イエスはまことのぶどうの木 高橋恵一郎牧師

聖書:ヨハネによる福音書15:1~10(新約p.198)

先週は大切な主日にお招きをいただき感謝をいたします。ここではお読みした聖書箇所を巡っての証を致します。

次女が間も無く2歳になろうとする時のことでした。川崎病を発症し、緊急入院することになりました。突然死の危険がありました。小さな連絡でも気が気ではありませんでした。妻が牧師に次のようなメールを送りました。「娘の笑顔や仕草がもし思い出の中のものだけになってしまったとしたらと考えると、それだけで胸が痛くなります」。これが私たち親の思いでありました。夜になると娘は言いました。「おとうさん、行かないでね」。それは胸に刺さる訴えでした。握っていた小さな手との繋がりが、心もとなく、儚いものに思われました。「いかないでね」「どこにもいかないでね」という言葉は、娘の言葉というよりも、私と妻から娘への声に出すことのできない心の叫びでした。

 幸い、無事に退院することができましたが、それでもいつか別れのときはやってきます。そんな私たちにイエス様は語っているように思います。私につながっていなさい、と。一人ひとりが「枝」として主イエスという幹に繋がっているのであれば、どのようなことがあっても、人の目から見て別れが来たとしても、主イエスによって私たちはいつまでも一緒にいるのだ、「いかないでね」という言葉はもう必要のない言葉になるのだ、と。

 「実を結ぶ」という言葉が語られています。私は今まで「実を結ぶ」という言葉に大きな成果をイメージしていました。しかし、そうではないように今は感じています。実りとは、神様の愛によって、愛する者が一つになり、いつまでもどこまでも共にいること。神様の暖かく大きな御手によって包まれ、私たちが別れの不安に脅かされずに共にいることができることである、と。

 共にいる幸せ。それが主イエスによって、今ここにあります。まことの神が私たちの手をしっかりと掴んでいてくださることに感謝を致します。

<高橋恵一郎牧師プロフィール>
1961年生まれ。東京神学大学大学院博士課程後期中退。柿の木坂教会伝道師、柏教会副牧師、滝野川教会協力牧師(全て日本基督教団)。現在、学校法人聖学院女子聖学院中学校高等学校チャプレン・聖書科教諭。『プロテスタント教会の礼拝その伝統と展開』(J.F.ホワイト著 日本キリスト教団出版局)共訳、『聖書と子どもたちみことばを届けるために』(聖公会出版)共著。2男3女(小2~高3)の父として子育てに奮闘中。

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