拝と集会のご案内です。
 教会へのアクセス・・・当教会への交通、付近の地図、連絡先です。
牧師ご挨拶・・・・・・・当教会牧師のご紹介で、本人のプロフィールもあります。
牧師の書斎から・・・・・当教会牧師のメッセージ、記事を集めています。
 会報巻頭言など・・・・当教会会報「行人坂」に掲載された牧師のメッセージ集です。
 こんにゃく問答・・・・同じく、会報「行人坂」に掲載された教理問答集です。
教会からのお知らせ・・・各種イベント(イースター、クリスマス諸行事、バザーなど)のご案内です。
毎週の礼拝案内・・・・・毎週の主日礼拝のご案内(概要)があります。
      *最新情報*礼拝終了後は当日の音声録音を聴くことができます
毎週の講壇から・・・・・毎週の主日礼拝での説教の要約をまとめてあります。
教会アルバム・・・・・・当教会で過去開催された行事の写真集です。
オリジナル賛美歌など・・当教会の会員有志が作成したオリジナル賛美歌をご紹介します。
リンク・・・・・・・・・日本キリスト教団他の関連サイトへのリンク集です。

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それでは、どうぞご覧下さい。なお、以下は最近の記事です。


2017年01月24日

1月第5主日礼拝

       1月 29日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 身を起こし頭を上げよ=@      朝日研一朗牧師
聖  書  ルカによる福音書 21章25〜28節(p.152)
讃 美 歌  27、145、490、354、13、28
交読詩編  96編1〜13節(p.110)


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2017年01月17日

1月第4主日礼拝

       1月22日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 復讐するは我にあり=@音楽     朝日研一朗牧師
聖  書  ローマの信徒への手紙 12章9〜21節(p.292)
讃 美 歌  27、145、490、161、540、28
交読詩編  96編1〜13節(p.110)

・讃美歌練習(2月の月歌:159番) 礼拝後    礼拝堂
・昼食サービス         讃美歌練習後    階下ホール
 カレーライス:350円、テイクアウト:カレー200円、ご飯100円

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2017年01月16日

【平和があるように】マタイ10:5〜15

聖句「相応しい人は誰かをよく調べ、旅立つ時まで、その人のもとに留まりなさい。その家に入ったら、『平和があるように』と挨拶しなさい。」(10:11,12)

1.《挨拶禁止規約》 昨年、神戸のマンションの住民総会で「互いに挨拶は止めよう」との提案が出て、規約として明文化されたことが話題になりました。何とも寂しい時代に成ったものです。挨拶禁止を提案したり、反対に挨拶運動を強引に推進したりするのは、私たち自身が「顔見知り」への信頼感、延いては、他者を吟味して見極める判断能力を失ってしまっているからです。

2.《判断停止状態》 人間関係に限らず、聖書でも教会でも、信仰でも宗教でも鵜呑みにするのは正しい歩み方ではありません。疑い、吟味した上で、勇気をもって踏み出すのです。「信ずべきものは信ずる」のです。勿論、誤りもありますが、失敗は次に進むステップです。現代人は、そのプロセスを避けて、マスコミ報道やネット情報、世論調査などに判断を委ねています。しかし、判断停止状態に陥っている方が、操作誘導され易いのです。「振り込め詐欺」が流行する世相と軌を一にしています。子どもたちも「顔見知り」に挨拶せず、血の通わない怪しげな「ネット住人」だけを相手にして成長しているのです。

3.《平和の挨拶を》 イエスさまは12人の使徒に「権能」を与えて「医療伝道」に派遣しています。無一物での旅でしたが、町や村に入ったら、衣食住を与えてくれる「相応しい人/相応の値打ちのある人」の厄介になるように勧めているのです。しかし「相応しい人」「相応しい家」かを見極めるのは大変だったと思います。時には、無礼な応対を受けることもあったはずです。パウロの手紙には「使徒」「兄弟」と偽って詐欺紛いを繰り返す者もいたようです。そんな旅人を受け入れる側でも、各々に相応しい対応が求められます。誰に対しても「平和があるように」という祝福の挨拶を交わし、祈る者でありましょう。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 18:51 | 毎週の講壇から

2017年01月10日

1月第3主日礼拝

       1月15日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 平和があるように=@音楽      朝日研一朗牧師
聖  書  マタイによる福音書 10章5〜15節(p.17)
讃 美 歌  27、145、490、405、448、28
交読詩編  96編1〜13節(p.110)

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2017年01月09日

【借り暮らしもあり得るって】ローマ13:8〜10

聖句「互いに愛し合うことのほかは、誰に対しても借りがあってはなりません。人を愛する者は、律法を全うしているのです。」(13:8)

1.《借り暮らし》 2010年のアニメ映画『借りぐらしのアリエッティ』は、英国の児童文学者、メアリー・ノートンの『床下の小人たち』が原作です。所謂「小人の冒険シリーズ」の1編ですが、原作者は「拝借人/Borrowers」という表現を大切にしています。何でもお金で買って所有し、声高に所有権を主張するのではなく、借り物を工夫して再利用していくのです。

2.《所有と排除》 私たちも「自分の家」「自分の土地」「自分の家族」「自分の人生」と言っていますが、神さまから「与えられたもの」、つまり「授かりもの」「預かりもの」なのです。しばらく借りていて、やがてお返しするものなのです。「借りがある」と訳されている「オフェイロー」には、借金のみならず「負い目、罪」の含みがあります。現代ギリシア語の「借りる/エノイキオ」は「エンオイケオー/その中に住む」と関係があるかも知れません。何十年か昔は、隣近所でお醤油やお砂糖の貸し借りをしていました。お裾分けもしました。私たちは、今や互いに「外に住んでいる」のかも知れません。

3.《愛し合って》 どうしても「借り」と言うと「借金」のイメージが先行してしまいます。米国の結婚式で、新郎新婦への勧告として読まれることが多かったそうですが、新婚家庭に借金の危険を警告していたのかも知れません。しかし、パウロが言いたいのは「誰にも借りや負い目を作るな」ではなくて、愛し合うことの大切さです。愛には「借りがあっても良い」のです。借りがあれば、期間内に返済するのが、私たちの社会の約束事であり秩序です。しかし、愛には負債があってもよいし、返済期限もありません。貸すばかりで損する人がいても、借りるばかりで、返さない人がいても良いのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 18:52 | 毎週の講壇から

2017年01月03日

1月第2主日礼拝

       1月 8日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 借り暮らしもあり得るって音楽   朝日研一朗牧師
聖  書  ローマの信徒への手紙 13章8〜10節(p.293)
讃 美 歌  27、145、490、477、530、28
交読詩編  96編1〜13節(p.110)

・青空カフェ      礼拝後      玄関バルコニー

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2017年01月02日

【幸せな生き方をしよう】マタイ13:10〜17

聖句「しかし、あなたがたの目は見ているから幸いだ。あなたがの耳は聞いているから幸いだ。」(13:16)

1.《メタファー》 今年は酉年ですが、本来「酉」は「鳥」ではなく「酒熟して気の漏れる」様を言います。従って「水鳥」と言ったら「酒」の隠語ですが、十二支に動物を当てたのは、庶民に分かり易く説明しようとした先人の知恵です。イエスさまの譬え話も、目に見えないものを、目に見える物や経験で表現することで、誰もが得心できるようにしているのです。

2.《譬えの意味》 神の愛など私たちには想像できませんが、「放蕩息子」の帰りを待ち侘びる父親の心情は想像に難くありません。赦しの御心など分かりませんが、迷子の小羊を発見した飼い主の喜びは分かります。それこそ、イエスさまが「譬えを用いて話す理由」に他なりません。劇作家の井上ひさしの「むずかしいことをやさしく、やさしいことを深く、深いことを面白く」のモットーにも通じます。キリスト教の教義(ドグマ)を理解したり、教理問答(カテキズム)を勉強するよりも大切なことがあるのです。お百姓さんは「神の国」のことは分からないのですが、「種蒔き」なら体験として誰よりも知っているのです。

3.《幸いなる哉》 この聖書箇所では、群集には「天の国の秘密を悟ることが許されていないから」、彼らが理解できないように「譬えを用いて話すのだ」とイエスさまが言われます。むしろ、これは「マタイ」のメッセージです。「天の国の秘密」と言われている内容も驚く程のことではありません。イエスさまの福音に今出会った人たちに「幸いなるかな」と祝福しているのです。アインシュタインは「人生には2つの生き方しかない。奇跡など何一つないとして生きる生き方か、全てが奇跡であるとして生きる生き方か」と言いました。全てに奇跡を見聞きすることが出来れば、感謝と賛美に満たされるはずです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 20:53 | 毎週の講壇から

2017年01月01日

日課と勤行と覚醒

1.朝の顔ぶれ

朝の7時半頃、二男の車椅子を押して、スクールバスの停車場所に送って行くのが、私の日課です(お迎えは妻が担当してくれています)。朝は出勤時間、登校時間ですから、また、ジョギングや犬の散歩も日課ですから、ほぼ同じような顔ぶれの人たちと擦れ違います。やはり、朝は皆が一定の方向性をもって動き始める時間帯なのです。それに比べると、夕方のお迎え時間はバラツキが大きいようです。  最近の定番を紹介しましょう。先ず家を出ると、向かいのマンションの清掃作業員、次に隣のマンションのKさんに「お早うございます」。バーコード会社の「SATO」に出社する中年男性2〜3名(50歳代)、女性2名(30歳代)、若手社員1名(20歳代)等が歩いています。雅叙園に向かって急ぐフィリピン人の女性(30歳代)が見えます。二男の小学校時代の同級生IS子ちゃんの家の前を通ると、出勤するお母さんに遭遇することもあります。「お早うございます」。  「セブン-イレブン」の角でタバコを吸っている会社員2名(40歳代)、建設作業員1〜2名(20〜40歳代)、「セブン」から太鼓橋の間で、女子高生、40歳代OL2名、若いフリーター風男性(30歳代)、ジョギングの女性(30歳代)、太鼓橋の上で女子高生、黒いプードル3匹を散歩させる奥さん(60〜70歳代)、そして、毎日、橋の上には、コンビニのパンと珈琲の朝食を食べている若禿げで背の低い男性(30歳代)がいます。女子中学生(以前、教会学校に来ていたMMちゃん)と会うこともあります。「お早う」。

2.去り行く人

こうして毎朝、同じような顔ぶれを見ていると、挨拶を交わさぬ人であっても、自ずと親近感が湧いて来るものです。そうかと思えば、ある時から、急に見なくなる顔もあるのです。転勤、転居、退職、労働時間帯の変更もあるかも知れませんが、場合によっては、その人の不在が、そのまま「その人の死」を意味します。  例えば、「ヤマト運輸」に務めていた男性(50歳代)は、教会に集金に来ていた時期があったので、顔馴染みでしたが、ある日、太鼓橋の上を、お連れ合いの介助を受けつつ、脚を引き摺りながら歩いているのを見て、驚いたものです。それから時折り、朝のリハビリに出会っていたものの、挨拶を交わすだけで、お尋ねする余裕はありませんでしたが、恐らく、脳梗塞か何かで麻痺した体で散歩されていたのです。しかも、その何ヶ月か後には、車椅子に乗ったお連れ合いを、今度は、彼が押していたのです。最近お見掛けしませんが、回復されて仕事を再開されたのなら良いのですが…。  昨年までは、日出高校の男女生徒が登校する姿をよく見掛けたものです。余りにも仲が良さそうなので、私たちは「高校生夫婦」と名付けていました。その昔、鶴見辰吾と伊藤麻衣子が主演した『高校聖夫婦』という大映ドラマがあったのです。戯れ合いながら登校している姿を遠目に見ながら、私は思わずビートルズの「All You Need Is Love」を口ずさんでしまいました。「Love,love,love」という歌い出しは、二男も知っていて(子ども番組の「ポンキッキーズ」で流れていたからでしょう)、目の前を歩く二人の姿と音楽が重なったと見えて、笑いを堪えるのに必死だったようです。  朝、二人を見る度に、私たち親子は「Love,love,love」と(勿論、本人たちの耳には届かないように)囃し立てて、歌っていたものです。二人が蛸のように吸い付いて歩いている日もあれば、喧嘩をしているのか、距離を置いて歩いている日もありました。しかし、私たちは変わらず「Love,love,love」と歌い続けました。卒業してしまったらしく、今年度から姿を見なくなってしまいました。今も仲良く暮らしているでしょうか。あれだけ私たちを笑わせてくれたのですから、別れていなければ良いのですが…。

3.宙吊り状態

エドガー・アラン・ポーの短編に『ヴァルデマール氏の病気の真相』という恐ろしい作品があります。催眠術の研究をしている「私」は、友人のヴァルデマール氏の協力を仰ぎ、彼の臨終の瞬間に催眠術を掛けるのです。すると、ヴァルデマール氏はトランス(催眠夢遊)に陥りつつ、尚も生き続けている「宙吊り状態」に成ってしまうのでした。肉体は死んでいるのに意識が半分残っているのです。  やがて、彼の肉体は腐敗が進み、周囲の人間が耐え難い程に成りました。それでも意識が完全に失われることがありません。遂に「私」は催眠術を解く決心をして、彼の意識を覚醒させます。そして、意識が覚醒すると同時に、忘れていた死の現実がヴァルデマール氏の精神に流れ込んで来て、瞬時にして肉体は崩れ去って行くのでした。  毎日、同じことを繰り返していると、ヴァルデマール氏のような状態に置かれているような気分に成ることがあります。同じ電車に乗り、同じ職場や学校に通い、同じような顔ぶれで、同じようなことを繰り返しているような錯覚に陥ります。  しかし「宙吊り状態」は「サスペンス/緊張状態」でもあるのです。タロットカードにも「宙吊りにされた男」があります。逆さに吊るされていて手も足も出ませんが、実は、大きな可能性を秘めたカードなのです。  私は、朝のルーティーンな日課であっても、意識することによって、トランスからリアルへの移行が出来ると考えています。「宙吊り状態」は不安なので、誰もが逃れたいと思いますが、実は、そこに心を向けることによってしか、私たちは現実を生きることは出来ないのです。「聖務日課/Liturgia horarum」とは、1日の定時に祈るための祈祷文ですが、同じ務め(勤行)を繰り返すことで、初めて信仰生活は深められるのです。

牧師 朝日研一朗

【2017年1月の月報より】

posted by 行人坂教会 at 06:00 | ┣会報巻頭言など

2016年12月27日

1月第1主日礼拝(2017年元日礼拝)

       1月 1日(日) 午前10時30分〜11時50分
説  教 幸せな生き方をしよう音楽     朝日研一朗牧師
聖  書  マタイによる福音書 13章10〜17節(p.24)
讃 美 歌  27、145、490、367、278、81、28
交読詩編  96編1〜13節(p.110)

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2016年12月26日

【真夜中のメシア】ルカ2:8〜20

聖句「その地方で羊飼いたちが野宿しながら、夜通し羊の群れの番をしていた。」(2:8)

1.《深夜食堂》 安倍夜郎のマンガ『深夜食堂』は、新宿花園界隈が舞台です。深夜0時に開店すると、客の注文に応えて「できるもんなら何でも作るよ」とマスターが言うお店です。暖簾には「めしや」と書いてあります。マスターは顔に傷痕のある男、やって来るお客も深夜だけに何か「ワケアリ」の人たち。でも、私たちも皆「ワケアリ」です。それぞれの事情を抱えて生きているのですから。

2.《聖なる夜》 「深夜食堂」は「真夜中のめしや」、イエスさまも「真夜中のメシヤ」でした。「マタイによる福音書」でも「ルカによる福音書」でも、クリスマスは「夜の出来事」として描かれています。ヨセフは夜の夢に天使の告知を聴きますし、占星術の学者たちも星に導かれてメシアを訪ねます。昼間に見えていたものが夜には見えなくなりますが、昼間に見えていなかったものが夜に見えるようになることもあるのです。月や星がそうです。街や家々の灯かりも夜に際立ちます。家があり、家族がいて、各人の暮らしがあり、喜びと悲しみがあります。家々の灯かりという形を取って、私たちにも見えるようになるのです。

3.《離れた所》 真夜中に働いている人たちの姿も見えて来ます。この羊飼いたちは雇い人で、羊の群れを預かっていたのかも知れません。少なくとも「その地方で」(「離れた所」を表わします)という語句から、自分の所有地を持たぬ者たちであることだけは確かです。2千年昔にも、王宮や神殿には夜勤をしていた衛兵や夜警がいたようです。羊飼いたちがクリスマスの御告げを受けたのは、むしろ彼らが都市の雑踏から離れた所にいたからです。多くの人々から離れて、外にあるからこそ見えて来るもの、聴こえて来る音もあるのです。私たちも少しだけ他の人たちと同じではない、離れた所に立ってみましょう。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 21:43 | 毎週の講壇から