「いこいのみぎわ」詩編23

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皆さんの中で犬を飼った経験をお持ちの方は、いらっしゃいますか。犬が人間になついてきたり、甘えてきたり、人間の言うことを理解したりするとカワイイですよね。「犬と人間の親密な関係」というと私たち日本人もイメージしやすいのではないでしょうか。
では、皆さんの中で「羊」を飼ったことある方はいらっしゃいますでしょうか。羊は、すごく人なつっこく飼い主に素直なのだそうです。羊と羊飼いの関係は、犬と人間の比ではないくらい親密だということです。

なぜ、キリスト教ではイエス・キリストのことを「飼い主我が主」と呼ぶのでしょうか。今日は、羊という動物の性質に注目して詩編23編の特に前半をみていきます。

お祈り
飼い主我が主よ。迷う私たちを若草の野辺に導いてください。憩いのみぎわに伴ってください。私たちといつも共にいて、安心・安全を守ってください。救い主イエス・キリストのお名前でお祈りします。

目次

羊の性格

「主は私の羊飼い。わたしに何も欠けることがない」詩編23は、シンプルな言葉で始まります。

詩編23編は、神様を羊飼い、自分を羊にたとえています。迷える羊である私たちを羊飼いなる神様が導いてくれるから信頼していこう、ということです。

「羊飼いと羊の信頼関係」と言っても、現代の日本に生きる私たちにとってはあまりピンときません。

オーストラリアで8年間、羊飼いの経験をした牧師フィリップ・ケプラーという方が 「羊飼いの見た詩編23編」 という本を書いています。 この本によると、 羊はとても弱い動物だそうです。

1.
羊は「つの」「鋭い爪」などといった動物としての武器もありません。道に迷って疲れきった羊は、狼、プーマ、クマなどの野獣に襲われたらひとたまりもありません。もしも羊を人間が養っていなかったならば、羊はもう昔に絶滅していたといわれています。

羊は、おっちょこちょいです。水辺に連れて行くと泳げないのに嬉しくなってはしゃいて水の中に突進して溺れてしまうそうです。

2.
また、羊は体が弱いので羊飼いがオイルを塗って気をつけてあげないと、すぐに虫がついたり病気になるそうです。

3.
羊は極度に目が悪く、 方向音痴だそうです。 自分がどこへ向かって歩いているかわかりません。「こっちの方向が正しい」と思いこんで進み、よく迷子になったり、崖から落ちそうになるそうです。

羊は弱くオッチョコチョイなものの、「嬉しい」「悲しい」「怖い」などいろんな感情を感じることができるそうです。羊は誰が自分を愛しているか敏感にわかるといいます。また、 なかなか神経質だったり、くせが強かったり、マイペースだったりでお互いの人間関係(羊関係?)が大変だそうです。このような羊を守り、生かしていくのが羊飼いです。羊飼いの仕事は、そうとう大変ですね!

「良い羊飼い」とはどのような羊飼いでしょうか。

1.
良い羊飼いは敵から羊を守ります。狼やクマなど羊を襲う動物が狙ってこないか気を配ります。羊を保護するための隠れ場も造り、


良い羊飼いは、羊の健康に留意します。羊にたくさんの時間をかけます。羊のために緑の草を育て、きれいな水、太陽から守る陰、あらしを防ぐ隠れ場をコツコツ整備します。冬ごとに雌羊に食べさせる栄養になる乾いた草や健康に良い穀物も準備します。羊に傷や怪我がないか、病気やになっていないか気にかけています。

主はわたしを青草の原に休ませ憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる。2.3節

東京も大変暑い日が続いておりますが、私たちは日照りの中を出かけて家に帰って冷たい水を飲むと生き返ります。聖書が書かれたパレスチナ地方は砂漠が多いです。想像してみてください。羊飼いが羊たちを連れて野山を歩いています。厳しい気候でもし羊が迷子になったら、暑さと乾きと飢餓でその魂は死んでしまいます。羊飼いは羊が一匹も迷子にならないように、灼熱の炎天下、喉がかわいた羊を導いて、いこいの水のほとりに伴われます。私の子供の友達にも、みぎわちゃんという子がいます。

3.
良い羊飼いは名前を覚えて導きます。私は羊の顔をみても、どれも同じにみえてしまうのです。良い羊飼いは一匹一匹の顔を見分けて、羊それぞれの性格やコンディションを把握して面倒をみているそうです。そして、一匹一匹の名前をつけ、名前を呼んで育てているそうです。

第二次世界大戦のころ、ある所で、羊が何匹も盗まれました。泥棒が深夜に羊の群れをこっちへいけこっちへいけと何百匹も闇にまみれて連れて行こうとしました。しかし、飼い主が異変に気づきました。気がついた羊飼いが遠くに連れて行かれそうになる羊たちの名前を呼んだら、泥棒が阻止しようとしても羊はぞろぞろと向きを変えてみんな戻ってきました。それだけ羊は飼い主の声がわかるそうです。

以上、良い羊飼いは「今羊は喉が乾いているなあ」「足に傷があり歩くのが辛いのかな」など羊の必要をよく知り、 「緑の野原」 「憩いの水際」へと連れてゆき、水を飲ませ 疲れきった魂を生き返らせてくださります。良い羊飼いは羊のために生命を捨てるほど羊を大切にしてくれます。その羊飼いの愛を感じた羊は、羊飼いを信頼して羊飼いの声を聞き分けます。

魂を休ませてくださる(魂を生き返らせる)

飼い主イエス・キリス


この詩編の作者は冒頭に申し上げたように、神様が羊飼い、私たち一人ひとりを羊にたとえています。「私を羊と一緒にしないでください。私は羊と違って、自分の世話もできます」。確かにおっしゃるとおりかもしれません。ただ、私たちも自分の弱さに目を向けると、迷える子羊のようなオッチョコチョイな側面も誰にでもあるのではないでしょうか。どんなに強がっても私たちの力には限界があります。だからこそ、私たちは小さい子供が親を全面的に信頼するように、神様により頼むのです。

「門番は彼のために門を開き、羊は彼の声を聞く。そして彼は自分の羊の名を呼んで連れ出す

ヨハネによる福音書 10:3

イエス様が、私たちの羊飼い、大牧者です。そしてイエス様が私たち一人一人の名前を呼んでくれているのです。

思い出してみてください。私たちが今までの人生で崖から落ちそうなピンチの時にイエス様が名前を呼んで助けてくれた経験はありますでしょうか。

直接的に助けられた経験はなくても、私たち自身が気が付かない間に、もしかしたらイエス様が杖によって、私たちが危険な目にあわないように、そっと守ってくれていたかもしれません。

主イエスは、良い羊飼いである。そして、良い羊飼いは羊のためにその生命を捨てる

(ヨハネ福音書10:11−18、特に11)

主イエスは私たちの罪のために「死の陰の谷」を歩まれました。そして、十字架で死なれ三日目によみがえられました。その十字架の主イエスの血により、私たちは贖われ、信じた者は誰でも「主の家」に迎え入れれたのです。永遠の生命に導いてくださいます。そして、羊飼いがいこいのみぎわで羊に餌と水を飲ませるように、イエス様は私たちを生命のパンと生ける水で潤してくださるのです。


結論

羊飼いなるイエス様が私たちと共にいて導いてくださることをみてきました。詩編23編は「水のほとりで養われる」「魂が生き返る」という美しい言葉が連なります。

「私の実際の生活は困難や苦労ばかりで理想的な信仰生活とはかけ離れてます」という方もいるかもしれません。私にとっての救いは、この詩編23編が逆境の中で編集されたということです。ダビデ自身、先代の王様サウルに生命を奪われそうになったり実の息子アブシャロムに裏切られたりしました。辛い状況がたくさんあったにもかかわらず「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない」と宣言します。「憩いの水のほとりに伴い魂を生き返らせてくださる」と希望を告白します。

「神様を羊飼い、私たち人間を羊」として描くたとえは、バビロン捕囚の時代によく使われました。厳しい歴史を通過してきた中でいつ大国が攻めてきて生命を奪われるかわからないという逆境の中で「死の陰の谷を行くときもわたしは災いを恐れない。」と歌いました。

私自身、苦しいところをとおらせれ、涙すること、心の傷、挫折もたくさんあります。だから、この詩が順調な状況で書かれたのでなく、大変な苦労の中で書かれたということに慰めを受けました。

しかも命のある限り恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り生涯、そこにとどまるであろうと永遠の生命までの約束を信じたのです。

私たち誰もが、辛い状態、傷つくことあります。でも、キリストの愛から私を引き離すことは何もないと思い出させてくれる詩編23の言葉に私自身大変励まされています。


祈り

天にいますお父様。
私の盃はあふれています。どうか私たちを御霊で満たし、人のすべての考えにまさる神の平安が私たちの心にあふれますように。天のまことの聖所、まことのふるさとである主の家に帰り、生涯そこにとどまる希望を感謝します。私たちの大牧者、飼い主イエスキリストのお名前でお祈りします。

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